緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

「小さい秋みつけた」を聴く

2020-09-18 23:03:07 | 歌曲
この季節になるとこの曲を聴きたくなる。
「小さい秋みつけた」 サトウ ハチロー 作詞、中田 喜直 作曲。
この曲、大好きだ。
一度聴きだすと立て続けに連続して10回以上は聴く。

まさに日本でしか感じられない情感。
日本人に生まれて良かった、と感じられる曲だ。

この曲の詩で素晴らしいと感じる部分。

「おへやは北向き くもりのガラス
うつろな目の色 とかしたミルク」

だんだんとこういう日本独自の素晴らしいものが失われてきているように思える。
素朴さよりも経済的豊かさの方が大事なのだろうか。
私には素朴で質素な美しさの方が心を豊かにしてくれるとしか思えない。

この曲はオリジナルのピアノ伴奏のほうがいい。



とくに次の間奏の部分は優れている。



今度このピアノ伴奏譜をもとにギター独奏用に編曲しようと思っている。


ちいさい秋みつけた(昭和30年)


【追記】

ピアノ伴奏の別の録音を見つけました。
ピアノ伴奏の録音は意外に少ないです。
やはり女性の声の方が優しさが伝わってきますね。

ちいさい秋みつけた


【追記】

やはり女性の声は、本能的、DNA的な優しさ、母性愛というのだろうか、そういうものを感じる。
これは高校生の合唱の演奏の時も感じます。
コメント

寺島尚彦作詞作曲、寺島夕紗子演奏「さとうきび畑」を聴く

2020-08-23 20:59:30 | 歌曲
だいぶ以前にも記事にしたことがあったが、私が中学1年生でクラシックギターにのめり込むきっかけとなり、また決定的に私を音楽好きにさせたある1枚のレコードがある。

軽音楽 禁じられた遊び -みんなでうたおう世界の歌ー
演奏:寺島尚彦とリズム・シャンソネット・プラス・アルファ
キングレコード 1966年





家においたあった古いレコードだ。
私が幼稚園にあがる前に家で日曜日の朝にかかっていたレコード。
ステレオの前でふざけて飛び跳ねて、針が飛んだことで傷だらけとなったレコードをたまたま偶然、中学1年の冬に聴いてとりこになった。
このレコードの音をステレオのスピーカーから直接カセットテープに録音して何度聴いただろう。



本当に素晴らしい演奏、素晴らしいアレンジだった。
今聴いてもその感じ方は全く変わっていない。
この演奏、音楽を聴いてどれほど音楽に目覚めていったか。

今から10年くらい前だろうか。以前に実家から送ってもたったこのレコードが傷だらけだったので、中古で同じレコードが出ていないだろうかと探していたが、ほどなくしてヤフオクで出品されているのを見つけ落札した。
このレコードの存在を誰も知らないのか、安値だったと記憶している。

そしてしばらくして、寺島尚彦という音楽家のことを調べるようになった。
そして寺島尚彦が作詞作曲した曲として、「さとうきび畑」という曲があるのを知った。
失礼ながらもう忘れられた存在の音楽家というイメージしか持っていなかったのが、この曲が意外にも有名であることを知った。
そしてこの曲を聴きたくなり、アマゾンで寺島尚彦の次女の寺島夕紗子が歌った演奏CDを見つけ注文した。
今からちょうど10年前のことだった。



2010年の8月、大阪方面のギターショップめぐりの旅にこのCDを持って行った。
大阪行きの新幹線に夕方乗車し、退屈しのぎにこの買ったばかりの「さとうきび畑」というCDを聴いてみることにした。
これから未知の見聞をする旅の道中に聴くにふさわしい、明るく穏やかなBGMに聴こえた。
たまにこういう音楽もいいな、という気持ちで聴いていた。
しかしである。途中から思いもよらぬ「え?何で?」という変化を感じた。
知らないうちに、目頭が熱くなってどうしようもなくなっていた。
気が付いた時には、周りに気付かれないように苦し紛れに取り繕うはめになってしまっていた。

これがこの時、この曲を初めて聴いた時の衝撃だった。
その後、この曲が多くの歌手に歌われていることを知った。
今、Youtubeでは森山良子をはじめ、たくさんの演奏が投稿されている。

寺島夕紗子の演奏は正統的な声楽によるものであるから、Youtubeなどで聴く演奏に慣れた方が聴くと違和感を感じるかもしれない。
しかし私は寺島夕紗子の演奏が一番好きだし、最も感動する。素晴らしい演奏だ。
演奏法とかそういうものを通り越した、一人の人間の強く熱い気持ちを感じる。

この寺島夕紗子の演奏は、部分的に選んだショートバージョンではなく、全ての詩を歌ったフルバージョンである。
はっきり言って、ショートバージョンは意味がない。
作曲者自身もこう言っている。
「戦争の悲惨さを伝えるために、「さわわ」という言葉と、10分という長さをこの歌は必要とした」

寺島夕紗子の演奏はYoutubeに投稿されていない。
今日、ニコニコ動画で見つけた。
是非、聴いて欲しい。人間の思いの強さ、というものがこれほどまでのものなのか、ということが感じられるに違ない。



寺島夕紗子(てらしま・ゆさこ)
ソプラノ歌手
雙葉高等学校卒業。東京藝術大学及び同大学院修了。文化庁在外研修員としてスペインで研鑽を積む。国内外での演奏活動のほか、NHKはじめ全国のテレビ、ラジオ番組にも多数出演。父・寺島尚彦作「さとうきび畑」「緑陰」等3枚のCDをリリース。また書籍、新聞、雑誌への執筆活動も展開。洗足学園音楽大学講師。
(論座 RONZA 2019年6月23日記事より引用)
コメント

