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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

みなしごのバラードの楽器編成を知る

2025-06-09 00:01:46 | アニメ

今日見たGメン75の第80話は現代では見ることの出来ない登場人物たちによる迫真の演技によるものであったが、またあまりにも悲しいストーリーでもあった。

この番組の中でも名作のうちに数えられるものであろう。

Gメン75のエンディングテーマ曲はこのようなストーリーと同じく悲しく虚しくなるよう曲想なのだが、菊池俊輔さんという方が作曲していて、何とこの菊池俊輔さんはアニメの超名作「タイガーマスク」のエンディングテーマ曲「みなしごのバラード」を作曲した方であることを最近知った。

 

今日Gメンを見た後で「みなしごのバラード」をYoutubeでたまたま見つけたが、2番までのバージョンのものがあった。

 

テレビ漫画「タイガー・マスク」から みなしごのバラード 新田 洋(森本英世)

 

ちなみにこの曲をよく聴いてみると、アコースティックギター2本、ウッドベース1本、ハーモニカ1本というシンプルな楽器編成であることが分かった。

ギターの2本目はわずかにしか聞こえてこない。

1本目はアルペジオであるがものすごくインパクトのある音だ。最後の単音の上昇と弾きおろしの和音はギター弾きであれば一度聴いたら忘れられないであろう。

そしてハーモニカ。

とくに、1番と2番の間に挿入されるハーモニカの音は聴く者の心を打つ。

人間のどうすることも出来ない宿命としての悲しさのようなものが伝わってくる。

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岩重孝 作「うち、若葉!」を読む

2022-02-26 00:32:14 | アニメ
今夜は講習会で親しくなった方とラインセッション。
その後、ふと随分昔に読んだマンガのことを思い出し、そのマンガの作家の作品をアマゾンで見つけて読んでみた。

岩重孝 作「うち、若葉!」。

岩重孝という名前を聞いて知っている方は恐らく殆どいないのではないか。
私がこの作家の代表作に出会ったのが大学1年生の時。
中学時代の友達の家に遊びに行ったときに、友達から見せてもらったマンガがきっかけだった。
そのマンガとは、「ぼっけもん」。

九州、鹿児島出身の大学生が東京の夜間大学でおんぼろアパートに住み、アルバイトをしながら様々な人たちと交流を重ねて成長している姿を描いた作品で、私の中では名作とも言える存在のマンガだ。
友達の家で初めて読んでから惹き込まれ、その後何冊かコミックを買ったのだが、4,5巻を読んだところで中断してしまった。

浅井という不器用だけど曲がったことが嫌いな九州男児の主人公、恋人で気が強くしっかりもので優秀な西本(?)加奈子、頼りになり親友、泉、がさつだけど人のいい太士郎(漢字は忘れた)、それから故郷鹿児島の高校時代の親友、白石、川辺、米森といった名前がよみがえってくる。

このマンガのことが忘れられずに、30代の前半の頃だったと思うけど、まだインターネットが無かった時に、古本屋を地道に探して残りの巻を少しずつ買い集め、全14巻を完読した。今から20年以上前のことだ。

この14巻は今でも保管してあるが押し入れの奥の方にしまい込んでいるので、容易には取り出せない。明日明後日の休日に引っ張り出して読んでみたい。

今日、この岩重孝の数少ない作品の中で、「うち、若葉!」を読んだ。
昭和40年代から50年代前半の頃であろうか。
日本が最もいい時代だった頃だ。

「うちの家は 小さな港町の 昔は運河だったドブ川を500メートルほどさかのぼった町工場街で ささやかに定食屋を営んでいる」
この定食屋の高校生の少女が主人公だ。
気が強く男勝りだが、純粋で気持ちが真っすぐな優しい女の子の周辺で起きるさまざまな出来事を誇張も装飾もなく、実直なほどの表現スタイルを貫いているが、貧しくも社会の底辺で日々を一生懸命生きている人々に対する暖かい気持ちが行間に滲み出ている。

この定食屋。私も学生時代によく利用した定食屋に共通したものを感じる。
狭くて小汚いが、何故かそこにいるだけで気持ちが安らぐものを感じる、貧乏学生の私に帰り際にいくら入りのおにぎりを握って渡してくれたあのおかみさん。
20数年振りで再会したときはすっかり耳が遠くなってしまっていたが、メニューの「焼肉定食」とみそ汁の味は全く変わっていなかった。
そして確か2015年に訪れたときには廃業していた。

