緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ベートーヴェン ピアノソナタの名盤(3) 第1番

2013-09-28 21:42:27 | ピアノ
こんにちは。
朝晩急に冷え込むようになりました。少し風邪をひいたようです。
さてベートーヴェンのピアノソナタの鑑賞を始めてから9ヶ月。その間、素晴らしい曲や録音との出会いがあり、仕事と睡眠時間以外の大半の時間を(時には食事をしながらも)、このソナタを聴き入ることに費やしてきました。
このピアノソナタを聴くと一人間が、創造するものの凄さに驚いてしまいます。
このピアノソナタはベートーヴェンが人生の途上で味わった、しかも深く味わったであろう様々な感情をベースに作り出されているのだと感じます。
規模が大きいソナタで、これほど人の心に深く入ってくるピアノ曲はそうないと思います。
だからベートーヴェンが作曲した時に感じていた心情を演奏者自身が自分自身のものとして共有でき、音や演奏にその感情を投影できるものでないと、このソナタは聴き手を十分に満足させるものに成り得ないと思っています。
一方聴き手もベートーヴェンがこの曲で伝えたかったものを感じ取ることができないと、大きな感動を得ることはできないと思います。
特に晩年に作曲された後期のソナタは、人生経験を経た年代でないとなかなか十分に理解できないのではないか。
人は経済的に苦しまずとも精神的には苦しんでいる人もいるし、貧しくても精神的には幸福な人生を歩んでいる人もいます。
今日の新聞に先日亡くなった藤圭子さんのことを述べた記事がありましたが、彼女は幼い頃から血を吐くような貧しい生活のどん底から這い上がってスターの座をつかんだが、不運にも精神的な幸福をつかめないまま人生を閉じてしまったのではないかと思います。
精神的な不幸の最たるものは孤独感だと思います。
ベートーヴェンは早くに両親を無くし、若い頃は激しい恋愛もしたが実らず一生独身だったようです。
ベートーヴェンは作曲家でありながら耳が聴こえなくなるという悲劇を体験したが、彼のピアノソナタから聴こえてくる心情からは、この耳が聞こえないという苦悩とはまた別のものが伝わってくるようにも感じます。
もしかすると彼は深い孤独感を感じていたのかもしれません。人とのつながりに幸福感を求めながら、それを得ることができない葛藤に苦しんでいたのかもしれません。
耳が聞こえない苦しみだけではこのピアノソナタのような名曲は決して生まれなかったと思います。

前置きが長くなりましたが、ピアノソナタの名盤の紹介の3回目は第1番、Op.2-1、ヘ短調、1794-1795年作曲です。
22歳でウィーンに出てハイドンに師事し、その2年後に作曲されたこの曲は師であるハイドンに捧げられており、当時はベートーヴェンはピアニストとしても活動していたようです。
古典的形式のソナタで、4楽章の構成をとりますが、各楽章の演奏時間は短いです。
第1楽章はシンプルな形式で憶えやすい曲ですが、やや陰鬱な感じもします。
下記の譜面のようにスフォルツアンドやスタッカート、トリルを多用して曲想に変化を付けているのが特徴です。



最後の力強いフォルテシモの和音の連続はピアノの音の魅力を十分に伝えてくれる。
第2楽章アダージョは、長調の明るく美しく穏やかな旋律が続きますが、下の譜面に示すように伴奏部の音に陰鬱な暗い影を感じる箇所が何箇所か出てきます。





このような表現がさりげなく現れる部分がベートーヴェンのこの時代の心情を反映していると思います。
この曲が単なる美しいだけで終わっておらず、何かひっかるものを残すのはこのためだと思います。
第3楽章メヌエットは4分の3拍子の軽快な曲ですが、前半はやはり陰鬱さを感じさせるものの、フォルテシモのユニゾンの後のトリルが続く部分は突き刺すような情熱も感じます。後半のトリオは一転して明るい雰囲気となり、高音部の重音が続く部分はとても美しいハーモニーを感じます。
第4楽章プレスティシモは激しい情熱的な部分と、古典的雰囲気のする穏やかな旋律が続く部分が対照的な曲ですが、この楽章でも軽快なアルペジオの中に不安定感を覗かせるような旋律が現れます。
このソナタ第1番はシンプルとも言える構成で分かりやすい曲ですが、明るさ、情熱、穏やかさ、軽快さといった主旋律に下に、時折暗い影が現れ、それがこの曲に深みを与えていると思います。
もしこの暗い影が無かったならばこの曲は軽いだけの記憶に残らない曲だったかもしれません。

さてこの曲の録音ですが、第1番は録音が少なく、ピアノソナタ全集を出している演奏家のものが殆どです。私が聴いたのは以下です。

①アルトゥール・シュナーベル(1934年、スタジオ録音)
②フリードリヒ・グルダ(1968年、スタジオ録音)
③ヴィルヘルム・バックハウス(1964年、スタジオ録音)
④ディーター・ツェヒリン(1968年、スタジオ録音)
⑤マリヤ・グリンベルグ(1966年、スタジオ録音)
⑥マリヤ・グリンベルグ(1959年、スタジオ録音)
⑦マリヤ・グリンベルグ(1961年、スタジオ録音)
⑧ヴィルヘルム・ケンプ(1951~56年、スタジオ録音)
⑨ヴィルヘルム・ケンプ(1964年、スタジオ録音)
⑩エリック・ハイドシェク(1967~1973年、スタジオ録音)
⑪タチアナ・ニコラーエワ(1984年、ライブ録音)
⑫ジョン・リル(録音年不明、スタジオ録音)
⑬グレン・グールド(1980年?、スタジオ録音)
⑭アンネ・エランド(2001年、スタジオ録音)
⑮イーヴ・ナット(1955年、スタジオ録音)

