緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

鈴木静一作曲 交響詩「比羅夫ユーカラ」を聴く

2014-10-25 21:43:10 | マンドリン合奏
今日も先週の休日と同様、外で過ごすには絶好の好天であった。秋の虫の鳴き声も週の半ばごろは元気がなかったが、今日は勢いを取り戻したように盛んに聴こえる。
数日前の新聞に、旧東ドイツのピアニスト、ペーター・レーゼルと、フランスのピアニスト、ジャン・フィリップ・コラールのコンサートの広告が載っていた。どちらも優れた録音を残した実力派のピアニストである。特にジャン・フィリップ・コラールはフォーレの演奏で、私に決定的な影響を与えた。
しかしコラールのコンサートは平日だ。まず無理である。レーゼルは運よく休日であるが、都合が付けば聴きに行きたい。
クラシックのコンサートは殆どが平日開催だ。働き盛りの年代はまず聴きに行くことはできない。主催者はもっと開催日を考慮してもらいたいものだ。
話は変わるが、1週間前に久しぶりに聴いた藤掛廣幸の「星空のコンチェルト」をきっかけに、今日までの間にYoutubeでかなりのマンドリン・オーケストラの曲を聴いた。
3年前にYoutubeでマンドリン・オーケストラ曲を検索した時よりもかなりの数の動画が追加されていた。
意外に社会人のサークルによる演奏会の録画が多かったが、このマイナーな音楽分野である、マンドリン・オーケストラも心配するほど衰退していたということもなく、むしろ根強い人気を保っていることが分かり、なんだかほっとした。
藤掛廣幸や鈴木静一といった古くからの作曲家の曲も数多くあったが、名前を聞いたことのない新しい作曲家の曲もかなりあった。これらの新しい作曲家の曲も聴いてみたが、現代的、といっても無調音楽では全然なく、ポピュラー音楽を聴いて育った世代が作ったような曲が多かった。
このような曲は確かに聴きやすく心地良さもあるが、私には少し物足りない。どうせ聴くのであれば、いつか紹介した鈴木輝昭の曲のような機能調性を用いない、難解で硬派な曲の方がいい。
結局のところ、聴くうちに藤掛廣幸や鈴木静一の曲に戻ってしまう。
これは恐らく青春時代の多感な年代に演奏したり聴いたりした経験が大いに影響していると思われる。今の若い世代は鈴木静一の曲を聴いても今一つ感じるところはないのではないか。人によっては時代錯誤も甚だしいと感じる方もいるかもしれない。
毎年送られてくる母校のマンドリン・オーケストラの定期演奏会の曲目を見ると20年間くらいは、鈴木静一の曲を見かけることは殆どなかった。時代は変わったんだと思わざるをえない。
しかし藤掛廣幸や鈴木静一の音楽は、聴く人の心に深く刻む何かがあることを感じる。それは「感情的強さ」、と言ってもよいと思う。
今度ちゃんと紹介しようと思うのだが、藤掛廣幸の「スタバート・マーテル」という曲を聴くと、ちょっと形容できないが、脳の中で物凄い感情エネルギーが沸き起こってくる。私の最も楽しかった時代である1970年代の頃に感じたことが蘇ってくるのである。それは未だ日本が美しく、活気に満ちていた時代である。
今日紹介する鈴木静一の曲「交響詩 比羅夫ユーカラ」も強い感情を想起させる曲だ。
鈴木静一のことはこれまでこのブログで紹介したことがあるので、詳細は割愛させてもらうが、マンドリン・オーケストラ曲だけでなく、映画音楽やテレビドラマのBGMも数多く手がけた職業的作曲家でもあった。
鈴木静一はギターにも造詣が深く、ラベルのボレロの編曲譜を見た時などは感心したものだ。
編曲ものといえばめずらしいものに、グラナドスのスペイン舞曲集の「アンダルーサ」や「ホタ」などもあり、「アンダルーサ」はマンドリン合奏のみならずギター合奏用にも編曲されている。
あと数年前に鈴木静一のギター独奏曲があることを発見した。「哀唱」という曲名だが、楽譜は見つけられていない。
今日聴いた「比羅夫ユーカラ」は北海道の原住民アイヌの悲しみの気持ちを表現したものである。
比羅夫とは北海道のJR函館本線、ニセコ駅の隣にある「比羅夫」という無人駅を降りたところにある。函館本線も小樽を過ぎると単線になり、観光地も少ない過疎地帯になる。ニセコ、比羅夫を過ぎ、倶知安に着くと昔ここから伊達紋別まで胆振線という路線があった。大学時代のある夏のこと、大学のマンドリン・オーケストラの夏合宿に行くため朝起きたら、寝坊してしまい、貸し切りバスの発車時刻に間に合わず、後から当時の国鉄を使ってこの胆振線を経由して合宿所に向かったことがあった。この胆振線から見る車窓が実にきれいだった。そこは北海道でも過疎化している寂しいところであったが、何も開発されていない素朴な美しさがあった。
横道にかなりそれたが、北海道がまだ「蝦夷地」と呼ばれていた頃に、本州から蝦夷を征服するために大軍が送られ、その船団の勇ましさや、それに抵抗し続けたアイヌの苦しみ、そしてついに強き者に支配され滅びていく運命を背負わざるをえなかったアイヌの悲痛な気持ちがこの曲で歌われている。
中間部から後半にかけてとても寂しく悲しい旋律が続く。そして時折挿入されるソプラノの独唱はアイヌの悲痛な叫びをあらわしたものであろう。
最後のクライマックスは鈴木静一らしい華やかなものであるが、最初に聴いたときはここで終わるものだと思った。しかし曲はここでは終わらなかった。先のソプラノの悲しい独唱とギターの暗い響きがしばらく続き、最後は静かに終わる。それは何の罪もなく、平和でささやかな暮らしをしてきたアイヌ民族が、支配地を拡大しようとする非人間的な野心のために全てを失い、滅亡せざるを得なかった悲しみの気持ちを聴く者に訴え、終わらせたかったからであろう。

