緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ギター録音(14)禁じられた遊び

2020-10-31 23:21:19 | ギター
今日、深夜の第2弾の録音。
禁じられた遊び。
あまり上手く弾けていない。
また後日録りなおそう。

禁じられた遊び

・録音場所:自宅
・録音日:2020年10月31日23時12分
・録音機:SONY PCM-D10

コメント

ギター録音(13)ラグリマ

2020-10-31 22:43:00 | ギター
今日も明日も講習会や自主ワークなどで目いっぱい。
しばらくギターを弾いていなかったが、簡単な曲でいいから何か録音してみようと思って、F.タレガの「ラグリマ(涙)」を弾いてみた。

(懐かしい、好楽社のギターピース)





この曲を初めて弾いたのが中学2年生の頃だった。
綺麗な曲だな、と思った。
メロディラインはアポヤンドで弾く。
このアポヤンドで弾く練習が当時すごく役立ったと思っている。
安物のギターでも芯のある音が出せるようになってきたなという感触を得た時の瞬間は今でもはっきりと憶えている。

今日、この曲を随分久しぶりに弾いたが、楽譜を見ずに暗譜で憶えていた指使いで弾けたものの、後で楽譜を見たら強弱や速度の指定を守っていないことに気付く。
でもまあいいや。
限られた時間内で自分で楽しむためなので妥協。

・録音場所:自宅
・録音日:2020年10月31日22時7分
・録音機:SONY PCM-D10


F.タレガの「ラグリマ(涙)」(譜面見ず演奏版)

コメント

過去の体験や出会いに思う

2020-10-28 23:20:05 | 心理
講習の勉強やワークなどでギターを弾いたり、音楽を聴いたりすることがほとんど出来なくなってしまったが、それもしかたがない。
寝る前に浮かんできたことを、ちょっとメモしておきたい。

最近、自分の過去に起こった出来事、出会った人間のうち、嫌だっったことや嫌だった人間が、長い目で見れば自分に学びや成長の機会を与えてくれていることに気付いてきた。

過去に、もうあんな嫌な目に会いたくないとか、あんな人間と関わったことで人生を台無しにしたとか、思うことが多々あったが、その体験や出会いというのが、今思うと、偶然という要素ではなく、必然的というか、運命として定められていたかのように思えるのである。

人間は精神的に成長するまで、絶え間なく、このような体験や出会いが差し向けられると言える。
嫌な人間と出会い、関わり、嫌な思いをした、ということは、自分の心を成長させる、何か学ぶを得る機会を与えてくれた、という視点でとらえられる心境にまでなれれば、生きることはさほど怖くはないのではないか。
コメント

新聞を読んで思うこと(10)

2020-10-26 13:21:01 | 時事
9月から始めた講習が思いのほか大変で、昨日は社会人マンドリンクラブの練習日であったのだが、朝から夜まで講習や実践ワークなどで時間を取られてしまい参加できなかった。次回の練習日も出席が危ういが、そろそろ顔を出さないといけないとも思う。

