梅雨の季節らしい1日であった。部屋の片隅に無造作に置かれていたチラシにマンドリンオーケストラの演奏会の案内があった。
「立教大学マンドリンクラブ熊谷公演」とある。
曲目をみると、エドガーの「威風堂々」、鈴木静一の「スペイン第二組曲」といった、学生時代に演奏した懐かしい曲が並んでいた。あいにくの雨降りであったが聴きに行くことにした。
会場は埼玉県熊谷市の熊谷文化創造館さくらめいと太陽のホールであった。
JR大宮駅で高崎線に乗り換え、50分くらいかかったであろうか。籠原という駅で降りた。
駅の側には繁華街などは無く、すぐ住宅地が広がる。立ち食いそば屋で遅い昼飯を食べてから会場へ行こうと思ったら駅の側にそれらしきものは無い。時間も無く仕方ないので、途中のコンビニでおにぎりを2つ買って会場のロビーで食べることにした。
人通りの殆ど無い住宅街を抜けていくとひときわ大きな建物が見えてきた。住宅と田んぼの中にそびえ立つこの会場は周囲の景観からすると少し異様に感じた。
会場に着くと、駐車場もあり、満車でなかったので車で来てもよかったな、と思った。
会場ロビーのソファでさっき買ったおにぎりを食べたが、具のたらこを床に落としてしまった。もったいない。
会場は小ホールであったが、それほど狭くはない。前寄りの席を選ぶ。
今日のプログラムを下記のとおり。
第1部
ペルシャの市場にて A.ケテルビー
シシリエンヌ G.フォーレ
威風堂々 E.エドガー
第2部
「スペイン」第二組曲 鈴木静一
流星群 末廣健児
立教大学マンドリンクラブの演奏会を聴くのは2回目である。去年の12月に第48回定期演奏会で初めて聴かせていただいた。
この時の演奏曲目の中に鈴木静一作曲の、交響詩「比羅夫ユーカラ」(北征の史)があり、私の好きな曲であった。この曲は、生活を追われて滅亡したアイヌ民族の悲痛な叫びを表現したマンドリンオーケストラ曲の傑作であるが、アイヌ民族の子孫たちは第二次世界大戦が終わってもその後しばらくは差別に苦しんでいたという。
アイヌ民族の子孫の差別を取り上げた児童文学の名著「コタンの口笛」(石森延男著)を読むと、日本にもこのような歴史があったことが分かる。
今年の演奏会は第1部が親しみやすいクラシックの名曲の編曲物、第2部が日本人作曲家による曲で、マンドリンオーケストラ最盛期の作曲家と現代の若い世代の作曲家による組み合わせであった。
第1部の最初の曲「ペルシャの市場にて」であるが、題名は知らずとも誰でも1度は聴いたことのある曲だ。
私はこの曲の原曲(合唱付き)を5、6年前に、年末年始の帰省の際に飛行機内の音楽配信サービスでたまたま聴いたのであるが、その中の一節でペルシャらしい雰囲気を漂わせたメロディを聴いて、中学1年生の時に友達からこのフレーズをピアノで教えてもらったことを思い出した。
その友達は小学校時代の学芸会の演劇でこの一節を弾いたのだと言う。ピアノを弾けないやつだったが、このフレーズだけは何度も練習したようで、中学に入ってからも忘れずに覚えており、私に弾き方を教えてくれたのである。それ以来、音楽の授業で音楽室に行くと必ずこのフレーズをピアノで馬鹿の一つ覚えのように何度も弾いたものである。
立教大学マンドリンクラブの演奏は、打楽器やフルートなどの管楽器をふんだんに揃えており、幅の広い演奏力で楽しませてくれた。
第2曲目はガブリエル・フォーレの「シシリエンヌ」。この曲も曲名や作曲者名を知らずとも誰でも1度は聴いたことのある名曲だ。コマーシャルのBGMでも流れていたことを覚えている方もいると思う。この曲はピアノにも編曲されている。
ピアノといえばフォーレは素晴らしいピアノ曲を残している。特に素晴らしいのは13の夜想曲である。私の最も好きなピアノ曲の一つであり、第1番、第6番、第7番、第13番がとりわけ優れている。
