緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ヴィラ・ロボスの練習曲第1番の運指について

2012-02-26 22:57:46 | ギター
こんにちは。
2月ももう終わりだと言うのに真冬のような寒い1日でした。
でももうすぐ春がやってきます。
さて今日はブラジルの生んだ大作曲家であるエイトル・ヴィラ・ロボス(Heitor
Villa Lobos 1887-1959)が作曲した、ギターのための12の練習曲の第1番の
運指について考えてみたい。
この12の練習曲の第1番を初めて聴いたのがギターを始めて間もない頃の中学
2年生の時です。
初めて買ったクラシック・ギターのレコードにその曲が録音されていました。演奏
者はナルシソ・イエペス。まだ6弦ギターを弾いていたときの録音で、1950年代
の終わりから1960年代の初め頃の録音だと思われます。
この演奏を聴いたときの衝撃は凄かったですね。複雑なアルペジオ(分散和音)を
信じられないようなスピードで弾いているだけでなく、中間部から和音が徐々に下降
していく部分では②弦のタッチを強烈に強調するだけでなく、こだまのように響か
せていました。私の兄はこのこだまの部分は電気処理している、と言っていたが
それは明らかに間違い。youtubeで10弦ギターでこの曲を弾いたイエペスのライブ
が見られますが、レコードと同じ弾き方をしています。
イエペスは10弦ギターに持ち替えてから12の練習曲全てを録音したが、第1番
の演奏は6弦時代の方が微妙に早い上に迫力があります。
とにかくこのイエペス以上の速さで弾ける演奏家はいないのでは。この練習曲第1番
を聴いてから、エレキギターでロックの速弾きを自慢していたクラスの連中の言う事
が幼稚に思えるようになった。クラシック・ギターこそがギターの中でテクニックが
最も難しいジャンルなのだと確信した。
中学生だったその当時、私はこの曲が弾きたくて楽譜が欲しかったのですが、札幌
まで出かけて、YAMAHAセンターに置いてあった輸入楽譜を何度も見に行きました。
当時の値段で2,900円。買えなかったですね。
この楽譜、私の記憶では白い粗末な表紙に濃い青の字で標題等が印刷してありました。
多くの人がその楽譜を買わずに見るだけだったようで、表紙をめくる所が黒ずんで
いましたね。
その後大学1年生になってやっと楽譜を買えるようになり、YAMAHAに行き、そ
の欲しかった楽譜を買いにいきましたが、売り切れていました。
がっかりしましたが、札幌のかさはらギター店(現在はありません)に行き、マックス
エシッグ社の輸入楽譜をとうとう手に入れました。



この楽譜、中学生の時にYAMAHAで見た楽譜とは違いました。店の人にこの楽譜
本当に本物ですか、と聞いたら、ヴィラ・ロボスの楽譜は全てこのマックス・エシ
ッグ社のものしかない、と言われました。
ではYMAHAで見たあの楽譜はどこの出版社だったのだろうか。表紙も違うし、
中の譜面の書き方も違っていました。海賊版だったのだろうか。そういえば評論家の
濱田滋郎氏もヴィラ・ロボスの楽譜の海賊版を手に入れたと現代ギター誌に書いて
いたのを見たことがある。
確かドレミ楽譜出版社から出ていたギター曲集、グレードA,B,Cの中で80
年代初めに出版されていたものには、マックス・エシッグ社とは別の版で12の
練習曲の中の1番と11番が掲載されていた。この曲集は実家に置いてあるので
版元を確認できないが、マックス・エシッグ社が版権を独占していた中でも違う
版があった可能性があります。
最近ではギタリストのフレデリック・ジガンテが運指付きの12の練習曲集を出した
ので、マックス・エシッグ社の版権が切れたのかもしれない。

さて、この第1番の難所は、中間部の分散和音が下降しきってから再び上昇して直ぐに
始まる下降スラーのパッセージです。ここは運指の取りかたで弾きやすさが全然違って
きます。
その運指も弾き手によって様々であり、これがベストというものはないようです。
マックス・エシッグ社の譜面では7フレットでの押さえを経由して12フレットから
下降スラーが始まるように記載されています。アンドレス・セゴヴィアのライブ演奏
の映像を見ても、原譜どおりに弾いていることが分かります。
私が始めてこの曲を練習した頃、楽譜に運指が皆無と言っていいほど書かれていなかっ
たので、試行錯誤しながら自己流で運指を決めていました。当時は近くに教室など
なく、頼るものはNHKギター教室や現代ギター誌、教本しかありませんでした。
しかし大学時代に現代ギターの臨時増刊でヴィラ・ロボスの特集が出版され、その
本に部分的に掲載された運指が参考になりました。独習者にとっては大変ありがたい
ことでした。