今日は年1回の人間ドック受診で午後は半休にした。
人間ドックでは胃カメラを飲んだ。
胃カメラを飲み始めてからもう10年になる。
今回の胃カメラは細いものに進化していたが、昔の胃カメラは、直径が人差し指くらい(1cmくらい)で、太く、黒く、かつ硬いものだった。
そしてその黒いチューブの先端にやけに明るい豆電球が付いているのである。
まず胃内視鏡検査は、のどの局部麻酔から始まる。
他の診療室に比べて暗く、不安をかき立てられるような部屋に連れていかれ、粗末な丸イスに座らせられる。
そして紙コップ4分の1ほどの量の乳白色をした変な味のする液体をゴクンと飲むように指示される。
次にのどを局部麻酔するための透明な液状のゼリーのようなものを注射器で口の中に注入される。
そしてそのヌメッとしたゼリーをしばらく口の中にとどめておくよう言われる。
口の中がだんだんとしびれてくる。
3分程たったらそのゼリーをゴクンと飲みこむ。
次に肩に注射される。刺された瞬間はさほどど痛くないが、次第にじんわりと突き刺すような痛みが襲ってくる。
そうして5分程たってから、看護婦から「すぐおわりますからね~」などとやさしく声をかけられると、ベットに横向きに寝かされ、口元にステンレス(アルマイト?)の楕円形をした器を置かれて、その上に紙が大量に敷かれる。
準備が整ったら、医者が部屋に入ってきて、前回の検査結果の確認やピロリ菌の除去の経験の有無などを聞かれる。
そしていよいよ1年で最も恐ろしい儀式(?)が始まる。
ぜりーをたっぷり塗られた樹脂製のマウスピースを口にはめられ、先端がやけにまぶしく、太く、硬いチューブが徐々に、ゆっくりと、ゆっくりと口の中に侵入していく。
チューブが口の中に半分ほど入ったところで吐き気が催してくる。
そして次に最も恐ろしい難関が待ち受けている。
口とのどは丁度直角、L字状になっているので、チューブの先端がまずのどの奥にぶつかる。
その瞬間、物凄い吐き気に襲われる。酒を飲み過ぎてゲロを吐くどころの苦しみなんてものでない。
次にのどにぶつかったチューブがのどをこするようにして、今度は食道方面に向かってL字状に折れ曲がり、胃方面に向かって進んで行く。
このL字状カーブを通過するときが最も苦しいのだ。
猛烈な吐き気と絶え間ない咳が出て、よだれや涙が垂れ流しになる。
悲しくて涙が出ているのはない。
ステンレス容器と大量の紙が顔の脇に置かれたのはそのためだ。
この難関を通り過ぎると少し楽になる。
チューブの側面が食道をこすりながらスイスイと胃に向かって進入していく。
このとき食道が荒れていたら、物凄い咳に襲われる。
しばらくすると弁のようなものが見え、そこを通ると壁がヒダヒダ状の空間となる。胃の中に入ったのだ。
異次元のような景観だ。
5年ほどまえから患者もいっしょにモニターを見ながら食道や胃の中を瞬時に見られるようになった。
苦しみにもがきながら私の胃や食堂を見ていくのである。
しかし苦しいけど自分の胃の中を見てみるのも結構面白いものだ。
そして医者がモニターを見ながら沈着冷静にいろいろと解説してくれる。
最後に十二指腸に入っていって観察が終ったら、今度はチューブをスルスルと引き抜いていくだけだ。

時間にして7,8分くらいか。
今まで10回ほど飲んだが、悪夢のような時間だ。
しかし今回、医者から意外なことを言われた。10年やってこんなことを言われたのは初めて。
「きれいな胃なので、胃液が逆流したら荒れやすい? ガンになりにくい胃の状態なので、次回は2年に1回でもいい」
本当か?。
コーヒーや酒を飲んだらチクチク痛むのに意外にもダメージは少なかったようだ。
もしかすると、かゆみ対策プロジェクトの代替案の一つとして、野菜スープを毎日食べたおかげか?。

家に帰ってきて久しぶりに平日休暇の午後を過ごす。
やっと記事を書ける時間ができたので、久しぶりに経済、政治分野へのぼやきでも書こうと思い立った。

1.貧困層への政府の対応について

ここ数年、非正規雇用者、シングルマザー、年金生活者などの貧困層(こういう言い方が正しいとは思わない)に対して、政府はもっと支援して手を差し伸べるべきだとする新聞への投稿を頻繁に目にするようになった。
中には富裕層からたくさんの税金を徴収し、それを貧困層に分配すべきだとする考え方をする方もいる。
このような投稿を読むと、富裕層はさほど努力もしないで要領よくやっていい思いをしているのに対し、富裕層は低賃金に耐えながらもあくせく真面目に働いているけど報われない、といった昔の貴族と奴隷、厳しい身分制度があった封建時代に見られた差別が投稿者の裏の考え方、前提条件としてあるのが透けて見えてくる。
では果たして富裕層など稼いでいる人は楽してお金を得ているのであろうか。貧困層は低収入だけど真面目に努力していると言えるのだろうか。
生活保護を受給しているのに、朝から酒を飲み、喫茶店でモーニングセットを食べパチンコをするような人もいる。
私は今の日本ほどに、生まれながらの身分制度など全くなく、自由で、機会均等で、努力した分だけ報われる国というのはそう無いと思っている。
小学校(旧制)しか出ていなくても総理大臣にまで上り詰めた人がいる。
学歴が無くても、生育過程が極貧であっても大富豪となった人はごまんといる。
同様に大学を出ていなくても弁護士や会計士などになった方もたくさんいる。
今の日本は、努力と強い意志があればいくらでも貧困から抜け出せるチャンス、機会が常に与えられている。
本当に努力している人は政府に不満を言わない。
不満を言う人の何倍も働いているし、それに見合う収入も得ている。
つまり、今の日本社会での労働収入というのは、努力に比例して得られる構造となっているのだ。
理不尽な身分制度があった時代とは違う。
不満を言う人はかなりの確率で努力していない。
自分で道を切り開く人は人に依存しないし、それ故に不平不満がない。
一方、政府のやれることには限界がある。
経済が落ち目になっているのに、諸先進諸国よりもはるかに低い消費税率でこれだけのサービスをしているのは正直言って驚異と言える。
その代償として1,000兆円を超える借金大国となってしまった。この借金をどうやって返していくのか。
不満を言う人は、政府が何でもできると錯覚している。
もし政府にものを申すのであれば、税金の使い方だ。
今、無駄と言わざるをえない公共事業に多額の国費が投入されている。リニア新幹線や北海道新幹線、それから今後カジノなどの建設にも投入されようとしている。費用体効果などない。
国防費もしかり。
この無駄な支出を止めて、まず財政の健全化に取り組むべきであろう。

