緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ペネロペ・クラウフォード演奏、ベートーヴェン作曲ピアノソナタ第32番を聴く

2024-07-13 22:43:11 | ピアノ
1週間ほど前に、Youtubeでベートーヴェン作曲ピアノソナタ第32番のいい演奏を見つけた。
ベートーヴェンのピアノソナタの中でもこの第32番や第31番はなかなかいい演奏に巡り合うことがない。
私が今まで聴いた中では、マリヤ・グリンベルクの1961年録音のメロディア盤(後で全集に収録されたものとは別の録音。トリトンというレーベルからCD化された)と、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの1988年のライブ録音の2つが最高の演奏だ。
この2つの演奏に出会ったときの衝撃は忘れられない。

今回Youtubeで出会った演奏は、アメリカ人の女性ピアニストで、ペネロペ・クラウフォードという方であった。
経歴を調べたが、殆ど情報を得ることが出来なかった。
Musica Omniaというレーベルからシューベルト、ベートーヴェンやモーツァルトのピアノ曲を収録したCDが数枚出ているようだが、全て現在では廃盤、中古品もモーツァルトのピアノソナタ集以外は探し出すことが出来なかった。

今回のベートーヴェン作曲ピアノソナタ第32番は第30番、第31番とのカップリングで2010年4月に録音されたもの。
注目すべきは、ベートーヴェン自身が作曲当時に使用していたウィーン製のコンラート・グラーフを使用して録音されたものであることだ。
この事実は後で調べて分かったのだが、はじめて聞いた第31番第3楽章の演奏において、何か音の立ち上がりが鈍い感じがして、違和感を感じたのである。

確かに音のサスティーンや立ち上がりの速さや反応の鋭さといったものは現代のピアノに軍配が上がるが、低音の、底から響いてくるような重厚な音や和音、和声の多層性といった要素においては現代のピアノには無いものを持っている。
そういえばこの当時のピアノを使って、エリー・ナイもピアノソナタ第32番を録音していた。この演奏はなかなかのものだったと記憶している。

ペネロペ・クラウフォードの演奏はかなりハイレベルだ。テクニックも音楽表現も優れている。
第2楽章の後半に現れるトリルの処理などは他の奏者を抜きんでている。
残念なのは第2楽章アリエッタの変奏で下記の箇所のリズムがやや甘かったことだ。



この部分のリズムと音楽性の両方を完璧に表現しているピアニストはマリヤ・グリンベルクとアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリしかいない。
しかしペネロペ・クラウフォードの演奏は単にテクニックの凄さというレベルを超え、今までこの曲の演奏で聴こえてこなかった音の交錯、豊かな低音の響きと中、高音部との音の分離といったものを感じさせてくれた。
とにく注目したいのは最後のトリルが続く部分。



あの幻想的な、人生で苦悩した人間が最後に悟りを得、幸福感に包まれ、光の粒子を浴びながら昇天していく様を描いたような箇所の、各々の音の独立性と音と音とが織りなす美しさの表現はこれまで聴いたピアニストの演奏には無いものであった。

録音が少ないのが残念であるが、もっと高く評価されてしかるべき奏者だと思う。

下記にYoutubeの投稿を貼り付けさせていただく。

Piano Sonata No. 32 in C Minor, Op. 111: I. Maestoso - Allegro con brio ed appassionato


Piano Sonata No. 32 in C Minor, Op. 111: II. Arietta: Adagio molto semplice e cantabile





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ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタンのフォーレピアノ曲集2023年リマスター録音を聴く

2024-07-06 21:40:04 | ピアノ
昨日の深夜、Youtubeで偶然、ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタンの2023年にリマスターされたと記載されているフォーレピアノ曲集の録音を見つけた。
早速、夜想曲第1番を聴いてみたら、何と今までCDで聴いていた音の印象と全くと言っていいほど違って聴こえてきて、何度も聴き入ってしまった。

ヴァランタンの録音は今から15年くらい前ではないかと思うのだが、TESTAMENTというレーベルから出ているCDを買ってきいたのが最初である。
夜想曲と舟歌は1956年の録音だった。



音が籠っていて、非常に悪い音質で録音状態は良くなかった。
TESTAMENTの記載には2002年にリマスターされたと書かれていた。
恐らく劣化したマスターテープからリマスターしたと思われるのだが、録音当時のレコードは見かけたことは無い。恐らくあまり流通しなかったのかもしれない。
原盤はEMIのようだ。

しかしYoutubeで見つけたこの2023年リマスターとされる録音はCDの音質よりも明瞭で、CDでは聴こえてこなかった微妙な音も聞こえてくるように感じた。
そのためか、今までヴァランタンの夜想曲の演奏は第13番しか自分にとっては評価できるものでしかないと思いこんでいたのが、この録音で認識が変わってしまった。
最初のインパクトも強かったが、何度も聴いても惹きこまれてくる。

