緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

尖閣問題を考える(6)

2012-10-28 19:51:52 | 時事
こんにちは。
尖閣問題について感じたことを書き始めてから6回目になります。
9月22日付けのブログ「尖閣問題を考える(3)」で、日本車を運転していた中国人を暴徒が十数人で取り囲み、車から強引に引きずり出し、日本車に乗っているというだけで、鉄パイプで頭を殴りつけ、その中国人を半身不随にしてしまったという記事について書いたが、24日付けの朝刊に容疑者が何故そのような行動に出たのか、その背景や動機について取材した記事が掲載されていた。



この記事によると容疑者は「愛国のために」反抗に及んだという。この「愛国のため」という考え方は、1990年代の江沢民主席の時代に行われた愛国主義教育によるものだと言う。
学校の中で抗日を題材にした教育を行うだけでなく、毎日朝から夜まで「日本軍人が殺人や略奪を繰り返すシーンを強調した抗日戦争映画やドラマ」を流し続けているという。
そしてこれらの洗脳教育を受けた若者たちには「反日=愛国」という公式が強固に植えつけられている。
先の容疑者の母親は「学校では日本人は悪いと教わり、テレビをつければドラマの多くは抗日もの。反日感情を持つなという言うのが酷だ」と言ったという。
10年くらい前であろうか、日韓同時開催となったサッカー・ワールドカップで、中国人の若者が大勢でものすごい敵意を日本人選手に向けていたのを見て驚いたことがある。
この時「戦争が終わってから何十年も経っているのに何故若い人たちが?」と不思議に感じた。中国の戦争体験者の世代よりもずっと若い世代の方がはるかに強い敵意や憎しみを持っていたからだ。
北京オリンピックの時も、バトミントンの試合で中国人の観客が試合中の日本人選手に対し、大勢で足を踏み鳴らして憎しみを表現していた。
この時も「何で今になってこんなに強い敵意を向けてくるようになったのだろう」と疑問に思ったが、この理由が徹底した反日教育の結果だと後でわかった。
この「日本に対する強い敵意や憎しみ」は第3者による意図で新たに作らされた感情、あるいは別の感情(例えば政府に対する不満)から転化されたものではないかと思う。だからどこか異様に感じられるのである。
先の容疑者の世代だって抗日教育を受けなければ今回のようなデモを起こさなかったであろう。指導者が違っていたらもっと前向きな、世界に対し開放的で友好的な感情を持てたに違いない。
過去を直視し、学ぶことは大切であるが、新たに憎しみを植えつけるような教育は間違っているし、教育の目的が政治的意図に利用されている。
江沢民ではなく、「今」の日本に目を向けられる指導者であったならば、日中関係は大きく良い方向に向かっていたであろう。
江沢民は第二次大戦のとき10代であったと思うが、その時に受けた屈辱を晴らすために日本に対し強い復讐心を抱いたに違いない。そうでなければこれほど徹底した抗日教育を行うはずがない。そしてその復讐心から経済力と軍事力を拡大し、日本を追い越し、力で支配力を行使しようと意図したのではないか。その一つの実行が、尖閣諸島を我が物にすることであろう。そこには明らかにかつて中国が日本に侵略され領土を奪われたことに対する屈辱と復讐心が感じられる。
現在なおも尖閣諸島周辺の領海に中国の公船が度々侵入していると言う。隙あらば侵略しようとしているのであろう。
新聞の投書などで今回の尖閣問題を中国と日本双方に原因があるものとしてとらえ、共同管理化などを唱える意見を目にするが、日本は中国の独断的、一方的で侵略を意図した行動に巻き込まれていると見るべきであろう。自国の領土を国有化したことに何故罪悪感を持たなければならないのか。
デモ隊に日本企業が焼き討ちに合い、商品を略奪されているのに日本人はよく我慢していると思う。しかし我慢にも限界がある。
中国政府は過去の屈辱からくる復讐心を動機に経済力、軍事力を拡大し、かつて日本を属国としてみなしていた頃の古代の大国を復活させようとしているのではないか。
中国はあと20年後にアメリカと並ぶ大国になると予測する識者もいるが、私は今の中国政府の行動が続く限り大国には絶対になれないと思う。他国の領土を平気で我が物にしようとする国に対し、経済面での交流はあっても政治的・文化的交流は発展させられない。
そして日本は個人レベルで中国と友好を築けても国家レベルでは決して友好を築けないと思う。
日本が中国と真に友好が築けるようになるためには、中国の指導者を今と全く違う民主的で未来に目を向けられる人に替えない限り無理であるといっても言い過ぎではないと思う。
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期待したい「日本再生戦略」(2)