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藤掛廣幸作曲 「星空のコンチェルト」を聴く

2014-10-19 22:17:37 | マンドリン合奏
今日も暖かい好天に恵まれた。しかし先週と同様仕事に出かけるはめになった。
仕事に出かける前にふと、マンドリン・オーケストラの曲を久しぶりに聴きたくなり、Youtubeで藤掛廣幸の曲を探して途中まで聴いた。
家に帰り夕食後、昼の続きを聴こうと思って、藤掛廣幸の曲を数曲聴いてみた。
藤掛廣幸の1980年代前半までの代表作であり、マンドリン・オーケストラ曲の屈指の名曲と言えるのは、次の3曲である。

①グランド・シャコンヌ
②パストラル・ファンタジー
③スタバート・マーテル

私は大学時代、大学のマンドリン・オーケストラに所属し、ギターパートを担当していたが、幸運にもこの代表作を全て演奏する機会に恵まれた。どれも青春時代のありったけの力をぶつけた思い出の曲でもある。
卒業後はしばらくマンドリン・オーケストラ曲から遠ざかっていたが、10年ほど前にパソコンでインターネットをやるようになってから、藤掛廣幸のCDが通信販売で手に入ることが分かり、早速5、6枚注文した。
この辺のいきさつは以前ブログで書いたが、CDを注文した時はとても気持ちが高揚した。
CDが届いて上記の懐かしい3曲を聴いた。とくにスタバート・マーテルは最高の曲だと思う。この曲を聴くと、凄く脳が覚醒してくる。
購入したCDの中に、聴いたことの無かった曲があった。それが今日紹介する「 星空のコンチェルト」である。
この曲も藤掛氏の代表作であるが、学生時代には出会わなかった。それもそのはず、この曲は1990年代に作曲されたからだ。私はもう社会人となっていた。
この曲もCDで何回も聴いた。
5年ほど前だったであろうか、母校のマンドリン・オーケストラの同期生から突然電話がかかってきた。この曲を祈念行事でOBと在校生の合同で演奏するから、いっしょにやらないか、と言うのである。
今から考えると万難を排してでも北海道へ行き、この曲を演奏すべきだったのだ。しかしそれは実現しなかった。
今日この曲をYoutubeで久しぶりに聴いた。
冒頭のメロディ、こんなに美しいメロディがあるのか、というくらい美しい。一度聴いたら決して忘れないだろう。
秋の静かな夜に聴くにふさわしいマンドリン・オーケストラの名曲。
忙しい方でも、冒頭のメロディだけでもいいから是非きいて欲しい。

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車のヘコミ直し

2014-10-18 22:46:23 | 
朝晩はかなり寒く感じるようになってきた。しかし今日の日中は秋晴れの快晴、暑くも寒くも無い、外で過ごすには絶好の1日であった。
先週の三連休の最終日にやろうと思っていて出来なかった車のヘコミ直しに挑戦した。






