緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

木村雅信作曲 歌曲「アイヌの子守歌」を聴く

2019-01-27 21:29:18 | 歌曲
木村雅信氏の名前を知ったのは今から20年くらい前だと思う。
ギタルラ社発行のピースの中にギター曲「アステリスクI Op.77」(1976年)というのがあった。
丁度邦人作曲家のギター曲を探し求めていた時だった。
この「アステリスクI Op.77」の楽譜は買わなかったのであるが、恐らく難解な現代音楽だと記憶している。
確かこの曲の楽譜の解説に、「因数分解」という言葉があったからだ。

木村雅信氏のギター曲はこれ以外に、プレリュード第1番~第19番があり、第2番と第16番の録音CDを持っている(北海道のギタリスト、星井清氏の演奏)。
プレリュードの楽譜の一部は現代ギター誌のバックナンバーの添付楽譜にあるはずだ。

今日、木村雅信氏の歌曲でいい曲を見つけた。
「アイヌの子守歌」という曲。
悲しいが、素朴で美しい歌だ。
伊福部昭の歌曲にも「摩周湖」というアイヌの悲しみを歌ったものがある。

アイヌの子守歌



この「アイヌの子守歌」のピアノ伴奏が結構難しく、歌のためだけでなくピアノのための曲であるように感じる。

木村雅信氏は長い間、札幌の大谷大学で教えていたようだ。
意外にもマンドリン・オーケストラ曲を20曲作曲している。
Youtubeで探してみたが、タンゴ・シンフォニカ Op.288(1997年)という曲の演奏しかなかった。

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映画「忍ぶ川」を観る

2019-01-26 23:49:06 | 映画
高校生か、大学生だった頃か。
正月休みの深夜番組で昔の映画がテレビで放映されていた。
「忍ぶ川」という日本映画であった。
加藤剛と栗原小巻主演の古い映画であった。
この時の映画のストーリーは、加藤剛と栗原小巻が扮する男女が出会い、やがて愛し合うようになるが、男性が戦争に召集され、終戦後、大怪我を負って足が不自由になって戦地から帰還したが、女性は既に別の男と結婚してしまい、ラストシーンはその女性の娘が婚約者を振り切って、本当に好きな、」確か陶芸家の男のもとに行くことを決心する、という内容だったことを覚えている。
とにかくこの映画がとても印象に残っており、40年近く経っても忘れなかったのだが、最近またこの映画を観たいと思うようになった。
レンタルDVDを借りようとしたが、結構長い間貸し出し中だったので、先に原作の小説(三浦哲郎著、新潮文庫)を買って読んでみた。

原作を読んだが、40年近く前に観た映画のストーリーとは違っていた。
この小説は、2人の姉が自殺、2人の兄が失踪で行方不明、という呪われた悲惨な過去を持つ大学生の「私」と、貧しい家で苦労して育った小料理屋の娘「志乃」の美しい純愛が描かれたものだった。
後でDVDも観たが、このDVD(1972年制作、白黒映画)のストーリーは原作と同じだった。

私は原作よりも映画の方がより美しく感じた。
「私」と「志乃」の関係がとても初々しく、純粋で、今の時代には消滅したものを感じさせてくれる。
昔の小説で男女の恋愛を描いた作品を読むと、日本の恋愛というものが、外国では全く見ることのできない、独自性、それはとても高貴で美しく、清冽で、抑制されながらも激しい情熱を秘めていることが伝わってくる。
映画を見れば分かるが、特に女性の言葉使い、所作がとても美しく、思わず感心してしまう。

こういう日本の誇るべき独自性の強い、古くから受け継がれてきた地味でありながら美しいものが今の時代に亡くなってしまったのは残念に感じる。
またこの映画では東北の素朴な雪国の景色が映し出されるが、これもとても日本的で美しい。

昔の日本の時代にあこがれを持つ人にはお勧めできる。
次は、40年近く前に観た別ストーリーの「忍ぶ川」の映画を探したい。







【追記201901272305】

40年近く前に観た映画は「忍ぶ川」ではなく、「忍ぶ糸」という題名の映画である可能性が高いことが分かりました。
この映画はカラーでした(1973年放映)。
この「忍ぶ糸」の方が感動すると思います。
この映画の情報が少なく、DVD等も無いようです。
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今年の抱負2019(5)

2019-01-26 21:24:17 | 音楽一般
3.ギター

昨年のギターに関わる趣味活動は、マンドリン合奏に主軸を移したためか、あまり熱心ではなかった。
しかし毎年聴き続けているスペインギター音楽コンクールや東京国際ギターコンクールは昨年も行くことが出来た。

昨年で印象に残っていることでは、まず1982年の第36回エジンバラ音楽祭でジュリアン・ブリームが弾いた、マイケル・バークリーのギター曲での代表作「一楽章のソナタ(Sonata in One Movement)」のライブ録音をYoutubeで見つけたことだった。

Julian Bream plays Michael Berkeley Sonata in One Movement (1982)


