緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

立教大学マンドリンクラブ熊谷公演を聴く

2015-06-28 00:06:28 | マンドリン合奏
梅雨の季節らしい1日であった。部屋の片隅に無造作に置かれていたチラシにマンドリンオーケストラの演奏会の案内があった。
「立教大学マンドリンクラブ熊谷公演」とある。
曲目をみると、エドガーの「威風堂々」、鈴木静一の「スペイン第二組曲」といった、学生時代に演奏した懐かしい曲が並んでいた。あいにくの雨降りであったが聴きに行くことにした。
会場は埼玉県熊谷市の熊谷文化創造館さくらめいと太陽のホールであった。
JR大宮駅で高崎線に乗り換え、50分くらいかかったであろうか。籠原という駅で降りた。
駅の側には繁華街などは無く、すぐ住宅地が広がる。立ち食いそば屋で遅い昼飯を食べてから会場へ行こうと思ったら駅の側にそれらしきものは無い。時間も無く仕方ないので、途中のコンビニでおにぎりを2つ買って会場のロビーで食べることにした。
人通りの殆ど無い住宅街を抜けていくとひときわ大きな建物が見えてきた。住宅と田んぼの中にそびえ立つこの会場は周囲の景観からすると少し異様に感じた。
会場に着くと、駐車場もあり、満車でなかったので車で来てもよかったな、と思った。

会場ロビーのソファでさっき買ったおにぎりを食べたが、具のたらこを床に落としてしまった。もったいない。
会場は小ホールであったが、それほど狭くはない。前寄りの席を選ぶ。
今日のプログラムを下記のとおり。

第1部
ペルシャの市場にて A.ケテルビー
シシリエンヌ G.フォーレ
威風堂々 E.エドガー

第2部
「スペイン」第二組曲 鈴木静一
流星群 末廣健児

立教大学マンドリンクラブの演奏会を聴くのは2回目である。去年の12月に第48回定期演奏会で初めて聴かせていただいた。
この時の演奏曲目の中に鈴木静一作曲の、交響詩「比羅夫ユーカラ」(北征の史)があり、私の好きな曲であった。この曲は、生活を追われて滅亡したアイヌ民族の悲痛な叫びを表現したマンドリンオーケストラ曲の傑作であるが、アイヌ民族の子孫たちは第二次世界大戦が終わってもその後しばらくは差別に苦しんでいたという。
アイヌ民族の子孫の差別を取り上げた児童文学の名著「コタンの口笛」(石森延男著)を読むと、日本にもこのような歴史があったことが分かる。

