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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

中央大学マンドリン倶楽部 第110回定期演奏会を聴く

2016-05-29 23:32:59 | マンドリン合奏
今日(29日)東京八王子のオリンパスホールで開催された、中央大学マンドリン倶楽部第110回定期演奏会を聴きに行った。
中央大学マンドリン倶楽部の定期演奏会を聴くのがこれで4回目。
この2年間でかなり大学の演奏を聴いてきたが、この大学の演奏レベルは突出している。
まず演奏曲目にマンドリン・オーケストラのためのオリジナルで、本格的なしかも難易度の高い曲を並べてくる。
安易にポピューラー曲の編曲物をプログラムに入れない。
勿論演奏会のプログラミングに対して聴き手の受け止め方、趣向は様々であるが、私はこのプログラミングの基本方針が好きだ。
東京だから可能なのかもしれないが、マンドリン音楽の真髄に触れたいと思う人には最適な演奏会である。
この大学の演奏会を聴くようになって未だ4回目に過ぎないが、楽しみなのである。

14時開演。部員たちがステージに現れたが、意外にも部員数が少ない。
プログラムを見ると現役生は1年生を含めて26人。第Ⅰ部の現役生のステージでは7名のOBが賛助出演していたがそれでも少なく感じる。
伝統を誇る歴史あるクラブなのに部員数の獲得が難しいのか。それとも全員出演していないのか。
本当のところは分からないが、吹奏楽、合唱曲、管弦楽などに比べマンドリン音楽に関心を持つ音楽経験者がそれだけ少ないということだろう。
高校にギターアンサンブルはあるが、マンドリンクラブがあるのはあまり聞かない。
クラシックギター経験者がマンドリンクラブに入るかと言えば、そうでもない。
クラシックギター経験者は概ね個人で活動する。独奏を極めたいからだ。マンドリン曲の伴奏に膨大な時間を費やすよりも、独奏曲のレパートリーを増やした方がいいと思うのは当然だ。
これ以外にも理由はあるだろう。それについては後に触れたいと思う。

さて110回目の定期演奏会のプログラムは下記のとおり。

第Ⅰ部(学生ステージ)

・ロマン的協奏曲  作曲:K.Wolki

・間奏曲  作曲:S.Falbo

・三つのスペイン風舞曲  作曲:P.Lacome

第Ⅱ部(OB・OGとの合同ステージ)

・大学祝典曲「栄光への道」  作曲:鈴木静一

・詩的幻想曲「誓い」  作曲:U.Bottacchiari

・タイ舞曲「パゴタの舞姫」  作曲:鈴木静一

第Ⅰ部第1曲目の「ロマン的協奏曲」、ヴェルキの名前はこれまで何度聞いたがドイツの作曲家とのこと。
出だしは華々しく始まる。ドイツらしく古典的形式を採る軽快な曲だ。
しばらくすると転調し、短調の旋律が流れてきたが、この旋律を聴いて思い出すのは、20代半ばに聴きまくったチャイコフスキー作曲の交響曲第6番「悲愴」第2楽章のとあるフレーズだ。そしてそれはすぐに19世紀の古典曲によく出てくる独特の旋律に変わる。F.ソルの練習曲で聴いたあのフレーズ、OP.35-14イ短調に出てくる音型だ。
このフレーズは何度か繰り返されたが、1stマンドリンと2stマンドリンのソロで奏でられる美しいハーモニーが素晴らしかった。

第2曲目はファルボの間奏曲。
この曲名とファルボという作曲家名で、学生時代の定期演奏曲で演奏したのを思い出した。
しかし今日の演奏会で聴いたのは私が学生時代に演奏した曲とは異なっていた,と初めは感じた。
そこで家に帰ってから学生時代の楽譜を引っ張り出してファルボの譜面を探してみたら、2曲出てきた。
1曲は今日の定期演奏曲で聴いたのとまさに同じ曲。ハ長調のギターのアルペジオで始まる曲だ。



