最近、英語の勉強を再開しようと思っている。
英語の勉強は大学一年生までであった。仕事で英語を使う機会が無かったこともあるが、それ以来本格的に勉強することはなかった。
英語の勉強といっても英会話ではなく英文読解である。
英語で会話をしたいとは思わない。人と英会話をするより、英文を読みたい。
ちょっと難解な英文の意味が分かったときの「やった!」という気持ちが好きなのである。
CDの輸入版にはたいてい英語での解説文が付いているが、今までは読むことはなかった。辞書片手に英文と格闘すれば、半分くらいの意味は分かるかもしれない。しかしそんな面倒なことはしようと考えもしなかった。
CDの解説文もいいけど、英文学や英語の原書を読んで、先の「意味が分かった時の感激」を楽しもうと思うのである。
働き盛りの年代ではまだまだ仕事に大半の時間を消費し、何かを勉強をしようと思ってもなかなか時間を取ることはできない。しかし毎日少しづつやっていけば参考書の1冊も数か月で完読できるはずだ。
先日「会計学の名著」という記事で紹介した「ギルマン会計学」という専門書、上中下巻3冊を1か月半で完読した。意味の分からない箇所もかなりあったが、とにかく毎日少しの時間(トイレに入っている時でも)を利用して読み続けると、結構進んでいけるものだ。
英語は昔から好きだったわけではない。
英語を始めたのは中学時代からであるが、これがまた苦痛であった。そして嫌いであった。
嫌いになったのは、次第に文の意味が分からなくなっていったからである。基礎的な段階でつまずくと、その後は殆ど意味がわからなくなっていき、2年生、3年生と進むにつれ、お手上げの状態になってしまうのだ。
単語だけの暗記でなんとか5段階評価の2を維持していた。
中学3年生になって受験が心配になりだした。それでも1学期までは部活動をやったり結構のんびりやっていた。
ある日、中学校生活最後の夏休みに入る直前に行われた模試の結果が返ってきた。結果は5教科500満点中230点程であった。
かなり落胆した。その採点表を親に見せて判子をもらって学校に提出しなければならないのであるが、とても見せられるわけはなく、親が寝た後に、そっと引き出しを開けて判子を取り出し、自分で押して学校に出した。
2学期になり次第に寒くなり始めた頃、英語の勉強をどうやったらよいか分からなかった私は、苦し紛れに「赤尾の豆単」という単語集を買った。とにかく単語だけ覚えればなんとかなると考えたのである。
この「豆単」で単語を必死に覚えた。しかし一向に試験の成績は良くならなかった。そしてその原因も分からなかった。
志望校は当初オール3程度の高校を目指した。オール3のレベルとはテストの点数でいうと500満点中300点くらいである。
3年生2学期から猛勉強を始めた。夜中の2時~3時半までやった。模試も280点から良くて300点くらいまで上がってきた。
第一志望校のランクはぎりぎりであったが、リスクはあった。3年生最後の学年末テストは物凄い勉強した。
自分でも信じられないことに400点を超えた。
しかし無情にも内申書の点数は上がらなかった。先生から気に入られない劣等生はいくらテストで高点数をとっても評価してくれないことは、この時だけでなくそれ以前も経験していた。
この学年末テストで内申書が上がることに賭けていた私は、それが裏切られたことから、受験の願書を出す前日に徹夜で悩んだ末に志望校を低いランクの高校に変更した。
入学した高校はオール3よりもずっと低い、500満点中230点くらいのレベルの高校であった。
他校と暴力沙汰を起こしてクラスの3分の1が停学となるような学校である。
盗みもあった。数年前に実家に帰省した際に、この高校の卒業アルバムを見たら、卒業生全体の集合写真の前の方に大勢写っている輩が、ひどい人相の連中だったことに唖然とした。
Nコンに出場するような高校生たちとは天と地ほどの違いである。
こんな学校にしか入れなかったわけだから文句は言えないが、とにかく頑張っても報われなかったくやしさが残った。一発勝負のテストでは評価されないことを思い知った。
このくやしさからだろうか、高校に入ってもの凄く勉強に力を入れるようになった。
とは言っても英語は豆単しかやってなかったので、高校の定期テストは暗記の力で高得点は取れても、業者が実施する学力テストでは歯が立たなかった。この学力テストでは点数が低かった。
