緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

尖閣問題を考える

2012-08-25 18:21:06 | 時事
こんにちは。
暑い毎日が続いています。
先日、日本固有の領土である竹島に韓国の大統領が、また尖閣諸島に台湾の活動家が上陸する事件があった。
この事態に対し野田総理は昨日の記者会見で、「わが国の主権を侵す事態であり、看過できない。毅然とした態度で不退転の態度で臨む」と述べた。また野田総理は冷静に対応する必要性も強調している。
尖閣諸島は古くは明国と琉球王国との境に位置する島であったようだ。色々調べてみたが、ウィキペディアでは「日本政府は尖閣諸島の領有状況を1885年から1895年まで調査し、世界情勢を考慮したうえで隣国の清国など、いずれの国にも属していないことを慎重に確認したうえで閣議で決定し沖縄県に編入した」と述べている。
また外務省のホームページでも尖閣諸島に関する基本見解として、日清戦争後の1895年の下関条約において清国から割譲を受けた台湾等の領土に尖閣諸島が含まれていなかったことや、第二次大戦後のサンフランシスコ平和条約で日本が放棄した領土の中に尖閣諸島が含まれていなかったこと、及びそれらの事実に中国側が何ら抗議をしなかったことにより中国は古くから尖閣諸島を日本固有の領土と認めていたとしている。
この見解を裏付けるものとして、今日のmns産経ニュースで「中国広東省の民間企業幹部が1949年から71年まで中国政府は釣魚島(尖閣諸島)を日本の領土と認めていた」との記事があった。
これによると中国の人民日報は53年1月8日付の紙面に掲載した記事で「琉球群島(沖縄)は台湾の東北に点在し、尖閣諸島や先島諸島、沖縄諸島など7組の島嶼からなる」と表記していたとのことである。また中国当局が監修した53年、58年、60年、67年に発行した地図の画像も示したが、その多くが「尖閣群島」「魚釣島」などと表記。日中境界線も明らかに日本領土を示しているということだ(ニュース記事より抜粋)。
これらの記録からして尖閣諸島は日本の領土であることは明確である。
中国や台湾が領有権を主張しはじめたのは1969~1970年に国連が行った海底調査で大規模な油田がある可能性が高いとの結果を出してからある。
つまり中国や台湾はこの油田が欲しくて尖閣諸島が自国の領土だと主張しているに過ぎない。中国が南シナ海で付近の国々と領有権をめぐって衝突しているのもこのような経済的利益をむさぼりとろうする中国の思惑に他ならない。
そして中国に狙われるのは領有権が明確に世界に認知されていない島である。尖閣諸島などこの島が日本の領土だと分かったのは数年前の領土問題が明るみに出てからである。今まで学校で教わった記憶も無いし、ニュースなど大きく話題になったこともなかった。
われわれ日本人ですら日本の国土の一部だという認識をもっていなかったから狙われたのではないか。日本が学校教育で日本列島を取り囲む海や多くの島々のうち、ここまでがわが国の領土であると明確に教える必要があったと思う。そして世界に対してもきちんと日本国の領土はここまでなんだよ、と地図を具体的に示す努力が必要だった。
日本は四方を海に囲まれた島国であり、周りの海や島々も領土であることを考えると野田総理が記者会見で語ったように国土の広さでは世界6位の大国となる。日本は凄く小さな国のようで大きな国であることに気付かされる。しかし海や島は大陸での国境ように誰が見ても境界線が客観的に明確にはなれない。だからその海に眠る資源を狙って中国などが、これは自分の領土だと言い張って地図の名前まで自国で勝手につけた名前に変えて、既成事実化してしまうのである。実に姑息で卑劣なやり方である。
日本はこの真実をもっと世界の国々に認知させなければならない。このまま今までのように関係悪化を恐れて大人しくしている対応方法も限界を超えた。自分の領土に勝手に足を踏み入れられて好き放題の事をされて嫌な思いをしない人間は皆無である。嫌な思いで済むどころか自国の持ち物を略奪されているのである。日本が今まで反応が鈍かったのは、先に述べた尖閣諸島が本当に日本の領土だと言う認識が国内で薄かったことと、日本列島から遠く離れた岩だらけの島に何の利益があるのかという思いがあったからではないかと思う。それは日本がかつて経済的に豊かだったから、この問題をとるに足らぬレベルのもので済ませたいう甘い気持ちがあったと思う。
今中国各地で日本政府の領土問題に対する抗議声明に反発してデモが起きているという。現地の料理店などが襲撃されているという。デモを起こす中国の若者などは中国政府や共産党などから徹底的に日本を憎むように教育されている。中国国内の内政への不満をそらすために領土問題が利用されていることにも彼らは気付いていない。
だから中国国民に対し、先のmsn産経ニュースのような客観的証拠をどんどん発信して、自分たちのやっていることがいかに間違っており、日本国民を傷つけ、両国の溝を拡げていくものの何者でもないことを分からせなければならない。
客観的事実が明確にされるならば、自分たちのやっていることの愚かさに気付き、日本に対する誤った見方も正されるのではないか。
中国の人々がこのような憎しみに駆り立てられるのは、古代から自国よりもはるかに弱小国であった日本にかつて領土を奪われ、支配された屈辱感があるからではないか。
日清戦争の少し前に中国はイギリスとアヘン戦争を起こし敗北し、自国の領土である香港をイギリスに奪われ、多額の賠償金を支払うはめになった。
アヘン戦争は、清国と貿易していたイギリスが貿易赤字の解消策として、当時支配下にあったインドでアヘンを栽培し、膨大な量のアヘンを中国に輸出し200万人もの中毒者を出したことから、清国の政府がアヘン輸入を禁止し、これに反発したイギリスが艦隊を率いて中国に攻め入ったことが原因とされている。そして戦争終了後、アヘン貿易は正当な貿易として継続されたという。
清国はイギリスの経済的危機というイギリス自身の都合で戦争を起こされ、多くの死者を出し、屈辱的な支配を受けたのである。しかしそのことに対し現在の中国はイギリスに対し敵意をむき出しにしていない。歴史を重視する国であるが日本に対する向け方とは全く違う。
時代が第二次大戦よりも1世紀前であることもあるが、理不尽な理由で戦争を起こされ、多くの人の生命を奪われ、屈辱的な支配を受けたことは紛れも無い事実である。
香港がイギリスから中国に返還されたのは1990年代半ば過ぎであり、150年以上もの間、イギリスの支配を受け続けたのである。
しかし中国は目だった敵意をイギリスに対して示していない。これはイギリスが歴史的にみて当時、大国だったからではないか。産業革命をいち早く起こし、世界で最も産業が進んでいた国であり、多くの植民地を支配していた国に負けてもしかたがなかったと思っているのだろうか。その反面、中国よりもはるかに弱小で遅れていた小国日本に日清戦争や第二次世界大戦で領土を奪われ支配されたことが、中国のプライドを大きく傷つけ、絶対に許せないという気持ちにさせているのではないかと思う。つまり理不尽なことであっても自分より強い相手に負けても許してしまうが、自分よりも弱いと思っていた相手に負けたことが絶対に許せず、復讐して打ち負かしたいと思っているのであろう。そのようなふるまいに賛同が得られるはずがない。
しかし日本が日清戦争や第二次大戦で中国などから奪った領土は全て返還された。そして日本は戦後の日本国憲法のもとに、それこそ死の物狂いで武力行使をしない世界トップクラスの平和な国を作り上げた。
中国は日本の過去を今でも責め続け謝罪を強要しているが、その一方で武力を強化している。日本の領海を潜水艦で平気で潜行するような国である。日本はこのような中国の自己矛盾をもっと世界に知らせる必要がある。このようなふるまいに日本はもっと怒っていい。このような自己矛盾と資源略奪をベールに隠した領土問題を客観的な資料にもとづき知らせていく努力が必ず必要だ。
多くの中国人の根源的な気持ちは、古代の中国と日本の関係のように、日本が取るに足らなく存在すらわからない小国にまでおとしめることにあるのではないか。
コメント