全員がピアノソナタの全曲を録音した人ですね。
私がこの中で選んだこの第1番の名盤は次の3枚です。

1.⑥マリヤ・グリンベルグ(1959年、スタジオ録音)

マリヤ・グリンベルクのことは以前のブログでも紹介しましたが、ロシアの女流ピアニストで、死後20年経ってやっと日本に紹介され、その偉大さが認められた演奏家。
ロシアで初めてベートーヴェンのピアノソナタ全曲を録音し、ロシアのメロディア社から1970年にそのレコードが出た。
このメロディアに録音された彼女の演奏が⑤の1966年のものであるが、残念ながら彼女の最盛期(1950年代から1960年代初め)を過ぎた演奏であり、名盤としてとりあげるのは見送りました。youtubeで聴けるのはこの録音ですね。
しかし彼女がこの全曲演奏をする前にモスクワ放送に残っていた音源をデンオンが1990年代後半にCD化した録音があり、この演奏は私が聴いた中では最も素晴らしく、強い感動を得られるものです。



1959年にモスクワ放送のラジオで放送されたと思われるこの録音は、編集録音ではなく、一発録音またはライブ演奏の録音だったのではないかと思います。
ミスの無い完成度の高いテクニックにまず驚きますが、彼女の演奏から泉のように湧いて出てくる生命力、精神的エネルギーに強く感動を覚えます。
そしてピアノの音が素晴らしい!。美しく芯のある高音、音が強くても弱くても重厚で延びのある低音。感情が乗り移ったような音。
彼女の演奏から歌が聴こえてくるように感じます。
器楽演奏にとって、音は最も重要な要素だと思います。
演奏家も年を取れば誰しも技巧は衰えるのは避けられないが、音だけは進化するものだと思います。
グリンベルクも先のメロディアの録音は良くないものもあるが、この録音を終えた1968年から1971年のラジオかテレビ放送から録音されたものには、素晴らしい音が聴けるものもあります。
また1974年の晩年のライブ録音も聴きましたが、シューベルトのピアノ曲で聴かせた音は最盛期の音よりも純度が増しているように感じた。
ギターのセゴビアがそうでしたが、偉大な音楽家の晩年の魅力は音や音楽性の素晴らしさを伝えてくれるところにあると思います。

2.⑦マリヤ・グリンベルグ(1961年、スタジオ録音)

グリンベルクが練習者の教育用に解説と共に模範演奏を録音したもの。



曲の最初から最後まで彼女自身がピアノを弾きながらポイントを解説した貴重な録音です。
彼女の話す声はとても魅力があります。淀みなく流暢であり、穏やかであり、自信に満ちた落ち着きがあります。国際コンクールを受ける学生たちが自分の教授の目を盗んでグリンベルクに教えを求め、コンクールに備えたという事実が公然の秘密となっていた理由がわかるような気がします。
1959年の録音から2年経っての録音ですが、同じく素晴らしいものです。
グリンベルクは1930年代に後に述べるアルトゥール・シュナーベルのモスクワ公演を聴いてからベートーヴェンの世界に入り込み、以来長きに渡りベートーヴェンのピアノ曲の研究に没頭したと言われています。

3.①アルトゥール・シュナーベル(1934年、スタジオ録音)

1930年代の古い録音であるが、素晴らしい演奏です。



シュナーベルのこの曲の演奏を楽譜と照らして聴いてみると、意外に極めて楽譜に忠実に演奏していることに気づきます。
しかしこの楽譜に忠実と言うのはただ譜面に記載された情報を機械的に表現するというのでは全くなく、作曲者の表現したかった心情や芸術性を理解した解釈、演奏になっているということです。
シュナーベルの演奏も音に魅力があります。特に低音は誰にも出せない彼独自の音があります。
SPの時代なので当然編集録音など無く、一発録音でしょうから終楽章の終わり近くに音を外している部分がありますが、全然気にならないのは彼の弾く音楽性が強いためであろう。

ここに選んだ録音以外にもいいと思えるものもありましたが、例えば②のグルダがそうなのですが、音にどうしても魅力を感じられない。
音が軽くて心に深く届いてこない。軽快で恐らくトップクラスであろうと思われるテクニックと演奏解釈も超一流で素晴らしいが、肝心の器楽の要であるピアノの音の魅力が伝わってきません。
またびっくりしたのは⑬のグレン・グールドの録音。
これを初めて聴いたとき「ふざけるな」と思ったくらいですね。とにかく彼独自の独善的な解釈で弾いていますが、聴き手によっては好きになるかもしれません。グールドが真剣に弾いているのか遊びで弾いているのかわからない演奏。
そのくらい特異な演奏で、第2楽章の最後の和音などは、本当にふざけていると思ってしまう。しかし恐らくではあるがグールドにとっては最良の選択で解釈した演奏なのではないかと思う。

【追記20130929】

・イーヴ・ナットを入れ忘れていたので追加しました。
・グレン・グールドはソナタ全曲を録音していないようですね。
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ブリームのライブ録音を聴く

