今日の夜は講習会。
講習会の中でふと浮かんできた言葉が「自分を嫌うな」という言葉だった。
この言葉を最初に目にしたのは、今から35年前、今までの人生の最も苦しかった頃だ。
加藤諦三氏の著書の中にタイトルが「自分を嫌うな」というものがあり、これを読んだことがきっかけであった。
この頃、自らの神経症(=心の苦しみ)の克服体験を真っ正直な言葉でつづったこの加藤氏の著作は、心理学関係の書籍では異色の存在であった。。
いささか古い臨床心理学に依拠した見解が多かったが、自らの神経症を自分の力で克服した体験でしか得られない説得力と凄みを感じさせるものであった。
加藤氏の著作は殆ど全て読んだ。
35年前のこの時代には、心理学の本といえば、机上の理論、しかも先人の公表したもののエッセンスしか書けない、学者特有の著作しかなく、悩んでいる者にとっては全く役に立たなかった。
この「自分を嫌うな」という言葉ほど、心の苦しみの解決にとって重要なものはないと確信している。
心の苦しみに悩んでいる人、自殺する人は、間違いなく、実際の自分を嫌っている。例外なく。憎んでいると言ってもいいだろう。
人間は誕生後に愛される体験がないと、実際の自分を受け入れ、肯定できずに、逆に嫌いになったり憎んだり否定したりするようになる。
そして自分を嫌うことが、それがおかしいとも思うことなく、それがあたかも自明の理のように当たり前のこととして心に刻まれ根付いいていく。
自分を嫌うことが身についてしまった人間は、24時間、寝ても覚めても実際のありのままの自分を傷つけている。
それも無意識の中で、自分でも知らずに行っている。
無意識に自動的に自分を傷つけるように形成された自動回路が潜在意識に強固に根を張りめぐらされている。
仮に自分を嫌っていると認識できたとしても、なかなかそのパターンから抜け出すことはできない。
このパターンから抜け出すことは並大抵のことではない。大抵は抜け出すことが出来ずに一生を終える。
愛されて幸福に育った人間にはまず理解できない世界でもある。
しかし心が苦しいということは、「自分を嫌っている」、ということをまずは頭のレベルで考えてみる必要がある。
スタートはそこからだ。
自分の心の状態が、今、どういう状態になっているか、常に絶えずウオッチング出来るようになれば、自分がどういう自分を嫌って、どのように否定し続けているかが分かるようになれる。
どんな無様で頼りなく、弱弱しい自分でも、その自分を自ら嫌い、憎み、攻撃している現実に気が付くことが出来れば、自動回路を破壊するきっかけとなりうる。
無様な頼りなく、弱弱しい自分は果たしてそうなのだろうか。他者が勝手に解釈しただけではないのか。
現実は決してそうではない。自分の生まれながらの本当の価値はもっと深いこところに必ずある。
そこに気が付くことが出来れば、潮目が変わっていく。
他者や世間体を意識して、良い子や立派な人間を演じることをやめる勇気も必要だ。
格好つけるのは、自分を嫌っていることの裏返しでもある。
こういのはすぐに人に見破られる。頭隠して尻隠さずとはこのようなことだ。
良くも悪くも自分に正直に生きている人間の方が魅力を感じるものだ。
だけどいきなり自己肯定しようと思っても出来るものではない。
先に自分が無意識に自分自身に対して何をしているのかに気が付くことがまず必要なのではないか。
「自分を嫌う」ということに心底気が付いたならば、あとは頭で意識しなくても、自然の摂理が働き、いい方向に導いてくれるのではないかと思っている。