緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

映画「愛のほほえみ」サウンド・トラックを聴く

2018-08-31 23:26:16 | 映画
今日、ふと随分昔に見た映画音楽が心に浮かんできた。
1976年か1977年にテレビで見た映画「愛のほほえみ」という映画だった。
1974年作。
ストーリーは殆ど覚えていない。
母と少年のきずなを描いた映画だったとしか記憶にない。
とても悲しい映画だっとような気がする。
兄がこの映画を見て凄く感動し、札幌狸小路のレコード屋でこの映画のサウンドトラック盤のLPを買ったことを覚えている。
そして兄が、買ってすぐにステレオの針を下ろすのに失敗し、レコードに深い傷を付けてしまい、そのLPが2度と聴けなくなってしまったことも。
(下の2番目のYoutubeの21分当たりにそのレコードの写真が出てくる)

悲しい音楽だったと思う。
今日Youtubeでサウンドトラックを見つけた。
悲しくも美しい音楽だった。
1970年代は、映画もその音楽もいいものが多かった。

愛のほほえみ


【追記201809011025】

この映画の原題は"La Bellissima Estate"。
邦訳すると、「美しい夏」という意味らしい。

悲しいメインテーマと挿入曲を下記に貼り付けておきます。
70年代の頃の雰囲気が蘇ってきますね。

Alberto Pomeranz - La bellissima estate 1974


Alberto Pomeranz (voice Edda Dell'Orso) - Tema Papà


こうして聴いてみると、昔の映画音楽って心に響いてきますね。
多感な頃にこういう音楽に知らず知らずのうちに触れていたのだと思う。

【追記201809012142】

2番目のYoutubeの33分ジャストから始まる音楽もいい曲だ。
1970年代の頃が蘇ってくる。
一番幸福だった時代。
楽しかった日々。
もうこういう時代は2度とやってこないに違いない。
コメント

鯖缶健康法

2018-08-31 21:41:04 | グルメ
1週間前ほどから腰が痛くなっていたが、一昨日の朝、起き上がれないくらの激痛が。
それでも何とか起き上がり、普段の何倍もの時間をかけて靴下を履き、いつもの時間に家を出た。
バスに乗り、JR駅で乗り換え。
ここからは1時間半以上立ちっぱなしだ。
しかしその日は何と、1席空いていたのだ。
幸運としかいいようがない。
油汗をかき、顔をゆがめながら激痛に耐え忍んで立っていなければならないと思っていたが、ついていた。
しかし座席に座るのも一苦労だった。これも激痛に耐えながら腰を下ろさなければならなかったのだ。
そしていつものように睡魔が襲ってきた。
運よく座れた時は、前に何度も頭を倒しながら寝てしまう。
立っているときは、両手でつり革を握って、これも頭を上下に振り振り寝入ってしまう。

睡眠時間が短いのだ。
工場勤務時代は車通勤だったが、朝工場に着いてデスクに座ったら間もなく睡魔に襲われたことがしばしあった。
睡眠時間4、5時間という生活をもう10年以上続けている。
今年に入ってマンドリン合奏の活動も始めたので、疲労がたまっていたに違いない。
腰痛は今までにもあった。
最初の腰痛は20代に遡る。
ボーリング大会で突然腰に激痛が走った。
その夜、寝がえりがうてないほど痛くなり、殆ど寝ないまま会社に行ったが、勤務時間内に整形外科に行って湿布をもらった。
その後、ギターを長時間弾いた時にたまに腰が痛くなることがあった。
しかし今年に入って、あれほどマンドリン合奏練習や本番のために椅子に座ってギターを弾き続けたのに、腰痛は一切無かった。
オフになった今になって蓄積された疲労が一気に出たのではないか。

幸い、昨日、今日と夏休みのための計画年休を取得することができた。
本当は旅行を考えていたが、痛みのため殆ど何もできず、本を読んで過ごす。
今日はロロ・メイの「愛と意志」と、北杜夫の「幽霊」いう本を読んだ。

腰痛には全く関係ないかもしれないが、先日、新聞の広告で鯖缶健康法なるものが紹介されていたので、これを試すことにした。
鯖に限らず、いわし、さんまなど、いわゆる青魚と言われる魚の缶詰は昔からたくさん売られていて、私も時々買って食べていた。
魚は好きな方だ。
青魚では、いわし、さんま、にしん、とびうおなどが好きだ。
さしみも寿司もOK。
いわしの刺身などはとてもおいしい。まぐろよりも好きだ。

