緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

懐かしい! あみん 「待つわ」を聴く

2017-10-29 00:37:47 | その他の音楽
今日の朝刊の付録に1982年9月のヒット曲を紹介する記事が載っていた。
圧倒的トップが、「あみん」の「待つわ」であった。
先ほどYoutubeでこの曲を見つけ、35年ぶりで聴いた。

1982年といえば私が大学生となった頃だ。
18歳で一人暮らしを始めてまもない頃、隣室の住人の部屋からひっきりなしにこの曲が流れていた。
馬鹿の一つ覚えみたいに何度もこの曲を繰り返し流していたから、よっぽどこの曲が好きだったのであろう。
おかげで、歌謡曲など全く興味がなかった私もこの曲を覚えてしまったし、内心、この曲はいい曲だな、と思っていた。

あみんの岡村孝子と加藤晴子も前年の1981年に名古屋の大学に入学したというから同世代だ。
岡村孝子と加藤晴子は入学直後、履修届で偶然に前後の席に座り、岡本さんが話しかけた相手が加藤さんだったという。
共に同じ出身地で意気投合したという。

岡村さんは幼い頃からピアノを習い、音楽教師を目指していたが、高校時代にさだまさしの曲を聴き、シンガー・ソングライターになる夢を抱いた。
自作の曲(待つわ)を加藤さんに聴かせると「すごくいい」と言われ、ポプコンを目指し猛練習、ポプコン本選で見事グランプリを獲得、1982年7月にデビューするとたちまちヒットチャートを駆け上がった。

新聞記事によると、岡村さんが作詞、作曲したこの「待つわ」という曲は、予備校で出会ったボーイフレンドとの遠距離恋愛消えかけた時の心境を謳ったものだと言う。

Youtubeでの演奏を見ていると、普段着のような服を着て、派手な振り付けもせず、黙々と真面目に歌う彼女たちの姿には、「芸能界」というものは全く感じられないし、寄せ付けないものを感じる。

彼女たちの歌う姿には、筋の通った信念のようなものすら伝わってくる。
普通の女子大生が、ただ純粋に自分たちの歌を伝えたい、その気持ちしか感じられないところが新鮮だったし、そのことが多くの若い人たちに受け入れられた。
芸能界で彼女たちのような歌手が極くわずかな期間であったがいたことに今もって驚く。





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アリス・ゴメス作曲「ジターノ」(マリンバ独奏:能登弓美子)を聴く

2017-10-28 22:31:35 | その他の音楽
マリンバという楽器をクラシック音楽で強く意識するようになったのは、伊福部昭作曲のオーケストラとマリンバのための「ラウダ・コンチェルタータ」を聴いたときだった。
この曲の初演(1979年、マリンバ独奏:安倍圭子、山田一雄指揮、新星日響)のライブ録音だった。
マリンバの起源はアフリカだと言われているが、現在の楽器の形になったのは、中南米のグアテマラやメキシコが最初だそうだ。
今日聴いた、「ジターノ(GITANO)」という曲の作曲者であるアリス・ゴメス(Alice Gomez)は、メキシコ系米国人の女流作曲家であり、自らのルーツを辿るうちに、さまざまな民族に古くから伝わるメロディを採集するようになり、メキシコ先住民の音楽スピリットをベースにした独自のサウンドを構築したという(タワーレコードのプロフィールから引用)。
マリンバ独奏は能登弓美子。

今日、三善晃のマリンバ曲を探している過程でこの曲に出会った。
この「ジターノ」という曲は純クラシック音楽ではないが、民族性の強い曲だ。
「ラウダ・コンチェルタータ」を聴いた時もそうであったが、マリンバの音楽やそこから聴こえてくるリズムは、現代人の眠っている根源的な魂ともいうべきものに直截的に働きかける力を持っている。
それだけ原始的、蛮性的な要素を秘めているのではないかと思う。

「ジターノ」という曲の前半部は日本の祭りで聞こえてくる太鼓のリズムもイメージされる。
しかしマリンバという楽器はとても難しそうだ。
マレットとよばれる4本のばちで器用に操作して板を叩いていく。
その音は、やわらかく自然な木の出す音であり、「ジターノ」の後半部は癒しの効果も感じた。