もう1曲は「序曲ニ短調」。



私はこの「序曲ニ短調」の方を強烈に記憶しており、ハ長調の「間奏曲」は殆ど忘れてしまっていたのであった。
しかしこの「間奏曲」の方も改めて聴いてみると地味ながらマンドリン曲に相応しいいい曲だ。
マンドリン属のハーモニーの美しさをの極みを聴かせてくれた。
最後の終わり方はどこかで別の曲で聴いたものと似ていた。
直ぐに思い出せなかったが、後で、芥川也寸志作曲「弦楽のためのトリプティーク」の第二楽章子守唄の最後のフレーズが浮かんできたことに気付いた。

第Ⅰ部最後曲は、「三つのスペイン風舞曲」。スペインの伝統舞曲である、ボレロ、アンダルーサ、ソルツィーコの3曲からなる。
「ボレロ」はボレロというより、まずビゼーの歌劇「カルメン」第一組曲第2曲の「アラゴーネーズ」の8分の3拍子のリズムと旋律を思い出してしまった。
また、サーインス・デ・ラ・マーサの「アンダルーサ」中間部の難しいパッセージも思い浮かんだ。
このギター曲「アンダルーサ」は「ロンデーニャ」に改作されたが、旧作「アンダルーサ」の方が優れているしスペインらしい。
第2曲「アンダルーサ」はよりスペインらしい雰囲気が伝わってくる。
これもまた、ギター曲、サーインス・デ・ラ・マーサの「ソレア」の中間部のCOPLA(歌)が浮かんでくる。
第3曲「ソルツィーコ」はスペインとフランスにまたがるピレネー山脈に居住する民族の舞曲だそうだが、初めて聴く。明るく陽気な曲だ。

第Ⅱ部第1曲目は鈴木静一の「大学祝典曲 栄光への道」。
初めて聴く曲だ。
山登りを愛した鈴木静一が初めて北アルプスに足を踏み入れた時の回想、大学山岳会などの人々が愛唱した「山の唄」などをモチーフにして作られたという。
管楽器と打楽器のパーカッション、ピアノを交えたOB・OGとの合同ステージであり、壮大な演奏を聴けた。
指揮者はOBであった。
曲から受ける印象はあまり山登りのイメージがしなかったが、鈴木静一らしく、曲の変化はめまぐるしく時々鈴木節ものぞかせた。
「雪の造型」第3楽章や、交響譚詩「火の山」のワン・フレーズを彷彿させる箇所もあった。
北アルプスのふもと上高地や、穂高を回想したとプログラムに書いてあったが、私も就職して間もなく会社の山岳部に入り、初秋に上高地から奥穂高に登ったことがあり、その頃をふと思い出した。23歳の時だ。
その後、30歳初めまでに白馬岳、鳥海山、北八甲田、南八甲田などに登ったが、それっきりだ。
中高年の登山がブームのようだが、体力のすっかり衰えた現在、とても山登りなどできそうもない。

第2曲目「詩的幻想曲 誓い」は独特の曲だった。
ベースパートの重々しいソロで始まり、セロ、ドラ、マンドリンと移っていく寂しく悲しいが美しい旋律。
作曲者のU.ボッタッキアーリはマンドリン界では有名であるが、この曲はマンドリン曲としては名曲だと思う。
C.O.ラッタの「英雄葬送曲」と共にプログラムに取り入れても楽しめるのではないか。
低音パートの旋律が美しい。
マンドリン特有の金属的響きが抑えられ、どことなく弦楽器のような響きすら感じられる。
最後は高音のマンドリンの美しいハーモニーで終わる。

今日の演奏会の最後を飾る第Ⅱ部の終曲は、鈴木静一の「パゴタの舞姫」であった。
この曲は以前、CDで聴いたことがある。
鈴木静一の曲の中ではマイナーな存在だが、管楽器、パーカッション、ピアノをふんだんに取り入れた壮大な編成の曲であった。
日本的情緒は殆どなく、アジアの民族音楽を題材にした曲だ。
パーカッションによるリズムの変化を効果的に全面に出した曲。
こういう曲はCDできくより生で聴いた方が絶対に楽しめる。
パーカッションの演奏の方々は、一人でいくつもの楽器を掛け持ちで演奏し、それも切り替えがめまぐるしいので大変そうであった。しかしそれが却って感動的だった。
管楽器の方もとても上手で、終盤に奏でられたオーボエの神妙な旋律はとても美しく感動した。
どちらかというとマンドリンよりも管楽器やパーッカションが主役の曲のように感じる。
この賛助の方々は同じ大学の方々なのか。これほどの実力のある演奏者に来てもらうのは容易ではないであろう。

