こんにちは。
先週は物凄い寒さでしたが、三連休の今日までは比較的暖かい天候に恵まれました。
三連休も明日で終わりです。
今日はベートーヴェンのピアノソナタの聴き比べの7回目で、第16番、Op.31-1、ト長調の紹介です。
全32曲のソナタの中では目立たない曲ですが、色々と勉強になる曲です。
第1楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェは軽快な明るい曲ですが、強弱の差、強いアクセントを要求される部分が多く、第1楽章に限らずですがベートーヴェンはこれらの表現を譜面にかなり細かく書いています。だからまずこの表現の指定をよく読む必要があります。
例えば下記の譜面のクレッシェンドの指定は意識しておかないと無視されかねません。
実際にこの指定を無視して弾いている奏者は結構います。また下記譜面の音形は同一の音形でp、f,ffと三種類の強弱が現れますが、この3種類の音の強さの差を明確に意識しなければならないと思います。
第1楽章は軽快でリズミカルな旋律や強い躍動感を感じさせる曲想ですが、音の強さや随所に現れるアクセント、スタッカートの付け方には譜面を熟読して自然でかつ作曲者の要求するものに合致させることが必要だと思います。
ただこのような曲は譜面にただ機械的に忠実に演奏するだけでは大変につまらない曲になってしまいます。まず先に聴いていて、嬉しいことや楽しいことがあった時のような心が躍るような気持ちにさせる感情が出て、その結果が譜面に書かれた指定での表現になることが必要だと思います。
第2楽章、アダージョ・グラツィオーゾの冒頭は、野原や花畑で蝶を追いかけているような気分を感じさせます。
8分の9拍子の伴奏部はスタッカートが指定されており、常にこの指示を守る必要があります。私はピアノを弾けませんが、ピアノでこのスタッカートをきちんとテンポを守り弾くことは大変難しいのではないでしょうか。
流れるような6連符、7連符の上昇、下降音階を経てしばらくすると、いままでの楽しく軽快な雰囲気とはうって変わって、やや不気味さや不安を暗示させるようなフレーズが現れます。
忍び寄る不安感とでもいうのでしょうか。このようなフレーズを曲の中に普通は挿入しないですね。これはベートーヴェンの気持ちそのものを表していると思います。
ソナタ第14番「月光」を作曲した頃から耳の障害が顕著になってきたといわれており、この第16番を作曲した頃には聴覚を完全に失うのではないかという恐ろしい不安を常に感じていたのではないかと思います。このフレーズは後にも2回現れます。つまり明るく軽快な曲の中に3回もこの忍び寄る不安感を感じさせるフレーズを挿入させているのです。
そして第2楽章最後の部分の低音部の長いトリルが現れる部分がまた不気味です。
旋律部のカンタービレは穏やかに進行しますが、低音部のトリルはとても不安定で何ともいえない不気味さを予感させます。これは意識が分裂した状態を表していると思います。つまり意識上は穏やかで何の不安もないように感じているが、無意識下では不安や焦燥感などのマイナス感情が渦巻いている心理状態を表現したのではないかと思う。スフォルツアンドで示したラ♭の音が余計その不気味さを際立てている。
第3楽章、ロンド・アレグレットは速度を決めるのが難しいと思います。何故ならば最後のプレストの速度を守って弾く為には、この最初のアレグレットから速く弾いてしまうと、その速度の差を際立たせることができないからです。しかし最初から速く弾きすぎて最後のプレストで本来の速度で弾ききれない奏者がいます。バックハウスがそうでした。上声部と下声部で旋律とアルペジオが頻繁に交互に現れる曲で、第1楽章同様軽快な曲ですが、高音の旋律部がヒステリックな音にならないよう気を付ける必要があると思います。
最後のアダージョとテンポ・プリモが交互に現れる部分は音符の長さを正確に十分に保つ必要があります。そしてプレストは突風が瞬時に過ぎ去るがごとく、もたつかずスピードを緩めることなく一気に弾きとおすことが求められます。
さて今回の第16番で聴き比べをした奏者は次のとおりです。
①アルトゥール・シュナーベル(1935年、スタジオ録音)