今年の演奏会は第1部が親しみやすいクラシックの名曲の編曲物、第2部が日本人作曲家による曲で、マンドリンオーケストラ最盛期の作曲家と現代の若い世代の作曲家による組み合わせであった。
第1部の最初の曲「ペルシャの市場にて」であるが、題名は知らずとも誰でも1度は聴いたことのある曲だ。
私はこの曲の原曲(合唱付き)を5、6年前に、年末年始の帰省の際に飛行機内の音楽配信サービスでたまたま聴いたのであるが、その中の一節でペルシャらしい雰囲気を漂わせたメロディを聴いて、中学1年生の時に友達からこのフレーズをピアノで教えてもらったことを思い出した。
その友達は小学校時代の学芸会の演劇でこの一節を弾いたのだと言う。ピアノを弾けないやつだったが、このフレーズだけは何度も練習したようで、中学に入ってからも忘れずに覚えており、私に弾き方を教えてくれたのである。それ以来、音楽の授業で音楽室に行くと必ずこのフレーズをピアノで馬鹿の一つ覚えのように何度も弾いたものである。
立教大学マンドリンクラブの演奏は、打楽器やフルートなどの管楽器をふんだんに揃えており、幅の広い演奏力で楽しませてくれた。
第2曲目はガブリエル・フォーレの「シシリエンヌ」。この曲も曲名や作曲者名を知らずとも誰でも1度は聴いたことのある名曲だ。コマーシャルのBGMでも流れていたことを覚えている方もいると思う。この曲はピアノにも編曲されている。
ピアノといえばフォーレは素晴らしいピアノ曲を残している。特に素晴らしいのは13の夜想曲である。私の最も好きなピアノ曲の一つであり、第1番、第6番、第7番、第13番がとりわけ優れている。
フォーレは歌曲や室内楽で知られているが、フォーレの心情を最も正直に表現したのはこの夜想曲なのだと思っている。フォーレはこのピアノ曲を人に聴かせるために作曲したのではなく、自分自身の内面を開放するために作曲したのではないかという気がする。第8番を除く第7番以降の曲を聴くとそう思わざるをえない。
横道に反れたが、この「シシリエンヌ」のマンドリンオーケストラ版はかなり難しそうだった。冒頭のギター(原曲はハープ)のアルペジオはかなりの技量を要するように見えた。
3曲目の「威風堂々」は大学3年生の夏の演奏旅行で演奏した思い出の曲。大学の地元の市の夏祭りの簡易ステージでも演奏した。この曲も有名な曲で誰もが聴いたことのある曲であろう。
私の大学時代はパーカッションなどは無かったが、今日の立教大学マンドリンクラブの演奏は打楽器を効果的に使っていた。
マンドリンオーケストラでクラブ員以外の賛助を入れることはとても大変なことだと思う。私の学生時代も定期演奏会で他大学の管楽器を賛助で頼んだが、練習にもろくに来ず、当日も練習もせず、本番で初見に近い演奏をされたという苦い経験がある。誠実な人を選ぶ、そのような人がいる団体とのパイプを築く、ということは苦労を要することであろう。
実際、今日の立教大学の賛助の方を見てるととても誠実さを感じた。管楽器や打楽器も見ていてすがすがしかった。

第2部に移る。
2曲とも日本人作曲家によるマンドリンオーケストラのオリジナル曲である。
1曲目は鈴木静一作曲の「スペイン」第二組曲で、この曲は大学4年生の時の夏の演奏会で弾いた。
1967年に作曲されたこの曲は、鈴木静一がスペインの各地を訪れて感じた印象をもとに作曲されたという。
第1楽章「汽車の窓から」(グラナダ~ロンダ間)は、4分の2拍子ト長調で始まる。汽車のレールを刻む音をイメージしたフレーズで始まるが、速度は速くない。ゆっくりとスペインらしいよく晴れた乾燥した広大な畑の中を進んでいく。
しばらくして曲はイ長調に転調する。この部分のギターのアルペジオがとても気持ちよく好きだった。この部分のフレーズを何度も弾いたものだ。



第2楽章「モロッコへの憧れ」(ジブラルタル)は、スペイン最南端のジブラルタル海峡の岬に立ち、遠くに見渡せるアフリカ大陸のモロッコの景色を見て、その地の印象をイメージしたものだ。
第3楽章「悲しき闘牛」(ベレス)と第4楽章「祝宴」は闘牛場で聴くファンファーレやフラメンコの激しい情熱的なリズム溢れた華やかな曲だ。ギターは実に爽快で、a,m,iのトレモロとラスゲアードの連続の箇所は、練習時に、どうだ!と言わんばかりに後輩たちに見せつけてやったものだ。



この「スペイン」第二組曲はもちろんスペインらしさを前面に出すことを意図して作曲されたのであろうが、今日の演奏会を聴いて自然と「鈴木節」のようなフレーズが随所に聴こえてくるのに気付いた。
やはりスペイン人が作るのとは違い、知らず知らずに日本人の感性が曲に活かされているのかもしれない。
最終曲は末廣健児作曲「流星群」であった。
末廣健児氏のことは未だよく分からないが、難解な曲でなはく、聴きやすく感覚的な現代的な和声を使った曲が多いように思う。若い世代に人気があるのだろう。
鈴木静一や藤掛廣幸の曲で育った私からすると、少し物足りない感じがするが、今日聴いた「流星群」はマンドリンオーケストラだけでなく、管弦楽版にしても美しさを感じる曲だと思った。

