こんにちは。
朝晩急に冷え込むようになりました。少し風邪をひいたようです。
さてベートーヴェンのピアノソナタの鑑賞を始めてから9ヶ月。その間、素晴らしい曲や録音との出会いがあり、仕事と睡眠時間以外の大半の時間を(時には食事をしながらも)、このソナタを聴き入ることに費やしてきました。
このピアノソナタを聴くと一人間が、創造するものの凄さに驚いてしまいます。
このピアノソナタはベートーヴェンが人生の途上で味わった、しかも深く味わったであろう様々な感情をベースに作り出されているのだと感じます。
規模が大きいソナタで、これほど人の心に深く入ってくるピアノ曲はそうないと思います。
だからベートーヴェンが作曲した時に感じていた心情を演奏者自身が自分自身のものとして共有でき、音や演奏にその感情を投影できるものでないと、このソナタは聴き手を十分に満足させるものに成り得ないと思っています。
一方聴き手もベートーヴェンがこの曲で伝えたかったものを感じ取ることができないと、大きな感動を得ることはできないと思います。
特に晩年に作曲された後期のソナタは、人生経験を経た年代でないとなかなか十分に理解できないのではないか。
人は経済的に苦しまずとも精神的には苦しんでいる人もいるし、貧しくても精神的には幸福な人生を歩んでいる人もいます。
今日の新聞に先日亡くなった藤圭子さんのことを述べた記事がありましたが、彼女は幼い頃から血を吐くような貧しい生活のどん底から這い上がってスターの座をつかんだが、不運にも精神的な幸福をつかめないまま人生を閉じてしまったのではないかと思います。
精神的な不幸の最たるものは孤独感だと思います。
ベートーヴェンは早くに両親を無くし、若い頃は激しい恋愛もしたが実らず一生独身だったようです。
ベートーヴェンは作曲家でありながら耳が聴こえなくなるという悲劇を体験したが、彼のピアノソナタから聴こえてくる心情からは、この耳が聞こえないという苦悩とはまた別のものが伝わってくるようにも感じます。
もしかすると彼は深い孤独感を感じていたのかもしれません。人とのつながりに幸福感を求めながら、それを得ることができない葛藤に苦しんでいたのかもしれません。
耳が聞こえない苦しみだけではこのピアノソナタのような名曲は決して生まれなかったと思います。
前置きが長くなりましたが、ピアノソナタの名盤の紹介の3回目は第1番、Op.2-1、ヘ短調、1794-1795年作曲です。
22歳でウィーンに出てハイドンに師事し、その2年後に作曲されたこの曲は師であるハイドンに捧げられており、当時はベートーヴェンはピアニストとしても活動していたようです。
古典的形式のソナタで、4楽章の構成をとりますが、各楽章の演奏時間は短いです。
第1楽章はシンプルな形式で憶えやすい曲ですが、やや陰鬱な感じもします。
下記の譜面のようにスフォルツアンドやスタッカート、トリルを多用して曲想に変化を付けているのが特徴です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/2f/45f9150d05ce3749de8621120fdaa9e3.jpg)
最後の力強いフォルテシモの和音の連続はピアノの音の魅力を十分に伝えてくれる。
第2楽章アダージョは、長調の明るく美しく穏やかな旋律が続きますが、下の譜面に示すように伴奏部の音に陰鬱な暗い影を感じる箇所が何箇所か出てきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/41/35c71b813b5f4b68a2f08acd49f68050.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/9b/571bf767e6065133485f5544f9ec3616.jpg)
このような表現がさりげなく現れる部分がベートーヴェンのこの時代の心情を反映していると思います。
この曲が単なる美しいだけで終わっておらず、何かひっかるものを残すのはこのためだと思います。
第3楽章メヌエットは4分の3拍子の軽快な曲ですが、前半はやはり陰鬱さを感じさせるものの、フォルテシモのユニゾンの後のトリルが続く部分は突き刺すような情熱も感じます。後半のトリオは一転して明るい雰囲気となり、高音部の重音が続く部分はとても美しいハーモニーを感じます。
第4楽章プレスティシモは激しい情熱的な部分と、古典的雰囲気のする穏やかな旋律が続く部分が対照的な曲ですが、この楽章でも軽快なアルペジオの中に不安定感を覗かせるような旋律が現れます。
