緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

アルハンブラの想い出のハープ編曲版を聴く

2017-09-24 22:49:39 | ギター
Youtubeでアルハンブラの想い出のハープ編曲を見つけ、聴いてみた。



この曲で重要なのはやはり、歌が聴こえて来るテンポ、速度であることを改めて思い知らされる。
この曲を聴いて、「歌」を感じさせてくれる演奏はなかなかない。
速度が遅いと、トレモロの粒を正確に揃えることができるが、肝心の「歌」が聴こえてこない。
間延びしたような曲に聴こえる。

この曲を初めて聴いたのは、ギターを初めた頃の中学1年生の時の学校の下校の音楽で流れていた、ジェイ・ベルリナーの演奏。



彼の演奏の速度は理想だ。
このくらいの速度でないと「歌」が聴こえてこない。
あと今まで聴いた中で「歌」を感じた演奏は、会社の交通安全のビデオのBGMとして流れていたもの。
これがまた上手かった。速度が理想的で、トレモロの粒が揃っていて...。

このハープ版の演奏も「歌」を感じさせる。
何かと参考になる演奏だ。

今日、アルハンブラの想い出を録音してみた。(下のリンク参照)


「アルハンブラの想い出(20170924)」


今はこの速度が精いっぱい。
ベルリナーの速度まではもう少しのところだ。

トレモロの基本、p→a→m→iの均等の維持。これをゆっくり、形をくずさず徐々に理想の速度に近づけていきたい。


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ヨハンナ・マルツィ演奏 メンデルスゾーン作曲「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を聴く

2017-09-23 22:31:52 | バイオリン
ヨハンナ・マルツィ(Johanna Martzy 1924-1979、ハンガリー)の演奏に初めて出会ったのは、今年の正月前後だったと思う。
丁度、バッハのヴァイオリンソナタとパルティータの聴き比べをしていた時だ。
もとよりヴァイオリンはあまり好きな楽器ではなく、殆ど今まで聴くことはなかったが、彼女の音を聴いてかなり惹き込まれた。
そしてヴァイオリン演奏を聴く機会も徐々に増えてきた。

マルツィの演奏の何に惹き込まれるのか。何が心をとらえるのか。
彼女の音、そして演奏がとても清冽で、生気みなぎっているからだ。
これほど精神的エネルギーに満ち溢れたヴァイオリンの音、演奏に今まで出会ったことが無い。

バッハの組曲以外にこの感覚を直に味合うことが出来たのが、メンデルスゾーン作曲「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」の演奏だ。
マルツィのメンデルスゾーンの協奏曲の録音は3つあり、1954年のサヴァリッシュ指揮と翌年1955年のクレツキ指揮(共にEMI盤)のもの、そして1959年のクライ指揮のものであるが、私は1954年と1955年の演奏を聴いた。
優れているのは1955年のクレツキ指揮の方だ。

メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を初めて聴いたのは確か中学2年生の音楽の授業だったと思う。
その授業で音楽の先生がかけてくれたレコードを聴いた時のシーン、そのレコードから流れてきた演奏の断片的な旋律を今でもかなり思い出せる。
このヴァイオリンの名曲の難所を聴いて、当時ギターを始めたばかりでギターに熱狂していた私は、ヴァイオリンという楽器に対し、何か簡単に近づけない、ばくぜんとしてではあるが高貴なものを感じていたと思う。

就職して、しばらくして20代の後半だったと思うが、この曲をふと聴きたくなって、神田の古書祭りの時に、ムター演奏、カラヤン演奏のCDを買ったが、確か1回聴いて終わってしまったと思う。

今、こうしてマルツィの演奏を何度も繰り返し聴いていると、楽器の音って人間の感情そのものなんだな、思ってしまう。
そのくらいマルツィの音は精神的、感情的なものに満ちている。
聴いていると、心の底に眠っていたものが意識に上がってきて、力が出てくる。いろんな感情が湧き起ってくる。
こんな演奏をできるヴァイオリニストが何人いるのだろうか。

