緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

割れた爪の補修について(ギター)

2012-03-31 23:38:25 | ギター
こんにちは。
今週は昨日まで晴れで暖かかったのですが、今日は午後から雨になりました。
3、4日前の週間天気予報でも今日は雨になると予想していたので、今の天気予報は
本当に当たるようになりましたね。昔の天気予報は外れるのが当たり前でした。
2、3日前に右手人差し指の爪を割ってしまいました。
会議に使う資料を印刷したら、途中で紙切れになって補給する際に、コピー用紙の包装
を空けるときに手をすべらして根元から完全に爪を割ってしまいました。
会議に間に合わせようと急いでやったのがまずかったですね。
クラシックギターを弾く者にとって爪を失うということはギターを弾けなくなることを
意味します。爪はそのくらい大切なのですが、うかつでした。
爪を割ったのは10年ぶりくらいかな。
10年くらい前に割った時も人差し指の爪で根元から完全に割れました。
割れると爪の先端がギザギザになり、引っ掛けやすくなり、さらに残った爪が裂けて
しまう恐れがあるため、なるべく早いうちにこのギザヒザをヤスリや爪きりで平坦にして
おく必要があります。



割れた爪をとっておいてアロンアルファでくっつけることもできないことはないですが、
あまり上手くいかなかった記憶があります。
そこで前回割ったときには、ギター専門店で爪を補修できるものを探しました。
その時某ショップで見つけたのが下の写真の付け爪です。



この付け爪は女性がファッションのために使うものですね。ギタリスト用のものでは
ありません。こんなもので大丈夫だろうかという疑念を感じましたが、その時はこれし
かなかったので、値段もそんなにしなかったこともあり購入しました。
そして使ってみたら意外に使いやすいものでした。装着するのも簡単です。
サイズは大小いくつかありますが、実際に使えるのは大きい順に2番目までですね。
使い方はまず、

①付け爪とアロンアルファと爪きりと爪磨き用のヤスリを用意します。



②割れた爪の大きさと同じくらいの付け爪を探し、余分な付け爪の先を爪きりでカット
 します。



③付け爪にアロンアルファを塗り爪に貼り付けます。



④付け爪の先端を爪切りで整え、更に紙ヤスリで削り、後はいつも自分の爪を磨くのと
 同じ要領です。





実際にこの付け爪でギターを弾いてみると少し違和感はあるものの、ほぼ自分の爪と
変わらない感じがします。
付け爪自体も丈夫なものなのでしばらくは繰り返し使えるでしょう。
現在はもっといい補修キットがあるかもしれませんが、この方法でもそこそこ使えます
よ。
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セザール・フランクのピアノ曲について

2012-03-24 22:00:48 | ピアノ
こんにちは。
もう少しで入学・入社の時期ですね。
私も25年前の今頃は、大学を卒業し、遠く東京へ就職のために出て行こうとしていた
時期です。ものすごく不安でしたね。希望もありましたが、本当に一人で知らない土地
でやっていけるんだろうかという気持ちとの葛藤でした。
また朝早く起きれるんだろうかという別の不安もありましたね。
今日久しぶりにピアノ曲を聴きました。
30代でフランスの作曲家ガブリエル・フォーレのピアノ曲に出会い、フォーレのピアノ
曲にすっかり惹き込まれてしまった私は、最高の演奏を求めてCDを買いまくったこと
がありました。
その過程で、フォーレと同じフランスの作曲家で、フォーレの時代と同じかそれに近い
時代に生きたフランスのピアノ作曲家の曲も聴いてみたいと思うようになりました。
それ以前にもドビュッシーやラベルのピアノ曲はギーゼキングのCDで聴いていたが、
あまり心に残らなかった。何故なんだろう。「月の光」や「亡き王女のためのパバーヌ」
など万人が美しいと感じる曲は別として、それ以外の曲は何度聴いても心に残らなか
った。演奏会などでも多くのピアニストがドビュッシーやラベルの曲を取り上げています
ね。
またサティは初めからつまらないと思っていたし(ロジェのCDは持っていますが)、
どんな曲なんだろうと思って買ったフランシス・プーランクのCDは全く私の感覚に
合わなかった。
しかしベルギーに生まれ、12歳でフランスに移住しパリに没したセザール・フランク
(1822-1890)の曲は違っていた。
フォーレが1845年生まれ、1924年に没しているので、フォーレよりも23歳
上ですね。親と子くらいの年齢差ですね。
12歳でフランスに移住してからパリ音楽院に学び、その後教会オルガニストを長く務め
50歳からパリ音楽院オルガン科教授として一生を送ったようである。
フォーレとフランクとの共通点は共に教会オルガニストを長く務めたことである。
フォーレのピアノの代表作である夜想曲は、J・S・バッハやグレゴリオ聖歌を土台と
したフランスの伝統的教会対位法の影響を受けているといわれている。
フランクの音楽の特徴は聴けばわかりますが、バッハなど古典的音楽形式を基礎に置き
ながらも、1つの主題が他の楽章で繰り返し現れる循環形式や大胆な転調、半音階的
和声進行、ロマン派的、交響曲的手法などを取り入れ、フランク独自の手法を築いたと
言われている。
フランクの音楽は派手さや斬新さはないが、フォーレと同様、バッハの音楽形式の研究、
膨大な教会音楽の演奏の体験から得られた音楽構成の緻密さを感じることができる。
その音楽構成を土台にしてフランク独自の感性を表現している。何度も聴くことにより
味わいを深められるような音楽と言えよう。
フランクのピアノ曲の代表作は次の2曲です。