今乗っている軽の四輪駆動車も走行距離13万kmを超え、外装、内装はボロボロになりつつある。
シートや内貼りは破れや剥がれが目立つようになり、致命的なのは大雨が降ると雨漏りで、助手席の後ろの溝に深さ3cmくらの水溜りが出来るのである。水溜りができてもとくに何もせず、放っておく。助手席の足元に水排出用の穴が2つ空いており、車を走らせると振動で自然に溝の水がその穴から排出されるからだ。内装はヘタリなんて全然気にならない。むしろ機関の状態には敏感であり、メンテはまめにやっているし、部品は劣化するとすぐに交換する。
だからエンジン、ミッション等の機関は概ね良好だ。走行距離をどこまで伸ばせるか分からないが、自分としては走行不能になるまで乗り続けようと思っている。
この車は四輪駆動車としては3台目である。何故四輪駆動車か言われると林道を走るのが好きだからだ。
林道は極めて静かだ。人や車と出会うことは殆ど無い。林道も奥へ入っていくと異次元の景観を味わうことができる。静かで空気のいい所が好きな人にはうってつけの場所である。
四輪駆動車を好んで乗る人の中には、複数車で廃道などで荒々しい乗り方をする人がいるが、私は林道は静かにゆっくりと走るのが好きだ。以前は毎週のように林道へ遊びに行った。しかし現在はすっかり体力が落ち、しばらく行っていない。仕事で体力、気力をすっかり奪われてしまっている。
今まで行った林道の中で面白かったのは、群馬県の妙義荒船林道。走行距離は短いが変化に富んでおり、深い林の中にある急勾配の上り坂もある。
あとスリルがあったのは北海道にある、名前を忘れたが、狭い林道の頂上近くの片側が断崖絶壁のように切れ落ちているルートで、通り過ぎる時はさすがに怖かった。
この四輪駆動車で北海道の実家に5,6回は帰省しただろうか。フェリー乗り場まで行く途中で2度、怖い思いをしたことがあった。
一度目は、今から10年くらい前だったであろうか。大洗のフェリーターミナルへ向かう途中、会社を出て自宅近くを通りかかった時、信号待ちの後、ギアを1速に入れて発進しようとしたら、ギアが入らない。物凄い力で無理やり入れて発進したが、次の信号待ちの後でも同じ症状が続いた。動揺して近くのSUZUKIのディーラーに駆け込んだが、何と休業日。しかたなく、どこでもいいから他メーカーのディーラーでも目についたところを必死に探した。そしてTOYOTAのディーラーが目に入り、藁をもすがる気持ちで駆け込んだ。
まず他メーカーの車なので見てもらえるかどうか聞いてみたら、いいとのこと。まずほっとした。
見てくれたのは30歳くらいの落ち着いた丁寧な整備士であった。そして30分くらいかけて車を点検してくれた。フェリーの出港時間に間に合うかとても不安であったが、この整備士に全てを託すしかなかった。
そして約30分後、原因が分かったとのことで、整備場で説明してくれた。原因は、クラッチが摩耗したことで、クラッチが完全に切れずに、エンジンからの駆動がミッション伝わりギアが入れる状態になかったことだ。そして出港時間に間に合うか不安でいっぱいの私の気持ちをよそに、ギアが入らない原因を実演をしながら丁寧に説明してくれた。そしてクラッチ・ワイヤーを目いっぱい調整すれば何とかギアが入れるようになるかもしれないと言ってくれた。そしてすぐに調整作業に取り掛かり、しばらくしてその整備士の方が、「応急処置ですが大丈夫です」、と言ってくれた。一気に力が抜け、安堵と嬉しさでいっぱいになった。
その整備士にお礼を言い、お金はいくらか、と聞いたら、その方は「代金は要りません」と言った。
他メーカーの車を、それももしかして営業時間を過ぎているかもしれない時間帯に突然駆け込んだのに、最優先して診てくれたこのTOYOTAの整備士はすばらしい職業意識を持った方だと感激した。
その後、車は無事、時間に遅れることなくフェリーターミナルに到着した。