2013-09-23 10:01:11 | ギター
こんにちは。
三連休も残りあと1日となりました。
2週連続の三連休ですが、毎週三連休であれば随分健康的な生活ができるのに、思ってしまいます。
早く定年になって音楽三昧の日々を送りたいものだ。
さて最近、ジュリアン・ブリームがRCAに残した膨大な録音の全集が発売されたようです。
CD40枚セットで割引価格1万2千円しない価格で出ていましたが、1枚あたり300円しないので、ブリームの録音をあまり聴いたことのない方は買って損しないと思います。
ブリームの全集は1990年代の初め頃にも発売されましたが、当時の私は安月給の若者だったため、手がとどかなかった。確か2万数千円はしていたと思います。
しかし運よくこの全集を借りることができCDにダビングすることができた。30代初めくらいのときでした。
ブリームを聴くのと聴かないのとでギター音楽に対する楽しみが全く変わってくるといっても過言ではありません。
彼の演奏はそのくらい素晴らしくインパクトのあるものです。
今の若い方はデイヴィット・ラッセルのようなギタリストの音楽をよく聴くようですが、ラッセルを聴くくらいならブリームの演奏をとことん聴いたほうがはるかに有益でギター音楽の真髄に触れることができます。
ブリームのレパートリーは古典から現代音楽まで膨大であり、若い頃はリュート奏者としてテノールのピーター・ピアーズと共演し、ダウランドなどの古い時代の音楽の録音を数多く残しています。そのリュートは独学で習得したと言われています。
とにかく半端でないほど古典を研究、演奏した人ですが、現代音楽も数多く手がけ、レノックス・バークリー、ウィリアム・ウォルトン、ベンジャミン・ブリテンなど自国の作曲家にギター曲を書かせた。
またジョン・ウィリアムスと2重奏をしたのも有名ですね。ジョン・ウィリアムスが未だいい音を出していた時代です。
私が初めてブリームを聴いたのが中学2年生の時、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮のアランフェス協奏曲のレコードを買った時でした。
とにかくこのアランフェスに感動し、毎日毎日何回も飽きずに聴いたものです。
レコードなど高価な時代で、少ない小遣いで1年に1、2枚買えるのが限界だったので、それこそ毎日同じ録音を何度も繰り返し聴くしかなかった。
でもその繰り返し聴く習慣がギター音楽を始め他のクラシック音楽の本物の名演奏を探し出せる感覚を身につけさせてくれた。
この時代にブリームの演奏、しかも彼が最盛期の頃の演奏を浴びるほど聴けたのは自分にとって幸運だった思います。
高校2年生の時に買ったブリームの最高の録音であるヴィラ・ロボスの12の練習曲とブラジル民謡組曲のレコード聴いたときは凄い衝撃でした。
今でもこの曲の演奏で彼の演奏を超えるものはないと思っています。
膨大な録音を残したブリームですが、意外にライブ録音は少ないですね。
これはクラシック・ギターの場合、ライブでのミスが多い傾向にあるため、ライブ録音として販売できるレベルのものが極めて少ないからだと思います。
しかしブリームのライブ演奏の中では、レコードとして販売されてもおかしくなかったような完成度の高いものがあります。
私が大学時代のときに、兄がラジオから録音したものなのですが、1982年の第36回エジンバラ国際音楽祭でのライブ演奏は殆どミスが無く、音楽的にもハイレベルです。
1982年というとブリームが交通事故で怪我をする直前で、彼の最盛期の頃ですね。
演奏曲目は以下のとおりです。

1.ファリャ:ドビュッシーの墓に捧げる賛歌
2.ソル:モーツアルトの魔笛の主題による変奏曲
3.グラナドス・詩的ワルツ集より
4.ファリャ:三角帽子から粉屋の踊り
5.ビゼー:組曲イ調
6.バークリー:一楽章のソナタ

5年くらい前にTESTAMENTからこのライブ演奏で1曲のみソルの魔笛を入れたCDが発売されたが、音源が老朽化したせいなのかキンキンした金属的な音で、ラジオから録音した音とは別物みたいに聴こえます。古い音源からCD化する際によくあることで、当時の演奏の真価を全く伝えていないのは残念だ。
さて素晴らしかったのは、ドビュッシーの墓に捧げる賛歌、詩的ワルツ集、組曲イ調、一楽章のソナタ。
ドビュッシーの墓に捧げる賛歌はファリャの唯一のギター曲として知られていますが、リョベートがファリャの原譜に色々手を入れたようで、やらたハーモニックスの指定がされていますね。
さすがブリームはリョベートが後から付け加えたと思われるハーモニックスは一切演奏せず、原音で弾いています。この原音で弾くことにより、ファリャが表現したかった気持ちを正確に表現しているように感じます。
次にグラナドスの詩的ワルツ集。この編曲の録音は1983年ごろだったでしょうか。レコードで発売されましたが、それに先立つライブ演奏。ブリームが1990年代前半に来日した時にもこの曲を聴くことができた。
この曲については以前私のブログで紹介しましたが、編曲の素晴らしさもさることながら、演奏はブリームの先のヴィラ・ロボスの録音と並んで彼の最高の演奏ですね。
この曲をギターでここまで演奏できる人は後にも先にもブリームしかいないと思う。
私はラローチャのピアノ演奏よりも素晴らしいとさえ思っています。
途中で6弦をD音に下げたり上げたりして調弦しなければならないのですが、ブリームは調弦が曲の流れを損なうのを嫌い、出した結論が曲の切れ目で音を出して調弦せず、糸巻きを音を出さずに回してE音→D音、D音→E音に上げ下げするというもの。これは驚きでした。しかも早業で。
次にビゼーの組曲イ調ですが、会場全体にギターの音が鳴り響くような素晴らしい音です。楽器はまず間違いなく1973年製のロマニリョスだと思います。
最後の曲であるバークリーの一楽章のソナタですが、このライブ演奏では最高の出来です。