2012-10-27 22:29:04 | 時事
こんにちは。
あと数日で11月に入りますが、未だ思ったほど寒くはありません。
北海道は夜になるとストーブを点けているそうですが。
さて25日付けの朝刊の読者投稿欄に久しぶりにいい意見が掲載されていました。
先日ノーベル賞を受賞した山中教授のiPS細胞研究についての、ある70歳代の方の投稿だったのですが、短い文面の中に建設的かつ重要な考えが述べられており、私が日頃感じていたことと同じであったこともあり共感するものでした。
投稿の概要は、「iPS細胞の研究・応用は日本経済に復活のチャンスをもたらす可能性が大きいこと」、「高速道路や新幹線も必要かもしれないが、そこにばかり国費を投入した結果、経済が衰退し、それを利用する人や物がなくなっては本末転倒だ。政府はそれよりも新たな成長産業を育成することに力を入れるべきだ」ということだ。
全く同感です。以前私のブログで書いてきましたが、今の国の1000兆円とも言われる借金の原因の多くは、この公共工事につぎ込んできたために膨らんだ言われている。
確か1990年代半ばの小渕政権の頃だったと思う。1980年代初め頃から「増税なき財政再建」を達成するべく、土光敏夫氏が中心となり必死の努力を積み重ねてきたが、ついに3%消費税が導入され、バブル崩壊後の景気対策として多額の国債を乱発して無駄な公共工事を拡大した。
公共工事は一時的に雇用を増やしたり建設業界の収益を潤すが、無駄な工事例えばダムや橋や高速道路などは、その後の巨額の維持費のために却って国民の税負担を増すことになる。
四国に何本も連絡橋を造ったが、一体どれほどの利用率だと言うのだろうか。わずかしか利用されない橋を巨額の借金をして建設し、維持費も借金でまかなわなければならないという悪循環を招く。これがいいことなのか。
北海道にも不要な高速道路が建設されたが、地元の人は下の一般道と時間は変わらないという。北海道人であればわかると思うが、北海道は地方の大きな国道などでは時速80km以上で走るのが当たり前である。時速60kmで走っていたら殆どが追い越しされる。それでも景気対策と称して豊かな自然を破壊してまでも無駄な高速道路を造った。
先日、消費税10%が決定した直後に、九州・北海道新幹線の着工が正式に決定されたが、残念なことである。東京から札幌まで約5時間近くかかるようであるが、5時間もじっと座ったままで耐えられるだろうか。東京都心にある会社のビジネスマンが出張で札幌に行くのであれば飛行機の方が速いであろう。成田からであれば片道5千円ほどの便もある。
時間的な問題だけでなく、北海道の豊かな自然を壊してしまうのも問題だ。北海道新幹線は長万部を出ると、東室蘭・苫小牧経由ではなく、倶知安・小樽経由のルートをとるという。今は廃止された胆振線の付近を通るらしいが、ここは全く開発されていない北海道でも非常に景色のいいところなのだ。こういう自然の豊かな場所に必要もない建造物を造ってほしくない。また昔、静かな風情のあった情緒のある町小樽を完全に金儲けの町に変えてしまったような間違えもおかして欲しくないと願う。今の小樽は昔の面影は全く無い。
今まで自民党は支持を取り付けるために目先の利益を求めて安易で無駄な公共工事を増やし国の借金を拡大させた。そして今度消費税10%に引き上げたらまた公共工事を増やすと言っている。もうこのような愚策は終わりにして欲しい。
また民主党政権になってから、高速料金の無料化や高校授業料の無償化などのために多額の税金が投入されているが、これもおかしな政策だ。高速道路は早く目的地まで行きたい人がお金を払って利用する道路であるのが本来の目的であろう。これが無料化されて一般道のように利用されたら渋滞が起きたり、道路の補修が増えても料金収入が無いから、そのために税負担が増加するなど却ってデメリットのほうが多い。高校無償化など誰が考えたのだろうか。高校は高等教育を受けたい人が行く学校である。裕福な家庭もそうでない家庭も一律無償化することに何のメリットがあるのか。これは高等教育を受けたくてもお金のない家庭のために用意するための政策であろう。