何回も繰り返し聴きたくなる演奏(録音)を選んでみた

2012-08-17 23:21:12 | 音楽一般
こんにちは。
会社の夏休みも明後日で終わりです。でも今日は半日だけ仕事にでなければなりませんでした。
今日は私が音楽を本格的に聴き始めた中学1年生の時から数十年を経て、これまで聴いてきた膨大な演奏(録音)の中から、何十回、何百回と繰り返し聴いてきて、またこれからもずっと聴き続けたい、私のお気に入りの演奏を選んでみました。
ジャンルはクラシックに限定します。
何故何度も何度も同じ演奏を聴いてしまうのか、という問いには明確な答えがあるわけではありません。理屈や頭で考えての結果ではなく、私の本能が欲するから聴くんだ、という感じでしょうか。
しかしこれから紹介する演奏は私の生き方、感じ方、物事を判断する力などに決定的な影響を与えてくれたことは間違いありません。もしこれらの曲や演奏に出会わなかったらどんな人間になっていたやら。もしかすると今生きていなかったかもしれません。
こうして改めて考えてみると音楽や芸術っていうのは凄い力を与えてくれんだな、考えてしまう。まあ人によっては音楽ではなくスポーツだったり、旅行だったりするわけですけど。
前置きが長くなりましたが、種類ごとに選んだ演奏を紹介していきます。

