不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

三木稔作曲「秋の曲」を聴く

2024-05-24 23:27:25 | 邦人作曲家
三木稔の曲でいい演奏を見つけた。
三木稔作曲「秋の曲」 
尺八:福田輝久・20絃箏:滝田美智子

素晴らしい演奏だ。名演と言っていいだろう。
三木稔の「秋の曲」を初めて聴いたのは今から20年くらい前だったと思う。
当時、三木稔の有名曲である「芽生え」(大島渚監督の映画「愛のコリーダ」の音楽にも採用された)のギター編曲版を弾いていたが、その時買ったCD(演奏は木村玲子さんだったと思う)に「秋の曲」 が収録されていたのである。

第1楽章「プロローグ」、第2楽章「秋のファンタジー」という構成だが、全曲を聴いたのは随分久しぶりだ。
日本の古くから伝わる旋法を元に作曲されているが、箏や尺八といった和楽器の特性が最大限に生かされている。
このような箏、尺八、琵琶などと言った和楽器で本格的な曲を作れる作曲家は三木稔が最後なのではないかと思えてくる。

今日聴いたこの演奏者の音はとても素晴らしい。心の深いところまで染みわたってくる。
静かなところで目をつぶって無心で聴くことをお勧めしたい。
自分が、日本人であることをあらためて感じさせてくれるに違いない。
この音楽や演奏者の音、息吹が、久しく忘れ去られていた日本人の根源的独自性といったものを思い出させてくれると思う。

秋の曲(三木稔)/尺八:福田輝久・20絃箏:滝田美智子


【追記】
この曲を聴きながら感じたのであるが、日本の古来の音楽には「抑圧」と「情念」という2つの要素があるのではないかと。
抑圧と情念が互いに結び付きながら、バランスを取りながら音楽という形で表現されている。だから「情念」はときにすさまじさを感じることがある。

コメント (2)

安倍圭子演奏、伊福部昭作曲「ラウダ・コンチェルタータ」ライブ録画を見る

2024-03-09 23:12:11 | 邦人作曲家
20代~30代の頃、それは伊福部昭の曲をよく聴いていた頃であるが、「ラウダ・コンチェルタータ」という曲に出会った。

マリンバ独奏:安部圭子
指揮:山田一雄
演奏:新星日本交響楽団
録音:1979年9月 東京文化会館大ホール ライブ演奏

このライブ演奏はフォンテックからレコードで発売され、あとにCDにもなった。
この曲をずっと後になってから聴きなおしたときの感想をブログに記してあった。
ちょっと長いけど全文を下記に再掲することにした。

2012年5月26日22:26

「こんにちは。
だいぶ暑くなってきましたね。
最近、20代~30代の頃よく聴いていた伊福部昭の曲を聴き直しているのですが、マリンバと管弦楽との一楽章の協奏曲「ラウダ・コンチェルタータ」という曲があります。
ラウダ・コンチェルタータとは、レコードの解説文によると「司伴楽風な頌歌(しょうか)」を意味するらしい。頌歌とは壮麗で手の込んだ抒情詩(韻律)の形式をとる音楽のことを言う(ウィキペディア参照)。
頌歌の意味はともかく、レコードを聴いてみると、冒頭から暗く不安感を抱かせる3拍子のオーケストラが奏でる旋律が流れます。
次にマリンバの独奏に移りますが、マリンバの打ち付ける音が強烈でありながら、不思議と心地よいですね。マリンバは今まで殆ど聴いたことがなかったのですが、意外に自然界に溶け込むようないい音です。逆に言うと自然から生まれたものかもしれません。古代人がさまざまな木片と木片がぶつかる音を聴いて楽器にし、音楽に発展させたに違いありません。
マリンバの起源はアフリカだと言われていますが、現在の楽器の形になったのは、中南米のグアテマラやメキシコが最初だそうだ。
マリンバの独奏が終わると、再び冒頭の不安なオーケストラの旋律が再現され、4拍子に変化するとマリンバの独奏となりオーケストラは伴奏に回る。
この4拍子の刻みはこの曲の根幹をなすもので、最も重要なテーマを感じさせます。この4拍子の刻みに作曲者は聴き手に何を喚起させたいと意図したのであろうか。
中間部に移ると穏やかな南国的雰囲気の漂う曲想に変化します。
作曲者が南国を意識しているかわかりませんが、私には、戦時中に日本が出兵した南の島の土着の音楽を連想されるのです。芥川也寸志の「交響三章」や「弦楽のためのトリプティーク」の第二楽章子守歌でかすかに感じ取れる南国の雰囲気も、戦時中に南の島で兵役に就いた人々が経験した現地の音楽が曲の深いところで存在しているからではないかと思う。
それにしてもマリンバの木と木が打ち合う音は何とも自然な美しい響きで、音そのものに集中させられます。この中間部のマリンバの独奏は南の島の夜の静けさを思わせる。
後半部は、再び冒頭の暗い不安を感じさせるフレーズで始まります。
そしてリズムが4拍子に移ると、マリンバの独奏とオーケストラの掛け合いとなり、次第に生命感のあふれる演奏となっていく。
マリンバの躍動するリズムと人間の根源的な魂を揺さぶるような音が素晴らしいです。
このあたりから、聴き手の心の奥底に眠っていたものが湧き出てくるのが感じられます。4拍子の鼓動がマリンバの超絶技巧と共に聴き手の心を前へ前へと進ませていきます。
最後のマリンバの打つ音の強烈なエネルギーとオーケストラとの盛り上がりは凄いです。
まさに聴き手の心の呪縛を解放させようとするようなエネルギーに満ちた音楽と演奏ですね。人間の根源的なものに回帰させる音楽だと思います。
この曲と演奏はクラシック愛好家だけでなく、ロックやジャズを聴く人にも聴いて欲しいですね。必ず得るものはあると思いますよ。
さてこの曲の録音ですが、私が聴いたのは以下のものですが、この録音が最も推薦できるものだと思います。