2.日中の科学力

昨日の朝刊の社説「ノーベル賞と日中の科学力」を読んだ。
この社説によると、科学技術の分野での論文数がここ数年、中国において飛躍的に増加しており、米国と肩を並べるほどに躍進しているという。
また中国は大学や企業の研究費や、海外への留学生の数も急増しているという。
翻って日本はどうかというと、大学や公的機関の研究費は横ばい、留学生の送り出しは主要国で最も少ないという。
研究発表、研究論文も右肩下がりだという。
ここ数年のあいだに日本はノーベル賞で、日本としてはかなりの数の受賞があったが、これはかつて日本が世界で躍進し、主要国の仲間入りを果たした頃の研究がもとになっており、現在の日本の成果によるものではない。
ノーベル賞は業績をあげてから受賞するまで30年かかると言われている。
あと30年たったら中国人の受賞者であふれかえっているだろう。
そもそも中国は、鄧小平時代の政策により1980年代初めから日本などの企業の生産拠点を誘致し、その技術を学ばせてもらい、安価な労働力を背景に急成長してきた。
そしてバブルの崩壊がこの動きを一層加速させた。
日本がバブル崩壊後の債権処理に追われている間に、中国は着々と技術力を諸外国から取り入れ築き上げていった。
日本がやっと気づいたときには中国は日本を抜いて世界第2位の経済大国にまでのしあがり、その後の勢いはとどまることは知らず、経済だけでなく、軍事、政治面においてもその強大となった力をふるい続けている。
かつて世界市場を席捲したソニー、松下、東芝、シャープなどの電気機器のブランド力が急速に低下している。
同時に、高い品質力を誇っていたこれらのブランド製品の品質が現在、著しく低下している。
生産拠点を海外に移したこと、コスト競争の激化が背景にあると思われるが、日本製品が高い品質力を誇っていた時代に行われていた品質管理活動(QC)などはバブル崩壊を境に衰退し、品質よりもコストを優先したものづくりにシフトしたことがブランド力の低下を招いたのではないかと思われる。
今日本人の検査に対する見方が昔と全然変わってきている。
すなわち、規定値から外れていても合格とする、検査データを改ざんする、検査項目の一部を省略する、といったことが平然と行われるようになった。
昔のものづくりの魂ともいう日本の誇るべきものが失われてしまっている。
鋳物の伝統で有名の某県のメーカーでも、コストを下げるために混ぜ物をするくらいにまで堕落した。
ソニー、パナソニックなどのブランド名も、あと10年、20年後には世の中で忘れ去られているかもしれない。

日本は通信、医療などの分野で後れをとっているし、製造業は自動車産業でなんとか維持できているようなもので、電気自動車の普及にともない自動車業界も今ほどの世界シェアは保てないと見ている。
そうなったとき、日本はどうなっているのか。
遅れを取り戻そうと思ってもどうすることもできないまで追い込まれているのではないか。
開発力もない、資源もない、外国に出稼ぎに行かないと収入を得られなくなる時代になっているかもしれない。

そうならないためにどうするのか。
さまざまな角度からのアプローチが必要であろうが、まずは今の子供たちの教育を強化することだ。
土曜日の授業の復活も必要だと思う。
あとは大学や研究機関への研究費の支援増だ。
短期的な無駄なことに国費を使わないで、もっと将来的に見据えてお金を投資していく。
だいたい今の日本に将来のビジョンがない。
どういう国にしていくか、という議論が全然ない。
与党を引きずり降ろすためと、スクープを報道して株を上げたいだけしか考えない人たちのために、モリ・カケ・サクラなど低レベルなことに莫大な時間を浪費してきたことを何とも思っていないのか、と疑ってしまう。