メンデルスゾーンの協奏曲は批評できるほど多くの演奏を聴いたわけではないが、この1955年盤の演奏は間違いなく素晴らしく、名盤に相応しいものあると確信している。
是非聴いて欲しいと願う。

これからしばらくメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の聴き比べが続きそうだ。
マルツィは短命であり、不遇の時代があったようだ。そのためあまり知られていないが、素晴らしい演奏家だ。
演奏家にも聴き手との相性があるが、マルツィの演奏解釈、音の表現、音楽に対する基本姿勢は私の求めるものに合致している。








【追記20170927】

ハラルド・エッゲブレヒト著、シュヴァルツァー節子訳「ヴァイオリンの巨匠たち」という本に、ヨハンナ・マルツィのことが書かれていた。
著作権に触れるかもしれないが、下記に抜粋を記す。

「ヨハンナ・マルツィのキャリアも、ファシズムと大戦によって痛手を受けたというえよう。彼女は1924年、当時はハンガリー、現在はルーマニアのティミショアラ生まれで、幼少のときからハンガリーのヴァイオリン教授の大御所イェネー・フバイのもとで学ぶ。いきいきとした気質を持ったこの奇才は、政治と私生活上の運命の巡り合わせで、前代未聞とも言うべきせっかくの才能にもかかわらず、何度もキャリアを足留めされてされてしまう。1979年に彼女がチューリッヒで亡くなった時は、すっかり忘れ去られていた。巨匠フバイの御墨付でキャリアを始めた彼女は、普通ならば世界的に有名になるはずだった。19歳でヴィレム・メンゲルベルク指揮、ブダペスト・フィルハーモニーとともにチャイコフスキーの協奏曲を演奏。そして、大戦。1944年、ナチ・ドイツがハンガリーを占領した際、彼女は最初の夫とスイスへ逃れ、1947年にジュネーブのコンクールで優勝。瞬く間に彼女の名はヨーロッパ中に広まり、1953年に英国で、1957年にはアンドレ・クリュイタンス指揮、ニューヨーク・フィルハーモニーの共演で米国にデビューする。翌年にカーネギー・ホールでメンデルスゾーンの協奏曲を、レナード・バーンスタインの指揮で演奏。しかし、アメリカでの成功も束の間、彼女の運命は、下り坂になる。
その2年前の1955年、エジンバラでチェコ・フィルハーモニーとヨハンナ・マルツィとの共演が予定されていた際に、スキャンダルが起きるのである。
大戦中、彼女がファシズムのホルティー政権を支持していたと指摘されるが、真相はまったくそうではなかった。彼女は断固たる反共産主義の立場をとり、けっして共産圏である東欧では演奏していない。この報道により、彼女のキャリアは非常な痛手を受けたと同時に、ハンガリーに残してきた母親の身の上が非常に心配された。
再婚し娘が生まれた1950年代の終わりに、彼女はコンサート活動を再開、1969年にブダペスト公演の際に肝炎にかかるまで成功を収めた。彼女は肝炎を抑えてまでも、希には舞台に立っていたが、1978年に夫が亡くなり、非常に大きなショックから立ち直ることもなく、翌年、癌で亡くなる。」


一昨日、彼女の弾くメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調の1959年のライブ録音を聴いたが、心理的不安定な感じを受けないでもなかった。
上記のスキャンダルの心理的影響が無意識に演奏に表れたのかもしれないが、それにしても不運な人生を辿った音楽家だ。
旧ソ連の偉大なピアニスト、マリヤ・グリンベルクやマリヤ・ユージナもそうであったように、非常に高い才能を持ちながら、恵まれた音楽人生を送ることの出来なかった演奏家もいた。
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アンドレス・セゴビア作曲「光なき練習曲」を聴く

2017-09-18 22:06:35 | ギター
セゴビアは自作を何曲か残したが、知られているのが「Estudio sin luz(光なき練習曲)」、「Remembranza(回想)」、「Oracion(祈り)」の3曲で、いずれも練習曲である。
他に「Neblina(ネブリーナ)」、「Estudio(練習曲)」という曲を聴いたことがある。

