緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

消費増税どうなる(2)

2012-05-30 21:32:56 | 時事
こんにちは。
今日は久しぶりに早く帰宅できました。そこでブログを書くことにした。
家に着いたのが7時半。11時には寝ようと思うので食事も含めて3時間半は自由に過ごせます。
これまで長い間4,5時間しか睡眠を取らない生活をしてきたのですが、仕事中に何度も睡魔に襲われるようになってしまったんですね。やはり7時間以上は寝ないとダメだ。

消費増税の実現に向けて野田首相と小沢議員との会談が行われたが、物別れに終わったとのニュースを見ました。
野田首相は小沢氏と会う以上は乾坤一擲、理解してもらうため一期一会で望みたいと強い決意でいたようだが、小沢氏は拒んだようだ。
小沢氏は「消費増税の前に政権としてやることがあるというのが、国民の気持ちではないか」と反論、具体的には1)中央集権の官僚支配から地域主権、地方分権の仕組みに日本の行政社会を変えること、2)年金制度大改革など社会保障のビジョンの実現、3)日本経済の再生──が成し遂げられない状況で消費税を引き上げることは納得できないとの持論を展開し(ロイターより抜粋)、消費税増税への理解を示さなかった。
増税の前にやるべきこととして小沢氏が上げた3つの政策は、一体何年かかるというのだろうか。特に1)と3)は3~5年の短期で成し遂げられるレベルのものではないであろう。
3)の日本経済の再生は最も難易度が高いと感じる。それは以前にもブログで再三書いたが、日本がこれまで市場で稼いできた電器製品、半導体などが中国、台湾、韓国などに技術力で並ばれ、円高が追い討ちをかけたこともあるがシェアを奪われ、収入が激減しているからだ。あのパナソニックが大量の人員整理をするのである。
家電や半導体など日本の豊かさを築いてきた産業は、20年前までは遠く後ろを走っていた韓国、中国などに追いつかれてしまったのである。
これから韓国、中国などの安くて品質の高い電器製品が日本の量販店にたくさん出回るようになるであろう。日本の消費者はもちろん品質に問題なければ価格の安い製品を選択する。25~30年前の欧米諸国が日本製の製品を買ったように。
そして中国や韓国がこれまで大量生産してきた産業は、インド、東南アジア諸国にシフトしている。
日本は中国や韓国が造れないような高機能、高品質、高付加価値のある製品を造っていくしか経済再生の道がないのである。中国、韓国と同レベルのものを造り続けていても勝てるわけがない。
だから経済の再生は口で言うほど短期間でできるものではない。
経済の再生を成し遂げる間に、日本の財政は今よりももっと悪化するであろう。電器製品だけではなく、自動車工業も韓国、中国に技術的に並ばれたら日本は大きな打撃となる。でも近い将来その時期がやってくるのではないか。
日本の製造業で売れるものがなくなっていくと、税収が減るのは明白だ。税収が今後減っていくのにどうやって700兆とも1000兆とも言われる巨額の借金を返していけるというのだろうか。借金がこれ以上増え続けると日本の財政に対する信頼度がますます低下し、国債の暴落が現実となる。
財政破綻したらどうなるかは身近な例では北海道の夕張市を見ればわかるであろう。公的サービスはことごとく有料となるであろう。普通のゴミを出すのもお金がかかるようになる。
消費税の負担増どころでの話ではない。小沢氏の言うことは具体性がないし現実性もない。まず何よりも財政を立て直し健全化すること真っ先に短期間でやらないと今よりも桁違いの危機的状況になる可能性が極めて高いから、やむを得ず消費税増税を行うのである。
危機的状況になる前にまず土台を建て直し、ぐらつかいないレベルまで回復させてから、次にやるべきことが可能であると確信している。土台がいつ崩壊するかわからない状態で経済の再生や地方分権、年金改革などできるわけがない。
国民全体が痛みを伴うが、我慢して財政再建のために耐えていくのが本筋だと思う。国民全てが等しく我慢しないと建て直しできないレベルの危機に近づきつつあるからだ。
誰が免除されて誰がより多く我慢するというのは好ましくない。
最近新聞の投書などで見かけるようになったが、食料品や生活必需品を無税にしたらどうかという意見である。今日の朝刊にも出ていたがイギリスの税制を見習えとの意見である。しかし食料品以外のものの税率には言及していなかった。もちろん食料品以外は高率である。車や家などの購入金額に20%も消費税が課税されたらとんでもない。
税率に差をつけても不公平性は解消されない。所得税に加え消費税も差別化することは逆に不公平性を拡大する。
食料品などに低率、家や車などに高率というような差別化は庶民の味方という前提で話をされているようだ。イチローや孫正義さんのような大金持ちからもっと多くの税金をとれという人もいる。宝石を買ったりや海外旅行する人からもっと税金をとれと。
低収入の人は負担を軽く、高収入の人には負担を重く、この単純な二極的な考えは一見庶民の味方のような考えに見えるが、甚だ不公平なのではないか。
なぜならば高収入の人は日々苦労している人が多いからだ。苦労しているというのは普通の人の何倍も働いているということだ。労働時間1Hあたりの収入では、むしろ低収入の人よりも低いのではないだろうか。
苦労して人の何倍も働いている人が消費するものに対して高率の消費税をかけるのは公平だといえるだろうか。
低収入の人は、全てが一生懸命働いているといえるのであろうか。例えば私の会社での派遣社員や臨時社員は定時のベルが鳴ったら即帰宅する、仕事も遅いし、何度教えてもミスをする、ミスをしないよう努力もしない。そのような人がいる。
努力すれば弁護士でも会計士でも技術士でもなれる時代である。努力と収入の高低は例外を除き概ね比例している。例外とは芸術家や景気に左右されやすい一部の職人などである。低収入の人=苦労に耐えて頑張っている人、高収入の人=苦労せず贅沢な暮らしをしている人、だから低収入の人は保護されなければならない、という見方はおかしくないだろうか。的外れであり現実と遊離している。
消費税は一律の方が公平性が高いと思う。低収入の人や中流の人だっていずれは家や車などの高額商品を購入したいと思う。賃貸の団地で暮らし、軽の中古車しか買ったことのない私だって同じだ。そういうものに仮に20%もの消費税がかかるとなると働く気力も失せる。
コメント