全ての演奏曲目が終了し、部員たち、賛助の方々、OB・OGは盛大な拍手に迎えられ、アンコール1曲演奏した。鈴木静一の「山の印象」第4楽章。

今日はいつになく耳が敏感だったせいか、第Ⅰ部の演奏から感動して聴くことができた。
第Ⅰ部から聴いていて、この大学の演奏の何が大きく感動させるのか、しばらく考えていた。
やはり、お客に聴いてもらうには、究極の演奏でもって満足してもらいたい、という気持ちが根本としてあり、全員が一丸となってその気持ちを共有して、演奏に最大限のエネルギーを注入しているからではないか、と思うようになった。
その気持ちが知らず知らずのうちに聴き手に伝わり、大きな感動を引き起こすのである。
しかしこれだけの演奏レベルに達するのは並大抵の練習ではおぼつかないであろう。
恐らくであるが、過酷な練習をしていることは間違いないであろう。
彼らは決して甘い妥協はしない。
難しい技巧、音楽表現であっても決して妥協せず果敢に挑戦してきた形跡が伺われる。
その長く辛い積み重ねの結果が、この2時間足らずのわずかな瞬間に花開くのである。
そしてそのことが聴き手の心に熱いものを感じさせる。

冒頭で部員が少ないことを述べたが、恐らく練習が厳しいからであろう。
しかし過酷な練習の厳しさに耐えて演奏会で燃焼するまで出し切った経験は、卒業後の何十年にも渡って自分を強固に支え続けることは間違いない。
彼らの演奏を聴いていると、マンドリン音楽が好きで好きで、この音楽を演奏できることが最大の喜びであることがひしひしと伝わってきた。

演奏会というわずかな時間であるにしても、そこで表出される感情は強く長い道のりを経たものである。
それを聴き手が感じ取り、気持ちを共有する。
それが生の演奏会の醍醐味だ。
今日、中央大学マンドリン倶楽部一同の演奏を聴いてその思いを改めて感じた。

次の演奏会は今年の冬であろうが、期待している。
どうか自信を持って素晴らしい演奏をまた聴かせていただきたい。
今日素晴らしい演奏聴かせてくれたことに感謝したい。


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河南智雄作曲「ソプラノとオーケストラのための オンディーヌ」を聴く

2016-05-22 21:59:56 | 現代音楽
このところ武満徹や本間雅夫の現代音楽、それもピアノ独奏曲を聴いていたが、先日東京に出た折に立ち寄った中古CDショップで、現代音楽だけを集めたオーケストラ曲集のCDを見つけた。
「民音現代作曲音楽祭’79~’88」と題する8枚組のCDだった。
8枚組なので中古でも値段は高いはずであるが、意外にも安値だった。
今の時代に現代音楽は人気がないためであろう。

日本の現代音楽は1960年代から1970年代にかけて積極的に作曲されたようだ。
このCDの解説書にプロデューサーの井坂絃氏のコメントが掲載されていたが、「レコードの持っている使命を考えるとき、私は現代音楽こそ最もレコードを必要とし、かつメディアとして有効なものではないだろうか、と思っている。にもかかわらず制作する側から言えば、経済的な理由で現代音楽をレコードにするのは困難を伴う。’70年代の初めに、あれほど多く発売された日本の作品のレコードも、今日のようにレコード会社の利潤追求のみに比重を置いた意識の結果、あっという間に、その制作が後退してしまった。」と言っている。
この民音現代作曲音楽祭も1969年の第1回から始まったが、1994年を最後に以後は開催されていないようだ。

