緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

シューマン 子供の情景Op.15 「眠りに入る子供」を聴く

2015-05-31 23:11:10 | ピアノ
ピアノ曲でまた素晴らしい曲を見つけた。
シューマンの有名なピアノ曲、子供の情景Op.15の最後から2番目の曲「眠りに入る子供」である。
聴いたのは、中国人のピアニスト、シュ・シャオメイ。
これまでもギーゼキングなどの演奏で全曲聴いていたが、この「眠りに入る子供」がこれほど美しい曲であることに気付かなかった。
しかしシャオメイの演奏はどこまでも繊細だ。これほど繊細に表現できるピアニストはなかなかいない。
初めてきいたアルバム、シューベルトのピアノソナタ第21番も素晴らしかった。
シュ・シャオメイはバッハの録音で知られており、とくにゴルドベルク変奏曲は高く評価されている。このゴルドベルク変奏曲やパルティータ、平均律クラヴィーア集も聴いてみたが素晴らしい。
しかし私はシュ・シャオメイの本領はシューベルトやこのシューマンのようなロマン派の曲の演奏にあるように思える。
人の気持ち、感情にとても敏感で細やかな方ではないか、そんな気がする。
2分にも満たない曲であるが、実に多くの感情を引き出してくれる名曲、名演だ。

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マンドリン弦、切る

2015-05-31 17:52:20 | マンドリン合奏
マンドリンを始めて3週間経過した。
3週間といっても休日のギターの練習の合間に30分程度やるだけなので、延べ実質2時間程度か。
しかしマンドリンはギターと違ってそれなりの難しさがあることに気付く。
まず持ち方であるが、これが安定しない。胴が半球形で、さらに重量が軽いので膝の上ですぐに動いてしまうのだ。
ネックを持つ左手を離すとすぐに動いてしまう。だからポジション移動がしにくい。
ネックから手を離しても動かない構え方を模索しなければならない。
次に調弦であるが、当然ギターの調弦とは異なる。
マンドリンは1弦=E音、2弦=A音、3弦=D音、4弦=G音という調弦で、ヴァイオリンと同じ調弦であるが、復弦なので2弦とも同じ音程に合わせなければならない。つまりギターの弦よりも2本多く調弦しなければならない。
近年電子式チューナーが普及してから、ギターのコンクール出場者ですら本番にこの電子式チューナーで合わせる方もいるが、私はこの電子式チューナーは使う気になれない。
音を目で見て合わせる習慣がつくと、音の違いを耳で識別できる能力が衰退することは間違いない。
録音でもコンサートでも、弦が新しいと演奏中にチューニングが狂うことは免れなく、演奏中で上手く補正するか、そのまま演奏し続けることを余儀なくされることがある。セゴビアでさえ調弦がやや狂った状態で録音しているものもある。
しかし電子式チューナーで音合わせする習慣をつけてしまうと、この狂いが感覚的に分からなく、補正もできなくなってしまうのではないか。
多少不便でもチューナーを使わない調弦が出来る方が、長い目でみれば耳を鍛えることにつながると思う。
ちなみにギターの場合、私は次の手順で調弦している。

まず全弦、弦を緩めた状態から調弦する場合、以下のように大雑把に音を合わせる

(1)440ヘルツの音叉を膝で叩き、耳に当ててA音を聴きとり、⑤弦の開放弦を慣らしてペグを回しA音まで合わせる。
(2)⑤弦の開放弦と①弦の開放弦を鳴らし①弦をE音に合わせる(完全5度)。
(3)①弦の開放弦と⑥弦の開放弦を鳴らし、⑥弦をE音に合わせる(2オクターブ)。
(4)⑥弦の開放弦と②の開放弦を鳴らし、②弦をB音に合わせる(完全5度)。
(5)⑤弦の開放弦と④弦の開放弦を鳴らし、④弦をD音に合わせる(完全4度)。
(6)④弦の開放弦と③弦の開放弦を鳴らし、③弦をG音に合わせる(完全4度)。