英語が何故思うようにできないのかこの時点ではまだわからなかったが、高校生になってしばらくして学校から貰った福武書店(現ベネッセ)の高校通信講座の小冊子を読んでみたところ、大学合格者の合格体験記が紹介されており、その中で役に立った英語の参考書として「総解英文法」(高梨健吉著、美誠社)という本が紹介されていた。
この大学生はこの参考書のことを絶賛していたので、私は藁をもすがる気持ちで、札幌の紀伊国屋書店へ行き、早速この「総解英文法」を買った。高校1年生の冬休みの直前のことである。
この本は700ページ以上もある分厚い本であるが、まえがきで著者が、単なるページの多さにたじろぐことなく、地道にやっていけば英語の学力は飛躍的に高まるであろう、と述べており、それを信じて読み始めた。
最初の1ページから惹き付けられた。まず英文を読み、理解するには、文の仕組み、すなわち英文法の基礎を理解していなければならないことを、このとき初めて身をもって理解した。
豆単でいくら単語を覚えても英文が理解できない理由がこの本を読み始めて分かってきた。
そして面白いほどのスピードでこの本を読み進めていった。
この本をやればやるほど英文が理解できるようになっていった。中学時代あれほど嫌いだった英語が好きに感じるまでになった。そして低い点数しか取れなかった業者の学力テストも点数が飛躍的に上がった。
高校2年生になって、夏休みに入る直前にこの本と同じ著者で姉妹書である「英語構文の研究」という参考書を紀伊国屋書店で買った。その時のことはよく覚えている。
この「英語構文の研究」で英文読解の楽しみを覚えた。練習問題で数行の英文を訳していくのが楽しかった。そしてこの本で学んだことをベースに、英語の原書にも挑戦した。選んだのはアガサクリスティの「アクロイド殺人事件」である。当時話題となっていた人気推理小説であった。
中学生まで大学に行こうなどとは思ってもいなかったが、しょうもない高校の中にいながらも大学に行こうと決め始めていた。
大学入試のためにこの本以外にも試験対策用の参考書もやってみたが、やはりこの「総解英文法」が最高の完成度であった。この本は間違いなく名著にふさわしい。
1970年初版であるので、半世紀近く前に書かれた本であるが、古さは全く感じられない。
数年前に八重洲ブックセンターでこの本を見かけたが、今でも売っているのだろうか。高校生の参考書としては超ロングセラーである。
冒頭で述べたように、最近また英語の勉強を再開しようと思っているのだが、まず高校時代に使っていたこの「総解英文法」を一通りやり、それから「英語構文の研究」をやっていこうと考えている。
高校時代にこの参考書を勉強した時の楽しさを思い出しながら。
そしてこれらの本を読み終えたら、英文解釈の専門書を読もうと思う。これはもう20年くらい前から読みたいと思っていたのだが、大きな書店で見かける英文解釈専門の面白そうな参考書なのである。高校生のためというより、大学生向けに書かれた本である。
そしてこの専門書を終えたら、英語研究の雑誌を定期購読しようと思う。高校生の時、一度だけ研究社から出ていた高校生向けの英語雑誌を買って読んでみたことがあるが、面白く、この時の記憶があるからだ。
思うに英語は文の仕組みが分からないから、意味がわからなくなり、嫌いになっていくのである。
英語を日常使う環境にいれば、わざわざ文法を意識していなくても無意識のうちに文の使い方、法則は身についていくであろう。
しかし英語を日常語として使用していないのならば、意識して文のしくみを覚えないと英文を理解することは出来ない。
「総解英文法」はまさにこのことを教えてくれた本であり、私の高校生から以後の人生に大きな影響を与えてくれたといっても過言ではない。
【追記(20150321)】
高梨健吉著「総解英文法」(美誠社)が、東京新宿の紀伊国屋書店に1冊のみ売っていました。定価1,400円。
装丁は全く昔のままで、改定もなされていませんでした。
それにしても驚くほどの超ロングセラー。
貧弱で仰々しい装丁ばかり氾濫した英語参考書のなかで、この「総解英文法」がひときわ異彩を放っていた。
それからブログの本文で触れた「英文解釈専門の面白そうな参考書」とは、「英文解釈考」佐々木高政著(金子書房)であることがわかった。
佐々木高政といえば、高校3年生の時に、大学受験の一次試験が終わった後に、二次試験対策として勉強した「和文英訳の修業」という参考書が思い出される。