藍川由美演奏 島崎藤村 作詞、藤江英輔 作曲「惜別の歌」を聴く

2020-03-08 20:51:22 | 歌曲
藍川由美氏の演奏を初めて聴いたのは、今から10年くらい前であろうか。
当時は伊福部昭の20弦、25弦箏、ヴァイオリンやピアノ曲などを探しては聴いていた。
そんなときに藍川由美氏の演奏する伊福部昭の歌曲集のCDを見つけて聴いてみたのである。
この歌曲集の中では、「摩周湖」というアイヌの悲劇を歌った曲の演奏が印象に残っている。





今日、藍川由美氏の演奏を久しぶりに聴いてみようとYoutubeで検索してみたら、かなりの数の投稿があった。
その殆どが日本の歌曲である。
とくに明治、大正、昭和初期の日本歌曲が多い。

Youtubeでいくつか演奏を聴いてみたが、日本的情緒を強く感じさせる素晴らしい歌い方だ。
西洋の歌唱の歌い方に影響されていない、純度の高い歌声である。

今回は、島崎藤村 作詞、藤江英輔 作曲「惜別の歌」の演奏を下に貼り付けておきたい。

惜別の歌(昭和17年)藍川由美 Cover


哀しい歌だ。
しかし心にしみじみと響いてくる。
聴くたびに気持ちが浄化されていくのが分かる。
とてもつらい気持ちを感じたときに聴くべき歌であろう。


<惜別の歌について>
「惜別の歌」は、昭和19年、本学予科生であった藤江英輔氏が軍需工場での勤労動員中、召集令状により戦地に赴く学友へ惜別の情を込め、島崎藤村の詩「高楼」に曲をつけたものである。藤江氏は制作にあたり、「高楼」の8連の詩から1、2、5、7連を抜き、1番の「わがあねよ」を「わがともよ」と変えている。
戦争末期「生きて帰ってこい」と言えない世情の中、秘かに友の無事を願う哀惜のメロディは、工場で口づてに広まり、送別の度に歌われた。戦後、島崎藤村のご遺族からご諒承を得た上で、本学グリークラブ(中央大学文化連盟音楽研究会男声合唱部)の歌声でレコーディング(3番まで収録)された。その後、歌手の小林旭氏が歌い人気を博し、惜別の歌は中央大学から社会へ羽ばたき全国に広まった。現在も卒業式等で歌い継がれる本学にとって大切な学生歌である。
【中央大学ホームページより転載】
コメント

寺島尚彦作詞作曲「さとうきび畑」を聴く

2019-12-15 00:26:56 | 歌曲
久しぶりに寺島尚彦作詞作曲の「さとうきび畑」を聴いた。
寺島尚彦氏と言えば、昭和30年代に「リズムシャンソネット」という軽音楽のバンドを率いて演奏していた。
私が幼い頃に家でレコードでよく聴いてのが、寺嶋尚彦&リズムシャンソネットの「世界はうたう」という1枚のレコードだった。
そして中学1年生の時に、このレコードを久しぶりに聴いたことをきっかけに私は音楽好き人間になってしまった。
私の運命を変えたとっても大切なレコード。

その寺島尚彦氏のことを10年前ほど前に調べていて、「さとうきび畑」という歌曲があることを知り、寺島尚彦氏の娘の寺島夕紗子さんのソプラノの演奏が収録されたCDを買って聴いてみたのである。
それは、10年ほど前の8月の暑い日だった。
夏休みに大阪に行ってギターショップめぐりをしたのであるが、その大阪行きの新幹線の車内で何気なく聴いたこの曲を、最初は明るい楽しそうな曲だな、と思って聴き流していたのだが、だんだんそんなわけにいかなくなってしまった。
こんな明るいの音楽なのに、何で、すごく悲しいんだ!。
車内で泣くわけにはいかなかったので、必死で平静を装った。

寺島夕紗子さんの録音がYoutubeに無かったので、森山良子さんの演奏を貼り付けさせてもらう。

森山良子「さとうきび畑」(from 『Concert Tour2007-2008』)
コメント

正調 五木の子守唄を聴く

2019-09-15 22:24:56 | 歌曲
昨日の新聞に、正調五木の子守唄の伝承者である、堂坂ヨシ子さんの記事が載っていた。
8月2日死去。
丁度私の父の命日と重なる。

五木の子守唄として現在広まっているのは、第2次大戦後、作曲家の古関裕而さんによって編曲されたものであり、昔から歌い継がれていたものとは異なる。
この唄は口減らしのために子守奉公に出された五木村の娘たちの苦しみや古里を思う気持ちを歌ったものだと言われている。
このことは以前記事にしたことがあったが、現在の五木の子守唄になる前から熊本県五木村に代々伝わってきたのが「正調五木の子守唄」と呼ばれているのである。

正調五木の子守唄の伝承者は亡くなった堂坂ヨシ子さん以外に8人しかいないという。
Youtubeで探したが、数は極めて少ない。
幸いにも堂坂ヨシ子さんが歌う、2008年「五木の子守唄祭」でのライブ映像が見つかった。

五木の子守り唄まつり


それ以外にもいくつか見つかったが、ドライブインで歌う若い歌い手の映像は以前記事で取り上げたことがあった。
正調の方がしみじみとしていて、悲しい。
心にしみいるとは、このような歌のことを言うのだろう。
素朴以外の何物でもない。
プロが歌う歌ではない。

正調 五木の子守唄


正調、五木の子守歌


正調五木の子守唄・民宿ロッジ山小屋開業20周年記念


Itsuki Lullaby sung by my mother 母が歌う正調五木の子守唄


【追記】
下記、五木村のホームページでも動画が見られます。

https://www.vill.itsuki.lg.jp/komoriuta/komoriuta.html
コメント