緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

出羽鶴を飲んだ後に弾いたアルハンブラ

2023-12-28 23:41:25 | ギター
今日で仕事納め。
今年は色々なことがあったが、自分としては成長の機会が与えられた1年だったと思う。
中でも考えさせられたのが職場の人間関係。
この年末にちょっと複雑な人間関係の問題に巻き込まれ、神経をかなりすり減らしたが、今思えばそれはそれなりに自分にとってプラスの体験であったと思えるようになった。
職場でこの人嫌だな、と思うことがあるかもしれない。
でもそうような人でも人間としての根源的な優しさを感じる瞬間がある。
一生懸命、その人なりのプライドを維持し、保身に努めている一方で、意外にこの人は自分を客観的に見つめたり、人に対して自分なりに精一杯、自分の持てる優しさを、それと分からないように無意識的にオブラートに包んで表現していることが感じられることがある。

リスクはあるが、人間、とことん思ったとおりに感情をぶつけることも必要だと思う。
本当の気持ちを相手に伝えれば、相手の根源的な気持ちを動かすことが出来る。

表に出ているものではなく、人の内面から表出される気持ちを感じとれるようにしたい。
そこから、意外にその人の苦しみや良い面が見えてくるかもしれない。そしてときに「人を許す」ということも必要だ。

さて、昨日買った出羽鶴を飲んで、帰省前の1曲を弾いて寝ることにした。

出羽鶴を飲んだ後に弾いたアルハンブラ。間違い多し。2023年12月29日 深夜


コメント

久しぶりに仕事帰りにA級スーパーに寄ってほっとくつろぐ

2023-12-27 23:03:45 | グルメ
先日の日曜日は東京某町で東京マンドリンクラブの合奏練習が1か月ぶりにあり、練習後は忘年会だった。
この1か月、千葉マンドリンクラブの部内発表会のための練習で東京マンドリンクラブの練習は殆どご無沙汰だったので、不本意な出来だった。
でも忘年会は楽しかった。
少しずつ、少しずつだけど、コミュニケーションが取れるようになってきた人の数が増えてきて、恐怖症もかなり和らいできたという実感がある。
本当にありがたいと思っている。

この数日間、職場ではかなりやっかいなことに巻き込まれ、神経をすり減らしていたが、今日、東京某町への出勤の帰りに久しぶりに、何でも、珍しいものも含めて大量に売っているスーパーに5年ぶりに寄ってみて、納豆と日本酒を買った。



山形県の出羽鶴という銘柄の日本酒を久しぶりに飲みたいと思ったのがそもそものきっかけ。
酒売り場の日本酒コーナーに行ってみたら、たくさんの日本酒の中で出羽鶴がなかなか見つからない。
「何で?」。5年前はあんなにたくさん売っていたのに。
しかし目を良く凝らしたら、1本だけ出羽鶴が売っていた。それはあたかも「私が今日、ここに5年ぶりで来ることを事前に知って、特別に待っていてくれたような」、そんな久しぶりの再会のように思えた。

ついでに、茨城県水戸市と三重県桑名市のめずらしい、その辺のスーパーには売っていない納豆を買った。
味の感想は後日記事にしたい。

しかし、こういう珍しいものをたくさん売っているスーパーって、なんか楽しいし、ほっとする。癒される。
また日にちを置いて、疲れたときに立ち寄ってみたい。

コメント

部内演奏会終わる

2023-12-23 22:33:19 | マンドリン合奏
今日、千葉県某町で千葉マンドリンクラブの部内演奏会があった。
アンサンブル、二重奏、独奏と弾かせてもらったが、楽しい体験だった。
独奏や二重奏は緊張で普段どおりの演奏の通りにはいかなかったが、嬉しいことに後で良かったと言ってくれた方もいた。感謝したい。
打ち上げにも参加。これも久しぶりによくしゃべったし、楽しいものだった。

これから千葉マンドリンクラブの方は1ヶ月程オフになるが、その間に出来なかったことに取りかかりたい。

(帰宅途中の電車内にて)
コメント

最近のニュースを見て感じたこと

2023-12-21 20:35:46 | 時事
だいぶ冬らしい寒さになってきた。
最近見たテレビニュースで気になったテーマで久しぶりに時事関係の記事を書くことにした。

1.メーカーの検査不正 ものつくり大国は完全に凋落 失われた技術立国のプライド

またも世界的に名を知られた某自動車メーカーで検査不正が発覚した。
かつて世界市場を席巻した日本の製造業の大企業が次々と不正検査やデータ捏造などを長期間行っていたという事実が明るみにされている。
こういう事実が公表される会社は氷山の一角で、恐らく同様のことを行ってきたメーカーは膨大な数に及ぶのではないかと思う。

