緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

手の平のしわ溝だけに汗をかきながら弾いた最後のトレモロ

2022-10-31 23:21:57 | ギター
寝る前の1曲。寝不足の1曲。
昨日に引き続き最後のトレモロだ。

演奏後にふと手のひらをみたら、手相のしわの溝だけが光っていたが、このしわの部分だけ汗をかいたようだ。

汗は額と胸だけで手の平はかかなかった感触があったため、ふと手のひらをみたら、手相のしわの溝の部分だけ汗をかいていたことに気がついた最後のトレモロ 2022年10月31日
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講習会で居眠りした後で弾いた最後のトレモロ

2022-10-30 23:17:34 | ギター
今日の講習会は疲れのせいか、かなり居眠りしてしまった。
居眠り後に、本寝る前の1曲を弾く。

最後のトレモロ。
なかなかノーミスといういうわけにはいかない、

納得のいく演奏が録れるまで、いったい後何回ひくことになるのか。1000回?。講習会居眠り後の最後のトレモロ 2022年10月30日
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固い椅子に長時間座り続けて出来た豆の痛さに耐えながら弾いた間違えだらけのアラビア風奇想曲

2022-10-30 23:05:25 | ギター
今日、東京某町で社会人マンドリンクラブの来年の定期演奏会に向けた初回合奏練習があった。
今回の曲目の殆どが難曲ぞろいで、ほぼ初見状態で臨んだ太刀打ちできるはずもなく、弾けないr辛さにじっと耐えるしかなかった。
でも合奏は合奏、やはり演奏中は楽しかった。
来年はこの定期演奏会だけでなく、他にもいくつかの演奏会に出ることになっているので、練習が大変だ。
独奏曲に精を出せるのは今のうちだ。

帰宅後は21時から講習会。
講習会の始まる隙間時間に、今練習中のアラビア風奇想曲を録音してみた。
出来は悪い。聴いていて自分でもわらっちゃうな。


固い椅子に長時間座り続けて出来たあずき大の豆の痛さに耐えながら、合奏初回練習で殆ど弾けずにたまったフラストレーションをぶつけようと力んで弾いたのがかえって裏目に出て間違えだらけとなったアラビア風奇想曲 2022年10月30日
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「自分を嫌うな」心の苦しみの解決に最も重要なキーワード

2022-10-29 23:27:03 | 心理
今日の夜は講習会。
講習会の中でふと浮かんできた言葉が「自分を嫌うな」という言葉だった。

この言葉を最初に目にしたのは、今から35年前、今までの人生の最も苦しかった頃だ。
加藤諦三氏の著書の中にタイトルが「自分を嫌うな」というものがあり、これを読んだことがきっかけであった。

この頃、自らの神経症(=心の苦しみ)の克服体験を真っ正直な言葉でつづったこの加藤氏の著作は、心理学関係の書籍では異色の存在であった。。
いささか古い臨床心理学に依拠した見解が多かったが、自らの神経症を自分の力で克服した体験でしか得られない説得力と凄みを感じさせるものであった。
加藤氏の著作は殆ど全て読んだ。
35年前のこの時代には、心理学の本といえば、机上の理論、しかも先人の公表したもののエッセンスしか書けない、学者特有の著作しかなく、悩んでいる者にとっては全く役に立たなかった。

この「自分を嫌うな」という言葉ほど、心の苦しみの解決にとって重要なものはないと確信している。
心の苦しみに悩んでいる人、自殺する人は、間違いなく、実際の自分を嫌っている。例外なく。憎んでいると言ってもいいだろう。

人間は誕生後に愛される体験がないと、実際の自分を受け入れ、肯定できずに、逆に嫌いになったり憎んだり否定したりするようになる。
そして自分を嫌うことが、それがおかしいとも思うことなく、それがあたかも自明の理のように当たり前のこととして心に刻まれ根付いいていく。

自分を嫌うことが身についてしまった人間は、24時間、寝ても覚めても実際のありのままの自分を傷つけている。
それも無意識の中で、自分でも知らずに行っている。
無意識に自動的に自分を傷つけるように形成された自動回路が潜在意識に強固に根を張りめぐらされている。

仮に自分を嫌っていると認識できたとしても、なかなかそのパターンから抜け出すことはできない。
このパターンから抜け出すことは並大抵のことではない。大抵は抜け出すことが出来ずに一生を終える。
愛されて幸福に育った人間にはまず理解できない世界でもある。

しかし心が苦しいということは、「自分を嫌っている」、ということをまずは頭のレベルで考えてみる必要がある。
スタートはそこからだ。
自分の心の状態が、今、どういう状態になっているか、常に絶えずウオッチング出来るようになれば、自分がどういう自分を嫌って、どのように否定し続けているかが分かるようになれる。
どんな無様で頼りなく、弱弱しい自分でも、その自分を自ら嫌い、憎み、攻撃している現実に気が付くことが出来れば、自動回路を破壊するきっかけとなりうる。
無様な頼りなく、弱弱しい自分は果たしてそうなのだろうか。他者が勝手に解釈しただけではないのか。
現実は決してそうではない。自分の生まれながらの本当の価値はもっと深いこところに必ずある。
そこに気が付くことが出来れば、潮目が変わっていく。

他者や世間体を意識して、良い子や立派な人間を演じることをやめる勇気も必要だ。
格好つけるのは、自分を嫌っていることの裏返しでもある。
こういのはすぐに人に見破られる。頭隠して尻隠さずとはこのようなことだ。
良くも悪くも自分に正直に生きている人間の方が魅力を感じるものだ。

だけどいきなり自己肯定しようと思っても出来るものではない。
先に自分が無意識に自分自身に対して何をしているのかに気が付くことがまず必要なのではないか。
「自分を嫌う」ということに心底気が付いたならば、あとは頭で意識しなくても、自然の摂理が働き、いい方向に導いてくれるのではないかと思っている。
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左手は汗をかかず右手は程よい汗をかいた方が上手くいくということに気が付いた「最後のトレモロ」

2022-10-29 23:02:32 | ギター
トレモロは右指に程よい汗をかいた方が滑りが良くなって、トレモロの速度が速く粒が揃うことに気が付いた。
爪と弦との摩擦抵抗が薄まるからであろう。

左指は汗をかかず、右指のみ適度な汗をかく、ということが出来ないものだろうか。

左手は汗をかかず右手は程よい汗をかいた方が上手くいくということに気が付いた「最後のトレモロ」2022年10月29日
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