破綻の一切ない完璧な演奏で、楽器の鳴りも十分、そして何よりもブリームの演奏中の集中力が伝わってくる最高に素晴らしい演奏です。
ブリームはこの曲をレコードに録音しませんでしたが、これだけ完成度の高いレベルまで仕上げたのにもったないです。
作曲者のバークリーは先に述べた、レノックス・バークリー(ソナチネや主題と変奏曲などが有名)とは別人です。
ファーストネームを何て呼ぶのかわかりませんが、Michael Berkelyという作曲家の曲で、現代音楽の部類です。
ただ純粋な現代音楽ではなく、無調をベースにしながらも調整音楽風のフレーズが数多く挿入される曲で、かなり長い曲です。
この曲はリズムの変動に特色のある曲で、速いペースの中で譜面どおりのリズムを刻むのは非常に難しいです。
しかしブリームは演奏は譜面に極めて忠実です。クラシックギタリストの中にはリズムが不正確な人が多いのですが、ブリームの譜読みは正確で聴いているとその能力の高さに圧倒されてしまう。
特に次の箇所など速いテンポの中でリズムも複雑となりゴルペも出てくるので演奏するのは至難だ。



そして最後は度肝を抜かれるような終わり方。この終わり方が最高にかっこいい。



この一楽章のソナタのギター演奏を聴けば、他ジャンルの名演奏家にも必ず一目置かれると思います。
徹底した無調音楽ではなく、ユーモア感を感じる明るいフレーズや躍動間を感じるリズムの連続するフレーズが出てきたり、かなり中途半端な感じのする曲でもありますが、とても楽しめる曲です。大学時代はこのテープを何度も聴いていました。
この一楽章のソナタ、ブリームの演奏以外に今から10年ほど前の東京国際ギターコンクールの本選で、ある日本人の方が自由曲で弾いていたのを聴いたことがあります。
でもこの曲を録音したり、演奏会で演奏するギタリストは殆どいないと思います。
それはブリームがレコードに録音しなかったため、一般に広まらなかったためだと思いますが、こういう現代の曲を今のギタリストはどんどん弾いて欲しいですね。
こういう曲は1960年代から1970年代に数多く作曲されたので、埋もれている譜面はたくさんあると思います。
最近の若いギタリストはプログラムにバリオスのおなじみの曲や、ピアソラや映画音楽などのポピュラーものの編曲をのせる傾向なのでつまらないですね。
ジョン・ウィリアムスの80年代以降の活動の影響を受けているのかもしれませんが、こういう選曲ばかりしているとクラシックの作曲家はギターに目を向けなくなってしまうと思います。クラシックギターはポピュラー楽器というイメージが先に付きまとうからです。
ブリームが映画音楽やビートルズなどの編曲に手を出さなかったのはさすがだと思う。
ピアノなどの器楽の巨匠の録音を調べればわかりますが、本物のクラシック音楽家は聴衆に対して安易な迎合はしないですね。彼らは公には決してポピュラー曲を演奏していません。ポピュラー曲はその道のプロに任せておけばいい、自分は自分のテリトリーで最大限の仕事をするだけだという、けじめとプライドがあるのだと思います。
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ベートーヴェン ピアノソナタのライブ演奏を聴きに行く

2013-09-21 22:24:45 | ピアノ
こんにちは。
三連休の初日は夏に逆戻りしたような暑さでした。
昨日の真夜中、三連休なんだから久しぶりに演奏会を聴きに行こうと思い立ち、インターネットで検索していました。
今年に入ってからベートーヴェンのピアノソナタ全曲の鑑賞に取り組み、かなりの数の演奏家の録音を聴いてきましたが、やはり生演奏を聴いてみたいという気持ちがありました。
インターネットで検索して、この三連休に行われるピアノの演奏会を検索してみたところ、何と幸運にもベートーヴェンのピアノソナタだけの演奏会が今日(21日)開催されることがわかり、是非聴いてみようと決めました。
その演奏会とは、アプリコ・ベートーヴェン・プロジェクト 仲道郁代ピアノ・リサイタルというものでした。
しかも演奏曲目の中に私の好きな第32番(Op.111)が入っているため、本格的な演奏会に違いないという期待もありました。
今日の午後、会場の東京都大田区蒲田にあるアプリコ・ホールに開演の50分前に着き、当日券を買いましたが、残りの席数がごくわずかしかなく、あともう少し到着が遅かったら来たはいいけど演奏を聴けないで終わってしまったかもしれません。
そのくらい満席状態でした。
A席でしたが2,000円と良心的な価格でした。



ホールは幅はやや狭いが奥行きが広く、後ろに行くほど傾斜が高くなり、私は一番後ろから2番目の端の席だったのですが、舞台のピアノからかなり位置が高く距離が長いのに驚きました。こんなに離れているとピアノの音が聴こえないのでは、と少し心配になりました。
曲目は次のとおりです。

