緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

大規模演奏会終わる

2023-04-30 22:08:25 | マンドリン合奏
大規模演奏会が終わった。
昨日は演奏会前日というのにパートメンバー有志とセロパートの方とステーキ屋でビールをとステーキを食べて帰宅。
帰宅後は演奏会曲目の難しい部分をちょっと練習して10時半過ぎには寝床に入ったのだが、夜中に乾燥肌の猛烈なかゆみに襲われ目が覚め、睡眠時間を30分くらいロスした。
でもまあ普段の日常に比べたら寝れた方だ。

今回の演奏会は鈴木静一という作曲家の中でも一番人気の曲とあまり演奏されないけど聴きごたえのある曲との組み合わせで、演奏する側としても取り組み甲斐のあるものであった。
自分としてはかなり練習を積んだと思う。
難しいパッセージは何度も練習した。
今回の演奏会を簡単に振り返ると、練習よりも弾けた曲もあれば弾けなかった曲もある。
でも全体としてはいい結果だったと思いたい。
自分としては最善を尽くしたのではないかと思う。

今回の演奏会では、人知れずハンディを抱えながらも克服され、本番で花開かせた方がいた。こういう姿をみると本当にしびれてくる。
裏にそれぞれさまざまな人間ドラマがあったことと思う。
そういう意味で本当にいろいろな方々のいろんな思いが原動力となり支えとなって実現できた演奏会だと思う。
そこにプロの演奏では決して感じることの出来ない何かがある。

観客は1000人以上は来ていたと思う。
1曲ごとに大きな拍手がなかなか鳴りやまなかった。
最後の曲では3回くらい、歓声もあがった。
プロの演奏会でもなかなかこういうリアクションというのは無い。
やはりアマチュアでここまでの演奏が出来たことに対する気持ちの表れではないかと思う。

今回、今まで殆ど話したことの無いメンバーや、初対面の方と会話する機会もあり、人に対する見方もかなりいい方向で見れるようになったのは自分にとっては大きなことだったと思う。
数日後にまた次の演奏会の練習が始まるが、もっと音楽のことを深めていきたいし、人とのつながりも増やしていきたい。
これからがまた楽しみだ。
演奏会の振り返りの詳細は後日に譲るとして、今日はまずは演奏会の成功を祝して、ギター独奏を弾くことにした。

今日の最後の曲で、事前に爪が無くなるまで弾くと宣言したとおり、殆どけずれて無くなってしまった爪で弾いたアルハンブラ。意外に爪が短い方がトレモロをやりやすかった。2023年4月30日夜 大規模演奏会の打ち上げ後帰宅した新あばら家にて
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大規模演奏会本番間近

2023-04-28 20:46:08 | マンドリン合奏
4月30日の大規模演奏会本番まであと残すところわずかとなった。
明日は前日の最後の合奏練習のために朝早くから東京某町に行く。

今回の演奏会はかなり練習したつもりだ。
100%完璧とは言えないまでも自分としてはもう練習に思い残すことは無いという感じ。
あとはすべてを天に任せるという心境。
(別にこれで人生が決まるという大袈裟なものではないのだから、構えることなく、音楽を楽しむという状態に持っていければベストだ)

今回ちょっとアクシデントがあった。
まずは合奏練習が始まる2月中旬頃に左の耳でかなり大きな耳鳴りに見舞われたことだった。
人の声が左耳では殆ど聴こえず、かなり大きな耳鳴りが四六時中していた。演奏会もあることだから思い切って耳鼻科を受信してみたら、「突発性難聴」と診断され、「もう数日早く受信していれば治る可能性はあったが、このタイミングでは殆どの場合、一生治りません」と医者から言われたときにはさすがに血の気が引いた。
受信前の聴力検査では左耳の聴力の数値がかなり低い結果になっていた。
でも今回ほどでないにしても左耳が耳鳴りしたり聞こえが一時的に悪くなったことは今までも何度かあった。
原因もおよそ分かっていた。
原因は、24時間365日持続恐怖による圧力が内耳を圧迫し、炎症を引き起こしたことだ。
24時間365日持続恐怖による圧力は足の甲や足の先に出たり、頭(頭皮?)に出たり、肩やふくらはぎに出たりいろいろな部位に現れるが、耳の奥に出ることもあり、その時は耳鳴りがして聞こえが悪くなるのである。
しかしほどなくして、圧力が別に位置に移ると、耳鳴りは次第に回復し、聴こえも良くなってくるのである。
今回も、時間はかかったが次第に内耳の圧力が抜け、それとともに耳鳴りは小さくなっていった。
圧力はどこに移ったのかな。肩かもしれない。
今現在は、シーンと静まり返った部屋で注意して耳を澄ますと、かすかに、秋の虫(キリギリスの鳴き声?)のような音がするまでに回復した。