ヴァランタン(1902-1987)はオランダ出身であるが、母親がフランス人で、12歳のときには当時フォーレが院長を務めていたパリ音楽院に入学し、マルグリット=ロンなどの教えを受けたフォーレ直系のピアニストで、その演奏は正攻法にもとづくものであり端正でありながら、随所でかなり強い情熱を感じる独特の演奏を聴かせる。
とくに強靭なタッチから生まれるであろう芯の強い音は現代のピアニストには聴けないものを持っている。

ヴァランタンは22歳で結婚してから5人の子供の育児に専念するために長く演奏活動を中断していたが、48歳のときに活動を再開し、フォーレのピアノ曲集を録音したときは54歳になっていた。
しかし夜想曲第1番を聴いていると、その録音から聴こえてくる感情、30代後半でこの曲を作曲したときの若きフォーレの心情、秘められていた情熱の発露といったものが感じられるのである。とくに以下の箇所である。





そして彼女の顕著な特質である芯のある強い音は下記の箇所で際立っている。



生の音はもっと凄かったに違いない。
録音当時の状態のいい初出盤で再生したものを是非聴いてみたいものだ。

タワーレコードのヴァランタンについてのコメントにこんなことが書かれていた。

「謎の多いピアニストで、その詳しい生涯(生年も不明)ははっきりしていない。仏シャルラン・レーベルからフォーレのピアノ作品全集を最初に録音した人物といわれている。マルグリット・ロンの高弟でもあり、ダルレやデカーヴらを直接指導。彼女のフォーレは繊細で淡く優美で、その弱音は天国的といわれ、シャルラン・レーベルの創始者アンドレ・シャルランは「作曲家の心を弾けるのはロンとフランソワとヴァランタンだけで4人目はありえない」と語ったと言われている。
2012/08/30 (2018/01/19更新) (CDジャーナル)」

また、1993年に発売されたシャルダン・レコードの復刻盤CDの解説(平島正郎氏)には以下の記載があった。

「おしまいに独奏者、ジェルメーヌ・ティッサン=ヴァランタンについて、簡単にしるしておく。簡単にというのは、ぼくらがこのレコードからきき知ったこと以外には、ほとんど何もしらないからで、経歴その他、シャルダン・レコードに問い合わせた結果も、その知識に何も上積みはしてくれなかった。その知識とは、要するに彼女がフォーレのピアノ音楽のぬきんでたスペシャリストだ、ということにつきる。(後略)」。



以下にYoyubeの投稿を貼り付けさせていただく。
この曲は、夜のしじまに聴くのに最もふさわしい音楽だと思っている。まさに素晴らしいピアノ曲だ。

Nocturne No. 1 in E flat minor, Op. 33 No. 1 - Lento (Remastered 2023, Paris 1956)


ついでと言ってはなんだけど、舟歌第1番も貼り付けさせていただく。
この夜想曲第1番とともにこの曲を深夜に何度聴いたであろうか。
転調した後の直後の旋律の音に注目したい。音に包み込むような優しさを感じられる。母性的やさしさが潜在的に表出したと言っていいだろうか。
ジャン・ドワイアンやジャン・フィリップ・コラールとはまた趣の異なる演奏だ。

Barcarolle No. 1 in A minor, Op. 26 (Remastered 2023, Paris 1956)


【追記202407070012】

夜想曲第1番のこの2023リマスター編集による録音を何度も聴いて、ますます惹き込まれた。
ちょっと大げさかもしれないが、殆ど注目されてこなかったにもかかわらず、恐るべき実力、音楽性を持ったピアニストだと感じた。
強靭なタッチから生み出される独特の、心を打つ芯のある音は、マリヤ・グリンベルクの音、そして音楽を思い出させる。
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ペーター・レーゼル演奏、シューベルト作曲「即興曲Op.90-3 D899」を聴く

2024-06-21 22:25:26 | ピアノ
Youtubeでたまたまペーター・レーゼルの弾くシューベルト作曲「即興曲Op.90-3 D899」が見つかり聴いてみた。
ペーター・レーゼルは旧東ドイツ出身のピアニストで、知る人ぞ知る存在の優秀な名ピアニストである。

今から10年前にベートーヴェンのピアノソナタの鑑賞にのめり込んでいた頃に出会った。
東ドイツのシャルプラッテンというレーベルから出ているCDを数枚買って聴いたのが最初だったと記憶している。
その後2014年11月に来日した際の、紀尾井ホールで演奏されたコンサートを聴きにいった。
ものすごい実力の持ち主だった。派手さは無いけど音楽解釈は深く、音色が多彩でテクニックも堅実だ。
その時の感動を記事に残していた。