「Estudio sin luz(光なき練習曲)」を初めて聴いたのはエドゥアルド・フェルナンデスの若い時の録音で、就職で東京へ出てきて間もない頃だった。
20代半ばの頃は、私のこれまでの人生で最も苦しかった時期であり、この時期にこの「光なき練習曲」や武満徹編曲の「失われた恋」を何度も聴いていた。
「失われた恋」は佐藤紀雄氏のレーコードで聴いた(因みに佐藤紀雄氏の「武満徹編曲 ギターのための12の歌」は素晴らしい出来であり、今まで聴いたギターのアルバムでは上位に上げられるものだ)。
「光なき練習曲」も「失われた恋」もキーはロ短調だ。
セゴビアは1950年代前半に網膜剝離症を患い、失明の危機に直面したとのことだが、この時に作曲されたのが「光なき練習曲」だと言う。
晩年のセゴビアからは想像できない、暗く陰鬱な曲だ。



ロ短調というキーでまず思い浮かぶギター曲は、ソルの「月光」や原博の「挽歌」などだ。
このキーで感じるのは、重く、沈んだ、鬱屈とした先の見通せない苦しみや悲しみ、もっと進めると、ちょっと考えすぎかもしれないが「死」に誘いこまれるようなものを感じる。
イ短調やホ短調から受ける感じとはやはり違う。
もちろんすべてのロ短調の曲からこのような感じを受けるわけではないが、少なくても「光なき練習曲」や「失われた恋」を聴いていた時にはそのような感情に支配されていた。

「光なき練習曲」がどんな曲であるかは実際に聴くしかないが、セゴビア自身の録音(1958年)がある。
譜面の速度指定はモデラートであるが、セゴビアの演奏のテンポはかなり速い。
また中間部の次の部分は譜面どおりに弾いていない。
現代ギター1987年8月号にこの部分のセゴビアの改編の譜面が掲載されていた(田部井辰雄氏)。



主題の後の中間部と主題の繰り返しの前に不気味な、暗く陰鬱なフレーズが現れる。

冒頭の主題と中間部の暗く陰鬱なフレーズの部分、中間部を過ぎた後に現れる少し感情の起伏が激しくなる三連符の部分を弾いてみた。
久しぶりに弾くので速度も遅いし、もたついている感じもするがご容赦いただきたい。

①冒頭の主題

②中間部の陰鬱なフレーズ



③三連符の続く部分の最初

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新聞を読んで思うこと(6)

2017-09-17 00:14:38 | 時事
購読している新聞で、最近読んだ記事や読者の投稿から感ずることを書いてみたいと思った。
いくつかのテーマで記事にしたい。

1.女尊男卑

購読している新聞の読者投稿覧に「若い世代」というのがあり、小学生の子供から20代前半までの世代の投稿が紹介されている。
この「若い世代」を読むといつも辟易する。なぜならば、いい子ちゃん、優等生のきれいごとのオンパレードだからだ。
まだ小学生なのに、中高年が使う様な言葉を使って表現をする。先生や親に褒めてもらうがためのきれいごとを書く。
こんな投稿を読むとこの子供たちは将来どうなってしまうのだろう、と思ってしまう。
何故こんな新聞に投稿するのか? 普通はしないだろう。もっと外に出て思いっきり遊ぶ方が絶対いいし、その方が健全だ。
家にいて難しいことを考えるより、外の自然の豊かさに触れた方がいい。
なんかこのような子供たちは案外寂しいのではないかと思う。

