緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

藤掛廣幸作曲「スタバート・マーテル」を聴く

2016-02-28 23:35:31 | マンドリン合奏
マンドリン・オーケストラで最も好きな曲に、藤掛廣幸作曲の「スタバート・マーテル」という曲がある。
この曲は鈴木静一作曲「交響譚詩 火の山」と共に、マンドリン・オーケストラ曲の最高傑作であり、藤掛廣幸の曲の中で最も優れた曲だと思っている。
この「スタバート・マーテル」に初めて出会ったのは、大学2年生の時、所属していたマンドリン・クラブの卒業演奏会で弾いた時である。
藤掛廣幸のマンドリン・オーケストラ曲には、パストラル・ファンタジー、グランド・シャコンヌ、星空のコンチェルトと言った人気曲があるが、この「スタバート・マーテル」はこれらの曲よりも、音楽の構成力、聴き手の感情に訴える力においては数段も高い位置にある。
考えて見れば、マンドリン・オーケストラという分野は独特の世界を持っている。
一応クラッシク音楽の分野に属するが、純粋なクラシック曲とも違う。かと言ってライト・クラシックとかポピュラー音楽に近いという感じはしない。
マンドリン・オーケストラ界は、元々他のクラシックの分野で活躍していた作曲家が領域を拡げるために曲に手をつけて生まれてきたのではなく、マンドリン・オーケストラに最大の魅力を感じた作曲家が、自分の作曲家人生を賭けて曲を生みだしてきたと言える。
だからその音楽は、他のクラシック界の影響を受けない、作曲家の個性が思う存分発揮された個性的なものである。
この独特の、作曲家の個性の魅力に溢れた音楽が、マンドリン・オーケストラ界を構築してきた。

「スタバート・マーテル」とは、CDの藤掛廣幸の解説によれば、「悲しみの聖母という意味で、イエス・キリストを失った聖母マリアの悲しみを歌った曲であり、昔からこの題材に基づいて書かれた曲は沢山ある」と言っている。
しかし藤掛氏はこうも言う。
「しかし、私は、断じて悲しみは歌わないようにしよう・・・清らかな天国的な愛のうたのみを歌おう・・・と、強く思いました」

この曲を聴いてみれば分かるが、「単なる表面的、表層的な優しさ」にとどまるような曲ではなく、聴き手の根幹の「魂」を揺り起こすほどのパワー、感情的エネルギーを持った、数少ない曲の一つであり、私が長年聴いてきた曲の中でも屈指の優れた曲の一つでもある。

この曲は、ギターパートの重奏で始まる。ゆったりと静かに歌われる旋律は、優しさに満ちており、作曲者が言うところの「清らかな天国」を表しているのだと思う。





途中からグロッケンが加わり、そのフレーズの終わりに大きくクレッシェンドして、全パートがこの曲の主題を奏でる。
この主題は荘厳であり、スケールが大きく、感傷的でもあるが、幸福感、平和を感じさせる。
ギターパートのアルペジオの伴奏に乗った旋律の一部に何か日本的なものを感じる。ここがポイント。
そして、各パートのソロが続いた後に、この曲最大の山場が訪れる。
「聖母マリア」のイメージとはかなりかけ離れるが、寂しい感傷的な、しかし物凄く聴き手の感情を刺激する旋律が現れる。







この部分がこの曲の中で最も好きだ。この部分を聴くと脳が覚醒してくると言っていい。
この部分を聴くと、私が思春期だった頃、すなわち小学校高学年から中学校3年までの1970年代の生活が浮かんでくる。
今までの私の人生で、最も楽しかった時代だ。
この時代は希望に満ちた時代、活気のあった、朝起きるのが楽しくしようがなかった時代、とてつもなく優しく、いい人がいた時代。
この旋律を聴くと、朝刊を配り終えて見た、美しいピンク色の太陽、晩秋の夕暮れのある日、友達と下校時に、道なき林の中を、冒険心を起こし枝を漕ぐようにして抜けて行ったこと、近くのスーパーで、「ギターミュージック」という雑誌を初めて買った情景などが浮かんでくる。
藤掛氏はこの時代に青春時代を送ったと思われるが、インスピレーションが泉のように湧き起っていたに違いない。
この部分に限らず、全パートの音の交錯が素晴らしい。惰性や無駄は全く無い。これ程パート音が効果的に作られているマンドリン・オーケストラ曲も珍しい。とくにベースの旋律とリズムは心に刻まれる。

この後、マンドリンの美しい旋律が現れる。この旋律も素晴らしい。
この曲が優れている所以は、長大な時間にもかかわらず、旋律や構成が変化に富んでいると同時に、その旋律のどれもが聴き手を飽きさせない、優れたものであるからだ。