今日の演奏会では、立教大学マンドリンクラブが前回の定期演奏会と同様、鈴木静一の曲を取り上げてくれたのが嬉しかった。鈴木静一は膨大なマンドリンオーケストラ曲を作曲した。これらの曲を開拓してみるのも演奏会曲目のバリエーションを豊かにするのではないかと思う。大変な努力が必要だとは思うが。
あと今年も指揮者とコンサートマスターが女性だったが男性陣にもっと頑張って欲しいと感じた。もっと炸裂するようなエネルギーがあっても良いのではないかと感じる。
部員数や賛助に豊富に恵まれた団体ゆえに今後の活躍と精進を期待したい。
次回の定期演奏会もまた聴きにいきたいと思った。


コメント (3)

鈴木静一作曲 楽詩「雪の造型」を聴く

2015-06-20 22:25:01 | マンドリン合奏
昨年冬に開催された第107回中央大学マンドリン倶楽部定期演奏会の会場で、過去の演奏会のCDが売られていたが、鈴木静一の曲が収録されているCDを何枚か購入し、聴いてみた。
その録音の中で鈴木静一の曲の中ではあまり知られていないが、とてもいい曲があり、私はこのCDで初めてその曲を聴いたのであるが、いつか紹介しようと思っていた。
その曲とは、楽詩「雪の造型」(1968年作曲)である。
曲は以下の3楽章から構成されている。

・第一楽章:「枯野にちる霙」(石狩野にて)
・第二楽章:「雪の造型「(ニセコ アンヌプリにて)
・第三楽章:「月冴えて」(北大キャンパスにて)

私の故郷である北海道の冬の自然をモチーフにした、鈴木静一の曲の中では小~中規模のマンドリン・オーケストラである。
第一楽章「枯野にちる霙」は石狩の荒野に訪れた冬の気配を題材としている。
石狩地方は札幌から北に向かい、新琴似を過ぎると日本海沿いは厚田村、浜益村と続き、東は月形町、新十津川町といった地域からなる広大な平野である。
この石狩地方には高校1年生の夏休みに、中学校時代の友達5,6人で、「古潭(こたん)」、「望来(もうらい)」といったところへ2泊3日の自転車旅行で訪れたことがある。
また10年ほど前に車で帰省した際には、小樽市銭函から国道337号線に入り、石狩湾の海沿いを通り、増毛、留萌、羽幌を通りすぎ、稚内の宗谷岬まで行ったことがある。この時は1日で700km以上走った。
この石狩というところは、とりたてて観光名所があるわけではなく、面白いところがあるわけではない。しかし、石狩湾から宗谷岬までの海沿いのドライブは最高に気持ち良かった。車も殆ど通らず、勾配も少なく殆ど平地であり、天気が良ければ利尻岳も見える。
ここは開発が進んでいないのである。北海道は札幌市や小樽市はこの30年で急速に変化した。バブル時代の余ったお金で余計なものがどんどん建設されて、昔の風情が失われた。
お金を儲けることだけにしか関心の無い本州の資本が、風情のあった美しい景観を破壊した。JR小樽築港駅周辺などはそのいい例であろう。
今最も心配しているのが、北海道新幹線の開業で、小樽から倶知安、倶知安から長万部までの地域の開発が進み、自然豊かな地域が観光地化され、その地域本来の持つ自然の美しさが人口の建造物で上塗りされてしまうことである。
このような自然の美しさを破壊してまでゴルフ場やテーマパークなどを作る人は、事業を起こして、それにより成功して、自分の名前を上げたいと考えている人である。功名心が強く、決して自然に関心の無い人である。
私の実家の近くにも25年位前のバブルの頃に、原始林を破壊してゴルフ場とホテルを建設し、近くの川の魚が大量死したことがあった。そのゴルフ場とホテルはバブルが崩壊し、しばらくは赤字経営をしていたが、数年前に経営破たんした。全く無駄なことをしたと言わざるを得ない。しかし開発された自然は2度と戻って来ない。