しかしこの開放弦だけの調弦では、弦を長時間緩めていた状態ではすぐに音が狂い始めるので、次の方法で再度しっかりと調弦し直す。

(1)⑤弦5フレットのハーモニックス音を出し、440ヘルツの音叉を膝で叩き、耳に当てて、両方の音のうなりが消えるまでペグを回し、⑤弦をA音に合わせる。
(2)⑤弦の7フレットのハーモニックス音と①弦の開放弦を鳴らし、①弦をE音に合わせる。
(3)①弦の開放弦と⑥弦の5フレットのハーモニックス音を鳴らし、⑥弦をE音に合わせる。
(4)⑥弦の7フレットのハーモニックス音と②弦の開放弦を鳴らし、②弦をB音に合わせる。
(5)⑤弦の開放弦と④弦開放弦、もしくは④弦2フレットE音を鳴らし、④弦をD音に合わせる(完全4度又は完全5度)。
(6)④弦の開放弦と②弦の3フレットD音を鳴らし④弦をD音に合わせる。
(7)①弦の3フレットG音と③弦の開放弦を鳴らし、③弦をG音に合わせる。
(8)⑤弦の開放弦と3弦の2フレットA音を鳴らし、③弦をG音に合わせる。
(9)④弦の開放弦と3弦の2フレットA音を鳴らし、④弦をD音、又は③弦をG音に合わせる。
(10)最後にホ長調の和音を弾き、響きが濁っていないか確認し、濁っている場合は、狂っている弦を調弦し直す。

(5)~(9)まで3弦と4弦を合わせるのに1つの方法だけでなく、他の方法との複数の組み合わせで合わせていくが、ギターの場合、最初に説明した開放弦のみの合わせ方だと必ず、②、③、④弦のハーモニーに狂いが生じる。何故狂いが出るかは大変難しい問題なのでここでは説明しないが、いずれにしても①弦、②弦、⑤弦、⑥弦の音は先に固定したら後は動かさず、③弦と④弦はその音程の歪みをできるだけ平準化するよう微調整する必要がある。

以上がギターで私がやっている調弦であるが、マンドリンでチューナーを使わない調弦にどのような方法があるのかまだ分からず、ギターをそばに置いて、ギターの弦をはじいて調弦している。
これは言ってみればチューナーと同じような調弦法であるが、今は仕方ない。
昨日、マンドリンの調弦をしていた時である。マンドリンは金属弦で張力も強いので、弦を緩めておかないとネック反ってしまうだろうと思い、弾かない時は弦をかなり緩めているのであるが、弾く時に調弦するのは慣れないせいかかなり大変だ。
まず各弦の音をどこまで上げたらいいかまだ見当が付かない。
昨日、1弦をE音に合わせようと思いペグを回し続けたら、突然、「プチン」という音がして驚いた。
一瞬何が起きたか把握できなかったが、弦が切れていた。



E音を正規の音の更にオクターブ上の音に合わせようとしたらしい。
そして今度は3弦をD音に合わせようとペグを回したら、また突然「プチン」という音がして驚いた。
全く予期していないことであったので、びっくりしたが、これも1オクターブ上の音に合わせようとしていたらしい。
もしかすると金属弦は正しく調弦しようとしても切れやすいのかもしれない。
中学時代にフォークギターを弾いていた兄が、新しい弦に交換しようとペグを回している最中にプチンと切ってしまい、残念がっていたことがあった。
それに比べてクラシックギターの弦は低音弦でもまず切れることは無い。
しかし随分昔にこんなことがあった。
記憶が定かでないのだが、大学のマンドリン・クラブの夏合宿のことだった思う。全体合奏の練習中に、隣に座って演奏していたM君のギターから突然パツン!と音がしたのが聞こえるやいなや、切れた④弦が私の頬をピシャンと直撃したのである。
あまりの突然のことに心臓が止まるほどびっくりしたが、目に当たらなかったから良かった。ちょっとしたハプニングであった。
昨年暮れから聴き始めた大学のマンドリン・オーケストラの演奏会でも演奏途中でマンドリンの弦が切れて、予備楽器と交換して弾いていた場面を見たことがあった。
やはり金属弦は切れやすいのだ。

