ベートーヴェンはピアノソナタを32曲作曲した。
有名なのは、三大ソナタといわれる「月光」(第14番)、「悲愴」(第8番)、「熱情」(第23番)の3曲であり、これら3曲はそれぞれ素晴らしい内容を持っているが、私は最後の2曲、すなわち第31番、第32番こそが最も優れた曲だと思っている。
この2曲についてはかなりの録音数を聴いてきた。その成果は2年ほど前にこのブログで書いた。
その後も引き続き、この2曲で一生聴き続けるにふさわしい演奏を探し求めている。
先日の中古CDショップでもこのピアノソナタ2曲で何かいい録音がないか物色していた。
古いLPレコードを探していたら、 “Friedrich Wührer”という聞いたことのない名前のピアニストが録音した、ベートーヴェンのピアノソナタの最後3曲、第30番、31番、32番のレコードが目に入った。
この手の録音で、LPやCDで買って聴いても期待外れで1回しか聴かないで終わることも多く、無駄遣いしたこともある。このレコードの値段のかなり高かったことから、まずは買うのを止め、Youtubeで聴いてみて、もし演奏が良かったらこのレコードもしくはCDを買うことにした。
Youtubeで“Friedrich Wuhrer”と検索すると、何曲か出てきたが、数はあまりない。ベートーヴェンのピアノソナタは第30番と第32番がアップロードされていたが、第31番は探し出すことは出来なかった。
第32番を聴いてみた。
音が力強い。特に低音の響きはピアノらしい魅力のある出音である。多層的な響きでマリヤ・グリンベルクやクラウディオ・アラウのような低音の響きと共通のものを感じた。
タッチは強靭であるが、うるさくは無い。しかしかなり大きい音で、聴き手を選ぶかもしれない。
フリードリヒ・ヴューラー(Friedrich Wührer, 1900年~1975年)はオーストリアのピアニストであるが、インターネットで検索しても情報は少ない。
イタリアのVOXというレーベルにシューベルトのピアノソナタなど多数の録音を残したようだが、現在、その殆どが廃盤で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲集とピアノソナタ第30番~32番のCD4枚組がやっと手に入るくらいか。
Youtubeで聴いた第32番は正直、出来は良くなかった。しかし音には魅力があった。現代のピアニストでは聴けない力強い芯のあるピアノらしい音、ピアノらしい響きを持っている。
Youtubeで聴けなかった第31番に期待をかけ、このCDを注文した。
早速この第31番を聴いてみた。
やはり低音の響きが素晴らしい。ポリーニのような濁ったような鈍い低音とは対極の響きである。
久しぶりにピアノの自然な音に聴き入った。
部分的にテンポが走ってしまうところが少し残念であったが、第3楽章の「嘆きの歌」も感情的高まりを感じ取ることができた。
第3楽章最後のテンポの速まっていく部分の低音の響きがいい。最後の下降上昇音階のすぐ手前の低音部の底から響き渡るような音が他の奏者にないものを感じさせる。マリヤ・グリンベルクの1962年の録音を思い出させる。
ヴューラーのこの第31番の演奏は、今まで聴いた同曲の数多くの録音の中でも上位に入るものである。
意外なところにこんないい演奏が見つかったことで運が良かったと思ったが、ピアノ界にはこのような埋もれた名演が多数あるのではないかと思うのである。
というのは、ピアノ界はギター界と違って、実力のあるピアニストがものすごくたくさんいるからである。
誰でも知っているピアニストはごくわずかであるが、彼らと同じ実力ないし彼らよりも曲によっては素晴らしい演奏をしている、殆ど知られていないピアニスト達が結構いるのである。それだけピアニストの実力者は多い。
しかしこれは1970年代くらいまでで、とくに1990年頃から現在までの傾向には当てはまらない。
一昔前は、団地のような集合住宅でも小さな子供のためにピアノを買って、習わせる家庭が多かったが、今はこのようなピアノの音を聴くことが少なくなった。
その一つの理由として、電子ピアノの普及が考えられる。電気で作られるピアノの音を模倣した楽器であるが、本物のピアノではない。楽器職人が長年にわたって研究し極めた音ではない。恐らく、最近は集合住宅では近所迷惑を考えて、サイレントで演奏できる電子ピアノで子供たちはピアノを弾いているのではないか。
しかしこの電子ピアノの致命的な問題は、ピアノという楽器の素晴らしい魅力ある音が何であるかを知ることなく、テクニックだけの無機的な演奏しか出来なくなってしまう恐れがあることである。
電子音で人間の感情エネルギーを伝達することはできない。
この第31番も多くの演奏家が録音しているが、聴く者に深い感動を与えてくれるものは少ない。
特にこの曲の核心とも言うべき第3楽章の「嘆きの歌」の部分で大きな違いが現れる。この部分で感情的なものが全くといっていいほど感じられない演奏がある。
ベートーヴェンのピアノソナタの録音でよく聞く推薦盤は、バックハウス、グルダ、ケンプ、ポリーニなどで、彼らの盤は入手しやすいが、この第31番や第32番は、このような推薦盤が必ずしもいいとは限らない。
この中には先の電子ピアノの音を聴いて育った人が、「最高」と感じる演奏もあるかもしれない。
しかし私はこのような演奏を聴いたあとで、何とも言えないやりきれない、不快感に似た気持ちがするものもある。
これは何もピアノに限らずギターの録音でもあるが、楽器から発せられる自然な魅力ある響きが失われると、精巧なテクニックだけが前面に出て、それが逆に聴いた後に不快感、不自然さや、やりきれないなさを感じさせるのである。
ピアノ曲に関してはあまり評論家の評価などあてにせず、気に入った曲はとことん自分が納得できる録音を探し出すことにしている。