伊福部昭作曲「ラウダ・コンチェルタータ」を聴く

2012-05-26 22:26:39 | 邦人作曲家
こんにちは。
だいぶ暑くなってきましたね。
最近、20代~30代の頃よく聴いていた伊福部昭の曲を聴き直しているのですが、マリンバと管弦楽との一楽章の協奏曲「ラウダ・コンチェルタータ」という曲があります。
ラウダ・コンチェルタータとは、レコードの解説文によると「司伴楽風な頌歌(しょうか)」を意味するらしい。頌歌とは壮麗で手の込んだ抒情詩(韻律)の形式をとる音楽のことを言う(ウィキペディア参照)。
頌歌の意味はともかく、レコードを聴いてみると、冒頭から暗く不安感を抱かせる3拍子のオーケストラが奏でる旋律が流れます。
次にマリンバの独奏に移りますが、マリンバの打ち付ける音が強烈でありながら、不思議と心地よいですね。マリンバは今まで殆ど聴いたことがなかったのですが、意外に自然界に溶け込むようないい音です。逆に言うと自然から生まれたものかもしれません。古代人がさまざまな木片と木片がぶつかる音を聴いて楽器にし、音楽に発展させたに違いありません。
マリンバの起源はアフリカだと言われていますが、現在の楽器の形になったのは、中南米のグアテマラやメキシコが最初だそうだ。
マリンバの独奏が終わると、再び冒頭の不安なオーケストラの旋律が再現され、4拍子に変化するとマリンバの独奏となりオーケストラは伴奏に回る。
この4拍子の刻みはこの曲の根幹をなすもので、最も重要なテーマを感じさせます。この4拍子の刻みに作曲者は聴き手に何を喚起させたいと意図したのであろうか。
中間部に移ると穏やかな南国的雰囲気の漂う曲想に変化します。
作曲者が南国を意識しているかわかりませんが、私には、戦時中に日本が出兵した南の島の土着の音楽を連想されるのです。芥川也寸志の「交響三章」や「弦楽のためのトリプティーク」の第二楽章子守歌でかすかに感じ取れる南国の雰囲気も、戦時中に南の島で兵役に就いた人々が経験した現地の音楽が曲の深いところで存在しているからではないかと思う。
それにしてもマリンバの木と木が打ち合う音は何とも自然な美しい響きで、音そのものに集中させられます。この中間部のマリンバの独奏は南の島の夜の静けさを思わせる。
後半部は、再び冒頭の暗い不安を感じさせるフレーズで始まります。
そしてリズムが4拍子に移ると、マリンバの独奏とオーケストラの掛け合いとなり、次第に生命感のあふれる演奏となっていく。
マリンバの躍動するリズムと人間の根源的な魂を揺さぶるような音が素晴らしいです。
このあたりから、聴き手の心の奥底に眠っていたものが湧き出てくるのが感じられます。4拍子の鼓動がマリンバの超絶技巧と共に聴き手の心を前へ前へと進ませていきます。
最後のマリンバの打つ音の強烈なエネルギーとオーケストラとの盛り上がりは凄いです。
まさに聴き手の心の呪縛を解放させようとするようなエネルギーに満ちた音楽と演奏ですね。人間の根源的なものに回帰させる音楽だと思います。
この曲と演奏はクラシック愛好家だけでなく、ロックやジャズを聴く人にも聴いて欲しいですね。必ず得るものはあると思いますよ。
さてこの曲の録音ですが、私が聴いたのは以下のものですが、この録音が最も推薦できるものだと思います。