・ピアノソナタ第8番 ハ短調作品13「悲愴」
・ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調作品27-2「月光」
・ピアノソナタ第26番 変ホ長調作品81a「告別」
・ピアノソナタ第32番 ハ短調作品111

開演のブザー鳴り現れた演奏者の仲道郁代さんは私にとって初めて聴くピアニストです。
日本のピアニストは余り知らないのですが、仲道郁代さんは私が20代の頃に買った音楽雑誌で紹介されていたこともあり、名前だけは覚えていました。
いきなり演奏に入ると思ったら、演奏の前に仲道さん自身が曲の解説をしてくれました。
これはいい趣向だと思います。
曲を聴く前にその曲のポイントとなる解釈を事前に知っておくのと知らないで聴くのでは大きな差が出ると思います。
特に演奏会は1回きりの演奏なので、聴いた演奏をより深く記憶にとどめておく為にもいいことだと思いました。
第1曲目の「悲愴」の前に、ベートーヴェンにとってハ短調の曲が特別な意味があると解説して下さったが、今日演奏された悲愴や第32番はハ短調であり、この調性はベートーヴェンの過酷な運命を感じ取ることのできる曲に見られるとのことでした。言われてみると確かにそうだと思った。
さて演奏が始まって先に述べた、音が聴こえるだろうかという杞憂は払拭された。
ピアノから一番遠く離れた席に座っているのに、音が鮮明に聴こえたのはびっくりしました。弱音から強音まで前の方の席と何ら遜色がないと思いました。
このホールはとても響きが良く、ピアノ向きのホールだと思いました。また演奏者のタッチがしっかりしていたからに違いありません。
ピアノのライブ演奏は私にとって初めてだと思いますが、演奏者である仲道さんの打鍵はとてもしなやかで無駄な力が入っておらず、力みのない自然な音楽の流れにまず魅了された。
また技巧が確実でハイレベル。これにも驚きました。日本人の器楽奏者はミスが多く、たいしたことはないという先入観はこの演奏を聴いて完全に否定されました。
またホールに響き渡る弱音から高音まで音の深みが素晴らしく、女性でありながら芯のあるタッチを聴くことができた。
2曲目の「月光」は、仲道さんの解説によるとキリストが十字架を背負って、ゴルゴタの丘をのぼって行く時のイメージにより作曲されたとのことで、これは初めて聞く解釈でした。
この「月光」の演奏解釈は色々ありますが、このイメージはちょっと私にはピンときませんでしたが、これからこの解釈について研究してみようという気になった。
帰りに古本屋でベートーヴェン研究の分厚い古本を1,000円で買ったので、三連休の残りに読んでみようと思う。
今日の演奏で最も良かったのはこの「月光」でした。
第1楽章は少しはやめのテンポでしたが、大げさなテンポの揺れや音の強弱のない、正統な解釈だと感じました。
とくに下の譜面の箇所はよくあるようなクレッシェンド→デクレッシェンドをせず、やや音が大きかったものの譜面の指定どおりPで通して弾いていたのはさすがだと思った。



第3楽章は素晴らしかったです。
正確な技巧、ベートーヴェンが30代になったばかりの頃に抱えていたであろう、前途への希望や不安と、若さゆえの苦悩や葛藤の気持ちを十分に表現していたと思う。
楽章と楽章の間に時間を置かず、すぐに弾き始めるところなど作曲者の指定に忠実だと思いました。
必要以上の音の保持も無く、完璧とも言える超絶技巧で弾き切り、最後の和音の後の直後で聴衆から熱狂の声が聞こえたほどの演奏でした。
3曲目の「告別」の演奏もこの演奏会では最高の出来で、技巧を要する難しい部分も淀みなく、時折見せたアクセントある音も十分惹きつけられるものでした。
4曲目の第32番は私がベートーヴェンのピアノソナタの中で最も好きな曲なのですが、仲道さんの解説の中の、「何故、苦しい運命を背負わなければならなかったのか」というベートーヴェンの激しい苦悩の叫びを表す第1楽章と、その苦悩を乗り越えたにもかかわらず、まだ「何故」という自問が繰り返し心に現れるベートヴェンの気持ちを表現した第2楽章の解釈は、私がこの曲に対する思いとも共有できるものでした。
演奏はやや疲れが出たのか、また第2楽章アリエッタの前半の変奏の繰り返しが、クラシック曲の鑑賞に慣れていない聴き手にとってややつらくて客席から雑音が続いたせいなのか、少し集中できなかったような演奏に感じた。
しかしハイレベルな演奏であることは間違いなく、私にとってはCDでの録音ばかりの演奏とは次元の違う生演奏の音の素晴らしさを堪能させてくれたおかげで、演奏会の後は晴れ晴れとした気持ちになれた。
演奏会の後で、本にサインをしてもらい仲道さんと一言二言会話ができたことにも満足でき、久しぶりにいい演奏会の余韻に浸って帰路につくことができた。
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ベートーヴェン ピアノソナタの名盤(2) 第31番