では何故現代音楽は後退してしまったのか。
クラシック音楽の歴史を振り返ると、長い原始的な旋法時代から機能調性が生み出され、J.S.バッハやスカルラッティの形式重視のバロック音楽から、古典形式、ロマン主義と発展させていき、一つの音楽形式が永続的にとどまることはなかった。
これらの音楽は機能調性に従って作られ、拍子も概ね一定である。
つまり聴き手が安心して心地よく、創作された音楽に耳を傾けられるように作られたルールに沿って曲が作られていたと言える。
19世紀終わりから20世紀初めにかけて、機能調性は破壊されずに何とか踏みとどまりながらも、めまぐるしい転調や、和声、リズムの変動が見られるようになる。
例えば丁度この時代の作曲家である、フランスのガブリエル・フォーレの夜想曲を聴くと機能調性を限界まで維持しながらも、古典的な転調の目的とは明らかにことなる頻繁な転調、和声の拡大を聴くことできる。
しかしバロック→古典→ロマン派と続いた機能調性時代も、20世紀に前半に崩壊する。
その源泉はドビュッシーの音楽にあるのかもしれないが、明白なのはシェーンベルクの12音音階による無調性音楽の出現である。
この機能調性から無調性への移行に背景には、この時代の作曲家たちが伝統的な音楽形式にもとづいた機能調性による音楽の作曲への行き詰まりがあったのではないかと思う。
クラシック音楽は、19世紀の古典形式後期からロマン派に最盛期を迎え、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンら優れた偉大な作曲家が膨大な名曲を創作したが、彼らの曲が芸術性において極めてハイレベルな位置を占めていたがために、同じ音楽形式で彼らの曲を超える音楽をもはや作ることが出来なくなったからではないかと思う。
つまり必然的に今までと根本から異なる音楽形式により音楽を創作しないと、 単にベートーヴェンらの亜流にすぎず、作曲家自らの存在価値を見出すことが出来なくなったからではないか。
一方別の見方をすれば、新しい音楽の可能性を模索していったとも思える。
すなわち、楽しい、嬉しい、悲しい、寂しいとかいった人間の基本的感情を主題に作られ、聴き手に心地よい感動を与える従来のおきまりの音楽ではなく、もっと違う人間の感情、例えば、悪、冷酷、闇、荒涼、無念、恨み、驚愕、恐れ、不安とか言った負の感情の表現、また感情と切り離された哲学的思考、学術的考えさえも音楽で表現できないかと考えたのかもしれない。
つまり従来の音楽形式においては制約を伴っていた表現の壁を壊し、今までと全く異なる対象の表現を目的として、それを音楽として人々に表そうと考えたのではないかと思う。
このことから考えると、1970年代までの前衛の時代は、来るべくして起きた音楽創出の流れであり、必然的な時代の流れであり、そのような音楽の出現を誰にも止めることは出来なかったに違いない。

しかしながらこの前衛時代の現代音楽は根本的にロマン派までの音楽とは異なる性質を持っているので、その内容は難解であり、また心地よく聴くことは出来ないものである。
先に述べた「民音現代作曲音楽祭’79~’88」のCDで、各曲を作曲した作曲家の解説が載っていたが、言っていることが難解であり、理解に苦しむものが多い。
しかしこれが現代音楽の特性なのだと思う。
そもそも、ロマン派までの一般の多くの人々が理解出来るような主題を対象としていないから当然である。
つまり現代音楽とは先に述べた、複雑な人間の負の感情の領域や哲学的思考、学術的論理を主題として創作されているから、まずこれを念頭に置いて聴かないと拒絶反応を起こすのは当たりまえなのだ。
ロマン派のような美しい心地よい音楽を聴けると思って期待して聴くことはそもそもお門違いである。
現代音楽が不愉快だ、一般人を無視しているとか、こんなの音楽でない、と怒ってみてもどうしようもない。
これは難解な哲学書を読んで、これは文学でない、芸術でないと言っているようなものだ。

現代音楽を本格的に聴こうとするならば、それなりの心構えと、理解できるまでの長い忍耐が必要だと思う。
現代音楽の中には感覚的に理解できるものもあるが、音楽的感覚だけで理解できない作品はたくさんある。
理解できるようになるには、関連する情報や学問を長い時間をかけて収集、研究しないとならないものもあるだろう。
そのような聴き方でも楽しめるというのが、現代音楽の魅力ではないか。

