緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

カザルス演奏 カタロニア民謡「鳥の歌」を聴く

2024-04-07 22:38:36 | チェロ
今日は東京マンドリンクラブの合奏練習。
合奏練習については思うとおりに演奏出来ない点が多々あった。でも良かったと思う。それが今後に大きなプラスとなってくれることを願いたい。

練習後は反省会。今日の反省会は楽しかった。
帰りの電車で居眠り。居眠りした後で、何故かこの曲を聴きたくなった。

Pau Casals - El cant dels ocells (at the White House)

コメント (2)

フォーレ作曲「エレジー Op.24」を聴く

2016-08-14 00:06:23 | チェロ
静かな夜に聴くのにふさわしい曲だ。
ガブリエル・フォーレ作曲「エレジー Op.24」。
この曲は、チェロ独奏と管弦楽のための楽曲として1880年に作曲されたが、今日聴いたのはチェロとピアノのための二重奏版である。
エレジーとは「悲歌」とも言われる。

初めて聴いたのは、フォーレのピアノ曲の鑑賞に熱中していた頃の30代半ばであった。
録音は、チェロ:ポール・トルトゥリエ、ピアノ:エリック・ハイドシェック。
後で、チェロ:ロベール・ザール、ピアノ:ジェルメーヌ・ティッサン・ヴァランタンの演奏も聴いた。
私は後者の演奏の方が好きだ。
作品24であるから、フォーレの作品としては初期の部類に入る。

ハ短調のピアノの和音が8回繰り返された前奏の後の冒頭のフレーズは、冷たい晩秋か冬に降る冷たい雨を思わせる。そして気持ちは悲愴感に満ちている。
戦争で壊滅的な被害を受け、何もかも失った時に感じる時の感情だろうか。
失恋の痛手のような気持ちがしないでもないが、もっと強い、親しい人を失った悲しみのような気もする。
そしてどこか過去を「回想」しているように聞こえる。
しかしその後の展開で、フォーレらしい独特の和声進行により、気持ちの揺れやうつろいが感じられる。
何か過去のシーンが意識に浮かび上がってきているのか。

途中、突然重苦しい気持ちか一転して明るい晴れやかな曲想に転じる。
この変化は素晴らしい。
ピアノの静かなアルペジオが流れて、穏やかなとてもやさしい旋律が流れる。
この部分のチェロの音は小さく繊細だ。ピアノが旋律を受け持つ。
夜想曲の2番の旋律を彷彿させる部分が現れる。
新緑のまぶしい中を幸せに浸りながら歩いているようだ。
これはこの曲の主人公の、最も幸せだった時のひとつの回想のように思える。

しかし次第に曲はそのはかない幸福な思い出に浸る気持ちから現実に引き戻される。
そして激しい気持ちの昂揚を経て、再び悲愴感漂う主題が再現される。

途中やや明るみが差す部分が現れるが長続きしない。
最後は、静かなハ短調の分散和音が3回繰り返されて終わる。

この曲はフォーレの作品の中でも比較的分かりやすい方だ。
静かな夜に、思いっきり悲壮感や絶望感など、暗い気持ちに浸るとしたら、やはり夜想曲7~13番(8番除く)がいい。


コメント

チェロの巨匠 ピエール・フルニエのバッハ 無伴奏チェロ組曲を聴いた

2012-03-10 21:56:19 | チェロ
こんにちは。
前回のブログでチェロの巨匠であるフランスのピエール・フルニエのCDを20年ぶり
に聴いた話をしました。
20年前にフルニエの演奏を聴くきっかけとなったのが、音楽之友社から出版された「
クラシック 不滅の巨匠たち」という本に紹介されていたフルニエの記事を読み、その
中でフルニエがギターのセゴビアの音を聴いて感動したことを知り、フルニエがどのよ
のな演奏をするのか聴いてみたかったことです。
しかし初めてフルニエの演奏を耳にした時、チェロの音が当時の私には強すぎて抵抗が
を感じた為、聴くことを止めてしまったんですね。今から思うと惜しいことでしたが。
先日20年ぶりにフルニエのCDを聴いてその素晴らしさに感動し、すぐに他の演奏も
聴きたくなり、バッハの無伴奏チェロ組曲のCDを買いました。