鈴木静一は今よりももっと自然豊かだった石狩平野を訪れ、霙の降る寒い荒野に立ち、思いついたモチーフをもとにこの第一楽章を作ったのだと思う。曲の前半は明るく雄大さを感じさせるが、途中から2拍子または6拍子の短調に転調し、このリズムの刻みが霙の降る様を表現している。美しい旋律だ。随所にギターのアルペジオが挿入されるが、このギターの役割は大変重要で効果的だ。鈴木静一という作曲家は、ギターという楽器のマンドリン・オーケストラでの位置付けにとても神経を使っていることが分かる。実際演奏してみれば分かるのであるが、ギターという柔らかく、他の楽器には出せない特有の音を目立って表に出すわけでもなく、かといって終始目立たなく、伴奏、リズムパートとして他の楽器から埋没させているわけでもなく、絶妙で効果的な配役をさせているのである。
鈴木静一には私が知る限り、2曲のギター独奏曲があるらしい。「哀唱」という曲と、「駅路風景」という曲だ。
「哀唱」という曲は楽譜も販売されていたようだが、現在では探し出すことは出来ない。

第2楽章はニセコアンヌプリを訪れた時に遭遇した吹雪の様を表現したようである。
鈴木静一はスキーが好きで奥様と各地のスキー場を毎年訪れていたらしい。ニセコは北海道でも富良野に次いで大きなスキー場で、アンヌプリスキー場と東山スキー場がある。私も大学のゼミのスキー旅行で訪れたことがあった。
吹雪と言えば、中学校時代にとてつもない大きな吹雪に遭遇したことがあった。猛烈な大雪と吹雪で、確か学校も授業を早めに打ち切り、下校させたと記憶しているのだが、学校から家までの道のりを腰まで雪に埋まりながら何とか進んでいったが、丘の頂上で、自分の身長よりも高い雪の壁に遭遇したのである。この時もしかして遭難(?)も一瞬頭をよぎったが、壁を崩し、何とか家まで辿り着いた。
このニセコも現在、欧米や中国の資本に土地を買い占められて、別荘などが乱立していると聞く。北海道新幹線が開通するとますます、人や資本がなだれ込むようになるであろう。太古から手つかずでそのまま保たれていた豊かな自然がまたひとつ失っていくことは実に寂しい。

第3楽章は第2楽章の吹雪の激しい表現が静まりし、フルートの何とも言えない美しい旋律で始まる。舞台は北大キャンパスである。
このフルートの吹く旋律とギターのロ短調のアルペジオがとても美しいのだ。風ひとつなく、静まり返った美しい月夜。
冬のとても寒い頃の粉雪の積もる道を歩いてゆくと、キュッ、 キュッと足音がする。気温が低くて雪に水分が無いからこのような音がするのだ。
寒く静かな冬の月夜。まさにそのようなときに感じる見事と言うべき旋律だ。頬も耳も寒さで痛く、指先もしびれる。でも明るい月に照らされた雪は光を反射して美しく見えたに違いない。
曲は次第に長調に変化し暖かさを感じてくる。ストーブで温まった暖かい部屋で家族とくつろぐ光景が浮かんでくる。作曲者はそのような家の窓の風景を見たのであろうか。

生まれ故郷の北海道を離れて約30年。故郷で暮らした年月よりも今住んでいるところの方が長くなった。しかし自然がもたらす風景や、体で感じた自然の気配は北海道にいた頃の方がはるかに記憶に残っている。
鈴木静一は東京生まれ、東京育ちであるが、日本全国、海外も多く旅をしてまわったとのことだ。そして山登りや釣りを趣味とし、自然を愛する方であったという。
鈴木静一の曲を聴くと、「自然」がもたらすものと密接に関連していることを感じることがある。