だいぶ本題から外れてしまったが、要は国民から徴収した税金を無駄な公共工事などに使わないで、日本経済を建て直し、将来日本が先進的な技術で世界に貢献すると共に国民全てを経済的、精神的に豊かにできるようなことに利用して欲しいのである。
それには冒頭のiPS細胞のような応用技術の研究に投資する他、日本が今まで苦労して築き上げた製造技術などが安易に新興国に流出しない対応が必要だと思う。
この10年の間に日本が長い期間をかけて苦労して積み重ねてきた多くの技術が、コスト競争に打ち勝つための選択をしたことで、中国や韓国などの新興国に流出してしまった。
苦労せずこの技術をものにした新興国は安い労働力を武器にコスト競争力をつけ、逆に日本の企業を脅かし、パナソニック、ソニー、シャープなど超大手の企業を大量リストラにまで追い込んだ。
目先の利益にとらわれて、培った技術を中国や韓国など日本を敵視して追い越そうとする意思の強い国に安易に提供したことで結局は自分の首をしめる結果となったことは反省しなければならないと思う。
25日付けの朝刊に新日鉄住金の最高機密である方向性電磁鋼板の製造技術が韓国のメーカーに流出したことが載っていた。私はメーカーに勤めており、技術屋ではないがこの鋼板の存在は知っていたが、まさか韓国に流出していたとは思わなかった。同社を退職した元社員である技術者が韓国メーカーに高額の報酬で雇われ、技術指導したらしい。その社員と新日鉄住金は機密保持の契約をしていたが破られたという。お金に目がくらんでモラルを捨てたのであろう。
5,6年前に韓国企業がさかんに日本メーカーの技術者をヘッドハンティングしているという記事を目にしたが、その時これは危ないと思った。
韓国は中国と違って工場を誘致するのではなく、日本企業をリストラされたり会社の待遇に不満を持つ技術者を高額の報酬や待遇でハンティングし、指導を受けることで短期間で成長させた。これが韓国のやり方である。
中国も韓国も短期間で急成長できたのは日本が技術を提供したからである。自分が自ら技術を構築していくには長い時間と多くの労力を伴う。中国や韓国は他国から指導を受ける形でいとも簡単に技術を習得した。
そのために世界に名だたる日本のメーカーが大量のリストラに追い込まれたが、逆にいうと中国や韓国はまだ独自の技術を構築する力が未だついていないということでもある。
台湾のメーカーが経営悪化したシャープと資本提携し、生産技術を自分のものにしようとしているが、このような動きから何が何でも日本の技術が奪われないように死守すべきだと思う。
まず日本独自の技術にどのようなものがあるかを整理し、それを他国に安易に流出させないような対応をする。
そしてそれらの技術を国内でどんどん育んでいかせる。リストラされた技術者を韓国などにハンティングされるくらいなら、政府は日本国内で将来の日本経済発展のための研究開発プロジェクトを立ち上げ、技術者に活躍してもらった方がよっぽどいいのではないか。
このようなことに税金を使うのであれば何の反対もない。多方面の技術力が結集すれば相乗効果でもっと高度な技術が開発されるに違いない。
政府はこのような具体的効果が10年、20年後に現れることに投資することに二の足を踏む傾向にあるが、研究開発の強化拡大、技術の若い世代への伝承、学校教育の高度化・徹底化などに今からすぐにでも力をいれていかないと日本はどんどん経済が衰退し没落していくことになるであろう。
日本が、人口が中国の10分の1しかないのに高度経済成長期を経て世界第2位の経済大国までになったのは、他国にたよらず独自の技術を開発しようとする粘り強い国民性と強いモチベーションがあったからである。
日本が世界トップクラスの技術立国として世界に貢献する国として目指すのであれば、将来花を咲かせるための種まきを今これから我慢してしていかなければならないと思う。
そのためにも目先の利益と支持率を上げるための安易で借金を拡大させるだけの無駄な公共工事や高校授業料無償化などに税金をつかわず、将来に向けて成長させていくものに使っていくことを強く望む。