・前奏曲、コラールとフーガ(1884年)
・前奏曲、アリアと終曲(1887年)

特に前奏曲、コラールとフーガは非常に聴き応えがあります。この曲はお勧めです。
一度聴いて見て下さい。好き嫌いの分かれる曲かもしれませんが、フォーレの好きな
人であればいい曲だと感じるかもしれません。
私が聴いた演奏はフランスのアルフレッド・コルトーによるものです。







このCDはダイソーで確か1枚100円で買ったものです。今売っているかどうか分かり
ませんが、歴史的名演が100円で買えるとは驚きです。
一昔前まで古い音源のCDは有名レーベルから出ているもので1300円、駅のスタンド
の安売りでも1000円であった。
前奏曲、コラールとフーガのコラールに出てくるさざ波のような分散和音が印象的だ。
このフレーズがフーガの最後にも繰り返される。先に述べた循環形式である。
コルトーの演奏は生命力に溢れ、音に力があり、凄い演奏です。
当時の演奏会場での生演奏からの録音と書いてあるから、若干の破綻もあるが、そんな
破綻も全く気にならないところが、歴史的名演奏家のもつ音楽性の強さなのであろう。
先日紹介したチェロのフルニエやギターのゼゴビアも然りである。
フランクのオルガン曲でのお勧めは、

・前奏曲、フーガと変奏曲(1862年)

最晩年に作曲された3つのコラールがオルガン曲の最高傑作といわれているが、初めて
聴くのであればこの曲がいいと思う。
CDはマリー=クレール・アラン(フランスの世界的女流オルガニスト)のものを聴い
た。



このCDもフランクのピアノ曲を聴き始めたころに買ったものであるが、今売っている
かどうか分からない。マイナーな曲のCDは最近、廃盤になることが多いからだ。
あとフランクの有名な曲としては、

・交響曲ニ短調(1888年)



上のLPはロリン・マゼール指揮による1961年録音のものです。
それにしても教会オルガン音楽とはどんな曲なんだろう。グレゴリオ聖歌は聴いたこと
がありますが、今度聴いてみたいものだ。
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タイガーマスク テーマ曲「みなし児のバラード」 (その2)

2012-03-20 21:28:08 | その他の音楽
こんにちは。
前回のブログで1960年代終わり頃に放映された「タイガーマスク」のエンディング
テーマ曲である「みなし児のバラード」のことを紹介しましたが、DVDをレンタルし
ようと思って近所のレンタル・ショップ(2軒)で探してみましたが、見つけることは
できませんでした。
DVDは絶版になっているようですね。是非再発売してもらいたい。
youtubeでこの「みなし児のバラード」のオリジナルの映像付き音源を探しに探して、
やっと見つけました。
もう感動以上の嬉しさでしたね。むさぼるように画像を見て、むさぼるように聴きま
した。













最後の写真は「みなし児のバラード」の曲が流れる映像の1つではありません。
これは主人公、伊達直人との実ることない悲しい恋で終わった、若月ルリ子の映像。
タイガーマスクは巨人の星と共に、日本アニメ史上の最高傑作であり不朽の名作です。
これ以上の作品をもう作ることはできないでしょう。
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タイガーマスクのエンディングテーマ曲「みなし児のバラード」を聴いた

2012-03-18 21:53:28 | その他の音楽
こんにちは。
以前、2月初めのブログで「日本経済これからどうなる」と題した記事を書きましたが、
その中で、高度経済成長期に放映されていた子ども向けのアニメである「タイガーマス
ク」の話をしました。そしてこのアニメのエンディング・テーマ曲について触れました。
今日このエンディング・テーマ曲を見つけることができました。



多分オリジナル(サントラ)だと思います。映像が流れないのが残念ですが、40年ぶり
に聴いて感動しました(大学時代に再放送を何回かみたので30年ぶりかもしれない)。
作詞:木谷梨男、作曲・編曲:菊池俊輔、唄:新田洋 / スクールメイツ
ものすごく哀しい曲ですね。しかし名作です。不朽の名作だと思う。
一度聴いたら忘れられないです。詩も曲も心に強く刻み込まれる。
数十年間、この曲が記憶から消えることはなかったですね。
このような哀しい詩や曲が、子ども向けのアニメのテーマ曲として流れていたなんて、
今の時代では絶対に考えられないが、当時は違和感を感じなかった。
今の子どもたちがこの曲を聴いたら驚くでしょうね。
この詩に出てくるみなし児に対する気持ち、それは恐らく戦争で親を失った子ども、主
人公である伊達直人の気持ちであり、タイガーマスクのストーリーの根幹でもあるのです。
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去り行くブルートレイン