青魚と言えば、父が全く食べられない。
昔、父が若い頃、なんでも鯖を食べて、気分が悪くなり、じんましんが出て、それっきり一度も食べたことがないようだ。
父は焼き魚はほっけとしゃけ以外には絶対に手を付けなかった。
また、寿司も決して食べない。
あれほどおいしい寿司なのに。
父は酒も飲まない。
飲むとすぐに顔が赤くなってしまって、少ししか飲めないのだ。
家族で父、母、姉は酒を飲まない。
しかし私と兄だけが酒を飲むし、殆ど酔わない。
それと、父と母と姉はとても几帳面で綺麗好きだ。
しかし兄と私は小さい時からずぼらで片付けが不得意だった。
同じ家族何でこうも違うのか。
姉は小さい時から優等生で活発だった。
よく母が「お姉ちゃんは男に生まれたほうがよかったのに」と兄や私に言っていた。
そして言葉にはしなかったが、暗黙に「それに比べてお前たちは何と消極的で内気なの」と言いたげな様子を感じ取ったものだ。
兄と私は劣等生で、自己主張の弱い人間だった。

しかしその兄も中学の時からタバコを吸ったり、酒も飲んでいたようだ。
母が兄の部屋からタバコの吸い殻を見つけて、狼狽して私に詰め寄ってきたことを今でも覚えている。

話が大分それたが、仕事にしても趣味にしても何にしても、体が健康なのが一番なのだと思う。
今日は久しぶりに9時間くらい寝たが、腰は痛いものの体調はすこぶる良かった。
睡眠は7時間は取りたい。
そして食事にも気を付けようと思う。
鯖缶が体にどういう効果があるのか今一つ分からないが、血液の流れを良くするのであろう。
ただ鯖缶には食塩が入っているので、できるだけ減塩か食塩抜きの缶詰を選んだ方がいい。

今日買った缶詰は下の写真のもの。
これには食塩が入っている。



コメント

H.ラヴィトラーノ作曲「序曲 レナータ」を聴く

2018-08-26 20:19:00 | マンドリン合奏
昨日、7月中旬に開催された母校マンドリンクラブ記念演奏会のCDとDVDが届いた。
10年毎に開催される記念演奏会。
前回の40周年の時は誘いを受けたものの多忙で参加できず、今回の50周年は何が何でも参加したいと思っていた。
しかし住所が変わったこともあり、案内は届かず。
偶然見かけた演奏会の案内をきっかけに現役生に問い合わせし、OB会にたどり着くことができた。
ギタートップの方が楽譜を送って下さったが、5月中旬に開催された大規模演奏会の練習や業務多忙などで殆ど練習できない日々が続いたが、それでも4月中旬に札幌に行き、初めて合同練習に参加した。
学生時代に一緒だった仲間にたくさん会えるのではという期待があったが、私の知っているOBは意外に少なかった。
しかし10年前に直接誘ってくれた同期のMや後輩のO君(ベース)、同じギターパートだった2年先輩のTさん、同じく2年先輩のマンドリンのKさんと会うことができた。
30数年振りの再会である。
みんな年を取ったが変わっていなかった。
少なかったけど、昔の仲間に会えたことが嬉しかった。
この時、何人かのOBが声を掛けてくれた。
千葉の船橋の社会人団体でも演奏しているというマンドリン+ドラのIさん、セロのSさん。
セロのSさんは合同練習に参加するたびに私のことを覚えてくれていたのか、必ず声を掛けてくれた。
(演奏会の懇親会でSさんがOB・OG会会長だと分かって驚く)

合同練習はこの後、6月中旬、演奏会前日、合わせて3回の参加となった。
私のような遠いところからの参加はこれが精いっぱい。
本当はもっと参加して貢献したかった。
しかし今回この記念行事に参加できたことは本当に運が良かったし、記念行事を運営、支えて下さった方々に感謝している。