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アルハンブラの想い出のベスト盤

2012-10-20 21:44:13 | ギター
こんにちは。
最近、朝晩は寒くなってきましたが、金木犀の甘い香りが漂う気持ちの良い季節になってきました。
1週間前の14日にスペインギター音楽コンクールを聴いたのですが、今年の課題曲はクラシック・ギター曲で最も有名なF.タレガ作曲「アルハンブラの想い出」だったんですね。
このアルハンブラの想い出は中級程度の曲とされており、ギターを始めて2、3年もすれば何とか形だけは弾ける曲です。
私はこの曲を中学生の頃に弾き始めましたが、私の場合、ギターを始めてから半年経ってからですね。といっても完全自己流でとにかくこの曲を弾きたくて弾きたくて無理して弾いていましたね。
当時は禁じられた遊びやソルの月光やこのアルハンブラの想い出を馬鹿の1つ覚えのように毎日飽きもせず何度も弾いていました。
本選に出場した6名の方の演奏を聴きましたが、意外にこの曲が難曲であることを改めて感じさせられました。
まず技巧的には②弦のトレモロが①弦に爪が接触することで雑音が入ってしまうため、バリオスのトレモロの名曲「最後のトレモロ」などに比べると難しいということ。
また音楽的にはテンポの相違により曲想が大きく違ってしまうということです。
私がこの曲に対し最も影響度が高いと感じるのはテンポです。
テンポを遅くすればトレモロの粒を揃えられ、綺麗に弾く事ができますが、アルハンブラ宮殿を見て感じた作者の気持ち、一言で言えば「歌」というのでしょうか、この「歌」が伝わりにくくなります。
ギターの巨匠である、アンドレス・セゴビア、ジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムスの演奏を聴くと、わりにテンポを遅めですが、さすがに大家の演奏、トレモロは非常に美しいです。特にセゴビアのトレモロは模範的でもあるし一度聴いたら記憶から消えないほどのインパクトを持っています。







しかし正直なところ、この3人の演奏からあまり「歌」というものが感じられませんでした。

私がこの「アルハンブラの想い出」を初めて聴いたのは、ギターを始めたころの1970年代の半ば、当時NHKの「名曲アルバム」という番組で荘村清志さんが弾いているのを聴いた時です。
最初にアルベニスのグラナダが流れ、途中からアルハンブラが流れてくるような編集でした。とにかく美しい曲でした。
その数ヶ月後、確か中学2年生になったばかりの頃だったと思いますが、授業の後の清掃が終わり、家に帰ろうと廊下を歩いていたら、突然校内放送で「アルハンブラの想い出」が流れてきました。
その演奏のあまりの美しさに足を止めて最後まで聴きました。正に衝撃でした。その時の感動は今でもはっきり憶えていますね。このとき明らかにアルハンブラの「歌」が聴こえていました。
数日後、このアルハンブラを誰が弾いているのか知りたくなり、放送部員をつかまえ、レコードを見せてくれと頼みました。
音楽室を行き、レコードを出してもらいました。
そのレコードは中学校1年生の音楽の教科書に準拠した鑑賞用レコードでした。
さっそくレコードのジャケットを見て、奏者を探すと見つかりました。「ジェイ=ベルリナー」と書いてありました。
ギターを始めたばかりの頃だからということもありますが、知らない名前でした。
しかし、このジェイ=ベルリナーの弾くアルハンブラの想い出が流れる下校の音楽を聴くのが毎日楽しくなりました。
その後2年くらいたって、レコード屋でこのジェイ=ベルリナーのレコードを偶然見つけました。確かタイトルは禁じられた遊びだったと思いますが、普通のLPのサイズよりも一回り小さいサイズのレコードでした。
にわかに欲しくてたまらなくなりましたが、買うお金がありませんでした。
今思うと無理してでも買っておけばよかったと後悔しますが、就職して東京に出てきて間もない頃、秋葉原の石丸電気でこのジェイ=ベルリナーのレコードをやっと見つけました。






