緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

イングリット・ヘブラー演奏 シューベルト作曲「即興曲 Op. 90, D. 899 - No. 3」を聴く

2024-01-30 21:44:36 | ピアノ
今日、だいぶ以前に買った、イタリアのピアニスト、ディノ・チアーニ(1941-1974)の弾くベートーヴェンのピアノソナタのCD(ライブ録音、1970年)を聴いているうちに、もう少し彼の他の演奏を聴いてみようと思ってYuitubeを検索していたら、シューベルト作曲、ピアノソナタ第21番 D.960のライブ演奏が見つかった。
しかし、第2楽章はなかなかいいなと思ったのだけれど、第1楽章が雑なところや意図的と思われる無理な演奏を感じさせる部分があったので途中で聴くのを止めてしまった。

そして次いでなので他のピアニストでこの曲の投稿がないか探していたら、オーストリアのピアニスト、イングリット・ヘブラー(1929-2023)のスタジオ録音(1968年)が見つかったので聴いてみた。
この曲はこれまでかなりの種類を聴いてきたのであるが、イングリット・ヘブラーの演奏は初めてだった。
もしかしてショパンのワルツを聴いたことがあるかもしれないが、ピアノ曲そのものとしても彼女の演奏を聴くのは初めてだと思う。

聴き始めてみると、まず、出音や技巧に揺るぎのない正確さが感じられるとともに、感情的なパワーや表現の多彩さも相当なものであった。
恣意的な表現は見られず、基本に忠実でテンポの取り方も端正でありながら、同時に、聴き手をおのずと惹き込むような音楽の力を感じたのである。
ダイナミックレンジの広さも相当なものだ。
こういう弾き方のピアニストは初めてだ。ちょっとショックを受けたような感覚だった。

第1楽章の第1の主題は残念ながらリピートを省略していた。リピートする前に、あの不気味な恐ろしいトリルが挿入される箇所があり、彼女がここをどう表現するのか興味を抱いていたのだが、裏切られた感じだ。ここ以外の箇所でいくつか挿入される同様の不気味なトリルも小さな音で抑制されていた。
しかし同時に思ったのであるが、もしかするとヘブラーはこのトリルをあえて際立たせないことを表現に求めたのかもしれない。

第2楽章は今まで聴いた数多くの演奏の中でも屈指のものだと思う。
表現される音量の幅の広さに驚くが、肝心の、あの悟りの境地に達するフレーズはシューベルトの心情をよく理解した演奏だと思う。

ピアノソナタ第21番の感想は後日またあらためて書くことにし、今日はヘブラーが30歳頃に録音したシューベルト作曲「即興曲 Op. 90, D. 899 - No. 3」がYoutubeにあったので、貼り付けさせてもらうことにした。
テンポは速いが、流れるような瑞々しい音のなかから歌が聞こえてくるようで、しかもここでも感情の伴った音のダイナミックレンジの広さが彼女の持ち味として発揮されている。繰り返し聴いていると、本当にピアノから歌っているのが聞こえてくるようなのだ。
彼女の生の音はもっとすごいに違いない。

ヘブラーの録音はモーツァルトが圧倒的に多い。フィリップスにモーツァルトのピアノ曲は全曲録音したようである。
しかし意外なことに数多く残した彼女の録音の大半が廃盤になっていた。
シューベルトのピアノソナタ集や即興曲集、ショパンのワルツ集も廃盤で、中古ではショパンのワルツ集のみが非常に高い値を付けていた。
昨年亡くなったこともあり、これから彼女の膨大な録音が再発されていくに違いない。

今日、彼女の演奏に出会えて幸運だった。

Schubert: 4 Impromptus, Op. 90, D. 899 - No. 3 in G-Flat Major (Andante)
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アリーヌ・ヴァン・バレンツェン演奏 ベートーヴェンピアノソナタ「熱情」を聴く

2024-01-28 23:19:46 | ピアノ
今日は午後から東京マンドリンクラブのギターパートのパートの練習に参加してきた。
これまではいつも受ける側であったが、今回は逆の立場で参加。
初めての経験であったが、思っていること、大切な点が伝えられたかどうかはまだまだというところだ。
でも終わったあとは意外に後悔のようなものはなく、安堵感だけが残っていた。

練習後は少人数であったが反省会に参加。
これは少人数だけに楽しかった。
このくらいの人数の方が会話がはずむ。テーマもみんなが共通で分かるものだったのでなおさらであった。

帰宅後テレビを点けたらアマチュアオーケストラのドラマが放映されていた。
楽団員どおしの不仲の解消、指揮者の娘のトラウマからの立ち直りなど、意外に面白かったので最後まで見た。途中から見始めたが録画もしておいた。
来週も続きを録画しておくことにしよう。

