マンドリン・オーケストラで最も好きな曲に、藤掛廣幸作曲の「スタバート・マーテル」という曲がある。
この曲は鈴木静一作曲「交響譚詩 火の山」と共に、マンドリン・オーケストラ曲の最高傑作であり、藤掛廣幸の曲の中で最も優れた曲だと思っている。
この「スタバート・マーテル」に初めて出会ったのは、大学2年生の時、所属していたマンドリン・クラブの卒業演奏会で弾いた時である。
藤掛廣幸のマンドリン・オーケストラ曲には、パストラル・ファンタジー、グランド・シャコンヌ、星空のコンチェルトと言った人気曲があるが、この「スタバート・マーテル」はこれらの曲よりも、音楽の構成力、聴き手の感情に訴える力においては数段も高い位置にある。
考えて見れば、マンドリン・オーケストラという分野は独特の世界を持っている。
一応クラッシク音楽の分野に属するが、純粋なクラシック曲とも違う。かと言ってライト・クラシックとかポピュラー音楽に近いという感じはしない。
マンドリン・オーケストラ界は、元々他のクラシックの分野で活躍していた作曲家が領域を拡げるために曲に手をつけて生まれてきたのではなく、マンドリン・オーケストラに最大の魅力を感じた作曲家が、自分の作曲家人生を賭けて曲を生みだしてきたと言える。
だからその音楽は、他のクラシック界の影響を受けない、作曲家の個性が思う存分発揮された個性的なものである。
この独特の、作曲家の個性の魅力に溢れた音楽が、マンドリン・オーケストラ界を構築してきた。
「スタバート・マーテル」とは、CDの藤掛廣幸の解説によれば、「悲しみの聖母という意味で、イエス・キリストを失った聖母マリアの悲しみを歌った曲であり、昔からこの題材に基づいて書かれた曲は沢山ある」と言っている。
しかし藤掛氏はこうも言う。
「しかし、私は、断じて悲しみは歌わないようにしよう・・・清らかな天国的な愛のうたのみを歌おう・・・と、強く思いました」
この曲を聴いてみれば分かるが、「単なる表面的、表層的な優しさ」にとどまるような曲ではなく、聴き手の根幹の「魂」を揺り起こすほどのパワー、感情的エネルギーを持った、数少ない曲の一つであり、私が長年聴いてきた曲の中でも屈指の優れた曲の一つでもある。
この曲は、ギターパートの重奏で始まる。ゆったりと静かに歌われる旋律は、優しさに満ちており、作曲者が言うところの「清らかな天国」を表しているのだと思う。
途中からグロッケンが加わり、そのフレーズの終わりに大きくクレッシェンドして、全パートがこの曲の主題を奏でる。
この主題は荘厳であり、スケールが大きく、感傷的でもあるが、幸福感、平和を感じさせる。
ギターパートのアルペジオの伴奏に乗った旋律の一部に何か日本的なものを感じる。ここがポイント。
そして、各パートのソロが続いた後に、この曲最大の山場が訪れる。
「聖母マリア」のイメージとはかなりかけ離れるが、寂しい感傷的な、しかし物凄く聴き手の感情を刺激する旋律が現れる。
この部分がこの曲の中で最も好きだ。この部分を聴くと脳が覚醒してくると言っていい。
この部分を聴くと、私が思春期だった頃、すなわち小学校高学年から中学校3年までの1970年代の生活が浮かんでくる。
今までの私の人生で、最も楽しかった時代だ。
この時代は希望に満ちた時代、活気のあった、朝起きるのが楽しくしようがなかった時代、とてつもなく優しく、いい人がいた時代。
この旋律を聴くと、朝刊を配り終えて見た、美しいピンク色の太陽、晩秋の夕暮れのある日、友達と下校時に、道なき林の中を、冒険心を起こし枝を漕ぐようにして抜けて行ったこと、近くのスーパーで、「ギターミュージック」という雑誌を初めて買った情景などが浮かんでくる。
藤掛氏はこの時代に青春時代を送ったと思われるが、インスピレーションが泉のように湧き起っていたに違いない。
この部分に限らず、全パートの音の交錯が素晴らしい。惰性や無駄は全く無い。これ程パート音が効果的に作られているマンドリン・オーケストラ曲も珍しい。とくにベースの旋律とリズムは心に刻まれる。