フォーレは歌曲や室内楽で知られているが、フォーレの心情を最も正直に表現したのはこの夜想曲なのだと思っている。フォーレはこのピアノ曲を人に聴かせるために作曲したのではなく、自分自身の内面を開放するために作曲したのではないかという気がする。第8番を除く第7番以降の曲を聴くとそう思わざるをえない。
横道に反れたが、この「シシリエンヌ」のマンドリンオーケストラ版はかなり難しそうだった。冒頭のギター(原曲はハープ)のアルペジオはかなりの技量を要するように見えた。
3曲目の「威風堂々」は大学3年生の夏の演奏旅行で演奏した思い出の曲。大学の地元の市の夏祭りの簡易ステージでも演奏した。この曲も有名な曲で誰もが聴いたことのある曲であろう。
私の大学時代はパーカッションなどは無かったが、今日の立教大学マンドリンクラブの演奏は打楽器を効果的に使っていた。
マンドリンオーケストラでクラブ員以外の賛助を入れることはとても大変なことだと思う。私の学生時代も定期演奏会で他大学の管楽器を賛助で頼んだが、練習にもろくに来ず、当日も練習もせず、本番で初見に近い演奏をされたという苦い経験がある。誠実な人を選ぶ、そのような人がいる団体とのパイプを築く、ということは苦労を要することであろう。
実際、今日の立教大学の賛助の方を見てるととても誠実さを感じた。管楽器や打楽器も見ていてすがすがしかった。
第2部に移る。
2曲とも日本人作曲家によるマンドリンオーケストラのオリジナル曲である。
1曲目は鈴木静一作曲の「スペイン」第二組曲で、この曲は大学4年生の時の夏の演奏会で弾いた。
1967年に作曲されたこの曲は、鈴木静一がスペインの各地を訪れて感じた印象をもとに作曲されたという。
第1楽章「汽車の窓から」(グラナダ~ロンダ間)は、4分の2拍子ト長調で始まる。汽車のレールを刻む音をイメージしたフレーズで始まるが、速度は速くない。ゆっくりとスペインらしいよく晴れた乾燥した広大な畑の中を進んでいく。
しばらくして曲はイ長調に転調する。この部分のギターのアルペジオがとても気持ちよく好きだった。この部分のフレーズを何度も弾いたものだ。
第2楽章「モロッコへの憧れ」(ジブラルタル)は、スペイン最南端のジブラルタル海峡の岬に立ち、遠くに見渡せるアフリカ大陸のモロッコの景色を見て、その地の印象をイメージしたものだ。
第3楽章「悲しき闘牛」(ベレス)と第4楽章「祝宴」は闘牛場で聴くファンファーレやフラメンコの激しい情熱的なリズム溢れた華やかな曲だ。ギターは実に爽快で、a,m,iのトレモロとラスゲアードの連続の箇所は、練習時に、どうだ!と言わんばかりに後輩たちに見せつけてやったものだ。
この「スペイン」第二組曲はもちろんスペインらしさを前面に出すことを意図して作曲されたのであろうが、今日の演奏会を聴いて自然と「鈴木節」のようなフレーズが随所に聴こえてくるのに気付いた。
やはりスペイン人が作るのとは違い、知らず知らずに日本人の感性が曲に活かされているのかもしれない。
最終曲は末廣健児作曲「流星群」であった。
末廣健児氏のことは未だよく分からないが、難解な曲でなはく、聴きやすく感覚的な現代的な和声を使った曲が多いように思う。若い世代に人気があるのだろう。
鈴木静一や藤掛廣幸の曲で育った私からすると、少し物足りない感じがするが、今日聴いた「流星群」はマンドリンオーケストラだけでなく、管弦楽版にしても美しさを感じる曲だと思った。
今日の演奏会では、立教大学マンドリンクラブが前回の定期演奏会と同様、鈴木静一の曲を取り上げてくれたのが嬉しかった。鈴木静一は膨大なマンドリンオーケストラ曲を作曲した。これらの曲を開拓してみるのも演奏会曲目のバリエーションを豊かにするのではないかと思う。大変な努力が必要だとは思うが。
あと今年も指揮者とコンサートマスターが女性だったが男性陣にもっと頑張って欲しいと感じた。もっと炸裂するようなエネルギーがあっても良いのではないかと感じる。
部員数や賛助に豊富に恵まれた団体ゆえに今後の活躍と精進を期待したい。
