緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

人間関係が楽になるために「人を正確に見る」

2024-04-30 23:37:29 | 心理
人間関係に悩むことのひとつの原因としては、「人を正確に見ることが出来ていない」のかもしれない。
世の中には、誠実で、暖かく、人にさまざまなプラスのものを与えてくれる人もいれば、人に破壊的に悪影響を与える人もいる。
人間関係に悩み、疲弊しきっている人は、後者の「人に破壊的に悪影響を与える人」と日常的に関わっている可能性がある。

パワハラ、モラハラ、嫌み皮肉をいう、嘲笑する、マウントを取る、貶める、利用する、誹謗、中傷する、陰口をたたく、密告する、足を引っ張る、裏切る、ウソの情報を流す、などの行動を取る人は、残念ながらどこにでも一定数いるものである。
私は以前、このようなタイプの人間のえじきになっていたことがあった。
そして恐ろしいことに、このような人物の方が正しく、自分の方が落ち度があり悪いのだと本気に受け止めていた。
人間関係に悩み、苦しみ、自分を変えよう必死になり、心を病んでいく人は、殆ど例外なく、このような人物と日常的に関わりを持っているといえる。
彼らの真実の正体を見抜くことができなければ、不幸な人生を抜け出すことは出来ない。

このような人たちは、実際は心に深刻な問題を抱えている人たちなのである。
毎日毎日、24時間、苦しい、苦しいと心の中で叫んでいる人なのである。心から膿が絶え間なく出続けている人なのである。
この苦しみに対し自分で正面から向き合うことをせずに、無関係の他人を利用してたまった膿を吐き出し解消を図ろうとするような人物なのである。

このことが分かれば、このような人物に対し冷静に対峙することが出来るようになる。
このような人物の心の苦しみが透けて見えてくれば、怖くなくなる。この人は、心が苦しくて自分ではどうすることも出来なくて、私を利用して苦しみから逃れようとしてこのような言動を取っているのだ、ということが手に取るように見えてくれば、恐れずに対処することが出来る。

ただ、ここまでくるには、自己否定を解消し、自己肯定がある程度出来るようになっていることが必要だ。
自己否定が解消されれば、人を正確に見ることが出来るようになる。
自己否定の強い人が人間性を取り戻し、幸福な人生を歩むようになるまではまさに「いばらの道」であり、長い年月を要するが、必ず、実現出来るものであると信じている。
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久しぶりの日本酒(23)

2024-04-30 21:41:45 | グルメ
今日は仕事だったが、在宅勤務だったので昼休みや夕方はマンドリン合奏曲などのギター練習。
このゴールデンウイークはずっとギターを弾く毎日だ(これからもずっとそうなるな)。

夜の遅い時間は音楽を聴いたり、人間心理の勉強に費やしているが、時に日本酒を飲む。
このところ燗酒が意外においしいことが分かり、日本酒を飲むときはもっぱら燗にして飲むようになった。
冷やよりも刺激が少なく、まろやかでおだやかで、味に深みが出る。
昨今主流となった甘ったるい日本酒にうんざりしている人は、恐らく昔からの伝統をかたくなに守っている地味だけど本物の日本酒を燗にして飲んでいるのではないかと思うのである。
不思議なことに燗酒の方が冷やよりも酔わない。ただ、おいしいので量がすすんでしまうというデメリットはあるが。

話は変わるが、先日、今から30年くらい前に1年ほど通ってやめたギター教室の発表会の古い録画ビデオを、ビッグカメラでDVDにダビングしてもらったのであるが、出来上がったので夜に取りにいってきた。
帰宅後、早速DVDを再生してみたが、画面に映った人間がなんだか自分でないみたいで。今よりもぜんぜん痩せているし、今の自分とは別人みたいだ。
若いときの録画を見るのは初めて。
何十年も前に自分を見るのは何か不思議な感覚がする。自分という感じがしないのだ。「なんだこの人」、という感じなのだ。

このときの発表会で弾いたのはマヌエル・ポンセ作曲の「ソナタ第3番より第2、第3楽章」。
演奏を見てみたけど、とにかく緊張している。ウヒャ!だ。左指の押さえの記憶が飛んでしまって、音間違いをしている箇所が結構あった。
でも、案外、いいところもある。ここ、いい音出ているな、という箇所もあったのが救いか。
楽器はホセ・ラミレスⅢ世を使っていた。

だいぶ横道にそれたが、ビッグカメラに行ったついでに、福島県会津若松の日本酒「末廣」を買って、帰宅後早速燗酒にして飲んでみたらこれがとてもおいしいこと。
燗酒コンテストで金賞をとったこともあるが、その種の日本酒の中でも群を抜いておいしいと感じた。
これはおすすめ。



昨日録音したギター演奏も添付しておくことによう。

プレリュード 日本酒「末廣」の燗酒をのみながら、静かな至福の時をすごす 2024年4月29日録音


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ネットでの誹謗・中傷に動じない方法を解説したいい動画を見つけた