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武満徹作曲「小さな空」(ピアノ編曲版)を聴く

2017-10-22 21:13:23 | ピアノ
今日、何気なくYoutubeを見ていたら、武満徹作曲「小さな空」のピアノ編曲版に出会った。
この曲のオリジナルは恐らく合唱曲であろうが、以前このブログでも記事にしたことがあった。

アマチュアの方が自宅で録音したものであるが、自分で編曲したのであろうか。
素朴でいい演奏だ。



武満徹が30代半ばに作詞・作曲した曲だという。
1960年代半ばであろう。武満徹は私の親と同世代の方だった。
曲を聴くと確かにこの時代のことが感じられてくる。
今の時代にはもはや感じることの出来なくなった、懐かしい何かが。

この時代から70年代にかけて、日本が最も成長した時代。
活気があって、生きているという実感を感じることができた。
活気があったが、今のような、人よりも先に先にと急ごうとする競争主義、合理主義はなかった。
人の気持ちに余裕があったのかな。
この時代には、とても優しい人がたくさんいた。
心が純粋というのか、人を傷つけることが絶対できないような人たちがたくさんいた。

この曲を聴くと、普段感じることのない、その昔に体験した様々なことを、自分の中に甦らせる。
私がこの時代に生きたことは自分にとっては大きなことだったと思う。

今の時代を嫌悪しているわけではない。
しかし、この「小さな空」のような作品が生まれなくなったのも事実だ。
今現在の作品を楽しむこともいいが、このような古い時代の音楽、作品に触れて、この時代の人たちの感性を感じとってみるのもいいと思う。


1 青空みたら 綿のような雲が
  悲しみをのせて 飛んでいった
  いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
  こどもの頃を 憶いだした

2 夕空みたら 教会の窓の
  ステンドグラスが 真赤に燃えてた
  いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
  こどもの頃を 憶いだしたた

3 夜空をみたら 小さな星が
  涙のように 光っていた
  いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
  こどもの頃を 憶いだした  
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簿記学の名著(2)

2017-10-14 22:42:07 | 学問
大学で原価計算、管理会計を専攻し、就職後30年以上、殆どこの分野の仕事をしてきた。
原価計算、管理会計に関心を持ったきっかけは、高校時代に勉強ばかりしていた反動で大学入学後、授業に殆ど出ずに自堕落な生活を送っていた時に、ある本と出会ったことによる。
この本との出会いは、その後の私の人生を変えた。
その本とは、沼田嘉穂著「簿記教科書」であった。
この本の出会いについてのいきさつは3年ほど前の記事で書いた。

2年生で簿記学の単位を落とし落第した私は、当時の大学のテキストであったこの「簿記教科書」をもう一度、一からまじめにやり直すことにした。
この書物の著者の強い信念、自説に対する絶対的な自信に感動した私は、この「簿記教科書」を基礎にして、会計学、原価計算、管理会計とむさぼるように本や論文を読むようになっていった。
そして3年生になり、ゼミは原価計算、管理会計を選んだ。
大学4年生(留年したので5年目であったが)になってから卒業論文に着手し、大学図書館の地下の書庫に入って論文を読みふけった。
卒論は原稿用紙300枚を超えた。テーマは、企業における多目標追求行動と予算管理についてであった。
このころには大学時代の前半の自分とは別人のようになっていた。
学問をする喜びを、この図書館の誰もいない書庫で論文を探しながら感じていたのを30年以上たった今でも思いだす。

沼田嘉穂の本は「簿記教科書」以外に、「会計教科書」、そして社会人になって「原価計算・工業簿記教科書」、「企業会計原則を裁く」を読んだ。
「原価計算・工業簿記教科書」は30歳くらいの時に、2、3か月かけて精読し、記帳練習帳もすべてやり遂げた。

30歳を過ぎた頃であろうか。
図書館である会計学者のエッセイ本をたまたま見つけ、立ち読みした。
会計なんとか記とかいうタイトルの本だったと思う。
会計学者のように、あまり企業に貢献していない方がこのようなエッセイ本を出すのはあまり好きではないが、この本の中に「ある会計学者の死」と題する記事が目を惹いた。
読み進めると、この「ある会計学者」とは沼田嘉穂のことであった。
このエッセイの著者は沼田嘉穂のことを悪口とまで言わないまでも、結構棘のあるようなことを書いていた。
しかしこの著者は沼田嘉穂の著作のうち、「帳簿組織」という本を絶賛していた。
これが今日紹介する、簿記学の名著「帳簿組織」なのである。

