緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

グラナドス作曲 スペイン舞曲第10番を聴く

2013-08-31 22:59:59 | ピアノ
今日は大変暑い1日でした。
クラシックギターを弾く人は必ずといっていいほど弾いたり聴いたりする曲の一つとして、スペインのピアニスト兼作曲家のエンリケ・グラナドス(1867~1916)が作曲したスペイン舞曲があります。
このスペイン舞曲はオリジナルはピアノ曲であり、12の曲からなるのですが、ギターでは第5番「アンダルーサ」と第10番「ダンサ・トリステ(悲しい舞曲)」が知られており、スペインのギタリストであったミゲル・リョベートのギターへの編曲が知られています。
今日紹介するのはこのうち第10番なのですが、悲しい舞曲と名づけられているにもかかわらず、曲想は明るく舞曲らしい躍動感を感じるものです。
この1週間で手持ちのCDでこの曲の聴き比べをしてみました。



まずはオリジナルのピアノ演奏で、スペインのピアニストでアリシア・デ・ラローチャの録音です。
ラローチャはグラナドスの高弟や、グラナドスに直接習ったと言われている母親にピアノの手ほどきを受けたこともあり、グラナドスや同時代のアルベニスなどのスペインもののピアノ曲の演奏では第一人者との評価を受けています。
ラローチャは12のスペイン舞曲集を私が知る限りでは3回録音しています。
私が始めて彼女の演奏を聴いたのが20代半ばの頃で、姉の家に遊びに行ったときに姉が当時持っていたラローチャのレコードを聴かせてくれたときです。
全部は聴きませんでしたが第5番は聴いたと思います。そしてラローチャの弾くスペイン舞曲集のCDが欲しくなり探して買ったのがラローチャが30代初め(1954年)に録音したものでした。



この録音は姉の家で聴いたものとは違っていて、録音が古くノイズも多かったため、がっかりした記憶があります。私が20代後半だった時だと思います。
今日久しぶりにこのCDを聴きましたが、ラローチャが若いときのエネルギーに満ち溢れた演奏であり、第10番に関しては彼女の3度の録音の中では最も聴き応えがあります。
ラローチャの演奏は、このスペイン舞曲にしても詩的ワルツ集にしても年老いた時の演奏よりも若いときの演奏の方が力強く、魅力を感じます。
2番目の録音は1982年、ラローチャが60歳手前の円熟期に演奏されたものですが、楽譜に忠実な模範的な演奏です。姉の家で聴いたのがこの録音です。



ただ私には1954年の録音に比べると洗練された印象を受けるもののやや物足りなさを感じます。もっと生き生きとしたエネルギーや躍動感が欲しい。
ラローチャの3番目の録音が1994年にアメリカで録音されたものですが、70歳を過ぎたこともあり、音に力が無く、彼女の本領が失われた演奏です。



次にこの曲のギター編曲の演奏ですが、最も聴き応えのあるのがアンドレス・セゴビアの最盛期の録音です(1958年)。



この録音を初めて聴いたのが高校2年生の時でしたが、とにかく音や演奏の流れに強いエネルギーを感じる素晴らしいものでした。この第10番と合わせてレコードに入っていたマハ・デ・ゴヤと共に毎日何度も聴いたものです。
初めて聴いてからもう30年以上経過していますが、細部にわたりセゴビアの演奏は記憶に残っています。そのくらいインパクトのある演奏です。
次に聴いたのが大学生の時にラジオから録音した、スペインのギタリスト、ホセ・ルイス・ゴンザレスのものです。



