こんにちは。晩秋が終わり寒い冬に移ろうとしています。
今日何気なくレコードの束を覗いていたら、原博の「21のエチュード」題するピアノ曲が出てきたので、これを聴くことにしました。
原博の曲との出会いは今から10年以上前でしょうか、ギター曲で「挽歌」という曲の楽譜を買ったときです。
ちょうど邦人作曲家のギター曲を探し求めていた頃で、東京目白のギタルラ社で見つけました。この楽譜を買ったとき、たまたまギタルラ社の社長が店にいて、「この曲はものすごくいい曲ですよ。」と絶賛していたのが思い出されます。また原博が数年前に亡くなったことも教えてくれました。
家に帰って実際に弾いてみると、たしかにものすごくいい曲でした。この曲は過去に弾いてきた曲の中でも思い入れのある曲ですね。元々ギターアンサンブルの中のある楽章を作曲家自身が独奏曲用に編曲したものですが、ギタルラ社の社長の強い勧めもあったようです。この曲は東京国際ギターコンクールの本選課題曲にもなりました。
原博のギター曲は挽歌以外に「オフランド」という曲があります。挽歌が叙情性の濃い作風なのに対し、オフランドは前奏曲とフーガで構成される古典形式の曲。後で紹介するピアノ曲「24の前奏曲とフーガ」(1980~1981年)の直後に作曲されたことから、25曲目の前奏曲とフーガともいわれています。
原博のギター独奏曲で出版されたものは以上の2曲です。少ないですね。なぜもっとギターに関心を向けて作曲してくれなかったのか。多分原博に作曲を働きかけるギタリストが殆どいなかったからではないかと思います。現代音楽が衰退した1980年代以降、原博のような作風の曲が復活されることはなく、ギター界は安易で聴きやすい曲を求める傾向に進みました。
さて本題ですが、原博のピアノ曲はかなりあります。
最初に聴いたのがピアノソナタ第1番~第4番でしたが、結構難解な曲でした。10年くらい前に聴いたのですが、ギター曲「挽歌」のような曲想とは程遠い曲で、少しがっかりしました。現代音楽を徹底して批判した原博ですが、このピアノソナタは現代音楽的に聴こえましたね。
その後、24の前奏曲とフーガという曲があることを知り、CDを買おうと思いつつ、機会を逃してしまって廃盤となってしまった。2年くらい前に中古でCDを見つけました。
この曲集はじっくり聴くと聴き応えがあると思います。前奏曲とフーガというとバッハやショスタコーヴィチを思い浮かびますが、原博独自の音楽だと思います。この曲集を高く評価する人もいます。
今日聴いたのは5年くらい前に買った古い中古レコードで「ピアノのための21のエチュード」と題するものですが、ピアノの初級から中級にかけての学習者のために作曲された曲集ですが、短くもなかなか味わいのある曲です。演奏者は原博のピアノ曲を多く取り上げてきた北川暁子氏によるもの。
初級の練習曲というと形式的なつまらない音楽が多いのですが、このエチュードは音楽的に鑑賞を楽しめるレベルの高い音楽だと思います。
第1曲目の「オルゴール」は晩年に作曲された60のバガテルの中の1曲「悲歌」の元になった曲だと思います。悲歌を思わせる旋律が現れます。シンプルすぎるほどシンプルですが、繊細な曲です。
印象に残ったのは、No,12「木陰の夢」とNo.21「ロンド・メランコリック」。
「木陰の夢」を聴くと、遠い昔、1960年代から1970年代半ば頃を思い出します。何かその頃に聴いた音楽がかすかに感じられるのです。この21のエチュードが作曲されたのが1966年ですから、当時の時代の空気が曲に込められているのかもしれません。今の時代ではとても創作できないこの頃の日本の抒情を感じることができます。
原博はピアノ曲で60曲からなる叙情的小曲集も作曲しています。この曲集は元は60のバガテルと呼ばれていましたが、後で1曲ごとに題名が付けられ叙情的小曲集という呼び方に変わりました。
原博はこの21のエチュードのレコードの解説で次のように述べています。「このエチュード集では実験的な意味での野心的なこころみは一切しませんでした。(中略)もしこれらの曲集がある意味で野心的であるとするなら、それは新式でないということを決しておそれないこと、喜び悲しみ諧謔激情など、すべての情動にわたって自由であり、感じたことを感じたままに表現するという音楽のもっとも本来的な基本にしたがうということにあります。」
これが原博の音楽に対する信念です。彼は伝統的な機能調性で音楽を作ることに徹底的にこだわりました。彼は12音階技法や無調で作られたものを決して音楽であると認めませんでした。
しかし無調の音楽でも彼が言った「すべての情動にわたって自由であり、感じたことを感じたままに表現するという音楽のもっとも本来的な基本にしたがう」音楽は実際にあるのです。
私はどんな音楽技法を用いようと、人間の根源的な情動を表現することは可能だと思っています。機能調性を使うか無調を使うかは音楽家の信念によると思います。徹底した無調音楽で人間の心の闇を表現した作曲家がいます。
自分の信念にもとづき創作に集中するならば、自分の信念とは相反する音楽は自分には関係ないものとして放っておけるのではないか。自分と異質なものが大勢を占めていたとしても、その中で自分独自の創造だけを見つめるならば、その創造物は比類のない原石のような輝きを放ったに違いありません。
原博が現代音楽を徹底して批判するエネルギーを自らの音楽の創造に向けていたならば、もっと素晴らしい音楽を作ることができたのではないか。