2014年11月9日記事 ペーター・レーゼルのコンサートを聴きに行く

今日聴いた、シューベルト作曲の「即興曲Op.90-3 D899」の演奏であるが、テンポは速めで軽快ではあるが、旋律が歌っているように聴こえる。
歌わせ方が素晴らしい、さすがレーゼルだと思う。

美しい旋律の裏から聴こえてくる不気味で不安な低音との対比もいい。
潜在意識ではさまざまな不安や葛藤を抱いていたにちがいないシューベルトの深層心理がこの曲におのずとあられているのだと思っているのであるが、ベートーヴェンのピアノソナタの中にも同様なものを感じさせる曲がある。

それにしても素晴らしい曲だ。聴けば聴くほど心が癒されてくる。
この曲にのめり込むきかっけとなったのが、1年前(昨年7月16日)に出演した母校55周年記念演奏会で演奏されたこの曲のマンドリン・アンサンブル編曲版のギターパートを弾いたときだった。
この曲のギター・パートをどれほど練習しただろうか。
練習するたびに至福感を感じた(編曲版はものすごく難しかったが)。これほど短期間に練習にのめりこんだことはない。
丁度1年前の今頃なのだ。あの6月4日の東京合奏練習会、個人の家のようなところで7,8人のメンバーで練習したが最高に楽しかったこと。
このときはまだ十分に弾けていなかったが、アンサンブルがこんなにも楽しいものだと、本心から実感した1日だった。

ペーター・レーゼルの即興曲、聴けば聴くほど、良さが分かってくる。このテンポでこれだけの音楽表現が出来るとは。
今日、この演奏に出会えたことに感謝だ。



シューベルト 即興曲 作品90の3 演奏:ペーター・レーゼル
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ドキュメンタリー「あるロシア人ピアニストを巡る対話ーアナトリー・ヴェデルニコフ」を見る

2024-05-31 22:22:16 | ピアノ
実家で兄から教えてもらったアナトリー・ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov、1920\-1993)というロシアのピアニストの演奏を初めて聴いたのは2011年の頃だっただろうか。
その頃はさほどのインパクトも受けることなく、端正な演奏をするピアニストという印象しかなかった。
しかし何か惹き付けられるのを感じ、それから主に1960年代から1970年代に録音された8枚のCDを手に入れた。









ベートーヴェンのピアノソナタ、バッハのパルティータやイギリス組曲の全曲、フランク、ドビュッシーやリスト、ヒンデミットなどの曲が収録されたものであった。
ただ、長きに渡って繰り返し鑑賞するには至らなかった。
優等生的な演奏に感じていたのだろうか。心の深いところまでに降りてくるようには感じられなかったのである。

先日、Youtubeでたまたまドキュメンタリー「あるロシア人ピアニストを巡る対話ーAnatoly Vedernikov」と題するNHKのドキュメンタリー番組の録画が投稿されているのを見つけた。貴重な記録である。

あるロシア人ピアニストを巡る対話ーAnatoly Vedernikov


ヴェデルニコフの両親がロシア革命を逃れ、中国のハルビンに移住した後で彼は生れ、幼い頃からピアノの才能を開花させていた。
日本でレオ・シロタの指導を受け、コンサートに出演したこともあったのだという。
ヴェデルニコフの運命を変えたのは、両親とともにロシアに帰国してからだった。
ハルビン帰りのロシア人はスパイだと見なされ、秘密警察に逮捕され、父親は銃殺、母親は強制収容所に送られるという悲劇に見舞われた。
何の関連も無いヴェデルニコフも長きに渡って国外への出国は許されず、その制限が解除されたのはソ連が崩壊した1990年代の初めだったという。

そして「知られざる巨匠」としてクラシック界でにわかに注目され、日本でもデンオンからCDが多数販売された。
ロシアのもう一人の巨匠、マリヤ・グリンベルクも同様の運命を辿ったことは今まで何度か記事にしたとおりである。

ドキュメタリーではヴェデルニコフの未亡人(ヴァイオリニスト)のインタビューが収録されていた。
彼女が夫、ヴェデルニコフについて語ったことで、印象に残ったものを下記に挙げておきたい。

「あの人は、全ての不運とさまざまな困難をじっと耐えていました。(中略)しかし彼は果敢に耐えていたのです。他のことに取り組んで、じっと我慢したのです。読書をしたり外国語を学んだり。そして自分にとって一番大切なものが色あせないように努力していたのです」

「あの人はバッハを本当によく研究しました。彼はパルティータを理解するためには、バッハのカンタータを研究しなければならないと考え、全てのカンタータに取り組みました。それは途方もない量です。彼と他の多くの演奏家との違いは、彼が徹底的に研究した点だと思います。それぞれの音符の意味を読み取り、ハーモニーの中で、1つの音符が何故そこにあるのかを見極めました。彼の演奏を聴くと、そこまで理解していたことが聴こえてきます。」

