緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

2014年度Nコン高等学校の部 課題曲を聴く

2014-03-29 23:18:22 | 合唱
こんにちは。
久しぶりにNコンのホームページを覗いてみたら、いつのまにか今年度の課題曲が公開されていた。
早速高等学校部の詩と模範演奏を聴いてみた。
曲名は「共演者」。作詞:小林 香 作曲:横山 潤子
詩も曲も、マイナスの感情を一切寄せ付けない、とても明るく希望に満ちたクリアーで純粋なものを感じる。
色でいうとまぶしい白、または明るい水色を連想する。
人は学校や社会に出るといやおうなしにラベルを貼られる。
それは学校を卒業し社会に出て40年以上も続くのである。
社会にはいろいろな役割が用意されている。高度に発達した現代社会では、原始時代のようにその日に食べるものを探す、安全なねぐらを得る、子孫を残すなど本能的なものだけで生きていくわけにはいかない。
その役割を選び取るのはまさに自分である。
暴力団に入って人から搾取する道も選べるし、看護師になって人を助ける道も選ぶことができる。
舞台の上で自由だと言われても、要は自分が何をしたいかがわかっていないと何にもならない。自分が何をしたいかわかっていないと、舞台の上で人の言われるままに動くだけの自己喪失した人生になる。
フロムやエンデは、人はいざ自由を得ても不安になり自由から逃走することを描いた。
自分が何をしたいかわからないから自由を恐れるのである。他人の意思や決められたマニュアルに従って生きていた方がどれだけ楽か。しかし生きているという実感は感じられない。
このように言う私もかつて自己喪失した時代があった。荒涼とした砂漠を独りさまよい歩くような生き地獄のような人生だった。
日本という国では人がどのように生きるかはほとんど自由であり制約はない。
しかしそれは社会体制とか外面上の話しである。人の内面では誰もが自由を得ているとは限らない。
人は育つ過程で自分の意思に反して、心を縛られたり、自らの心を破壊することを余儀なくされることもある。
この詩に出てくる「ありのままの自分」を破壊して、他人に言われた理想の人間になるために自分にムチを打ち続けて心を病んでしまう人が今の時代は多いのではないか。
しかも「ありのままの自分」を破壊していることすら意識できずに。
「ありのままの自分」を破壊して瀕死の状態となり、そこから這い上がっていくことは並大抵のことではない。心を病んで死を選んだ人は、生きていれば何かいいことがあるかもしれないという、これまでの人生の中でわずかでも光を感じた経験がなかったのかもしれない。
人生という舞台で自らが主役となって自由に生きるためには、心が自分に対し肯定(=Yes)できる状態になってないといけないだろう。
幸せに育った人は何も意識せずにこれができるが、一方でこの状態に達するまでに何十年も苦しみ続ける人がいる。ついに死ぬまでこの状態になれずに死んでいく人もいる。
人間の最大の不公平さは貧富の差ではなく、意識せず自分にYesと言い続けられる人と、自分の意思に反して、Yesと言えない人がいることであろう。
しかしこのNコンを歌える時代、多感な思春期にわずかな時間でも人といて楽しい時間をすごし、その時の自分を好きになれた体験があれば、また何か一つでも好きなことを持つことが出来たならば、たとえ最大の苦境に陥っても何とか這い上がっていけると思う。
「共演者」とは自分を常に肯定し続ける心の中のもう一人の自分のことである。
若い人たちが人生の土台をつくる時期に「共演者」が「ありのままの自分」を破壊しないように生きていかれるようになってもらいたい。
この詩を読み、私自身のこれまでの体験から感じたことを述べさせてもらった。
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おいしいインスタントラーメン見つけた

2014-03-22 21:13:21 | グルメ
こんにちは。
三連休もあと残り1日です。
先日おいしいインスタントラーメンを見つけました。
サッポロ一番で有名なサンヨー食品から発売された「頂」という商品。



1年ほど前(?)にマルちゃん(東洋水産)から生めんタイプのインスタントラーメン「正麺」が発売され、すぐに人気商品となったが、何の前触れもなく突然の発売だったため、ライバル会社であるサンヨー食品や日清食品もしばらくしてからあわててこれに続けと生めんタイプのインスタントラーメンを発売した。
わたしはインスタントラーメンはさほど食べる方ではないが、サンヨー食品の何ていう名前か忘れたが、正麺に続いて発売された生めんタイプが好きで、今から2、3ヶ月前に久しぶりに食べようかと思ってスーパーに買いにいったら、1個も置いてなかったのです。
その時は多分競争に敗れて市場撤退したのだと思いました。
しかし先日、名前も味も全く生まれ変わったラーメンとして販売されていました。
早速食べてみたら、麺が今まで食べたインスタントラーメンの中では最もおいしかったこと。インスタントラーメンの中では最も生めんに近いと思う。
のびやすいのか、調理時間を短目にしてどんぶりに移してからすぐに食べないと、やわらかくなってしまう難点があるが、それでもおいしい。
スープもくせがなく、いい味です。
インスタントラーメンはしょっちゅう食べていると飽きてしまうが、この「頂」は飽きることはなさそうだ。
しょうゆとしおだけの販売であるが、みそも是非開発して欲しい。
もう一つ見つけたのは、マルちゃんの「屋台十八番」。