マリンバ独奏:安部圭子
指揮:山田一雄
演奏:新星日本交響楽団
録音:1979年9月 東京文化会館大ホール ライブ演奏

録音はLPの方が鮮明で優れています。CDは劣化したマスターテープから録音したと思われ、鮮明さがなくややボケた感じです。
これはよくあることで、例えばギターのセゴビアの録音もCD化されたときには古いマスターテープの音源を使用しているため、LPの音よりも悪くなっているものもあります。」


今日、同じ安倍圭子氏の演奏で、1993年9月7日、ベルリンのフィルハーモニーホールで演奏されたライブ演奏の録画をYoutubeで見つけた。

マリンバ独奏:安倍圭子
指揮:石井眞木
オーケストラ:新交響楽団

LAUDA CONCERTATA


1979年の演奏に比べると、やや衰えはあるものの素晴らしいマリンバの演奏だ。
後半を過ぎたあたりから、聴き手の魂を震わせるような伊福部昭独特の土俗的音楽に移り変わる。
この部分から体の芯から熱いものが沸き起こってくるのを感じるに違いない。
それは「生きる」力を与えてくれるもの、長い間、人間が忘れ去り、心の奥底に眠らせたままにしていた根源的感情に違いない。
恐らく、原始の時代には、人間誰もが生きるために必要とし、持ち合わせていたものなのかもしれない。

指揮者の石井眞木氏は伊福部門下の作曲家であり、指揮者としての伊福部作品の演奏としては「シンフォニア・タプカーラ」(新星日本交響楽団、1991年12月13日)がCD化されている。

【追記】

残念ながら、マリンバ独奏:安部圭子、指揮:山田一雄1979年9月 東京文化会館大ホールのライブ演奏はYoutubeで見つけることは出来なかった。
コメント

伊福部昭作曲「映画 コタンの口笛」を聴く

2019-11-10 23:03:11 | 邦人作曲家
社会人マンドリンクラブの次回定演に向けての合奏練習は今日で2回目。
今日は一部の指揮者との初練習だったが、一部の曲の中に伊福部昭に関連する曲があり、伊福部昭に関する話をしてくれた。
膨大な映画音楽を作曲したことを聞いて、そういえば昔、今から20年以上前に伊福部昭の映画音楽を集めたCDを買ったことを思い出し、家に帰って聴いてみることにした。





日活映画のサウンドトラックを収録したものだったが、中でも「女中ッ子」という映画(1955年)のいくつかの挿入音楽の中には聴き応えのある美しい音楽があった。
今から20数年前まで、Youtubeなどのインターネットによる音楽配信が未だ無かった時代、伊福部昭の映画音楽の録音の復刻によるCDが20枚以上は出ていた。
バブルが崩壊したとはいっても、この時代は未だCD業界は活況を呈していた。