1.クラシックギター
私のメインの音楽。演奏もしますが、よく聴きます。

①マヌエル・ポンセ作曲 ソナタ・ロマンティカ
 演奏:アンドレス・セゴビア 1964年録音 使用楽器:ホセ・ラミレスⅢ世
 20世紀のクラシックギター界の大巨匠であるセゴビアの超名演。これを超える演奏はありえないほどの演奏。特に第3楽章は凄い。





②アレクサンドル・タンスマン作曲 ポーランド風組曲
 演奏:アンドレス・セゴビア 1965年録音 使用楽器:ホセ・ラミレスⅢ世
 この録音もセゴビア以外の演奏は考えられないくらいの超名演。使用楽器であるホセ・ラミレスの表面板が杉に変わってからの録音で、セゴビアのラミレス時代の録音の中では一番楽器が良く鳴っている。





③フェルナンド・ソル作曲 練習曲op6-11
 演奏:ナルシソ・イエペス 録音1962年 使用楽器:イグナシオ・フレタ(?)
 ギターを始めて間もない頃の中学2年生の時に初めて買ったクラシックギターのレコードに収められていた曲。このレコードを1日何回聴いたであろうか。家で聴くだけでは物足りなく、テープに録音して学校に持っていって掃除の時間にカセットで聴いていました。
この曲は収録曲の中でも目立たない小曲ですが、非常に美しい名曲です。作曲者ソルの内面を映し出した単純そうで深い曲。この曲の運指はセゴビアのものが有名ですが、私はイエペスの運指の方が優れていると思います。使用楽器はイグナシオ・フレタの表面板が松のものだと思いますが断定できません。





④フェデェリコ・モンポウ作曲 歌と踊り第13番
 演奏:ナルシソ・イエペス 録音1972年 使用楽器:ホセ・ラミレスⅢ世(10弦)
 この曲は元々ピアノのために書かれた連作なのですが、イエペスの依頼によりこの13番だけはギター曲として作曲された。「歌」はカタロニア民謡の有名な「鳥の歌」を素材にしている。歌も踊りも素晴らしい曲。イエペスは原曲を部分的に変更し、10弦ギター用に手直ししています。その演奏は超名演です。この曲は演奏難易度が高く、特に和音の持続性を保つのが至難な曲なのですが、イエペスの演奏は演奏の困難さをはるかに超越した演奏。この演奏もこれ以上の演奏は現れないでしょう。
楽器は、パウリーノ・ベルナベが10弦ギターの製作を開始する前のホセ・ラミレスⅢ世の10弦ギターを使用している。





⑤アグスティン・バリオス作曲 大聖堂
 演奏:ナルシソ・イエペス 録音1989年 使用楽器:パウリーノ・ベルナベ(10弦)
 大聖堂は3楽章あることが知られていますが、元々は第2楽章と第3楽章の2部構成の曲でした。第1楽章のプレリュードは単独で作曲されたものを後から大聖堂に組み入れられたと言われています。バリオスの自演レコードでは第1楽章は弾かれていません。
イエペスも第2楽章と第3楽章のみの演奏ですが、第2楽章「宗教的アンダンテ」と第3楽章「荘重なアレグロ」をこれほど厳密に表現し得た演奏を他に聴いたことがありません。特に第3楽章のテンポはこの曲のベストだと思います。この第3楽章をテクニックをアピールすることを目的にやたら速いスピードで演奏する奏者がたくさんいますが、これは曲をぶち壊しています。このような演奏者はこの曲の意味が全くわかっていないのでしょう。イエペスの演奏は的確なテンポと正確な技巧で大聖堂の荘厳な雰囲気を感じ取って作曲したバリオスの気持ちをよく表現しています。
なおイエペスはこの曲の演奏を3弦を半音下げた変調弦で行っているのではないかと思われます。