注文しておいたルッジェーロ・リッチのバッハ無伴奏ヴァイオリンのCD(1981年録音)が届いていたので早速、クリスチャン・フェラスの演奏と聴き比べする。
ソナタ第1番の2曲のみであったが、やはりクリスチャン・フェラスの方が心に響いてくる。
この曲は多くの録音を聴き比べてしてみないと、その真価が見えてこないような気がする。

Youtubeで昨日記事にしたアリーヌ・ヴァン・バレンツェン演奏のベートーヴェンピアノソナタ「熱情」で比較的再生状態が良い投稿が見つかったので貼り付けさせていただく。
第2楽章は素晴らしい。この第2楽章は必聴だ。ただ第3楽章は必要以上に速く弾きすぎているように感じる。ここが唯一残念なこところだ。

ALINE VAN BARENTZEN plays BEETHOVEN Sonata No 23 "Appassionata" (ca 1960)

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アリーヌ・ヴァン・バレンツェン演奏1950年代録音のベートーヴェン3大ピアノソナタのYoutube見つかる

2024-01-27 22:14:30 | ピアノ
今日、ヴィラ・ロボスのピアノ独奏曲であるショーロス第5番の自作自演の録音をYoutubeで見つけて聴いていたら、ヴィラ・ロボス作品の初演の奏者として起用されていたフランスのピアニスト、アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(1897~1981)のことを思い出し、そういえば十年前にLPレコードで聴いた彼女の円熟期のベートーヴェン3大ピアノソナタの録音がもしかするとYoutubeに投稿されていないかと思いつき、探してみたら何とあった。
10年前には探しても見つからなかった。今回見つかった投稿は6年前であった。

早速聴いてみたが、LPレコードの音をそのまま録音して投稿したようだった。
手持ちのレコードを再生し、その音と聴き比べてみたら雲泥の差だ。このYoutubeに投稿された音はこもっていて不明瞭、輪郭の乏しい音になってしまっていた。
いつも思うのだが、古い音源(アナログ録音など)がYoutubeに投稿されていた場合、その多くがオリジナルの音に比べ劣化が著しいか、電気処理などを施されて別物の音に変換されている可能性が高いので要注意だ。
可能な限り、古い録音はちゃんとお金を投資しても中古レコードや信頼できる復刻CDで聴いたほうがいい。

バレンツェンを初めて聴いたのは過去の記事を遡ってみると、2013年8月のことであった。
この少し前にゲザ・アンダの弾くベートーヴェンピアノソナタ第14番「月光」に感動したのがきっかけとなって、それからベートーヴェンのピアノソナタの聴き比べにのめり込んでいった時期に重なる。
この時期は土日で仕事で出勤する以外は毎回、お茶の水や新宿などの中古ショップを訪れ、ベートーヴェンのピアノソナタの録音を探し歩いていた。
ある意味、欲求のなすがままに1つのことに集中していた頃だと思う。

当時の2013年8月の記事にこんなことが書かれていた。

「またこの曲(月光)は多くのピアニストが録音していますが、聴いて受ける印象は本当に様々です。それだけに人によって感じ方が違うことに少なからず驚きます。
今日は2人の演奏家の録音を紹介します。
1人目はアリーヌ・ヴァン・バレンツェン(1897~1981)という女流ピアニストです。
日本では殆ど知られていませんが、アメリカに生まれ、後にフランスに渡りパリ音楽院の教授となった他、多くの国際コンクールの審査員を務めたという実力者です。
弟子にはフォーレ弾きとして有名なフランスのジャン・フィリップ・コラールがいます。
ギター曲でも有名なヴィラ・ロボスの曲の初演などを行い、ブラジル政府からヴィラ・ロボス・ゴールドメダルを授与されたそうだ。
バレンツェンのヴィラ・ロボスのピアノ曲の録音としては、ショーロス第5番"Alma Brasileria"があります。1958年の録音で、実際にCDで聴きましたが、力強く和音を響かせる力を持った演奏家だと思いました。最後の独特の和音は意表を衝かれます。
(中略)
ただバレンツェンが弾く第3楽章で残念に感じたのは、クライマックスの上昇半音階の前後を非常に早い速度で弾いている部分です。ここまで速く弾く必要はないと思います。
もしこの部分をもう少し速度を落としてじっくりと表現していたら超名演にふさわしいものになっていたと思います。最後の和音もあっけない。」

上記の記事で取り上げた録音は1947年のSPレコードからの復刻だったが、その後で1950年代、LPレコードの時代になってから録音された3大ソナタのレコードを中古で手に入れた。その時のことも記事に取り上げていた。2014年4月であった。