この曲を聴くと雪と戯れていた子供時代、家賃1万円のお化け屋敷のような風呂なしアパートにいた学生時代、銭湯帰りに髪が凍ったこと、そのアパートの氷点下の部屋でストーブを点けて部屋の温度を10℃まで上げるのに、3時間ストーブにしがみついていなければならなかったことなどを思い出す。

鈴木静一は多くのマンドリン・オーケストラ曲を残した。そのかなりの曲がCD化されてきているが、大学のマンドリンクラブの定期演奏会ではほとんど演奏されなくなってきている。
この「雪の造型」もかつて北海道の某大学でさかんに演奏され、1980年代半ばまで毎年のように鈴木静一の曲をプログラムの重要曲に取り上げてきたが、それ以降鈴木静一の曲はほとんど演奏してしないことを最近知った。
私の母校のマンドリンクラブも同様である。
現代の若い世代に、鈴木静一の曲が見直されることを願ってやまない。




コメント (2)

高橋悠治作曲 しばられた手の祈り を聴く(2)

2015-06-13 23:45:44 | ギター

2013年7月27日に投稿した「高橋悠治作曲 しばられた手の祈り を聴く」に、3週間ほど前、けんいちさんからコメントが寄せられていた。
「しばられた手の祈り」が収録された高橋悠治のギター作品集のCDが発売されるとのことであった。
「しばられた手の祈り」(Chained Hands in Prayer)はピアノのCD録音も探したが見当たらず、ギター編曲版が録音されるなどとは全く予想していなかったので、提供下さった情報には大変有難味を感じた。
すぐにタワーレコードに予約注文を入れたが、そのCDが1週間前に届いた。
そしてこのCDをこの1週間毎日会社へ持っていき、昼休みに聴いた。



前回の投稿と重複するが、この「しばられた手の祈り」を初めて知ったのは、今から30年ほど前の学生時代に、全音から出ていたギターピースを買った時である。発売されて間もないころである。







この全音のギターピースは1980年代の半ばに発売中止となったが、日本の作曲家のギターオリジナル曲も数曲出版されていた。三善晃、毛利蔵人、伊福部昭、松平頼則、塚本靖彦、そして高橋悠治といった日本を代表する作曲家たちのオリジナル曲、それも力作といってもいいレベルの曲である。
伊福部昭、松平頼則、高橋悠治の諸作の楽譜は絶版になる前に手に入れていたが、他の作曲家の楽譜は後になってコピー譜で手に入れることができた。
ギタルラ社から発売されていた日本人作曲家シリーズの楽譜もそうであるが、1960年代から1970年代にかけて、これらの日本を代表する作曲家のギターオリジナル曲が盛んに作曲されていたのである。これは当時のギタリストたちの働きかけもあったのであろうが、日本ギター史の中で、本格的なギター曲が最も活発に創造された時代といってよい。ギター専門でない作曲家がギターに目を向けた時代であった。
これらの楽譜の殆どが現在絶版となっている。これは大変惜しいことである。絶版になった曲の楽譜を手に入れることは大変なことである。
1980年代に入りこれらの日本人の作曲家たちはギターのために曲をあまり書かなくなった。三善晃は1980年代の半ばに「五つの詩」というギター曲を作ったが、以前の曲ほどの力作には感じられなかった。
1980年代から現在までの間にギタリスト兼作曲家のギター曲、例えばバリオス、ブローウェル、ドメニコーニなどの曲がさかんに演奏され、録音されるようになったが、今思うと作曲専門の方の曲の方が、曲の構成力、深み、意図する力の強さが感じられる。ギタリスト兼作曲家のギター曲はあくまでもギターという範疇の音楽としか聴こえてこない。