2024-04-29 22:14:34 | 心理
今日もギター練習三昧。
夜はライフワークとしている人間心理の研究に充てている。

今日、ネットでの誹謗・中傷に動じない方法を解説したいい動画をたまたま見つけたので、紹介させていただきたい。

数年前に、SNSに書き込まれた誹謗・中傷により自殺した方(女性のプロレスラーだったと思うが)がいたが、このような言葉による攻撃がいかに人間の心に深いダメージを与えるか、ということを強く知っておく必要がある。
「魂の殺人」という言葉を20代の頃に知って、身震いするほど衝撃を受けたことがあったが、自分の体験を振り返っても、言葉による攻撃というのは、ときに精神に破壊的な作用を及ぼすものであることは間違いないと思っている。

私自身、20代の半ば頃のうつ病を患っていた頃までは、このような言葉による暴力に対してなすすべがなかった。言われるままに自分を責め、自分を否定し、自分を追い込んでいった。
しかし、それが極限状態に達したとき、そして苦しいけど生きてみようと思ったとき、「人から言われ、それまで自分が正しいと信じて疑わず、すさまじい努力をしたことが180度間違っていたのではないのだろうか」という疑問を感じた。
そのことをおぼろげながらでも感じられたことが大きな転換点となった。

その気付きを後押ししたのが心理学の本だった。
当時はとくに、現、早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏の著作を読みまくった。この本だけが救いの手を差し伸べてくれているように感じた。
そして現在まで人間心理の研究を絶え間なく続けてきた。

下記動画で解説している高須氏の考え方に共鳴するところは多々ある。
以前、2チャンネルとか5チャンネルとか言われているサイトにたまたまたどりついたときに、ある特定の人のスレッドを立てて、口汚い言葉で悪口を言い合っているのを見たことがあった、そのサイトから充満してくるある種独特の臭気に耐えられなくなり、気分が悪くなったことがった。
物凄い強い、マイナスの感情エネルギーが狭い出口の無い部屋の中で、一杯に漂っているのである。

まず、このような部屋に平気でいられる人、このような口汚い言葉をで人を攻撃する人は実際はどんな人間か、ということを正しく認識したい。
このような人物は、間違いなく、100%例外なく、普段の日常生活で、上司などからいじめられたり、嫌みを言われても、言い返したり、反撃したりできずに怒りを心にため込まざるを得ない人であり、かといって、言われる自分が悪いと責めるうつ病体質とは根本的に異なり、鬱積した悪感情を、最も安全なターゲット、手段でもって吐き出すことでかろうじて精神のバランスを保とうとするずるくて卑怯な人間だということだ。
このような人間の正体が「魂の殺人」を行う人なのである。

このことが分かれば、誹謗、中傷を行う人に影響されることがなくなる。いくら言われても、痛くもかゆくもないと感じられるのではないだろうか。
もしそのような人から何か書き込まれれば、反撃するのもよし、無視して削除するなり、放置するなどして、相手にしないで切り捨てることである。
誹謗、中傷する人の目的は、相手が心にダメージを受けたことを確認したいのだから。


メンタルを強くする方法を教えます。
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YAMAHAのSYNCROOM(シンクルーム)使ってみた

2024-04-28 22:37:51 | ギター
今日は午後から東京マンドリンクラブの同じパートメンバーのOさんと、オンラインでアンサンブル練習をした。
Oさんとのオンラインでのアンサンブル練習は去年の9月から始めた。
去年の11月初めにパート内発表会があったので、それに向けて披露する曲の練習のために、zoomを使ったのがきっかだ。

今は仕事も事務所ではなく、全国どこにいてもオンラインで打合せやサーバーと接続した業務を実行できる。
だから在宅勤務を標準勤務形態にしている企業もあるくらいだ。
オンラインでの仕事にもメリットもあればデメリットもあるが、長い通勤時間や満員電車などでの疲労やストレスを考えると、若いうちはともかくとしても50歳を超えたくらいからは仕事の仕方として選択肢の一つとして採用してもいいと思う。
実際私はこの在宅勤務制度を利用させてもらっており、月の半分くらいは家で仕事をしている。

oさんとのオンラインでの練習はずっとzoomを使っていたが、テデスコの「プラテーロと私」のような朗読とギターの合わせものは問題なくお互いの音が聴こえるものの、フォーレのパヴァーヌop.50のように、リコーダーとギターとの重奏になると、とりわけギター側が相方のリコーダーの音がかなり遅れて聴こえてしまい、思う通りの練習にならない、という状態が続いていた。
zoomの設定でなんとか解消出来るかいろいろ試行錯誤してみたが、有効な設定方法は見つからず我慢していたが、さすがに毎回、ずれた状態では練習にならないので、zoomとは別の手段を探してみることにした。
そして見つけたのが、YAMAHAのSYNCROOM(シンクルーム)という無料のソフト。

https://syncroom.yamaha.com/



カメラを使って映像を表示できず、音声のみのソフトであるが、音のズレは完全に解消された。
録音、メトロノーム、情報共有などさまざまな機能があり、音楽演奏のオンラインでのセッションを行うには現状、最も使いやすく、楽しめるソフトだと思う。

