この1週間は寝不足でとても眠い日々が続いた。
夜遅く朝早いので睡眠時間が短く、しかも慢性的だ。
父が亡くなったあとの疲れが今になってどっと出たのかもしれない。
もう少し体を休めたい。
心や体の疲れの癒すには好きな音楽を聴くのが最もいい。
好きな音楽のジャンルの一つにマンドリン合奏曲があるが、マンドリン合奏は一種独特の世界を持っている。
マンドリン音楽に関心の無い人はもっぽら関心を示そうとしない。しかしこの音楽に一度でもはまった人は永久的にこの音楽が好きになる。
私はギターとの関わりでこの音楽を始めたが、最初からマンドリン音楽に関心があったわけではない。
マンドリン音楽を初めて聴いたのは、母校マンドリンクラブが演奏する藤掛廣幸作曲の「グランド・シャコンヌ」だった。
この時は凄い衝撃だった。
しかしマンドリンの音、そのものが本当に好きになったのは、鈴木静一作曲の「交響譚詩 火の山」のヴィヴァーチェの後のあの美しい旋律を母校の600番棟と呼ばれる古い木造の部室から流れてくるマンドリンの旋律を聴いたときだった。
この時、マンドリンの音って、本当に美しいと思った。
マンドリンの美しい音の曲はいろいろあるだろうが、その中で藤掛廣幸作曲の「「詩的二章」の第一章「波と貝殻」はとくに際立っている。
私の好きなマンドリンオーケストラ曲の中でも上位に入る曲だ。
この曲のオリジナルはマンドリンオーケストラ曲であるが、藤掛廣幸が開設しているYoutubeで、マンドリン独奏とシンセサイザーによる伴奏による編曲版が聴ける。
このYoutubeから流れるマンドリンの音がとても美しのだ。
冒頭は重音。しかも随所でポルタメントを使っている。とても技巧を要することが分かる。
演奏者は榊原喜三氏。
Wave and a Shell for Mandolin Solo 【詩的二章】より
榊原喜三氏とは直接話をしたことがある。
10年くらい前に大阪にギターショップめぐりの小旅行に行った帰りに名古屋によって、榊原氏が経営するマンドリン・ギターショップの立ち寄った時だ。
ショップにあったギターを試奏させてもらった。
その時、榊原氏から「しっかりとした美し音を出してますね」と言われた。
本心から言ってくれたと思うが、嬉しかった(ちょっと自慢したかな?)。
思うに、この曲は藤掛氏が、彼の原点である音楽を始めた頃の若い頃に感じたものを、その時代に感じていたものを音楽にしたものに違いないのではないかと思う。
曲は明らかに、1960年代後半から1970年代半ば頃までの雰囲気が漂う。
今までで日本が一番良かった時代だ。
あの希望に満ちた楽しかった時代。
いい人がたくさんいた時代だ。
この曲の長調の部分、とくに最後のフレーズが素晴らしい。
この部分を聴くと、中学生時代、新聞配達で朝刊を配り終えたあとの朝を思い出す。
1日の始まりがこんなに楽しく感じたことはない。
藤掛氏は有名になるまで貧しく苦労したという。
好きになった音楽を目指すために、新聞配達店に住み込みで朝夕刊配達、集金、拡張等の仕事をしながら高校に通ったという。
藤掛氏は苦労したけど、その時代はとても感受性豊かで輝いていたと思う。
恐らく朝刊を配達し終わった朝に、とてもすがすがしい気持ちを感じたのではないか。
この「波と貝殻」のマンドリンの旋律にその気持ちが表れているのだと、私は勝手に解釈している。
このYoutubeのコメント欄に1件だけコメントが入っていた。
「きれいなメロディー、音色。涙が出そう」と書かれたいた。
私も真にそう思う。
気の弱い私は、我慢できずに涙が出てしまうが。
【追記201909010111】
藤掛廣幸の「波と貝殻」、そして榊原喜三氏の演奏。とても素晴らしい。
今日20回以上は連続で聴いているが、聴くごとに心が癒されてくる。
音楽の力。それはジャンルとか構成とかレベルとか全く関係ない。
音楽を作った人と演奏し表現する人の、純粋な気持ちの強さに他ならない。
先入観とか頭のうえの知識を完全に取り払って、心をまっさらにして聴きたい。
必ず、音楽から伝わってくる人間の本当の気持ちが感じられる。
この瞬間に音楽を作り表現した人と気持ちが通じる。
だから何度でも繰り返し聴いてしまう。
【追記201909010126】
音楽を聴いて何を感じるか。
恐らく、聴く人の人生途上で、最も感情を強く感じた時代、時を想起するのではないか。
美しい音楽も、暗い音楽も、不気味な荒涼とした音楽も、聴く人の人生で感じた最も強い気持ちを、心に埋もれて日常で封印されたその気持ちを聴く音楽を通して意識下に解放され、再現されているのではないか。