マンドリンの弦は、ヘッドの、弦を巻き付けて固定する金属の回転軸の部分で切れていた。
新品の弦の予備がなかったので、東京都内の某ショップまで行き、いちばん安い弦を1セット購入した。安いとは言ってもギターの弦よりもかなり高価だ。
今日その新品の弦を楽器に取り付けようとしたが、張り方が分からない。
インターネットで張り方を検索したが、意外に弦の張り方を説明した記事が少ない。やはりマンドリンはクラシックギターよりもマイナーな楽器であることを実感する。
検索した記事を読んだが今一つ分からなかった。
マンドリンの底部に弦の端を固定するピンが付いているが、このピンに弦の端の輪を引っ掛けて固定するようであるが、この輪をピンに引っ掛けてもすぐに外れてしまう。





反対側の端をヘッドの巻軸に固定してからこの輪をピンに固定するという順番なのだろうか。
あれこれ試行錯誤していたら、弦が少し曲がってしまった。曲がっても大丈夫なのか。
とにかく分からないことだらけで、今日弦を張るのは断念した。

マンドリンにもクラシックギターのペグと同じような構造のペグがあるようだ。この構造だとあまり苦労せずに張れるのかもしれない。



【20150614追記】
2週間前に買っておいたオプティマの新品弦に張り替えようと、インターネットで検索して見つけた記事を参考にしながら弦を張ってみた。
楽器の底部に固定する弦の端の輪は潰して輪を狭くすれば上手く固定できることが分かった。これで問題が1つクリアーできた。
そしてもう片方の先端をペグの金具の穴に通して巻き付け、ペグを回していくと予想もしていないことが起きた。
またプチンと切れてしまったのだ。高価な新品の弦だっただけに、これにはかなり落胆した。
そんなにたくさん巻き付けていないのに切れてしまった。やはりギターの弦の張り方とは全く違う。
ギターの弦の張り方の感覚を捨てて取り掛からなくては...。
それにしても何で切れたのか。
それ以来、いつプチン音たてて弦が切れるかと、ペグを回すのに恐怖を感じるようになってしまった。断線恐怖症というトラウマだ。


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獨協大学マンドリンクラブ 創部50周年記念演奏会を聴く

2015-05-24 21:54:39 | マンドリン合奏
今日(24日)、東京銀座の銀座ブロッサムで「獨協大学マンドリンクラブ創部50周年記念演奏会」があったので聴きに行ってきた。
予想に反して意外に小さなホールであったが、ほぼ満席状態となった。創部50周年ということもあってOB・OGと思われるの方々がたくさん来ていた。



獨協大学が創立されたのは1964年。その翌年に古典ギタークラブから分離・独立して結成されたとのことである。
観客に年輩の方が多かったのでなるほどと思った。
プログラムは第一部は現役大学生による演奏、第二部はOB・OGによる演奏、第三部は現役生とOB・OGとの合同ステージという構成であった。
第一部の現役生によるステージを見て少し驚いたのは人数が20数名と意外に少なかったこと。
どこの大学でもそうなのだろうが、少子化により学生の数が減る中で、マンドリン・オーケストラという超マイナーな音楽サークルに自ら入りたいと入部する学生は極めて稀で、大抵はこんな楽しいサークルだよ、と言って音楽よりもレクレーションをアピールして新入生を勧誘、確保しているのが現状ではないかと思う。大学に入ってマンドリンやギターを始めた人が殆どではないだろうか。
こうして大学のサークルで初めてマンドリン音楽に触れて、大学を卒業し、マンドリン音楽から離れて何十年経っても演奏会を聴きに行く。これはマンドリン音楽そのものを聴きたいからではなく、マンドリンやギターに青春のありったけの力をぶつけた若き日の気持ちを再び甦らせ、懐かしさに浸りたいからではないかと思う。
マンドリン・オーケストラ曲には若い青春の有り余ったエネルギーをはき出すのにふさわしい曲がたくさんあった。
藤掛廣幸や鈴木静一などの曲がそうである。今日のプログラムの中には藤掛廣幸の代表作である「グランド・シャコンヌ」があり、この曲を聴きたいがために出かけたようなものである。