このソナタ第1番はシンプルとも言える構成で分かりやすい曲ですが、明るさ、情熱、穏やかさ、軽快さといった主旋律に下に、時折暗い影が現れ、それがこの曲に深みを与えていると思います。
もしこの暗い影が無かったならばこの曲は軽いだけの記憶に残らない曲だったかもしれません。
さてこの曲の録音ですが、第1番は録音が少なく、ピアノソナタ全集を出している演奏家のものが殆どです。私が聴いたのは以下です。
①アルトゥール・シュナーベル(1934年、スタジオ録音)
②フリードリヒ・グルダ(1968年、スタジオ録音)
③ヴィルヘルム・バックハウス(1964年、スタジオ録音)
④ディーター・ツェヒリン(1968年、スタジオ録音)
⑤マリヤ・グリンベルグ(1966年、スタジオ録音)
⑥マリヤ・グリンベルグ(1959年、スタジオ録音)
⑦マリヤ・グリンベルグ(1961年、スタジオ録音)
⑧ヴィルヘルム・ケンプ(1951~56年、スタジオ録音)
⑨ヴィルヘルム・ケンプ(1964年、スタジオ録音)
⑩エリック・ハイドシェク(1967~1973年、スタジオ録音)
⑪タチアナ・ニコラーエワ(1984年、ライブ録音)
⑫ジョン・リル(録音年不明、スタジオ録音)
⑬グレン・グールド(1980年?、スタジオ録音)
⑭アンネ・エランド(2001年、スタジオ録音)
⑮イーヴ・ナット(1955年、スタジオ録音)
全員がピアノソナタの全曲を録音した人ですね。
私がこの中で選んだこの第1番の名盤は次の3枚です。
1.⑥マリヤ・グリンベルグ(1959年、スタジオ録音)
マリヤ・グリンベルクのことは以前のブログでも紹介しましたが、ロシアの女流ピアニストで、死後20年経ってやっと日本に紹介され、その偉大さが認められた演奏家。
ロシアで初めてベートーヴェンのピアノソナタ全曲を録音し、ロシアのメロディア社から1970年にそのレコードが出た。
このメロディアに録音された彼女の演奏が⑤の1966年のものであるが、残念ながら彼女の最盛期(1950年代から1960年代初め)を過ぎた演奏であり、名盤としてとりあげるのは見送りました。youtubeで聴けるのはこの録音ですね。
しかし彼女がこの全曲演奏をする前にモスクワ放送に残っていた音源をデンオンが1990年代後半にCD化した録音があり、この演奏は私が聴いた中では最も素晴らしく、強い感動を得られるものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/ff/1809592f66a67b1867575d2ac46123fe.jpg)
1959年にモスクワ放送のラジオで放送されたと思われるこの録音は、編集録音ではなく、一発録音またはライブ演奏の録音だったのではないかと思います。
ミスの無い完成度の高いテクニックにまず驚きますが、彼女の演奏から泉のように湧いて出てくる生命力、精神的エネルギーに強く感動を覚えます。
そしてピアノの音が素晴らしい!。美しく芯のある高音、音が強くても弱くても重厚で延びのある低音。感情が乗り移ったような音。
彼女の演奏から歌が聴こえてくるように感じます。
器楽演奏にとって、音は最も重要な要素だと思います。
演奏家も年を取れば誰しも技巧は衰えるのは避けられないが、音だけは進化するものだと思います。
グリンベルクも先のメロディアの録音は良くないものもあるが、この録音を終えた1968年から1971年のラジオかテレビ放送から録音されたものには、素晴らしい音が聴けるものもあります。
また1974年の晩年のライブ録音も聴きましたが、シューベルトのピアノ曲で聴かせた音は最盛期の音よりも純度が増しているように感じた。
ギターのセゴビアがそうでしたが、偉大な音楽家の晩年の魅力は音や音楽性の素晴らしさを伝えてくれるところにあると思います。
2.⑦マリヤ・グリンベルグ(1961年、スタジオ録音)
グリンベルクが練習者の教育用に解説と共に模範演奏を録音したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/f5/0e17395896c923eff585a9df6d62891f.jpg)
曲の最初から最後まで彼女自身がピアノを弾きながらポイントを解説した貴重な録音です。
彼女の話す声はとても魅力があります。淀みなく流暢であり、穏やかであり、自信に満ちた落ち着きがあります。国際コンクールを受ける学生たちが自分の教授の目を盗んでグリンベルクに教えを求め、コンクールに備えたという事実が公然の秘密となっていた理由がわかるような気がします。