2013-09-15 10:05:33 | ピアノ
こんにちは。
せっかくの三連休ですが、今日明日と大雨のようです。この2週間仕事が忙しくかなり疲労がたまっているようなので丁度良かった、三連休はゆっくり過ごそうと考えています。
さて先日のブログでベートーヴェンのピアノソナタの名盤を全32曲毎に紹介する話をしました。
初回は第32番でしたが2回目は第31番です。
この第31番はこれまでも何度か紹介してきましたが、聴き比べた演奏もかなり数にのぼったため、この辺で最も感動した録音をいくつか紹介することにします。
第31番変イ長調Op.110は、第32番とともに私がベートーヴェンのピアノソナタの中で最も好きな曲です。
ベートーヴェンのピアノソナタは中期の作品では華麗で壮大な曲にその時期の彼の作風を見出すことができますが、後期、特にこの第31番と第32番は華麗な装飾は無く、音楽的な純度が高い、またベートーヴェンの人生を垣間見るような深い精神性と構成力を持った名曲中の名曲だと思います。



第1楽章モデラート・カンタービレは非常に空気の澄んだ、少し寒いがさわやかな乾いた天気のいい日に感じたであろう、静かではあるが瑞々しい生命力を感じさせる美しい旋律で始まります。
下の譜面の部分でフィンガー・スタッカートの指定がありますが、ここの部分を多くの奏者は速度を速く弾くために、スタッカートをかけていません。譜面の指定どおりに弾くことは、非常に難しいことが分かります。それは指定どおりに弾いている奏者の演奏を聴けば分かります。



第2楽章アレグロ・モルトはアクセントの付いた強い和音が随所に現れますが、この強い和音をいかに音楽的に響かせるかが最大のポイントだと思います。この和音の響きが悪いと不快感を感じます。私が聴いた演奏ではポリーニの弾く演奏がそうでした。
またこの和音の響きが強くても音の層が浅いと演奏がちゃちに聴こえます。根本的に音の出し方に相当修練を積んでいないとこのような作者が求める音は出せないと思います。
この強い和音の弾き方で演奏が一流かどうかの判別ができるのではないか。
第3楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポは一転して瞑想的、抒情性の強い曲に変わりますが、しばらくして現れるアリオーゾ・ドレンテは「嘆きの歌」という副題が付いているように、極めて悲しくも美しい歌が奏でられ、この部分が第31番の最大の魅力を感じさせます。



この「嘆きの歌」の表現は奏者により様々ですが、この部分をいかに深い感情にまで踏み込んで表現できているかにより、このソナタを何度も聴きたくなるかどうかの決め手になると思います。
次に深い悲しみから一転して軽快だが静かに始まるフーガが現れ、パイプオルガンの重厚な低音を感じさせるような響きの強い和音が随所に現れ、短いトリルの後のディミヌエンドを経て、再び先の「嘆きの歌」が再現されます。しかしこの再現された嘆きの歌は初めに現れた時に比べ、微妙に変化しています。
ベートーヴェンが何故フーガの後に「嘆きの歌」を再び挿入させたのかは明確にはわかりませんが、激しい悲しみは一度だけでなく、再び繰り返されるものであるもあることを暗示させているのではないか。しかもこの悲しみは初めて感じたときも少しやわらぐことも示そうとしたのではないかと思う。
再現された嘆きの歌の後には、再びフーガが現れるが、「しだいに元気を取り戻して」という副題が添えられています。
「嘆きの歌」→「フーガ」と2回繰り返されことが、この曲の最も重要なポイントだと思います。しかも2回目のフーガは次第に力強く速度を速めていき、精神を奮い立たせるような強い突き刺さるような和音の繰り返しを経て下降音階から一気に上昇音階を駆け上り、力強い和音で終結します。

さてこの第31番で私が今までに聴いた録音を下記に示します(概ね聴いた順)。

①アルトゥール・シュナーベル(1932年、スタジオ録音)
②アナトリー・ベデルニコフ(1969年、スタジオ録音)
③スバヤトスラフ・リヒテル(1965年10月、ライブ録音)
④スバヤトスラフ・リヒテル(1963年、ライブ録音)
⑤スバヤトスラフ・リヒテル(1965年7月、ライブ録音)
⑥ヴィルヘルム・バックハウス(1963年、スタジオ録音)
⑦マリヤ・グリンベルグ(1962年、スタジオ録音)
⑧マリヤ・グリンベルグ(1966年、スタジオ録音)
⑨グレン・グールド(1956年、スタジオ録音)
⑩マウリツィオ・ポリーニ(1976年、スタジオ録音)
⑪イーヴ・ナット(1954年、スタジオ録音)
⑫ルドルフ・ゼルキン(1971年、スタジオ録音)
⑬ルドルフ・ゼルキン(1987年、ライブ録音)
⑭クリストフ・エッシェンバッハ(1978年、スタジオ録音)
⑮ソロモン・カットナー(1956年、スタジオ録音)
⑯フリードリヒ・グルダ(1968年、スタジオ録音)
⑰ヴィルヘルム・ケンプ(1951~56年、スタジオ録音)
⑱ヴィルヘルム・ケンプ(1964年、スタジオ録音)
⑲ディーター・ツェヒリン(1970年、スタジオ録音)
⑳ レフ・オボーリン(1974年?、スタジオ録音)
21エリック・ハイドシェク(1967~1973年、スタジオ録音)
22アニー・フィッシャー(1977~78年、スタジオ録音)
23タチアナ・ニコラーエワ(1984年、ライブ録音)
24ジョン・リル(録音年不明、スタジオ録音)
25高橋悠治(1971年、スタジオ録音)
26アンネ・エランド(1995年、スタジオ録音)
27エリー・ナイ(1968年、スタジオ録音)
28ケンドル・テーラー(録音年不明、スタジオ録音)
29イェルク・デムス(録音年不明、スタジオ録音、ピアノフォルテ使用)