フェリーの中で実家近くのディーラーに電話をし、前もってクラッチ他の部品を注文し、実家に着いた翌日に修理に出し、クラッチ一式を交換し事なきを得た。
2度目はその翌年だっただろうか。やはり実家に帰省するためにフェリーを使った時である。今度は北海道から帰る途中に起きた。
苫小牧発新潟行きのフェリーに乗るために、苫小牧東フェリーターミナルに向かっていた途中、信号待ちで発信しようとしたら、またしてもギアが1速に入らなくなったのだ。血の気が引き、動揺するも渾身の力でギアを何とか入れて発進し、そして目についたSUZUKIのディーラーに駆け込んだ。そして原因を調べてもらったが、よく分からない感じであった。そして昨年同じような現象を起きたことを言い、もしかするとクラッチワイヤーが緩んでクラッチが切れていないかもしれないと伝えた。フェリーの出港時間に遅れるわけにはいかず、整備士も原因はわからないが、私が言ったことを受けてクラッチワイヤーを調整してくれた。お金はいくらかと聞いたら、500円頂きますと言われた。
ディーラーを出てフェリーターミナルの近くまで来たところで、またギアが入らなくなった。また物凄い力で無理やりギアを入れて発進させ、何とかフェリーターミナルに到着したが、受付のところで今度はギアを渾身の力を入れてもびくともしなくなった。5分くらい必死に何度もギアを入れようとしたが入らない。後ろに並んでいる車からあおられた。
しかしやっとギアが入りフェリーの中に車を入れることができた。
フェリーに乗っている間は気が気でなかった。新潟に着いても、それから何時間も高速道路を走らなければならないのである。もう新潟に車を置いて新幹線で帰ろうとまで考え始めていた。
そして翌日新潟港に着いて駐車場でしばらくこれからどうするか考えた。高速道路に入る前に動かなくなったらどうしよう。もうこれはJAFを呼んで新潟市内のSUZUKIのディーラーでちゃんと診てもらうしかないと決断し、JAFを呼びディーラーまで牽引してもらった。ディーラーで再び診てもらったが、とくにクラッチやミッションには異常はないとのことであった。高速に乗っても大丈夫だろうと言ってくれた。クラッチワイヤーを調整してくれた。このディーラーは親切な対応であった。
それでも不安は消えずに車を走らせた。高速道路に入るまでは運よく異変が起きなかった。そしてガソリンを満タンにし、高速道路にやっと入った。
高速道路に入ってからは数時間、ノン・ストップで走り続けた。早く家にたどり着くことだけを考え続けた。
そして高速道路の出口に差しかかり、料金所で料金を支払うために車を数時間ぶりに止めた。料金を払い、発進しようとしたら何とまたギアが入らない。また悪夢が蘇った。数分トライしてやっと発進できた。料金所の徴収員は、何やっているんだ、と言わんばかりにいらだっていた。
料金所を出てすぐのところに料理屋の駐車場があったので、とりあえずそこに車を止めた。
そして再びJAFを呼んで家まで牽引してもらった。無事着いたのはいいが最悪の帰路であった。
翌日整備工場で診てもらったら、原因は意外なことであることが分かった。原因はミッション・オイルであった。
実は帰省する直前にミッション・オイルを自分で交換していた。このミッション・オイルはオイルメーカーとしては有名な会社のものであったが、軽自動車用とのことで粘度の低いものを選んでいた。
しかしミッション・オイルは粘度が低いと冷却効果が薄いため、車によってはミッションのギアが高熱になり、それが原因でギアが入らなくなってしまうのだ。そういえば、オイルポンプでミッション・オイルをミッションケースに入れる時に、何故かすいすいオイルが注入されていったことが不思議に思われた。ミッション・オイルは粘度が高いのでポンプで入れる時にかなり力を要するからだ。オイルの容器を振ったら、ジャボ・ジャボと音がした。
ギアが入らなくなってっても数分後に入るようになったのは、時間の経過でいくらかギアが冷えたためであろう。

