緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

藤掛廣幸作曲「詩的二章 波と貝殻」を聴く(2)

2019-08-31 20:40:27 | マンドリン合奏
この1週間は寝不足でとても眠い日々が続いた。
夜遅く朝早いので睡眠時間が短く、しかも慢性的だ。
父が亡くなったあとの疲れが今になってどっと出たのかもしれない。
もう少し体を休めたい。

心や体の疲れの癒すには好きな音楽を聴くのが最もいい。
好きな音楽のジャンルの一つにマンドリン合奏曲があるが、マンドリン合奏は一種独特の世界を持っている。
マンドリン音楽に関心の無い人はもっぽら関心を示そうとしない。しかしこの音楽に一度でもはまった人は永久的にこの音楽が好きになる。
私はギターとの関わりでこの音楽を始めたが、最初からマンドリン音楽に関心があったわけではない。
マンドリン音楽を初めて聴いたのは、母校マンドリンクラブが演奏する藤掛廣幸作曲の「グランド・シャコンヌ」だった。
この時は凄い衝撃だった。
しかしマンドリンの音、そのものが本当に好きになったのは、鈴木静一作曲の「交響譚詩 火の山」のヴィヴァーチェの後のあの美しい旋律を母校の600番棟と呼ばれる古い木造の部室から流れてくるマンドリンの旋律を聴いたときだった。
この時、マンドリンの音って、本当に美しいと思った。

マンドリンの美しい音の曲はいろいろあるだろうが、その中で藤掛廣幸作曲の「「詩的二章」の第一章「波と貝殻」はとくに際立っている。
私の好きなマンドリンオーケストラ曲の中でも上位に入る曲だ。





この曲のオリジナルはマンドリンオーケストラ曲であるが、藤掛廣幸が開設しているYoutubeで、マンドリン独奏とシンセサイザーによる伴奏による編曲版が聴ける。
このYoutubeから流れるマンドリンの音がとても美しのだ。
冒頭は重音。しかも随所でポルタメントを使っている。とても技巧を要することが分かる。
演奏者は榊原喜三氏。

Wave and a Shell for Mandolin Solo 【詩的二章】より


榊原喜三氏とは直接話をしたことがある。
10年くらい前に大阪にギターショップめぐりの小旅行に行った帰りに名古屋によって、榊原氏が経営するマンドリン・ギターショップの立ち寄った時だ。
ショップにあったギターを試奏させてもらった。
その時、榊原氏から「しっかりとした美し音を出してますね」と言われた。
本心から言ってくれたと思うが、嬉しかった(ちょっと自慢したかな?)。

思うに、この曲は藤掛氏が、彼の原点である音楽を始めた頃の若い頃に感じたものを、その時代に感じていたものを音楽にしたものに違いないのではないかと思う。
曲は明らかに、1960年代後半から1970年代半ば頃までの雰囲気が漂う。
今までで日本が一番良かった時代だ。
あの希望に満ちた楽しかった時代。
いい人がたくさんいた時代だ。
この曲の長調の部分、とくに最後のフレーズが素晴らしい。
この部分を聴くと、中学生時代、新聞配達で朝刊を配り終えたあとの朝を思い出す。
1日の始まりがこんなに楽しく感じたことはない。
藤掛氏は有名になるまで貧しく苦労したという。
好きになった音楽を目指すために、新聞配達店に住み込みで朝夕刊配達、集金、拡張等の仕事をしながら高校に通ったという。
藤掛氏は苦労したけど、その時代はとても感受性豊かで輝いていたと思う。
恐らく朝刊を配達し終わった朝に、とてもすがすがしい気持ちを感じたのではないか。
この「波と貝殻」のマンドリンの旋律にその気持ちが表れているのだと、私は勝手に解釈している。

このYoutubeのコメント欄に1件だけコメントが入っていた。
「きれいなメロディー、音色。涙が出そう」と書かれたいた。
私も真にそう思う。
気の弱い私は、我慢できずに涙が出てしまうが。

【追記201909010111】
藤掛廣幸の「波と貝殻」、そして榊原喜三氏の演奏。とても素晴らしい。
今日20回以上は連続で聴いているが、聴くごとに心が癒されてくる。
音楽の力。それはジャンルとか構成とかレベルとか全く関係ない。
音楽を作った人と演奏し表現する人の、純粋な気持ちの強さに他ならない。
先入観とか頭のうえの知識を完全に取り払って、心をまっさらにして聴きたい。
必ず、音楽から伝わってくる人間の本当の気持ちが感じられる。
この瞬間に音楽を作り表現した人と気持ちが通じる。
だから何度でも繰り返し聴いてしまう。