このマンドリンの美しい旋律がソロで繰り返され、クライマックスを迎えると、ギターのホ長調のアルペジオが奏でられる。このアルペジオを何度練習したか分からない。





このアルペジオの伴奏から合唱が加わる。
原曲は楽器奏者が歌うよう指示されており、私が学生時代に演奏した時は原曲どおり、楽器奏者自身が歌った。
しかし歌を歌うことが大嫌いな私は、歌う真似をしても声に出すことは決してなかった。
藤掛氏事務所から注文したCDの録音は、合唱専門の団体がジョイントで演奏している。
この合唱が加わる部分、それはこの曲最後まで続くが、より宗教的雰囲気を帯び、天国での平和と幸福を願い気持ちが強く表れている。

この曲は大学のマンドリン・オーケストラ等でもあまり取り上げられない。
合唱パートや本格的なエレクトーンを加える必要があるからだと思うが、幸いに藤掛氏の事務所で発売しているCDのライブ演奏は最高の演奏だ。どこかの大学のマンドリン・クラブと社会人の合唱団とのジョイントなのであろうか。
この演奏は今まで聴いたライブ演奏の中で最も情熱的で感動的なものである。技巧も一流で素晴らしいの一言。私の宝物だ。



(Youtubeで他の演奏者の演奏1回聴いたことがあったが、申し訳ないがあまりお勧めできない)

藤掛氏のこの音楽からは、人間としての根幹から溢れ出てくる強い感情が伝わってくる。
だから聴いていて感情が抑えように抑えられなくなる。自然にまかせるしかない。
正調音楽、無調音楽を問わず、このような作曲者の強いmessageを感じ取れる曲がある。
クラシック音楽には種々多様なものがあり、華やかな装飾や構成美に満ちた曲もあるが、「スタバート・マーテル」のような強い根源的なエネルギーを持つ曲は、形式美をはるかに凌駕する説得力を自然に感じさせてくれる。
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今年の抱負(2016)後編(2)続き

2016-02-14 21:56:37 | 音楽一般
【20160214】

(続き)

ギターの表面板には古くから松材が使用されてきたが、1960年代前半にホセ・ラミレスⅢ世が偶然のきっかけで杉材を採用してから、クラシックギターは、表面板が松材と杉材の2種類で製作されるようになったのは周知のとおりである。
ラミレスに遅れてイグナシオ・フレタが1968年頃から、また同じくらいの時期からアメリカのホセ・オリベが殆ど杉材を用いたギターを製作した。
よく杉材のギターは寿命が短いと聞く。1980年代初めの現代ギター誌の記事にそのようなことが書かれていた。
この記事が独り歩きしたのか分からないが、杉のギターは松のギターよりも寿命が短いという見方が定着していたように思う。
しかしこの記事を投稿した製作家は、ギターの表面板に杉材が採用されてから20年も経過していないので、あくまでも推測であると言っていた。
杉材のギターの生みの親であるホセ・ラミレスⅢ世はその著書の中で、杉材のギターが寿命が短いという迷信に対し、怒りを込めて反論している。
私は10年以上前であるが、日本で最も知られているある製作家に直接、「杉材のギターが寿命が短いと言われているが、本当か?」と質問したことがある。
その製作家曰く。「杉材のギターが寿命が短いというのは、嘘である。だって木材は100年以上も生き続けるのです。だから杉も同じ。寿命が短いのは、松、杉に関係なく、限度を超えて板厚を薄くしている楽器である」と。
日本の製作家は従来殆どが松材のみで製作する方が多かったが、2000年代半ば頃から、日本でも杉材の楽器が増えてきた。

伝統的な楽器は松材であろうが杉材であろうが、良材と長年の歴史の中で培われてきた製作技術により、聴き手を感動させる音を生みだしてきた。
このような楽器は、材料に依存する要素が強いので、名工の楽器の中でも当たり外れがある。
近年、素材の良し悪しはあまり関係なく、工学的な技術を楽器の設計構造に取り入れて製作する製作家が出てきた。
昨年、フランスの製作家でこのような工学的な構造を採用した楽器を試奏する機会があったが、音量があり、音に伸びがあり、立ち上がり速く、均一でポジションによるむらが無いので、弾いていて爽快感を感じたが、同時に何か物足りなさも感じた。

多分、工学的技術を徹底すれば、大きな音量、長い音の伸び、立ち上がりの速さ、均一な音の実現がより進化していくかもしれない。
しかしこれらの要素を、極めようとするほど、ギターにとって最も大切なことが失われていくように思える。
一言で言うと、このような楽器は音が無機的なのだ。
これらの要素を伝統的な構造、製作技術で拡大させたのはホセ・ラミレスⅢ世であり、彼の楽器が、聴き手を真に感動させるという意味で、限界点だと思う。

過度に音量を追求する製作家は、どんな音が聴き手を感動させるか、ということが分かっていないのではないか。
あるいは、弾き手がその楽器から発せられる音に、自らの気持ちと共鳴する、という作用があることが分かっていないのではないか。
無機的な音しか出せない楽器に、弾き手の感情を音に乗せられるわけがない。

今日、引越し後久しぶりに、静かな夜に、伝統的製作法により作られたメインのギターで、タンスマン作曲「古風な小曲」を弾いたが、その発っせられる音を聴きながら、自分の30歳代の頃の生活が走馬灯のように蘇ってきた