今日紹介する、河南智雄作曲「ソプラノとオーケストラのための オンディーヌ」は、この8枚組25曲のうち、最も聴き応えがあり、これから何度も聴いてみたいと思った曲である。
作者の河南智雄氏は、立ち寄った本屋で偶然見つけた、吉原幸子の「オンディーヌ」という詩集を読んで、「その激しい内的なドラマと透明な抒情、また行間に漂う様々な音や色彩に、たちどころに魅了され」、この曲を作曲したと言っている。
しかしこの詩を音楽にするには大変な困難な作業を要したようである。

吉原幸子氏の「オンディーヌ」という詩を読むと、まず平易な文章なのに、意味することが非常に難解で理解に苦しむ。
寓話のオンディーヌとハンスの悲恋をからめているようで、そのような感じはしない。
行間から漂う感情は、暗く荒涼としており、女の怨念のようなものを感じる。
決して美しいものは感じない。
だから必然的に河南氏の音楽も暗く荒涼としている。
そして感情的に高まる部分のソプラノと打楽器を絡めた管弦楽器の表現は寒気すら感じるほどだ。
これほど徹底して負の表現を極めている音楽も珍しい。
聴衆を意識した、中途半端な妥協、顔色を伺う様な表現は一切ない。
調性音楽は一切現れない。
演奏時間は3楽章で約30分であるが、曲の切れ目で不気味な余韻を感じる。
音楽に美しさや心地よさを求める人は聴かない方がいい。間違った悪い影響を与えられるかもしれない。

因みに、この吉原幸子氏の「オンディーヌ」を題材とした合唱曲も偶然見つけ、聴いてみたが、河南氏の音楽表現とは全く対照的だったのは興味深い。

前衛時代が終焉した1980年代以降、日本の音楽界は調性音楽に復帰したと思われるが、ではベートーヴェンやシューマンらが活躍した時代の音楽に匹敵する調性音楽が生まれているかと言えば、そうではないようだ。
あれほど前衛音楽を徹底的に批判した原博は、J.S.バッハの音楽形式を用いて、ピアノのための「24の前奏曲とフーガ」を作曲し、私はこの曲集は優れた音楽だと思っているのだが、楽譜は既に絶版、録音も廃盤となっており、Youtubeにも彼の音楽は殆ど投稿されていない。
やはり先に述べた、真の意味で優れた、機能調性と伝統的音楽形式による音楽を今の時代に創作することの困難さ、限界という壁にぶち当たりながらも、何とか妥協した音楽を作り続けているというのが今の音楽界の現状なのか。

(河南智雄作曲「ソプラノとオーケストラのための オンディーヌ」については、後日聴き込んだ後に、改めて紹介したいと考えています)

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ウラジーミル・トロップ演奏 ロシアピアノ小曲集を聴く

2016-05-21 21:56:05 | ピアノ
昨年夏、旧ソ連時代の偉大なピアニスト、マリヤ・グリンベルクに関する文献を調べていたところ、ある音楽雑誌に、ロシアのグレーシン音楽大学で行われたベートーヴェン没後150年記念講演で、マリヤ・グリンベルクにインタビューした記事が掲載されているのを見つけ、図書館でバックナンバーを探し出しコピーした。
この講演でマリヤ・グリンベルクにインタビューしたのが、ウラジーミル・トロップ(Vladimir Tropp 1939~)という、グレーシン音楽大学で教授として教鞭をとる教育者であった。



先日中古CDショップで偶然このウラジーミル・トロップ氏のCDを見つけた。
トロップという名前は意外にも記憶に残っていた。
知名度が低いのか、値段も安く、その店の割引商品となっていた。

ピアノの録音は膨大であり、ピアニストの数もギタリストのものの比ではない。
ここ数年でかなりの数のピアニストの録音を聴いたが、ピアノ界は演奏者の知名度は当てにならないことがわかった。
知名度は低くても、素晴らしい演奏家はいるものだ。
ピアノ界は層が厚いというより、高いレベルの演奏者がたくさんいる。
聴き手は、その中から自分の感性に合う演奏家、本物だと思う演奏家を選んでいけばいいと思う。