⑥ホアキン・ロドリーゴ作曲 アランフェス協奏曲
 演奏:ジョン・ウィリアムス ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 録音1964年? 使用楽器:イグナシオ・フレタ(松)?
 この曲を始めて聴いたのが中学2年生の時。ギター協奏曲で凄い曲があるらしいといううわさを聴いていたが、ギター曲に全然興味のない友だちがその曲をたまたま録音したことを聴いて、早速ダビングしたが、最初の出だしが録音されずカットされてしまった。しかも音がすごく悪い。でもこの録音したテープを何回聴いたかわかりません。後でこの曲がアランフェス協奏曲であり、演奏者がジョン・ウィリアムスだと分かりました。
アランフェス協奏曲の録音は数多くありますが、このジョン・ウィリアムスの初めての録音がこの曲のベストだと思います。特に第2楽章のイングリッシュ・ホルンの響きの良さや、カデンツア前半のギターの響きと超絶技巧、カデンツア最後のラスゲアードのスピードと激しさは他の奏者の追随を未だに許していません。
このユージン・オーマンディ指揮の初回録音はその後何度かCD化されましたが、輸入版は音が小さく録音されてしまい、LP時代の原盤より聴きにくくなり迫力を感じなくなってしまいました。また10年くらい前に出た国内版のCDは原盤の音を加工してしまい、オリジナルの音が失われています。この録音はギターの音を小さく加工してしまったようですね。ギターを知らない技術者が加工したと思われます。なのでこのユージン・オーマンディ指揮の録音を聴くのであればLPか下の写真のCD(駅のスタンドで確か千円で買ったもの)がお勧めです。但し下のCDは楽章と楽章の間に別の音楽がかすかに聞こえるので神経質な方は気になるかもしれません。









⑦エンリケ・グラナドス作曲 詩的ワルツ集
 演奏:ジュリアン・ブリーム 録音:1982年 使用楽器:ホセ・ルイス・ロマニリョス(1973年製)

 原曲はピアノですがブリーム自身がギターのために編曲。全曲ではありませんが、ギターの演奏に適した曲のみを選んで編曲している。
 編曲の素晴らしさもさることながら演奏はピアノ以上のもの聴かせてくれる。アルベニスやグラナドスのピアノ曲のギターへの編曲物は大抵、ピアノの演奏と比べると聴き劣りするのですが、ブリームの演奏は全く逆です。ピアノを弾く方も是非聴いてもらいたいですね。
 ブリームが交通事故で怪我をする直前の録音で彼の最盛期の演奏です。





⑧アグスティン・バリオス作曲 最後のトレモロ
 演奏:バルタサール・ベニーテス 録音:1976年 使用楽器:イグナシオ・フレタ(表面板:松、1956年製)

 この曲を最初に聴いたのは1984年ごろだったであろうか。兄がラジオからの録音したテープを聴いたのがきっかけです。とにかく凄い衝撃を受けました。この曲の美しさに惹き込まれただけでなく、演奏者であるバルタサール・ベニーテスの音楽性に感嘆した。トレモロが1本の糸のように途切れることなく、乱れることなく奏でられます。トレモロ奏法に対する認識が彼の演奏で開眼させられ、強い影響を受けました。トレモロがただ美しいだけでなく、曲の解釈や音楽の自然な流れ方が素晴らしく、間違いなくこの曲のベスト盤です。
就職で東京に出てきてから間もなくしてこのレコードを永福町のアンドー楽器店でやっと見つけました。
バリオスのワルツ第3番と第4番も収録されていますが、この曲の演奏も超名演です。この曲のベストの録音と考えて間違いありません。
バルタサール・ベニーテスはその後、バッハとスカルラッティ、ピアソラのアルバムを出しましたが、その後は録音を出したという情報は聞きません。素晴らしい演奏家なのに実に残念です。





2.ピアノ曲

①ガブリエル・フォーレ作曲 夜想曲第1番
 演奏:ジャン・フィリップ・コラール 録音:1973年

 歌曲、室内楽、管弦楽、ピアノ独奏など幅広いジャンルで膨大な曲を作曲したフランスのフォーレ。ピアノ曲としては組曲「ドリー」が有名であるが、意外に共に13曲からなる夜想曲や舟歌の存在は知られていない。
しかし夜想曲と舟歌こそフォーレの作曲家としての真骨頂を知ることができる。
この夜想曲第1番はフォーレの夜想曲の中で最も美しく夜の静けさを感じ取ることの出来る名曲です。私の最も好きなピアノ曲です。
この夜想曲は今までかなりの数の録音を聴いてきましたが、第1番で名演と呼ぶにふさわしい演奏はなかなかありません。私が数多く聴いてきた中で最も感動を得ることの出来る演奏は、ジャン・フィリップ・コラールのものに他なりません。
音の使い方、テンポ、解釈などどれを取っても素晴らしい演奏で、これ以上の演奏はありません。超名演です。