【追記201909010126】
音楽を聴いて何を感じるか。
恐らく、聴く人の人生途上で、最も感情を強く感じた時代、時を想起するのではないか。
美しい音楽も、暗い音楽も、不気味な荒涼とした音楽も、聴く人の人生で感じた最も強い気持ちを、心に埋もれて日常で封印されたその気持ちを聴く音楽を通して意識下に解放され、再現されているのではないか。
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追悼 野坂操壽さん

2019-08-31 13:53:22 | ギター
8月29日の朝刊に、箏の世界的奏者である野坂操壽さんの訃報が載っていた。享年81。



野坂操壽さん(以前は野坂恵子と名乗っていた)のことを知ったのは、今から20年くらい前だったと思う。
丁度、邦人作曲家による純日本的なギター曲を探し回っていた頃だった。
その時、三木稔が作曲し、レオ・ブローウェルがギターに編曲した「芽ばえ」という曲の楽譜に出会い、早速買って弾いてみたら、これがなかなかしみじみとした日本的情感が感じられるいい曲だったのだ。



短い曲であったが私はすっかりこの曲のとりこになり、ギターではなく原曲の箏(二十絃)の演奏を聴いてみたいと思うようになった。
この「芽ばえ」という曲は、あの裁判で有名になった大島渚監督、日仏合作の「愛のコリーダ」のメイン曲として採用された曲だったので、レンタルビデオ店に行ってこの「愛のコリーダ」のビデオを見つけて初めてこの曲のオリジナルを聴いたのであった。
映画の内容には不釣り合いなほど、極めて美しい演奏だった。
そしてこのオリジナル曲の演奏者が野坂恵子さんであることが分かったのである。

映画『愛のコリーダ』より「芽生え」(二十絃箏独奏) セリフ入りサウンドトラック


このビデオのオリジナルを聴いてから、ギター編の内容が何か物足りないというのか、オリジナルの魅力が伝わっていないような気がした。
それは、この曲「芽ばえ」の最もいい部分、核となる部分をオクターブ下げて編曲してしまっていたからである。
編曲者に言うのはおこがましいとは思うが、私はどうもその部分が気に入らず、原曲を聴いて自分でオリジナルの音程に合わせてしまった。
自分で言うのもなんだけど、この方が絶対いいと思った。

その後、この「芽ばえ」が三木稔作曲の「箏 譚詩集第二集」5曲の中の1曲目であることを知って、この組曲そのものを野坂恵子氏の演奏で聴いてみたいと思うようになった。
そして音源を探し出してヤフオクでやっと見つけ出したのが4枚組の「野坂恵子・三木稔 二十絃箏の世界」と題するレコードだった。
1979年制作。





この組曲では「芽ばえ」の他に「里曲(さとわ)」という曲が素晴らしい。
シンプルで何も虚飾も無く、それが故に作曲者や演奏者の心情がストレートに伝わってくる。

このレコードで飽き足らず、野坂さん演奏の録音を買い求めて聴くようになった。
後年は伊福部昭の曲をメインに演奏していた。
私が野坂さんに対する評価を決定的にしたのは、伊福部昭のギター曲「箜篌歌(くごか)」(1967年)の二十五絃編曲版の演奏を聴いたときだった。





Akira Ifukube: Kugo-Ka (1969)