しかしごく稀に子供らしい正直な意見を目にすることがある。
昨日だったかの記事で、「男が傷つく女尊男卑」というタイトルの中学3年生の投稿があり、面白く読ませてもらった。
この投稿によると、今の時代は行き過ぎた「女尊男卑」が横行していて、「〇〇ハラ」や「痴漢」への対策など本来女性を守るためにできたルールが、だんだんと男性を傷つけ、女性が得をするように変わってきている。だから女性を守るべき法律などは見直すべきだと言う。
これは正直な意見だと思う。
いい子ちゃんは女性の地位をもっと認め、高めるべきだとか、女性に優しい社会の在り方を議論すべきだとか言うだろうが、この投稿者は逆だ。
良くも悪くも、まずは自分の気持ちを正直に飾らず表現することが大切だ。
未熟だと思われはしないか、など気にしなくていい。
どっかからの借り物の意見ほど虚しいものはない。
表面的に紳士的、格調高いことを言っている人が、裏や影で悪事を行っていたり、悪態をついていることは多々あることで、人間は表面の言動だけで評価したり判断できるものではない。

「女尊男卑」という言葉を見て、まず思い浮かぶのは職場の産休育児休暇制度だ。
私が社会人となった30年前に男女雇用機会均等法という法律が施行され、女性の職場における待遇は差別がなくなり、著しく向上した。
30年前は女性が結婚すればまもなく退職するのが一般的であったが、今はそのような事例は皆無に近い。産休育児休暇制度が出来たからだ。
今から20年くらいまで女性が結婚し妊娠すると、この産休育児休暇制度を取得し、この休暇を全て消化した直後に退職するということが横行していた。
つまり復職する意思が無いのに、この休暇制度による金銭的メリットを享受するために利用されていたのだ。
さすがにこれは問題だと感じ、会社の人事担当に何かの機会の折にコメントしたことがあるが、それ以降、このようなケースは無くなった。
ひどいなと思ったのは、昔、勤め先がリストラで早期退職を募っていた頃、産休育児休暇中の女性がその早期退職制度による退職金割増を利用して辞めたことだった。もちろんはなから復職する意思などない。
これにはさすがにあきれた。
大卒で入社しても特に事務系は男と対等な気持ちで仕事をするような人は殆どいない。
結婚後産休育児休暇を取り、復職しても新入社員の時と同じレベルの仕事しかしようとしない。
さらに有給休暇などは全て消化する。
だけど収入は高い。スーパーのパートの5倍以上の収入は得ている。しかも楽で気楽な仕事で。
もちろん女性の中には出産後育児をしながらも男と同等の働きをしている人もごく少数であるがいる。
そして管理職や幹部を目指して頑張っておられる方もいる。
そのような女性は本当に尊敬に値する。
しかし育児と両立させるため、仕事のレベルやボリュームが上がらない、逆に落ちるのであれば、もっと給料を下げるべきなのだ。パートや契約社員と同レベルでいい。
現実にはその程度しか仕事をしていないのだから。
その分、サービス残業をしている時間外手当の一切出ない管理職に回した方が、よっぽど士気が上がる。
「女尊男卑」という言葉をワープロで変換しようとすると、「女尊」は変換されたが「男卑」は返還されなかった。
男はどんな不公平、不利益な状況にあっても、不平不満を言わず、顔に出すものではない、ということを暗黙に美徳としているように感じる。
私は長い間殆ど仕事を休んでいないし、時間外勤務もたくさんしているが、男が女よりも不利益な待遇、処遇を現実にされている事実は多々あるし、それを美徳とやらで我慢するのは偽善的だと思う。