喜び勇んで家で早速聴いてみたら、中学の時に下校の音楽で聴いたものと同じでした。
嬉しかったですね。
このジェイ=ベルリナーのアルハンブラの想い出は、この曲のテンポとしてはベストだと思っています。
イエペスのように速すぎず、先の3名の巨匠のように遅くもなく、アルハンブラ宮殿を見たときの印象を「歌」にしたものが確かに伝わってくる演奏です。トレモロは粒がそろっているとは言い難いのですが、それでも流れてくる音楽に感動します。
これまでにアルハンブラの想い出の演奏は数え切れないほど聴いてきましたが、私にとってはこれが一番聴き応えがあります。
これ以外に印象に残る演奏としては、10年くらい前に会社の交通安全教習で放映された映画(ビデオ)のBGMで流れたアルハンブラの想い出で、奏者は全くわかりませんが、トレモロが非常に綺麗でそろっており、テンポが速いものでした。1回しか聴いていないのですがすごく印象に残っています。
後は故・阿部保夫さんが録音したアルハンブラ。ベルリナーよりわずか遅い演奏ですが、オーソドックスで余計な強弱やアクセントを付けないけど心に伝わってくる演奏です。



アルハンブラはトレモロを揃えて綺麗に弾けば感動が得られるという曲ではないと思います。流れるような「歌」が聴こえてくるかであり、この意味では表現が難しい曲なのだと思います。
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2012年(第30回)スペインギター音楽コンクールを聴いて

2012-10-15 22:30:06 | ギター
こんにちは。
今日はとても気持ちがよくさわやかな1日でした。
さて昨日は年1回開催されるスペインギター音楽コンクールを聴いてきました。



第二次予選の途中から聴き始めましたが、日頃の睡眠不足と仕事の疲れやらで居眠り状態でした。
しかし本選はばっちり聴かせてもらいました。
以下に本選出場者の演奏の所感を、当日のメモ書きを元に述べたいと思います。
アマチュアなのでなるべく良いところだけを言いたいのですが、プロを目指している方もいるだろうから、少しだけ辛口の感想にしておきます。
なお今年の課題曲はタレガ作曲、アルハンブラの想い出でした。

一番印象に残り素晴らしいと感じたのは、自由曲をソル作曲「魔笛の主題による変奏曲Op9」で演奏した後藤さんでした。
トレモロの粒が揃っており雑音の殆ど無いきれいな音でした。情感を出す為に随所で音の出し方を工夫されていたと思います。ただテンポはもう少し速くてもいいのではないかと思います。今回の課題曲でベストのテンポと感じたのはのは最初に演奏した吉村さんでした。また私の当日メモでは最後の終わり方は良くないと書いてありましたが、はっきりと思い出せないのですが、テンポを落としすぎていたように感じます。
自由曲の魔笛の主題による変奏曲は今まで聴いた演奏の中で最も表現の幅が広く、活き活きと楽しさが伝わってくるものでした。序奏の音がとてもきれいでしたが、一箇所音を意図的に延ばした箇所があったのが唯一気になりました。
音の表現が多彩で今までに無いタイプの奏者だと思いました。

次に印象に残ったのは、自由曲をトローバ作曲「ソナチネ第1楽章」、アルベニス作曲「朱色の塔」を演奏した仲山さんです。
荒削りなところが未だありますが、力のある美しい音をホール全体に響き渡らせる能力と素質を持っている奏者だと思いました。
当日私は後ろの方の席で聴いていたのですが、6人の奏者の中で彼の音が一番響き渡っていました。
またミスが多かったのは事実ですが、ミスをしても不思議と音楽が壊れていませんでした。彼はいい指導者に恵まれるならばもっと良い奏者になれるのではないかと思います。
いい音楽をたくさん聴いて精進して欲しいですね。