1959年の録音から2年経っての録音ですが、同じく素晴らしいものです。
グリンベルクは1930年代に後に述べるアルトゥール・シュナーベルのモスクワ公演を聴いてからベートーヴェンの世界に入り込み、以来長きに渡りベートーヴェンのピアノ曲の研究に没頭したと言われています。
3.①アルトゥール・シュナーベル(1934年、スタジオ録音)
1930年代の古い録音であるが、素晴らしい演奏です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b7/96fae7a5e4812eb213379b25dd689ccf.jpg)
シュナーベルのこの曲の演奏を楽譜と照らして聴いてみると、意外に極めて楽譜に忠実に演奏していることに気づきます。
しかしこの楽譜に忠実と言うのはただ譜面に記載された情報を機械的に表現するというのでは全くなく、作曲者の表現したかった心情や芸術性を理解した解釈、演奏になっているということです。
シュナーベルの演奏も音に魅力があります。特に低音は誰にも出せない彼独自の音があります。
SPの時代なので当然編集録音など無く、一発録音でしょうから終楽章の終わり近くに音を外している部分がありますが、全然気にならないのは彼の弾く音楽性が強いためであろう。
ここに選んだ録音以外にもいいと思えるものもありましたが、例えば②のグルダがそうなのですが、音にどうしても魅力を感じられない。
音が軽くて心に深く届いてこない。軽快で恐らくトップクラスであろうと思われるテクニックと演奏解釈も超一流で素晴らしいが、肝心の器楽の要であるピアノの音の魅力が伝わってきません。
またびっくりしたのは⑬のグレン・グールドの録音。
これを初めて聴いたとき「ふざけるな」と思ったくらいですね。とにかく彼独自の独善的な解釈で弾いていますが、聴き手によっては好きになるかもしれません。グールドが真剣に弾いているのか遊びで弾いているのかわからない演奏。
そのくらい特異な演奏で、第2楽章の最後の和音などは、本当にふざけていると思ってしまう。しかし恐らくではあるがグールドにとっては最良の選択で解釈した演奏なのではないかと思う。
【追記20130929】
・イーヴ・ナットを入れ忘れていたので追加しました。
・グレン・グールドはソナタ全曲を録音していないようですね。
朝晩急に冷え込むようになりました。少し風邪をひいたようです。
さてベートーヴェンのピアノソナタの鑑賞を始めてから9ヶ月。その間、素晴らしい曲や録音との出会いがあり、仕事と睡眠時間以外の大半の時間を(時には食事をしながらも)、このソナタを聴き入ることに費やしてきました。
このピアノソナタを聴くと一人間が、創造するものの凄さに驚いてしまいます。
このピアノソナタはベートーヴェンが人生の途上で味わった、しかも深く味わったであろう様々な感情をベースに作り出されているのだと感じます。
規模が大きいソナタで、これほど人の心に深く入ってくるピアノ曲はそうないと思います。
だからベートーヴェンが作曲した時に感じていた心情を演奏者自身が自分自身のものとして共有でき、音や演奏にその感情を投影できるものでないと、このソナタは聴き手を十分に満足させるものに成り得ないと思っています。
一方聴き手もベートーヴェンがこの曲で伝えたかったものを感じ取ることができないと、大きな感動を得ることはできないと思います。
特に晩年に作曲された後期のソナタは、人生経験を経た年代でないとなかなか十分に理解できないのではないか。
人は経済的に苦しまずとも精神的には苦しんでいる人もいるし、貧しくても精神的には幸福な人生を歩んでいる人もいます。
今日の新聞に先日亡くなった藤圭子さんのことを述べた記事がありましたが、彼女は幼い頃から血を吐くような貧しい生活のどん底から這い上がってスターの座をつかんだが、不運にも精神的な幸福をつかめないまま人生を閉じてしまったのではないかと思います。
精神的な不幸の最たるものは孤独感だと思います。
ベートーヴェンは早くに両親を無くし、若い頃は激しい恋愛もしたが実らず一生独身だったようです。
ベートーヴェンは作曲家でありながら耳が聴こえなくなるという悲劇を体験したが、彼のピアノソナタから聴こえてくる心情からは、この耳が聞こえないという苦悩とはまた別のものが伝わってくるようにも感じます。
もしかすると彼は深い孤独感を感じていたのかもしれません。人とのつながりに幸福感を求めながら、それを得ることができない葛藤に苦しんでいたのかもしれません。
耳が聞こえない苦しみだけではこのピアノソナタのような名曲は決して生まれなかったと思います。