マリンバ独奏:安部圭子
指揮:山田一雄
演奏:新星日本交響楽団
録音:1979年9月 東京文化会館大ホール ライブ演奏





録音はLPの方が鮮明で優れています。CDは劣化したマスターテープから録音したと思われ、鮮明さがなくややボケた感じです。
これはよくあることで、例えばギターのセゴビアの録音もCD化されたときには古いマスターテープの音源を使用しているため、LPの音よりも悪くなっているものもあります。
コメント

エルネスト・ショーソンのピアノ曲を聴く

2012-05-20 18:34:31 | ピアノ
こんにちは。
久しぶりにピアノの話題です。
私はピアノ曲の中でもフランスの作曲家であるガブリエル・フォーレの曲が好きなのですが、フォーレと同時代に生きたフランスの他の作曲家のピアノ曲も聴いてきました。
以前のブログでセザール・フランクの曲を紹介しましたが、今回はパリ出身でフランクに師事したエルネスト・ショーソン(1855~1899)のピアノ曲を紹介します。
ショーソンのピアノ曲は数が少なく、私が持っているCDでは「いくつかの舞曲 op.26」と「風景 op.38」のみです。
今日紹介するのは「風景 op.38」の方ですが、非常に美しい曲です。美しいといってもかなり悲しさを帯びた曲なのですが、旋律と共に同時進行する和声の使い方非常に上手いです。ときにハッとするような美しい和音が現われます。
ショーソンはどんな風景を見てこの曲を作ったのでしょう。フィレンツエ近郊の別荘から眺める心象風景を描いたとのことであるが、暗く悲しいですね。でも悲愴感はないです。時折短い間長調に転調しますが、長くは続きません。
外向きではなく深い内省的な曲ですが、形式を重んじるよりも豊かな感性、音に対する鋭敏な感覚、心象を感じるままに表現する方ではないかと思う。
録音はフランスのピアニストであるジャン・ユボー(1917~1992)で、この曲の録音はユボーが死去する半年前にされたものです。
この曲は演奏会などでもっと演奏されてもよいと思います。