ホセ・ルイス・ゴンザレスを初めて聴いたのが高校3年生の時で、FMラジオから録音したものでしたが、バリオスの郷愁のショーロや前奏曲ハ短調、サーインス・デ・ラ・マーサのアンダルーサなどの演奏に衝撃を受け、毎日何度も聴いていました。
このスペイン舞曲第10番の録音も彼の最盛期の演奏であり、ギターでこれほどの音が出せるのかというほど、独特の鋭くかつ力強く美しくエネルギーに満ちた音を聴かせてくれます。
弦高の非常に高いと思われるホセ・ラミレスのギターを使用しており、音のビリ付きも多いがそれが全く気にならないのが不思議だ。
次にしばらくたってから聴いたのが、キューバ生まれでアメリカを本拠地として活動しているマヌエル・バルエコの録音(1991年)。
聴いた印象は、生気が失われ、エネルギーや躍動感が全く感じられない。
音に力が無く、聴いていて心に何も届いてこない。
バルエコが1980年代に録音したヴィラ・ロボスのブラジル民謡組曲の演奏もそうであったが、音に感情エネルギーが無く、聴いた後、何かしらけたような無感動を感じる。
バルエコは高い安定した技巧で、コンサートでもミスの少ない演奏で評価されてきたと思うが、音楽的には魅力を感じない。
次に最近聴いたのが、ロシアのピアニスト、マリヤ・グリンベルクの演奏で、1959年、彼女が51歳の時の最盛期に録音されたものです。



最初、音が小さく静かに始まりますが、次第にクレッシェンドしていき、転調する箇所で力強い演奏に転じ、それから何度かの強弱が繰り返され、中間部のカンタービレからアンダンテを経て、最初の主題に戻るまでの部分は物凄い演奏です。こんな演奏聴いたことがありません。最初の静かな始まりがこのクライマックスのためにあるのだと感じさせられる。





技巧も凄いが、それよりもグリンベルク独特の音の力強さ、エネルギー、音が強くても、演奏速度が速くても、決して音楽性、芸術性を失わず、持続させたまま弾き切るのを聴くと、感動以上のものを感じずにはいられない。
グラナドスのこの曲をこのような解釈で演奏するのは、彼女が多くの作曲家の曲を研究し、長い期間にわたり演奏会や録音で弾いてきたからに違いないと思います。
グリンベルクの演奏はどの曲に対してもとても真剣であり誠実さを感じます。
なお、ラローチャの演奏は殆ど楽譜に忠実ですが、最後の部分で楽譜には無い音を追加しており、グリンベルクやセゴビアは数小節省略して弾いていることも興味深い。
またピアノとギターで強弱のつけ方に違いがみられるのも面白く、楽器の特性の違いにより、演奏者がベストな表現を採用していることがわかります。
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ベートーヴェン ピアノソナタ第14番 月光を聴く(4)

2013-08-24 21:43:20 | ピアノ
こんにちは。
まだまだ暑い日が続きますが、何となく夏の終わりが近づいているように感じます。
前回に引き続きピアノの話題ですが、ベートーヴェンのピアノソナタの中で最も有名なのは第14番「月光」ですね。ピアノ曲全体だけではなくクラシック曲全体においても最も多くの人に人気のある曲の一つで、特に第1楽章はピアノ以外の楽器にも多く編曲されています。
ギターではフラシスコ・タレガの編曲が知られています。
いずれこの第14番のベストの名盤を紹介しようと思うのですが、意外に自分がこれだ!、というような名演が少ないですね。
またこの曲は多くのピアニストが録音していますが、聴いて受ける印象は本当に様々です。それだけに人によって感じ方が違うことに少なからず驚きます。
今日は2人の演奏家の録音を紹介します。
1人目はアリーヌ・ヴァン・バレンツェン(1897~1981)という女流ピアニストです。



日本では殆ど知られていませんが、アメリカに生まれ、後にフランスに渡りパリ音楽院の教授となった他、多くの国際コンクールの審査員を務めたという実力者です。
弟子にはフォーレ弾きとして有名なフランスのジャン・フィリップ・コラールがいます。
ギター曲でも有名なヴィラ・ロボスの曲の初演などを行い、ブラジル政府からヴィラ・ロボス・ゴールドメダルを授与されたそうだ。
バレンツェンのヴィラ・ロボスのピアノ曲の録音としては、ショーロス第5番"Alma Brasileria"があります。1958年の録音で、実際にCDで聴きましたが、力強く和音を響かせる力を持った演奏家だと思いました。最後の独特の和音は意表を衝かれます。
さてバレンツェンがベートーヴェンのピアノソナタ第14番を録音したのが1947年で、上記のCDはSPレコードからの復刻です。
第1楽章のテンポはやや速めです。この第1楽章のテンポは奏者により実に様々です。
あまり遅すぎると間延びしたような感じを受け、曲のイメージを捉えにくくなるし、また速すぎるとこの曲の持つ静かな夜の時を刻むリズムを感じることができなくなります。
また曲の中盤にさしかかる頃に現れる下記の部分は、これも奏者により解釈が異なることに興味を惹かれます。