第1位の栄冠を勝ち取った菅沼さんは審査員の講評にもありましたように、とてもスケールが大きく、いい意味で豪快な、今までにないタイプの演奏家だと感じました。
しかし悪く言えば音や表現が乱雑で、特に課題曲の音は汚く正直いうと感心しませんでした。
コンサートで力や個性を発揮するタイプだと思いますが、録音による演奏で聴き手の感情を揺さぶることができるような演奏も是非研究欲しいですね。

他の3人の奏者の演奏は、上手くまとまっていましたが、聴き手に強く迫ってくるものに欠けていたように思います。もっと音や表現に感情エネルギーを込めないと。

今回のコンクールを聴いて感じたのは、これまで多く見られたタッチが軽く流麗だが、聴き手の心に響いてこない奏法を採る奏者とは異なるタイプの奏者が出てきたことであり、そのことに対しては嬉しく思った。
奏者は皆若く、これからどう成長していくかが楽しみです。
音楽だけに固執せず様々な人生経験を積んで欲しいと思います。そのことが結果的に音楽に深みをもたらせてくれるのだから。
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野呂武男のギター音楽

2012-10-13 22:16:27 | ギター
こんにちは。
まだ暖かい日が続いています。明日はスペインギター音楽コンクール、12月には東京国際ギターコンクールが開催され、楽しみにしています。
さてこの東京国際ギターコンクールでは本選課題曲に日本人の作曲家によるギター曲が選ばれるのですが、私がこれまで本選で聴いた課題曲で最も印象に残っているのは、野呂武男作曲の「コンポジションⅠ」です。



「永遠回帰」という副題が付けられたこの「コンポジションⅠ(Op7-1)」は、筋金入りの現代音楽です。調性音楽は一切表れません。
1960年に作曲され、三木理雄により初演されたこの曲は、コンポジションⅡ(離と合)と共に、1964年パリ放送局国際コンクール作曲部門で第2位を受賞したほどの曲です。
現代音楽が作曲されることが少なくなって30年ほど経ちますが、このコンポジションⅠは今聴いてもなお新鮮な感動を覚えるし、ものすごく深いものを感じます。曲の価値が陳腐化するどころか、聴けば聴くほどますます惹かれていきます。
現代音楽というとたいていの人は聴いた瞬間「ゲッ、何この音楽!?」という感じを持つでしょう。そして聴くに耐えられなくなり途中でやめてしまうのです。
私も昔はそうでした。初めて聴いたギターの現代音楽はイエペスの弾くブローウェル作曲「タラントス」でした。確か高校生の頃だったと思います。
たまたまこの曲を聴いた父がたまらず「早く切ってくれ」と叫んでいたのが思い出されます。
しかしこの「コンポジションⅠ」は現代音楽の持つ独特の奇を衒ったような形式的、表面的な表現は無く、作曲者の内面から聴こえてくる音や鼓動を表現したものであると私は感じています。
コンポジションⅠは三部形式を採っていますが、第1曲目はリズムを取るのが非常に難しいです。拍子が目まぐるしく変わりますが、40小節目当たりから最後にかけては弾いていて気持ちが高まってくるのが分かります。



このような表現が野呂武男の独特の個性なのだと感じます。現代音楽でもブローウェルやオアナなどはどこか調性音楽の要素を、例えばリズムなどで感じることがありますが、彼の音楽にはそのような要素は全く感じられません。
日本人の作曲家でも例えば原嘉寿子のギター曲ように不協和音を多用していても調性音楽に近いものを感じますし、武満徹の初期のギター曲「フォリオス」もそのように感じます。
第二曲目は6弦をRe♯に下げるめずらしい変調弦を採っていますが、静かな流れの中にものすごく荒涼とした何とも言えない内面の闇のようなものを感じます。



聴いていて心地よい、あるいは悲しみや寂しさに共振するという次元とは全く別の領域の内面の表現を徹底してあえて音楽で表現したことに驚嘆せざるを得ません。
このような表現を音楽で成しえる作曲家は現代にはもう殆どいないと思います。

