緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ホルスト作曲「日本組曲Op.33」を聴く

2020-05-06 21:23:37 | その他の音楽
ホルスト(Gustav Holst 1874-1934)と言えば、「惑星」というオーケストラ曲で知られた作曲家で、とくに「木星」は誰もが一度は聴いたことがあるに違いない親しみのある曲だ。
この「木星」を聴いたのは中学1年生の時。
授業が終り、掃除の時間にこの「木星」が流れていた。
そして掃除が終り、下校の時間になると、あのジェイ・ベルリナーが演奏する「アルハンブラの想い出」が流れてきたのである。

就職で東京に出てきて、初めて買ったクラシックのCDはこのホルストの惑星だった(カラヤン指揮。永福町のアンドー楽器店で買った)。
このホルストの書いた曲で、珍しい曲を見つけた。
「日本組曲Op.33」。1915年作曲。

Gustav Holst: Japanese Suite Op. 33 (1915)


「日本組曲」は6つの曲で構成されている(バレエ音楽だそうだ)。

I. Prelude: Song of the fisherman 前奏曲ー漁師の歌
II. Ceremonial Dance  儀式の踊り
III. Dance of the marionette  操り人形の踊り
IV. Interlude: Song of the fisherman  間奏曲ー漁師の歌
V. Dance under the cherry tree  桜の木の下での踊り
VI. Final: Dance of the wolves  終曲ー狼たちの踊り

「ホルストが日本人舞踏家、伊藤道郎の依頼により書かれた。全編が日本民謡の旋律で書かれていて、子守唄などは伊藤の口ずさんだものをホルストが採譜したとされ、曲中にも用いられている。」
(別のYoutube投稿の解説より転載)
別の資料によると、あの「惑星」の作曲作業を中断して、書かれた曲だとか。

子守唄とは第5曲「桜の木の下での踊り」であり、あの有名な江戸子守唄だ。
作曲年が1915年だから、伊福部昭の処女作「ピアノ組曲」(のちに「日本組曲」というタイトルで管弦楽用に編曲)が作曲された1933年よりもずっと前のことだ。
伊福部昭の「ピアノ組曲」の構成や、題材の用い方と何かしら共通点があるような気がする。
もしかして伊福部昭はホルストの「日本組曲」を聴いたのであろうか。

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かつおのタタキを食べた

2020-05-06 20:05:25 | グルメ
大型連休も今日で終わりだ。
明日から仕事である。
しかし明日、明後日は在宅勤務、来週月曜は自宅から近い工場でのサテライト勤務が認められたのでまだ気が楽だ。
来週火曜日からは東京都心のあの人のたくさんいるオフィスに出なければならない。片道平均2時間半もかけて。
気が重いな。嫌だなー。

今回の大型連休は、コロナウィルスの影響による外出自粛は守り、近所のスーパーなどに買い出しに行く以外は家にずっといた。
本来行われていたはずのマンドリン合奏の練習が中止になるなど残念な面があったが、ギター録音など普段できないこともやれるなど、意外にも退屈せずに過ごすことが出来た。
何よりも睡眠時間をたくさんとれたのは収穫だ。
1日、6時間半から8時間はとったであろう。
仕事のある平日やマンドリン合同練習のある休日の睡眠時間は4時間半といったところ。
この睡眠時間を長いこと継続してきたが、体にものすごく悪いということは今回の休息であらためて自覚させられた。
この短い睡眠時間を続けているときは、通勤で吊り革につかまっているときでも、車内で座っているときでも、勤務先で仕事をしているときでも、家でギターを弾いている最中でも睡魔に襲われた。
電車の中では前後左右の人にぶつかることが多く、腕で押されることもしばしあった。

やりたいことがたくさんあるから夜寝るのが遅くなるのであろうが、やはり睡眠を削っても結局は日中に集中力を欠いたり、疲労感で気分がすぐれないなどの弊害が出ることを考えると、夜は集中してやりたいことを絞って、出来るだけ早く、10時くらいには床に入れるようにしようと思う。
今回の連休で睡眠時間をたくさんとったおかげかもしれないが、ギター練習での指の動きも今までよりもスムーズになっていたのは良かった。

家にほとんどいたので、ブログの更新も殆ど連日となってしまった。
(話をするより)書くことが基本的に好きなので、何か書きたいな、と思ったらパソコンに向かっている。
そういえば、昔工場勤務のとき、やたら流暢に、よどみなく話をする女性がいて、何であんなに言葉が自然に口から出てくるのか、不思議に思っていたことがあった。
しかし、ある時、その女性がなにかの文章を書いたときの資料だったかを読んだとき、言っちゃ悪いけど、小中学生程度の文章だったことに大いなる落差を感じたことがあった。
全てではないだろうが、一般的に話がすらすら出てくるという人は、物書きが苦手なのかもしれない。

このブログは一応公開型であるが、差し支えない程度で自分の思っていることや気持ちをストレートに表現してみることもいいのではないかと思っている。
自分はさほど関心が無いが、ブログにはランキングや評価ボタンなどが用意されており、嫌でも目に入ってくるが、こんなものには気を取られない方がいい。
息抜きや楽しむためのものに、客観的な数値評価を持ち込んでしまうと、仕事の延長のようで人によってはかえってストレスになるのではないかな。
人の反応より、書きたいときに、自分の気持ちにまかせて書く、それで十分満足だ、というスタンスが一番いいのではないか。

それと私は他の人のブログってほとんど見ない。
定期的にコメントを下さる方でブログを開設している方やあともう一つ趣味に関連したことを書いている人しか見ない。
自分中心かもしれないが、ブログはsns(一度もやったことがないのでどういうものかもよくわからないが)とかと違って本来そういうものだと思う。
(肯定的なコメントをいただいたときは、それはそれで嬉しく思いますが)

話は変わるが、今日、ちょっとした贅沢なものを食べた。
かつおのタタキ、それも一本釣り、というやつだ。
しかも1匹まるごとだ。



長さを測ってみたら30cmだ。
これをまるごと食べるのである。
これを包丁でいくつかに切って、ご飯の上に乗せて食べる。



やはり天然ものだけあって、身がしまっていておいしかった。
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