緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

作詞:五木寛之、作曲:信長貴富 合唱曲「青春譜」を聴く

2020-05-28 20:51:38 | 合唱
合唱曲に目覚めたのは確か2009年の秋だったと思う。
まだそんなに寒くない頃だった。
ちょうど会社の管理職研修で、新潟の当間という所へバスで連れていかれて、ホテルに缶詰めにされ、会社に忠誠を誓い、会社を儲けさせるための戦士となるよう洗脳教育を受けた頃だ。

その研修の少し前に、中学3年生のときに合唱大会で歌った「木琴」という曲に何十年かぶりに偶然出会い、衝撃を受けた。
何十年も行方不明だった親しかった人と再会したときに味わうような感情だった。
この体験をきっかけに、それまで全く聴きもしなかった合唱曲(高校生の演奏)にのめり込んだ。

そうだ、この頃から私は加速度的に心理的に楽になっていった。
重たい重しが乗っかっていた心が徐々に軽くなっていくのを感じた。
同時に感情的放出も凄かった。
音楽を聴いてこれをやった。
やろうとしてやったのではなく、川の水が流れるように、今まで心の奥底に眠っていた感情がとめどもなく自然に湧き起っていた。
その頃は毎日Youtubeで合唱演奏を探し出しては何度も聴きまくっていた。
その矢先で出会った曲が、今日紹介する、作詞:五木寛之、作曲:信長貴富、「青春譜」という曲だった。
この曲がNHKの合唱コンクール(Nコン)、平成20年度(2008年)の大会の課題曲だと知ると、このNコンの全国大会の録音CDを初めて買って、出場校全ての演奏を何度も聴き比べしたものだった。





しかし当時、この全国大会の演奏を何度も聴き比べしても、強い感情を感じさせる演奏に出会うことはなかった。
この曲はとてもいい曲だと思ったのだが、実際、合唱曲の中では一番の人気曲だと聞いたこともあるほどの曲なのだが、私は何故かこの曲をそれ以来聴くのを止めてしまった。
特段の理由があったわけではないが、10年間一度も自分から聴くこともなく封印してきた。

数日前にふとこの曲を聴きたくなり、Nコン全国大会のCDを取り出して10年前のように聴き比べしてみた。
改めて聴いてみると、果たして10年前に聴いたときとほぼ同じような印象であったが、ただ11の高校の中で素晴らしいと思える高校があることが分かった。
その高校とは、福島県立安積黎明高等学校と長野県立長野高等学校の2校だった。

福島県立安積黎明高等学校の演奏は、10年前に聴いたときもいい演奏だなと感じていたが、何か、強いインパクトに欠けているように感じていた。
しかし今回10年ぶりに聴いた印象はかなり違っていた。
表面的には地味でインパクトの薄い演奏に聴こえるのであるが、心をまっさらにして静かに聴いていると、実はこの演奏は、本当に様々な感情の集合体で構成され、その感情が単純に表にストレートに出されているのではなく、裏に秘められているような形で表出されているような演奏であることが分かったのである。

その感じ方は次の部分を聴いていて分かった。
冒頭の序奏が終り、ピアノの短い間奏の後テンポが速まるが、歌詞でいうと、

孤独という 旅の途上に いつか
きみは出会う 愛の光
息をとめ みつめあう
言葉もなく
時のかなたへ

の部分を聴いたときに、上手く形容できないが、演奏者たちの歌の裏から放出されてくる感情の強さを痛いほどに感じたのである。
また、すぐあとの歌詞、

この風を この光を この歌を
感じてる みつめてる 忘れない

の部分。
この部分の演奏者たちの歌声の裏から伝わってきたのは、まさに「純粋なやさしさ」というものだった。

思うに、合唱演奏って、絶対にうわべだけで聴いても本当の価値は分からないものなのだ。
この全国大会の11校の演奏の中にも、表面的には素晴らしい音量、音質、技巧を誇っている演奏がいくつかあったが、私にとっては一瞬「上手い」としか感じられなかった。
その後でもっと繰り返し聴きたいという気持ちにはなれなかった。
実は、合唱演奏で最も難しい演奏法というのが、演奏者たちの純粋な生の感情が、聴き手の心に意識されずに刻み込まれるような演奏なのではないだろうか。
しかも、演奏者たちもそのことを意識せずとも自然に成し遂げているという演奏。
私はこのような演奏こそが本物だと思っている。
なおここで言う感情のエネルギーとは、物理的なパワーで感じられるものではない。

演奏以前に、演奏者自身が普段、純粋な気持ちで日常を送るような生活を送っていないと、きっと達成できない演奏なのだろう。
演奏家に最も必要で大切なことがこれだと思う。
心に葛藤や苦しみがあっても構わない。
しかしその人の心の核の部分がクリーンになっていないといけないと思う。

この安積黎明高等学校(旧安積女子高等学校)は、この平成20年くらいまでは、先に述べたような演奏をしていたと思う。
しかしその後の大会の演奏は殆ど記憶に残っていない。
演奏に対する考え方が変わってしまったのか。

安積黎明高等学校は女声三部であったが、混声では長野高等学校の演奏が良かった。
ただ、長野高等学校の演奏はやや感情の変化や強さ(パワーではありません)に乏しく感じるのがやや残念。
しかしとても素晴らしい演奏だと思う。

Youtubeで「青春譜」の演奏を検索したら、意外にもこの人気曲の投稿がほとんどなかった。
何故なのか。
演奏が難しいからなのか。多分そうなのだと思う。
ピアノ伴奏も素晴らしい。
完成度の高い名曲だと言える曲だが、理想の演奏を達成できるのは極めて少ないのかもしれない。

Youtubeで幸い、安積黎明高等学校と長野高等学校の演奏があったのでリンクを貼り付けさせていただく。
しかし音は非常に悪い。
この音で本当の演奏の価値は分からない。
聴くのであれば、絶対CD、それと何も高級でなくてもいいから、それなりの再生装置が必要だ。

安積黎明高等学校 「青春譜」 Nコン2008


青春譜 長野高校


【追記202005292327】

今日改めてこの曲の福島県立安積黎明高等学校の演奏を聴いてみたが、やはり凄い演奏だ。
この高校の演奏の真価は、何度も聴かないと分からない。
それも聴く側も純粋な気持ちで臨まないと感じられない。
それほど繊細さが多様に表れている演奏なのだ。
真価が分かるまで10年以上かかったが、この演奏を繰り返し何度も聴いていく私のお気に入り曲の中に入ったことは嬉しい。

【追記202005300012】

この全国大会(第75回)の演奏で、上位入賞の多い実績の高校と安積黎明高等学校の演奏を改めて聴き比べしてみた。
演奏に対する考え方、信念というべきものだろうか、そういったものが根本的に異なっている。
次元が全く違う演奏だと言っていい。
私は安積黎明高等学校の演奏の方が本物だと確信している。
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