また工場勤務時代、毎週金曜日にある町に出かける用事があって、その帰りに立ち寄った、狭くて小汚い中華料理屋。
60歳くらいの夫婦でやっていた店だが、その時も黙々とマンガを読みながら食べている私に、毎回小鉢をサービスしてくれた。

こういう定食屋が好きだ。
金持ちや小ぎれいな人が入るような店ではない。でも人情がある。
食べ物にしても何にしても、高級品ばかりに目が行くようになったら、恐らく心は反比例するように貧しくなっていくと思う。
1年に2,3回、寿司やトンカツが食べれるくらいの生活が最も豊かなのだと教えてくれているような気がする。





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マンガ「聲の形」を読む

2020-09-06 20:58:11 | アニメ
7月31日にテレビで放映された、アニメ映画「聲の形」が思いの外いい内容だったので、その後原作のマンガ(コミック全7巻)を中古で買って読んでみた。
昨日完読したが買ってよかった。
アニメ映画はだいぶストーリーを省略していたが、原作(大今良時)はもっと細かいニュアンスが描かれている。
アニメとマンガで決定的に異なるのは、アニメの方が高校最後の学園祭以降、成人式までの日々をカットしていることだ。
ただ、私はアニメの終わり方、とくにラストシーンはマンガよりも優れていると感じた。
このアニメのラストシーンは素晴らしい描写だった。
このラストシーンこそこの作品の最も根幹となるテーマの完結を意味しているからだ。

この作品の舞台となる学校生活はとても過酷に思える。
恐らく現代の学校生活というものはこのようなものなのだろう。
裏切り、不信、悪意、狡猾といったものが渦巻いている。
人の心を深く傷つけることが平然と何の良心の呵責も無く行われているし、しかも容認されている。
ものを隠す、落書きをするなど、実行者が特定されないことを計算のうえで実行する。
卑怯なやり口が当たり前のように認められている。

1970年代までは確かにあった子供らしい純粋な気持ちを持つことがある意味で危険だということが分かる。
仲良しグループだったのに、ある日突然、何のいわれも無く無視され、孤立していく。
取っ組み合いのケンカが無くなった代わりに、陰湿ないじめや嫌がらせが横行するようになった。
この作品の中では、主人公や聴覚障害の少女を始め、描かれている苦悩は生々しく、読むのがつらくなってくる場面もある。

人間不信になって当然の社会だ。
不登校や引きこもりが拡大するのも無理はない。
私がもしこの今の時代に少年時代を送ったとしたら、不登校となるに違いない。

しかしこの作品はこの過酷な学校環境の中で、いかに人間信頼を取り戻し、自分を肯定し、他人を愛することができる人間にまで成長するために何が必要なのか、という問いを提示する。

ここに登場する人物は、主人公を含め、程度の差があれ、過去にトラウマや傷を抱え、そういう自分を嫌い、憎み、悲しみを抱えながらも世の中との関わり合いの中で逃げずに生きていくことを選択する。

とくに主人公が小学校時代に聴覚障害の少女をいじめた報いとは言え、逆に理不尽な制裁やいじめを受け人間不信となり、自己嫌悪に心が支配されるなか、中学、高校と学校内で誰とも交流を持たず孤立する学校生活を送る。
しかしこの主人公は覚悟を決めた捨て身の行動がきっかけとなり、人間性と人に対する信頼を取り戻していく。

いや、この主人公はどんなに過酷な環境に置かれても、心に奥底に埋もれていた「良心」という人間性を失うことはなかった。
心の最も深いところに埋没していた「良心」に反応する人たちが現れた。
その人たちも癒し難いトラウマを抱えていたが、彼らが主人公のこの抑圧されていた「良心」を無意識的に引き出していく。
これこそが人間の意識の枠を超えた根源的な本能なのだと思い知らされる。

人は愛されなかったとき、大きな選択を強いられる。
愛されなかった人は、心に大きなダメージを受けている。
心の癒し難い傷の解決方法として、ときに人は大きな過ちを犯す。