楽譜の指示では上昇音階も下降音階も常にPであり、上昇部をクレッシェンド、下降部をデクレッシェンドする記載は見当たりません。
しかしグルダやギレリスを始め多くの奏者はこの部分をクレッシェンド→デクレッシェンドで弾いています。バレンツェンもこのように弾いています。
恐らく第1楽章終盤に現れる下記の部分と同様なフレーズであり、この部分の楽譜の指示が上昇部をクレッシェンド、下降部をデクレッシェンドとしているためこのように解釈しているためであると考えられます。



これに対し譜面通り常にP(ピアノ)を維持して弾いている奏者は、ソロモン・カットナー、ゲザ・アンダ、アニー・フィッシャーなどです。
私は第1楽章のこの部分の解釈は非常に重要だと感じています。
この部分のクレッシェンド→デクレッシェンドを強くし過ぎると、ベートーヴェンがこの曲を作曲した時に感じていたであろうイメージ、(恐らく漆黒の夜の静けさであろうが)を損なってしまうと思います。
私はこの部分は常に静かに弾くのがより作曲者の心情を表現できるのではないか感じています。
第3楽章のバレンツェンの弾く速度は非常に速いのですが、何故か速くてびっくりするという感じがしません。
これはちょっと不思議な感じなのですが、超絶技巧のみを極めると普通、曲の構成力が
失われ、演奏される曲がとても軽く聴こえることが多いのですが、彼女の演奏の場合は一部の箇所を除いてそのような印象はありません。
それは彼女の演奏する音に力があり、音楽的であるからに間違いありません。
私は超絶技巧を要する部分を必要以上に速く弾く演奏を聴くと、ある種の胸の痛みを感じることがあります。それは超絶技巧で速く弾くことで曲を破壊しているからなのかもしれません。
多くの聴衆は超絶技巧に酔いしれる傾向があります。若い人ほどそうだと思います。
コンサートで演奏者が超絶技巧を成し遂げた時、割れんばかりの拍手が起きます。
だから奏者もこのような聴き手の反応に酔いしれ、無意識のうちに技巧を要する難しい部分を必要以上に速く弾くようになるのだと思います。
ただ音楽性を伴っていない超絶技巧や、曲(作曲者の心情)が求める速度をはるかに超えた演奏は、聴いた瞬間、曲芸的な驚きと感心を得られるものの、長く何度も聴くものにはなり得ないと思います。
ただバレンツェンが弾く第3楽章で残念に感じたのは、クライマックスの上昇半音階の前後を非常に早い速度で弾いている部分です。ここまで速く弾く必要はないと思います。
もしこの部分をもう少し速度を落としてじっくりと表現していたら超名演にふさわしいものになっていたと思います。最後の和音もあっけない。

次に2人目の演奏者ですが、ゲンリヒ・ネイガウス(1988~1964)というロシアのピアニストであり、リヒテルやベデルニコフ、ギレリスなどを育てた偉大な教育者だった人です。
あの有名なスタニスラフ・ブーニンの祖父でもあります。