2.ハイビーム

職場まで車通勤しているが、この1年くらい夜間の対向車がヘッドライトをハイビーム(上向き照射)にしているのをかなり頻繁に目にするようになった。
今日の新聞の読者投稿覧で「ハイビーム 歩行者もまぶしい」と題する投稿を読んだ。
この投稿によると、警察が車のヘッドライトを原則的にハイビームにすることを強く推奨するようになったという。
そういえば昨年の新聞でそんな記事が載っていたのを思い出した。
理由は、ヘッドライトをロービームにすると、前を歩いていたり自転車に乗っている人に気付くのが遅れ、取り返しのつかない事故につながるからというものだったと思う。
投稿によると、ロービームは交通量の多い場所で使用する、と限定的な扱いだ。
この投稿者は「歩行時にハイビームを当てられると、まぶしくて路面や周囲が見えず危ない。仕方なく手で光を遮っていた時、横道から走って来た自転車に気付くのが遅れてぶつかりそうになった経験もある」と言っている。
私も同じ経験があり、会社の駐車場までの往来の少ない通りを歩く時に時々ハイビームを当てられ、その光がまぶしくて、運転者に気付いてもらうために顔の上部に手を当てて歩くことにしている。
往来の少ない住宅地の通りは大抵30~40km制限であり、街灯もあるのでハイビームなど必要ない。ロービームで十分な明るさが得られる。
30~40km制限の通りでハイビームが仮に必要だとしたら、80km超の速度で走行する時だけであろう。
制限速度並で走行するのであればハイビームなど必要ない。
まして最近の車のヘッドライトは過剰なほど明るい光を出すものが殆どであり、私の車のようにオレンジに近い優しい光を出す車は少数派となった。
街灯の一切無い山道でもハイビームは危険であろう。
ハイビームを当てられた対向車が視覚を遮られて崖から転落する危険も考えられる。
ハイビームを頻繁に使用する人の中には、対向車が来てもロービームにしない人もいる。
大抵はハイビームにしていることを忘れている。また対向車には気を使っても歩行者には全く注意を払わずハイビームのままにする人もいる。
ロービームによる事故が多くなったのは、ロービームが原因ではなく、スピードの出し過ぎである。あるいはスマホなどによるわき見運転であろう。
ハイービームによる運転はむしろ事故を増発させる。

あと車を運転していて気になるのは、ゆるやかなカーブで対向車が来ているにもかかわらず、センターラインをはみ出してくる車が多いことだ。
ゆるやかなカーブでセンターラインを超えて走行する理由はもちろん、スピードを落とさずに、なるべく直線走行したいからだ。
このような車は、対向車が来てもセンターラインの内側に入ろうとしない。
対向車が避けてくれるのが当たり前だと思っているようだ。
これも危険な走行のひとつだ。

3.政治家への不平不満

投稿記事で最も多いのは、主に年配者による政治家批判である。
最も多いのは安倍首相や失言した大臣やスキャンダルを起こした議員に対するものだ。
ここぞとばかりに、あなたはけしからん、こうあるべきだと、居丈高な表現で責め立てる。
今や安倍首相は最も安全な怒りの矛先であろう。
このような投稿者は北朝鮮やテロの首謀者には決して怒りを表現しない。
数か月前だったか、加計問題だったかで国会の機能が停滞しているのを見かねて、女子高校生がこんなスキャンダルの解明に国会での貴重な時間を費やすよりも、貧困対策など他にもっと重要なことがあり、そのようなことに政治家は対応すべきだ、と投稿したら、しばらくして年長者が、それは間違っていると、たしなめるような意見の投稿をしてきたのを読んだ。
これはいささか残念なことだ。私はこの女子高校生の気持ちの方が率直で本物だと思う。
今の日本は国の借金が1000兆円を越えており、世界トップの借金大国である。
この財政危機をこれからどうやって乗り切っていくのか。
近い将来、財政が破たんするリスクは非常に大きい。
これは多くの経済アナリストが警告していることでもある。
アベノニクスの第3の矢の施策も立ち遅れている。
日本の将来を中長期的に考えて、政府や政治家に働きかけていく必要があるのではないか。
例えば具体的には高校や大学の授業料無償化よりも、もっと将来の技術大国を目指した、研究開発のための支出増や、シルバー世代を活用した若者への技能の提供、教育に力を入れた方がよっぽどいい。
授業料無償化は短期的に家計を助けても、長期的にみれば国力の弱体化につながる。