まずオリジナルのギター曲でありながら、何が何でも箏で弾くという姿勢と言うか、熱意が感じられた。
それは演奏自体を聴くと物凄く伝わってくる。
到底ギターでは表現し得ない領域にまで踏み込んで演奏していることに驚くと同時に、この奏者が音楽そのものを極めた持ち主であることを心底感じたのである。
この「箜篌歌」という曲が、ギターのためではなく、箏のためにあるように感じた。
演奏は無我の境地から繰り出されているといっていい。
意識というものが完全に排除され、奏者の魂そのものから生み出されているように感じた。
この「箜篌歌」は1967年というかなり前に作曲されたが、長い間顧みられることはなかった。
現代ギター誌の巻末付録に掲載されたり、「古代日本旋法による蹈歌(とうか)」(1967年)と共に全音楽譜から出版されたりしたが、楽譜は長いこと絶版、再発されたのは1990年代半ばだった。
録音も西村洋氏がフォンテックに録音したのが1980年代初め頃だったと思う。
それより以前は渡辺範彦氏の古い録音が数年前に発掘された。(その後は数は極めて少ないが録音CDが他にある)
しかしこの「箜篌歌」の真価が認識されるようになったのは、野坂恵子さんの影響が大きいと思っている。
(もちろん西村洋氏の演奏も素晴らしいが)
「箜篌歌」で聴く、野坂氏のタッチは強いとか弱いとかそういう物理的なものを通り越した、感情的な強さに満ちている。
タッチとは、力ではなく、「感情的強さ」なのだと教えてくれている。
つまり感情的エネルギーに乏しい奏者は、タッチ以前なのだ。
タッチがどうのこうの議論しても意味がない。
それはあくまでも手段の一つ、方法論の問題にしか過ぎない。
今の音楽家に欠けているな、と感じるのこの点である。
やたら頭だけはかしこく、方法論、技術論には長けていても、音楽の根源的なものには全く注意を払っていないどころか、気付いてもいない。
そして本物でない奏者をマエストロだの簡単に評価する。
この野坂氏の「箜篌歌」の演奏を、表面ではなく、感情面で是非すみずみまで味わって聴いて欲しいと願う。

そして野坂さんは伊福部昭のオリジナルギター曲を、「箜篌歌」だけでなく「「古代日本旋法による蹈歌(とうか)」と「ギターのためのトッカータ」(1970年)も箏に編曲、録音してしまったことは、さらに驚かされた。
しかもギターの譜面そのもので弾いているという。





伊福部昭のこの曲を弾きたい、その一途な気持ちであることは間違いないであろう。
ギター曲であろうと関係ない。
独りの作曲家の曲に対する熱意、敬意といったものがおのずと伝わってこないだろうか。
何か、ギター界の方がなさけなく感じてくる。

野坂さんは箏の世界だけにとどまらず、他楽器との広い領域の音楽までその演奏領域を広げていった。
下の伊福部昭のオーケストラとの協奏曲はライブ録音であるが、演奏終了直後の熱気が凄い。





なお、Youtubeで野坂さんとのインタビュー番組を見つけた。
「ギターのためのトッカータ」の途中までが聴ける。
また伊福部昭の「ピアノ組曲」の箏編曲版の一部の聴ける。

8/13 二十五絃箏の 世界 2/2 【 伊福部 昭 作曲「ギターのためのトッカータ」「日本組曲(ピアノソロ)」を原譜で演奏 】/野坂 操壽・のさか そうじゅ・箏曲家 NHK 芸術その魅力


野坂さんは一時期、東京国際ギターコンクールの審査員をしていたことがあった。
実は私は偶然にも、極めて短い時間だったが野坂さんと言葉を交わしたことがある。
今から15年くらい前だっと思うが、会場の東京文化会館小ホールでたまたま通路を挟んで、すぐ隣の席に審査員として野坂さんが座っていたのが、何かの拍子に書類を床に落としてしまった。
私はその書類を拾って野坂さんに渡したのだが、一言礼を言ってくれた。
私も「いえ」などと言葉足らずの返答しか出来なかったが、自分にとっては貴重な出来事でもあった。

野坂さんから、楽器は異なっても音楽表現の根源的なものは何かという最も重要なことを教わった。
冥福を祈る。
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新聞を読んで思うこと(8)

2019-08-25 20:33:14 | 時事
久しぶりに時事について書きたくなった。
5年くらい前から写真のようなスクラップ帖に新聞の切り抜きを貼っている。





切り抜きを貼ったはいいが、読み返すことは殆どない(では何のためにスクラップしてるの?)。

最近増えてきた記事は、いじめとか引きこもりだ。
この2つは因果関係がある。
いじめというものはいつの時代にも、どこに行ってもあるものだ。
人間であるがゆえの宿命だと言える。
しかし、いじめは昔は今に比べて多くは無かった。
私の経験からいうと、私が小学校~高等学校時代には、いやがらせが2、3あったものの、いじめと言えるものは無かった。
幸運だったと言える。
今私が中学生だとしたら、生きていけないかもしれない。
そのくらい今の子供社会はやっていくのが難しくなってきている。