この「帳簿組織」という本の存在を知った私は早速読みたくなり、古書店などでこの本を探したが見つからず、国会図書館でかろうじてマイクロフィルムで閲覧することができた。
しかしその後もこの本を思い出したときに探し続け、今回やっと古本で入手したのである。





昭和45年初版。
「日本図書館協会選定図書」と箱の上部に記載されている。
この箱のイラストがまたいい。
帳簿をイメージした簡素なイラストであるが、地味ながら均整のとれた美しいデザインだ。
このような一見目立たないけど、存在感のあるイラストを本で見ることは少なくなった。
箱から本を引き出し、その表表紙、裏表紙の質感を見る。
昔の本は上質の素材を使用している。

この本の最大の特徴は、簿記学の理論は「簿記教科書」に譲り、徹底した実務に徹した内容になっていることである。
企業の諸活動を実行する組織、活動記録としての原始証憑類、帳簿等の有機的関連と運用の流れについて膨大な事例、イラスト、図表、フローチャートにより説明している。
まず会計学者が企業の詳細な実務の内容、具体的な証憑、帳簿類、内部組織の構造と実務の流れについて具体的かつ詳細に説明できることに驚嘆する。
実際に企業に勤務し、帳簿組織の実務に精通している人でないと書けないほどのレベルだ。
日本の会計学や原価計算などの大学の先生は、実務を経験していないから過去の学者の学説を学びそれを踏襲し、ごくわずかに自分の意見を述べるにとどまっている。
だから市販されているテキストの殆どは似たり寄ったりで独創性に乏しく、資格試験対策には役立っても、実務にはほとんど使えない。
この沼田嘉穂の「帳簿組織」は徹底した実務への貢献を意図して書かれている。
すなわち、企業が既存の帳簿組織の上に改めて有効な帳簿組織を導入しようとするとき、また会社を興し、会計制度を導入しようとするときの指針になるばかりではなく、具体的にどのような証憑、帳簿を用意し、その個々の証憑、帳簿類をどの組織の誰が作成、誰が責任を負うべきかまで参考にできるよう配慮している。

昭和45年刊なので、まだ幼稚な事務用機械処理機(パンチカードによるもの)が導入された頃であり、基本的には帳簿類は古さが感じられるのは否めないが、現代において帳票類が電子化されても帳簿組織の仕組み自体は基本的に変わっていない。
私の勤め先では、仕訳帳に代わるものとして、会計仕訳を画面上で入力できるフレームワークが全部門で用意されており、借方、貸方のそれぞれに、勘定科目、原価部門、製番、金額等を入力し、その入力結果が会計システムに自動連携できる仕組みになっている。
そして全部門の会計仕訳情報が会計システムで集約され、その結果が原価計算システムに自動連携される。

私が大学に入学した頃、計算機はパンチカード式であったが、卒業する頃にはフォートランなどの言語によるプログラミングを端末(三菱電機のMELCOMという端末だったと思う)で入力し、計算できるまでに進歩していた。
その後30年以上を経て、会計処理や原価計算のシステムは高度な計算が可能になるまでめざましい進歩をした。

企業活動とは、受注、営業部門から生産部門への受注情報の伝達、生産部門での生産計画の立案、設計部門での設計、BOMによる所要量計算、購買、受入検査、保管、倉出し、製造、完成(出荷)検査、梱包、保管、出荷、売上、入金、などの一連の流れであり、現代ではこれらの業務に付随する事務処理はシステム化され、かつ有機的に連携されているが、著書「帳簿組織」はこれらの一連の企業活動の各々の業務で必要とされる帳簿と組織との関連性、業務と業務のとのつながりと帳簿、証憑類の流れ、責任区分を、特に内部統制制度を意識して解説していることに特色がある。
この本には、内部統制、内部監査、外部監査、内部牽引制度等の言葉が頻繁に出てくるが、すなわち不正が行われにくい、たとえ行われても容易に発覚されやすい、また誤謬が発見された時、その原因を短時間で効率的に究明できることを念頭に展開しているところが単なる実務書とは一線を画している。