第3曲目は同じく6弦Re♯の変調弦であるが、第1曲目と同様テンポやリズムが目まぐるしく変わると共にハーモニックスが頻繁に現れます。このハーモニックスの響きが暗い闇の中から響きわたるよう聴こえてきます。



第1曲目にも増して難解な表現が続きますが、不気味な6連付のフォルテッシモを経て、終末に至ります。そして最後の静かに響き渡るハーモニックスはこの曲の最も印象に残る部分です。



野呂武男はギター独奏曲としてコンポジションをⅣまで作曲しましたが、この曲が遺作となりました。42歳の若さで亡くなりました(1967年死去)。
音楽を独学で学んだと言われる天才的な作曲家だと思います。
下山一二三や三善晃などの作曲家も野呂武男のことを絶賛していました。
以下は私のブログで2012年6月3日に投稿した記事の抜粋ですが、再度掲載しておきます。
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【追記 2012/6/16】
雑誌「現代ギター」の古いバックナンバーを読んでいたら、作曲家の三善晃氏のインタビュー記事が載っていたが、その中で三善氏は野呂武男氏のギター曲を絶賛していました。
以下抜粋。
『芳志戸さんがいつかお弾きになった野呂武男さんの作品、あれは本当にすばらしいですね。楽譜を見るにつけても感心しました。あの方は亡くなられたんですね。(1978年1月号)』
ギタリストの故・芳志戸幹雄氏は1974年~1985年の長きにわたって、野呂武男氏の「コンポジション」をコンサートで演奏したことが記録で残っています。
野呂武男氏は42歳の若さで亡くなっています。自殺でした。
先の現代ギター誌に載っていた野呂氏の写真を見ましたが、とても温厚な顔でした。
少し後で1978年8月号の現代ギター誌に、野呂氏と同郷の作曲家である下山一二三氏のインタビューが掲載されていましたが、ここでも野呂氏の話題が出ていました。
下山氏によると野呂氏は弘前で焼き鳥屋をやっていたり、タンゴ・バンドを作って、自分でアレンジして、キャバレーで演奏していたことがあったりと、定まった職業というものを持たない人だったようです。しかしコンポジションⅠ・Ⅱの楽譜の略歴には私立東奥義塾高校の音楽の先生をしていたことが記されています。
下山氏も野呂氏のことを絶賛しています。以下抜粋。
『しかし、(野呂氏は)才能のある人でしたね。野呂さんとの出会いでギター曲を書くようになった。野呂のギター曲は、今でもちょっとしのぐ作品がないんじゃないですか。ギターというものをじつによく知って生かしていてね。』
下山氏は尊敬する先輩である野呂氏へのオマージュとして、ギターのための「N氏へのオマージュ、北緯41度」という曲を作曲しています。
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野呂武男はギター2重奏曲で「Meet」という曲を作曲しています。



この曲についてパリ国際ギターコンクールの審査員を務めた高橋功氏は現代ギター誌での記事で次のように述べています。

「人見・三木で思い出されるは同じく両人のために野呂武男が1964年に作曲した作品13番の「ミート」(出会い)である。これは未出版だが、原曲のプリントを入手し、そのみごとな前衛音楽に私は驚嘆している。」

この「Meet」やギターとバイオリンのための「IMPRONPTU」を聴いてみたいのだが、録音が皆無なんですね。



現在のギタリストが野呂武男のギター曲に注目して録音してくれるとありがたいですね。

【追記(20130505)】
その後の調査でわかったことを下記に記しておきます。

・1964年のパリ放送局国際コンクールで第2位を受賞した曲は、ギターのためのコンポジションⅠ「永遠回帰」のみであること。
・遺作のOp.14、コンポジション KNOB (1966年)はギターの為の曲ではなく、バイオリンとピアノの為の曲であること。この曲の野呂氏自身の自筆譜は失われ、彼の師である阿保健の写譜のみが残されていること。

ギターのためのコンポジションⅡ「離と合」はコンポジションⅠ「永遠回帰」にも増して難解、複雑でありながら荒涼とした暗く深い闇の音楽です。この曲はクラシックギター曲の傑作であると確信しています。
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