英語の勉強は大学一年生までであった。仕事で英語を使う機会が無かったこともあるが、それ以来本格的に勉強することはなかった。
英語の勉強といっても英会話ではなく英文読解である。
英語で会話をしたいとは思わない。人と英会話をするより、英文を読みたい。
ちょっと難解な英文の意味が分かったときの「やった!」という気持ちが好きなのである。
CDの輸入版にはたいてい英語での解説文が付いているが、今までは読むことはなかった。辞書片手に英文と格闘すれば、半分くらいの意味は分かるかもしれない。しかしそんな面倒なことはしようと考えもしなかった。
CDの解説文もいいけど、英文学や英語の原書を読んで、先の「意味が分かった時の感激」を楽しもうと思うのである。
働き盛りの年代ではまだまだ仕事に大半の時間を消費し、何かを勉強をしようと思ってもなかなか時間を取ることはできない。しかし毎日少しづつやっていけば参考書の1冊も数か月で完読できるはずだ。
先日「会計学の名著」という記事で紹介した「ギルマン会計学」という専門書、上中下巻3冊を1か月半で完読した。意味の分からない箇所もかなりあったが、とにかく毎日少しの時間(トイレに入っている時でも)を利用して読み続けると、結構進んでいけるものだ。
英語は昔から好きだったわけではない。
英語を始めたのは中学時代からであるが、これがまた苦痛であった。そして嫌いであった。
嫌いになったのは、次第に文の意味が分からなくなっていったからである。基礎的な段階でつまずくと、その後は殆ど意味がわからなくなっていき、2年生、3年生と進むにつれ、お手上げの状態になってしまうのだ。
単語だけの暗記でなんとか5段階評価の2を維持していた。
中学3年生になって受験が心配になりだした。それでも1学期までは部活動をやったり結構のんびりやっていた。
ある日、中学校生活最後の夏休みに入る直前に行われた模試の結果が返ってきた。結果は5教科500満点中230点程であった。
かなり落胆した。その採点表を親に見せて判子をもらって学校に提出しなければならないのであるが、とても見せられるわけはなく、親が寝た後に、そっと引き出しを開けて判子を取り出し、自分で押して学校に出した。
2学期になり次第に寒くなり始めた頃、英語の勉強をどうやったらよいか分からなかった私は、苦し紛れに「赤尾の豆単」という単語集を買った。とにかく単語だけ覚えればなんとかなると考えたのである。
この「豆単」で単語を必死に覚えた。しかし一向に試験の成績は良くならなかった。そしてその原因も分からなかった。
志望校は当初オール3程度の高校を目指した。オール3のレベルとはテストの点数でいうと500満点中300点くらいである。
3年生2学期から猛勉強を始めた。夜中の2時~3時半までやった。模試も280点から良くて300点くらいまで上がってきた。
第一志望校のランクはぎりぎりであったが、リスクはあった。3年生最後の学年末テストは物凄い勉強した。
自分でも信じられないことに400点を超えた。
しかし無情にも内申書の点数は上がらなかった。先生から気に入られない劣等生はいくらテストで高点数をとっても評価してくれないことは、この時だけでなくそれ以前も経験していた。
この学年末テストで内申書が上がることに賭けていた私は、それが裏切られたことから、受験の願書を出す前日に徹夜で悩んだ末に志望校を低いランクの高校に変更した。
入学した高校はオール3よりもずっと低い、500満点中230点くらいのレベルの高校であった。
他校と暴力沙汰を起こしてクラスの3分の1が停学となるような学校である。
盗みもあった。数年前に実家に帰省した際に、この高校の卒業アルバムを見たら、卒業生全体の集合写真の前の方に大勢写っている輩が、ひどい人相の連中だったことに唖然とした。
Nコンに出場するような高校生たちとは天と地ほどの違いである。
こんな学校にしか入れなかったわけだから文句は言えないが、とにかく頑張っても報われなかったくやしさが残った。一発勝負のテストでは評価されないことを思い知った。
このくやしさからだろうか、高校に入ってもの凄く勉強に力を入れるようになった。
とは言っても英語は豆単しかやってなかったので、高校の定期テストは暗記の力で高得点は取れても、業者が実施する学力テストでは歯が立たなかった。この学力テストでは点数が低かった。