ネイガウスは右手を故障していたため、録音を聴くと指が上手く動かないと感じることがあります。しかし指がもつれても音楽がこわれないのが不思議だし、凄いと思う。
録音年が記載されていないが、恐らく1940代後半と思われます。
しかし音が素晴らしい。音に何とも言えない力を感じます。音が生き生きとしていて、音に感情を感じます。それはこのCDに録音されているベートーヴェンのピアノソナタの第24番や30番を聴けばより一層分かります。
第14番では第3楽章が素晴らしいです。速度はやや遅めですが、遅いとも感じません。
音の層が厚く、曲の構成力が深い。それに音の響きが実に素晴らしい(特に第30番の第3楽章)。ピアノという楽器のもつ音の魅力を存分に伝えてくれます。
音楽は技巧だけではないことを教えてくれるような演奏だ。
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イエペスのライブ録音を聴く

2013-08-16 23:21:18 | ギター
こんにちは。
就職して数年経ったある日、イエペスが弾くアランフェス協奏曲で知らない指揮者によるCDを見つけました。



今や巨匠として知られるリッカルド・ムーティ(1941~)が27歳の時、1968年にイタリアのミラノで演奏した時のライブ録音です。
今日約20年ぶりに聴きました。
イエペスも10弦ギターに持ち替えてドイツ・グラモフォンと専属契約をして間もない頃で、精力的な演奏活動を始めた頃だと思います。
イエペスはこのライブ演奏でホセ・ラミレスⅢ世製作の10弦ギターを使用していますが、独特の湿った詰まったような音を出しています。
しかしイエペスほど原曲を変更して演奏した人はいないのでは。
作曲者ロドリーゴがそざかし苦々しく思ったのではないかというくらい変更していますね。この時代はそれが許されたのだろうし、その変更された演奏がイエペスの持ち味でもあった。
イエペスの音にしても演奏スタイルにしても今聴いてみると個性的すぎます。一度聴いたらずっと忘れられないような演奏ですね。私はイエペスの音は好きなほうです。
イエペスはこの後、オドン・アロンソ、ガルシア・ナバロといった指揮者と共演し録音しましたが、オーケストラに関して言えばこのムーティの演奏が群を抜いて素晴らしい。
特に第2楽章の演奏は惹きつけられるものがあります。
オーケストラの指揮者が専門外のギター協奏曲を振るときには、ろくに練習もせずに即席の演奏することがよくあったが、このムーティは非常にまじめに曲に取り組んだ形跡がうかがわれるレベルの高いものだと思います。
さすが将来巨匠になるような人は、どんな曲にも誠意を尽くすものだいうことがわかるような1枚。
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ベートーヴェン ピアノソナタの名盤(1) 第32番

2013-08-15 22:43:22 | ピアノ
こんにちは。
今日はとても暑い1日でしたが、夜になると秋の虫の声が聞こえてくるようになりました。
今年になって始めたベートーヴェンのピアノソナタの鑑賞もたくさんの演奏家の録音を聴き比べすることにより、多くのことを学ぶことができました。
ピアノに限らずクラシックの曲はどんな曲でも演奏家によって驚くほど違いがあります。
ある演奏家の演奏を聴いて1回しか聴かずに通り過ぎてしまった曲でも、後日偶然、別の演奏家の演奏を聴いて大いに感動し、生涯聴き続けることになったなんてことも十分ありえます。
とくにこのベートーヴェンのピアノソナタはこの曲を弾くピアニストが多数いるため、同じ曲でも聴いて受ける印象は本当に様々です。そこがクラシック曲を鑑賞する楽しみでもありますが。
私はベートーヴェンのピアノソナタを全曲聴いて、全32曲のなかでの最高傑作は第32番だと思っています。