夜遅く朝早いので睡眠時間が短く、しかも慢性的だ。
父が亡くなったあとの疲れが今になってどっと出たのかもしれない。
もう少し体を休めたい。
心や体の疲れの癒すには好きな音楽を聴くのが最もいい。
好きな音楽のジャンルの一つにマンドリン合奏曲があるが、マンドリン合奏は一種独特の世界を持っている。
マンドリン音楽に関心の無い人はもっぽら関心を示そうとしない。しかしこの音楽に一度でもはまった人は永久的にこの音楽が好きになる。
私はギターとの関わりでこの音楽を始めたが、最初からマンドリン音楽に関心があったわけではない。
マンドリン音楽を初めて聴いたのは、母校マンドリンクラブが演奏する藤掛廣幸作曲の「グランド・シャコンヌ」だった。
この時は凄い衝撃だった。
しかしマンドリンの音、そのものが本当に好きになったのは、鈴木静一作曲の「交響譚詩 火の山」のヴィヴァーチェの後のあの美しい旋律を母校の600番棟と呼ばれる古い木造の部室から流れてくるマンドリンの旋律を聴いたときだった。
この時、マンドリンの音って、本当に美しいと思った。
マンドリンの美しい音の曲はいろいろあるだろうが、その中で藤掛廣幸作曲の「「詩的二章」の第一章「波と貝殻」はとくに際立っている。
私の好きなマンドリンオーケストラ曲の中でも上位に入る曲だ。
この曲のオリジナルはマンドリンオーケストラ曲であるが、藤掛廣幸が開設しているYoutubeで、マンドリン独奏とシンセサイザーによる伴奏による編曲版が聴ける。
このYoutubeから流れるマンドリンの音がとても美しのだ。
冒頭は重音。しかも随所でポルタメントを使っている。とても技巧を要することが分かる。
演奏者は榊原喜三氏。
Wave and a Shell for Mandolin Solo 【詩的二章】より
榊原喜三氏とは直接話をしたことがある。
10年くらい前に大阪にギターショップめぐりの小旅行に行った帰りに名古屋によって、榊原氏が経営するマンドリン・ギターショップの立ち寄った時だ。
ショップにあったギターを試奏させてもらった。
その時、榊原氏から「しっかりとした美し音を出してますね」と言われた。
本心から言ってくれたと思うが、嬉しかった(ちょっと自慢したかな?)。
思うに、この曲は藤掛氏が、彼の原点である音楽を始めた頃の若い頃に感じたものを、その時代に感じていたものを音楽にしたものに違いないのではないかと思う。
曲は明らかに、1960年代後半から1970年代半ば頃までの雰囲気が漂う。
今までで日本が一番良かった時代だ。
あの希望に満ちた楽しかった時代。
いい人がたくさんいた時代だ。
この曲の長調の部分、とくに最後のフレーズが素晴らしい。
この部分を聴くと、中学生時代、新聞配達で朝刊を配り終えたあとの朝を思い出す。
1日の始まりがこんなに楽しく感じたことはない。
藤掛氏は有名になるまで貧しく苦労したという。
好きになった音楽を目指すために、新聞配達店に住み込みで朝夕刊配達、集金、拡張等の仕事をしながら高校に通ったという。
藤掛氏は苦労したけど、その時代はとても感受性豊かで輝いていたと思う。
恐らく朝刊を配達し終わった朝に、とてもすがすがしい気持ちを感じたのではないか。
この「波と貝殻」のマンドリンの旋律にその気持ちが表れているのだと、私は勝手に解釈している。
このYoutubeのコメント欄に1件だけコメントが入っていた。
「きれいなメロディー、音色。涙が出そう」と書かれたいた。
私も真にそう思う。
気の弱い私は、我慢できずに涙が出てしまうが。
【追記201909010111】
藤掛廣幸の「波と貝殻」、そして榊原喜三氏の演奏。とても素晴らしい。
今日20回以上は連続で聴いているが、聴くごとに心が癒されてくる。
音楽の力。それはジャンルとか構成とかレベルとか全く関係ない。
音楽を作った人と演奏し表現する人の、純粋な気持ちの強さに他ならない。
先入観とか頭のうえの知識を完全に取り払って、心をまっさらにして聴きたい。
必ず、音楽から伝わってくる人間の本当の気持ちが感じられる。
この瞬間に音楽を作り表現した人と気持ちが通じる。
だから何度でも繰り返し聴いてしまう。
【追記201909010126】
音楽を聴いて何を感じるか。
恐らく、聴く人の人生途上で、最も感情を強く感じた時代、時を想起するのではないか。
美しい音楽も、暗い音楽も、不気味な荒涼とした音楽も、聴く人の人生で感じた最も強い気持ちを、心に埋もれて日常で封印されたその気持ちを聴く音楽を通して意識下に解放され、再現されているのではないか。