①他人を傷つけることで解決しようとする。
②自分を責め、自分を傷つけることで解決しようとする。
③傷に真正面から向き合い、本質的な解決を行おうとする。

①と②の違いは何であろうか。
それは人間的な「良心」あるか否かではないか。
それは小さいときに少しでも愛情がはぐくまれた経験があるかないかによって決まるのではないか。
②は人間的な良心を自ら捨てることが出来なかった。
②は心が破壊され(言い方を変えれば自ら心を破壊し)、最後に自殺する。
自らの命と引き換えに「良心」を守り通す。

主人公は②の選択をしたが、あるきっかけで③の方向に向かう。
このきっかけは偶然のように見えて、そうとは思えない。
埋没していた「良心」がこの主人公を突き動かし、最後に「捨て身の決断」をしたからである。

この作品は、自分を裸にし、真正面からぶつかっていかないと、決して人との信頼関係を得られないことを随所に強調している。
ぶざまでも、悪くても、未熟でも、おのれの真の姿を受け入れ、相手に真正面からぶつかっていく強さを持つことの大切さを訴えていることが伝わってくる。

物質的に豊かになった反面、精神的には昔よりはるかに生きにくくなった現代社会。
人間が人間性を失わずに生きていくために、どうしたらよいのか、愛されなかった人間はどう生きていったらよいのか、という問いかけに対する本質的な答えを提示した貴重な作品だと評価したい。

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アニメ「聲の形」のコミック買った

2020-08-22 22:33:58 | アニメ
先日テレビのアニメ映画で見た「聲の形」という作品が意外にもいい作品で感動ものだったので、原作のコミック版をアマゾンの中古本で買って読んでみることにした。



まだ読み始めたばかりだけど、映画版とはストーリーが少し違うようだ。
一か月くらい前にアマゾンプライムで見た「君の脾臓をたべたい」も、原作にほぼ忠実だというアニメ版も後で見たが、けっこうストーリーが違っていた。
映画化された作品にはよくあることらしいが、君の脾臓のほうは両方それぞれ持ち味があり良かった。
「聲の形」の方はどうか。
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アニメ1本見る

2020-08-01 21:33:58 | アニメ
昨日の夜のこと、いつもは殆どテレビを見ないのだが、何気なく新聞のテレビ番組欄をみたら、「聲の形」というアニメが9時から始まるので見てみようという気持ちになった。
このアニメはあの惨事が起きた京都アニメーションの制作によるものだった。

意外にも、今風の普通のアニメとは違っていた。
最初は期待していなかったが、見るうちに惹き込まれていった。
主人公の少年はガキ大将だった小学校時代のふるまいが元で、その後学校で孤立するようになり、高校時代は学校の中でたった一人、孤独に耐える生活を送っていた。
その様をアニメの映像では、周囲の学校の生徒たちの顔に「✖」印を付けて描いていたが、その映像が印象的というか、ぞっとするというのか、いずれにしても、私の高校時代の学校生活を想起させ、心に痛みを感じさせた。

その後、恐喝事件をきっかけに出会った同学年の男子生徒や、小学校時代にいじめた聴覚障害の同級生だった女子生徒との交流をきっかけに、数人の生徒たちと心を通わすようになる。
そしてアニメのシーンでは、心が通じるようになった人間の顔のみ、「✖」印が剥がれていった。

ストーリーはこの辺にしておくが、このアニメの主人公である男子生徒や聴覚障害の女子生徒、とくに男子生徒の心理描写に凄いものを感じた。
ラストシーンが素晴らしく、ずっと長く記憶から消えることはないであろう。

この男子生徒は、周囲の人間に心を閉ざし、周りの人間たちが楽しそうにしている中ででも、孤独に耐える生き方を選択した。
彼は張り裂けそうな孤独を感じながらも、それでもあえて自分を裏切り、自分を見失う生き方をしなかった。

それにしても、人の凍った心を溶かす、こじれてしまった心を解きほぐす、ということは人の本当の気持ち(こういうのを真心というのか)でしか実現できない、ということを改めて感じさせられる。

そしてこのアニメは、今の難しい時代にあって、このような奇跡にも近い体験というものが、自分の本当の姿をさらけだし、真正面からストレートにぶつかっていかなければ得られないものであることを教えてくれる。
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