有名なのは第14番の「月光」、第8番「悲愴」、第23番「熱情」といったいわゆる3大ソナタですが、曲の構成力、精神性の高さ、深さ、聴き手を惹き付ける力、技巧の困難性など全ての面で最高の曲はこの第32番だと思います。
この曲はピアノが好きな人だけでなく、クラシック愛好家やジャズやロック等他のジャンルが好きな人にも是非聴いておいて欲しい曲です。
人により好みはありますが、この曲を聴いて必ず得るものはあると思います。これは文学で言えば不朽の名作を読むに等しいものだと思います。
この曲はベートーヴェンの晩年に作曲されたのですが、彼の人生の縮図が感じ取れます。
第1楽章はどうすることも出来ない苦悩と叫び、激しい葛藤、そして時折安堵感を感じるも一瞬にして消え去り、苦悩とそれに対する闘いが終始続きます。
これはベートーヴェンの若い頃や壮年期の心情を表現していると思います。
それに対して第2楽章は、テンポがゆっくりとした穏やかな曲想となるが、穏やかな気持ちを表す部分と過去の苦悩を回想するかのような感傷的な部分とが交互に何度も繰り返されます。これはベートーヴェンがまさに苦悩を乗り越えた境地を表現していると思います。
そしてアリエッタ第三変奏でこれまでの人生で味わった、あるいは味わいたかったであろうこれ以上ないというほどの強い歓喜を表現しています。
そして最後に自分のこれまでの人生を強く肯定するかのような激しい盛り上がりを経て、極めて美しい、天上から降り注ぐ光の粒子を浴びるかのようなトリルが現れ、消え入るような穏やかな和音で終結します。
私の最も好きなピアノ曲である、ガブリエル・フォーレの13の夜想曲もフォーレの人生の縮図を感じますが、フォーレの最後の第13番はこのベートーヴェンのソナタ第32番と対照的なのも興味を惹かれる。
フォーレもベートーヴェンもピアノ1台で自らの人生で味わった全ての感情を表現しているのは驚嘆に値すると思います。
さて、このベートーヴェンのピアノソナタ第32番ですが、実に多くの録音があります。
私が今まで聴いた録音を下記にあげておきます(概ね聴いた順)。

①ソロモン・カットナー(1951年、スタジオ録音)
②クララ・ハスキル(1953年、ライブ録音)
③アルトゥール・シュナーベル(1932年、スタジオ録音)
④アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1990年、ライブ録音)
⑤アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1988年、ライブ録音)
⑥アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1965年、スタジオ録音)
⑦アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1961年、ライブ録音)
⑧スバヤトスラフ・リヒテル(1975年、ライブ録音)
⑨スバヤトスラフ・リヒテル(1963年、ライブ録音)
⑩アナトリー・ベデルニコフ(1974年、スタジオ録音)
⑪グレン・グールド(1956年、スタジオ録音)
⑫ヴィルヘルム・バックハウス(1961年、スタジオ録音)
⑬ヴィルヘルム・バックハウス(1954年、ライブ録音)
⑭ヴィルヘルム・ケンプ(1951~56年、スタジオ録音)
⑮ヴィルヘルム・ケンプ(1964年、スタジオ録音)
⑯マウリツィオ・ポリーニ(1976年、スタジオ録音)
⑰イヴォンヌ・ルフェビュール(1961年、ライブ録音)
⑱ミエチスラフ・ホルショフスキー(1951年、スタジオ録音)
⑲イーヴ・ナット(1954年、スタジオ録音)
⑳マリヤ・グリンベルグ(1961年、スタジオ録音)
21マリヤ・グリンベルグ(1966年、スタジオ録音)
22ルドルフ・ゼルキン(1967年、スタジオ録音)
23クリストフ・エッシェンバッハ(1978年、スタジオ録音)
24エリー・ナイ(1936年、ライブ録音)
25ディーター・ツェヒリン(1970年、スタジオ録音)
26フリードリヒ・グルダ(1968年、スタジオ録音)
27エリック・ハイドシェク(1967~1973年、スタジオ録音)
28アニー・フィッシャー(1977~78年、スタジオ録音)
29エドウィン・フィッシャー(1954年、ライブ録音)
30タチアナ・ニコラーエワ(1984年、ライブ録音)
31ジョン・リル(録音年不明、スタジオ録音)
32マリヤ・ユージナ(1958年、ステレオ録音)