前置きがとても長くなったが、今日車のフロント・フェンダーのヘコミ直しに取り掛かった。四輪駆動車なので気にするほどのヘコミではないのでそのままでも良いのだが、大事にしたい気持ちなのか、自分で直すことにした。板金工場に頼むと3万円以上は取られるだろうし。
ヘコミを直すには道具が必要だ。いろいろ調べて板金用のハンマーやドリーと言われる当て金があることが分かった。そしてインターネットで探して、本体価格1,500円ほどのセットを見つけて購入した。



今日早速、作業したのであるが、ヘコミの裏側が狭くて、ハンマーを使うのがやや厳しいことが判明した。そして当て金から適当な形状のものを選んで裏側から叩くことを繰り返した。
日頃の運動不足と仕事の疲れからか、どっと汗が噴き出し、バテてしまった。休み休み叩くことを繰り返したが、思ったほどびくともしない。この車はその性格上、ボディの鋼板を厚くしているのであろう。
必死になって叩いて少しヘコミが和らいだといった程度か。やはりずぶの素人が考えるほど簡単にはいかないものだ。ただ叩けばいいというものではない!、といった言葉がどこからか聴こえてくるようであった。
しばらくしてフロントグリルを外せば、横から手を入れられるようになることに気付いた。そしてフロントグリルを外し、横から手を入れてみると余裕を持ってヘコミの裏側の突起を押すことができた。しかし横から当て金を入れて叩くのは厳しい。



このため作戦の変更を余儀なくされることになった。いろいろ調べてみると、鋼板を熱であぶって柔らかくしてから、手で押すとヘコミが元通りになるという事例が見つかった。しかしその事例の車は私の車のような厚い板厚の鋼板ではなく、普通の車に使用されているような薄い鋼板のようであった。だから熱であぶっても当て金で叩かないと元通りに戻らないと考えられる。

今日のところは上手くいかなかったが、次は鋼板を熱して再挑戦する予定だ。
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第32回(2014年度)スペインギター音楽コンクールを聴く

2014-10-13 00:17:44 | ギター
台風が九州に上陸したようだが、関東地方の今日は曇り空であったものの暑くも寒くもなく、過ごしやすい1日であった。しかし明日は雨の予報である。
この三連休に、先日買っておいた板金ハンマーで車のヘコミを直したり、以前からの懸念事項であった加速時の笛吹音の正体を突き止めようと思っていたのだが、明日は仕事の予定もあり、次週へ持ち越しとなりそうだ。
しかし昨日は私にとっての音楽三大イベントの一つであるNコンの生演奏を聴きに行ったし、今日は2つ目の「スペインギター音楽コンクール」を聴きに行き、充実した休日となった。
今日はこの第32回(2014年度)スペインギター音楽コンクールを聴いた感想を書くことにした。



このスペインギター音楽コンクールを初めて聴いたのが第9回(1991年)であった。当時は場所ははっきり覚えていないが、官庁街の一角にある小さなホールで行われていた。
それ以来数回の抜けがあるが、殆ど毎年このコンクールを聴いてきた。
第2次予選と本選を同日で行うのがこのコンクールの恒例であるが、台東区のミレミアム・ホールに着いたのが午後2時ちょと前。第2次予選は半分以上終了していた。
今年の第2次予選の課題曲はフェルナンド・ソル作曲「練習曲op29-5」であった。
セゴビア編20のエチュード集の20番目の曲としても有名で、ギターをやる人であれば殆どの人が聴いたことのある曲でもある。
ちなみにこのop29-5はナルシソ・イエペスが編集した24の練習曲集の中にもあり、イエペスがセゴビアとは異なる独自の運指を付けている。ギターをやる人は殆どがセゴビア編のみを練習するが、イエペス版も研究することはとても役に立つ。イエペスの方が指に負担を掛けない合理的な運指を施している。
(下の写真はイエペス編の冒頭部)