ウラジーミル・トロップの演奏に初めて触れたのは、日本で1999年に録音されDENONから発売された「ロシアン・メランコリー」というアルバムであった。
アルバムの最初の曲はグリンカの「夜想曲(告別)」であった。
アルバム名どおり、悲しい曲であった。
しかしいい曲だ。
それ以上に驚いたのは、トロップ氏の音の美しさである。
ピアノの音で本当の意味で美しい音に出会うことは少ない。

ピアノの音で美しい音とは一体どのような音なのだろうか。
人によって様々であろうが、私は次のように考えたい。

・表面的、平面的ではなく、芯があり、多層的な音。
・人間の感情が宿った音
・低音から高音まで、ピアノという楽器が本来的に持つ魅力を最大限に引き出した音
・音楽の流れが自然で、その自然な流れから生まれてくる音
・聴き手の奥底に眠っている感情を刺激し、その感情を表に引き出す音。

かなり抽象的な言い方であるが、まず聴き手に強い感情を引き起こすものであり、次に流れや響きが自然であり、
楽器特有の魅力が感じられるということだろうか。
言葉に表すことは本当に難しい。

本当に優れた音を出せるピアニストかそうでないかを見分けるポイントの一つとして、強音、特に低音の強音を聴いて、その音が聴き苦しい、例えばうるさく感じたり、不快に感じたり、心が痛く感じたりするどころか、いくら強い音でも楽器の持つ魅力が伝わってくるような心地よさを感じられるかどうかである。
トロップ氏の演奏は全体的に地味に聴こえるが、流れは極めて自然に感じる。
この流れの自然さは重要だと思う。
流れが自然だということは、頭で演奏していないということ。余計な意識が入り込んでいない、作為的な要素が無い、曲そのものに一体となっているというようなこと。
そしてトロップ氏の強音は魅力的だ。

初めトロップ氏は、マリヤ・グリンベルクの弟子かと思ったがそうではないようだ。
グレーシン音楽大学に長年勤め、教育者としては評価が高いようだ。
しかし演奏者としても第一級だと思う。
特にロシアの小品の演奏では右に出るものはないであろう。
私がもし仮に音楽を志していたとしたら、こんな音楽家に教えを請うだろうと思う。
トロップ氏とはどんな人間なのか。
想像であるがきっと、人間的魅力を持った方に違いない。
そして苦労してきたに違いない。

このアルバムで印象に残った演奏を下記に記しておく。

・グリンカ作曲 夜想曲「告別」
・ボロディン作曲 「小組曲」より修道院にて
・ボロディン作曲 「小組曲」より間奏曲
・カリンニコフ作曲 悲歌

このアルバム以外にトロップ氏の3枚のCDを買って聴いている。


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2016年「鈴木静一展」を聴く

2016-05-15 23:35:14 | マンドリン合奏
今日、東京新宿オペラシティ・コンサートホールで鈴木静一の曲だけを集めて演奏する「鈴木静一展」が開催されるので、聴きに行った。
鈴木静一(1901~1980)は日本のマンドリン・オーケストラ界で多大な貢献をした人である。
鈴木静一は当初声楽を目指したがギター・マンドリン演奏に転向し、30代半ばまでいくつかのマンドリン・オーケストラ曲を作曲したが、その後30年間の長きに渡りマンドリン界から退き、職業的作曲家として映画やドラマなどのBGMを作曲していたようである。
そして60代半ばにマンドリン界に復帰、その後亡くなるまで数々のマンドリン・オーケストラ曲の名曲を生みだした。
1960年代半ばから1980年代半ばの時代に、日本のマンドリン界は最盛期だったと言われ、多くの大学にマンドリンクラブが生まれたが、この背景に鈴木静一の影響があったことは疑いのないことであろう。
私も1980年代前半に、大学のマンドリンクラブで幸運にも鈴木静一の主要曲を弾く体験を得ることができた。
この若き時代に、鈴木静一の曲に出会い、強い影響を受け、実際に演奏できたことは、かけがえのない財産になっている。
今日家に帰って学生時代に弾いた楽譜を引っ張り出してみたが、母校のマンドリンクラブで、演奏した鈴木静一の曲は以下であった。

・交響譚詩「火の山」
・劇的序楽「細川ガラシャ」
・交響詩「失われた都」
・大幻想曲「幻の国」
・悲愴序曲「受難のミサ」
・交響曲「皇女和宮」
・スペイン第二組曲
・狂詩曲「海」

