緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

晩酌前のアンダルーサ

2022-01-30 21:36:48 | ギター
今日は東京某町で社会人マンドリンクラブの合奏練習。
感染拡大の渦中であるが30人くらの参加だったであろうか。

合奏練習中、ギターの鳴りが悪かった。
このところずっと「悲愴」ばかり聴いていて、マンドリン合奏の練習もさぼり気味で、独奏曲も弾いていなかったからだ。
しかし家に帰ってギターを取り出し弾いてみたらびっくり。
ギターの音がすごく鳴るようになっていた。
今日は5時間ほどぶっとおし弾いたからな。
やはりギターは鳴らしてあげないとだめなのだ。
弾いてあげて木材に振動を与えてあげないと、たぶん反応が鈍くなってしまうのだと思う。
これは実際の体感。

早速、いい音に変化した楽器でいつもアルハンブラを、といこうかと思ったが、マンネリなので、手っ取り早く弾けるスペイン舞曲第5番アンダルーサを日本酒飲む前に録音してみた。

晩酌前のアンダルーサ 2022年1月30日21:17

以前に比べると少し良くなってきているように思うが、まだ力みがある。野心が潜在的にあるからだ。
もう少し力を抜いて強弱をつけた自然な流れに持って行きたい。
コメント

ジュゼッペ・シノーポリという指揮者

2022-01-29 22:40:02 | オーケストラ
チャイコフスキーの「悲愴」の鑑賞再会を12月上旬から始めて1か月半。
その間90種類ほどの演奏をCDやレコードなどで聴いた。
演奏者である指揮者の数も膨大だが、今まで交響曲など殆ど聴いてこなかったからさまざまな指揮者に触れることは未知の領域に踏み込んだようで、また新たな楽しみが増えた感じがして嬉しい。

数多くの録音を一通り聴いてまずは心に何かしらのインパクトのあった演奏を、鑑賞リストで黄色でマークしておいた。
その中でも最初に聴いたときはそれほど大きな衝撃というものは感じられなかったが、2回目に注意深く聴いたら、凄いと感じられる
演奏が出てきた。
ジュゼッペ・シノーポリ指揮、フィルハーモニア管弦楽団。



もう少し幅を拡げて聴いてみないと断言できないが、はっきり言ってこの指揮者は凄い。
うわべだけで聴くとさらっとした感じで流れてしまうが、神経を集中してアンテナを高感度にして聴いてみると、物凄く深く、繊細な感情が滲み出ていることがわかる。
根底に人間的なやさしい感情が放出されていることがわかる。あの悲痛な第4楽章であっても。

ジュゼッペ・シノーポリのことを調べてみた。

ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli、1946年11月2日 - 2001年4月20日)は、イタリア人指揮者・作曲家。
パドヴァ大学で心理学と脳外科を学ぶと同時に、マルチェルロ音楽院で作曲を専攻する。
1975年、現代音楽の演奏を目的として師の名を冠したブルーノ・マデルナ・アンサンブルを設立、指揮者としてのデビューを飾る。
(あのシュトックハウゼンに師事したという)
上述のような経歴(死の直前には考古学の博士号も取得)から、インテリ指揮者としての側面がクローズアップされ、衒学的で音楽解釈に精神医学的観点の援用を示唆する言動やシノーポリの異色の音楽解釈は、熱烈な崇拝と批判を同時に呼び起こした。
1984年にフィルハーモニア管弦楽団、1992年にシュターツカペレ・ドレスデンの常任指揮者になり、後者のポストは最後まで在任していた。オペラ指揮者としては、1990年にベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督に就任予定だったが、直前に辞退。また2002年よりザクセン州立歌劇場の音楽総監督に就任予定だったが、死去により果たせなかった。
(以上、ウィキペディアより抜粋)

若くして死去した理由は書かれていなかったが、さらに調べてみると壮絶な最期を遂げたことがわかった。

http://bungeikan.jp/domestic/detail/934/

オペラなどの演奏が多かったようだが、「悲愴」のような難解な人間ドラマをテーマにしたような音楽でも、本領を発揮していると感じた。
「悲愴」のような曲は、いわゆる成功者とか、幸福な人生を送った人間とは無縁の、次元の異なる生き様を経験した人でないとなかなか本質的なものは理解しがたい要素を多分に含んでいると思われる。
シノーポリという人物は、エリート、華麗とも言える経歴の持ち主だったようだが、私が感じるには精神的には相当悩み苦しんだ人生を送ってきたように直感的にはあるが感じるのである。でなければ上記の録音のような演奏は出来ない。

音楽の演奏というのは、演奏者がどういう人間なのか、どういう人生を送ってきたのか、どういう価値観を大切にしているのか、人間の感情にどれだけ敏感に反応できるのか、といった音楽とはまた別の次元のもの=人間力というとも言うべきものが無意識的に現れるものだと思う。
逆にいうと、音楽の演奏を通して、演奏者がどういう人物なのか、ということが分かるような気がするのである。
コメント

1速から2速へのシフトチェンジが固い

2022-01-28 23:30:16 | 
去年の9月に買い替えた中古の大型4輪駆動車。
このところの気温低下のせいか、1速から2速にギアが固くて入りにくい現象が起きている。
15分くらい走っていると入りやすくなるのであるが、それまではかなり力を入れないと入ってくれない。

何で入りが固いのか原因を考えてみた。購入時に車検が切れていたので車検整備の際にミッションとトランスファーと前後デフのオイルを交換してもらったが、ミッションに注入されたオイルの粘度が高い可能性がある。
もしかして間違ってデフオイルをミッションに入れた?