コメント

ものづくり大国の落日 巻き返すためにはどうするのか

2012-05-13 22:07:07 | 時事
こんにちは。
今日の朝刊に、「半導体技術 落日の10年」という見出しの記事が載っていた。
1980年代後半、半導体で日本は世界生産の過半数を占めていたという。そしてその半導体を製造する半導体製造装置を造るメーカーとして、ニコンとキャノン両者で世界の7割のシェアをしめていたという。
1980年代半ば過ぎ、私は大学4年生で就職活動をしていた時期であるが、ニコンやキャノンという元々フィルムカメラメーカーであった会社が、半導体を製造する機械を造っているとう事実に驚いたものだ。会社選びをしていると、半導体や半導体製造装置を造るメーカーの株価が非常に高かったのを記憶している。
しかし今や両者のシェアは2割まで落ち込んだ。
なぜニコン、キャノンなどの当時世界で超一流であった日本のメーカーがシェアをこのように落としてしまったのか。潮目は2002年のことだったという。
現在半導体製造装置で世界トップでシェア8割超を握るオランダのASML社が、この時に「ツインステージ」と呼ばれる2枚のウェハー(シリコン製の板)を同時にに加工するう技術を開発したのだ。この加工技術により半導体の生産性は3割向上したという。
実はニコンも同様の技術開発を進めていたが、1枚ずつ高精度に加工する技術に固執し、商品化を見合わせたという。ニコンの幹部は「大きな判断ミスだった。日本が技術で負けるはずがないという油断があった」と語ったそうだ。
ここで私が驚いたのが、半導体製造装置という高度な技術力を要する機械のトップシェアを持つ企業がオランダであったことである。
私はかつて確か日本経済が絶頂期のころに「オランダはなぜ没落したか」というテーマの本を読んだ記憶があるのだが、そのオランダがものづくり大国であった日本をはるかに追い越し、世界トップの技術力を誇っているのだ。
20年前までのオランダは日本から見ればかつて世界の至るところに植民地を持ち繁栄していた国が衰退し、小さな農業国に見えたのかもしれない。しかしこの間にオランダは見えないところで努力し、技術力を開発していったに違いない。
イギリスもかつては品質の悪い製品を造るイメージが強かったが、サイクロン式の掃除機を開発したのを見たとき、その意外さに驚いたものである。
先のニコンの幹部の話に見るように、日本はかつてのものづくり大国の栄光に慢心していたのではないだろうか。日本は世界第2位の経済大国にまで上り詰めたが、その先をどう進めていこうかという真剣な議論、また日本がこれから目指すべき国のありかたを示すビジョンを考えるということがなかった。
日本の製品も目だって品質が高いとは思えなくなった。1970年代に発売されたニコンのプロ用カメラであるニコンFやF2、キャノンのF1などのコンクリートに叩き付けたくらでは壊れないほどの高い品質で他国のメーカーの追従を決して許さなかった時代はもう過去のことなのか。
半導体製造装置の話に戻るが、ニコンやキャノンが衰退する中で、半導体製造装置で世界第3位のシェアを維持する日本のメーカーがある。東京エレクトロンという会社である。
この会社も私が就職活動していた時期に半導体製造装置メーカーであることを知った。
東京エレクトロンは最先端技術を開発するために、日本のメーカーから海外、アメリカや韓国の半導体メーカーに開発パートナーを切り替えたという。生き残る為に世界のトップ企業と共同開発することが生命線だという。