今まで第2次予選の演奏を全て聴いたことは無いが、私が今日聴いた限りの演奏の印象としては、レベルが例年よりかなり低かったことである。これはここ数年の傾向なのかもしれない。昔のスペインギター音楽コンクールはプロを目指す方が参加するコンクールとして国内で行われるコンクールとしては東京国際ギターコンクールに次いでレベルの高いものであったため、第2次予選でもかなりハイレベルな演奏が殆どであった。
しかし今日聴いた演奏は正直言うと聴くに耐えないものもあった。何がと言うと、音が汚いのである。音が細い上に、キンキンとメタリックであり、ピシャンと跳ね上げるような音を平気で出している演奏もかなりあった。
スペインギター音楽コンクールほどのコンクールに出るのであれば、音には当然うるさいレベルにまでなっているはずであろうが、今日、また昨年の第2次予選を聴いて、このコンクールのレベルは下がったな、と感じずにはいられなかった。
がっかりしたのは第2次予選だけでなく本選もであった。
今年の本選は今まで長年聴いた中では最低のレベルであった。出場者の方には申し訳ないが本当にそう感じた。正直言うと1位、2位該当者なし、だと思う。このコンクールは出来いかんにかかわらず必ず順位を出す方針のようだが、譲歩しても1位該当なし、がいいところであろう。
本選課題曲はイサーク・アルベニス作曲「朱色の塔」であったが、多くの方がミスを連発、途中で止まったりと技巧面では歴代の本選出場者のレベルからして大きく下回っていたことは残念であった。
今日の審査で1位、2位を授与された方は技巧が安定もしくは際立っていた方である。審査員は何よりも技巧の安定度を重視したのではないか。だが1位、2位の方は音に魅力が無かった。音に魅力があり、会場全体に音を響き渡らせていたのは、第4位と第5位の方であった。第5位の方の音は今日の演奏者の中で最も聴き応えがあったが、ミスがとても多かった。第4位の方は自由曲(椿姫の主題による変奏曲)が素晴らしかったが、課題曲においてテンポが不自然に早くなったり遅くなったり落ち着かなかったり、間が空いたりしたことが大きな減点につながったと思う。
しかし第4位、第5位の方は音の出し方がしっかりとしており、楽器から最大限の音を引き出す技術、実力を備えていると感じた。その意味ではこれから技巧面と音楽面の修練を積み上げていけば、かなりの成長を期待できる素質を持っていると思う。
第2位の方は、テンポが軽快でテクニックも恐らく出場者の中ではトップクラスだと思うが、音が軽すぎでメタリック。
表現も単調で「朱色の塔」で短調から長調に転じたあとの情熱感も感じられなかった。
また「朱色の塔」の難所、あの長調に転ずる前のハイポジションのフレースであるが、完全に弾けている方はいなかったように思う。
今から30年くらい前、札幌のヤマハセンターでギターの展示即売会が催された時、ギタリストの渋谷環氏が、楽器を試奏する役目を仰せつかり、普通サイズのギター、確かマーチン・フリーソンだったかと記憶しているが、この朱色の塔の難所を難なく演奏していたのをふと思い出した。この時、客の一人からサイズの小さい「レオナ(当時日本の著名な楽器製作家が同じコンセプトで出来を競ったと言われるギター)」で同じ曲を弾いてみてくれと言われて、「え~出来るかしら?」と言いつつも完璧に弾き切ったことが思い出された。
思うに、速いテンポでミスしたり不明瞭で音が1音1音聴こえない演奏になるくらいなら、この難所を完璧に弾ける速度設定にしたほうがよっぽどいいのでは、思う。今日の本選の演奏はテンポが速すぎると感じるものがかなりあった。
この難所の部分の演奏で模範的だと思うのは、ナルシソ・イエペスの6弦時代の録音である。イエペスの超名演である。イエペスはこの部分を決して無理して弾いていない。
あまりこれ以上言うと嫌われてしまうのでこれくらいにしておきたい。趣味でやっている方や学生のコンクールでの演奏には悪いことは言わないようにしているが、このスペインギター音楽コンクールで本選に出場する方は殆どがプロを目指す方なので、少し辛口の感想を書かせてもらった。
このようにがっかりした本選であったが、1曲だけ素晴らしいと感じた演奏があった。
第4位の方が自由曲で弾いた「 椿姫の主題による変奏曲」。スペインギター音楽コンクールの本選自由曲でこれまで何度か聴いてきた曲であるが、聴き応えのある演奏は無かった。しかし今日聴いたこの曲の演奏は、「音楽を自分のものにした」説得力のある演奏で惹きこまれた。表現力に富んだ演奏で音が力強くかつホール全体に響き渡る演奏で、この曲の持つ魅力を最大限に引き出した演奏だと感じた。

さて順位であるが下記に示しておく。

1位:木村眞一朗さん(自由曲:ソナチネ第2楽章・第3楽章)
2位:伊藤亘希さん(自由曲:ソルの主題による変奏曲)
3位:佐々木巌さん(自由曲:グラン・ソロ)
4位:岡本和也さん(自由曲: 椿姫の主題による変奏曲)
5位:仲山涼太さん(自由曲:ファンダンギーリョ、ファンダンゴ)
6位:大沢美月さん(自由曲:マルボローの主題による変奏曲)

今日の順位は審査員によりかなり差があったのではないかと思われる。技巧を重視するのか、音の出方を重視するのか、音楽表現を重視するのか、審査員によって価値観が異なるので、同じ演奏者でも審査員によって最上位と最下位がつくことも多々ある。下記は昨年度の審査員別審査結果のメモである。バラツキが多いことが分かる。