いやがらせで記憶に残っているのは、高校時代。
ものすごく嫌な学校だったのだが、私は嫌な学校生活から逃避するために勉強ばかりしていた。
夜中の3時、4時まで勉強することが日常であった。
そのせいか、当時私は貧血気味で青い顔をしていた。
高校3年生のときだったと思う。
体育の授業で、中距離マラソンがあり、普段勉強ばかりして寝不足だった私は、その体育の終了後教室に戻ったとき、貧血を起こし気分が悪くなってしまった。
そして机に頭を乗せて気分の悪さが収まるのを待っていた。
すると、嫌いだった野球部のヤツが私のその姿を見て「顔が真っ青だせ。こいつ吐くんでないか」と言ったのである。
正に今にも吐きそうだった私はそいつに対し何も言い返せなかった。
同じく高校3年生の時。
トイレでタバコを吸って見つかり停学となり、修学旅行に行けなくなった同じクラスのヤツが、体育の授業を欠席した際に、私が居ないのをいいことに、私の大事な革製の筆箱の隙間に東鳩のココナッツビスケットをつっこんだのである。
(あとでそいつが犯人であることが分かった)。

これがいじめと言えるかどうか分からないが、とにかく当時の私はこういうことをされても直接抗議できなかった。
また嫌な学校だったので、よく学校を休んだ。
3年生のとき担任の先生から親に電話があり、「あなたの息子は出席日数が足りないのでこのままでは卒業できません。あと1日も休まないようにして下さい。」と言われた。
(これは後で人づてで聞いた話であるが、先の「こいつ吐くんじゃないか」と言った野球部のヤツが、卒業後1年目の同窓会で(私は当然出席しなかった)、私に心無い言葉を浴びせたことを後悔している、悪かったと言ったということを聞いた。)

かろうじて大学に現役で入り、心機一転、高校時代に出来なかったことをしようとサークル活動やアルバイトに精を出すようになった。
マンドリンクラブに入ったのもその一つだ。
並行してある学内の別の団体の活動も行った。
しかしその団体で、私はその後の長い人生で苦しまなければならなくなった辛い体験をした。
詳細は避けるが、この体験をきっかけに私は精神的に転落の人生を歩むようになっていった。

運よく就職したが、学生時代よりも恐ろしい現実が待ち受けていた。
思い出したくないほどの出来事だったが、私は廃人のようになってしまい、仕事が殆ど出来なくなってしまった。
しかし今考えると驚くべきことなのであるが、私は会社を辞めたり休職しなかったのである。
というかそういう行動に出るエネルギーすら無かった。
死に最も近かった。

当然閑職に追いやられ、仕事の殆ど無い時期を数年間過ごすはめになった。
転機は工場に転勤したときだった。
工場に転勤してもすぐにはろくな仕事しか与えられなかった。
転勤して1年くらいだったであろうか。
年末の納会が終り、資材部の部長に「お世話になりました」と挨拶したら、「ん?。君には何もお世話なんかしていないよ」と言われた。
そしてその後、半年くらい経ったときだったであろうか。
生産管理部長から呼び出されて何を言われるかと思ったら、「〇〇君(私のこと)は努力が足りないね。田舎に帰って農家でもやった方がいいよ」と言われたのである。
もう私は限界を超えていた。
その頃私は、この会社に見切りをつけて転職しようと思っていた。
もうどうでもいいと思った。開き直った。
部長に言われた直後、私は席に戻るや否や、自分の机の引き出しを引き出すや否や、渾身の力をこめて、思いっきり大音量をたてて叩きつけたのである。
その部長の席から数メートルしか離れていない位置である。
その時は周りは騒然となり、別室の部署からも何事かと人が様子を見に来たぐらいだった。

会社を辞めようと思っていたくらいなので左遷も覚悟していた。不思議と冷静だった。
完全に捨て身だった。
その後どうなったか。
私は捨て身だったので、その後もどうでもいいと思っていた。
その後、驚くことにその生産管理部長が私に対する態度を変えたのだ。
どんな風に変えたのか。
それは私に嫌がらせをするのではなく、何と、いろいろ仕事を個人的に直接依頼するようになったのだ。
私の直属の課長を飛び越してである。
ある時、工場でプロジェクトチームが立ち上がったとき、その生産管理部長は私をメンバーに抜擢した。
その時私の直属の課長(すごくずるくて意地悪な嫌なヤツだったが)が、このチームのメンバーとしては〇〇君(私のこと)ではなくて△△君の方が適任だと思いますが、と私の目の前で部長に進言したのである。
しかしその生産管理部長は「いや、〇〇君でないとダメだ」と言って課長の進言を退けた。