②ガブリエル・フォーレ作曲 夜想曲第6番
 演奏:ジャン・ドワイアン 録音:1970~1972年 使用楽器:ベーゼンドルファー

 コラールと同じくフランスのピアニストで1907年生まれだから、ジェルメーヌ・ティッサン・ヴァランタンとほぼ同世代である。マルグリット・ロンに教えを受け、ロンの後任としてパリ音楽院のピアノ科教授にまでなった人である。
 ドワイアンの演奏は正統的な解釈でありながらものすごい感情エネルギーを感じることがあります。この夜想曲第6番の演奏はマルグリット・ロンの影響を受けていますが、夜の静かな時に聴いているとその感情エネルギーが伝わり脳が覚醒してくるのがわかります。
この第6番も第1番と同様数多くの演奏を聴いてきましたが、これ以上の演奏はありません。





③ガブリエル・フォーレ作曲 舟歌第1番
 演奏:ジャン・ドワイアン 録音:1970~1972年 使用楽器:ベーゼンドルファー

 フォーレで初めて聴いたピアノ曲がこの舟歌第1番。演奏はジャン・フィリップ・コラールのものでしたが、後でジャン・ドワイアンの録音を聴き、この曲がますます好きになった。
 比較的シンプルな曲ですが、舟歌の雰囲気を良く出した美しい名曲です。短調と長調の対比が素晴らしく、特に長調へ転じてからの高まりは凄いです。ドワイアンは正統的ともいえる演奏法を土台にしながら、よく晴れた海の上での喜びや幸福感を非常に上手く表現しています。この曲もドワイアンの演奏を聴いていると脳が覚醒してきます。





④フェデリコ・モンポウ作曲 歌と踊り第2番
 演奏:フェデリコ・モンポウ(作曲者自演) 録音:1974年

 ギター曲の所で紹介しましたが、スペインの作曲家でピアノの詩人と言われ、スペインの音楽を素材にして数多くのピアノ曲を作曲した。その曲は華麗なものは一切なく、シンプルで素朴でありながら深い詩情を湛えたものである。
 この歌と踊りはモンポウの代表作ですが、私は第2番が最も好きです。しかも作曲者自身が81歳の時に録音した自演によるものです。
 モンポウの演奏は凍った心を溶かすほどの力を持っています。ピアノでこれほど聴く人の心に入っていける演奏は他にないのではないでしょうか。





⑤チャイコフスキー作曲 ピアノ協奏曲第1番
 演奏:アルトゥール・ルービンシュタイン、エーリッヒ・ラインスドルフ指揮、ボストン交響楽団 録音:1963年

 この曲を初めて聴いたのが小学校3年生くらいの時かな。たいして音楽好きでもない父親が珍しく買ってきたクラシックのレコードがこの曲でした。当時小学生だった私はこの曲の良さが分かるわけがなく、最初の出だしだけしか覚えていない。
 しかし中学3年生の時にふいにこのレコードをかけて聴いてみて感動し、瞬く間にこの曲のとりこになりました。家族が寝静まった深夜に、居間に置いてあったステレオにヘッドフォンをつなぎ、よく聴いていました。
 その後アルゲリッチやリヒテル等の演奏も聴きましたが、やはりルービンシュタンの演奏が私のベスト盤です。ルービンシュタンの第1楽章の出だしが好きですね。強すぎず、優しく優雅なタッチが素晴らしい。



3.マンドリン・オーケストラ

①藤掛廣幸作曲 スタバート・マーテル
 演奏者、録音年:不明

 マンドリン・オーケストラの曲はオリジナル、編曲ものを合わせても膨大な数になります。私は大学時代にマンドリン・オーケストラに所属し、それなりの曲を演奏してきましたが、鈴木静一や藤掛廣幸の曲は名曲といえる曲がかなりあります。
 この藤掛廣幸作曲のスタバート・マーテルは私の最も好きなマンドリン・オーケストラ曲です。
 藤掛廣幸の曲には他に、グランド・シャコンヌやパストラル・ファンタジーなどの名曲があります。
このスタバート・マーテルは学生時代に演奏していた時はあまり印象に残らなかったのですが、10年ほど前にふいに藤掛氏の曲を聴きたくなり、数枚のCDを入手して聴いた中で一番感動した曲でした。
 この曲を聴いていると途中で旋律や和音や下降していく部分があるのですが、この部分を聴くと70年代の私が中学生だった頃を思い出します。今までの人生で一番良かった時代、夕暮れ時の美しい景色が浮かんできたり、ギターやバレーボールに熱中していた自分がよみがえってきます。
 この曲のギターパートは伴奏が殆どで、和音やアルペジオの繰り返しですが、それでも演奏することに満足が得られますね。今も時々譜面を出して弾くことがあります。