全てCDで聴いたものです(youtubeではありません)。随分と聴いたものですが、この曲の最高の演奏を得る為にはここまで聴く必要がありました。
初めて聴いたのは①のソロモンのスタジオ録音ですが、数回聴いても大きな感動は得られませんでした。もしこの曲をこのソロモンの演奏で聴くのを止めてしまったいたら、恐らく一生この曲の素晴らしさに気づくことなく終わっていただろうと思います。
この曲の本当の素晴らしさに気づかせてくれたのが、④のミケランジェリの1990年のライブ録音です。
しかしこのライブ録音はミケランジェリが最晩年の時の演奏であり、かなりパワーが落ちていたのは事実です。しかし素晴らしい演奏だったので、もっと彼の若い頃の演奏があるのではないかと探して聴いたのが⑤の1988年のライブ録音でした。彼が68歳の時ですね。



このライブ録音を聴いて衝撃を受けました。全身全霊をもって弾くミケランジェリの演奏と、ベートーヴェンの心情が一体となった極めて稀にみる超名演だと思いました。
この曲をミケランジェリは過去に何度も演奏会で演奏しており、他の誰よりもこの曲に惹かれ、多大な時間をかけて到達したものであることが分かります。
同じ頃に聴いた⑥のスタジオ録音(1965年)も素晴らしく、中古CDショップへ行くとこの録音はCDでもLPでも見かけます。ガルッピのソナタとスカルラッティのソナタと合わせて録音されたものですね。ミケランジェリが好きな方であれば当然聴いていると思いますが。



しばらくこの第32番のソナタの録音ではミケランジェリ以上の演奏は存在しないと思っていたのですが、それが打ち砕かれたのが⑳のマリヤ・グリンベルグの1961年の録音でした。
この録音も偶然の出会いでした。上野の東京文化会館音楽資料室の端末で何気なくベートーヴェンのソナタでも検索してみようと思い、出てきたのが彼女の録音でした。
トリトンというレーベルから出された現在は極めて入手困難な録音で、恐らく放送用の音源かと思われます。



彼女が後でソナタ全集として録音したものとは明らかに異なります(上記21番の全集で、ベネチアというロシアのレーベルから1960-1974年の録音として2000年代前半から2006年の間に2回復刻されたものがあるが、その中の第32番の録音は彼女の最盛期を過ぎた頃の録音(1966年)で、パワーが落ちているのが残念。正確に確認していないがyoutubeで投稿されている音源はこのベネチアからのもののようだ。トリトンの1961年の録音はyoutubeでは多分聴けないはずです)。
とにかくこのマリヤ・グリンベルグという聴いたこともないピアニストの第32番を初めて聴いた時には度肝を抜かれました。
女性とは思えない力強い、地の底から響いてくるような独特の重厚な低音と、鋭く芯があり、時には信じられないほど透明な美しい音の高音との対比が素晴らしく、また奏でられる音楽には力強い生命感に溢れ、それでいて誇張など一切感じることのない自然な音楽の流れにただ驚く以外にありませんでした。
そして聴けば聴くほど感動が増していきました。
マリヤ・グリンベルグは旧ソ連のスターリン時代に不幸のどん底に陥り、その後も著しく不当な待遇を受け続けたようで、彼女の若かった頃の澄んだ大きな目は老年になると鋭く悲しげな目に変わってしまった。
この1961年、彼女が53歳の頃の最盛期の演奏を聴くと、ピアノが好きで好きでたまらないという気持ちが伝わってきます。ピアノを演奏することに最大の喜びを感じていることが最後まで伝わってきます。
旧ソ連時代に不当な扱いを受けたことで世界で屈指の実力を持つにもかかわらず、ソ連やその近隣国以外に殆ど知られることなく生涯を閉じたことはさぞ無念であったと思います。
しかし彼女がもし活動を制限されずに世界的に知られるピアニストになっていたとしたら、聴く者の心を深く揺さぶられるような演奏を残せなかったかもしれないとも思う。
彼女が受けた不当な制限が逆に超名演を生み出すもとになったのではないかと思います。
彼女が出す低音は素晴らしいです。ピアノでよくあのような音を出せると思います。
これは単なる力の加減ではないと思います。肉体的な力以外の何かが働いているのだと思います(ギターでいうとセゴビアの音がそうだ)。
⑯のポリーニや26のグルダの演奏と比べて聴いてみるとその違いがはっきりします。
どんなに淀みのないテクニック、澄んだ美しい音で弾いても、最後は演奏者の心の芯から出てくるものの違いで感動する度合いに差がでるのだと思う。
その芯から出てくるものは演奏者の人生体験なのだとつくづく思う。
ミケランジェリもグリンベルグもベートーヴェンの苦悩とそれを乗り越えたときの境地を真に理解できたからこそ素晴らしい演奏に到達できたのだと思います。