この「屋台十八番」の前身は「なま味ラーメン」である。
昭和40年代から50年代前半くらいまで私が子供の頃にしょっちゅう食べたラーメンである。ご存知の方も多いと思う。
この時代で記憶のあるインスタントラーメンといえば、先のサッポロ一番や明星チャルメラ、たまごめん(38円なおけっこう、というコマーシャルをご記憶の方もいると思う)、ダブルラーメンなどである。
この「なま味ラーメン」が好きで、親に教えてもらって生まれて初めて料理をしたのもこの「なま味ラーメン」だった。
この当時は油で揚げた麺だったが、その後ノンフライ麺に変わり、パッケージも商品名も変わった。
今から10年以上前に北海道の実家でこの「屋台十八番」を見つけて、このラーメンが昔の「なま味ラーメン」であることがわかった時には、よくも生き残ったものだと感心したものです。
味はノンフライ麺になる前の方がおいしかったと思うが、基本的な味は昔のままである。
先日近くのスーパーでしょうゆ味のみならずみそ味も売っていたのを見て驚いたが、昔はしょうゆ味だけでした。
競争の激しいインスタントラーメン業界において、マイナーな存在でもこんなに長い間消えることなく命脈を保ち続けてきたのは、このラーメンの味が忘れられない人たちが結構いたからではないか。このラーメンを開発した人はすごいと思う。
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去り行くブルートレイン(2)

2014-03-20 23:22:45 | 鉄道
こんにちは。
明日から三連休。今日は比較的仕事が早く片付いた。今連休前の開放感に浸っている。
先日の新聞に上野-青森間を走っていた寝台特急列車「あけぼの」が廃止されたとの記事が載っていた。



私は実家が北海道なので帰省の時には随分とブルートレインを利用した。
上野と北海道を直通するブルートレインには「北斗星」や「エルム」(現在廃止)があるが、これらの列車は各2回しか利用していない。
よく利用したのが上野-青森間のブルトレである。
東北本線経由は「はくつる」、奥羽本線経由は「あけぼの」、上越線経由が「鳥海」。
上野-青森間の寝台特急でいち早く廃止されたのが常磐線経由の「ゆうづる」であるが、この「ゆうづる」は高校2年生の時の修学旅行の帰りに乗った。
一番利用したのが「はくつる」。一時は1日2往復していた。「はくつる」は廃止されてからしばらく臨時列車として運行されたが、車体はブルトレではなく電車3段寝台であった。私はいつも下段の広い寝台を予約した。電車3段のB寝台下段が一番快適だった。寝台の向きも進行方向に向いていた。
「あけぼの」で1度B寝台ソロ「個室」に乗ったことがあった。お盆を過ぎた頃で車両に私の他1名くらいしか客がいなかった。個室は最高にリラックスできた。
列車の旅は一番好きだ。車窓をぼんやり眺めたり、本を読んだり、自分を見つめなおしたり。一人を楽しむことができる最高の空間だと思う。
東北方面にはかつて寝台特急と並行して夜行急行が走っていた。東北本線経由の「八甲田」、奥羽本線経由の「津軽」、どこ経由か忘れたが「おが」の3線だ。
「おが」を除いたこれらの急行も何度か利用した。寝台が連結されていないころは、座席に座って寝て、次の朝そのまま会社に出勤した。「八甲田」は廃止される数年前に寝台車両が連結された。
現在は帰省に飛行機を利用しているが、道中のことは全くというほど記憶に残らない。旅の交通手段としては最もつまらない。車+フェリーも何度か利用したが、この帰省手段は楽しいが非常に疲れることだ。
これで東北方面のブルトレがなくなってしまうのは楽しみがなくなるので残念だ。
シーンと静まり返った車内でなかなか眠れず、汽笛の音や線路の音だけがやけに耳に残っていたのももう昔のことになってしまうのだろう。
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ジャチント・シェルシのピアノ曲を聴く

2014-03-15 22:33:58 | ピアノ
こんにちは。
折をみて、野呂武男のコンポジションⅠ「永遠回帰」やコンポジションⅡ「離と合」のような現代音楽で、ピアノ曲で同じような曲がないか探していた。
邦人作曲家のみならず海外の作曲家の曲も聴いてきたが、形式的な難解さだけが強調されるものが多く、コンポジションⅡ「離と合」のような人間の内面の荒涼とした闇のような気持ちを表現した曲はなかなか見つからなかった。
しかし今日、イタリアの作曲家で、ジャチント・シェルシ(Giacinto Scelsi、1905~1988)という人が作曲したピアノ曲に出会った。
聴いたのは「ピアノソナタ第3番」(1939年作曲)。
第1楽章冒頭から静かな不気味さを感じる音楽で始まるが、暗さはあまり感じられない。
しかし次第に激しい心の起伏が繰り返されるような展開になる。
ちょっと狂気を感じるようでもあるが、心地よい音楽を望む人は聴かない方が良いと思う。
第2楽章はゆったりとしたテンポであり、野呂武男のコンポジションⅡの「序」や「離」のようにリズムが難解、不気味さも増している。
第3楽章はややテンポが速くなるが、強烈な音が多くなり聴くのはかなりのエネルギーを要する。
自分が求めていたものと少し違うが、今まで聴いた現代音楽のピアノ曲の中では最も聴き応えがあった。
この作曲家の顔写真を後で見たが、目の輝きに異様さを感じる(決して彼を軽蔑しているわけではない)。
このような音楽を作る才能に驚きを感じる。




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バナナのラベル集め

2014-03-15 18:44:38 | グルメ
こんにちは。
今日は出勤でした。明日1日しか休みがありません。
夕食まで少し時間があるので投稿したい。
子供の頃から果物が好きで、今も毎日なにかしら食べています。
しかし昔と違って果物の価格がとても高くなったので、いちごやぶどうなどの高級なものは滅多に食べません。
もっぱら買うのは一番安いバナナ。
バナナが特別好きというわけではないが、気になるのはバナナの皮に張られているシールです。結構このシールのデサインは面白いな、と思っていました。
それでこのシールをノートに貼って、産地や銘柄、味の感想などを書き込むことにした。
いつまで続くか分からないが、ちょっとした楽しみになりそうだ。


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