自己流の運指のあとはこの運指で弾きました。でもこの運指、12フレット上の左
指がちょっときついのと、②弦上での移動距離が長いので、なんとなく弾きにくい
ものでした。
次に試したのは、96年に現代ギターが再びヴィラ・ロボスを特集した臨時増刊号
に掲載されていた運指。







この運指も12フレット上での左指が中指と薬指を使用しているので弾くずらく、
長続きしませんでした。④弦上での移動距離も長いので、ミスしやすいものでした。
その後、下のような変わった運指も試しましたがどうもしっくりこない。




そこで色々考えて、
・同一弦上での移動距離をできるだけ短くする。
・スラーは人差し指(1)と中指(2)の交互で統一する。
・12フレット上での左指の押さえが窮屈または不自然にならないようにする。
・スラーを復弦で行うような安易なことはしない(確かアルバロ・ピエッリがして
 いたかな)。
以上の4点を満たす運指を施行錯誤を繰り返して自分に最もしっくりくる運指となった
のが下の譜面です。





今のところこの運指で落ち着いています。
ヴィラ・ロボスの練習曲は運指を考える機会をたくさん与えてくれる優れた練習曲
集だと感じざるを得ません。

【追記】
2011年8月に録音した音源を参考に貼り付けておきます。

ヴィラ・ロボスの練習曲第1番 2011年8月18日 北海道の実家にて(使用楽器:山野輝慈1972年)
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感動した合唱曲(全日本合唱コンクール高等学校部門) (2)

2012-02-19 21:34:40 | 合唱
こんにちは。
しばらくブログで遠ざかっていた合唱曲について書きます。
高校生の合唱コンクールの演奏で、感動選集の2回目(全日本合唱コンクール高等学校
部門)は、H23年度(第64回)大会Bグループで演奏した、関西支部代表和歌山県
立田辺高等学校です。
その演奏曲は、課題曲「父の唄」(作詞:谷川俊太郎、作曲:高嶋みどり)です。







この演奏を初めて聴いたとき何か心に強く感じるものがありました。
そして2回、3回と繰り返し聴くたびに、それが演奏者たちの非常に強い感情エネル
ギーなようなものであることがわかった。
この演奏はとても素晴らしいものです。技術的にも音楽的にも。そしてそれらを超える
ものが伝わってくる。
演奏会前に起きた台風で大切な仲間を失ったそうだ。朝日新聞にもそのことが出ていた
し、コンクールのプログラムの学校紹介にも書いてあった。
この学校の生徒たちに歌われることで、詩や曲自身が喜びに満ちているような感じを
を受けた。
志し半ばで天国へ逝った仲間もきっとこの演奏を聴いて嬉しく思っているに違いない
と思うのです。
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感動した合唱曲(NHK全国学校音楽コンクール:Nコン)(3)

2012-02-19 15:09:08 | 合唱
こんにちは。
しばらく合唱曲から遠ざかっていました。
今日は今まで聴いた合唱コンクール高等学校の部の中で感動した演奏を紹介したいと
思います。
今回はNコン(NHK全国学校音楽コンクール)で第3回目の紹介です。
そしてその演奏は平成21年度(第76回)大会に出場した、四国ブロック代表の愛媛
県立西条高等学校です。
演奏曲は、作詞:近松門左衛門、作曲:千原英喜の「混声合唱のための「ラプソディ・
イン・チカマツ[近松門左衛門狂想]から壱の段」です。





この演奏は、前回紹介した同年のNコンの課題曲「あの空へ~青のジャンプ~」の
西条高校の演奏と共に、私が今まで聴いてきた合唱曲の中で最高の演奏です。
聴く回数も圧倒的に多いです。1回聴いて、またすぐに繰り返し聴いてしまうんですね。
また何度聴いても感動が変わらないところがこの演奏のいいところです。
西条高校は過去のNコンでは確か昭和53年度で優勝しているはずです。その後は私
の記憶が正しければ平成9年度大会に出場しているはずです。課題曲が「めばえ」とい
う曲の演奏をCDで聴いたことがあります(間違っていたらごめんなさい)。
地方の公立高校で部員数が少ないが、少ないなりにその良さを活かした完成度の高い
素晴らしい演奏だと思います。
テノールが素晴らしいが、私は女声が特に好きです。西条高校の女声は他の高校には
見られない独特のものを感じます。ホールの奥まで突き抜けていくような力強く通る声、
透明感、艶があり、そして女声らしい優しさが自然に表現できているところに魅力を
感じます。
この「チカマツ」の西条高校の演奏を聴くと、彼らが凄い集中力で歌っていることが
わかります。そして最高と感じるのは、彼らが歌を歌うことが本当に好きで、歌を歌う
ことに最大の喜びを感じていることが聴き手に伝わってくることです。
まさに無心で演奏していることがわかる。この無心で演奏していることが好きなんで
す。
この「チカマツ」の歌詞ですが、演奏を聴いているだけでは殆ど理解できません。
やはり原詩を見ないとわからないので、全音楽譜から出ている楽譜を買って読みました
が、作曲者の解説もあり、この曲の意味や背景が良く理解できます。