かなり横道にそれたが、1980年代の前半にこの「しばられた手の祈り」の楽譜を買って、家に帰ってすぐに弾き始めたが、途中から曲のイメージが全くつかめなくなった。運指が付いていなかったこともあるが、和声が複雑で当時の私には手に負えなかった。
そこでピアノが弾ける姉にこの曲の楽譜を渡し、初見で弾いてくれと頼んだのである。
姉はやれやれといった感じで弾いてくれたが、曲の最後の和音が変な音だったことしか覚えていない。このE♭の和音があまりにも変に聴こえたので姉に、「最後の和音、間違ってないか?。本当にその音なのか?」と聴いたら「そうだよ。間違いないよ」との返事。
とにかくこの最後の終わり方だけが強く印象に残っただけで、この曲をその日以来弾くことはなくなった。
今から思うとこの素晴らしい曲を弾く機会を逸したことが残念なのであるが、それから30年経ち、今から2年前のある休日に、家に乱雑に置いてあった楽譜の束から何かいい曲はないかと物色していた時に、この曲の楽譜が出てきたのである。
そしてこの曲を30年ぶりに弾いた。
やはり最初の主題を奏でる部分までは聴けたが、その後の、テンポが速まり、和声が複雑になるあたりから急に難しくなり、中断を余儀なくされた。そう簡単に理解できたり、弾けたりする曲ではないことを悟った。
そこでこの曲がYoutubeに無いかと探したら、1つだけ投稿されていた。この曲のオリジナルのピアノ版であった。



やはりこの曲はピアノの曲なのである。ピアノの方が和声が豊かで、というよりもともと作曲者が意図した和声そのものなのである。
正直なところこの曲はピアノで聴いた方が聴き応えがある。ギター版はその機能の限界からかなりの音が簡略化されているが、しかしギターにはピアノでは出せない音の魅力がある。
この音の魅力を最大限に出そうとする熱意が伝わってくるのが、今回高橋悠治のギター作品集を弾いた、ギタリストの笹久保伸氏なのである。彼の音は力強く、深い感情が伝わってくる。
彼の名前はこの作品集で初めて知ったが、現代音楽とアンデス音楽を演奏する異色のギタリストだ。
ペルーに在住し、アンデスの農村で音楽を採集しながら海外で演奏活動を行っているそうだ。まだ若いが、今までの型にはまったギタリストとは全く異なる考えを持っているように感じる。
たいてい今の若いギタリストはバリオスやピアソラ、またポピュラー音楽の編曲ものを加えて録音したCDを出すが、それを見てがっかりする。何故、もっと作曲専門の方と交流を持ち、彼らに曲を委嘱しないのだろうかと思う。
先に述べた1960年代から1970年代にかけて新しい本格的なギター曲が活発に生み出された時代が再度くることを期待したい。

「しばられた手の祈り」に関する情報は少ないが、韓国のキム・ジハ(金 芝河)という作詞家が獄中で作詞した詩をもとに作曲されたと思われる。
「キム・ジハは1970年代の韓国の朴正煕(パクチョンヒ)政権当時、反朴闘争の抵抗詩人として国際的にも知られた作家で、朴政権時代に風刺詩「五賊」などを通じた反政府・民主化活動で逮捕され、死刑判決を受け投獄された。日本をはじめ国際的に救援運動が行われ、韓国を代表する反体制作家としてもてはやされた。」( ブログ「川越だより」より引用させていただいた)。
この曲は獄中で自由の身を奪われ、目に見えぬ鎖で手をしばられたわが身の無念、悲しみ、怨念といった気持ちが伝わってくる。
特に下記の部分は、悲しい嘆きの気持ちが強く伝わってくるが、その気持ちが美しい音楽に昇華されていることがこの曲の素晴らしさなのである。特に独特の和声は作曲者独自のものであろう。最初は複雑で違和感を感じるであろうが、何度も聴いているとその高次元の和声や音の取り方に魅力を感じてくるに違いない。