今日、そのオイル交換してくれたディーラーに電話して聞いてみたら、オイルを間違えることはまずないでしょうとのこと。
原因は何とも断言が出来ないが、冬の気温低下でオイルが温まるのに時間がかかり、オイルが固いから入りにくいのだろうとのことであった。

オイルが固いということは、シフト時にミッション内のギアの回転が固いオイルの抵抗でかなり落ちているということだ。
しかしタイヤが回転しているので駆動をタイヤに伝達するシャフトはかなり速く回転している。
そこでギアチェンジする時にギアの回転が合っていないので、ギアを変換する装置(スリーブというらしい)が2速に入れようとしても弾かれてしまうようだ。これが2速に入りにくい原因だ。

この回転差を吸収、回転を同期させるためにシンクロメッシュという部品が使用されるが、回転差が大きい状態で無理やりシフトチェンジしようとするとこのシンクロ(真鍮で出来ている)に負荷がかかり、摩耗を速めてしまうらしい。
シンクロが摩耗すると、回転差を吸収する能力が低下するので、シフトチェンジするときのギアの回転が合っていないと、スリーブがギアに直接当たって、ガリガリっという嫌な音がするのである。

シンクロを傷めないためにはダブルクラッチによりギアチェンジすると良いとの情報があったので、試してみたが入りにくさは変わらなかった。
しょうがないので、暖かくなるまでしばらくの間、1速から回転を上げて2速を飛び越し3速にギアチェンジすることにした。
コメント (2)

波長の合う曲や演奏家

2022-01-25 21:03:09 | 音楽一般
今週は明日以外は在宅勤務。
だいぶ時間に余裕が出て来た。
仕事が終ってから悲愴のCDを3枚聴く。
この1か月半で92枚のCDなどの「悲愴」の音源を聴いた。

これだけの数の音源を聴いたなかで、自分の波長の合う演奏家(指揮者)が出てきた。
人それぞれ音楽に対する捉え方が違う。
どれが正解というものはない。
要は、自分が聴いて、触れて、最も感動し、心の深いところから感情が放出される演奏を大切にすればよいのだ。
そのような曲、演奏は意識しなくても出会うべくして出会うものだと思っている。

悲愴の第4楽章の、あの最も感情が放出される中間部は、今まで、死を目前にしてチャイコフスキーが過去の最も輝いていた頃(それは若き日々に相違ないと思うのだが)を回想する際に現れる気持ちを表現したものだと思っていたが、今日、リッカルド・ムーティの演奏を聴いて、精神的に絶えず不幸だったチャイコフスキーが、激しく渇望し、求め、待ち望みながらもついに得られなかった幸福な生活、至福感、そのはかなさ、無念さを表したものではないか、と感じるようにもなった。
これは新たな発見だ。

シューベルトのピアノソナタ第21番第1楽章のあの荒涼としたフレーズを聴いたときも同じような感情が起きてきたことがある。
オーケストラ曲で、チャイコフスキーほど自分のさまざまな感情に向き合い、それを芸術にまで昇華させた作曲家はいないと思う。
チャイコフスキーの悲愴を聴くと、どんな精神的不幸をも否定しない、むしろ人間の尊いもの、崇高なものとしてあるがままに受け入れることが伝わってくる。
華やかなものだけが尊ばれ評価されるのではない。
チャイコフスキーは自らの精神的苦しみ、不幸を決して否定、悲観しなかったと思う。
むしろ最後にはこれらの感情に対する暖かいまなざしが感じられるのである。
コメント

「男たちの旅路」の挿入曲を聴く

2022-01-23 22:38:14 | その他の音楽
私が小学校4年生か5年生の頃、たしか土曜日の夜にNHKで放映されていた不朽の名作ドラマ「「男たちの旅路」のことを思い出した。

テレビがメインの娯楽であった70年代。家族全員で夢中で見た。
挿入曲のなかでひときわ印象に残っているのがこの曲。
「吉岡司令補のテーマ(哀愁)」のだと言う。
鶴田浩二のような凄みのある演技はこの時代が終ったあと、もう二度と見ることは出来なくなったといってもいい。

Forever(Nostalgia)/ Mickie Yoshino Group/ Godiego 男たちの旅路/ 吉岡司令補のテーマ(哀愁) / ゴダイゴ

コメント (2)