何故30代の頃の光景が蘇ってきたか分からないが、楽器の音とその音楽が、自分の古い記憶を引き出したのかもしれない。

つまり弾き手にも、聴き手にも、何が音にとって必要なのか、ということが本当に分かっている製作家が、いい楽器を生みだしていくのであり、製作家にとって、まず何よりも、この理解と絶え間ない追求心があるか否かが、最も大切なことと感じさせる。
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今年の抱負(2016)後編(2)

2016-02-07 23:46:10 | 音楽一般
引越しをしたので、2週間ぶりの更新となってしまった。
二十数年、住み慣れた所を出た。
前回の記事で、好きなことをするためには努力を惜しまない、なんてことを言ったが、年明け早々それを実行したことになる。
今まで住んでいた所は辺鄙な町であったが、静かであり、それなりに愛着を感じていたが、思い切って引っ越した。
集合住宅だったので、ギターを弾くにはかなり気を使わなければならなかったのである。
平日は帰りが遅いので夜、ギターを弾くことはなかった。
弾くのは休日の昼間である。土曜、日曜、各2時間づつ。
ずっと、二十数年間このペースで弾いてきた。
しかしもっと弾く時間を取りたい。
夜気兼ねなく弾ける環境を求めて決断した。

住む所は不快、不満であっても意外と変えようとしないものだ。
引越しは大変なエネルギーを要する。短期間でやることが山ほどあるし、お金もかかる。
でも環境を変えることで気分も変わる。
人間、ある程度の我慢は必要であるが、不快、不満、不幸を感じる環境にしがみついていないで、思い切って変えることも必要だと思う。
作家の一色次郎は、生涯で自らの意志で(転勤等必要に迫られてではなく)、何度も住居を変えた。

今度の引っ越し先は、前にも増して辺鄙な場所で、さらに静かな所であるが、夜にギターを弾けるのがいい。
自分はやはり静かな所が性に合っている。
大学を卒業して4回目の引っ越しであるが、最初の引っ越しは就職で、北海道から東京の蒲田という所の近くへの引っ越しであった。
そこに会社の寮があった。この町は、食べたり、ものを買ったりするのに全く不自由のない所であった。
至るところに飲食店や様々な店が立ち並び、駅にはデパートが直結している。
デパートと言っても、安価なものを揃えた庶民的なものだ。
蒲田駅そばの繁華街に初めて行った時、その臭いに吐き気を催した。
店のネオンがやたら目につくが、色彩は基本的に灰色の町。
まさに東京砂漠である。
上京して1年目のある日の夕暮れ、丁度今のような冬の寒い頃であったが、この空虚な灰色の町の中を冬のオレンジ色の夕陽を浴びながら、虚しく歩いていた頃のことを思い出す。

今回の引っ越しで、今まで二十数年間ため込んできた物の多さに辟易した。
就職して給料をもらえるようになると、この物の氾濫した東京砂漠の町で、虚しい気持ちをの穴埋めをするために、たいして欲しくもないものをやたら買ったことがあった。
今回の引っ越しでかなりのものを処分したが、気持ちがすっきりとした。
しかし虚しさから買い求めたものもそれなりに自分の心を助けていたことにも気づいた。

物欲に走るのは、自分が何を求めているのか、本当の気持ちがよく分からないからであろう。

前置きが長くなったが、今年の抱負を続けて書いていきたい。

5.楽器

いい楽器(ギター)とはどのようなものか考えてみる。
まず自分が今まで聴いた録音で印象に残った演奏で使用された楽器をあげてみたい。

1.バリオス作曲:最後のトレモロ、ワルツ第3番、ワルツ第4番 演奏:バルタサール・ベニーテス
  使用ギター:イグナシオ・フレタⅠ世(表面板:松 1955年作)

2.タンスマン作曲:ポーランド風組曲 演奏:アンドレス・セゴビア
  使用ギター:ホセ・ラミレスⅢ世(表面板:杉、製作年:1964~1965年?)

3.フェルナンド・ソル作曲:「もし私が羊歯だったら」による変奏曲 演奏:西村洋
  使用ギター:ヘルマン・ハウザーⅠ世(表面板:松 1937年作)

4.カタロニア民謡 聖母の御子(アンドレス・セゴビア~ホセ・ルイス・ゴンザレス編) 演奏:ホセ・ルイス・ゴンザ  レス
  使用ギター:ホセ・ラミレスⅢ世(表面板:杉、製作年:1964年)

5.グラナドス作曲 詩的ワルツ集 演奏:ジュリアン・ブリーム 
  使用ギター:ホセ・ルイス・ロマニリョス(表面板:松、製作年:1973年)

他にもあるだろうが、ぱっと思いつくのは以上である。
いずれも古い時代の楽器であるが、この時代の楽器が音の面では頂点だったと思う。

ギターの表面板には古くから松材が使用されてきたが、

(ここから先は後日書きます)
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