前置きが長くなりましたが、ピアノソナタの名盤の紹介の3回目は第1番、Op.2-1、ヘ短調、1794-1795年作曲です。
22歳でウィーンに出てハイドンに師事し、その2年後に作曲されたこの曲は師であるハイドンに捧げられており、当時はベートーヴェンはピアニストとしても活動していたようです。
古典的形式のソナタで、4楽章の構成をとりますが、各楽章の演奏時間は短いです。
第1楽章はシンプルな形式で憶えやすい曲ですが、やや陰鬱な感じもします。
下記の譜面のようにスフォルツアンドやスタッカート、トリルを多用して曲想に変化を付けているのが特徴です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/2f/45f9150d05ce3749de8621120fdaa9e3.jpg)
最後の力強いフォルテシモの和音の連続はピアノの音の魅力を十分に伝えてくれる。
第2楽章アダージョは、長調の明るく美しく穏やかな旋律が続きますが、下の譜面に示すように伴奏部の音に陰鬱な暗い影を感じる箇所が何箇所か出てきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/41/35c71b813b5f4b68a2f08acd49f68050.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/9b/571bf767e6065133485f5544f9ec3616.jpg)
このような表現がさりげなく現れる部分がベートーヴェンのこの時代の心情を反映していると思います。
この曲が単なる美しいだけで終わっておらず、何かひっかるものを残すのはこのためだと思います。
第3楽章メヌエットは4分の3拍子の軽快な曲ですが、前半はやはり陰鬱さを感じさせるものの、フォルテシモのユニゾンの後のトリルが続く部分は突き刺すような情熱も感じます。後半のトリオは一転して明るい雰囲気となり、高音部の重音が続く部分はとても美しいハーモニーを感じます。
第4楽章プレスティシモは激しい情熱的な部分と、古典的雰囲気のする穏やかな旋律が続く部分が対照的な曲ですが、この楽章でも軽快なアルペジオの中に不安定感を覗かせるような旋律が現れます。
このソナタ第1番はシンプルとも言える構成で分かりやすい曲ですが、明るさ、情熱、穏やかさ、軽快さといった主旋律に下に、時折暗い影が現れ、それがこの曲に深みを与えていると思います。
もしこの暗い影が無かったならばこの曲は軽いだけの記憶に残らない曲だったかもしれません。
さてこの曲の録音ですが、第1番は録音が少なく、ピアノソナタ全集を出している演奏家のものが殆どです。私が聴いたのは以下です。
①アルトゥール・シュナーベル(1934年、スタジオ録音)
②フリードリヒ・グルダ(1968年、スタジオ録音)
③ヴィルヘルム・バックハウス(1964年、スタジオ録音)
④ディーター・ツェヒリン(1968年、スタジオ録音)
⑤マリヤ・グリンベルグ(1966年、スタジオ録音)
⑥マリヤ・グリンベルグ(1959年、スタジオ録音)
⑦マリヤ・グリンベルグ(1961年、スタジオ録音)
⑧ヴィルヘルム・ケンプ(1951~56年、スタジオ録音)
⑨ヴィルヘルム・ケンプ(1964年、スタジオ録音)
⑩エリック・ハイドシェク(1967~1973年、スタジオ録音)
⑪タチアナ・ニコラーエワ(1984年、ライブ録音)
⑫ジョン・リル(録音年不明、スタジオ録音)
⑬グレン・グールド(1980年?、スタジオ録音)
⑭アンネ・エランド(2001年、スタジオ録音)
⑮イーヴ・ナット(1955年、スタジオ録音)
全員がピアノソナタの全曲を録音した人ですね。
私がこの中で選んだこの第1番の名盤は次の3枚です。
1.⑥マリヤ・グリンベルグ(1959年、スタジオ録音)
マリヤ・グリンベルクのことは以前のブログでも紹介しましたが、ロシアの女流ピアニストで、死後20年経ってやっと日本に紹介され、その偉大さが認められた演奏家。
ロシアで初めてベートーヴェンのピアノソナタ全曲を録音し、ロシアのメロディア社から1970年にそのレコードが出た。
このメロディアに録音された彼女の演奏が⑤の1966年のものであるが、残念ながら彼女の最盛期(1950年代から1960年代初め)を過ぎた演奏であり、名盤としてとりあげるのは見送りました。youtubeで聴けるのはこの録音ですね。