こうしてみると鈴木静一の主要曲はほとんどカバーされているが、これはこの時代の母校の選曲に、鈴木静一の曲を優先していたからである。
何故鈴木静一の曲を優先して選んだのか。
それはあの時代の学生たちに、エネルギーや情熱を引き出す強い力が鈴木静一の曲にあったからだ。
では何が、鈴木静一の曲は我々をとりこにさせるのか。
人によって様々であろうが鈴木静一の曲に見られる独特の旋律、和声、リズム等は、日本人が古代から脈々と積み重ねてきた、日本独自の音楽的感性、それは島国日本が築いてきた閉鎖的環境から生まれた抑圧的感情から派生したものに相違ないと思うのだが、私はその感情が音楽という形で昇華したものではないかと思っている。
その多くが陰旋法による旋律であるが、暗い、寂しい、侘しい、悲しい等の感情が伝わってくる。
同じ「悲しい」でも、外国の音楽のようにストレートに感情が伝わってくるものではなく、抑圧的感情から出る「悲しさ」、昔の人が短歌にしてその気持ちを詠んだという奥ゆかしさが感じられる。
だから暗さ、重々しさがつきまとうが、それが逆に聴き手の心をつかむ。
その一方で、鈴木静一の曲には、日本の祭りのような明るい華やかな箇所が随所に現れる。
神輿を担ぎ、笛を吹き太鼓を鳴らして行進した日本独自のお祭りだ。
おのずと躍動感を感じ、腹に熱い感情が湧き起る。
それゆえに鈴木静一の曲には打楽器のパーカッションが多く使用されている。
このように鈴木静一の曲に魅力を感じる理由は、どんなにその文化や生活習慣が西洋化されようと、決して拭い去ることの出来ない、日本特有の根源的独自性、言わば日本的郷愁を聴き手に感じさせるからではないだろうか。

鈴木静一よりも13歳後で生まれた伊福部昭の「交響譚詩」、「日本狂詩曲」、「ピアノ組曲」や、芥川也寸志の初期の管弦楽「交響三章 トゥリニタ・シンフォニカ」なども、鈴木静一と類似する曲想、モチーフが使われているが、西洋の音楽が輸入される前の、日本独自の音楽が根付いていた時代の影響だと思われる。
その後、日本の音楽は西洋の音楽が急速に輸入され、日本の作曲家たちは前衛時代に多くの難解な無調音楽を生みだしたが、鈴木静一や伊福部昭は独自の路線を歩んだ。
ここに彼らの自分の音楽に対する強い信念を感じる。
多くの日本の作曲家たちは、前衛時代が終焉すると、無調音楽を捨てた。聴衆を意識しているからであろう。
作曲は聴衆あっての仕事であるが、流行や時流に関係なく、まずは自分の最も信念とするところの音楽を極めていくべきだと思う。
時代遅れだとか、流行遅れだとかは関係ない。その音楽に強い信念と感性があれば、聴き手は必ずついてくる。
前衛音楽にしても、徹底的にそれを貫いていればおのずと聴き手を感動させられるのである。

前置きが大変長くなったが、今日の「鈴木静一展」を聴いてまず思ったことはそのことである。
会場に着いて驚いたのが、訪れる人の多さである。
1632席のキャパをもつこのホールの、1階席、2階席はほぼ満席。
これほど鈴木静一の曲を聴きたい人がいるということにまずびっくりした。
ただ、客の殆どが中年以降の年代がおおく、若い世代は少ないようであった。
客の多くは、1960年代から1980年代前半を学生時代として大学のマンドリンクラブで鈴木静一の曲を弾いた方であろう。
今日の演奏者も、約8割が40代以上、50代以上が6割以上であった(プログラムより)。

さて今日のプログラムであるが、以下のとおり。

第一部
・バリのガメラン(1977年)
・交響詩「比羅夫ユーカラ」(1970年)

第二部
・「スペイン」第二組曲
・長谷雄卿絵巻による音楽物語「朱雀門」(1969年)