さて今日の演奏プログラムは以下の通り。

【第一部】
1.Euphoria for Mandolin orchestra(ユーフォリア) 作曲:堀 雅貴
2.桜舞い散る小径  作曲:武藤 理恵
3.風のカンティレーナ  作曲:長谷川 武宏

【第二部】
1.交響的前奏曲  作曲:Ugo Bottacchiari
2.波 -舟唄風セレナータ-  作曲:Carlo Graziani-Walter
3.グランド シャコンヌ  作曲:藤掛廣幸

【第三部】
1.マンドリンの群れ  作曲:C.Adolfo Bracco 編曲:久保田 孝
2.ヴェニスの一日  作曲:Ethelbert Nevin 編曲:中野二郎
3.序曲「メリアの平原にて」  作曲:Giuseppe Manente 編曲:久保田 孝

第一部の現役生による演奏であるが、基礎がしっかりとした技巧を土台にしていると感じた。基礎的な技巧がきちんと習得されているか、練習量が豊富かどうかは、奏者の指の動き、姿勢を見ればすぐに分かるもので、この大学の技量はかなりのものであると感じた。
3曲とも日本人作曲家によるものであったが、どれも明るく心地よい音楽でリラックスして聴くことができた。
初夏のよく晴れた気持ちのいい一日にふさわしいさわやかさを感じることができた。
武藤理恵氏は昨年から聴き始めた各大学のマンドリンクラブの演奏会のプログラムにも何度か目にした作曲家であるが、今日のプログラムの中で紹介されていた曲目解説を読むと、マンドリニストの青山忠氏の妻でピアニストであることが分かった。

第二部はOB・OGによる演奏であるが、1曲目の「 交響的前奏曲」は私の学生時代に弾いた記憶のある曲名であったのだが、曲が始まると全く違う曲だった。
家に帰り古い楽譜の束から探し出して見つかったのは、マネンテの「交響的間奏曲」であった。似た曲名であるが作曲者も違う。イタリアらしい曲。
第2曲もイタリアの曲であったが、3曲目は藤掛廣幸の「グランド・シャコンヌ」であった。
この藤掛廣幸の「グランド・シャコンヌ」は思い出深い曲だ。何故かというと私が初めて聴いたマンドリン・オーケストラ曲であるからだ。
大学に入学してすぐに新入生をサークルに勧誘するための催しがさかんに大学構内で行われていた。
ある日、学生会館の少し広い広間に立ち寄ったら、マンドリンクラブの新入生歓迎演奏会が行われていた。
そしてその演奏会でまさに初めて聴いたマンドリン・オーケストラ曲がこの「グランド・シャコンヌ」だったのだ。
その壮大な音楽を耳にしたときの何とも言えない感動は今でもはっきり憶えている。
この時の光景は今でも忘れられない。演奏者の顔まではっきりと覚えている。マンドリンとギターの合奏がこんなにも迫力のあるものだとは今まで露ほども思っていなかったのである。
演奏者の上体が指揮棒の動きに合わせるかのように揺れ動き、そこから放たれるエネルギーの大きさに圧倒された。
独特の日本的、それも今の時代には感じ取ることができなくなった、70年代の日本の時代に感じていた情緒あふれる曲であった。マンドリン・オーケストラ曲の屈指の名曲である。
私は大学のマンドリン・オーケストラで幸いにも4年生の最後の定期演奏会でこの曲を弾くことができた。