この録音は1983年か1984年頃だったか、兄がFMラジオから録音したカセットを聴かせてもらって何度も聴いていた。
理解が極めて困難な、というほどではないが現代音楽の部類の楽曲で、聴くうちに惹き込まれた。
惹き込まれたもう一つの理由は、ジュリアン・ブリームの生演奏が非常に優れていたことである。
完璧な演奏である。
この時代のブリームは絶頂期だった。
まだ交通事故で大怪我を負う前だったが、1970年代後半から1982年までのブリームの演奏はとにかく素晴らしい。
この「一楽章のソナタ」の生演奏を聴いて、ジュリアン・ブリームというギタリストの音楽演奏の正確性、わずかのごまかしのない誠実さ、譜読みの確かさ、高次元の音楽表現、高度なテクニックなど、を思い知らされた。
同じギターの巨匠であるナルシソ・イエペスは録音は精緻で完成度の高いにもかかわらず、コンサートでの生演奏ではやや雑な面を感じた。

ジュリアン・ブリームはリュートなどの古楽器を使用してのバロック時代の音楽から、難解な無調の現代音楽まで膨大なレパートリーを残した、真に偉大なクラシックギターの巨匠であると断言できる。

次に印象に残っているのが東京国際ギターコンクール本選。
昨年の東京国際ギターコンクールは例年に比べつまらなかったと感じたのであるが、やはりクラシックギターの1年を締めくくる最大のイベントであることは間違いない。
昨年12月に書いた記事を見ると、本選出場者のうち、4番目に演奏した韓国のJi Hyung Parkさんに私の自己評価では1位を付けていた(実際は4位)。
記事の中で私は「4位の韓国の出場者は、楽器をフルに鳴らしており、非常に強く芯のある音が出ており、今までこのコンクールで聴いた出場者の中では最もダイナミックな音だった。」と書いていたが、ときにパワフルさを強調しすぎて雑な表現はあるものの、いままでの奏者にない、聴き手の奥底まで届くほどの説得力ある音を出し切っていたと感じ、今後の将来性を考えると1位になって欲しかった奏者であった。

今日、図書館で「現代ギター2月号」の東京国際ギターコンクールのレポートを立ち読みしたが、意外にも、6人の審査員のうち3人がこのJi Hyung Parkさんを1位にしていた。
1位にした審査員は、ピアニストの三船優子、チェリストの堀亮介、ギタリストの小原聖子の各氏。
総得点もJi Hyung Parkさんが最高得点。
この東京国際ギターコンクール本選は増沢方式と呼ばれる採点方式を採用しているが、総得点が最高であってもかならずしも1位にはならない。
最終評価点で、Ji Hyung ParkさんはイタリアのCarlotta Daliaさんと同一得点で並んだのであるが、「増沢方式により各審査員がどちらかを上位にしているかを選考したが、これも同点となったため、審査員長、小原聖子の結果を除き選考致しました。」という何とも煮え切れない苦しい釈明にだったことが分かった。

また意外にも1位にしなかった審査員の作曲家、猿谷紀郎氏はJi Hyung Parkさんの課題曲、武満徹作曲の「森のなかで」の演奏を絶賛していた。
Ji Hyung Parkさんは2年前の2016年の東京国際ギターコンクール本選にも出場を果たしており、この時も私は白寿ホールで聴いたのであるが、私の自己評価では1位だった(実際は3位)。

「2016年(第61回)東京国際ギターコンクールを聴く」

この時の課題曲は武満徹の「すべては薄明のなかで(All in twiligtt)」で、この課題曲の演奏で最も素晴らしかったのはJi Hyung Parkさんであった。

昨年の東京国際ギターコンクールは第1位が該当者なしだったが、第2位の奏者は正直言うと、無難でまとまってはいたが、インパクトに欠ける、平板な演奏だった。印象が薄い。

国際コンクールでは、奏者の将来性を見据えて評価して欲しい。
披露された「演奏」の枠組みだけで判断しないで、もっと先の将来性、潜在的な能力を見抜いて順位を決めてもらいたいものだ。

さて今年の抱負であるが、録音を少しずつでも残していければな、と思う。
広く人様に聴いて欲しいと思うほどの野心ぎらぎらではないが、自己満足で楽しむほどほどの出来であればいいところかな、と思う。
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「星の牧場」ドラマ編を観る

2019-01-20 22:22:05 | 読書
不朽の名作、庄野英二著「星の牧場」のドラマをDVDで見た。
1981年にNHKで放送された少年ドラマシリーズであった。

原作とかなり異なる部分があるが、とても感動的だった。
ヴァオリニストの千住真理子が少女時代の頃に出演している。

1981年の製作であるが、このドラマに出ている人たちは1970年代まで確かにいた人たちだ。
損得抜きにとてつもなく優しい。
そんな人たちがかつてたくさんいた。
今は殆どいなくなった。