次回の定期演奏会もまた聴きにいきたいと思った。
「立教大学マンドリンクラブ熊谷公演」とある。
曲目をみると、エドガーの「威風堂々」、鈴木静一の「スペイン第二組曲」といった、学生時代に演奏した懐かしい曲が並んでいた。あいにくの雨降りであったが聴きに行くことにした。
会場は埼玉県熊谷市の熊谷文化創造館さくらめいと太陽のホールであった。
JR大宮駅で高崎線に乗り換え、50分くらいかかったであろうか。籠原という駅で降りた。
駅の側には繁華街などは無く、すぐ住宅地が広がる。立ち食いそば屋で遅い昼飯を食べてから会場へ行こうと思ったら駅の側にそれらしきものは無い。時間も無く仕方ないので、途中のコンビニでおにぎりを2つ買って会場のロビーで食べることにした。
人通りの殆ど無い住宅街を抜けていくとひときわ大きな建物が見えてきた。住宅と田んぼの中にそびえ立つこの会場は周囲の景観からすると少し異様に感じた。
会場に着くと、駐車場もあり、満車でなかったので車で来てもよかったな、と思った。
会場ロビーのソファでさっき買ったおにぎりを食べたが、具のたらこを床に落としてしまった。もったいない。
会場は小ホールであったが、それほど狭くはない。前寄りの席を選ぶ。
今日のプログラムを下記のとおり。
第1部
ペルシャの市場にて A.ケテルビー
シシリエンヌ G.フォーレ
威風堂々 E.エドガー
第2部
「スペイン」第二組曲 鈴木静一
流星群 末廣健児
立教大学マンドリンクラブの演奏会を聴くのは2回目である。去年の12月に第48回定期演奏会で初めて聴かせていただいた。
この時の演奏曲目の中に鈴木静一作曲の、交響詩「比羅夫ユーカラ」(北征の史)があり、私の好きな曲であった。この曲は、生活を追われて滅亡したアイヌ民族の悲痛な叫びを表現したマンドリンオーケストラ曲の傑作であるが、アイヌ民族の子孫たちは第二次世界大戦が終わってもその後しばらくは差別に苦しんでいたという。
アイヌ民族の子孫の差別を取り上げた児童文学の名著「コタンの口笛」(石森延男著)を読むと、日本にもこのような歴史があったことが分かる。
今年の演奏会は第1部が親しみやすいクラシックの名曲の編曲物、第2部が日本人作曲家による曲で、マンドリンオーケストラ最盛期の作曲家と現代の若い世代の作曲家による組み合わせであった。
第1部の最初の曲「ペルシャの市場にて」であるが、題名は知らずとも誰でも1度は聴いたことのある曲だ。
私はこの曲の原曲(合唱付き)を5、6年前に、年末年始の帰省の際に飛行機内の音楽配信サービスでたまたま聴いたのであるが、その中の一節でペルシャらしい雰囲気を漂わせたメロディを聴いて、中学1年生の時に友達からこのフレーズをピアノで教えてもらったことを思い出した。
その友達は小学校時代の学芸会の演劇でこの一節を弾いたのだと言う。ピアノを弾けないやつだったが、このフレーズだけは何度も練習したようで、中学に入ってからも忘れずに覚えており、私に弾き方を教えてくれたのである。それ以来、音楽の授業で音楽室に行くと必ずこのフレーズをピアノで馬鹿の一つ覚えのように何度も弾いたものである。
立教大学マンドリンクラブの演奏は、打楽器やフルートなどの管楽器をふんだんに揃えており、幅の広い演奏力で楽しませてくれた。
第2曲目はガブリエル・フォーレの「シシリエンヌ」。この曲も曲名や作曲者名を知らずとも誰でも1度は聴いたことのある名曲だ。コマーシャルのBGMでも流れていたことを覚えている方もいると思う。この曲はピアノにも編曲されている。
ピアノといえばフォーレは素晴らしいピアノ曲を残している。特に素晴らしいのは13の夜想曲である。私の最も好きなピアノ曲の一つであり、第1番、第6番、第7番、第13番がとりわけ優れている。