この後、マンドリンの美しい旋律が現れる。この旋律も素晴らしい。
この曲が優れている所以は、長大な時間にもかかわらず、旋律や構成が変化に富んでいると同時に、その旋律のどれもが聴き手を飽きさせない、優れたものであるからだ。
このマンドリンの美しい旋律がソロで繰り返され、クライマックスを迎えると、ギターのホ長調のアルペジオが奏でられる。このアルペジオを何度練習したか分からない。
このアルペジオの伴奏から合唱が加わる。
原曲は楽器奏者が歌うよう指示されており、私が学生時代に演奏した時は原曲どおり、楽器奏者自身が歌った。
しかし歌を歌うことが大嫌いな私は、歌う真似をしても声に出すことは決してなかった。
藤掛氏事務所から注文したCDの録音は、合唱専門の団体がジョイントで演奏している。
この合唱が加わる部分、それはこの曲最後まで続くが、より宗教的雰囲気を帯び、天国での平和と幸福を願い気持ちが強く表れている。
この曲は大学のマンドリン・オーケストラ等でもあまり取り上げられない。
合唱パートや本格的なエレクトーンを加える必要があるからだと思うが、幸いに藤掛氏の事務所で発売しているCDのライブ演奏は最高の演奏だ。どこかの大学のマンドリン・クラブと社会人の合唱団とのジョイントなのであろうか。
この演奏は今まで聴いたライブ演奏の中で最も情熱的で感動的なものである。技巧も一流で素晴らしいの一言。私の宝物だ。
(Youtubeで他の演奏者の演奏1回聴いたことがあったが、申し訳ないがあまりお勧めできない)
藤掛氏のこの音楽からは、人間としての根幹から溢れ出てくる強い感情が伝わってくる。
だから聴いていて感情が抑えように抑えられなくなる。自然にまかせるしかない。
正調音楽、無調音楽を問わず、このような作曲者の強いmessageを感じ取れる曲がある。
クラシック音楽には種々多様なものがあり、華やかな装飾や構成美に満ちた曲もあるが、「スタバート・マーテル」のような強い根源的なエネルギーを持つ曲は、形式美をはるかに凌駕する説得力を自然に感じさせてくれる。
この曲は鈴木静一作曲「交響譚詩 火の山」と共に、マンドリン・オーケストラ曲の最高傑作であり、藤掛廣幸の曲の中で最も優れた曲だと思っている。
この「スタバート・マーテル」に初めて出会ったのは、大学2年生の時、所属していたマンドリン・クラブの卒業演奏会で弾いた時である。
藤掛廣幸のマンドリン・オーケストラ曲には、パストラル・ファンタジー、グランド・シャコンヌ、星空のコンチェルトと言った人気曲があるが、この「スタバート・マーテル」はこれらの曲よりも、音楽の構成力、聴き手の感情に訴える力においては数段も高い位置にある。
考えて見れば、マンドリン・オーケストラという分野は独特の世界を持っている。
一応クラッシク音楽の分野に属するが、純粋なクラシック曲とも違う。かと言ってライト・クラシックとかポピュラー音楽に近いという感じはしない。
マンドリン・オーケストラ界は、元々他のクラシックの分野で活躍していた作曲家が領域を拡げるために曲に手をつけて生まれてきたのではなく、マンドリン・オーケストラに最大の魅力を感じた作曲家が、自分の作曲家人生を賭けて曲を生みだしてきたと言える。
だからその音楽は、他のクラシック界の影響を受けない、作曲家の個性が思う存分発揮された個性的なものである。
この独特の、作曲家の個性の魅力に溢れた音楽が、マンドリン・オーケストラ界を構築してきた。
「スタバート・マーテル」とは、CDの藤掛廣幸の解説によれば、「悲しみの聖母という意味で、イエス・キリストを失った聖母マリアの悲しみを歌った曲であり、昔からこの題材に基づいて書かれた曲は沢山ある」と言っている。
しかし藤掛氏はこうも言う。
「しかし、私は、断じて悲しみは歌わないようにしよう・・・清らかな天国的な愛のうたのみを歌おう・・・と、強く思いました」
この曲を聴いてみれば分かるが、「単なる表面的、表層的な優しさ」にとどまるような曲ではなく、聴き手の根幹の「魂」を揺り起こすほどのパワー、感情的エネルギーを持った、数少ない曲の一つであり、私が長年聴いてきた曲の中でも屈指の優れた曲の一つでもある。