<追記>
これからベートーヴェンのピアノソナタ全32曲の名盤を不定期ではあるが、紹介していきます(次回は第31番を予定)。

【追記20151024】
その後のこの曲の鑑賞で判ったことを記します。

①マリヤ・グリンベルク1961年録音のTRITON盤の原盤は、旧ソ連時代のメロディア盤、ГOCT5289-61 33Д-09524(録音年不明)であることが判明した。
TRITON盤は、第2楽章の入りで、第1楽章のピッチとわずかなずれを感じて違和感を感じたが、このメロディアの原盤にはそのずれは無い。
またTRITON盤の第1楽章で、古い録音にたまにあるような録り直しの残骸の音も、このメロディアの原盤には無いようだ。
それにしてもこの盤のマリヤ・グリンベルクの演奏は物凄い。この32番の演奏で、この盤を超える演奏は2度と現れないのではないか。

②マリヤ・グリンベルクの第32番の録音は、1960年代後半の全集録音以外に、上記①のTRITON盤(原盤はメロディア 33Д-09524)、あともう一つ、旧ソ連時代のメロディアの前身のレーベルから恐らく1950年代と思われる録音(ГOCT5289-56 Д-2936,2937)がある。
この盤の演奏はTRITON盤の演奏とは部分的に弾き方が異なる箇所があるが、力強い演奏だ。解釈が時代によって微妙に変化しているのも興味深い。
マリヤ・グリンベルクが残した第32番の録音は上記の3種類と考えられる。
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セゴビアのライブ録音を聴く

2013-08-03 22:51:26 | ギター
こんにちは。
この1週間は雨降りや曇り空ですっきりしない天気が続きましたが、今日は久しぶりに真夏の日差しが照りつける暑い一日でした。
このところピアノの鑑賞に力を入れていますが、ピアノのCDには結構たくさんライブ録音があります。
ライブ録音にはスタジオ録音にはない良さがあります。
それはその場ではたった1回しか演奏できないことにより、演奏者の力量が試されることや、また聴き手を目の前にするため、より真剣な緊迫感が伝わる演奏になるためだと思います。
私はライブ録音が好きなのですが、クラシックギターには思ったほどライブ録音がありません。
ギターのライブを聴きたいと思って今まで買ったCDを探して出てきたのがセゴビアとブリームのライブ録音ですが、今日はセゴビアの録音を紹介したい。
2枚ありますが、1枚目は10年ほどに買った1955年8月のイギリスのエジンバラ音楽祭でのライブで、BBCから発売されたもの。



1955年ですとセゴビアが最盛期だったころですね。殆どミスなしの素晴らしい演奏です。
彼が1950年代にヘルマン・ハウザーⅠ世のギターで数多くの録音した演奏と変わらず、ギター音楽の魅力を存分に聴かせてくれます。
特に良かった曲はヴィラ・ロボスの前奏曲第1番とカステルヌオーヴォ・テデスコのタランテラ。
スタジオ録音ではいい演奏を聴かせてくれてもライブではだめだ、いう演奏家もいますが、セゴビアはライブでも殆ど完璧な演奏、最高に音楽的な演奏を聴かせてくれます。
次に2枚目ですが、今から20年くらい前に買ったCD。
1968年10月のイタリアでのライブ録音でセゴビアが75歳の時演奏です。