この体験が私を変えた。
今まで嫌なことをされても何も出来なかった私が、明確に反撃できるようになっていった。
そして仕事も物凄くやりだした。
会社を殆ど休まなくなった。
これ以降、私は会社を殆ど休んでいない。
それだけでなく休日出勤も多々やった。
ちなみにその生産管理部長は取締役まで登りつめ退職した。

いじめる人間に対しては、捨て身で臨むときが必ずやってくる。
捨て身で臨んだ結果がどうなるかかは分からない。𠮷とでるか凶とでるか。
しかし捨て身で臨むということは、自分の人生にとって最後の手段に出たということだ。
そこには人がどう思うなどといったものから超越した、真の自分の気持ちしかない。

いじめる人間にも2種類ある。
表面的に悪いことを言うが、性根はまっとうなやつ。
他方は、根っから心が腐ったやつ。

いめじに対して、またいじめのはびこる学校に対して、逃げてもいい、なんて無責任なことを言ってはならない。
子供にとって学校は楽しい場所でなければならない。
その楽しい場所であるべきものが、恐ろしい場所になっているのは、いじめられる側の問題ではない。
いじめる生徒や先生を締め出し、再教育すべきなのだ。
いま学校教育界はそういうことをやっていない。
いじめられる側が何で学校から逃げなければならないのだ。
いったん逃げたら再起することは極めて困難だ。
その結果が現在の異常な数の引きこもりだ。
そんな恐ろしい学校なら、行かなくていい、と安易で無責任なことを言った結果だ。

学校から逃げて何が解決できるというのか。
罪悪感で心がぼろぼろになるだけだ。

いじめる人間を締め出すのが本質的な解決だ。もちろんいじめる側の再教育は必須だ。
そのうえでいじめられる人間にも、強くなれるすべを教えていくことが最も大切なことだと思う。
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グラナドス作曲「スペイン舞曲第2番」

2019-08-24 23:24:54 | ピアノ
ピアノ曲で好きな曲はたくさんあるが、スペインものでは先日紹介したフェデリコ・モンポウの他にエンリケ・グラナドスの「スペイン舞曲集」がある。
「スペイン舞曲集」の中で最も好きな曲は第2番「オリエンタル」だ。








(譜面はサラバート社編)

「オリエンタル」を初めて聴いたのが高校3年生のとき。
オリジナルのピアノ独奏ではなかった。
FMラジオから録音した、ジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスの2重奏のライブ録音だった。
「オリエンタル」の原曲はハ短調であるが、彼らの編曲はロ短調だった。
ギターの2重奏はイ短調への編曲が殆どで、古くはプレスティとラゴヤが残した1960年代の録音が知られている。

とにかくこの「オリエンタル」という悲しい曲がすぐに好きになり、ブリームとジョンの録音を何度も聴く日々が続いた。
しかしこの時のジョンの音は素晴らしかった。
とくにLENTからの高音の単旋律の音は心に喰いこんでくる凄い音だった。
このブリームとジョンの「オリエンタル」の録音、何故かその後で発売されたCDやYoutubeでも探すことはできなかった。

高校3年生のとき、この曲をどうしても弾きたくなり、今は無き好楽社のカタログから、クエルバス=プホール編の2重奏(ニ短調の編曲)の輸入楽譜(ウニオン・ムシカル・エスパニョーラ)を見つけ買ったものの、最初の出だしの重音にハーモニックスを使用したかなり難しい編曲だったことや、ブリームとジョンの2重奏編ともかなりイメージが異なっていたこともあり、すぐに断念してしまった。







その後、大学1年生のときだったと思うが、全音ギターピースで大西慶邦編のギター独奏版(ホ短調への編曲)の楽譜を見つけ、早速弾いてみたが、これもとても難しい編曲だった。
(楽譜を探したが見つからなかった。実家に置いたままか?)