この楽譜の中で作者は、「義太夫や歌舞伎など即興性と大きな感情振幅を特質とする和風
の要素を、西洋合唱音楽の響きの同質性、共和性に融合させるだけでなく、あえて
お互いを激しく交錯させ、そこから立ち上がるであろう新鮮な音場、すなわち伝統に
根ざしながらも次世代のあたらしい響きへの可能性を秘めた、生命力と緊張感みなぎる
濃密な音楽空間の現出を期待している。自由闊達な精神と創造へのあくなき意欲で、
ファンタジーに充ちた声の浄瑠璃万華鏡世界を活き活きと展開させてほしい」と述べて
います。
日本の伝統芸能や伝統音楽を西洋の音楽様式に融合させる試み、日本の音楽界では、
武満徹や下山一二三などの作曲家が知られていますが、困難な作業なのであろう。
クラシックギター曲においても、「ギター・ソナタ」を作曲した原田甫(伊福部門下
の作曲家)は、日本独自の音楽旋法である5音音階陰旋法を西洋様式の楽器に移し
替えて音楽を作り上げることがいかに困難な作業であるかを述べています。
下は「ギター・ソナタ」の第2楽章の冒頭部の譜面。



この「チカマツ」をより深く理解するためには、もっと近松門左衛門や浄瑠璃など
を研究しなければならないが、それをしなかったとしてもこの曲は十分に感動を与えて
くれるものです。
西条高校の演奏は作曲家の意図を十分に理解したものであると思います。
西条高校は、同年に開催された全日本合唱連盟主催の全日本合唱コンクール高等学校
部門において、この「チカマツ」の貳の段を演奏しましたが、その演奏も素晴らしい
ものです。
Nコンの壱の段と合わせて是非聴いてみることをお勧めします。

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フィルム式カメラはどうなった

2012-02-12 15:25:55 | 写真
こんにちは。
今日は1日休むことができそうです。会社に使われる年代なのでしかたがないのです
が。
さて、今カメラというと殆どがデジタルカメラのこと言うのですが、10年くらい
前まではフィルム式カメラが主流でした。
昨日会社で仕事中にふと、そういえばフィルム式カメラって今は売っているのかな、
ということが浮かんできました。
私は現在は中断していますが、昔、重い撮影機材を担いで美しい自然を撮りに日本
のあちこちを旅していたことがあります。
若い頃は仕事も忙しくなく時間に融通がきいたことや、その頃は精神的に辛く、何か
打開策を求めて行動を起こすためでもありました。20代終わりから30代半ばくら
いの頃です。
昨日久しぶりにその当時使っていたカメラを出してみました。



上の写真の奥のペンタックスMXは中学校時代に新聞配達をして貯めた金ではじめて
買った自分のカメラで、手前のキャノンF1は社会人になってから買ったものです。
いずれもマニュアルフォーカス、機械式シャッターの一昔前のカメラですね。
真鍮製の金属ボディに焼付け塗装を施した頑丈な筐体、ピント合わせ露出合わせ、
フィルムの巻上げ・巻き戻し、シャッター速度の指定など全て手動で行うものでし
た。まさに機械というべき存在でしたね。
その後、オートフォーカスのカメラに取って代わられますが、金属ボディから樹脂製
ボディに変わり、操作は自動化されました。機械というより電気製品という感じで
すね。オートフォーカスのカメラには見向きもしませんでした。
フィルムはネガカラーフィルムとリバーサルフィルムの2種類がありましたが、風景
写真を撮るにはリバーサルフィルムを使いました。
ネガカラーはいくら撮影時に露出を自分で決めても、プリントしたらかなり違う結果
になることが多かったからです。これはフィルムの特性によるものであり、発色や
色の濃さなどはプリント作業に左右される面が大きいからです。
その点リバーサルフィルムは撮影時の露出を忠実に反映しやすいので、値段は高い
ですがよく使いました。