自分も将来、日本が駄目にならないようにするために、微力ではあるが、自分なりのあることを始動した。
今本気で考えないと、日本は間違いなく世界で置いてきぼりになってしまうと思う。



コメント

上越・信州小旅行記(その8)

2020-10-23 22:36:08 | 旅行
(前回からの続き)

長野駅前のコインロッカーにカバンの中の重たいもの(とうとう読まなかった1958年刊行の古本など)を預け、カバンを軽くし、すぐ近くのバス停1番で乗車を待つ。
10分ほどで善光寺方面行のバスが来て、10分程で善光寺正門前に着いた。
善光寺という名前はもう随分前、20年以上前だが、当時さかんに風景写真の撮影のために各地を訪れていた頃、「芳ケ平」という池塘の点在するとても静かで美しい紅葉の名所に行くために、長野のユースホステルに泊まったときに初めて知った。



ユースに泊まっていた方から善光寺に朝早く行くと高僧から「お数珠頂戴」というものをしてもらえると聞いた記憶があった。
その時は善光寺など行かずに、長野駅から長野電鉄に乗り、湯田中(ゆだなか、と読む。当時私は「ゆでんちゅう」と読むと勘違いしてバスターミナルの人に話した記憶がある。話しかけた相手は変な顔をしていたが。)で降り、そこからバスで渋峠に向かった。


善光寺正門をくぐると、4連休明けということもあってかさほどの参拝客の数ではなかった。







天気はさわやかというかちょっと暑いくらいの晴天。天気予報は完全に外れた。
いくつかの門を通り抜け、みやげもの屋が立ち並ぶ通り(これが仲見通りか?)を過ぎると、本堂に着く。









本堂には無料で入れるが、奥の、天井から金の大きな飾り物が多数吊り下がった、暗い畳のスペースに入るには有料となる。
そこには僧はいなかった。手前に賽銭箱が置いてあるだけだった。
賽銭箱に小銭を入れて、見様見真似で祈りを捧げた。
(何を祈ったかは秘密だ)

結局土産も買わずに賽銭のみの出費となった。
進学校と思われる学校の女子高校生が、結構大きなスーツケースを持った女性に声をかけ、スーツケースを持って階段をあがるのを手伝っていた。

長野駅から1回曲がって善光寺に向かう直線道路は善光寺に向かってゆるやかな上り坂となっており、行きはバスを利用したほうがいい。
帰りは下り坂なのと、この通りの両側が様々な個人商店が立ち並んでいるので、歩いて店をのぞきながら帰るのが飽きなくていい。
そば屋などの飲食店が多いが、他に菓子屋、瀬戸物屋、金物店、仏具店などの専門店も多い。
そば屋にはいろうかと思ったがやめた。
やや強い日差しを浴びながら25分ほどで駅に着いた。

駅で松本行の列車の時刻を確認する。
14時7分発があった。あと約1時間ちょっとある。
コインロッカーの、持ってきて失敗の本入り荷物を取り出す前に昼飯を食べることにした。
何を食べるか、ラーメンでもするかと駅中のレストラン街を見て回っていたら、ソースカツ丼を出す店が目に入った。
ソースカツ丼は長野の名物なのか?。
ちょっと高いが入って食べてみることにした。
ソースカツ丼が運ばれてきたとき、びっくり。なんとカツが山のように盛り上がっている。



一瞬、こんな山盛りの量は食べれない、失敗、と思った(昼近くに天ぷらそばと揚げドーナツ+塩パンを食べていてあまりお腹が空いていなかったこともある)。
しかし食べ進めていくうちに、この盛り上がりのカラクリが判明した。
キャベツの千切りを大量にごはんの上に乗せ、かさ上げしていたからだ。
ご飯が大量に入っていたわけではない。
よく見るとカツとごはんの量は普通だった。キャベツだけがやたら多いというカラクリであった。
騙されたか?。
いつも食べている卵とじつきのカツ丼(スーパー製)とは違う。カツはおいしかった。

かさ上げカツ丼を食べ終わったら、次の列車の発車時刻にせまる14時7分近くになっていた。
急いでコインロッカーの中の荷物をカバンに詰め込む。

スマホで改札を出ようとしたら、自動改札機にスイカをかざすパネルが見当たらない。
一瞬戸惑う。
改札の駅員に聞いたら、長野は未だスイカが導入されてないとのこと。
これは意外だった。長野は長野中心以外は過疎地なのだろうか。

