緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ジョン・W・デュアルテ作曲 イギリス組曲を聴く

2013-03-31 21:12:34 | ギター
こんにちは。
土曜、日曜と寒い日となりました。花見をした方はとても寒かったと思います。
しばらくギターの話題から遠ざかっていましたが、休日は可能な限りギターを弾いています。
今日、ポンセのソナタ・メヒカーナという曲を弾こうと思い、乱雑に積み重なったギター曲の譜面の束をの中から探していたのですが、結局その曲は見つからず、代わりに「イギリス組曲」という楽譜が出てきたので、それを弾いてみることにしました。
作曲者はジョン・W・デュアルテです。



デュアルテの存在を知ったのは、大学2年生の時、楽典、和声学などをもっと勉強しないといけないと思い、彼の著書である「ギターのためのメロディとハーモニー」という本(現代ギター社刊)を近くの本屋に注文して買ったときです。
作曲家というより音楽理論の教育家、研究者というイメージでしたね。
イギリス組曲は彼の代表作ですが、私はあまりこの曲に対し今までいいイメージを持っていませんでした。なんか軽い、つまらないという感じかな。
でも今日何気なくこの曲を選び実際に弾いてみると、なんかほっと安らぐようないい曲なんですね。暖かいというか。
2曲目のフォーク・ソングと題する曲は遠い昔に聴いたことがあるような印象的な曲。
弾いていて気持ちが高まる曲ですね。
このイギリス組曲はデュアルテがセゴビアに、エミリア夫人との結婚のお祝いに捧げた曲だそうです(1963年作曲)。
そのセゴビアの演奏(1967年)を聴いてみましたが、凄い演奏です。
捧げてくれたデュアルテのためなのか、渾身の力(精神エネルギー)で弾いています。
現代の演奏家でここまで弾ける人はいないと思います。何がセゴビアの演奏をそうさせるのか。
次の休日はこの曲に本格的に取り組んでいこう。



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2013年度 Nコン課題曲を聴く

2013-03-23 23:03:55 | 合唱
こんにちは。
桜が見どころとなりました。例年よりも暖かい日が続いています。
久しぶりに合唱曲の話題です。
毎年、小学校、中学校、高等学校を対象にNHKが主催する合唱曲のコンクールがあります。略してNコンと言われているのですが、私はこのNコンの演奏を楽しみにしています。聴くのは高等学校の部が殆どです。
今までこのNコンでの演奏を、過去の大会にさかのぼりたくさん聴いてきました。
過去の演奏で、特に素晴らしい演奏は今までこのブログでいくつか紹介してきました。
その中でも真に深い大きな感動を与えてくれた演奏はわずかしかありません。
ここでは学校の名前を言いませんが、平成21年度、平成12年度、平成11年度の大会のある演奏は、私に非常に大きな影響を与えてくれたといっても過言ではありません。
だから毎年開催されるこのNコンで感動を与えてくれる演奏と出会うのが楽しみなんですね。
前置きが長くなりましたが、2013年度のNコンの課題曲がNHKのホームページで発表されていました。
高等学校の部は、「ここにいる」という曲です。



作詞は文月悠光(ふづき ゆみ)さん、作曲は新実徳英(にいみ とくひで)さんです。
さてNコンホームページで聴いてみた曲の印象ですが、詩も曲も難しいですね。
詩は平易な文体、表現でありながら言葉の裏にある作者の気持ちを読み取るのが大変難しいです。後半に「わたし」と「あなた」と出てくるが、「あなた」はもう一人の私なのか。
この詩を理解するにはかなりの時間を要しますね。作者はこれまでどんな人生を歩んできたのか。
この詩に出てくる「わたし」の置かれている状況はなんとなくわかるような気がしますが、簡単に答えは出てきそうにありません。
いい詩だと思います。
小説でもそうですが、読んだ瞬間に分かるものは後に何も残らない。読んだ後に何度も意味を考えさせてくれるものがいい。昔の小説や映画、ドラマがそうでしたね。
今はすぐに結論、結末が見えて、そしてすぐに次のものに移ろうとする。たくさんのものを得ようとあせっている。一つのことに何度も考えをめぐらすことが少なくなってしまった。
この課題曲の曲もすぐには覚えられないですね。理解するまでに何度も時間を要するような曲だと思います。
例年の親しみやすいわかりやすい詩や曲と違った傾向ですが、取り組みがいのあるものだと思います。
10月のコンクールで、この詩や曲の持つ意味を高校生がどのように表現してくれるか、聴くのが楽しみです。
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チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番を聴く (2)