政治家の失言にこれでもかというくらい過剰な批判を書く裏には、その人の日常の癒し難い持続的な怒りや不満が透けて見える。
投稿はその感情の放出弁の役割をしていることになる。国の首相に一段上から物を言う自分に価値を感じることが目的であることに案外気付いていないのかもしれない。
もちろん誰にだって、私にだって、理不尽なことに対する怒りを感じたり、或る程度の虚栄心はあるものであるが、過剰な批判的なものの言い方をする人には自分の心の解決が真の動機になっていると感じられることがある。
デモなどの抗議活動もその何割かは、抗議内容の実現よりも自分の心の問題解決を隠れた動機にしていると感じるものがある。

4.孤独死

今日の夕刊に、孤独死した人の部屋のミニュチュア(模型)を再現した人の紹介記事が載っていた。
ゴミに埋もれ、浴槽で亡くなったために赤いお湯があふれた浴槽のミニチュア、布団が体液で黒く染まった和室など。
かなり不気味であるが、この記事で思い出したのは、以前住んでいた公団で斜め下の階に住んでいた中年男性が孤独死したことだった。
夜仕事が終わり帰宅する際に、公団の階段を上っていくと卵の腐ったような異臭がするのに気付いた。
季節は2月ごろの真冬だった思う。
その異臭は数日後しなくなったが、その異臭がした部屋の窓が真冬なのにも関わらず全開しているのを不思議に思った。
その後、その部屋の住人が孤独死したことが分かった。
その時、この住人の死因がその部屋のすぐ上の階の住人に原因があるとすぐに思いついた。
この出来事が起こる半年くらい前に、この亡くなった住人のすぐ上の階、すなわち私の部屋の向かいの部屋にインド人のような外国人が住み始めた。
このインド人が引っ越してきてからまもなく、夜中の1時なのに掃除機をかけて床を思いっきりこすったり、小さな子供を部屋に連れてきて、夜中に思いっきり走り回らせたりして、大きな騒音が聴こえてきた。
何と非常識な住人だと思ったが、このような非常識な行動の目的が推測ではあるが、下の亡くなった住人に対するものであったと直感した。
なぜならば下の住人が亡くなってから、向かいのインド人の部屋から騒音がしなくなったからだ。
亡くなった住人が、このインド人が入る前の住人に以前、それはかなり前のことだったが、騒音の苦情を言っているのを聞いたことがあった。
恐らくではあるが、インド人に対し前の住人に対するのと同じように苦情を言いに行ったのであろう。
それに腹を立てたインド人が真夜中に壮絶とも言える騒音を床に対してたてていたと考えられる。
そしてこの常軌を逸した騒音に耐え切れず、心臓麻痺か何かで亡くなったのだと思う。
これが真実ならば、いや恐らく限りなく真実に近いと思うが、殺人と言ってもいいであろう。

私もその公団に住んでいた時、帰宅直後に下の住人から水が漏れていると言われて、天井を見たら水の跡がついており、その下の床を見たら水びだしになっていたので洗濯機からの水漏れに違いないと思い、すぐに上の階の住人に確認しに行ったら、そんなことはしていないと言う。
しかしどう考えても私自身はその日不在だったわけだし、天井から水が漏れている形跡がある以上、上の住人の水漏れであることは疑いの余地は無かった。
この直後、上の住人から床に大きな騒音をたてられた。
恐らく腹いせでやったのであろう。
人間の普段表に見せない悪を見せつけられた思いだ。

先の孤独死した住人は、私の車と色違いの同じ軽の四輪駆動車、2サイクルエンジン搭載の車に乗っていて、その車を大事にしていた。
私の車を見て関心を抱いているようだったが、物静かなおとなしい方だった。
いつも一人で寂しそうな方だった。
しかし部屋はゴミ屋敷ではなく、とても綺麗にしていたのをドアのすきまから見えていたのが思い出される。
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中田喜直作曲「小さい秋みつけた」を聴く

2017-09-10 21:14:07 | 歌曲
この1週間余り、中田喜直作曲、サトウハチロー作詞の「小さい秋みつけた」を聴き続けていた。
7、80回くらいは聴いただろうか。