しかし大学2年生のから3年生に上がる春休みに、この曲をどうしても弾きたくなり、マンドリクラブの親しかったギターパートの4年生のために、おなじく親しかったギターパートの後輩と3人で、マンドリンクラブの卒業演奏会で演奏させてもらった。
先の大西慶邦編のギター独奏版をベースにイ短調へ移し替え、3重奏版にした。
(因みにイ短調にしたのは、ブリームとジョンの2重奏編がイ短調への編曲を2Fでカポタストを付けてロ短調で演奏しているのではないかと思ったため。あとでギター2重奏はイ短調への編曲が一般的になっていることを知った)
そして後輩の家(大学のある町からから3駅のところに住んでいた)で練習したのが思い出として蘇ってくる。
この4年生だったKさんは秋田県の鉱業メーカーに就職した。
卒業後手紙を一度いただいたがその後一度も会っていない。
今どうしているのだろう。
マンドリンオーケストラ曲の中で、レスピーギ作曲の「古代リュートのための舞曲とアリア第3組曲」を絶賛し、この曲を最高の曲だと評価していた先輩だった。
後輩のK君の方は昨年の母校マンドリンクラブ50周年記念演奏会の終了後、ロビーで30数年振りで再会した。
驚いたのは彼が学生時代と殆ど変わっていなかったことだ。
学生時代、彼は武道もやっていて、私もマンドリンクラブと並行して、そっち系の活動もしていたので、気が合った。
熟のアルバイトで貯めた金で、あの名車、トヨタAE86の新車を買って、ときどきその車に乗せてもらった。

原曲のピアノの録音を聴いたのは就職して間もない頃。
今は無き秋葉原の石丸電気で、アリシア・デ・ラローチャの1954年の録音CDを買って聴いたときだ。



その後、1982年、1994年の録音CDも聴いたが、1954年の録音はANDANTEの速度がかなり速い。
しかしLENTOの演奏は素晴らしい。
この悲痛なフレーズの、ピアノのタッチが心に食い入るように響いてくるのは1954年の録音の方だ。





シンプルだけど、だから故に悲しみをストレートに感じられる曲でもある。
この曲も優れた奏者でないと、この曲のもつ強い感情を感じ取れない。

アリシア・デ・ラローチャはスペインものの演奏家として知られ、ギター愛好家の多くに知られた存在であるが、彼女はスペインものだけが得意なわけではない。
そのことを最も端的に感じたのは、彼女のリスト作曲「ピアノソナタロ短調」の録音を聴いたときだった。
この時、彼女が恐るべき実力の持ち主であることを心底思い知らされた。

卒業演奏会でこの曲を一緒に弾いた先輩のKさんは今どうしているのだろう。
また先輩のKさんと後輩のKと一緒にこの曲を弾きたいな。
その時の編曲譜も捨てないでとってある。

Yutubeでこの曲を検索したら、ピアノ演奏よりもギター演奏の方が圧倒的に多かった。
しかしこの曲の真価はピアノ曲でしか味わえない。

アリシア・デ・ラローチャの1982年の録音と、グラナドス自演のピアノロールでの録音の2つを貼り付けさせてもらう。

Granados / Alicia de Larrocha: Dance No. 2 in D minor (Oriental), Twelve Spanish Dances


Granados plays Granados, Danza espanola no 2, Oriental
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時代劇「大江戸捜査網」のテーマ曲を聴く

2019-08-18 23:46:27 | その他の音楽
時代劇史上、最高の作品「大江戸捜査網」のテーマ曲をYoutubeで見つけた。
1970年代半ばににテレビ東京で放映された不朽の名作だ。
初代の杉良太郎と2代目の里見浩太郎の時代が最も面白かった。というか、凄く感動した。

これ以上の出来の時代劇は無い。
時代劇を見るのあれば杉良太郎と里見浩太郎の時代の「大江戸捜査網」だけを見るに限る。

内容もさることながら、テーマ曲や数々の挿入音楽が素晴らしかった。もう最高だ。
今回はオープニングテーマ曲と、里見浩太郎の時代の初期のエンディングテーマ曲を貼り付ける。

里見浩太郎の時代の後期のエンディングテーマ曲が見つかったら、追加したい。
(挿入音楽ももしあったらそれも)

まず、初代の杉良太郎のオープニングテーマ曲。

大江戸捜査網 杉良太郎 1973年 - オープニング


次に里見浩太郎の時代の初期のオープニングテーマ曲。

大江戸捜査網 1974年 - オープニング


二刀流が最高にかっこいい。

次に里見浩太郎の時代の後期オープニングテーマ曲とエンディングテーマ曲。

大江戸捜査網 里見浩太朗版(お竜&風Ver) OP&ED


里見浩太郎の時代の初期のエンディングテーマ曲。
私の記憶では里見浩太郎が歌っていたように思ったが。

大江戸捜査網 里見浩太朗版 ED2(特殊) ながれ橋
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