2013-03-20 23:12:28 | ピアノ
こんにちは。
今日は天気予報では雨でしたが結局降りませんでした。
久しぶりの週半ばでの祝日でしたが、どこにも出かけずギター演奏などの趣味に没頭していました。
前回のブログではチャイコフスキーの名曲、ピアノ協奏曲第1番の録音を紹介しましたが、多くの録音があるなかで最も感動を与えてくれた演奏を3つ紹介しました。
1つ目はアルトゥール・ルービンシュタイン、2つ目はウェルナー・ハース、3つ目はマルタ・アルゲリッチでしたが、もう一人加えさせてもらいたいと思います。
その演奏者はペーター・レーゼルという旧東ドイツ生まれ(1945年)のピアニストです。
1966年の第3回チャイコフスキー・コンクールで6位入賞、1968年のモントリオール国際音楽コンクールで第2位になった経歴を持ち、日本にも何度か演奏旅行に訪れているようです。



さてその演奏ですが、初めて聴いたときはおとなしいな、という感じでした。派手な演奏を嫌う人なんだと思いました。しかし派手さや過剰な音がない割には何故か記憶に残る演奏です。最近聴き始めたのですが、もう何度も聴いています。
まず技巧的には細部まで決してごまかしをしない素晴らしいものです。第2楽章を聴けばそれがわかると思います。
そして決して技巧を前面に出そうとしていないです。第3楽章終わりのカデンツアをそれがはっきりわかります。
超絶技巧に聴衆が酔いしれて拍手喝采を浴びる魔力にとりつかれた奏者は、このカデンツアなどをマシンガンを打つような激しい速さで弾いていますが、レーゼルの演奏は完璧な技巧にもかかわらず抑制し、音楽(=原典)を優先して弾いていることに感心します。
またレーゼルはオーケストラとの調和にも最大限の注意を注いでいることがわかります。
このレーゼルという演奏家は、自らに厳しい修練を課してきたという感じがします。
そして音楽を決して自己中心的なものにしない、音楽のもつ魅力そのものを引き出そうとしているように聴こえます。
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チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番を聴く(1)

2013-03-17 00:00:12 | ピアノ
こんにちは。
夜でも暖房が要らないくらい暖かくなってきました。
今年になってからピアノ曲の鑑賞に力をいれています。これはという曲は何人もの演奏者の録音の聴き比べをしました。先日紹介したベートーヴェンのソナタ「月光」やショパンのワルツなどがそうですね。
今回はチャイコフスキーの有名なピアノ協奏曲第1番について話そうと思います。
このチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は、私が初めて本格的に聴いたピアノ曲です。
最初に聞いたのは確か小学校3年生か4年生の頃。音楽に全くと言っていいほど関心の無い父がめずらしくクラシックのレコードを買ってきて、何度か聴いているのを耳にしました。
当時の私も音楽とは殆ど無縁の子どもだったので、最初のホルンの出だししか覚えていません。
この曲を本当に聴きたいと思い始めたのは中学3年生の頃だったと思います。
確か姉が久しぶりにこの父が買ってきたピアノ協奏曲第1番のレコードを、ある日曜日に聴かせてくれたのです。姉はこの曲を気に入っているらしく、その時初めて私は全楽章、最初から終わりまで聴いたのですが、いい曲だなーという感じを受けました。まだその時はこの曲の素晴らしさに気づいていませんでした。
その後しばらくしてこのレコードをヘッドフォンで独りで聴いてみると、その演奏の素晴らしさ、心に食い込んでくるような音楽に惹き込まれ、この曲が好きになりました。
家族が寝静まった深夜にヘッドフォンでこのレコードを何度も聴きましたね。
さてこの初めて聴いたピアノ協奏曲第1番の演奏者ですが、ピアノの巨匠、アルトゥール・ルービンシュタインです。録音は1963年のものです。
ルービンシュタインの演奏を聴いてから、今までさまざまな演奏を聴いてきましたが、この演奏を超える演奏に出合っていません。
今まで聴いてきた録音は以下です。