季節は夏が終わり秋に入ろうとしている。北海道など北国はもう秋の気配がしているに違いない。
私の住んでいる所は、夜になると秋の虫の鳴き声が盛んに聞こえてくる。
文学や芸術などの分野で「不朽の名作」という評価を目にすることがあるが、この「小さい秋みつけた」はこの言葉に最もふさわしいものだと思う。
曲と詩の相性、ピアノ伴奏と歌との相性などは言うまでもなく、最も素晴らしいのは、日本人の心に深く染み入る旋律である。
しかし現代の日本では、もはやこのような素朴で日本人の感性を刺激する曲は生れることはなくなった。
この「小さい秋みつけた」は1955年の作曲である。

この曲を好きになったのは中学1年生のときだ。
たぶんNHKの「みんなのうた」という番組で流れていたのだと思う。
合唱大会でこの曲を歌いたいとクラスのみんなに提案した。
この曲のピアノ伴奏をしたくて、全くピアノなど弾けないのに姉に教えてもらって弾こうと無謀なことをした思い出がある。
ギターを弾くようになる半年ほど前のことだった。

30代半ばで何故かこの曲を無性に聴きたくなり、CDを探した。
鮫島有美子や伊藤京子のCDを手に入れて何度も聴いた。





歌詞を聴くうちに、第二番目の「お部屋は北向き くもりのガラス」、「うつろな目の色 とかしたミルク」という箇所が気になった。
調べてみたが、北向きの部屋、くもりガラスのある部屋はその昔、結核などの病人にあてがわれた部屋であり、この詩の主人公である「誰かさん」は病室から外を見ようとくもりガラスに映った自分の虚ろな目を見たということになろうか。
「とかしたミルク」とはこの「うつろな目の色」の比喩なのであろうか。

あれこれ頭の中で詩の解釈をするより、まずはこの素朴で美しい曲や詩をシャワーのように浴び続ける方がいい。
理屈抜きに、この曲や詩から伝わってくるものに心をまかせた方がいいに決まっている。

この曲のベスト盤を探しているが、意外にも音源は少ない。
オリジナルのピアノ伴奏付で女声のものはごくわずかである。
よく知られているのがボニー・ジャックスのものであるが、私はピアノ伴奏付で女声にこだわる。
今まで鮫島有美子や伊藤京子の録音、とくに伊藤京子の演奏に親しんできた。
最近、稲村なおこの演奏(といっても他奏者とのごく一部分)をYoutubeで聴いて、いいなと思って彼女のCDを買って聴いた。



今日、土居裕子の演奏に出会ったが、伴奏が良くない。テンポも速すぎ。しかし土居裕子の歌声は一番この曲に合っていると思った。
大人の女性の母性を感じさせる歌声。
張りのある、艶やかな音色である。とても強い生命力を感じる。
この音源は日本コロンビアの「ほわほわおんがく」というCDで聴けるが、ニコニコ動画でも聴ける。



この曲の伴奏はオリジナルのピアノ伴奏が最もいい。
このピアノ伴奏はとても優れていると思う。
とくに2番目と3番目の間に挿入されるフォルテの間奏が素晴らしい。



この「小さい秋みつけた」は日本が世界に誇れる数少ない曲のひとつだ。
きっと外国の人が聴いても静かな感動を覚えるに違いない。
「小さい秋みつけた」のような素朴で、聴きものの心に深く入ってくる音楽を、子供のころからたくさん聴く必要があると思う。
子供の頃にグリムやアンデルセンなどの童話を読んだように。

この「小さい秋みつけた」を聴いて何も感じなかったとしたら、心はかなり麻痺しているのではないか。
競争社会を勝ち抜き、巨万の富を築き、飽食の日々を送っても、このような素朴なものに感じるものが何もなければ、生きている実感は何も感じられないに違いない。
味噌汁一杯の味に安堵と安らぎを感じ、秋の虫の鳴き声に静かに耳を傾けている方がいい。


ちいさい秋みつけた 作詞:サトウハチロー

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ
すましたお耳に かすかにしみた
よんでる口ぶえ もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
おへやは北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた
むかしの むかしの 風見の鳥の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉赤くて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋 みつけた

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