上のCDが1960年、フルニエが54歳頃のスタジオ録音、下のCDが1959年
のコンサートのライブ録音です。
無伴奏チェロ組曲というと、パブロ・カザルスの演奏が有名ですが、私は20代の頃
に初めて聴いたときにはあまりいい印象を持ちませんでした。
下は20代の半ばに買ったカザルスのCD。全曲聴かなかったかもしれない。



今回買ったCDはフルニエが最盛期の超名演です。ギター以外の弦楽器でこんな素晴ら
しい演奏を聴いたのは久しくないです。思い出せるのはヘンリク・シェリングのバッハ
の無伴奏バイオリン・ソナタやパルティータを聴いたとき以来かな。
このフルニエの演奏を聴いていると、音楽など芸術を人間が何故必要とするかがわか
るような気がする。フルニエの演奏は格調高いのに歌い方が実に自然である。内面から
泉のように湧き出てくるもの、そのものに従い弾いているように感じる。
当然であるが決して頭で計算した演奏ではない。
1959年のライブ盤ははじめスタジオ録音かと思った。後半になり疲れが出たのか
音が鳴りきらない箇所もあったが、技術的は完璧な演奏で、コンサートでこれほどの
レベルの高い演奏をする演奏家は極めて少ないのではないか。しかもバッハの無伴奏
チェロ組曲という難曲である。
フルニエはパリ音楽院でガブリエル・フォーレに指導を受けたようです。フォーレは
私の最も好きな作曲家なのですが、フォーレのように人間の深い精神性を表現できた
作曲家から多くのものを学んだにちがいありません。
フルニエの音楽をこれからも聴き続けていくと思います。偶然ではあるがこの演奏
に出会えて良かった。
コメント

チェロの巨匠 ピエール・フルニエの演奏を聴いた

2012-03-04 21:44:54 | チェロ
こんにちは。
下の写真の本は、私が20代の終わりに買ったものです。20世紀のクラシック界の
巨匠の活動や名盤を紹介したものなのですが、その中の一人にフランスのチェロの
巨匠、ピエール・フルニエ(1906~1986)が紹介されています。





解説者は音楽評論家の故志鳥栄八郎氏によるものですが、当時この解説を読んだとき、
気になる文面に出会いました。
原文から抜粋させてもらいますが、志鳥氏は次のように述べています。

「~とくに、(フルニエが)こうおっしゃったことは、一つの驚きであった。「私は
セゴビアから多くのものを学びました。ギターというあの小さな楽器から、あれほど
多彩な音色を聴かせてくれるのに、いたく感動したのです......」。
巨匠が、セゴビアのギターから音色の変化を学んだのは確実のようだ。」



これは私も驚きであった。セゴビアとは、クラシックギター界の最大の巨匠、スペイン
のアンドレス・セゴビア(1893~1987)のことである。
クラシックギター界といってもまだクラシック界では下に見られていた時代である。
セゴビアが苦労して他の楽器と同レベルまで引き上げたのである。
最近の若い世代はセゴビアの演奏をあまり聴くことがないのかもしれません。バルエコ
やラッセルといった新しい奏法で演奏するギタリストの曲を多く聴くように思います。
チェロの巨匠フルニエから感動したと言わしめたセゴビアの音をフルニエがどのように
自らのものにしたのか興味を覚え、この記事を読んですぐに買ったのが下のCDです。



このCDはフルニエが58歳頃の録音で、円熟期のものなのですが、私が若い頃に
聴いたときは、チェロの音が強すぎて抵抗感を感じ、このCDの曲を全部聴かずにその
ままにしてしまったのです。
以来、チェロの曲を聴くことはなくなりました。元々、チェロの演奏はほとんど聴かな
かったこともありますが。聴いたのはカザルスの無伴奏チェロ組曲(バッハ作曲)く
らいです。
しかし20年経過し、ふとしたことからこのフルニエのCDを聴きました。20年ぶ
りです。今度は20代で聴いたときの感じ方と全く違っていました。
はっきり言ってすごい演奏です。人間が歌っているような演奏、自然な滋味溢れるよう
な暖かい演奏です。この演奏を聴いていると心の底に眠っていたもの、人間的なもの
が引き出されてきますね。冷え切った心を溶かしてくれるような演奏だ。
チェロの演奏がこんなにいいものだと改めて認識させられた。
このフルニエの演奏は、ギターを学ぶ人に貴重なものを与えてくれるに違いないと思い
ます。ギターだけでなく他の全ての音楽を演奏する人にとっても。
コメント