この曲は、ギターパートの重奏で始まる。ゆったりと静かに歌われる旋律は、優しさに満ちており、作曲者が言うところの「清らかな天国」を表しているのだと思う。
途中からグロッケンが加わり、そのフレーズの終わりに大きくクレッシェンドして、全パートがこの曲の主題を奏でる。
この主題は荘厳であり、スケールが大きく、感傷的でもあるが、幸福感、平和を感じさせる。
ギターパートのアルペジオの伴奏に乗った旋律の一部に何か日本的なものを感じる。ここがポイント。
そして、各パートのソロが続いた後に、この曲最大の山場が訪れる。
「聖母マリア」のイメージとはかなりかけ離れるが、寂しい感傷的な、しかし物凄く聴き手の感情を刺激する旋律が現れる。
この部分がこの曲の中で最も好きだ。この部分を聴くと脳が覚醒してくると言っていい。
この部分を聴くと、私が思春期だった頃、すなわち小学校高学年から中学校3年までの1970年代の生活が浮かんでくる。
今までの私の人生で、最も楽しかった時代だ。
この時代は希望に満ちた時代、活気のあった、朝起きるのが楽しくしようがなかった時代、とてつもなく優しく、いい人がいた時代。
この旋律を聴くと、朝刊を配り終えて見た、美しいピンク色の太陽、晩秋の夕暮れのある日、友達と下校時に、道なき林の中を、冒険心を起こし枝を漕ぐようにして抜けて行ったこと、近くのスーパーで、「ギターミュージック」という雑誌を初めて買った情景などが浮かんでくる。
藤掛氏はこの時代に青春時代を送ったと思われるが、インスピレーションが泉のように湧き起っていたに違いない。
この部分に限らず、全パートの音の交錯が素晴らしい。惰性や無駄は全く無い。これ程パート音が効果的に作られているマンドリン・オーケストラ曲も珍しい。とくにベースの旋律とリズムは心に刻まれる。
この後、マンドリンの美しい旋律が現れる。この旋律も素晴らしい。
この曲が優れている所以は、長大な時間にもかかわらず、旋律や構成が変化に富んでいると同時に、その旋律のどれもが聴き手を飽きさせない、優れたものであるからだ。
このマンドリンの美しい旋律がソロで繰り返され、クライマックスを迎えると、ギターのホ長調のアルペジオが奏でられる。このアルペジオを何度練習したか分からない。
このアルペジオの伴奏から合唱が加わる。
原曲は楽器奏者が歌うよう指示されており、私が学生時代に演奏した時は原曲どおり、楽器奏者自身が歌った。
しかし歌を歌うことが大嫌いな私は、歌う真似をしても声に出すことは決してなかった。
藤掛氏事務所から注文したCDの録音は、合唱専門の団体がジョイントで演奏している。
この合唱が加わる部分、それはこの曲最後まで続くが、より宗教的雰囲気を帯び、天国での平和と幸福を願い気持ちが強く表れている。
この曲は大学のマンドリン・オーケストラ等でもあまり取り上げられない。
合唱パートや本格的なエレクトーンを加える必要があるからだと思うが、幸いに藤掛氏の事務所で発売しているCDのライブ演奏は最高の演奏だ。どこかの大学のマンドリン・クラブと社会人の合唱団とのジョイントなのであろうか。
この演奏は今まで聴いたライブ演奏の中で最も情熱的で感動的なものである。技巧も一流で素晴らしいの一言。私の宝物だ。
(Youtubeで他の演奏者の演奏1回聴いたことがあったが、申し訳ないがあまりお勧めできない)
藤掛氏のこの音楽からは、人間としての根幹から溢れ出てくる強い感情が伝わってくる。
だから聴いていて感情が抑えように抑えられなくなる。自然にまかせるしかない。
正調音楽、無調音楽を問わず、このような作曲者の強いmessageを感じ取れる曲がある。
クラシック音楽には種々多様なものがあり、華やかな装飾や構成美に満ちた曲もあるが、「スタバート・マーテル」のような強い根源的なエネルギーを持つ曲は、形式美をはるかに凌駕する説得力を自然に感じさせてくれる。