この自動車メーカーは記録を遡ると1989年から不正を行っていたという。
そして不正を行った原因は、短期間の開発スケジュールが強く推進されたことに開発要員が追従出来なかったことらしい。
世界市場での熾烈な競争に勝ち抜くためには、開発期間を出来るだけ短縮して量産品を市場投入しなければならない。
しかし安全で高品質な製品を世に出すためには、相応の品質基準をクリアしなければならず、そのために開発段階から量産化の過程でさまざまな試験、検査、品質レビューのプロセスが設けられている。
また量産化以降も当然、出荷検査や定期検査をクリアしなければ出荷することが出来ない。

開発スケジュールが過密だったというのは表向きの言い訳であろう。
もっと根本的な原因をさかのぼれば、このメーカーの社長が言っていたように、「自分さえよければ他人はどうなってもいい、という自己中心的な社風、組織風土があった」、「失敗やミスを叱責する」、「声を上げずらい雰囲気があった」ことなどが土台となり、不正に発展したものと思われる。
思えば私が社会人となった1987年の頃は日本の製造業は頂点を迎えていた頃であり、製造業の生産の殆どを国内でまかなっていた。
そして工場の末端の現場を中心に、草の根の小集団活動による品質管理運動が徹底して行われていた。
すなわち、現場で何か問題が起きたり、課題を感じたりすると、それを個人ではなく、職場みんなの問題として共有し、全員で解決に取り組んでいこうとする精神が浸透していた。誰が悪いとか誰に責任があるとかなど問わず、関係なく、みんなで知恵を絞って解決していこうという雰囲気が醸成されていて活気にあふれていた。
1980年代半ばに、「日本的経営」という分野で研究がなされていたことがあったが、恐らくその1つにこの草の根の品質管理運動の成果が論じられていたに違いない。
しかしバブル経済が崩壊し、日本の製造業は大きな転換を迫られた。価格破壊が起き、多くのメーカーはコスト削減のために製造拠点を人件費の安い中国などに移転した。
そのため日本の高度経済成長を支え続け、その後の世界への躍進に貢献した多くの中小企業が倒産に追い込まれ、その中小企業の優れた製造ノウハウや金型などが中国などに流出した。
そして国内では人件費の変動費化が促進され派遣労働が拡大し、国内技術力の衰退につながっていった。
人事評価制度もそれまでの年功序列、終身雇用形態が崩壊し、人材の流動化が一層促進されるとともに、欧米流の評価制度、すなわち個人別目標管理制度や年俸制などが急速に広まり採用された。
先に述べた「自分さえよければ他人はどうなってもいい、という自己中心的な社風、組織風土」はこのようなプロセスを経て徐々に形成されてきたと考えられる。

検査不正、不適切検査、検査データ改ざんといったものは、上からの指示ではなく、末端の作業者が行ったことが原因とされ、内部告発などで発覚することが多いようだ。
末端の作業者や設計担当者が自らの判断で行ったということは、企業倫理の掟を破ってまでも実行せざるを得ない背景があった可能性のウェイトが高いのではないかと思う。
その背景として考えられるのが、短納期での開発、設計、生産であり、問題の責任の所在、人事評価を個人に求める企業体質から来ていることだ。
近年、働き方改革関連法が施行され、時間外労働の上限が定められたが、「時短目標の達成が評価の対象」とされたことから、いわゆる「隠れ残業」が常態化し、帰宅後に深夜まで持ちかえって仕事を行っていた社員が自殺するなどの労災が社会問題として露呈した。
残業時間を削減する具体的な方策を組織内で講じることなく残業するな、と強制する行為、いわゆる「ジタハラ(時短ハラスメント」が社会問題としてクローズアップされ、先日のNHKのドキュメンタリーでこのハラスメントで犠牲となり自ら命を絶った中堅管理職の悲劇が放映されていた。
幼い子供を残して死んでいったこの社員はどれほど追い詰められ、苦しんだであろうか。「声を上げられない」のは、声を上げたことによる報復措置、すなわち役職解任、減給、配置転換、左遷などが暗に用意されているからである。利益至上主義の行き過ぎた企業が取る方策であり、従業員が生身の人間であることを度外視している結果が引き起こしたことと言わざるを得ない。
しかし、「失われた命は2度と戻ってこない」。そのことの重みを理解出来ないようでは、検査不正問題の解決も含め、日本の製造業の将来は無いと言わざるを得ない。
日本の製造業は評価制度の転換が迫られている。個人から組織レベルでの責任体制、評価体制に移行するとともに、徹底して若い世代の技術職の教育が求められる。
「日本の先進国からの脱落」は今すぐそこに来ているという実感がある。若い世代の人口減少が著しいが、それを補完するためにも高い技術力を習得できる教育に力を入れていかないと、日本という国は昔はちょっと経済大国で豊かだったこともあったらしいけど今は観光名所やカジノで成り立っている取るに足らない小国として見られるようになることは間違いないと思っている。