さて送られてきたCDとDVDを恐る恐る聴いてみる。
しかし聴いてみたらびっくり、上手いのだ。
やはり札幌在住を中心としたOB、OGたちの練習、努力の賜物なのだと思った。
勿論、遠い所から練習に参加して貢献した方もいるだろうが、私のような数回しか練習に参加できなかった存在はせいぜい足を引っ張らないようにしかできなかったのではないかとも思った。
実際、フライングや、変な所で音を出さないように十分に注意するようにした。
しかし自分としては参加者として、もしかして最初で最後の参加になるかもしれないこの演奏会に対して、悔いを残す演奏はしたくなかったのも事実だった。
こういうのも自己満足かもしれないが、自分としては精いっぱい演奏させてもらったと思う。

DVDで2部と3部を全曲聴いた(1部は現役生のみ)が、3部の演奏が良かった。
1曲目はラヴィトラーノ作曲「序曲 レナータ」、2曲目はボッタキアリ作曲「交響的前奏曲」、3曲目が鈴木静一作曲「北夷」。
演奏していてとても感動したのが、「序曲 レナータ」。
この曲は学生時代、3年生の時の定期演奏会の1部1曲目だった思い出の曲だった。
イタリアらしい優雅な曲で親しみやすい曲であるが、何故か弾いていて惹き込まれる曲だった。

とくにハ長調に転調してからしばらく続く部分がとても幸福感を感じる素晴らしい旋律だ。
マンドリンソロの美しい旋律の後から続く。
ギターは下記のアルペジオでの伴奏であるが、この伴奏を弾いているだけでも幸福感を感じる
(この楽譜は学生時代のもの)





今日、ここの部分を弾きたくなって録音してみた。
調弦が狂っているが良かったら聴いて下さい。

ハ長調への転調部

記念演奏会のマンドリンソロからこのハ長調の部分が実に美しかった。

その後、イ短調に戻るがテンポが速まり、マンドリンの超絶技巧を要するパッセージが続いた後にやや激しくも優雅な音楽が続く。



次のような低音パートの刻みが特徴的だ。



ここの部分も弾いていて昂奮してくる(あまり強く弾きすぎてはいけないが)。

その後ホ短調に転調し、フェレールの「水神の踊り」を彷彿させる3拍子に移る。



そして一度は誰もが耳にしたことがあるのではないかという低音の力強い旋律が現れ、再び上記のイ短調のフレーズが繰り返され、技巧を要するPiu Allegroでコーダに入る。





このPiu Allegroからは何度も練習した。
今日この部分を録音してみた。
最後の音階がブチブチしてしまったけど。

最後のPiu Allegroの前後

今回の記念演奏会で共演した方々ともっと交流をもちたかったが、わずかな限られた時間で終わってしまったのが残念。
当日参加できないかもしれない持病を抱えての参加者、深夜の仕事で寝ないで参加していた方もいた。
DVDでこうして演奏者たちを見ていると音楽をやる人って本当にいいな、と思った。

コメント

バーデン・パウエルのライブ録音を聴く

2018-08-26 13:23:06 | ジャズ
2か月くらい前だったか、たまたまYoutubeで楽器紹介を見ていたら、ジリ・ジルマル作曲の「ギターソロの為のバーデン・ジャズ組曲」という曲が演奏されていた。
クラシックギターでこういうジャズとかポピュラー音楽を弾くのは好きではないのだが、気晴らしで弾いてみようと思い、楽譜を買った。



買ったけど1度も弾かずにいたが、7月中旬に開催された母校マンドリンクラブ記念演奏会のために札幌に行き、本番直前で控室で学生時代の思い出の曲を弾いていたら、隣の初対面の若いOBがこの「バーデン・ジャズ組曲」を弾き出した。
私は彼に「それ、バーデン・ジャズ組曲ですね。私も最近楽譜を買ったんですよ」などと話した。
演奏会が終り、家に帰ってからこの楽譜を取り出し、1曲目の「シンプリシタス」を初見で弾いてみた。

でもちょっと物足りなくなくて、本物のバーデン、すなわちバーデン・パウエルというボサノバ・ギターの巨匠の演奏を聴いてにたいと思い、Youtubeで探した。

いくつか聴いたが中でも下記のライブ演奏が凄かった。

Baden Powell - Prelude in A minor


Gente Humilde (Garoto) - Baden Powell



「 Prelude in A minor」は自作なんだろうけど、独特な和声とその流れが素晴らしい。
全体的に静かに進んでいくが、随所でクレッシェンドし情熱的に奏でられる。
アルペジオの粒が浮き出ており、見事だ。
このライブで使用された楽器は確か、アレクサンドル・ラゴヤも使っていたような気がする。
独特な深い響きの低音。
それにしてもよく間違わない。破綻が無い。
演奏と表現に絶対的な自信が感じられる。