「今日買ったレコードは、アメリカに生まれ、後にフランスに渡り、パリ音楽院の教授も務めたアリーヌ・ヴァン・バレンツェン(1897~1981)という女流ピアニストの演奏で、ベートーヴェンの三大ピアノソナタが録音されたものだ。
バレンツェンを聴くのは今回が初めてではなく、丁度1年前に彼女のSP時代の録音を復刻したCDを聴いたのが初めてであった。
録音年は1947~1948年。モノラル録音である。このブログでも確か紹介した。
CDを聴いて恐ろしいほどのテクニックにまず驚いたが、音色は今一つ魅力を感じなかった。テクニックだけが浮き出ているようで、音楽にやや軽さを感じていたのだろうか、その後繰り返し聴くに至らなかった。
しかし今日買ったレコードは違っていた。曲目はSP復刻のCDと同じ、「悲愴」、「月光」、「熱情」の3曲であるが、ステレオ録音でおそらく1960年代半ば以降の録音だと思われるが録音技術は悪くない。ピアノの音の良く引き出した優秀な録音だと思う
(中略)
さて肝心の演奏の感想だが、このステレオ録音はSP時代の録音よりもはるかに素晴らしかった。
まず音が素晴らしい。音が暗いのである。こういう暗い音をピアノで聴くのは初めてであろう。暗いといっても悪い意味での暗さではない。夜の静寂の中で聴こえてくる音である。真夜中で頭が冴えわたって眠れない時に聴く音だ。低音の響きが重く、深い底から出てくるような音であり、高音はまさに鋼鉄の指から生まれるような強いタッチである。ギレリスどころではない。ジャン・ミコーに似た強さのタッチであるが、バレンツェンの音は1音1音が分離した明瞭さを持ち、音の透明度は高い。
彼女の円熟期の演奏であるが、このようなピアノの音を出せる演奏家はほとんどいない。マリヤ・グリンベルク、クラウディオ・アラウ、ジャン・ミコーくらいか。タッチが貧弱になってしまった現代のピアニストやギタリストには必ず参考になる音である。
音の魅力のみならず音楽性もSP時代よりも格段に進歩している。悲愴の第2、第3楽章、熱情の第2楽章などは今まで聴いた数多くの演奏の中でも屈指のものと言える。タッチは強い、技巧は凄いだけでなく、繊細さも十分に持ち合わせている。」

今日久しぶりに音の悪いYoutubeでこの3曲を聴いてみたが、やはり音に魅力がある。独特の暗さ、深い地の底から響いてくるような低音はどの奏者にもない魅力を感じる。
とくに「熱情」の第2楽章、第3楽章、「悲愴」の第2楽章、第3楽章に顕著に表れている。
テクニックは超一流であろう。この強いタッチでこれほどのテクニックを持ったピアニストは現代ではいないのではないかと思う。
ただ、音質の悪いYoutubeのせいなのかもしれないが、熱情や悲愴はマリヤ・グリンベルクの旧録音に比べると何か今一つ欠けているような気もした。
それが何なのかは明確に分からなかったが、ともかくそんな感じがしたのである。

しかしこの録音の価値は大きい。再生回数も極端に少ないようだが、多くの方が彼女のことを知らないためだと思われる。
実力が非常に高いのにもかかわらず、現代では忘れられたピアニストなのかもしれない。
タワーレコードでディスコグラフィーを検索してみたが、この録音のCDへの復刻はなかった。それだけでなく、彼女の録音自体が少なかったことが何か寂しさを感じさせた。

Youtubeでは今まで聴いていなかった音源がかなり投稿されていた。これからゆっくり少しずつ聴いていくことにしたい。

今日見つけた3大ピアノソナタの録音(1953年と記載されている)の投稿を貼り付けさせていただく。

Sonate pour piano No. 14 in C-Sharp Minor, Op. 27 No. 2 "Clair de lune": I. Adagio sostenuto


Sonate pour piano No. 14 in C-Sharp Minor, Op. 27 No. 2 "Clair de lune": II. Allegretto


Sonate pour piano No. 14 in C-Sharp Minor, Op. 27 No. 2 "Clair de lune": III. Presto agitato


Sonate pour piano No. 23 in F Minor, Op. 57 "Appassionata": I. Allegro assai


Sonate pour piano No. 23 in F Minor, Op. 57 "Appassionata": II. Andante con moto


Sonate pour piano No. 23 in F Minor, Op. 57 "Appassionata": III. Allegro ma non troppo - Presto


Sonate pour piano No. 8 in C Minor, Op. 13 "Pathétique": I. Grave - Allegro di molto e con brio


Sonate pour piano No. 8 in C Minor, Op. 13 "Pathétique": II. Adagio cantabile


Sonate pour piano No. 8 in C Minor, Op. 13 "Pathétique": III. Rondo. Allegro
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神尾真由子演奏 メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲ホ短調ライブ録音の全楽章録画見つかる