今日、獨協大学のOB・OGの方々のこの曲の演奏を聴いて、大学時代の、既に忘れ去っていた様々な記憶が走馬燈のように蘇ってきた。

下は学生時代に弾いた「グランド・シャコンヌ」のギター・パート譜の一部。



第三部の合同演奏はこれもイタリアの曲であるが、最後の「序曲「メリアの平原にて」 」を聴いた時、あれ、これ弾いたことがある!、と心の中で叫んでいた。
家に帰って楽譜を引っ張り出してみてみたら、「メリアの平原」が出てきたのである。
このマネンテの曲は正直言って演奏困難なことだけしか覚えていない。次のフレーズで思い出したくらいである。





マネンテの曲は先の「交響的間奏曲」の他に代表作「華燭の祭典」も弾いたが、特に「華燭の祭典」は学生時代に弾いた数多くのギター・パートの中でも技巧的に最も難しい曲であった。

2時間ほどの演奏会であったが、最後はアンコールを演奏してくれた。
OB・OGの方々は久しぶりに昔の仲間に会って再会を喜び合ったに違いない。
私の母校のマンドリン・クラブも7年ほど前に、現役生とOB・OGとの合同による記念演奏会をやるから参加してくれ、と連絡があったが、その当時は勤め先のシステムの入れ替えで土日も無いほど多忙であったので実現できなかった。今から思うと残念でならない。
あと2、3年で10年経つのでまた記念演奏会をやるのであろうか。もし誘われたら万難を排してでも演奏会に行くつもりだ。

暑くも寒くもなく、さわやかないい一日だった。今日の演奏会も終わった後にすがすがしいいい気分を味わうことが出来た。
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マリヤ・ユージナ演奏 シューベルト ピアノソナタ第21番(D960)を聴く