有名なのは、三大ソナタといわれる「月光」(第14番)、「悲愴」(第8番)、「熱情」(第23番)の3曲であり、これら3曲はそれぞれ素晴らしい内容を持っているが、私は最後の2曲、すなわち第31番、第32番こそが最も優れた曲だと思っている。
この2曲についてはかなりの録音数を聴いてきた。その成果は2年ほど前にこのブログで書いた。
その後も引き続き、この2曲で一生聴き続けるにふさわしい演奏を探し求めている。
先日の中古CDショップでもこのピアノソナタ2曲で何かいい録音がないか物色していた。
古いLPレコードを探していたら、 “Friedrich Wührer”という聞いたことのない名前のピアニストが録音した、ベートーヴェンのピアノソナタの最後3曲、第30番、31番、32番のレコードが目に入った。
この手の録音で、LPやCDで買って聴いても期待外れで1回しか聴かないで終わることも多く、無駄遣いしたこともある。このレコードの値段のかなり高かったことから、まずは買うのを止め、Youtubeで聴いてみて、もし演奏が良かったらこのレコードもしくはCDを買うことにした。
Youtubeで“Friedrich Wuhrer”と検索すると、何曲か出てきたが、数はあまりない。ベートーヴェンのピアノソナタは第30番と第32番がアップロードされていたが、第31番は探し出すことは出来なかった。
第32番を聴いてみた。
音が力強い。特に低音の響きはピアノらしい魅力のある出音である。多層的な響きでマリヤ・グリンベルクやクラウディオ・アラウのような低音の響きと共通のものを感じた。
タッチは強靭であるが、うるさくは無い。しかしかなり大きい音で、聴き手を選ぶかもしれない。
フリードリヒ・ヴューラー(Friedrich Wührer, 1900年~1975年)はオーストリアのピアニストであるが、インターネットで検索しても情報は少ない。
イタリアのVOXというレーベルにシューベルトのピアノソナタなど多数の録音を残したようだが、現在、その殆どが廃盤で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲集とピアノソナタ第30番~32番のCD4枚組がやっと手に入るくらいか。
Youtubeで聴いた第32番は正直、出来は良くなかった。しかし音には魅力があった。現代のピアニストでは聴けない力強い芯のあるピアノらしい音、ピアノらしい響きを持っている。
Youtubeで聴けなかった第31番に期待をかけ、このCDを注文した。
早速この第31番を聴いてみた。
やはり低音の響きが素晴らしい。ポリーニのような濁ったような鈍い低音とは対極の響きである。
久しぶりにピアノの自然な音に聴き入った。
部分的にテンポが走ってしまうところが少し残念であったが、第3楽章の「嘆きの歌」も感情的高まりを感じ取ることができた。
第3楽章最後のテンポの速まっていく部分の低音の響きがいい。最後の下降上昇音階のすぐ手前の低音部の底から響き渡るような音が他の奏者にないものを感じさせる。マリヤ・グリンベルクの1962年の録音を思い出させる。
ヴューラーのこの第31番の演奏は、今まで聴いた同曲の数多くの録音の中でも上位に入るものである。
意外なところにこんないい演奏が見つかったことで運が良かったと思ったが、ピアノ界にはこのような埋もれた名演が多数あるのではないかと思うのである。
というのは、ピアノ界はギター界と違って、実力のあるピアニストがものすごくたくさんいるからである。
誰でも知っているピアニストはごくわずかであるが、彼らと同じ実力ないし彼らよりも曲によっては素晴らしい演奏をしている、殆ど知られていないピアニスト達が結構いるのである。それだけピアニストの実力者は多い。
しかしこれは1970年代くらいまでで、とくに1990年頃から現在までの傾向には当てはまらない。
一昔前は、団地のような集合住宅でも小さな子供のためにピアノを買って、習わせる家庭が多かったが、今はこのようなピアノの音を聴くことが少なくなった。
その一つの理由として、電子ピアノの普及が考えられる。電気で作られるピアノの音を模倣した楽器であるが、本物のピアノではない。楽器職人が長年にわたって研究し極めた音ではない。恐らく、最近は集合住宅では近所迷惑を考えて、サイレントで演奏できる電子ピアノで子供たちはピアノを弾いているのではないか。
しかしこの電子ピアノの致命的な問題は、ピアノという楽器の素晴らしい魅力ある音が何であるかを知ることなく、テクニックだけの無機的な演奏しか出来なくなってしまう恐れがあることである。
電子音で人間の感情エネルギーを伝達することはできない。
この第31番も多くの演奏家が録音しているが、聴く者に深い感動を与えてくれるものは少ない。
特にこの曲の核心とも言うべき第3楽章の「嘆きの歌」の部分で大きな違いが現れる。この部分で感情的なものが全くといっていいほど感じられない演奏がある。
ベートーヴェンのピアノソナタの録音でよく聞く推薦盤は、バックハウス、グルダ、ケンプ、ポリーニなどで、彼らの盤は入手しやすいが、この第31番や第32番は、このような推薦盤が必ずしもいいとは限らない。
この中には先の電子ピアノの音を聴いて育った人が、「最高」と感じる演奏もあるかもしれない。
しかし私はこのような演奏を聴いたあとで、何とも言えないやりきれない、不快感に似た気持ちがするものもある。
これは何もピアノに限らずギターの録音でもあるが、楽器から発せられる自然な魅力ある響きが失われると、精巧なテクニックだけが前面に出て、それが逆に聴いた後に不快感、不自然さや、やりきれないなさを感じさせるのである。
ピアノ曲に関してはあまり評論家の評価などあてにせず、気に入った曲はとことん自分が納得できる録音を探し出すことにしている。