24時間365日持続恐怖も昔に比べると弱まってきており、日に日に、それはタマネギの皮を1枚1枚ゆっくり剥がしていくような速度ではあるが、弱まりつつあり、あと数年もすれば殆ど解消してしまうのではないかという感触を感じている。
(これも毎日の絶え間ない人間心理の研究の成果と、今まで出会った方々からの気持ちのおかげだと感謝している)

次に2週間くらい前に風呂場で滑って転倒して頭と右指と足首をコンクリートの床に打ち付けてしまったことだ。
新あばら家の風呂場の構造が変わっていて、意味の無い段差があり、その段差のところで滑ってしまったのだ。
滑った瞬間、これはやばい!、と思った。一瞬、骨折や脳震盪が頭をよぎったが、幸いにして打撲で済んだ。

3つ目は昨日なのだが、仕事中に突然、腰の激痛に襲われたことだ。
2、3年に1回くらいの頻度で発生するいつもの腰痛だ。
それは突然発症し、発症したら、起き上がることも、椅子に座ることも、ふとんを上げることも、靴下を履くことも、階段を降りることも、咳をすることも、くしゃみをすることも、笑うことも、寝がえりを打つことも激痛で殆ど出来なくなってしまう。
もちろんギターを弾くことも出来なくなる。
激痛が走ったとき、これはやばい!、と思った。
何でこんな時期に。
しかし今回は幸いなことに軽かったようだ。
念のため今日、整形外科を受診してレントゲンを撮ってもらったら、骨の炎症ではなく、筋肉の炎症によるものだったようだ。
普段、デスクワークやギター演奏、車の運転と、殆ど椅子に座りっぱなしなのと、運動を全然しないので、それが腰の筋肉を疲弊させていたようだ。
重たいノートパソコンが入ったカバンを肩にしょって通勤していたことも負担になっていたのだろう。
痛みを和らげる飲み薬とシップをもらったので、何とか演奏会はしのげそうだ。
(そういえば舞台設営係だったな。激痛に耐えながらやるとするか)

さて、こんなことは記事にしてもしょうがないと思うのだが、公開日記といっても自分の記録のために書いているのようなものなので、つい書いてしまったが、ここで今まで何かにつけて書いてきた「大規模演奏会」ってなんだ?、ということについて記しておくことにしたい。

「鈴木静一展」(鈴木静一個展演奏会」

2023年4月30日(日)開場13:15 開演14:00
東京オペラシティコンサートホール タケミツ メモリアル 京王新線初台駅東口5分

・狂詩曲「海」 (1927年/1970年)
・「ヴェルレーヌの詩に寄せる3楽章」 (1927年/1966年)
・音楽物語「人魚」 (1924年/1966年/1968年) 
・交響詩「維新の陰に」(皇女和宮) (1971年)
・交響詩「失われた都」 (1968年)

マンドリン・オーケストラのオリジナル曲であり、今回の演奏は、管楽器、打楽器等の編成を加え140人規模の大編成で演奏される恐らくわが国最大規模のマンドリン・オーケストラの演奏会となる。
レベルも最高レベルの水準であろう。
この作曲家の演奏曲目は凄い。
恐らく初めて聴く方は驚かれるに違いない。聴いて絶対に損はないと断言できる。

このブログを読んでおられる方はどんな方なのか分からないが、恐らくクラシックギター独奏をやっている方々が多いのではないかと思う。
クラシックギター独奏をやっている方って、マンドリン・オーケストラのことは殆ど知らないんですね。
それはクラシックギターの情報誌「現代ギター」を読んでも、マンドリン・オーケストラの記事が皆無に近いことからしても推測できる。
しかし、あえて独奏専門の方に是非聴いていただきたいと思い、大規模演奏会の正体をここにさらすことにした。
もしこの演奏会を聴いたならば、弦楽器音楽に対する考え方がかなり変わるのではないか。
マンドリン・オーケストラが普通のオーケストラ音楽とも一線を画し、孤高の独特の世界を築いている理由もわかるに違いない。
もし、当日時間が空いていたら、是非聴きに来て欲しいと願う。
そして140人から放射されるエネルギーを浴びて欲しい。
こういう世界があったのか、ということでも感じてもらえるならば幸いだ。

【番外編(新あばら家の風呂場に雑草生えた?)】

新あばら家の風呂場の排水溝(小さな洗面の排水と共用)の淵から雑草が生えてきた。



3週間くらい前は数センチだったのに、今では50センチにまで成長した。
どこまで成長するのか。
しばらく観察することにした。






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隣家に聴こえるのではないかと場所を変えて弾いた最後のトレモロ