マンドリン合奏の練習で、指揮者が曲の解説をしてくれるのはいろいろ助けになるし、新しい発見も得られることもある。
演奏する側としてはまずは技巧を淀みないものにすることが第一ではあるが、それだけでは無味乾燥に感じるし、曲を作り上げていくうえでは不十分に感じる。
指揮者は限られたわずかな時間でいかに音楽的に仕上げていくかに腐心するのであろうが、メンバーを、曲の音楽面をイメージできるようにまで持っていくことはなかなか大変なことだ。


伊福部昭の名前を知ったのは中学生の時。
ギター曲、「古代日本旋法による踏歌」と「箜篌歌」の作者としてであったが、この当時は録音が皆無だった。
大学でマンドリンクラブに入って、鈴木静一の「交響譚詩 火の山」に感動してから、鈴木静一と同じような曲想を持つギター独奏曲を探し始めた。
そしてまず、伊福部昭の「ギターのためのトッカータ」の楽譜を見つけ、ほどなくして、偶然にも絶版になっていた「古代日本旋法による踏歌」の楽譜を手に入れた。
そしてこれらの曲をマンドリンクラブの、丁度「火の山」を練習していた時の休憩時間に楽譜を開いて練習したものだった。
当時は本当にギターキチだった。休憩時間でもギターを弾いていた。
この時、キターパートトップのMさんが、伊福部昭が映画「ゴジラ」の作曲者であることを教えてくれた。
Mさんが伊福部昭のことを知っていることはちょっと驚きだった。
この当時は伊福部昭はまだ知名度は低かったように思う。
そして翌年にFMラジオで名作「交響譚詩」に出会い、これをカセットテープに録音した。

今日、先の映画音楽集のCDを聴き終わってから、指揮者が、「伊福部昭が映画「コタンの口笛」」の音楽を作曲した」と言っていたことをふと思い出した。
早速、Youtubeで検索したらあった。

Akira Ifukube – A WHISTLE IN MY HEART / 伊福部昭: 「コタンの口笛」 (1959) OST


「コタンの口笛」に映画があること、その映画の音楽担当が伊福部昭であることを初めて知った。
「コタンの口笛」とは石森延男の作品であり、児童文学の名著であり不朽の名作である。
北海道のアイヌが舞台の小説だ。
「コタンの口笛」を初めて知ったのは、中学3年生の時。
当時通っていた中学校の社会科教師として赴任してきた石森先生が、最初の授業のあいさつで「自分はコタンの口笛の著者の石森延男の親類だ」と言っていた時だった。
この時「コタンの口笛」がどんな小説なのか気にもとめなかったが、実際にこの小説を初めて読んだのはずっと後、今から5年くらい前のことだ。
この時の感想は以前記事にした。
素晴らしい内容で、庄野英二の「星の牧場」ともにまさに不朽の名作といっていい。

伊福部昭が作曲した映画「コタンの口笛」の挿入音楽を聴いてみると、「交響譚詩」の第二譚詩のモチーフをかなり使っていることが分かる。
最も伊福部昭らしい音楽だ。今こんな曲を作れる人はいない。

今度この映画を見てみたい。
この時の日本はまだ貧しかったが、風景や人間が質素でありながら、素朴な美しさがある。
いい時代だったのだと思う。
コメント

北原白秋作詞、山田耕筰作曲「砂山」を聴く

2018-03-17 23:14:30 | 邦人作曲家
この「砂山」という曲を聴いたのは30代の半ば頃だったと思う。
当時、日本の子守唄とか日本的情緒の強く感じさせる曲をさかんに探していた。
「五木の子守唄」、「島原地方の子守唄」、「中国地方の子守唄」などを収めたCDを何度も聴いていたのを思い出す。
山田耕筰の歌曲の古い録音を集めたCDを買ったのもこの頃だった。
このCDに北原白秋作詞、山田耕筰作曲「砂山」があった。

日本海の荒涼とした景色。
学生時代に住んでいた町の近くにも日本海が見えた。
札幌から函館本線に乗り、銭函という駅を過ぎるとすぐに右手に海が見えてくる。
晩秋から冬にかけては灰色の空の中、荒波が繰り返し打ち寄せる。
海岸には誰もいない。船も無い。
この路線に乗ると、独り黙ってこの荒涼とした景色を見ていた。
寂寥感。
就職で関東に出てきて30年以上経った。
しかし関東で強く思い出に残る景色は無い。
東京勤務だった20代の頃の、高層ビル街の砂漠のような無機的な景観の中に見えた異様な夕暮れくらいか。
思い出すのも辛い。