「Gente Humilde (Garoto)」の低音の音が凄い。
楽器はもしかしるとヤマハのGC71かもしれない。
この音を聴くと、楽器の音というのは奏者によって作られるのではないかと感じてくる。
多分、この楽器が新品の時はこんな深く力強い音はしていなかったのではないか。

この演奏も破綻が無く、演奏に絶対的な自身が感じられる。
要するに、演奏と格闘、演奏と葛藤するのではなく、自分と音楽が自然に一体化、融合しているのだ。
奏者と音楽、演奏が分離、対峙していない。
これはクラシックギターの巨匠、アンドレス・セゴビアにも見られる。
頂点を極めた音楽家に共通してみられる姿だ。

セゴビアもそうなのであるが、バーデン・パウエルも演奏中は、殆ど無表情だ。おおげさな動作が一切ない。
しかし演奏が終わったあとの、表情は格別だ。
本物の音楽家はこうなのかもしれない。

このような曲をクラシックギタリストが弾くのは好ましくない。
バーデン・パウエルやチャーリー・バードといったジャスやボサノバ弾きがクラシックギターを楽器として使用していたとしても、演奏される音や音楽はクラシックギタリストのそれとは全く別世界のものだ。
彼らは幼い時から、土着の音楽に触れ、クラブなどでライブを積み重ねてきた人たちである。
クラシックの世界とは全く違う。
彼らの音はクラシック界からすると汚く聴こえるかもしれないが、音の良し悪しを超えたもっと全人間的なものを感じる。
だから多くの聴衆の心を捉えるかもしれない。

ジョン・ウィリアムスが80年代にチャーリー・バードの自作曲を録音したが、全く駄目だった。
綺麗な音で端正な演奏をしたって合うわけがない。
そもそも根本からずれている。
クラシック奏者は意識せずともクラシック音楽の弾き方が染みついてしまっているので、ジャズを本気で弾こうとしても上手くいくはずはないのだ。
ジャズやポピュラー音楽はその道のプロにまかせるのがいい。
クラシックギター奏者はプロであるならば、余興は別として本業に専念して、安易に他ジャンルを取り入れない方がいいと思っている。
音楽のジャンルには根本的に相いれない垣根というものがあると感じる。
チャーリー・バードがヴィラ・ロボスの12の練習曲をレコードに録音したが、上手いとは言えない。
逆のパターンも同じようなことを感じる。
コメント

小森香子作詞 熊谷賢一作曲「青葉の歌」を聴く

2018-08-19 21:35:45 | 合唱
作曲家の熊谷賢一はマンドリンオーケストラ曲で有名だが、合唱曲でもいい曲を残している。
小森香子作詞、熊谷賢一作曲「青葉の歌」が最も有名で、中学校の合唱大会での人気曲と聞く。
「青葉の歌」は1974年に混声合唱曲として作曲された。
他に「すばらしい明日のために」(1968年)、「イタリアの女が教えてくれたこと」(女声合唱、1990年)が知られている。
「イタリアの女が教えてくれたこと」は福島県立安積女子高等学校の録音がある。
「青葉の歌」と「すばらしい明日のために」は、マンドリンオーケストラの為のボカリーズⅤ「すばらしい明日の為に」(1976年、1982年改稿)に使われている。

「青葉の歌」は明るく、前向きで、活気に満ちており、平和、幸福を求める気持ちが伝わってくる。
熊谷賢一という作曲家はものすごいバイタリティーの持ち主だと思う。
それはどん底から這い上がる程の力、かつて廃墟から立ち上がって平和を築き上げた1970年代までの日本の姿に重なる。
しかし熊谷賢一の曲はただ単にエネルギーに満ちているだけではない。
どん底に落ちた存在(それは人間であったり、国家でもあるかもしれない)に対する受容力、繊細な優しさも感じられる。
だからこそ前向きなエネルギーが放たれている。

青葉は緑色であるが、私はこの色が幼い頃から好きだった。
気持ちを穏やかに、明るくしてくれる唯一の色だと思う。

合唱曲「青葉の歌」 超高音質

コメント (2)