4.合唱曲

①石田衣良作曲、大島ミチル作詞 あの空へ~青のジャンプ~
 演奏:愛媛県立西条高等学校 (平成21年度NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部 全国大会)

 合唱曲といってもNHKや全日本合唱連盟主催のコンクールでの高等学校部門の演奏です。
 今までこれらの合唱コンクールの演奏を数多く聴いてきましたが、この「あの空へ~青のジャンプ~」の西条高校の演奏が最高の演奏です。私の聴くあらゆるジャンルの音楽の中でも最も聴く回数の多い演奏です。
 これほど聴く人に力を与えてくれる合唱曲の演奏は他に聴いたことがありません。この曲を聴くと、西条高校の生徒たちがものすごい集中力で演奏していることがわかります。そしてその演奏はひたむきで無心そのものです。彼らから伝わってくるのは歌うこと、演奏することの喜び、そして真っ直ぐな気持ちです。全く凄いとしかいいようがない演奏です。この演奏に出会えて本当によかったと思っている。







②千原英喜作曲 近松門左衛門作詞 混声合唱のための「ラプソディ・イン・チカマツ」から壱の段
 演奏:愛媛県立西条高等学校 (平成21年度NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部 全国大会)

 この自由曲の演奏も素晴らしい演奏です。「青のジャンプ」と共に最も聴く回数の多い演奏です。技術的にも音楽的にもハイレベルの演奏です。
 この演奏も演奏者たちの音楽に対する真っ直ぐな気持ちが伝わってきます。テノールが素晴らしいですが、私は女声が好きです。西条高校の女声は独特のものを感じます。広いホールの奥まで突き抜けていくような力があり、艶があり澄んでいて、繊細な情感も表現できている。
 この演奏を聴き終わるとまたすぐに繰り返し聴いてしまいます。





③三善晃作曲、谷川俊太郎作詞、混声合唱のための「地球へのバラード」より、沈黙の名
 演奏:北海道立札幌北高等学校 (平成12年度NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部 全国大会)

 三善晃の素晴らしい合唱曲であり、素晴らしい演奏です。聴いていてこれほど心を揺さぶられる演奏はありません。心の奥底からしまいこまれていた感情が湧き出てきます。
 北高の女声は澄んでいて聡明感があります。男声は気持ちや感情を臆することなくストレートに表現してくる。高い技術力に裏づけられなければ出来ないことだけど。
 この録音は手に入れることができず、東京へ用事で出かけたときに東京文化会館の資料室で聴かせてもらっています。なんとしてでも録音を手元に置いて聴きたい。

④大熊崇子作曲 石垣りん作詞 この世の中にある
 演奏:福島県立安積女子高等学校(現安積黎明高等学校) (平成11年度NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部 全国大会)

 この演奏は安積女子高等学校や安積黎明高等学校の過去の演奏の中でも非常に素晴らしいものだと思います。
 合唱曲の演奏の真価は、奇をてらったような現代的な曲を上手く歌うことではなく、このような素朴で短い曲を作曲者、作詞者、演奏者、そして聴き手が一体となり気持ちが深いレベルで共有できるレベルまで演奏できることにあると思います。
 この安積女子高校の演奏を聴くと気持ちが洗われてくるのがわかります。聴き終わると何かほっとしたようなやすらぎや安心感のようなものを感じます。それは演奏者達のもつ真の感情が聴き手の心の奥に伝わるからなのです。

4.交響曲

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フォーレの「前奏曲」ジェルメール・ティッサン・ヴァランタンの名演を聴く

2012-08-13 15:53:47 | ピアノ
こんにちは。
11日から夏休みに入りました。北海道の実家に帰省しているところです。
明日は姉が子供を連れて遊びに来るし、兄も帰ってきているので、本当に久しぶりに家族がそろいます。
昨日兄と久しぶりに酒を飲みに札幌大通りまで行ったのですが、そのついでにCDショップに立ち寄ったのですが、イギリスのレーベルのTESTAMENTの特売をやっていて、偶然にもフランスの女流ピアニストであるジェルメーヌ・ティッサン・ヴァランタンのフォーレのピアノ曲集、それも夜想曲と舟歌以外の曲集があることに気づき、迷わず買いました。