全てCDで聴いたものです。貪欲にも随分と聴いてしまいました。
やはり気に入った曲は最高の演奏を求めて数多くの演奏をどうしても聴いてしまいます。
でもこれをやることで超一流の演奏というものが、どういうものかということが見えてきます。
超一流の演奏というのは頭で考えて表現した演奏とは次元が違います。
それは演奏家の人間性や人生体験の深さ、作曲家の心情と一体になれる感受性の強さと能力から生まれていると思います。音楽が体の芯から自然に溢れ出ているように感じます。
この第31番もそのような名盤にいくつか出会いました。
私が最も感動し、何度も聴きたくなった演奏家は次の4名です。

まずこの曲の魅力に初めて気付かせてくれたのが、③スバヤトスラフ・リヒテル(1965年10月、ライブ録音)です。
リヒテル(1915~1997)はクラシックファンであれば誰でも知っているピアノの巨匠ですね。



1965年10月10日に行われたこのライブでは、ホールの響きがとても良く、リヒテルもこの響きに気分を良くしてか、実に好調な演奏をしています。録音もストレートであり、ライブ演奏での理想的な録音だと思います。
第31番の他にベートーヴェンのピアノソナタが数曲演奏されているが、いずれも完璧に近い素晴らしいものです。
特に第31番の演奏は、美しく芯のある高音と、とても強いが格調のある重厚な低音を聴くことができます。テクニックも素晴らしくライブでここまで完成度の高い演奏は稀だと思います。
特に第2楽章アレグロ・モルトの強い和音は音の層が厚いため、決して不快になることはなく、ピアノの強音の魅力を堪能できる。
第3楽章フーガの低音はときおりパイプオルガンの響きのように聴こえることがあります。終結部の演奏はもの凄く、爽快感を感じる。このフーガの演奏がリヒテルの最も素晴らしいところです。特に高音部と低音部との対比、リズムの正確性、自然さ、よどみないテクニックは凄いですね。

2番目の奏者ですが、先日の「ベートーヴェン ピアノソナタの名盤(1) 第32番」で紹介した、ロシアのピアニスト、マリヤ・グリンベルク(1908~1978)です。
グリンベルクの第31番の録音は2種類ありますが、よく知られているのは彼女が1964~1967年にかけて録音し、ロシアのレーベル、メロディアから1970年に出されたソナタ全32曲の中の録音の一つです。
この音源は、ロシアのベネチアというレーベルから2002年と2006年にCDで復刻され、2012年には本家メロディアからもCDが出されました。



youtubeで聴けるのはこの1966年の録音ですね。
もう一方の録音は、1962年の録音ですが、おそらく放送用の音源から採ったものと思われ、トリトンというレーベルから1998年に出されたものです。



トリトンから出された1962年の録音は彼女の最盛期(1950年代~1960年代初め)のものであり、彼女の最大の魅力である力強い重厚な低音、生気溢れると共に繊細な美しい高音と表現を聴く事ができます。
とりわけ第1楽章の次の箇所でそのことを感じることができます。こんなに凄いエネルギーを感じる演奏はないです。







そして第3楽章2度目のフーガの最終部の盛り上がりは聴く者の気持ちを奮い立たせるような渾身の演奏であり、特に最後の底から響くような低音の後に弾かれる下降・上昇音階の部分は物凄いです。



もう1種類のメロディア(ベネチア)の1966年の録音は彼女の最盛期を過ぎた演奏で、1962年の録音に比べるとやや力強さに欠けますが、音楽的表現は深さを増しています。
それをまさにに感じることができるのが、第3楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポからアリオーゾ・ドレンテにかけての部分で、1962年の演奏とはテンポや音の強さ、表現の繊細さがかなり異なります。
特に冒頭から嘆きの歌に入る前に挿入されるアダージョのラの単音の繰り返しの部分などは1962年の演奏はやや素っ気無い感じがしますが、1966年の演奏は非常に繊細に速度を落として演奏しています。
そして何と言ってもこの1966年の演奏の最大の魅力は「嘆きの歌」の部分です。
この第31番の「嘆きの歌」で彼女の演奏ほど悲しい演奏を聴いたことがありません。
神経を集中させて聴くと、彼女のこの部分の演奏に物凄い悲しみがこもっているのがわかります。
その悲しみとは、自分にとって大切な人、例えば我が子を失った時に感じる激しい悲しみと嘆きに匹敵すると思います。あるいは人生や人間に絶望し、死の淵にまで追い込まれた時に感じる悲しみであろうか。
彼女の「嘆きの歌」の表現は、悲しみを表現しようとして演奏しているのではなく、彼女が元々持っている心の底にある悲しみが自然に表出されたものであるといっても過言ではないと思う。
作曲者であるベートーヴェンが感じたであろう感情とグリンベルクの感情が融合した極めて稀な演奏だと思います。
グリンベルクは20代の頃に体験した悲劇をきっかけに演奏活動を著しく制限され、彼女の演奏が世界に知られるようになったのは死後20年経ってからと言われています。
その録音も大半は廃盤となっており、残念です。

3番目の奏者は、27エリー・ナイ(1968年、スタジオ録音)です。
エリー・ナイ(1882~1968)の録音は、第32番の1936年の演奏を聴いたときはあまり印象に残らなかったのですが、この第31番の彼女の亡くなった年に録音された演奏を最近聴いて、驚きました。