今日何気なくレコードの束を覗いていたら、原博の「21のエチュード」題するピアノ曲が出てきたので、これを聴くことにしました。
原博の曲との出会いは今から10年以上前でしょうか、ギター曲で「挽歌」という曲の楽譜を買ったときです。
ちょうど邦人作曲家のギター曲を探し求めていた頃で、東京目白のギタルラ社で見つけました。この楽譜を買ったとき、たまたまギタルラ社の社長が店にいて、「この曲はものすごくいい曲ですよ。」と絶賛していたのが思い出されます。また原博が数年前に亡くなったことも教えてくれました。
家に帰って実際に弾いてみると、たしかにものすごくいい曲でした。この曲は過去に弾いてきた曲の中でも思い入れのある曲ですね。元々ギターアンサンブルの中のある楽章を作曲家自身が独奏曲用に編曲したものですが、ギタルラ社の社長の強い勧めもあったようです。この曲は東京国際ギターコンクールの本選課題曲にもなりました。
原博のギター曲は挽歌以外に「オフランド」という曲があります。挽歌が叙情性の濃い作風なのに対し、オフランドは前奏曲とフーガで構成される古典形式の曲。後で紹介するピアノ曲「24の前奏曲とフーガ」(1980~1981年)の直後に作曲されたことから、25曲目の前奏曲とフーガともいわれています。
原博のギター独奏曲で出版されたものは以上の2曲です。少ないですね。なぜもっとギターに関心を向けて作曲してくれなかったのか。多分原博に作曲を働きかけるギタリストが殆どいなかったからではないかと思います。現代音楽が衰退した1980年代以降、原博のような作風の曲が復活されることはなく、ギター界は安易で聴きやすい曲を求める傾向に進みました。
さて本題ですが、原博のピアノ曲はかなりあります。
最初に聴いたのがピアノソナタ第1番~第4番でしたが、結構難解な曲でした。10年くらい前に聴いたのですが、ギター曲「挽歌」のような曲想とは程遠い曲で、少しがっかりしました。現代音楽を徹底して批判した原博ですが、このピアノソナタは現代音楽的に聴こえましたね。
その後、24の前奏曲とフーガという曲があることを知り、CDを買おうと思いつつ、機会を逃してしまって廃盤となってしまった。2年くらい前に中古でCDを見つけました。
この曲集はじっくり聴くと聴き応えがあると思います。前奏曲とフーガというとバッハやショスタコーヴィチを思い浮かびますが、原博独自の音楽だと思います。この曲集を高く評価する人もいます。
今日聴いたのは5年くらい前に買った古い中古レコードで「ピアノのための21のエチュード」と題するものですが、ピアノの初級から中級にかけての学習者のために作曲された曲集ですが、短くもなかなか味わいのある曲です。演奏者は原博のピアノ曲を多く取り上げてきた北川暁子氏によるもの。
初級の練習曲というと形式的なつまらない音楽が多いのですが、このエチュードは音楽的に鑑賞を楽しめるレベルの高い音楽だと思います。
第1曲目の「オルゴール」は晩年に作曲された60のバガテルの中の1曲「悲歌」の元になった曲だと思います。悲歌を思わせる旋律が現れます。シンプルすぎるほどシンプルですが、繊細な曲です。
印象に残ったのは、No,12「木陰の夢」とNo.21「ロンド・メランコリック」。
「木陰の夢」を聴くと、遠い昔、1960年代から1970年代半ば頃を思い出します。何かその頃に聴いた音楽がかすかに感じられるのです。この21のエチュードが作曲されたのが1966年ですから、当時の時代の空気が曲に込められているのかもしれません。今の時代ではとても創作できないこの頃の日本の抒情を感じることができます。
原博はピアノ曲で60曲からなる叙情的小曲集も作曲しています。この曲集は元は60のバガテルと呼ばれていましたが、後で1曲ごとに題名が付けられ叙情的小曲集という呼び方に変わりました。
原博はこの21のエチュードのレコードの解説で次のように述べています。「このエチュード集では実験的な意味での野心的なこころみは一切しませんでした。(中略)もしこれらの曲集がある意味で野心的であるとするなら、それは新式でないということを決しておそれないこと、喜び悲しみ諧謔激情など、すべての情動にわたって自由であり、感じたことを感じたままに表現するという音楽のもっとも本来的な基本にしたがうということにあります。」
これが原博の音楽に対する信念です。彼は伝統的な機能調性で音楽を作ることに徹底的にこだわりました。彼は12音階技法や無調で作られたものを決して音楽であると認めませんでした。
しかし無調の音楽でも彼が言った「すべての情動にわたって自由であり、感じたことを感じたままに表現するという音楽のもっとも本来的な基本にしたがう」音楽は実際にあるのです。
私はどんな音楽技法を用いようと、人間の根源的な情動を表現することは可能だと思っています。機能調性を使うか無調を使うかは音楽家の信念によると思います。徹底した無調音楽で人間の心の闇を表現した作曲家がいます。
自分の信念にもとづき創作に集中するならば、自分の信念とは相反する音楽は自分には関係ないものとして放っておけるのではないか。自分と異質なものが大勢を占めていたとしても、その中で自分独自の創造だけを見つめるならば、その創造物は比類のない原石のような輝きを放ったに違いありません。
原博が現代音楽を徹底して批判するエネルギーを自らの音楽の創造に向けていたならば、もっと素晴らしい音楽を作ることができたのではないか。