①セザール・フランク作曲
 ・前奏曲、コラール、フーガ
 ・前奏曲、アリア、終曲
 ガブリエル・フォーレ作曲
 ・9つの前奏曲 Op.103



②ガブリエル・フォーレ作曲
 ・4つのワルツ・カプリス
 ・6つの即興曲
 ・8つの小品 Op.84





ヴァランタンの録音は長い間夜想曲と舟歌しかないと思っていたので、昨日このCDを見つけたときには驚きでした。
ヴァランタンは1902年にオランダ人の父親とフランス人の母親との間にオランダで生まれ、後に彼女が12歳の時にフランスに行き、当時フォーレが院長を勤めていたパリ音楽院に入学し、フォーレの直弟子であるマルグリット・ロンに教えを受けたようです。
10代の終わりに大変優秀な成績で音楽院を卒業したが、22歳の時に結婚し、子供が生まれてから子育てに専念するために演奏活動を中断し、演奏活動を再開したのは、49歳になってからのようです。
このCDも1954年、1959年、1960年に録音されており、彼女が52歳から58歳の円熟期に録音されたものです。
彼女の録音を初めて聴いたのは随分前なのですが、とくかく録音の状態が悪く、こもったような音で、低音などベールがかかったようなはっきりしない音のせいかあまり印象に残らなかったんですね。
あとヴァランタンは女性でありながら非常にタッチの強い演奏をします。だから繊細さを求める人には合わないところがあるかもしれません。
彼女の写真を見ると腕が丸太のように太いです。
しかし今日改めてフォーレの前奏曲集を聴いてみると、録音が悪いのは変わらなく、力強くダイナミックさはあるが、非常に感性豊かに演奏しているのが感じられた。フォーレのこの曲の演奏の中でも正統的な演奏であり、作曲者フォーレの心情を良く理解した名演だと思います。
お勧めは第5番、第6番、第7番、第9番。とくに第9番は素晴らしい。9番の最後の和音は様々な精神的苦悩を乗り越えたフォーレの穏やかな気持ちが表出したものだと思う。ヴァランタンは見事にその気持ちを表現していると思う。
夜想曲も第9番から第13番まで非常に暗く、深く、内省的で聞く者の緊張を強いる曲であるが、フォーレの曲の真髄は彼の晩年、耳が聞こえなくなってきたこの時代に作曲された曲の多くに感じ取ることができます。フォーレほどピアノで人の深い精神性を表現できた作曲家はいないのではないでしょうか。
今実家の、動きが信じられないくらい遅いぼろパソコンを使っているのでCDの写真を載せられないですが、後で貼り付けておきます。

(下の写真は夜想曲と舟歌のCD)



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期待したい「日本再生戦略」

2012-08-04 22:50:49 | 時事
こんにちは。
暑い毎日が続いていますが、夜になるとカエルの鳴き声は聴こえなくなり、代わりに秋の虫の鳴き声が聴こえてくるようになりました。だんだんと秋に近づいています。
さて30日付けの夕刊に、小さな記事ではあるが「424万人の雇用をめざす 政権が「日本再生戦略」」という記事が載っていました。