ルームの入室方法で、最初理解できなかったところはあるが、ほどなく解決し、今日のアンサンブル練習で早速試してみた。
メンバーの入室やマイク、スピーカーの設定は簡単だ。
ただ、今日はoさんの側の音がマイク・ボリュームを上げてもらったり、こちら側のスピーカーのボリュームを目いっぱい上げても小さくしか聞こえなかったので、その原因を調べる必要がある。

今日、リコーダーとギターの2重奏で「グリーン・スリーブス」と朗読とギターの重奏でテデスコの「プラテーロと私よりプラテーロ」を練習したが、これからマンドリン合奏の練習が佳境に入っていくので、次回の練習は9月の演奏会が終わってから再開することになった。

今日、oさんの提案で、去年の発表会で弾いたフォーレのパヴァーヌで練習の最後で弾いたが、曲が進むにつれoさんとのリコーダーの呼吸と自分のギターの呼吸が一致するのを感じて、何か今まで経験したことのない共鳴、共振というものの片鱗を感じられたのは良かった。

アンサンブルって意外に楽しいな、と感じられた。
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アナトリー・ヴェデルニコフ演奏、セザール・フランク作曲「前奏曲、フーガと変奏曲」(ヴェデルニコフ版)を聴く

2024-04-28 21:40:10 | ピアノ
アナトリー・ヴェデルニコフ(1920-1993、旧ソ連)の名前を初めて聞いたのは今から15年くらい前だっただろうか。
その当時はピアノ曲と言えばガブリエル・フォーレの夜想曲や舟歌の聴き比べをさかんにやっていた。
正月休みに実家に帰省した際に、アコースティック・ギター弾きなのに、やたらクラシック音楽を数多く聴いている兄に「ピアニストで聴き応えあるのは誰か」と聞いたら、「ミェチスワフ・ホルショフスキーとアナトリー・ヴェデルニコフだ」という答えが返ってきた。

聞いたことも無い意外な名前だった。
正月休みを終え、早速、ミェチスワフ・ホルショフスキーとアナトリー・ヴェデルニコフの中古CDを買って聴いてみた。

アナトリー・ヴェデルニコフはピアノファンであれば多くの方が知っていると思うが、生まれは中国で、1936年にロシア(ソ連)に移住。モスクワ音楽院に入学し、ゲンリフ・ネイガウスに師事。直後、家族を粛清の波が襲い、父親は銃殺刑、母親は強制収容所送りとなってしまう。師であるネイガウスの計らいで何とか逮捕を免れるたが、自身の信念に忠実に行動したため体制に迎合せず当局に睨まれ、海外での演奏活動が制限された悲運のピアニストとされている(ウィキペディアより)。

抑制された表現の奥に、非常に高度な理論的裏付けと秘められた情熱を感じさせる。
今回記事に取り上げた、セザール・フランク作曲「前奏曲、フーガと変奏曲」を聴けば、そのことがおのずと分かるのではないか。
はっきり言って凄い演奏。音の芯が現代のピアニストと全く違う。この音に彼の不動の信念を感じる。

この「前奏曲、フーガと変奏曲」は元々、オルガン曲として作曲された。
私はこの曲のオリジナルのオルガン演奏を20年くらい前にマリー=クレール・アランの演奏で聴いたが、その時はあまり強い印象を持たなかった。
しかし、後でラザール・レヴィのピアノ演奏を聴いて初めてこの曲の素晴らしさを知った。

作曲者自身もこの曲をピアノに編曲したが、正直、ピアノの方がこの曲の真価を感じられるのではないかと思う。
この曲もフランク特有の循環形式による主題の再現がなされている。
フランクは生涯にわたって教会オルガニストを務めたと言われている。
そしてJ.S.バッハを研究した言われるとおり、その宗教的、禁欲的な作風に対位法の手法が効果的に用いられているのが分かる。

フランクをよく知る人は彼のことを「これ以上ないほど謙遜し、気取りなく、尊敬の情に溢れ、勤勉であった」、「彼は芸術の気品に対する、役割の高貴さに対する、そして音に対して語る際の熱い真摯さに対する絶え間ない配慮(を見せた)。(中略)歓喜と陰鬱、荘厳と神秘、力強さと天衣無縫さ。サント・クロチルド聖堂でのフランクはこれら全てを兼ね備えていた。」と評価していたという(ウィキペディアより)。

全くの推測であるが、フランクという人物は、その人生体験の過程で、あらゆるものの価値を偏ることなく認め、受け入れられるようになるまで精神性を高めた人なのではないかと思うのである。


Anatoly Vedernikov plays Franck "Prelude, Fugue & Variation"
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