しかしその反面、「不良品を減らすノウハウなど日本が積み上げてきた生産技術が韓国に流れる」との懸念も出ているという。
この20年近くの間に、多くの日本の生産技術、品質管理、開発ノウハウなどが中国、韓国、東南アジアの国々などのメーカーに流出した。これらの国々は安い人件費を武器に日本などの先端技術を苦もなく取得し、逆に日本が占有していた市場を脅かした。
韓国、中国などの電器製品が日本や世界各国の市場に溢れる日は、そう遠くはないであろう。
日本が巨額の財政赤字に苦しむようになった原因がここにある。
5月11日付けの新聞に経常収支が15年ぶりに低水準になったことが載っていたが、日本のメーカーの製品が売れなくなれば、貿易収支も悪化するのは当然で、税収も自ずと減少する。税収が減少しているのに以前と同じ水準を維持しようとすれば借金するしかない。
国の借金(国債)の9割以上は国内の銀行が、企業や国民の貯蓄から得た資金で買い支えてきたが、製造業の衰退で企業の収益が悪化すると国債を国内の貯蓄から買う割合が減り、海外の投資家から買わざるをえなくなる。海外から買うためには国債の発行金利を上げざるを得なくなるので、政府はますます借金の負担が増していくことになる。
5月9日付けの新聞は、日銀がもつ国債の保有量が、上限額を突破すると報じていた。日銀は国内の銀行から国債を購入しているが、年40兆円以上のペースで購入しており危険水域まできているという。
日銀が国の借金の穴埋めをすることが定着すると、国債に対する信用度が下落し、暴落することも考えられるという。
ここまで日本の財政が危険なレベルまできているのに、赤字財政から抜け出すことを先送りするわけにはいかないであろう。消費税増税反対が依然多くの国民の考えるところであるが、私は一刻も早く財政を立て直すことを何よりも先に行わなければならないと感じる。
それには消費税増税と歳出カットを同時にやるしかない。子ども手当てや高校無償化、新幹線、リニアなどにお金を使うくらいなら借金を返すことに使って欲しい。
子ども手当てや高校無償化など、収入の多い家庭に何故必要なのか。親のいない子ども、母子家庭などに必要な制度ではないか。
新幹線など全く無駄と言わざるをえない。北海道まで延長して何時間短縮しても飛行機に勝てるわけがない。札幌まで座席に座りっぱなしで我慢できる人などいない。
しかもルートは長万部、倶知安方面を経由するという。北海道でも全く観光地でないところだ。
消費税増税するかいなかで民主党が分裂しているという。与党と野党のみならず、与党のなかでも無益な争いをしている。そのようなことにエネルギーを消費している間に、韓国や中国などの国は着々と経済力を付け、市場をものすごい速さで拡大している。
日本がこれからやらなければならないのは、まず赤字財政からの脱却。税収は確実に減り続けるのだから、増税、歳出カットはまぬがれない。今はがまんして耐えるしかないであろう。
その間に今の子どもや若い世代を徹底的に教育するしかない。韓国や中国などが追従できないレベルのものを作り出せる技術力、開発力を密かに蓄えていくしか生き残る道はないであろう。冒頭のオランダの半導体製造装置のような製品を生み出せるような力を、他国から与えられる形ではなく、かつての日本がそうだったように自らの力で掴み取っていくしかないと思う。
これから20、30年くらいかかるかもしれないが、日本が巻き返しを図るためにもまず財政の建て直しと日本の将来のあるべき姿を政府がきちんと示すこと、そして子どもたち若い人たちの教育に最大の力を注いでいくことが必要なのではないか。
コメント (1)