2024-01-27 00:16:48 | バイオリン
2019年2月17日の記事に、Youtybeで見つけた神尾真由子演奏 メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲ホ短調ライブ録音の感想を書いた。
しかしこのYoutubeの録画は残念なことに第1楽章のみの投稿であった。
昔のYoutubeは確か1回の投稿で14分くらいが限度だったので第1楽章しか投稿しなかったのであろう。

このときに記事に書いた感想の抜粋を下記に記す。

「日本人のヴァイオリニストでこの曲のライブ演奏を聴いたのは、諏訪内晶子と庄司紗矢香。
しかし神尾真由子の演奏はそれ以上の演奏だった。
20歳くらいの頃であろうか。
物凄いエネルギッシュで、音が生気に満ち溢れ、骨太で力強い。
だからと言って力みがあるわけではない。寧ろ繊細さも持ち合わせている。
残念ながら第1楽章しか聴けない。

この演奏は自分の求めているものに殆ど一致している。
以前記事にしたヨハンナ・マルツィやチョン・キョンファと共通したものがある。
チョン・キョンファはショルティとの共演のライブ演奏をYoutubeで聴くことができる。

もしかすると神尾真由子はチョン・キョンファに影響を受けたのかもしれない。
演奏スタイルが似ている。

(中略)

神尾真由子はチャイコフスキー国際コンクールで優勝(日本人で2人目)した実力派である。
しかし意外に録音は少ない。
現在はロシア人のピアニストと結婚し、活動しているとのことだ。」

今日、このライブ録音の全楽章の投稿がYoutubeで見つかった。5か月前に投稿されていた。
最初、2019年に見つけた録画とは異なるもっと後に演奏されたものだと思ったが、確認したところ同一だった。
第1楽章も素晴らしかったが、第2楽章、第3楽章もすごい。素晴らしい。
こういう、音楽に対し真摯で、全身全霊で取り組む姿に感動する。

この演奏もメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のベスト盤にあげられると思う。

神尾真由子 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Mayuko Kamio Mendelssohn: Violin Concerto in E minor
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アルハンブラと前奏曲ハ短調で今日は締めくくり

2024-01-26 21:29:50 | ギター
このところギター演奏はもっぱら東京マンドリンクラブの次の定期演奏会のための練習ばかりで独奏曲はお預けだ。
(と言っても来月から合奏練習が始まる千葉マンドリンクラブの方は楽譜を印刷しただけで未着手)

合奏曲の練習が終わったあとで息抜きで前奏曲ハ短調とアルハンブラを弾いてみた。
前奏曲ハ短調もアルハンブラも様々な運指が考案されているようだが、運指というものはギターにとってとても重要なことだとあらためて思い知らされる。
現在練習しているマンドリン合奏曲の中で、めったに使用されないある楽器のパートをギターに移し替えて弾くことになり、その部分の運指をいろいろと試行錯誤してきたのであるが、今日、やっとこれで定着しそうかな、という運指が見つかり、これで方向性が決まりまずはこの面では安堵したところだった。

何度弾いてもミスしたり、上手く行かない運指は何かそうさせる原因があるのでそのような運指は固執せず見直すべきだと感じる。
ギターの場合、運指は何通りにも可能であるから、最初はいろいろとバリエーションを試してみた方がいいと思う。
これでいいだろう、と妥協せず、もっと成功率の高い運指が他にもあるのではと、他の方法を探求して、その中からベストのものを最終的に決める。
運指は初期の段階で決定しておかないと、かなり後になってから変更するのは容易ではない。
潜在意識の自動操縦機能に覚え込ませるにはそれなりに時間と回数を要するし、一旦形成され定着した回路を別のものに変えるには相応の練習が必要だ。

あと注意点としては潜在意識の自動操縦機能にのみ頼るのはあぶなっかしいということ。
本番など、極度の緊張状態に置かれると、潜在意識の自動操縦機能が働かなくなり、練習のときのように弾けなくなってしまうこともあるからだ。
頭が真っ白になって、潜在意識に記憶させていた運指の記憶が飛んでしまって、ど忘れしてしまうというやつだ。
よく日常でも不測の事態が起きたときに、普段難なく出来ていることもパニックで出来なくなってしまうという状態に似ている。
そのためにも顕在意識下で、指の位置などを視覚で明確に記憶しておいた方が良い。いわゆるモードを普段の状態に戻せるようにするための保険のようなものだ。
運指を潜在意識での自動操縦で任せられるようになったら、左指を意識することが無くなるが、これが意外に要注意である。
セゴビアやジョン・ウィリアムスなど、本番でミスの少ないギタリストの映像を見ていると、左指の運指を冷徹な目で明確にしながら演奏していることが分かる。

今日の録音はこれだ。

①前奏曲ハ短調 2024年1月26日夜


②アルハンブラ宮殿の思い出 2024年1月26日夜


今日は夜更かししないで、明日早く起きてまた練習三昧かな。


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