しかし彼女がこの全曲演奏をする前にモスクワ放送に残っていた音源をデンオンが1990年代後半にCD化した録音があり、この演奏は私が聴いた中では最も素晴らしく、強い感動を得られるものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/ff/1809592f66a67b1867575d2ac46123fe.jpg)
1959年にモスクワ放送のラジオで放送されたと思われるこの録音は、編集録音ではなく、一発録音またはライブ演奏の録音だったのではないかと思います。
ミスの無い完成度の高いテクニックにまず驚きますが、彼女の演奏から泉のように湧いて出てくる生命力、精神的エネルギーに強く感動を覚えます。
そしてピアノの音が素晴らしい!。美しく芯のある高音、音が強くても弱くても重厚で延びのある低音。感情が乗り移ったような音。
彼女の演奏から歌が聴こえてくるように感じます。
器楽演奏にとって、音は最も重要な要素だと思います。
演奏家も年を取れば誰しも技巧は衰えるのは避けられないが、音だけは進化するものだと思います。
グリンベルクも先のメロディアの録音は良くないものもあるが、この録音を終えた1968年から1971年のラジオかテレビ放送から録音されたものには、素晴らしい音が聴けるものもあります。
また1974年の晩年のライブ録音も聴きましたが、シューベルトのピアノ曲で聴かせた音は最盛期の音よりも純度が増しているように感じた。
ギターのセゴビアがそうでしたが、偉大な音楽家の晩年の魅力は音や音楽性の素晴らしさを伝えてくれるところにあると思います。
2.⑦マリヤ・グリンベルグ(1961年、スタジオ録音)
グリンベルクが練習者の教育用に解説と共に模範演奏を録音したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/f5/0e17395896c923eff585a9df6d62891f.jpg)
曲の最初から最後まで彼女自身がピアノを弾きながらポイントを解説した貴重な録音です。
彼女の話す声はとても魅力があります。淀みなく流暢であり、穏やかであり、自信に満ちた落ち着きがあります。国際コンクールを受ける学生たちが自分の教授の目を盗んでグリンベルクに教えを求め、コンクールに備えたという事実が公然の秘密となっていた理由がわかるような気がします。
1959年の録音から2年経っての録音ですが、同じく素晴らしいものです。
グリンベルクは1930年代に後に述べるアルトゥール・シュナーベルのモスクワ公演を聴いてからベートーヴェンの世界に入り込み、以来長きに渡りベートーヴェンのピアノ曲の研究に没頭したと言われています。
3.①アルトゥール・シュナーベル(1934年、スタジオ録音)
1930年代の古い録音であるが、素晴らしい演奏です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/b7/96fae7a5e4812eb213379b25dd689ccf.jpg)
シュナーベルのこの曲の演奏を楽譜と照らして聴いてみると、意外に極めて楽譜に忠実に演奏していることに気づきます。
しかしこの楽譜に忠実と言うのはただ譜面に記載された情報を機械的に表現するというのでは全くなく、作曲者の表現したかった心情や芸術性を理解した解釈、演奏になっているということです。
シュナーベルの演奏も音に魅力があります。特に低音は誰にも出せない彼独自の音があります。
SPの時代なので当然編集録音など無く、一発録音でしょうから終楽章の終わり近くに音を外している部分がありますが、全然気にならないのは彼の弾く音楽性が強いためであろう。
ここに選んだ録音以外にもいいと思えるものもありましたが、例えば②のグルダがそうなのですが、音にどうしても魅力を感じられない。
音が軽くて心に深く届いてこない。軽快で恐らくトップクラスであろうと思われるテクニックと演奏解釈も超一流で素晴らしいが、肝心の器楽の要であるピアノの音の魅力が伝わってきません。
またびっくりしたのは⑬のグレン・グールドの録音。
これを初めて聴いたとき「ふざけるな」と思ったくらいですね。とにかく彼独自の独善的な解釈で弾いていますが、聴き手によっては好きになるかもしれません。グールドが真剣に弾いているのか遊びで弾いているのかわからない演奏。
そのくらい特異な演奏で、第2楽章の最後の和音などは、本当にふざけていると思ってしまう。しかし恐らくではあるがグールドにとっては最良の選択で解釈した演奏なのではないかと思う。
【追記20130929】
・イーヴ・ナットを入れ忘れていたので追加しました。
・グレン・グールドはソナタ全曲を録音していないようですね。