②フリードリヒ・グルダ(1968年、スタジオ録音)
③ヴィルヘルム・バックハウス(1953年、スタジオ録音)
④ヴィルヘルム・バックハウス(1969年、スタジオ録音)
⑤ディーター・ツェヒリン(1968年、スタジオ録音)
⑥マリヤ・グリンベルク(1964年、スタジオ録音)
⑦ハンス・リヒター・ハーザー(1962年、スタジオ録音)
⑧ヴィルヘルム・ケンプ(1951~56年、スタジオ録音)
⑨ヴィルヘルム・ケンプ(1964年、スタジオ録音)
⑩クラウディオ・アラウ(1967年、スタジオ録音)
⑪エリック・ハイドシェク(1967~1973年、スタジオ録音)
⑫イーヴ・ナット(1953年、スタジオ録音)
⑬タチアナ・ニコラーエワ(1984年、ライブ録音)
⑭ジョン・リル(録音年不明、スタジオ録音)
⑮パウル・バドゥラ・スコダ(1969年、スタジオ録音)
⑯エミール・ギレリス(1976年、ライブ録音)
⑰エミール・ギレリス(1976年、ライブ録音)
⑱エミール・ギレリス(1975年、スタジオ録音)
⑲ジャン・ベルナード・ポミエ(1992年、スタジオ録音)
この中で最も聴き応えがあった録音を紹介します。
まず1番素晴らしかったのは、⑬タチアナ・ニコラーエワ(1984年、ライブ録音)。
ニコラーエワ(1924~1993)はピアノに詳しい方であれば知っていると思いますが、ロシアの女流ピアニストで、1950年にバッハ国際コンクールに優勝したバッハ演奏の第一人者と言われています。バッハ以外ではショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガの演奏も有名ですが、ベートーヴェンのピアノソナタ全曲も上記の1984年のライブ録音以外に、未確認であるが1983年のライブ録音もあるようです。
1984年の録音の演奏は粗さが目立ち、今まで聴き比べをした演奏においては正直、あまりいい印象を持たなかったが、この第16番の演奏はとても素晴らしいです。
意外なほど楽譜に忠実ですが、単なる忠実に終わることなく、人間的なユーモア感や歌心が感じられる演奏です。そして表現が多彩です。また音も魅力的です(特に低音)。バッハを得意にする奏者ですと均質なきちっとした音を想像していましたがそういう演奏ではありません。
ライブ演奏でありミスも結構あるが、ミスが全然気にならないのは音楽の骨格が強固であるからであろう。
2番目は⑯エミール・ギレリス(1976年、ライブ録音)。
ザルツブルグ音楽祭でのライブ録音で完璧に近い演奏。澄み切った高音の美しさと確かなテクニック、譜読みの正確性、音楽性のレベルの高さなど、この曲の中では最も完成度の高い演奏です。
ギレリスの演奏の好きなところは屈指の超絶技巧を持ちながらそれを前面に出さないこと。
グルダのように全体的にテンポを速めにすることはなく、第2楽章などはゆっくりとした理想的なテンポだ。一本調子にならず多彩な表現を持ち、ベートーヴェンの心情をよく表していると思う。全ての楽章が素晴らしい。特に第3楽章終局部のアダージョ-テンポ・プリモ-アダージョの部分のテンポのとり方とその直後のプレストの速さと表現力はグルダやバックハウスをはるかに超えたものです。この第16番の最も信頼できる演奏であろう。
同じ年に録音された⑰もほぼ同じ演奏であるが、残念ながら若干のミスがある。
また⑱のステレオ録音は出来が良くありません。ギレリスはライブで本領を発揮するピアニストだと思います。
第3番目は⑩クラウディオ・アラウ(1967年、スタジオ録音)。
誰もが知っている巨匠ですが、技巧的にはグルダのような軽快さや冴えがないものの、音楽表現の深みと多層的な音の魅力はグルダやバックハウスにも出せない独特なものがあります。
最近彼の1950年代のソナタ第31番の録音を聴きましたが、地味なのになんて深い演奏をするのだろうと驚いてしまいます。この第16番の演奏は極めて楽譜に忠実です。よく譜面を研究しているなと感服させられる演奏。アラウが屈指の巨匠に数えられる理由が分かる演奏です。
第4番目は⑥マリヤ・グリンベルク(1964年、スタジオ録音)。