まず86歳という高齢にもかかわらず、高音が突き抜けるような、透明な、大きく芯のある音、低音はリヒテル以上かと思われる力強い重厚な音にびっくりしました。
70歳になったら引退する音楽家も多い中で、死ぬまで現役の演奏家を通したということは素晴らしいし、なかなかできることではないですね。
高齢なのでテクニックは当然衰えているが、音の強さと響き、音楽性は最高レベルだと思います。
特に嘆きの後の再現の終わりに弾かれる次の和音の響きは他の奏者には聴けない凄みがある。



そして最後のフーガの部分は聴くものに「元気をだせ!!」というメッセージを送っているように感じます。
マリヤ・グリンベルクもエリー・ナイもそうですが、音の響きが凄いですね。聴く者の心に深く食い込んでくるような力があります。そしてピアノという楽器の持つ音の魅力を最大限に引き出している。
ポリーニやグルダのような演奏に慣れきっている方は是非聴いて欲しいですね。

4番目の奏者は、24ジョン・リル(録音年不明、スタジオ録音)です。
イギリス生まれのジョン・リルはベートーヴェンのピアノソナタやバガテルの全集を録音したベートーヴェンの研究家ですが、意外に存在は知られていないようです。
未だソナタの全曲を聴いてはいませんが、第31番に関しては第1級の演奏だと思います。



音や表現の変化が多彩であり、テクニックも細部にわたって磨きぬかれており手抜きの一切ない完成度の高い演奏です。
音は決して軽くはありません。
グリンベルクやナイとは趣きの異なる演奏ですが、きちっとした格調高い端正な演奏を好む人には聴き応えが十分にあると思います。
ギターでいうとジュリアン・ブリームのような演奏かな。グリンベルクやナイはセゴビア。

今回紹介した第31番のソナタは第32番と同様、作曲者のメッセージ性の強い曲だと思います。
だからこのメッセージ性を十分に表現できるかにより、演奏の聴き応えに差が生じるわけであり、演奏家の精神性の成熟度も要する極めて難しい曲なのだと思います。
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2013年度Nコン ブロック大会を聴きに行く

2013-09-07 22:21:27 | 合唱
こんにちは。
久しぶりに合唱曲の話題です。
毎年年に1回、NHKが主催する小、中、高校生のための合唱コンクール(略してNコンという)があります。
私はこのNコンを聴くのが楽しみで、3年前から毎年欠かさず聴いています。
全国大会は10月に開催されるのですが、それに先立ち今日地区のブロック大会がありました。
ブロック大会の演奏のライブはNコンのホームページでも見れますが、幸運にも会場の入場整理券を入手することが出来、埼玉県大宮のソニックシティホールへ行ってきました。



全国大会でないので空席が多いのではないかと思ったが、意外に一般席は満席でした。
会場はそれほど大きな広さではありませんでしたが、ホールの響きは合唱向きではないように感じました。
何校かの演奏が強く響きすぎてしまい、演奏の持ち味が相殺されてしまったように感じた。
しかしホールでのライブ演奏はインターネットでの音源を聴くのとでは雲泥の差があります。合唱曲を聴くのならライブを実際に聴きに行くべくだと思います。
2年前にも全日本合唱連盟の合唱コンクールの高校Aブロックのライブ演奏をホールで実際に聴いて、大いに感動したことがあります。
さて本日のブロック大会は関東甲信越地区で13の高校が参加しました。
この地区ブロック大会で全国大会への出場校が決まるのですが、とにかくレベルの高い演奏でした。
私が聴いた印象としては13校中7、8校は殆ど差が無かったように思います。
全国大会に選ばれた高校は、課題曲も自由曲も完成度が高いレベルに達していたと思います。
課題曲は作詞:文月悠光、作曲:新実徳英の「ここにいる」という曲でした。
詩も曲も表現するのが大変難しい曲だと思いました。
思春期の悩みと葛藤、心の闇を表現した曲だと思います。
この詩のキーワードは夜(闇)とひかりなのでしょうか。
自分の内面の闇に気づいてあげることは大人であっても非常に大切なことですね。
案外それができていないで苦しんでいる人はたくさんいます。
かつての私もそうでした。
ひしゃげて消えそうになっている遠い闇の中の自分に気づき、その存在を受け入れ、肯定するもう一人の私がいることを知る。
遠い闇の中の自分を本当に真に理解できれば、その自分に対し、おのずと風を送りこむことができる。
その風は色鮮やかな暖かいものであろう。
闇の中の自分をひかりにまで連れて行くのは自分しかいないんですね。
闇から抜け出した人ならわかると思いますが、この詩は生きづらい現代の人が、それは子どもであっても大人であっても幸福に生きられるようになるための唯一の方法を示していると思います。
私はこの詩を上のように解釈してみました。

少し暗い話になってしまいました。
さて、今日私がこのライブ演奏で印象に残った学校ですが、具体的な学校名は控えさせてもらうとして紹介すると、演奏順が2番目の東京都の高校と、9番目の山梨県の高校でした。
2番目の高校は課題曲も自由曲も心に響いてくるいい演奏だったと思います。
9番目の高校の課題曲の演奏は素晴らしかったですね。ソプラノの演奏は全学校中一番聴き応えがありました。
Nコンのホームページでライブの録画を公開しているので、これから演奏をじっくりと味合わせてもらおうと思います。
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