この録音は先のBBCと違って音源の保存状態が良かったのか、かなりいい音、しかもホールで実際に聴いているかのような音で録れています。
正直言ってこの75歳の時のセゴビアの音の方が素晴らしいです。
聴き進むにつれてそのギターの音に惹き込まれます。アルバート・ハリスの「ヘンデルの主題による変奏とフーガ」を聴くときは決して大げさでなく鳥肌がたってきます。
使用楽器はまず間違いなくホセ・ラミレスⅢ世だと思います。
セゴビアは60歳代よりも70歳代の音の方が深みがあり、より進化していると思います。
セゴビアのスタジオ録音は80歳(1973年)が最後でしたが、この80歳の時の録音を聴いたときも、テクニックは衰えても音の鋭さはより増していると感じたことがあります。
このイタリアでのライブ録音で良かった演奏は、先のアルバート・ハリスの他、タンスマンのカヴァティーナ組曲、バッハのブーレ、トローバの松のロマンス。
タンスマンのカヴァティーナ組曲は1955年のBBCの録音でも聴けますが、このイタリアの録音のほうがテクニックの破綻があるもののもっと聴き応えがあります。
セゴビアの最大の功績は、クラシックギターの最大の魅力、それは他の楽器にはないギターしか出せない音の魅力を伝えたことだと思います。
彼の音を聴いていると音にものすごい感情エネルギーが凝縮されていることがわかります。
こんな音を出せる人は今後まず現れないと思います。
チェロの巨匠ピエール・フルニエがセゴビアの音に感動し、セゴビアの音から多くのものを学んだと言われていることがまさに実感として分かるライブ録音だと思います。
このライブ録音は高齢ゆえにテクニックの破綻が多いが、不思議なことにその破綻が全く気にならない。
これは演奏者の音楽の力がその破綻を凌駕しているからだと思う。
セゴビアの音楽は大木のごとく地にしっかりと根を生やしており、その流れは自然で泉のように溢れ出てくるような感じを受けます。
セゴビアは多くのコンサートを開いたと思いますが、そのライブ録音が少ないのは意外です。
ライブでも完全に近い演奏が録音たくさん残っているでしょうが、CD化されないのは売れないためなのか。
youtubeが現れる前までの2000年前後に数多くのクラシック音楽のライブがCD化された時期があったが、これはCD化しても売れる見込みがあったからだと思います。
先日はなしたように、クラシックギターという愛好者が極めて少ない中で、ライブ録音をCD化してもすぐにyoutubeなどにアップロードされてしまうと、商売にならないと思って断念しているのだろうか。
セゴビアやイエペス、ブリームのライブ録音をもっと聴いてみたいのだが、こんなことだと期待できそうもない。

(追記2013084)
セゴビアの奏でる音や音楽の素晴らしさは彼の使用する楽器に支えられているともいえます。
彼の最盛期に使用された楽器であるヘルマン・ハウザーⅠ世を評価する人が多いですが、私は1960年から使用されたホセ・ラミレスⅢ世の方が素晴らしいと思っています。
1964年ごろから表面板に杉材を初めて採用したのもラミレスですが、先の1968年のイタリアのライブ録音に使われたラミレスの低音は杉材にしては重厚な力強い音を出しています。そして音の密度が高いです。今まで私がセゴビアの録音で聴いたラミレスの音の中でもっとも素晴らしい音です。
この時代のラミレスは弦長が664mmで大型で音量もありましたが、これは音量よりもギターの音の伸びを長くするためのものであったと思います。
1980年代に入ってジョン・ウィリアムスの音を駄目にしたオーストラリアの某楽器は音量はあっても音の伸びが短く、高音もそうですが特に低音は無機的な貧弱な音がします。この楽器で人を感動させる演奏が可能とは到底思えない。
ラミレスの楽器はセゴビアとの共同作業により生まれたと思います。
ラミレスもセゴビアのような超一流の音楽家の要求に応えようと努力したり、もともと音楽を深く理解できる能力があったからこのような楽器を作れるに至ったのだと思う。
作曲者や演奏者の感情を最大限に再現できる楽器こそが今求められていると思うし、製作家にはこのような楽器を作ってもらいたいです。


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