この記事によると野田政権は、デフレ脱却と経済成長を目指す2020年までの工程表となる「日本再生戦略」をまとめ、エネルギーと医療の両分野に重点的に取り組んで、424万人の新たな雇用を生み出すことを目標とすると言っている。
具体的には日本企業が世界の蓄電池市場で半分のシェアを獲得することや、革新的ながん治療薬開発などを目指し、それらの担い手として中小企業の役割を重視するとのことだ。
政府がこのような日本の将来のビジョンを打ち出したことは非常に意義のあることだ。私はずっとこのようなビジョンを政府が強く出してくれるのを待ち望んでいた。
日本は1970年代から80年代後半にかけて自動車産業や家電業界を飛躍的に発展させた。品質が高くコストの安い日本製品は欧米などで飛ぶように売れた。80年代初めから半ばまではアメリカとの間で「貿易摩擦」という言葉が生まれた。日本があまりにも巨額の貿易黒字となったためだ。アメリカが摩擦解消の一手段としてオレンジや牛肉の輸入を強く要求したことは強く記憶に残っている。
それからしばらくして日本はバブル経済に入り、本業を忘れて金儲けに力を入れるようになった。多くの人が金儲けに浮かれていた。バルブが崩壊し、山一證券や北海道拓殖銀行など超大手の企業が倒産した。
それから10年ほどはバブル崩壊後の後始末に追われた。金融業界の再生のために多額の税金が投入された。
今から十数年くらい前であろうか。韓国や中国、台湾などの今まで日本から見れば発展途上の国で、生活雑貨品程度のものしか作れないと思っていた国が非常に速い速度で経済発展していくのが見えるようになっていた。これは欧米や日本の企業が激しいコスト競争を勝ち抜く為に、人件費の安い中国などの国で多くの工場を建設し、その工場で技術を学び、また資金を蓄えた中国人が自ら製品開発や資源獲得や企業買収などを加速させたからである。この時期に鉄、SUS、銅などの金属が著しく上昇した。銅は2000年くらいまでkg、200円台でほとんど変動しなかったのが、2006年だったであろうか。kg、1000円まで上昇した。5倍の上昇である。これは中国などの国の産業が著しく発展し、資源の消費が高まったことに他ならない。
そして家電製品は今や品質的には中国や韓国に追いつかれた。これから中国、韓国製などの電器製品がどんどん店頭に出てくるようになるであろう。日本製品が30年前に欧米諸国の市場を席巻したように。
家電製品だけでなく、それ以外の専門的な製品もどんどん中国や韓国に追いつかれてきている。もう日本が儲けてきた製品では勝負できないのだ。中国や台湾などが今まで担ってきた生活必需品の生産は、インドやブラジル、インドネシアなどの国にシフトしている。
日本が巨額の財政赤字に苦しむようになってきた背景に、かつて市場を席巻した日本製品が売れなくなり、日本の企業が倒産したり、規模縮小で収入が減少し、その結果国などに納める税金が激減したことがあげられる。
このような事態は今から10年くらい前でも十分予測できた。しかし政府は殆ど対策をしてこなかった。レアアースなどの資源の獲得競争においても国をあげて対策に乗り出すことはなかった。小泉政権時代に総力を挙げて構造改革として郵政民営化を実行したが、それによって経済が良くなったわけではない。もっと国際的な視点で経済対策に乗り出すことが必要だった。
昨年、パナソニックなど日本を代表する製造業が巨額の損失を出し、大規模なリストラを実行した。
まさに今が日本経済が没落するか再生していくかの転換期にきている。今政府が中国や韓国などが追従できないほどの技術立国になるために真剣に考えなければならない。
そのような折、冒頭の「日本再生戦略」が出されたことは少しほっとしたし、嬉しくもなった。政府はもっと、日本が持つ他国にない独自の技術、技能の棚卸しをすべきである。
今かつてない不景気で多くの中小企業が倒産している。その中には高い製造技術を持ったメーカーもあるという。非常に惜しいことだ。高い製造技術が倒産により失われてしまうからだ。あるいは中国企業などに安く買収されて、その高い製造技術がいとも簡単に中国などに流出している。
政府はこのような現状に指をくわえているだけなのだろうか。政治家が政党間や政党内のつまらない、足の引っ張り合いや無益な争いをしている間に、どんどん貴重な技術が失われていくのである。もっとこれらの技術を死守するために動けないのだろうか。
先の「日本再生戦略」では中小企業を担い手として活用すると言っていたが、とにかくこれまで日本経済の発展を根元から支えてきた中小企業の製造技術をまずは絶やさないような政策をとって欲しい。高い技術を持ちながら退職した職人やリストラされた職人を集めて、実践的な技能を学べる学校を立ち上げ、職人を教育者として迎え入れてもいいのではないか。そのようなことに税金を投入するのであれば消費税増税にも納得がいくのではないか。高校授業料無償化などに巨額の税金を使うよりはるかに有益だと思う。
蓄電池の技術もそうであるが、日本の電力に関する技術レベルも非常に高いものを感じる。なにせ停電が殆ど起きないほどの電気の安定供給ができる国はそうはないからだ。
大震災による原発の廃止運動が盛り上がっているが、私は原発廃止だけに注力するよりも、もっと品質が高く安く安全で、安定供給できる電気の生産技術を生み出すための方向性をもっと広く、一点にとらわれない視点で協議してもらいたいと考えている。そしてこれが実現できたならば他国が追従できないくらいの高い電力供給技術を有する国になれるのではないか。
また政府がこのような高い技術や医療を目指す国にしていきたいと国民に具体的に示すならば、子どもや若い世代も将来の目標を見つけやすくなり、それに向けて頑張ったり生きがいを感じたりするようになるのではないか。
今まで日本はあまりにも無目標すぎた。目標を具体的かつ明確にぜず、ゆとり教育をやるから失敗に終わるのである。教科書のページ数を減らすかわりに、考える時間を増やすといっても、具体的なものを組み込まないと、今までと同じ授業時間でページ数の減少した教科書を終わらせるだけになることは目に見えている。人間は楽なほうに流れていくのが本質であるからだ。
今の政治家に望みたいのは、党の方針が変わったとか、気に入らないとかですぐに党を去ったり政党を立ち上げることにエネルギーを使うのではなく、日本がこれから没落して世界から取り残されることのないよう、日本独自の高い技術力で世界に貢献できる国になれるようにするための具体的な目標、プランの作成や、実践に力を入れて欲しいのである。
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