このスペインギター音楽コンクールを過去に長年聴いてきた中で、最も後味の悪い、コンクール終了後の帰路に何とも無念で力が抜けてしまったものがある。
2002年のコンクールで、自由曲でアセンシオの「内なる印象」を弾いたある女性の方が、私は素晴らしい演奏で彼女が1位になることを信じて疑わなかったでのであるが、3位という結果に終わり、その瞬間の彼女の疑念に満ちた、落胆した、かわいそうな表情を今でもはっきりと憶えている。
同じ年の2か月後、彼女はスペインギター音楽コンクールよりはるかにレベルの高い東京国際ギターコンクールに出場し、日本人としては唯一本選まで進み、確か4位を受賞した。平日開催となった、課題曲が原博の名曲「ギターのための挽歌」だった時である。彼女はプロを目指している方であった。
スペインギター音楽コンクールで本選に残るは、まず殆どはプロを目指す人である。言ってみれば審査結果でその人の将来を左右してしまうのである。学生コンクールとは違う。
審査員の価値観で決まるのがコンクールの審査結果の全てであり、審査員の選択が最も重要な要素であることを痛感せざるを得ない。
個人的には、ギター以外のクラシックの他のジャンルの演奏家や、作曲家、評論家などを選定した方が、多角的な判定につながり、受賞者も聴衆も納得できるのではないかと思っている。

【追記】
本選自由曲の選択条件として、「スペイン人作曲家による作品」とあるが、毎年、毎年同じ曲ばかり、例えば、タレガ、ソル、アルベニス、グラナドス、ロドリーゴ、モンポウなどのよく知られた、親しみやすい曲ばかりが選ばれている。これには飽き飽きする。
何故現代曲が出てこないのか。これはいつも不思議に思う。今の若い方は現代音楽に抵抗があるのではないかと思うのだが、無調の現代音楽であってもスペイン人作曲家であれば選択はできると思う。
無調音楽に抵抗があれば、せめてルイス・ピポーの「歌と踊り第2番」、「エスタンシアスⅠ・Ⅱ」くらいの曲を選択してくれると面白味がある。