強く想い出に残るのはこの日本海と、今は無き胆振線の倶知安~伊達紋別間の景色だ。
近くここに新幹線が建設される。信じられない。

しかしこういう曲は外国には無い。日本独特のものだ。
こういう曲想は今の若い世代には抵抗があるのだろうか。
しみじみとした暗い曲を避ける人はたくさんいるだろう。

この「砂山」をテーマにギター用に変奏曲にした作曲がいる。カルロ・ドメニコーニだ。
「砂山変化(Sunayama Henge Op.71a)」という曲。



Youtubeで探したが無かった。
CDが出ている。加藤政幸とトーマス・ツァヴィエルハ。





加藤政幸がドメニコーニに「砂山」を渡したことが作曲のきっかけとなったようだ。
この曲は加藤政幸のために作られた。
しかし加藤政幸の演奏はかなりオリジナルを変更している。
聴くのだったらトーマス・ツァヴィエルハの方がいい。
彼は東京国際ギターコンクールの優勝者で、私も彼の生演奏は2回聴いた。
10年くらい前に、東京国際ギターコンクールの第2次予選課題曲にこの曲が選ばれた。
その時の審査員が来日していたドメニコーニだった。
ドメニコーニが来日したときコンサートを聴きに行ったが、この「砂山変化」の演奏はあまり良くなかった。
速すぎて雑で、日本的情緒の細やかな表現が相殺されていた。

この「砂山変化」の変奏曲はかなり西欧風な面もあるが私は好きだ。
40歳前後に楽譜を入手し、弾いていた。
団地に住んでいた頃で、上と下で音が筒抜けだったが、下の住人のお父さんとその娘がこの曲を気に入ってくれていた。
今どうしているのだろう。
最後の下記の部分は感動的だ。(とくにハーモニックスの箏の奏法)。





今年はマンドリン合奏曲中心でギター独奏曲が手薄になってしまったが、この曲を再開したい。

砂 山 北原白秋作詞 山田耕筰作曲


砂山 井原義則 2012


砂山 /尺八:宮田耕八朗・箏:野坂恵子




(一)
 海は荒海 向こうは佐渡よ
 すずめ啼け啼け もう日が暮れた
 みんな呼べ呼べ お星様出たぞ

(二)
 暮れりゃ砂山 汐鳴りばかり
 すずめ散り散り また風荒れる
 みんな散り散り もうだれも見えぬ

(三)
 帰ろ帰ろよ 茱萸原(ぐみわら)分けて
 すずめさよなら さよなら明日
 海よさよなら さよなら明日

コメント

田中カレン(Karen Tanaka) “Rose Absolute”を聴く

2016-07-24 00:42:31 | 邦人作曲家
2年くらい前だったであろうか。
以前、当プログでコメントを下さった方が、作曲家の田中カレン(Karen Tanaka,1961~)の“Rose Absolute”という曲を絶賛していた。
すぐにその曲を探したが見つけることは出来なかった。
新品CDでは、子供のためのピアノ曲集が発売されているものの、田中カレンのオーケストラ曲やピアノ以外の器楽曲の録音など、皆無に等しく、彼女の音楽の全貌を知ることはとても困難であった。

今日偶然にも田中カレンの曲が収録されたCDを見つけた。
マイナーレーベルであるBISから発売された、”Jpanese Orchestral Music”と題するCDで、伊福部昭、尾高尚忠、和田薫などのオーケストラ曲が収められている。指揮者は広上淳一。



このCDで収録された田中カレンのオーケストラ曲は、”Prismes pour orchestre”(1984、オーケストラのためのプリズム)という曲であったが、聴いてみると難解な現代音楽であった。

現代音楽も悪くないが、私はコメントを下さった方が薦めてくれた“Rose Absolute”(2002)という曲をどうしても聴きたくなり、本腰を入れてインターネットで検索した。
そしてやっとこの曲を見つけて、何と試聴も出来るので心が躍ったが、約10分の曲に対し、2分半ほどで切れていた。
これは残念。

“Rose Absolute”の印象は、穏やかな優しい曲。聴きやすく、気持ちのいい朝の始まりを感じさせる曲だ。
ピアノと管弦楽器、打楽器(トライアングル)で構成されている。
冒頭のみの再生だったので、その次の展開は未知。

スコアも閲覧できるようになっていたが、著作権は大丈夫なのか。
コメント