①アルトゥール・ルービンシュタイン(Artur Rubinstein) 1887-1982
 エーリッヒ・ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団 1963年
②アルトゥール・ルービンシュタイン(Artur Rubinstein) 1887-1982
 ジョン・バルビローリ指揮 ロンドン・シンフォニーオーケストラ 1932年
③マルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich)1941-
 キリル・コンドラシン指揮 バイエルン放送交響楽団 ライブ録音 1980年
④スヴヤトスラフ・リヒテル(Svjatoslav Richter)1915-1997
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団1962年
⑤フィリップ・アントルモン(Philippe Entremont) 1934-
 レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1961年
⑥ウラジミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz)1904-1989
 ウィリアム・ステインバーグ指揮 ホリイウッド・ボウルオーケストラ 1949年
⑦ウラジミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz)1904-1989
 アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1940,41年
⑧ウラジミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz)1904-1989
 アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 ライブ録音 1943年
⑨ルードウィッヒ・ホフマン(Ludwig Hoffman) 不明
 ホルスト・シュタイン指揮 ハンブルグ交響楽団 不明
⑩ゲザ・アンダ(Geza Anda) 1921-1976
 Alceo Galliera指揮 フィルハーモニア・オーケストラ 1953年
⑪エミール・ギレリス(Emil Gilels) 1916-1985
 ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック ライブ録音1979年
⑫エミール・ギレリス(Emil Gilels)1916-1985
 ウィルヘルム・ロイブナー指揮 NHK交響楽団 ライブ録音 1957年
⑬ソロモン・カットナー(Solomon Cutner)1902-1988
 Issay Dobrowen指揮 フィルハーモニア・オーケストラ 1949年
⑭ソロモン・カットナー(Solomon Cutner) 1902-1988
 ハミルトン・ハーティ指揮 ハーレイ・オーケストラ 1929年
⑮ベンノ・モイセイヴィッチ(Benno Moiseiwitsch)1890-1963
 Jorge Weldon指揮 フィルハーモニア・オーケストラ 1945年
⑯クリフォード・カーゾン(Clifford Curzon) 1907-1982
 ゲオルグ・ショルティ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1955年
⑰ニキータ・マガロフ(Nikita Magaloff)1912-1992
 ウィリアム・ヴァン・オッテロ指揮 レジデンティ オーケストラ 1964年
⑱ラザール・ベルマン(Lazar Berman) 1930-2005
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団1975年
⑲ウェルナー・ハース(Wernaer Haas) 1931-1976
 エリアフ・インバル指揮 モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団 1970年
21ジョン・オグドン(John Ogdon) 1937-1989
 Pierre Monteux指揮 ロンドン交響楽団 ライヴ録音 1963年
21ジョン・オグドン(John Ogdon) 1937-1989
 ジョン・バルビローリ指揮 フィルハーモニア・オーケストラ 1963年
22アンドレイ・ガヴリーロフ(Andrei Gavrilov) 1955-
 ウラディミール・アシュケナージ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1988年
23ジョルジ・シフラ(Gyorgy Cziffra) 1921-1994
 Pierre Monteux指揮 Orchestre National De La Rf 1957年
24シュラ・チェルカスキー(Shura Cherkassky)1911-1995
 レオポルド・ルーヴィッヒ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1951年
25ジェイコブ・ラテイナー(Jacob Lateiner)不明
 アルマンド・アルバーティ指揮 Vienna State Opera Orchetra 1958年
26ユリ・ブーコフ(Yuri Boukoff) 不明
 Jean Fournet指揮 Wiener Symphoniker 不明
27ホルヘ・ボレット(Jorge Bolet) 1914-1990
 シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 1987年
28ヴァン・クライバーン(Van Cliburn)
 指揮者 オーケストラ:不明 1958年
29オスカー・デヴァント(Oscar Levant)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1947年

自分でもいやになるくらい書いてしまいました。
でも自分の気に入った曲はどうしてもとことん聴き比べをしてしまいます。
もっと最高の演奏があるのではないかと。貪欲すぎますね。お金もかかるし。
ただこうして多くのな奏者の演奏を聴くことで、様々のことに気づいたり、学んだりすることも事実です。聴き比べることで音楽に対する感じ方は確実に変わります。
しかしピアノはギターと違って巨匠は何人もいるし、実力者が数が多すぎて自分の気に入った奏者を探し出すのは大変ですね。
奏者によって得意・不得意の作曲家もあるし。
さてチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番で私が現時点で最も感動し、何度も聴いている録音を3つ挙げておきます。

1.アルトゥール・ルービンシュタイン(Artur Rubinstein) 1887-1982
 エーリッヒ・ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団 1963年



上記で述べましたが、この曲の最高の演奏です。ルービンシュタインが76歳の時の演奏ですが、老年とは全く思えないほどの内面の精神的、感情エネルギーが伝わってくる超名演です。
冒頭の難しいパッセージ、例えば下記の箇所などは単なる技巧を越えた、音楽そのものが伝わってくる。



そして第1楽章最初のクライマックスである下記の部分では、そのあまりの感情エネルギーの強さに圧倒され脳が覚醒してきます。



第2楽章も技巧を超越した輝いたエネルギーに満ちた音楽を聴かせてくれる。
ルービンシュタインの最大の美点は、技巧を前面に出そうとしていないこと。技巧は音楽の要求する必然性から生まれてくることがこの奏者を聴く事でまさに感じることができる。だからカデンツアの超絶技巧も決して大げさに弾いていない。しかしその超絶技巧はどの奏者よりも強い音楽性を感じることができるのです。