下は今まで撮影した写真の一部です。



有楽町の1枚以外は全てリバーサルフィルムで撮影したものです。
今まで撮影旅行に行った中で最も印象に残っているのは、四国の大堂海岸と東北の
南八甲田です。
四国の大堂海岸はそこまでたどり着くまでが大変でした。確か新幹線で岡山まで行き、
岡山から特急に乗り換え、瀬戸大橋を渡って四国に入り愛媛県の宇和島まで行き、
宇和島から長距離バスに乗り換え宿毛まで行きそこで1泊。次の日の朝、バスで大堂
海岸の入り口まで行った記憶があります。
その景色は素晴らしいものでした。11月初めでしたが人が誰もいなく、こころゆく
まで撮影に集中できました。下はその時撮った写真の一部です。



次に南八甲田ですが、行ったのはまだ登山ブームが始まる前の頃で、マイナーな
山でした。昭和初期に建設された軍用道路の残骸が残る登山ルートをゆるやかに登って
いき、ルートの最後に櫛ガ峰という山があり、急勾配でやっとの思いで登った記憶が
あります。
下の写真は櫛ガ峰山頂から撮影した池塘です。この近くに黄瀬沼という沼がありま
したが、静かな神秘的な沼でした。
この南八甲田の登山ルートから十和田湖に抜けるルートがあるのですが、そこは
行かずに元のルートで下山しました。



宿泊は大体4千円以下で泊まれるところを利用しましたね。
ユースホステルが多かったです。下はユースホステルに泊まって押してもらった
スタンプです。



交通手段はJR中心です。今はもう廃止された周遊券をよく利用しました。青春18
きっぷを使ったこともあります。



デジタルカメラは撮影してすぐに結果を見ることができ、気に入らなければ取り直し
もできますが、フィルム式カメラは現像してみないと良く撮れているかどうかは
わかりません。だから露出の決定や構図などは真剣に集中しながらやったものです。
どんどん便利になって進化していくカメラですが、撮影という行動をしている実感
は無くなるような気がします。

撮影旅行には久しく行っていませんが、行けるようになるのは仕事の第一線から退いた
時かな。
またこのカメラを持って未知の自然を撮ってみたいものだ。
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ギターの弾きやすさを決める要素 ネック厚について

2012-02-12 00:34:56 | ギター
こんにちは。
少し暖かくなってきましたね。
今日は午後から出勤だったのですが、寒い時はヒーターが殆ど効かない私の車でも
日中は車内が暑く感じられるほどでした。もう2月も半ばです。
だんだん春の訪れが近くなっているようです。
さて、私は現在スペインの作曲家であるモレノ・トローバ(F.Moreno Torroba)の
ギター曲である「ブルガレーサ(Burgalesa)」という曲を弾いているのですが、冒頭
の和音の左手の押さえが難しいんですね。ギター曲では珍しい嬰ヘ長調の曲なのです
が、4指(小指)の拡張を強いられるため、音が十分に鳴りきらないのです。



このためか、ギターの巨匠アンドレス・セゴビアはホ長調に移して演奏しています。
ジュリアン・ブリームの若いときの録音では原曲どおり嬰ヘ長調で弾いていますね。
個人的には嬰ヘ長調の方が好きです。



しかし先日このこの曲を昨年購入した小ぶりのギターで弾いてみたところ、この冒頭
の押さえが楽にできるのです。
このギター、小ぶりと言っても弦長は650mmです。ボディがやや小さめです。
最初、このギターの弦幅(1弦から6弦までの距離)が狭いからこの和音が弾きやす
いのだと思っていました。
そこで普段メインで弾いているギター(弦長は650mm)と比べて弦幅がどのく
らい違うのかを確認してみることにしました。



①指板幅(ナットのすぐ手前):小ぶりギター51mm、メインギター:53mm
②弦幅(ナットのすぐ手前):小ぶりギター43.5mm、メインギター:43.5mm
③弦幅(5フレット上):小ぶりギター47mm、メインギター:47mm

予想に反して弦幅は2台とも同じでした。しかし何で小ぶりギターの方が和音を
楽に押えられるのか。弦の高さや張りの強さもほぼ同じです。
色々考えて、もしかするとネック(棹)の厚みが違うからではないかと思い、3フ
レット上でネック厚を測ってみました。弦を張った状態での計測なので、多少の
誤差はありますが、小ぶりギターが23mm、メインギターが25mmでした。
ここで初めて両者の差異が出ました(指板幅は考慮外)。
ネックの厚みというのは弾きやすさにかなり影響していることがわかります。
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