2.札幌市の中学校で中1女子生徒が自殺

昨日のニュースでまた痛ましい出来事を知った。
札幌市の中学1年生がいじめを苦にして自殺したというニュースだった。
この女子生徒は小学校低学年までは明るい活発な子だったというが、高学年からいじめを受け始め、中学1年生でもいじめが継続し、自殺に至ったという。
死んでいったこの子はどんなに辛かったであろうか。どんなにか生き地獄を日々味わったであろう。
驚くべきことに、定期的ないじめ調査でいじめがあることを記載し、何度も報告しているのに何の対策もなされなかったという。
何故対策を取ろうとしないのか。ことを荒立てたくないからであろう。
自分の身にやっかいなことが降りかかってくることを避けたかったためであろう。出来るだけ表に出さず、穏便に済ませたいというずるさがあったに違いない。
この自殺した少女は、そのことに対する怒りを自らの死を持って代弁したのである。
その怒りの感情の強さを最大限に厳粛に受け止める必要がある。
でなければ、普通に生きていればもっと素晴らしい人生を経験できたあろうこの少女の無念の気持ちが浮かばれない。
自ら死を選択するということは究極の決断である。しかもこんな幼い年齢で。これ以上の決断は存在しない。
その究極の決断をせざるを得ないほどの心理状態に追い込まれた、という事実を真剣に考えることの出来る教育関係者はどれほどいるのだろうか。




コメント

宍戸睦郎作曲「ギターのためのプレリュードとトッカータ」より「プレリュード」を弾く

2023-12-17 21:08:48 | ギター
ギター独奏曲の最も好きな曲の1つに、宍戸睦郎(1929-2007、北海道旭川市出身)作曲の「ギターのためのプレリュードとトッカータ」という曲がある。
この曲を初めて聴いたのが1992年頃だった。ある日本人ギタリストが演奏した録音だった。
この時はこの曲を聴き続けることはなく、1、2度聴いただけで終わってしまったが、2000年頃、東京国際ギターコンクールの本選課題曲としてこの曲が選出されたときに、上野の東京文化会館小ホールで本選出場者(5名だったかな)の生演奏を聴いて、一気に惹きこまれてしまった。
その当時、私は日本人作曲家の手による、日本的情緒に満ちたギター曲を探し求めていた頃であり、この曲がこの強い欲求を満たす内容を持つ曲だったのである。
この時のコンクールは非常にレベルが高く、手に汗を握るほどの展開だったと覚えている。
アレクサンダー・レンガチという30代半ばくらいの奏者が優勝し、その後、この課題曲を収録したCDもリリースされた。

この曲にすっかり魅了された私はギタルラ社から出ていた楽譜を早速買い求め、練習を始めた。30代半ば過ぎの頃であろうか。
楽譜が破れ、度重なる譜めくりと夥しい量の手汗で黒い染みが随所に付くほど(?)練習した。









「プレリュード」はこれまでのギター曲には全く無い独特の曲想を持つ曲であった。
「トッカータ」も同様、日本の打楽器的要素を取り入れた超絶技巧を要する曲であり、このような曲を内外のギター曲で聴いたことはなく、独自性、強い個性を持つ曲であった。
「プレリュード」と「トッカータ」を通しで練習し、昔のミキサー付き録音機に全曲演奏を録音したのだが、惜しいことにCDをダビングするときに消してしまった。
その当時は未だ若かったから「トッカータ」もそこそこに弾けていた。

この曲は1969年の夏に作曲された。作者が40歳手前の頃であろう。
この曲に何故惹かれたかというと、伊福部昭や鈴木静一、原田甫といった5音音階陰旋法を主体とした音作りとは全く異質の「日本的情緒」を感じたからである。
それは日本が敗戦の廃墟から立ち上がり、復興、そして幸福で豊かな生活の実現に向けて凄まじい努力をしていた活気あふれる時代、まだ貧しいながらにも素朴な美しい自然を感じながら生きていた時代の人々の生活からにじみ出るものを感じさせてくれたからである。
とくに「プレリュード」は冨田勲の「新日本紀行」のテーマ音楽から伝わってくるものとどことなく共通のものを感じる。
古い日本式家屋の縁側で夏にスイカを食べ、日没近くまで川遊びに興じ、静かな川べりで沈む行く美しい夕日を眺めたり、といった素朴な、まだ日本が美しさを残していた良き時代の日常生活の雰囲気が感じ取れる。

今日、この「プレリュード」を録音してみた。
もう少し、ダイナミックレンジの広さ、表情の豊かさが欲しい。気持ちの出方が足りない。

「プレリュード」が完成したら「トッカータ」も来春の完成を目指して頑張ろうと思っている。

作曲家、野田暉行(1940-2022)も絶賛した日本人によるギターの名曲「ギターのためのプレリュードとトッカータ」より「プレリュード」 まだまだおとなしい演奏 2023年12月17日夕
コメント