沼田嘉穂はこの本のはしがきで、「私は簿記学の研究にあたり、常に帳簿組織を省み、これについて多くの論文を発表してきた。しかし私の研究が進展するにつれて、単に論文に止らず、帳簿組織についてのまとまった研究成果をうることを人生の目標の一つとするに至った。これは今から10年前のことである。」、「結局、本書は実質的には過去十数年にわたる私の研究と思考の結晶であり、短日月の成果ではない。」と述べている。
私はこの本をのべ10日間ほどで一気に粗読したが、まさに上記の言葉を実感する内容であった。
膨大な研究用資料を収集し、高い志を持って完成させた、まさに名著に相応しい学術書だ。

今、簿記会計や原価計算などの参考書は資格試験受験用を意図して書かれたものが殆どであり、内容はどれも似たり寄ったりで差がなく、独創性に欠ける。
一方、経営コンサルタントや公認会計士が書いたものは実務家向けを意識しているが、内容が脆弱で、これも役に立たないものが殆どである。
原価管理などを会社で展開しようとするときに、具体的にどのようなノウハウ、管理指標、帳票類を使えばよいのか、それらを導入した結果、どのような効果を得ることができるかなどについて、この「帳簿組織」と同レベルの詳細さを持って解説してくれる書物があったならば、どれだけ実務に役立てることができるだろうかと思う。







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新聞を読んで思うこと(7)

2017-10-09 21:54:56 | 時事
三連休の最終日は朝から仕事となった。
しかしNコンやスペインギターコンクールを聴きに行けたのは幸いだ。

秋に入ると何故か普段思っていることを書きたくなる。
やはり寒くなってくると調子が出てくる。
最近読んだ新聞記事で感じたことをいくつか書いてみたい。

1.日本はこれ以上経済成長しないほうがいい?

昨日の新聞の読者投稿欄で、「日本経済を成長させることは、これ以上必要なのか」と問題提起した中学生の記事が掲載されていた。
まずこの手の投稿欄に投稿する子供はたいてい大人に褒められようとする動機のものが殆どであるが、この記事はちょっと違うような気がした。同時に勇気ある方だと思った。
しかしちょっと辛口になるかもしれないが、意見を述べさせて欲しい。

この中学生の方は、「そもそも若者はこれ以上の好景気を望んでいない」、「豊かになった日本には成長はいらない、安定させた方が良案だ」、「経済成長よりも、子供の7人に1人が貧困という大問題を解決して欲しい」、「今の日本に必要なのは、安定と富の分配。もう成長の時代ではない」と言う。
正直言うと、若い人たちにこんな考えを持って欲しくない。
若い時の希望のある年代から、こんな気持ちになっていては絶対にいけない。
若い人たちをこのような心境にしてしまった我々大人たちにも責任がある。

まず日本の現在の豊かさが今後安定して続いていけるのか、ということだ。
日本の豊かさの頂点の時代は1980年代終わりから始めにかけてのバブルの時であるが、そこに至るまでには日本人の大変な努力があった。
日本が知らず知らずに、波に乗ってすいすいと繁栄したわけではない。
第二次世界大戦で負けた日本は、家族、親戚、親友、恋人、婚約者など多くの人、そして住むところを失い、廃墟となった。
生き残った人たちは死んだ人の分まで働き、日本を再生させようと死にもの狂いで頑張ってきたのである。
そして日本は高度経済成長期を経て、世界第2位の経済大国に躍り出た。
1970年代から80年代にかけて、今は死語となったが、日本のサラリーマンは「モーレツ社員」とか「企業戦士」とも言われた。
私は高度成長期の幕開けに生まれ、高度成長時代に子供時代を過ごしたが、この時代はものすごく活気にあふれていた。
この時代には、とてつもなくいい人、やさしい人がたくさんいた。
テレビドラマやアニメ、時代劇などでも不朽の名作と呼ばれる作品がたくさん作られたのもこの時代だ。
日本の技術はアメリカの模倣に始まったが、松下、東芝、ソニー、トヨタ、ホンダなどのメーカーはアメリカを追い越し、低コスト、高品質な製品で世界屈指のブランドを確立した。
日本はものづくり大国と言われ、1980年代半ばには「日本的経営」という学問分野が世界的に研究された。
このような高品質、低価格の日本製品は国内のみならず世界で爆発的に売れ、日本の貿易黒字は巨額なまでに膨らんだ。
その結果余った金を投資に回してさらに増やそうという動きが起こった。まずこの動きは始め「財テク」と呼ばれたが、後にバブル経済と呼ばれる異常な状況に入っていった。
バブルの時代に人々は余ったお金で余暇を満喫するために、各地にゴルフ場、スキー場、レジャーランドを建設した。
ちなみに現在この時代に建設された施設は廃墟と化している。Youtubeでも映像が見られる。
日本の分岐点はここだった。
この時代に政府が賢明な政策をとっていたら、冒頭の中学生が言うような7人に1人の子供が貧困、ということにはならなかったであろう。