この曲はギタリストの小原聖子氏のためにギター曲に編曲されたとCDの解説に記されていたが、楽譜が発売されても録音はされることはなかった。以来30年に渡って殆どだれからも注目されていなかったが、今回のCD録音で他のギタリストも注目するかもしれない。
作曲家の高橋悠治はピアニストでもあり、私はこれまで彼の録音を何度か聴かせてもらった。
彼の若い時は、ヤニス・クセナキスに師事し、クセナキスやジョン・ケージ、メシアンなど現代音楽の演奏家として知られた。最初のギター曲「メタテーゼ第2番」はこの時代の影響を受けた曲であろう。
しかしそのような時代でもベートーヴェンのピアノソナタ第31番を録音したり、後年、バッハのゴルドベルク変奏曲やフェデリコ・モンポウの「沈黙の音楽」を録音するなど、幅広い演奏活動をしている。
1978年から1985年にかけてアジアの抵抗歌を独自のアレンジで演奏する「水牛楽団」を組織し、市民集会で演奏したとのことだ。「しばられた手の祈り」はこの楽団の活動が始まる前の1976年に作曲された(ギター編曲版は1979年)。
なおこのCDの中に「さまよう風の痛み」という曲があるが、オリジナルはピアノ曲で、私はすでにこの曲を聴いていたので思い出すことができた。この曲も韓国の詩人の作品をもとに作曲されたものであり、どこか五音音階陰旋法を思わせる美しい曲であり、松下隆二氏によりギターに編曲された。


コメント (2)

中央大学マンドリン倶楽部 第108回定期演奏会を聴く

2015-06-06 23:54:19 | マンドリン合奏
今日、東京、府中の森芸術劇場ウィーンホールにて、中央大学マンドリン倶楽部第108回定期演奏会が開催されるというので行ってきた。
会場は新宿から京王線で約30分、東府中駅から徒歩10分くらいのところにあったが、この府中の森芸術劇場は数年前に一度行ったことがある。全日本合唱連盟と朝日新聞が主催する、全日本合唱コンクール高校の部の全国大会がこの会場で行われたのである。
しかし今日の会場となったウィーンホールは、この合唱コンクールで使用された大ホールではなく、舞台正面にパイプオルガンが設置された小ホールであった。
中央大学マンドリン倶楽部の演奏会を聴くのは、昨年暮れに行われた第107回定期演奏会に続き2回目である。
前回の定期演奏会では、鈴木静一の交響的幻想曲「シルクロード」という演奏時間の非常に長い壮大な難曲を、管楽器やパーカッションの賛助を得て、スケールが大きく完成度の高い感動的な演奏を聴かせてくれた。
この大学の取り上げる演奏曲目を見れば分かるように、マンドリンオーケストラのオリジナル曲にこだわり、しかも演奏時間の長く難易度の高い曲に挑戦している。しかもただ挑戦するだけに終わるのではなく、技巧的にも音楽的にも完成度の高いレベルまで仕上げて演奏を披露してくれるのである。恐らく大学のマンドリンオーケストラの中ではトップと言えるレベルであろう。
マンドリンオーケストラの経験者やこの分野の曲の愛好家にとっては、とても待ち遠しい演奏会だったに違いない。実際今日の演奏会にはたくさんの観客が来場していた。しかもマンドリン経験者と思われる方も多数いることがなんとなく感じられた。