「演奏中の彼は、とても静かに座っています。彼は自分が奏でる音の結果を聴いているのです。大きく体を動かして演奏する人は、自分の音が聴こえていないか、あるいはその曲を本当には理解していないのです。ヴェデルニコフの演奏は、聴衆には少し不愛想に見えたかもしれませんが、今その演奏を聴くと、情熱の大きなほとばしりを感じることが出来るのです。」

今日、ヴェデルニコフが1969年代終わりから1970年代前半にかけて録音した、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番と第32番を約10年ぶりに聴いた。
それはまさに「抑制された、端正で明晰な中に、情熱の大きなほとばしりを秘めた」演奏であった。
レベルは超一流と言っていい。
第31番のエンディングは多くのピアニストがやっているような速度を緩めることなく、王道を極めたものであり、同じ旧ソ連時代に活動したピアニスト、マリヤ・グリンベルクやスヴャトスラフ・リヒテルと共通するものを感じた。脳が覚醒してくる。

VEDERNIKOV, Beethoven Piano Sonata No.31 in A flat major Op.110


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アナトリー・ヴェデルニコフ演奏、セザール・フランク作曲「前奏曲、フーガと変奏曲」(ヴェデルニコフ版)を聴く

2024-04-28 21:40:10 | ピアノ
アナトリー・ヴェデルニコフ(1920-1993、旧ソ連)の名前を初めて聞いたのは今から15年くらい前だっただろうか。
その当時はピアノ曲と言えばガブリエル・フォーレの夜想曲や舟歌の聴き比べをさかんにやっていた。
正月休みに実家に帰省した際に、アコースティック・ギター弾きなのに、やたらクラシック音楽を数多く聴いている兄に「ピアニストで聴き応えあるのは誰か」と聞いたら、「ミェチスワフ・ホルショフスキーとアナトリー・ヴェデルニコフだ」という答えが返ってきた。

聞いたことも無い意外な名前だった。
正月休みを終え、早速、ミェチスワフ・ホルショフスキーとアナトリー・ヴェデルニコフの中古CDを買って聴いてみた。

アナトリー・ヴェデルニコフはピアノファンであれば多くの方が知っていると思うが、生まれは中国で、1936年にロシア(ソ連)に移住。モスクワ音楽院に入学し、ゲンリフ・ネイガウスに師事。直後、家族を粛清の波が襲い、父親は銃殺刑、母親は強制収容所送りとなってしまう。師であるネイガウスの計らいで何とか逮捕を免れるたが、自身の信念に忠実に行動したため体制に迎合せず当局に睨まれ、海外での演奏活動が制限された悲運のピアニストとされている(ウィキペディアより)。

抑制された表現の奥に、非常に高度な理論的裏付けと秘められた情熱を感じさせる。
今回記事に取り上げた、セザール・フランク作曲「前奏曲、フーガと変奏曲」を聴けば、そのことがおのずと分かるのではないか。
はっきり言って凄い演奏。音の芯が現代のピアニストと全く違う。この音に彼の不動の信念を感じる。

この「前奏曲、フーガと変奏曲」は元々、オルガン曲として作曲された。
私はこの曲のオリジナルのオルガン演奏を20年くらい前にマリー=クレール・アランの演奏で聴いたが、その時はあまり強い印象を持たなかった。
しかし、後でラザール・レヴィのピアノ演奏を聴いて初めてこの曲の素晴らしさを知った。

作曲者自身もこの曲をピアノに編曲したが、正直、ピアノの方がこの曲の真価を感じられるのではないかと思う。
この曲もフランク特有の循環形式による主題の再現がなされている。
フランクは生涯にわたって教会オルガニストを務めたと言われている。
そしてJ.S.バッハを研究した言われるとおり、その宗教的、禁欲的な作風に対位法の手法が効果的に用いられているのが分かる。

フランクをよく知る人は彼のことを「これ以上ないほど謙遜し、気取りなく、尊敬の情に溢れ、勤勉であった」、「彼は芸術の気品に対する、役割の高貴さに対する、そして音に対して語る際の熱い真摯さに対する絶え間ない配慮(を見せた)。(中略)歓喜と陰鬱、荘厳と神秘、力強さと天衣無縫さ。サント・クロチルド聖堂でのフランクはこれら全てを兼ね備えていた。」と評価していたという(ウィキペディアより)。

全くの推測であるが、フランクという人物は、その人生体験の過程で、あらゆるものの価値を偏ることなく認め、受け入れられるようになるまで精神性を高めた人なのではないかと思うのである。


Anatoly Vedernikov plays Franck "Prelude, Fugue & Variation"
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