2023-04-23 23:25:20 | ギター
今日は神奈川県某町で社会人マンドリンクラブの合奏練習があった。
今日は人数が少なかったが、少ないなりにいい練習だった。
練習後は反省会に結構遅くまでいて帰ったのが10時20分頃。
プリンなどを食べてくつろいでから、寝る前1曲を弾いて寝ることにした。

このところエアコンを付けていないので、夜はシーンと物音ひとつせず静かになったのだが、もしかして隣家にギターの音が聴こえているのではないかと心配して場所を変えて演奏してみた。
多分、取り越し苦労だろうけど。

大規模演奏会の本番まで1週間を切った。
幸い、今週は平日5日間のうち4日間が在宅勤務に出来たので、練習時間はたっぷりある。
明日から最後の追い込みだ。

いつもの臆病心で隣家に聴こえるのではないかと場所を変えて弾いた最後のトレモロ 2023年4月23日
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音楽の波に乗ることを意識して弾いてみたアルハンブラ

2023-04-22 22:16:50 | ギター
アルハンブラの音楽の波に没入することを意識して弾いてみたアルハンブラ 2023年4月22日夜
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練習不足なのにいい演奏をしようと欲張るから緊張による葛藤により夥しい汗をかいたヴィラ・ロボス前奏曲第1番

2023-04-22 21:32:49 | ギター
演奏会本番、何の緊張もなく気持ちよく演奏できる人がいる一方で、極度の緊張で思うように弾けない人がいる。
私は後者の方だ。

人前で弾く機会は今まであまりなかったが、古い記憶では高校時代に音楽の授業で、先生や生徒たちの前でクラシックギターを弾いた体験があった。
1回目はタレガのタンゴを弾いた。
この曲は、この時以来、全く弾いていないのだが、何故か不思議なことに緊張もせず全くのミスもなく弾くことができた。
そして全く想定外であったのだが後日、担任の先生(何かにつけて私の顔を見て「顔が青いね」と言ったり、ささいなことで私の頭をパシンと叩いたりしたものすごく嫌な先生だったが)から、ある日、「音楽の〇〇先生から聞いたけど、お前のギターのことえらく絶賛していたぞ、「これほどの演奏、これまで聴いたことがない」とか言っていたぞ」と言われたのである(ちょっと自慢になったが)。
この出来事は、当時、いつ貧血で倒れてもおかしくないほど青い顔をして、殆ど誰ともしゃべらず勉強ばかりしていて暗かった私にとって自信を与えてくれるものであり、とても嬉しかったことが思い出される。

何故このときのタンゴの演奏が上手くいったのか、改めて考えてみると、私は当時この曲がものすごく好きだったのである。
中学2年生の時に初めて買ったクラシックギターのレコード、それは6弦時代のナルシソ・イエペスのレコードであったが、このレコードの中にタレガのタンゴが収録されており、その音楽と演奏にすっかりとりこになっていたのある。
早速、全音のギターピースを買って何度も練習した。
そしてこの曲に自信を持っていた。そして独学のくせにクラシックギターにも根拠の無い自信をもっていた。(中学時代、エレキが一番だと信じて疑わなかった同級生にこの曲を聴かせて、その信念をぐらつかせたこともあった。)
中学、高校時代のことを思い出してみると、この頃は本当にクラシックギターに熱狂していたと思う。
この「好き」という思いに完全没入することが、本番で上手くいく鍵なのではないかと思う。

高校3年生のとき、セゴビアのレコードで聴いたヴィラ・ロボスの前奏曲第1番に感動し、好楽社からマックス・エシッグ社の輸入楽譜を取り寄せ、これも音楽の授業で弾いたが、この時はやや練習不足であまりいい出来ではなかった。
やはり練習不足では本番でいい演奏にならないということである。
ただ、家での練習で完璧に弾けても本番で上手くいかないこともある。
しかし、「演奏しているときに、弾いている音楽に自ら感動する」ことができるのならばうまくいくのではないかという気がしている。
それは音楽に没入し、音楽の波に自然に乗っている状態である。
「雑念」の全く入っていない状態である。
先の「タンゴ」を弾いたときもそういう状態だったと思う。

先ほど、ヴィラ・ロボスの前奏曲第1番を弾いてみたが、結構雑念が入った演奏である。
原因は練習不足であろう。

練習不足なのにいい演奏をしようと欲張るから緊張による葛藤により夥しい汗をかいたヴィラ・ロボス前奏曲第1番 2023年4月22日夜
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