さて今日の演奏会のプログラムであるが以下のとおり。

第Ⅰ部
序曲「ミルタリア」 M.マチョッキ 作曲
リリー間奏曲 G.D.ミケーリ 作曲
喜歌劇「愛の悪戯」より第一幻想曲 U.ボッタキアリ 作曲

第Ⅱ部
序曲「メリアの平原にて」 G.マネンテ 作曲
幻想曲「華燭の祭典」 G.マネンテ 作曲

これらの曲の作曲者たちの名前を見て分かるように、今日のプログラムは全てイタリア人作曲家の曲である。この選曲は強いこだわりを感じる。
マンドリンオーケストラ曲は、大きく分けるとイタリア人作曲家によるものと、日本人作曲家によるものとに2分されている。大学の定期演奏会でのプログラムの選曲は、これらのイタリア人作曲家と日本人作曲家の良く知られた曲の組み合わせに、クラシック曲の編曲ものを入れることが多い。それは聴衆の好みが分散しており、バランス良く配置しないと多くの観客を満足させることができないからだ。
イタリア人作曲家の曲よりも鈴木静一や藤掛廣幸などの日本人作曲家の曲を好む人は、イタリア人作曲家の曲ばかりだと物足りなさを感じるかもしれない。
しかしこのようなマニアックな選曲をするのが中央大学のこだわりなのだと思う。普通の大学のマンドリンオーケストラではなかなかできないことだ。しかもマネンテを始めとしてイタリア人作曲家の曲はとても技巧を要する曲が多いのである。
今日の第Ⅱ部で演奏されたマネンテの2曲、「メリアの平原にて」と「華燭の祭典」は、私の大学時代に演奏した懐かしい曲であった。

今日の演奏曲目を聴いて感じるのはやはりイタリアの曲は明るく優雅であるということ。陰鬱さ、悲しみというものを感じさせるものは無い。これはイタリアの風土、自然、歴史、国民性といったものに関係しているのではないかと思う。
明るい洋上で感じる陽気さ、波の揺れを感じさせるリズム、これは舟歌のリズム(3拍子)なのであろうか。3拍子のリズムが多いことも特徴だ。
正直なところ、私はイタリアの曲に感覚が合わないのか、学生時代に弾いたマネンテの曲、とりわけ「メリアの平原」は、ギターパートのみは覚えていても曲の全貌を記憶していなかった。日本人の感覚からするとなかなかすぐに心に入っていかない曲なのではないか。
しかし「華燭の祭典」の方はかなり曲の内容を思い出すことができた。この曲のギターパートは弾きにくい運指を余儀なくされる技巧的にかなりの難曲だったことも思い出すきっかけとなった。鈴木静一や藤掛廣幸の曲のギターパートが意外に弾きやすい運指を取れることとは対照的で、運指には苦労した。





「華燭の祭典」は他大学とのジョイント・コンサートで弾いた。大学3年生の時である。日曜日に朝早く高速バスに乗り、札幌の某大学まで合同練習に行ったことが思い出される。
今日の中央大学の演奏は、難しい技巧を要するパッセージも殆ど破綻なく弾き切っており、マンドリン発祥地の本場イタリアのマンドリン曲の良さを十分に引き出していたと思う。

全曲目の演奏時間が休憩時間を入れても1時間ちょっとで、定期演奏会にしてはやや短い感じがしたが、最後はアンコール曲を1曲演奏してくれた。
ドラとギターの独奏で始まる曲であるが、とても美しい曲であった。何という曲なのであろうか。是非また聴きたい。

この演奏会をきっかけに、イタリアのマンドリン曲に目覚めるかどうかは分からないが、それにしても演奏者たちの一生懸命な演奏に前回の定期演奏会と同様、心を打たれた。
彼らはこれらの難曲の数々を演奏するために、相当の豊富な練習量で準備してきたことは言うまでもない。それは、演奏会で曲を披露するからには「最高の演奏」で聴き手を満足させたい、という気持ちがベースにあるからなのであろう。この基本的考えは極めて重要なモチベーションである。
彼らが今日の演奏会のためにどれほど練習してきたかは、私自身マンドリンオーケストラの経験があるので分かる。
演奏に決して安易な妥協をしない厳しさを持った彼らであるが、彼らが演奏中に発するエネルギーの強さ、マンドリン音楽が心から好きで、演奏することに最高度の満足を感じている様を見て、心底感動したのである。

コメント (4)