英語が何故思うようにできないのかこの時点ではまだわからなかったが、高校生になってしばらくして学校から貰った福武書店(現ベネッセ)の高校通信講座の小冊子を読んでみたところ、大学合格者の合格体験記が紹介されており、その中で役に立った英語の参考書として「総解英文法」(高梨健吉著、美誠社)という本が紹介されていた。
この大学生はこの参考書のことを絶賛していたので、私は藁をもすがる気持ちで、札幌の紀伊国屋書店へ行き、早速この「総解英文法」を買った。高校1年生の冬休みの直前のことである。
この本は700ページ以上もある分厚い本であるが、まえがきで著者が、単なるページの多さにたじろぐことなく、地道にやっていけば英語の学力は飛躍的に高まるであろう、と述べており、それを信じて読み始めた。
最初の1ページから惹き付けられた。まず英文を読み、理解するには、文の仕組み、すなわち英文法の基礎を理解していなければならないことを、このとき初めて身をもって理解した。
豆単でいくら単語を覚えても英文が理解できない理由がこの本を読み始めて分かってきた。
そして面白いほどのスピードでこの本を読み進めていった。
この本をやればやるほど英文が理解できるようになっていった。中学時代あれほど嫌いだった英語が好きに感じるまでになった。そして低い点数しか取れなかった業者の学力テストも点数が飛躍的に上がった。
高校2年生になって、夏休みに入る直前にこの本と同じ著者で姉妹書である「英語構文の研究」という参考書を紀伊国屋書店で買った。その時のことはよく覚えている。
この「英語構文の研究」で英文読解の楽しみを覚えた。練習問題で数行の英文を訳していくのが楽しかった。そしてこの本で学んだことをベースに、英語の原書にも挑戦した。選んだのはアガサクリスティの「アクロイド殺人事件」である。当時話題となっていた人気推理小説であった。
中学生まで大学に行こうなどとは思ってもいなかったが、しょうもない高校の中にいながらも大学に行こうと決め始めていた。
大学入試のためにこの本以外にも試験対策用の参考書もやってみたが、やはりこの「総解英文法」が最高の完成度であった。この本は間違いなく名著にふさわしい。
1970年初版であるので、半世紀近く前に書かれた本であるが、古さは全く感じられない。
数年前に八重洲ブックセンターでこの本を見かけたが、今でも売っているのだろうか。高校生の参考書としては超ロングセラーである。
冒頭で述べたように、最近また英語の勉強を再開しようと思っているのだが、まず高校時代に使っていたこの「総解英文法」を一通りやり、それから「英語構文の研究」をやっていこうと考えている。
高校時代にこの参考書を勉強した時の楽しさを思い出しながら。
そしてこれらの本を読み終えたら、英文解釈の専門書を読もうと思う。これはもう20年くらい前から読みたいと思っていたのだが、大きな書店で見かける英文解釈専門の面白そうな参考書なのである。高校生のためというより、大学生向けに書かれた本である。
そしてこの専門書を終えたら、英語研究の雑誌を定期購読しようと思う。高校生の時、一度だけ研究社から出ていた高校生向けの英語雑誌を買って読んでみたことがあるが、面白く、この時の記憶があるからだ。
思うに英語は文の仕組みが分からないから、意味がわからなくなり、嫌いになっていくのである。
英語を日常使う環境にいれば、わざわざ文法を意識していなくても無意識のうちに文の使い方、法則は身についていくであろう。
しかし英語を日常語として使用していないのならば、意識して文のしくみを覚えないと英文を理解することは出来ない。
「総解英文法」はまさにこのことを教えてくれた本であり、私の高校生から以後の人生に大きな影響を与えてくれたといっても過言ではない。
【追記(20150321)】
高梨健吉著「総解英文法」(美誠社)が、東京新宿の紀伊国屋書店に1冊のみ売っていました。定価1,400円。
装丁は全く昔のままで、改定もなされていませんでした。
それにしても驚くほどの超ロングセラー。
貧弱で仰々しい装丁ばかり氾濫した英語参考書のなかで、この「総解英文法」がひときわ異彩を放っていた。
それからブログの本文で触れた「英文解釈専門の面白そうな参考書」とは、「英文解釈考」佐々木高政著(金子書房)であることがわかった。
佐々木高政といえば、高校3年生の時に、大学受験の一次試験が終わった後に、二次試験対策として勉強した「和文英訳の修業」という参考書が思い出される。