2015-05-23 23:09:54 | ピアノ
この2週間ほど聴く音楽の殆どはシューベルトのピアノソナタ第21番(D960)だ。
きっかけは中国出身のピアニスト、シュ・シャオメイの演奏するこの曲の録音を聴いたことによる。
自分の気に入った曲、演奏は何度でも聴くし、他に素晴らしい演奏がないものかと、とことん探してしまう。
この1週間の間にこの曲で聴いた演奏としては、アルフレッド・ブレンデル、ゲザ・アンダ、内田光子、マウリツィオ・ポリーニ、今井顕、スヴャトスラフ・リヒテル、アリシア・デ・ラローチャ、ラザール、ベルマン、そしてマリヤ・ユージナの録音である。
この中で印象に残った演奏はラザール・ベルマンのライブ録音とマリヤ・ユージナのスタジオ録音であるが、ひときわ強く感動したのは旧ソ連の女流ピアニストであったマリヤ・ユージナ(Maria Yudina 、1899~1970)の演奏である。
ユージナは以前このブログでベートーヴェンのピアノソナタ第27番の聴く比べを書いた時に紹介したことがある。
彼女もマリヤ・グリンベルクと同様、旧ソ連で反体制派と見なされ演奏活動を制限されたピアニストであった。その名が知られるようになったは死後かなりの年月が経ってからである。
ユージナはかなりの数の録音を残したが、極めて粗雑な環境で録音されたものが多い。このシューベルトのピアノソナタ第21番の録音は1947年、彼女が48歳の時であるが、まだ良く録れている方である。もちろん編集録音などは無い。一発録音であろう。使っている楽器もいいもののように思えないが、ユージナの楽器から最大限の魅力ある音を引き出す能力には感嘆せざるを得ない。
現代の軽い音に慣れきってしまっている方には是非聴いて欲しい演奏だ。
まず冒頭から最後まで随所に現れる低音の不気味なトリルが凄い。深い底から響きわたってくるような太く強い暗い音なのだ。寒気すら感じる。
今まで聴いたこの曲の演奏でこのトリルを上手く弾けている人はなかなかいない。目立たないように弱く弾いている人もいるが、この不気味なトリルをなぜシューベルトは幸福感に満ちた心地よい旋律のさなかにも挿入させたのであろうか。このトリルは何か近い将来に不幸な出来事が自分の身に降りかかってくるのではないかという無意識の不安の表れなのであろうか。あるいは何か明確な意図を持って曲中に何度も挿入させたのであろうか。曲に一層の変化をもたらすためにあえてそうしたのか。いずれにしても、シューベルトの意図を、こ曲を聴きながら想像してみるのも興味深い。
第一主題の後に変ト長調に転調し、幸福感に満ちた素晴らしい旋律が現れ、その後強い和音の連続でクレッシェンドする部分があるが、ユージナのこの強い和音の連続が凄まじい。ものすごいエネルギーが放出されているのが分かる。この部分を聴くと体にエネルギーが湧き起ってくるのが分かる。
そして長い主題が繰り返された後に短調に転調されるが、しばらくしてポンセがソナタ・ロマンティカで取り入れたと思われる不協和音を伴う部分のユージナの低音が凄い。聴いていて身震いしてくる。決して大袈裟で言っているわけではない。
この低音がピアノの最も魅力ある音なのだ。このような低音は膨大な録音の中でも聴くことは極めて稀である。私がすぐに思い出したのは、マリヤ・グリンベルクが死の前年に行った演奏会のライブ録音で、リスト編曲のシューベルトの歌曲集の演奏である。
やはり器楽の演奏家は楽器から、その楽器の持つ最大限の魅力ある音を出すことに全てのエネルギーを注がなければならないのである。軽いシャリシャリした音しか出ていないのに、大演奏家のように評価することはどうかと思う。
クラシックギターの世界でもアンドレス・セゴビアはギターという楽器からいかにその楽器の持つ最大限に素晴らしい音、その音とはその楽器しか出せない特有の響きと奏者の感情エネルギーが融合した音なのであるが、この音を出すのに全てを賭けた演奏家と言っていい。現在に至っても彼以上の音を出すギタリストは現れていないどころか、ますますギタリストの音は駄目になってしまった。
前回のシュ・シャオメイの演奏の紹介でも述べたように、この短調の転調の後しばらくして、とても感情を強く刺激する部分が現れるのであるが、この部分の演奏が最大のかなめであり、演奏の良し悪しを決める際のメルクマールになるのである。
この部分を聴くと、何かとても不幸で辛い体験で感じるもの、たとえば耐えがたい極貧、親しい人との死別、死を選択するほどの精神的な苦しみ、といったものを感じてしまう。短いフレーズであるが、何かそのようなものが浮かんでくる。
そしてその感情がを、何か肯定的な大きな存在-それを神のような存在というのであろうか-が見守っているように感じられるのである。

マリヤ・ユージナのことはインターネットで検索すれば、その生涯の概要を紹介した記事がいくつかあるので、ここではあまり触れないが、最後は極貧のうちに生涯を閉じたとのことである。生涯独りであったが、部屋にはピアノすら無かったという。
ユージナの若い頃の写真を見ると、悲しい目をしている。愛されなかった人特有の目である。
恐らくその境遇から生まれる感情を音楽、ピアノを手段にして解放し、昇華させていったのではないか。
彼女の演奏を聴くとそのような気持ちが伝わってくる。
彼女はピアノに出会い、ピアノ音楽に生涯を捧げることで最後は幸福になれたと信じる。




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シュ・シャオメイ演奏 シューベルト ピアノソナタ第21番(D.960)を聴く