渡部康夫著『愛と栄光のハーモニー』を読む

2012-05-05 23:05:06 | 合唱
こんにちは。
ゴールデンウィークの連休も明日(6日)で終わりです。
夜になると虫やかえるの鳴く音が聞こえるようになってきました。
今日、東京都内にある大きな図書館に行って来ました。元々仕事に関係する事について調べごとをする計画だったのですが、朝から頭がボーとしており、仕事に関する本を読む気になれなかったこともあり、何か別の本を読もうかと思案しているうち、前から読みたいなと思っていた『愛と栄光のハーモニー』(1989年出版。現在絶版)のことを思い出しました。
そして蔵書検索するとこの本があることがわかり、早速閲覧を申し込みました。
この本は合唱好きの方であれば殆どの人が知っていると思いますが、福島県立安積女子高校(現安積黎明高校)の合唱部を全国一になるまで育て上げた故・渡部康夫さんの著作です。
昭和50年代半ばから昭和60年代初めにかけて、全日本合唱連盟主催の合唱コンクール全国大会で7年連続金賞受賞に導き、今日までの安積女子高校や共学となった安積黎明高校の輝かしい活動の礎を作った方です。たしか全日本合唱コンクール全国大会では30回以上も連続金賞を受賞し、昨年度は金賞と共に文部科学大臣賞も受賞したことは記憶に新しい。
昭和50年代というと私も高校生だった時期です。
今日、この本を借りて半分近く読みましたが、感動しました。久しぶりに本を読んで感動しましたね。残りの半分も近いうちに読みたいところだ。
渡部さんの音楽にたいする実力も大変なものなのですが、それ以上に教育者として非常に素晴らしい方であることに感動したのです。
本の中で「深夜のパニック」と題する節があり、渡部さんが生涯忘れることのできないコンクールとなったという昭和52年の東北支部大会での出来事が書かれていました。
以下その内容を要約します。
当時東北支部大会では、参加人数により、A(51名以上)、B(31~50名)、C(30名以下)の3区分に分けていたのだが、安積女子高校の修学旅行が丁度この支部大会の時期に重なり、2年生が大会に出れなくなった。そこで渡部さんはパート要員数のバランスなど考え悩んだ挙句、全員参加できず3名出場できないがB区分で申し込んだ。うまく支部大会を1年生と3年生で乗り切れば、全国大会に出場でき、そうすれば2年生も含め全員で参加できるという期待もあったからだ。
しかし3名出場できないことを1日延ばしに延ばし、とうとう大会前日の夜まできてしまった。そして出場者をくじ引きで決めた結果、3名が抽選から洩れてしまったのである。この3名は普段から人一倍練習熱心だったという。
大会のために宿泊していた旅館の部屋で、火事かと思うくらいの泣き叫ぶ声が響き渡り、渡部さんは生徒たちの部屋に駆け込んだ。
出場できない生徒も出場する生徒も先生もみんな泣いたという。
このときの心情を渡部さんは、「私にとって、毎日一緒に練習してきた生徒のなかから、何人かを切るということは耐え難い行為だった。」、「勝敗にこだわらずに『A区分』で出るべきだった、と後悔しながら、私はリーダーに人選を委ねたのだった。私は、自分の卑怯さ、ずるさに身をさいなまれる想いだった」と述べている。
ここで感心するのは、渡部さんが生徒たちに自分のどうすることも出来なかった気持ちを正直に出したということです。また自分のことよりも生徒たちが喜ぶ姿を第一に考えているんだなと思います。そして部員が100名を超えるのに全員で大会に出ることを何よりも望んでいるということ。
大会で今まで頑張って練習に耐えてきた全員が出場できないなかで、金賞なり優勝しても本当の喜びは得られないのではないだろうか。スポーツのように定員が完全に決まっているのは仕方が無いだろうが、文化系の部活動は全員参加できることに意義があると思う。
合唱コンクールではNコンは定員が決まっているが、全日本合唱コンクールのBグループは定員の上限がなく、130名くらいで参加する学校もある。
渡部さんはNコンのように人数に上限がある大会に出場する生徒の人選にも苦労したようです。公平を期すために、近距離通学者や必修クラブ選択者を優先して選んだり、定員数が3年生の人数とたまたま同じで、パートバランスも問題ないから3年生だけ選んだりと、随分工夫したようだ。
色々な考え方があって当然ですが、私は一生懸命練習を頑張ってきたのに一度も大会で歌うことができないということはあってはならないと思う。全員が一生懸命練習してきたことが前提であるが、全員参加で一丸となって歌った体験の方が、精鋭だけに限定して賞を得ることよりもはるかに大きな喜びを勝ち得ることが出来るのではないでしょうか。
やはり全員で感じてこそ本当の喜びですよ!(社会に出たらもうそのような体験はできないし)
他にも色々感動的な体験が書かれているのですが、別の機会に紹介したいと思います。
とにかく驚くのは部員数が多い時で130名くらいもいるのに、脱落して退部した生徒たちも含めて一人ひとりのことを考えているということが伝わってくることです。
また偉業を成し遂げたのに謙虚で自分が凄い人間だと思っていないところがいい。常に生徒たちの努力を讃えている。
私もこのような先生に出会いたかったですね。以前のブログで述べましたが、安積黎明高校合唱部の生徒たちを見ていると真面目だし、素朴で謙虚さが伝わってきますね。渡部さんが作り上げた伝統を引き継いでいるのだと思います
コメント