では何故、現在、じわじわと貧困が生まれるようになったのか。
それはバブル崩壊後に、日本の人々が物に対し低価格を求めるようになったからだ。その結果、生産拠点を中国などの海外へ移したからだ。
バブル崩壊後に人々は、「いいものを、できるだけ低価格で」を価値観とするようになった。
そしてこの価値感は「価格破壊」を引き起こした。
高級品が信じらないような低価格で取引されるようになった。
それまでの「いいものは高くて当然。そのいいものを手に入れるために努力する」という価値観は無くなった。
日本経済が右肩上がりの時代は、確かに「いいものはそれなりの値段」がした。
いいもの、おいしいもの、高級なものは、値段が下がることは売れ残りのバーゲンセール以外にはありえず、それらのものを手に入れたいと思っても簡単にはいかなかった。手に入れるためにはそれ相応の努力をしなければならなかった。
しかしバブルの時代に贅沢を尽くした日本人は、努力せずともいいものを手に入れようとした。
だから供給側は人件費の安くて労働力の豊富な中国などに生産拠点を移したのである。
中国に生産拠点を移せば当然のこととして、日本の生産拠点は無くなり空洞化する。
その結果、あぶれた従業員はリストラされ、失業する。
私の勤務先も以前リストラがあった。
失業した従業員の受け皿となったのが、人材派遣業である。
1990年代にスタッフサービスという会社がやたら派手なコマーシャルを頻繁に放送していたのが思い出される。
期間限定でしかも低賃金で必要な時だけ企業に派遣するという雇用形態が出来上がった。
これがいわゆる格差社会と呼ばれるようになったきっかけである。
格差社会を作ったのは政府のせいだと、なんでも政府のせいにする人がいるが、格差社会を作ったのはわれわれ自分自身だ。
ここで日本企業は生産拠点を安易に中国にシフトしなければよかったのである。
中国に生産拠点が出来、日本企業の指導で生産が始まると、安い製品が大量に日本に入ってくるようになり、日本の中小企業が大量に倒産した。
私の勤務先の取引先もバブル崩壊後に消えていった会社がいくつもある。
そして倒産した企業のノウハウや技術が中国や韓国などに流出していった。
空洞化した日本の製造業において、ものづくりの技術力はじわりじわりと劣化するようになっていった。
当然であろう。生産拠点が無ければ技術力が育つはずがない。
最近とみに増えてきた日本のトップメーカーの不具合や組織ぐるみの不正がそれを物語っている。
自動車の巨額リコール、データ改ざん、組織的な無資格検査、不正会計、こんなことは以前の日本では全く考えられなかった。
その反面、日本などの先進国の技術指導、技術供与を受けた中国などの製品の品質が格段に向上し、もう日本に追いついてきている。日本を追い越すのは時間の問題であろう。いや既に追い越している製品もある。

つまり、日本は今後安定成長できる要素、保証など何も無いのである。
かなりの高い確率で今後の日本は悪くなっていくと思われる。
おまけに日本は金が無いどころか、1100兆円もの借金をかかえており、年々増加している。
国民一人当たり、赤ちゃんも含めて800万円以上の借金をしているのだ。
今後ますます高齢化社会が拡大し、税収が減っていくのに、どうやってこの借金を返済し、財政を健全化しようというのか。
安倍政権が、消費増税の財源の公約を破棄して、福祉や授業料無償化に充てると方針転換したが、これはもちろん現政権が加計問題などで存続が危うくなったから、それを回避するために言っているに過ぎない。