2015-05-16 23:38:11 | ピアノ
今日の朝久しぶりに夢を見た。
久しぶりに夢を見たというより、見ていた夢をかなりリアルに思い出すことが出来た、と言う方が正しい。
夢は毎日見ているのであるが、朝起きた瞬間忘れてしまうことが殆どあり、見ていた夢の内容まで起きてから記憶していることは滅多にない。
今日見た夢はこんな夢であった。
会社のプロジェクト・チームのメンバーで街中を歩いていた。
私はリーダーに今日は会合が無いのか、と聞いた。リーダーは言った。「プロジェクトはひとまず終わった。会合はしばらく無い。」
そしてメンバー達はある古いビルの一室の中に入った。そこには半世紀も前に作られたような古いコイン式のゲーム機がいくつか置いてあった。ゲーム機といっても電気式ではなく、機械式の金属製のボックス型のものであった。
メンバー達は慣れたようにその古めかしいゲーム機にコイン入れて遊び始めた。
私はというとこういうゲーム機は好きでなかったなかったので、やるかやるまいか躊躇したが、結局やってみることにした。
ゲーム機とは違うボックスの上部に45度の傾斜のついたコインを入れる穴が空いており、そこにコイン差し込むとコインが傾斜の付いた坂を滑り落ちていき、しばらくするとその穴の奥からエメラルドグリーン色をした丸い石の玉が坂を登ってくるようにいくつか駆け上がってきたのである。
そのエメラルドグリーン色の玉は完全な球ではなく、ゆがみがあった。
この玉を使って遊ぶらしかったが、この玉を使って遊ぶゲーム機の全貌は見ることはできなかった。
10円玉を入れてしばらくして、コインの入れる穴の傾斜の奥に外周にギサギザのある古い10円玉が引っかかっていた。私の入れたコインではない。
私はもうけものだと思いそのコインを取ろうと指を穴に突っ込んだ。しかしコインが軌道を外れて落ちてしまい、コインを得ることもエメラルドグリーン色の玉も得られなかった。そこで目を覚ました。
目を覚ましたがまだ早かったので、ひと眠りした。次に見た夢はこんな内容であった。
私はあるホテルに滞在していた。
ある日そのホテルに戻ったら、後輩らしき若者が2人、私の部屋に勝手にあがりこんで、2人ともヘッド・フォンを着けて音楽を聴いていた。
私は疲れていたので、出て行ってくれと言った。そして眠りについた。
朝目覚めると、昨日の2人の若者の1人がいつのまにか部屋にいて、ギターを弾いていた。
そのギターはイギリスのポール・フィッシャーという製作家が作った新作であった。独特の口輪のデザインですぐに分かった。
後輩の若者が弾くそのギターの音色は素晴らしかった。私が常日頃理想としていた音であった。特に低音の力強く多層的な響きは素晴らしく、しばらく聴き入った。そこで目が覚めた。
見た夢をもしSF映画にしたら大ヒットするのではないか、というすごく面白い夢を30代初め頃に見たことがある。
将来、見た夢の映像を記録できる装置が発明されるかもしれない。