2012-03-17 21:18:06 | 鉄道
こんにちは。
今日の朝刊に寝台列車「日本海」の廃止を知らせる記事が載っていました。
ここ数年、ブルートレインといわれる寝台列車がどんどん廃止され、姿を消していき
ました。残念なことです。



この「日本海」、青森-大阪間を走る長距離の寝台列車で、私の高校時代の修学旅行
で京都に行ったときに乗った列車でもあります。
私の高校は北海道でしたが、当時(30年以上前ですが)北海道と本州を結ぶ青函
トンネルが未だ開通していない時代で、函館まで特急列車に乗り、函館-青森間は青函
連絡船に乗り、青森についてから寝台特急「日本海」に乗ったのでした。
京都まで到着するのに24時間くらいかかった記憶があります。
私は当時鉄道ファンだったので、寝台列車に乗るのが楽しくてしょうがなかったです
ね。
私が高校生の頃は、北海道でもまだディーゼル列車が多く走っており、電化されていた
のは確か小樽-旭川だけだったかな。
貨物列車を牽引するディーゼル機関車はDD51型が数多く見られましたね。格好良く
憧れの機関車でした。
国鉄に入り、このDD51を運転する機関士になりたいと真剣に考えた時期もあったで
す。
現在はDD51も少なくなり、不恰好なディーゼル機関車にとって代わられたようだ。
青函連絡船に貨物を入れるための機関車はDE10型。このDE10も結構見かけまし
た。
電気機関車では赤色のED76型。東北地方を走るED75型の車体を長くしたような
機関車でした。この機関車で昔のこげ茶色や青色の、天井がアーチ型で高く、壁や床
や座席が木製で出来ていた客車を牽引し、旭川-函館間(小樽回り)を1日何本か運行
していましたね。
ディーゼル列車は肌色の車体に窓の部分がオレンジ色で、発車するときに青い煙をはきな
がら、独特の音を立てていた。そのにおいが好きでしたね。このにおいが嫌な人もいます
が。
電気機関車が牽引する客車もディーゼル列車も発車してしばらくスピードが出なかった
が、当時のんびりしていた北海道ではぜんぜん気にならなかったですね。
高校の修学旅行で本州の電気機関車を数多く見てきました。北海道では見られない紺色
とクリーム色の機関車。
EF65を初め、EF58、EF64、EF66、EF81、ED75などを見ること
ができた。
EF58はスリムで車体が長く、車体の前部の窓の部分が斜めになっており、非常に
美しい形をしていた。
はっきりいって昔の機関車の方がデザインが優れているのは間違いありません。
最近の機関車のデザインにはがっかりさせられます。昔の設計者(デザイナー?)のほ
うが美的感覚は数段上だと思う。
シンプルだけど、調和のとれた美しさ。余計なもの、無駄なものが一切無い。地味な中
に美しさを感じさせる能力が秀でていると感じさせられずいられないですね。EF58
やDD51はまさにそういうデザインだと思う。
寝台の客車もブルートレインの初期型である20系寝台の車体前部の流線型は非常に
美しかった。寝台幅50cmの3段寝台である。ファンも多いのではないか。
昔はバスにしてもカメラにしてもそういうデザインが多かった。
社会人になっても寝台列車は随分利用しました。
就職と同時に東京に出てきましたので、帰省するときは寝台列車を利用したのです。
今まで乗った寝台列車は。

・あけぼの(奥羽本線経由)
・はくつる(昔は電車で座席しかなかったと思う。その後ブルートレインになり寝台列車
 となり、廃止されてから臨時列車として再び電車に戻ったように記憶している。
 電車寝台は3段であるが、下段の寝台の幅は1mくらいあり、非常に寝心地が良かっ
 た。東北本線経由)
・ゆうづる(高校の修学旅行の帰りに乗った。常磐線経由)
・北斗星
・エルム(上野-札幌間。臨時列車)
・八甲田(急行。昔は座席だけだったが、後で寝台車両が連結された。)
・はまます(青森-札幌間。一部寝台車両が連結)
・鳥海(乗ったかどうか記憶があいまい。乗っていないかもしれないが載せておく。
 上越線経由)

あと寝台列車ではないが、急行の夜行で電車の臨時列車であった、
・津軽(上野-青森間)

関西、九州方面では

・北陸
・あかつき
・銀河(急行の寝台列車。東京-大阪間)
・出雲
・彗星

寝台列車ではないが急行「能登」にも乗った。何故かめちゃくちゃ混んでいて、通路
に横になって寝た。

ブルートレインではないが、トワイライトエキスプレスやカシオペアも寝台列車である
が乗りたいとは思いません。車体が嫌いだし、牽引している機関車も嫌いだ。
北斗星も北海道に入るとディーゼル機関車であるDD51の重連が連結するが、青い
色で星マークのある塗装に塗り替えられてしまってかわいそうだね。
ブルートレインは今後どんどん廃止されていく運命なのでしょう。
ブルートレインの客車を新造することはもうないだろうと思う。寂しいかぎりだ。
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