今の人がこのドラマを見たならば、恐らく新鮮に感じるに違いない。
日本が最も輝いていた時代なのだ。






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庄野英二著「星の牧場」を読む

2019-01-19 22:24:25 | 読書
「不朽の名作」という言葉があるが、この言葉に相応しい文学作品の中に、「星の牧場」という小説がある。
庄野英二の作品で、1963年に出版された児童文学である。

この小説に初めて出会ったのが小学校3年生か4年生の頃だった。
姉がこの小説を読んでとても感動していたのを覚えている。
私も何気なくその小説を手にとってはみたものの、途中で断念してしまった。
小学生のうちもう1回は読んだであろうか。
風邪で学校を休んだ時に、暇つぶしに読んだ記憶がある。
この時も途中までしか読めなかった。

その後20年くらい経たち、正月休みに姉夫婦の家に泊まりに行った時だった。
姉の部屋に泊めてもらったのだが、本棚を何気なく見ていると、20年前に読んだ「星の牧場」が置いてあったのだ。
姉にとってこの小説がとても大切なものであることが、その時分かった。
この時も結局最後まで完読できなかった。

それから10年くらい経ったであろうか。
ある時ふと、この小説のことを思い出した。
何故思い出したのか分からない。
しかし無性にこの小説を読みたくなり、インターネットで探して全集を買った。

この全集の第1巻が「星の牧場」であった。
この全集には、姉の本にあったような挿絵は付いていなかった。

この小説はモミイチという天涯孤独の青年とツキスミという馬のはかなくも悲しい「きずな」を描いた物語である。
幼くして両親を失ったモミイチは山の牧場に引き取られ、そこで働くことになったが、やがて戦争が始まりモミイチは軍隊に召集される。
モミイチは馬のいる軍隊に配属され、馬の蹄などを作る鍛工兵となったが、働き者のモミイチは誰よりも上手く馬蹄を作ることができるようになった。
そのうちモミイチのいる部隊はイアンドシナ半島に向け戦地に行くことになり、モミイチはツキスミという馬の世話をすることになる。

兵隊や武器や馬を載せた船がマニラに向かう途中で敵の魚雷を受ける。
モミイチは自ら逃げようとするどころか、船に留まり船底にいる馬を逃がそうとするが、滝のように流れ込む海水に流され、海に漂流しているところを助けられる。
しかし一命はとりとめたが、大怪我を負いその後マラリヤにかかったことで、記憶喪失になってしまった。

終戦後帰還したモミイチは元の牧場で再び働き始めるが、あるとき馬の蹄の音が聴こえる、その中にツキスミがいると言い出すようになった。
しかし牧場の誰もが馬の蹄の音など聴こえなかった。
牧場の人たちはモミイチの頭がおかしくなったしまったと思った。
モミイチは牧場の主人の許しを得て、牧場の片隅に鍛冶場を作ってそこで仕事をするようになる。

ある日モミイチは鍛冶場に使う炭の原料の木を探しに山に出かける。
未知の土地でクラリネットを吹く男に出会う。
彼は蜂飼いのジプシーだった。
そして同じようにジプシーとして仕事をしながら楽器を演奏する仲間と年に1回、満月の夜にバザールを開き、オーケストラを演奏をするのであった。
この出来事をきっかけに、モミイチは様々な楽器を持ったジプシーたちと出会う。
ジプシーたちはモミイチを優しく受け入れる。
不思議なことにモミイチは彼らとを過去にどこかで会った記憶があった。

モミイチは自分もオーケストラの一員になろうと鍛冶場で鈴を作り、その鈴を楽器にして練習に参加する。その鈴はとてもいい音色をしていた。
モミイチはオーケストラの練習をしているときに、突然ツキスミの足音を聴き、その音に導かれるようにオーケストラを抜け出してしまう。
そして霧の中をさまよい、大雨にうたれ、高熱を出して牧場にたどりついてところを牧場の人たちに助けられる。

そのあとのストーリーはここで書くことはやめにしたい。
ラストシーンはとても幻想的なのであるが、同時に何とも言えないとても悲しい気持ちが湧き起る。
このシーンで、「星の牧場」が単なるファンタジーでは無いことが、明白に感じられる。

この小説は児童向けなので、表向き平易な表現で書かれているのであるが、実はその表現の裏にとても深い感情を秘めている。
私はとても悲しいものを感じた。
特に最後のシーンは耐えられないほどだった。

両親を早くに亡くし、頼れる親類もいないモミイチが唯一、心を許し、心を通わすことのできた存在がツキスミであった。
孤独なモミイチがツキスミと過ごしたひとときは何よりも幸せだったに違いない。
モミイチはツキスミの死を受け入れることが出来なかった。
ツキスミが今もどこかで生きていて自分に会いたがっていると信じて疑わなかった。

人間が心を許すことの出来た最も大切な存在を、突然、罪もなく失った強い悲しみを主題としていると思われるが、決してストーレートにリアルに表現せず、一貫して平易でかつ美しい表現で完結させたところが、この小説を名作と呼ぶに相応しいものにしている。

本当に価値ある素晴らしいものは、人の心に刻まれ、何十年経ってもその余韻は打ち消されることはないものだ。





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