今の日本は、高度経済成長期に死にもの狂いで働き、日本を世界有数の大国にまでにした方々が築いた土台の上に乗っかって、そこの上でたいしたこともせず、先人が蓄えた有形、無形の貯蓄を食いつぶしているようなものだ。
その事実すら気付いていない。
国や人々が行き着くところまで豊かになると、「ここまで豊かになったんだから、そんなにあくせく働かなくてもいいじゃないか、勉強など頑張る必要などないじゃないか」という心境が生まれてくるのは否定できない。人間の本質と言っていい。
私が就職した頃は、大学の8割が北海道から出て、東京、大阪などに就職したが、バブルの頃からUターンとか地元就職が増えてきた。
何も、生まれ育った故郷を離れ、家族や今まで築き上げた友達や人間関係を離れて、知らない新天地に行くよりも、慣れ親しんだところにいた方がいい、というような保守的な若い人が増えた。
いつだったかのテレビ番組で、日本の大学生の海外留学の希望者は世界で非常に低いランクにあると言っていた。
バブルの頃から「ゆとり教育」が始まったが、これもつめこみ教育を是正し、大幅に教える量を減らし、ゆとりのある教育をしようとの目的だったと思うが、これも「日本はこんなに豊かな国になったのだから、そんなにがむしゃらに頑張らなくてもいいではないか。」という考え方が根底にあるのだろう。事実「ゆとり教育」は学力低下を招き、現在は消滅した。

国でも人でも、豊かさの頂点にいる時が最も危ない。
その時に行く先を誤ると取り返しのつかないことになる。
バブルに入る前に、日本は余ったお金を将来の技術開発、研究開発、教育に振り向けるべきだった。
先人たちが死にもの狂いで築き上げてきた富を食いつぶすようなことをしてはいけなかったし、そのことに気付かなければならなかった。
日本人の人件費が上昇してコストが上がって市場競争が厳しくなっても、この余った資金でもっと高付加価値の製品を開発し、他国が追従できないような技術を開発すべきであった。
そしてそのような技術を開発できる人材の教育にお金を投資すべきであった。

バブル崩壊後の日本の動きを見ていくと、現状の豊かさを維持することは先にも述べたように不可能に近い。
現状維持の考えでいると、ますます貧困が拡大していく。中国などの国々に出稼ぎに行くようになることもそう遠くはないであろう。
中国などの国は、もう日本の製品を超えるところまで来ている。
それが現実となったら、ソニー、松下、トヨタなどのブランドは、そういえば過去にそんな会社があったっけ、と言われるようになるであろう。
先人が築き上げた強固な土台が今、ガタガタと崩壊してきている。
その崩壊を食い止めるパワーは今の若者には無い。

こういう苦しい時代になっていくと、マルクス経済のような考え方が現れてくる。
すなわち、だれもが平等に富を分配されるべきだと、する考え方だ。
これは絶対に良くない。一見公平、公正のようだけど、無責任な価値観だ。弊害を度外視している。
努力する者は報われない。努力しても報われないどころか、自分よりも怠けている者に自分の稼ぎが流れていくのである。
だから次第に誰も努力しなくなる。次第に国力が低下し、貧困が拡大していく。
資源があれば別であろうが、日本にはそのようなもの無い。食料だって殆どが輸入に頼っているというのに。
人々は活気がなくなり、悲観的な考え方が蔓延するであろう。昔の東欧諸国がそうであったように。

だから今の日本は絶対に、後ろ向きな考え方になってはいけないのである。
とにかく借金で首が回らなくても、技術習得くらいは可能だ。
シルバー世代を活用して若い人に、技術を伝承する。これを草の根でやっていく。
今の若い人には品質に対する基本的見方、意識がかなり欠けている。
これを徹底的に身に付けさせていく。
コストはかけない。今ある設備を使って幅広くやっていく。
そして政府は、1億総活躍などとあいまいで抽象的なことを言わないで、日本を世界有数の技術立国にするとか、最先端の医療技術の開発を目指して、がんなどの難病を何年後に半分に減らすとか、「技術」の分野でトップを目指していくことを強力に掲げて欲しい。
かつての「ものづくり」、すなわち品質の高い、低コストの製品を大量に生産する、という方向ではもう生き残れない時代となった。
これからは他メーカー、他国がやっていない独自の技術を開発し、その「技術」を売っていけるようにならないと、日本は今の豊かさを維持できない。
「大量生産」は人件費の安い国が口を開けて待っているのだから。
もちろん「技術」の開発には、高い生産ノウハウが求められる。その付随する高い生産ノウハウも開発し、生産化後、そのノウハウも有償で他国へ提供できるようにならなければならない。
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