2.ウェルナー・ハース(Wernaer Haas) 1931-1976
 エリアフ・インバル指揮 モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団 1970年



交通事故で45歳の生涯を閉じた悲運のピアニスト。ヴァルター・ギーゼキングに師事した。
このピアノ協奏曲第1番の演奏の中では最も確かな技巧を聴かせてくれる。
例えば下記の箇所の分散和音などは各音の分離がどの奏者よりも明確で実に聴いていて感動します。


技巧に偏るだけでなく音楽性も素晴らしく、ルービンシュタインと同じく下記の箇所は胸を打つ。



聴き始めは端正な演奏に聴こえるが、内面の強い感情が裏にあることが感じられる演奏。
ただ演奏がやや硬派で音が強いことと、繊細な表現があまりないので聴き手を選ぶ演奏だと思います。
またオーケストラが悪く、管楽器の音が前面に出すぎていて驚いてしまう部分があります。
年を重ねてもっと円熟していけば素晴らしい表現を聴かせてくれたに違いないであろうが、残念です。

3.マルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich)1941-
 キリル・コンドラシン指揮 バイエルン放送交響楽団 ライブ録音 1980年



大学時代にラジオから録音したテープを深夜によく聴いたものです。
就職してしばらくしてからCDを買いました。
ライブ録音ですが、ほぼノーミスの演奏で、ものすごいエネルギーに満ちた演奏。
第3楽章の終わりのカデンツアの超絶技巧は突風の如く弾ききるが、決して技巧を見せるためではなく、彼女の音楽性から表出されたものであることが感じられます。

これからしばらくの間、今まで聴いた他の奏者の演奏の感想を何回かに分けて紹介していきたいと思います。
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ショパン ワルツ第10番ロ短調の楽譜が2種類

2013-03-02 22:05:34 | ピアノ
こんにちは。
だんだん暖かくなってきました。暖房を入れていると少し暑く感じる時もありました。
さて、以前のブログでゲサ・アンダの弾くショパンのワルツ第10番ロ短調op69-2を紹介したことがありました。
アンダの弾くこのワルツは彼が癌で54歳の生涯を閉じる半年前に録音されたもので、特に第10番は素晴らしく、私のお気に入りの演奏です。
この演奏を初めて聴いたとき、ロ長調からロ短調に戻る直前のフレーズで違和感を感じました。今まで聴いてきた演奏と違う音を出していたからです。
何故アンダはこの部分を、多くの演奏家が奏する譜面に基づいて演奏しなかったのか、謎でした。
そこでまず、ショパンの楽譜が唯一でなく、複数の版があると思い調べてみることにしました。
わかったのはショパンのワルツは、手稿や自筆譜が複数あるということです。この第10番もクラフクのヤゲロニア大学図書館に寄贈された筆者不明の写譜による版と、パリ国立図書館に所蔵されている筆者不明の手稿による版、そしてフォンタナの校訂によるベルリン版及びパリ版による楽譜があることがわかりました。
自筆譜による版とフォンタナ版の違いは、概ね下記の部分です。

1.13~14小節目
A.自筆譜


B.フォンタナ版


2.自筆譜40~41小節目、フォンタナ版88~89小節目
A.自筆譜


B.フォンタナ版


3.自筆譜65~80小節目、フォンタナ版113~128小節目
A.自筆譜


B.フォンタナ版


4.自筆譜78小節目、フォンタナ版126小節目
A.自筆譜


B.フォンタナ版



さてアンダの演奏ですが、基本的にフォンタナ版で弾いています。これは殆どのピアニストと同じです。自筆譜による版で弾かれている録音は未だ聴いたことはありません。
但しアンダは上記4番目のロ長調からロ短調に移る3小節前の部分はフォンタナ版ではなく自筆譜による版で弾いています。
何故アンダはあえてこの部分をフォンタナ版ではなく、自筆譜による版に置き換えて弾いたのか謎であり、その真意はわかるすべもありません。
アンダほどのピアニストが譜面を読み違えたり、誤植のあるような楽譜を使ったとは考えられないですね。
それとアンダはロ短調に戻ったあとの部分で、フォンタナ版には記載されたいない装飾音を入れたり、最後から3小節目2拍目の和音を変更して弾いています。
アンダは恐らく、自分が病気で命が残り少ないことがわかっていて、この最後のレコーディングに対しては自分の感じるままに自由に表現したいと考えたのだと思います。
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