くだらない話になってしまった。
先日の記事「久しぶりの日本酒」でちょっとふれたが、中国上海出身でフランスを拠点に活動している女流ピアニスト、シュ・シャオメイ(Xhu Xiao-Mei)の録音の話をしたい。
私の最も好きなピアノ曲の一つであるベートーヴェンのピアノソナタ第32番のCDでいい演奏がないか折をみて探し続けているのであるが、ゴールデン・ウィークのある日に、この シュ・シャオメイのCDに初めて出会ったのである。
そのCDはベートーヴェンのピアノソナタ第32番の他に、シューベルトの最後のピアノ曲である、ピアノソナタ第21番変ロ長調(D.960)が収められていた。録音は2004年と比較的新しい。
ベートーヴェンのピアノソナタ第32番をまず聴いてみた。派手さは無いが、音の引き出し方がとても上手い。リヒテルがよく随所でやるように、鍵盤を強く叩く、という弾き方はしない。
しかしその音には力強さが伝わってくる。特に低音の響きが素晴らしい。このような低音の響きを出せるピアニストは数えるほどしかしない。
すごく有名なピアニストでも低音が鈍く、汚い音を出す演奏家もいる。感覚が麻痺しているのではないかと思ってしまう。
しかしシュ・シャオメイは決して無理して音を出していない。発音が自然なのである。楽器と格闘しない。楽器の限界を決して超えようとしていない。上品であり、繊細であり、感性の強い音なのである。
このCDで シュ・シャオメイの本領が存分に発揮されていたのは、シューベルトのピアノソナタの方であった。
このシューベルトのピアノソナタ第21番を初めて聴いたのが30代前半の頃、丁度、アンドレス・セゴビアの弾く、マヌエル・ポンセ作曲「ソナタ・ロマンティカ」に感銘していた頃である。
この「ソナタ・ロマンティカ」には「フランツ・シューベルトを讃えて」という副題が付いているように、ポンセがシューベルトの音楽、とりわけピアノソナタに影響されて作曲したものであろう。
この「ソナタ・ロマンティカ」はシューベルトのピアノソナタ第21番に影響を受けて作曲された可能性が高い。
私は30代前半のころ、ポンセがどのピアノソナタに影響を受けたか確かめようと、アルフレッド・ブレンデルの録音を聴いたのだが、今一つピンと来なかった。ブレンデルの録音は数回聴いてその後は聴くことはなくなった。
今回、20年近く経過し、このピアノソナタを再び聴くことになったのであるが、 シュ・シャオメイの演奏を聴いてこのシューベルトの素晴らしい音楽に初めて触れることが出来たのである。
このピアノソナタはとりわけ第1楽章が素晴らしい。
冒頭の穏やかで静かな和音を伴う旋律の後に、随所に不気味な低音のトリルが挿入されるが、その後、霧が突然明けたように、実に美しく爽快な変ト長調のメロディーが現れる。この部分を聴くととても満ち足りた幸福感を感じる。
しかしこのソナタの第一楽章は単調な曲想で終わらない。この主題の繰り返しの後に、先のポンセのソナタ・ロマンティカの第一楽章中盤に現れる、2弦と3弦で奏される単音と不協和音の重音の交叉する箇所を思わせる部分、もちろんこれはポンセがシューベルトのこのソナタを聴いて自分の曲に取り入れたのは疑いのないことであるが、この部分を過ぎたあとしばらくして、聴く者の感情を極めて強く刺激する、何とも言えないような美しい短調の旋律が現れるのである。
この旋律が物凄くいい。この旋律を聴くと、いろんなものが湧き起ってくる。特に若い頃に感じていたものである。
私はこの部分を聴くと、不幸な境遇、運命にありながらも幸せになることを夢見て、一生懸命に努力したが、かなわない、あるいはかなわずに果てた、無念さ、深い悲しみを感じるのである。
しかしその精神的苦しみを、何か神のような存在のものが見守ってくれているようにも感じるのである。

シュ・シャオメイの演奏を聴いて、この音楽から様々な感情を感じ取ることができた。
このような難しい精神的な曲は、やはり演奏家の人生経験、感情的体験の深さが無いと、真に表現することは出来ないのであろう。
この曲はたくさんの演奏家が録音しているが、ただ一人の演奏家の録音のみを聴いて評価を下すことはもったいないし、偉大な曲の真価に触れる機会を失うことにもなる。

シュ・シャオメイのプロフィールを見たが、苦労したようだ。ジャケットの写真を見ると、旧ソ連のマリヤ・グリンベルクと同じように苦労したことが伺われる目をしている。自国の中国では演奏せず、フランスを拠点にヨーロッパで活躍しているようである。とくにバッハの「ゴルトベルク変奏曲」は高く評価されている。


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