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2014年度 Nコン全国大会高等学校の部を聴きに行く

2014-10-11 23:07:33 | 合唱
三連休の初日、関東地方は台風の心配もなく秋晴れのいい天気だった。
三連休とは言っても最終日は仕事に出かけなければならなくなった。
10月から12月にかけて私にとっては毎年楽しみにしている最大のイベントが3つある。
その1つとして、NHK全国学校音楽コンクール(略してNコン)高等学校部全国大会が今日、渋谷のNHKホールであった。
いつもは自宅のテレビで鑑賞するが、今年は何と幸運にも入場整理券が手に入ったのだ。Nコン全国大会としては初めて生演奏を聴く機会に恵まれた。
入場整理券を手にしてから今日までの間、小さな子どもが遠足を待ち遠しく思うような気持ちであった。
今日は日頃の寝不足のせいか、疲れを感じているようであったが、朝早めに起き、録画用のビデオをセットし、会場には余裕をもって到着した。
合唱曲を聴き始めて丁度4年になろうか。数十年前に歌った合唱曲との衝撃的な再会があってから、合唱曲、それも高校生の合唱にのめりこんだ。何故高校生の合唱曲なのか4年間自分でもわからなかったが、今日、全国大会の生演奏を聴いてその理由がわかった。これについてはあとで話すことにしたい。
今年の全国大会高等学校の部の課題曲は、「共演者」(作詞:小林香、作曲:横山潤子)であった。
今年のこの課題曲の詩も曲も最初は違和感を感じたが、何度も聴くにつれていろいろなことを深く考えることにつながっていく、内容の濃い音楽であることに気付いた。
詩の解釈や曲の印象はこの曲が発表されたとき、またブロック・コンクールの生演奏を聴きに行ったときに、このブログに書かせてもらった。今日、全国大会で11校の演奏を聴いて、改めて感じたことを書いてみようと思う。
この曲の作詞者は、人生で自分を肯定することの大切さを説いている。ありのままの自分を肯定してくれる(Yesと言ってくれる)のは、自分の心中の共演者である。
人間には生まれながらにしてありのままの自分というものを持っている。幸せに育った人は意識しなくてもこのありのままの自分を自然に肯定できる共演者を心の中に育てることができる。しかし育つ過程でこのありのままの自分を肯定するのではなく、逆に否定する共演者を心の中に取り込んでしまうことがある。しかも本人は否定する共演者を作り上げていることが意識できない。これが人の最大の不幸、苦しみの原因である。幸せに育った人は信じられないかもしれないが、ありのままの自分を、自分が意識することなく破壊する共演者を心に築き上げてしまい、どうしてよいか分からず人生を苦しみ、最悪死を選択する人もたくさんいるのである。
しかしどんなにありのままの自分を破壊しつづける共演者を心に持とうと、自分を肯定する共演者は本人も分からない心の奥深いところにいる。そしてありままの自分が、その存在を探し出してくれるのをずっと待っている。
ありのままの自分を破壊する共演者の存在に気付く(意識化する)ことができれば、自分を肯定する共演者を探し出すことができる。
自分を肯定してくれる共演者は、人がどんな状況であっても消えることはない。そして、ありのまま自分が自分と和解してくれるのを望み、静かに待ち続けているのだ。
この曲の作詞者の意図が上に書いたことにあるかどうかはわからないが、私はこの詩を読んでこのように感じた。
この詩は、ありのままの自分を肯定することの大切さを、強いメッセージで伝えている。
そしてこのプラスの肯定感を表現するのにふさわしいメロディーを作り上げている。「否定」という要素を寄せ付けない、跳ね返すような明るい太陽のようなものを与えてくれるような音楽である。そして弱った人の気持ちを引き上げてくれるような優しさや強さも感じることもできる。
さて前置きが長くなってしまったが、今日、このライブ演奏を聴いてもっとも感動した演奏を、課題曲と自由曲に分けて紹介したい。
まず課題曲で一番感動したのは、演奏順7番目の関東甲信越ブロック(東京都)代表、大妻中野高等学校。
この高校は関東甲信越ブロックコンクールの演奏でも最も印象に残った学校であったが、今日聴いた全国大会でも最も感動した演奏であった。
私はホール2階席の一番後ろから2番目の席で、舞台からは相当遠い距離があり、舞台で話すアナウンサーの声も小さく聴こえるほどであった。
そのためか、今日聴いた11の学校の演奏は正直言うと、かなり実力の差を感じた。奏者の気持ちが全然伝わってこない演奏もかなりあった。また音量や迫力があってもそれだけしか感じない演奏もあった。
しかしこの大妻中野高校の演奏は遠く離れた客席までしっかりと、曲のもつ気持ちやメッセージが伝わってきた。
私はいい演奏かどうか、長く聴きたい演奏かどうかの判断は、どれだけ心に響いてくるか、という基準で選んでいる。ブロックコンクールの時もそうであったが、今日聴いた演奏は聴いていて、心の底の感情が強く湧き出てきた演奏であったことを申し上げておきたい。
家に帰って、録画したビデオの演奏も繰り返し聴いたが、ホールでの演奏で感じたことに間違いがなかったことを確信した。
「「人生は舞台だ」って誰か言ったよね それはもう開演している」という部分で聴かせてくれた、気持ちの高まり。
「私はどんな筋書でも あなたの客席で観ています」の部分で感じることのできた繊細な表現。
「三原色~喝采を贈りたい」で感じるエネルギーの強さ。
ブロックコンクールで聴かせてくれた解釈や歌い方と変わっていなかったのも良かった。
しかし何という難しい歌い方であろう。コンクールには不向きな演奏法かもしれない。
しかしこの演奏は聴く者の心に大きなプラスの影響を与えるくれる要素をたくさん持っていることは間違いないと断言できる。
次に自由曲で最も印象に残ったのは、演奏順6番目の東北ブロック代表、福島県立郡山高等学校。
昨年の大会で初出場し、その時は高田三郎の水のいのちより「川」で素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
今年の自由曲は、無伴奏混声合唱のための「光のくだもの」(作詞:大岡信、作曲:鈴木輝昭)という曲であった。
曲の出だしから鈴木輝昭の曲であることがわかる。難しい詩であり、詩の解釈はもっと聴きこまないとはっきり分からないが、後半部から終結部まで凄いエネルギーを感じる演奏であった。特に女声(ソプラノ)から伝わってくる詩のメッセージは聴いた後、何度も心に浮かんできた。

今日聴いた演奏はコンクールということで順位というものがあったが、高校生の演奏において順位に関心はない。
確かに賞を取れなかったり、望んだ賞を取れなかったら無念であろう。その気持ちも分かるが、自分達が一生懸命やってきたことを自分で評価できるようになれることを望みたい。他人の評価など概して脆いものである。
自分達が信念をもってやってきたことを自ら認めることができれば、誰の評価に関係なく、自信につながる満足感を得られるのではないか。一生懸命やったことは時間はかかるが、後で生きてくるものである。

今日この素晴らしい演奏を生で聴けたことは貴重な体験であった。聴かせてくれた学校には本当に感謝である。
今日聴いて感動した演奏は後日改めて感想を書きたい。



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