14時7分発の篠井線は2両編成のワンマンカー(電車)だった。





学校帰りの高校生もいて、けっこう混んでいたが座れた。
しかし睡眠不足と旅の疲れからか松本に着く直前まで熟睡してしまい、車窓からの景色を見損ねてしまった。

15時20分、松本駅に着く。
松本駅に降りたのは2回目か?
1回目は20代の後半だった。
これも撮影のために新宿駅から夜の遅い時間に発車する夜行列車に乗って朝の早い時間に松本駅に着き、そこからバスで上高地へ向かったはずだ。
5月の連休だったが上高地は雪だった。
行きの列車は登山客であふれ返っていた。その時は運悪く座席に座れず、通路に座って寝た。
帰りの列車はガラガラもいいところ。
松本駅で陶器のとっくりとぐいのみが付いた日本酒を買って、寮に着いたら早速飲んだ。
その日本酒が上手かったこと!。
ほのかに米の味がして、これが今まで飲んだ日本酒の中で最高の味だった。
銘柄をまったく憶えていなかったのが無念だ。今探し出すことは極めて困難であろう。

松本はかなり大きな町のようだ。長岡よりも発展しているという印象。
学生時代の先輩(マンドリンクラブではない)の一人が、就職後ここに赴任したとの葉書が届いた記憶が蘇った。
駅前の土産物屋兼酒屋で、今日宿で飲むための日本酒を買った。
店主が日本酒に詳しく、お勧めを買った。「大雪渓」という酒。
店主が言うには、本当の日本酒好きは吟醸酒を飲まないそうだ。
磨きの過程で米のうまみが取れてしまうからなのだそうだ。
なるほどだ。日本酒は米の味がしてこそ日本酒だ。同感だ。

宿へはバスで行く。徒歩では無理。
宿に電話して、バス停などを教えてもらい、駅近くのバスターミナルから信州大学方面の循環バスに乗る。16時20分。
宿はバスで20分くらいのところにあった。
信州大学とは川をはさんで真向かいに位置していた。
宿に行く途中に信州大学生と思われる学生4、5人が立ち話をしていた。
宿は女の人一人でやっているようだった。和室中心の小さな旅館だ。



長岡の旅館より小ぎれいだった。
客は私の他に1人いるだけのようだった。
旅館の女将に宿の近くで食べるところを教えてもらった。
部屋は和室8畳。古いが綺麗だ。





畳は擦り切れ、日焼けは無い。ごわごわもしていない。
30分ほどして外へ出て、夕飯を食べにいった。
宿でもらった地図に書いてあったカレー屋は休みだった。
カレー屋の裏にスーパーがあったので、納豆とミニ牛乳を買った。





この納豆はおいしかった。
スーパーを出て近くのラーメン屋に入り、ラーメンを食べた。

宿に向かったらまだあの信州大学生たちが立ち話をしていた。
よくこんなに長い時間、話せるものだ。私なら5分持たないであろう。
宿に帰ってから「大雪渓」を飲む。テレビは付けない。静寂を楽しむ。

大雪渓を半分ほど飲んだ後で、風呂に入った。
誰もいない。貸し切り状態だ。
いい風呂だ。温泉のような風呂。気持ちがいい。
お湯が出てくる蛇口が真鍮製だった。これはめずらしい。



風呂から上がってスマホを取り出し、再び風呂場に入り、この真鍮製の蛇口を写真に収める。

風呂から上がったところで、大雪渓の残りを飲み始める。
この酒は上手い。昔ながらの日本酒だ。買ってよかった。4合瓶の殆どを飲み干す。

長岡の宿では、静寂の中で、大学時代の頃など、過去の出来事が次々と頭の中に浮かんできては消えていった。
この宿では将来のことが頭に浮かんできた。
自分はこれからの将来どう生きていくのだろうか。
最近、新しい挑戦を始めたところだ。ある特殊な技術を身につけるためである。
それは今までの人生過程で、長きに渡って自らテーマとしていたことと関連している。
仕事にしてもそれ以外の何にしても、自らの人生のプロセスで、常に悩み、ときに挑戦したり挫折したり、一つのテーマとしてずっと考え続けてきたものがある、しかもそのテーマが一生、取り組む価値を感じられるということは、それだけで幸せなことではないかと感じてきた。
この宿で、静寂の中で、日常のささいなこと、こうして孤独な旅をしていることに対する引け目(今は感じなくなったが)などが取るに足らないことに思えてきた。
コメント