緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

静かな夜に(14)-合唱曲1曲-

2020-05-22 21:15:23 | 合唱
今年のNコン(第87回大会)が中止になったことが、昨日か一昨日の新聞に載っていた。
練習していた生徒たちはがっかりだろうな。
自分もNコン大好き人間なのでとても残念だ。

今になって在宅勤務が増えてきて、音楽を聴く時間が増えた。
昨日はNコンの、平成3、10.16、18年度の全国大会の録音CDを立て続けに聴いてしまった。

Nコンの過去の録音はフォンテックから出ているCDが昭和63年度大会から出ているが、全て聴いた。
その多くは廃盤であるが、中古でも見かけるのは極めて稀で、結構苦労して入手してきた。
その集めた過去の全国大会のCDを聴いてみると、平成3年あたりから平成21年くらいまでの曲や演奏に素晴らしいものが多い。
その鑑賞の成果を以前、「マイ・ベスト10」という記事でまとめたことがある。

昨日聴いたCDの演奏の中ではやはり平成10年度大会が良かった。
課題曲が優れているからである。
ここ数年のNコン課題曲は、いっちゃ悪いけど素人のような方の作品だと感じることが多くなった。
課題曲がつまらない。
それに比べて、平成21年くらいまでの課題曲の中には優れた、歴史に残るような名曲とも言うべき曲を見出すことができる。
その一つが、今日紹介する「また、あした」(作詞:島田雅彦 作曲:三枝成彰)なのだ。
平成15年大会の課題曲(「あしたは、どこから」も素晴らしかったが、この「また、あした」も私の中ではトップクラスの曲である。
「あしたは、どこから」と同様、これほど詩と曲が完全に融合した作品はないのではないだろうか。
この「また、あした」の詩を読んで、この詩の生まれる元となった島田雅彦氏の小説を文庫本で買って読んだこともあった。
独特の詩だ。
「世界はまた少し、残酷になっていく」、「たとえ世界が勝ったとしても、君は決して負けないだろう」。
初めて聴いて、まず印象に残った言葉たちだ。

思春期の多感な少年(中学生?)の気持ちを歌ったものであるが、この気持ちを最も自然で素直に、かつ音楽性の高い表現力で演奏した唯一の高等学校が福島県立安積女子高等学校であった。
この安積女子高等学校の「また、あした」の演奏は、Nコン史上においても屈指の名演として評価され続けるであろう。

この詩と曲の持つ感情に、完全に同化した演奏である。
その音楽の持つ根源的とも言うべき感情に同化できる能力や素質がないと、長きに渡って多くの人の心を動かすような演奏を生むことは不可能であろう。
このような困難な作業を成し遂げた学校の演奏こそが最も高く評価されてしかるべきであるが、この作業の困難性は傍からみても分からない。
たいていは、頭で組み立てられた、表面的に上手く歌おうとする演奏に気が向いてしまう。
聴き比べしてみると分かるが、表面的に上手く歌おうとする演奏は、ときに部分的に美しかったり、力強かったりする音色に出会うことがあり、その部分に関しては魅力を感じることがあるが、何か肝心なものが欠けているといつも感じる。
それは何か、表面は綺麗で魅力的なのだが、最も大切な、魂の抜けたようなものに感じる。
だから1回聴いただけで、それ以上聴きたいという気持ちが起きないのである。

演奏者たちの根源的感情を引き出し、音楽の持つ感情に完全に同化させる。
これほど難しい作業はないであろう。
しかし、極めて困難なこの作業を成し遂げた演奏のみが、多くの人の心の深層にまで到達し、眠っていた強い感情を呼び覚ますことが出来るのである。

幸いにも、Youtubeにこの全国大会の、福島県立安積女子高等学校の演奏録画が投稿されていた。
是非この演奏を聴いて、そして演奏者たちの歌う姿、歌う表情を見て、その放出される感情を受け止めてみて欲しい。

また、あした 福島県立安積女子高等学校(金賞)

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