フォーレは歌曲や室内楽で知られているが、フォーレの心情を最も正直に表現したのはこの夜想曲なのだと思っている。フォーレはこのピアノ曲を人に聴かせるために作曲したのではなく、自分自身の内面を開放するために作曲したのではないかという気がする。第8番を除く第7番以降の曲を聴くとそう思わざるをえない。
横道に反れたが、この「シシリエンヌ」のマンドリンオーケストラ版はかなり難しそうだった。冒頭のギター(原曲はハープ)のアルペジオはかなりの技量を要するように見えた。
3曲目の「威風堂々」は大学3年生の夏の演奏旅行で演奏した思い出の曲。大学の地元の市の夏祭りの簡易ステージでも演奏した。この曲も有名な曲で誰もが聴いたことのある曲であろう。
私の大学時代はパーカッションなどは無かったが、今日の立教大学マンドリンクラブの演奏は打楽器を効果的に使っていた。
マンドリンオーケストラでクラブ員以外の賛助を入れることはとても大変なことだと思う。私の学生時代も定期演奏会で他大学の管楽器を賛助で頼んだが、練習にもろくに来ず、当日も練習もせず、本番で初見に近い演奏をされたという苦い経験がある。誠実な人を選ぶ、そのような人がいる団体とのパイプを築く、ということは苦労を要することであろう。
実際、今日の立教大学の賛助の方を見てるととても誠実さを感じた。管楽器や打楽器も見ていてすがすがしかった。
第2部に移る。
2曲とも日本人作曲家によるマンドリンオーケストラのオリジナル曲である。
1曲目は鈴木静一作曲の「スペイン」第二組曲で、この曲は大学4年生の時の夏の演奏会で弾いた。
1967年に作曲されたこの曲は、鈴木静一がスペインの各地を訪れて感じた印象をもとに作曲されたという。
第1楽章「汽車の窓から」(グラナダ~ロンダ間)は、4分の2拍子ト長調で始まる。汽車のレールを刻む音をイメージしたフレーズで始まるが、速度は速くない。ゆっくりとスペインらしいよく晴れた乾燥した広大な畑の中を進んでいく。
しばらくして曲はイ長調に転調する。この部分のギターのアルペジオがとても気持ちよく好きだった。この部分のフレーズを何度も弾いたものだ。
第2楽章「モロッコへの憧れ」(ジブラルタル)は、スペイン最南端のジブラルタル海峡の岬に立ち、遠くに見渡せるアフリカ大陸のモロッコの景色を見て、その地の印象をイメージしたものだ。
第3楽章「悲しき闘牛」(ベレス)と第4楽章「祝宴」は闘牛場で聴くファンファーレやフラメンコの激しい情熱的なリズム溢れた華やかな曲だ。ギターは実に爽快で、a,m,iのトレモロとラスゲアードの連続の箇所は、練習時に、どうだ!と言わんばかりに後輩たちに見せつけてやったものだ。
この「スペイン」第二組曲はもちろんスペインらしさを前面に出すことを意図して作曲されたのであろうが、今日の演奏会を聴いて自然と「鈴木節」のようなフレーズが随所に聴こえてくるのに気付いた。
やはりスペイン人が作るのとは違い、知らず知らずに日本人の感性が曲に活かされているのかもしれない。
最終曲は末廣健児作曲「流星群」であった。
末廣健児氏のことは未だよく分からないが、難解な曲でなはく、聴きやすく感覚的な現代的な和声を使った曲が多いように思う。若い世代に人気があるのだろう。
鈴木静一や藤掛廣幸の曲で育った私からすると、少し物足りない感じがするが、今日聴いた「流星群」はマンドリンオーケストラだけでなく、管弦楽版にしても美しさを感じる曲だと思った。
今日の演奏会では、立教大学マンドリンクラブが前回の定期演奏会と同様、鈴木静一の曲を取り上げてくれたのが嬉しかった。鈴木静一は膨大なマンドリンオーケストラ曲を作曲した。これらの曲を開拓してみるのも演奏会曲目のバリエーションを豊かにするのではないかと思う。大変な努力が必要だとは思うが。
あと今年も指揮者とコンサートマスターが女性だったが男性陣にもっと頑張って欲しいと感じた。もっと炸裂するようなエネルギーがあっても良いのではないかと感じる。
部員数や賛助に豊富に恵まれた団体ゆえに今後の活躍と精進を期待したい。
次回の定期演奏会もまた聴きにいきたいと思った。