グリンベルクについては以前のブログで何度も触れたので詳細は省きますが、この演奏も譜面にほぼ忠実でありながら力強さと繊細さが備わった私の好きな演奏の一つ。残念なのは音が乾いたような干からびたような音で、これはメロディアに録音した音源がCD化するときには既に相当劣化してしまったためであると思われます。だからグリンベルクのソナタ全集はCDよりもLPの方が人気があり、演奏が素晴らしいうえに希少価値が高いことから非常に高値で取引されています。
第5番目は⑭ジョン・リル(録音年不明、スタジオ録音)。
ジョン・リルはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音をしたイギリスのピアニストで、ドイツやロシアのピアニストとは性格の異なる演奏をします。その演奏の特色は感情的ではなく理知的でありながら、深みのある完成度の高い演奏をしています。高い技巧を持っているのに決して必要以上に速く弾こうとせず、楽譜に極めて忠実で分析派のピアニストだと思います。
特に第2楽章終わりの低音部の不気味なトリルから始まる部分の演奏が素晴らしい。この部分のコントラストを明瞭に表現した演奏は極めて少ない。
冒頭で述べたようにこの第16番は全32曲の中でも地味で印象の薄い曲ですが、楽譜を見ながら演奏を聴いてみると実に多彩で変化の著しい表現を求めていることが分かります。
今回勉強になったのは、このような第16番のような曲は譜面を見ながら鑑賞する必要であるということです。この作業で、どの奏者が作曲者の曲に込めた感情を忠実に表現しているかが明瞭に判別することができます。この作業で評論家や愛好家が高く評価している奏者が必ずしも真に素晴らしい演奏をしているとは限らないことが分かってきます。
例えばベートーヴェン演奏の権威とも言われているバックハウスが意外に譜面の指定どおりに弾いていないことが分かる。例えばスタッカートを無視したり、休符を守っていなかったり、クレッシェンドをしていなかったり、第3楽章最後のプレストが本来のプレストの速さになっていなかったりなど。かなり譜面と離れた演奏だ。
ベートーヴェンのピアノソナタ全曲を最も早く録音したのはおそらくシュナーベルであるが、第2次大戦後の1950年代に大手レーベルで全曲録音をしたのはバックハウスとイーヴ・ナットの2人だけであろう。だから多くの愛好家はバックハウスの演奏を繰り返し聴いてきたことから、これがスタンダードになっており、ピアノソナタの他の演奏の良し悪しを判断するうえでのものさしにしているのだと思う。
しかしこの第16番に関して言えばニコラーエワやギレリスのザルツブルグでのライブ録音の方がはるかに感動するし、多くの得るものがある。バックハウスの演奏から得られるものは少ない。いくら権威があると言われていても、曲によってはバックハウスの演奏を盲信しない方が良いと思う。多くのものを聴いて判断すべきだと思う。
プロの演奏家でも陥りがちなのは、暗譜してしばらくするうちに演奏が譜面を離れて無意識のうちに自分に都合の良い解釈で弾いてしまうことなのではないか。プロの演奏を評価する際にはやはり譜面を見ながら聴かなければならないと思います。一般の愛好家は殆どが譜面を見ないで音楽を鑑賞していると思いますが、演奏者が作曲者の曲に込めた心情を真に表しているかどうかを見極めるためにも譜面を読むという作業は必ず必要だと思います。今回この第16番の聴き比べをして痛感した。
作曲家は自らが創作した音楽を譜面に託すが、演奏家はまずは譜面に書かれた情報を正確に忠実に表現するとともに、譜面に書かれた情報から、作曲者の心情と同化する努力が必要だと思う。前者はたやすくできるが、後者の作業は曲により人間的成熟を伴わないとできなかったり、感性が鋭くないと達成できないものもある。
今回聴き比べをした録音の中には譜面に極めて忠実なものもいくつかあったが、感動するに至らなかったものもあります。それはこの前者の作業にとどまっているものであるからではないか。
【追記20140115】
1950年代にベートーヴェンのピアノソナタ全曲を録音したピアニストとして、ヴィルヘルム・ケンプを書き忘れていたので追記しておきます。