これらの曲は今回初めて聴くわけではなく、既にCD等で聴いており、「スペイン」第二組曲は学生時代に実際に演奏もしたが、やはり生演奏はCDで聴くのとでは感動する度合いが全然違う。
マンドリンオーケストラ曲は絶対に生演奏、それもレベルの高い団体の演奏を聴くに限る。
今回の演奏者は、「鈴木静一さんの音楽を愛する方ならどなたでもご参加いただけます」という主催者の案内から想像されるレベルをはるかに超えるレベルの高いものであった。
それもそのはず、社会人のマンドリン団体からの参加が殆どのようで、学生時代に弾いていたけど、何十年ぶりに演奏を再開して参加したという方は殆ど見受けられないように思われた。
管楽器やパーカッションの賛助も素人の域を超えるようなレベルで、実際、「比羅夫ユーカラ」のソプラノや「朱雀門」のナレーションの方々はプロであった。
そこに少なからずギャップを感じ、演奏はミスや乱れの無い洗練されたレベルの高いものであったが、自分としては、欲を言えば少し粗削りであってももっと昔を思い出させるような、もっと炸裂するようなパワーも感じさせて欲しかった。

第1曲目「 バリのガメラン」は、南国の島、バリ島のガメランという民族音楽をモチーフにしたとのことであるが、冒頭から日本古来を思わせる音楽で始まった。
雅楽で用いるような太鼓の音、日本の夜に聴こえてくるような静寂の音、しかしほどなくして明るい南国の音楽にがらっと移り変わる。
どことなく沖縄の音楽が感じられないでもないが、とにかく南国らしく明るい。
しかしまた静かな夜の静寂を思わせる音楽に転じる。ここでも古い日本的情緒を強く感じさせる箇所がある。
ここが鈴木静一の曲の特徴だ。
どんな曲でも体に染みついた自分の音楽的独自性が自然に現れてしまうのではないか。

第2曲目「交響詩 比羅夫ユーカラ」は以前記事で紹介したことがあるが、作者が北海道のニセコを旅したときに、比羅夫の寂しいを見て、以前から考えていたアイヌコタンを素材として作られた音楽だと言われている。
JR函館本線の小樽から倶知安の間に、比羅夫という小さな駅があるが、かつて北海道の原住民であったアイヌ民族のコタン()があったのであろう。
アイヌはこの音楽の解説を読むと分かるが、随分長い間、迫害を受けてきた。
北海道出身の児童文学作家、石森延男の名作「コタンの口笛」によると、昭和30年代初めまで千歳周辺にもアイヌ民族の生き残りのが点在し、和人(北海道以外の地方から移住してきた人々)から差別的扱いを長い間受けてきたことがわかる。
ところどころにソプラノの歌声が挿入されるが、その歌声は終始悲痛である。
アイヌの苦しみを表現する部分はとにかく暗く悲しい。アイヌを征伐する軍の活気ある有様を表現する部分との落差が激しい。
作者はその両方を出来るだけリアルに表現しているが、最後はアイヌの悲痛な気持ちを唄い、静かに曲を終わらせた。
ここが作者の人間性の表れであろう。

第3曲目は「スペイン」第二組曲であるが、これも以前に記事にしたが、作者がスペインに旅行した時の印象を曲にしたと言われている。
ゆっくりと走る列車の窓から見えるスペインの明るい太陽の日差しを受けた広大なひまわり畑を思わせるような旋律で始まり、スペインの名所や伝統的なフラメンコの音楽を素材として組曲にしたものであるが、この曲でも先のガメランと同様に、しらずしらずのうちに「鈴木節」とも言える音楽が混入されているのを聴いて、思わずほほえましく感じた。

最終曲は長谷雄卿絵巻による音楽物語「朱雀門」であるが、演奏時間が30近くにもわたる長大な曲である。
しかも音楽物語の演奏形態をとり、ナレーション(朗読)が主役であり、音楽演奏が物語をさらにリアルに深い感慨を与えている。
今日のナレーションは若い方であったが、自信に満ちよどみない素晴らしいものであった。
育ちの良い長谷雄と鬼とは全く異なる存在ゆえに、会話を使い分けるのはさぞ難しかったと思うが、最後まで緊張感を失わなかったのが良かった。
長谷雄が、鬼が用意した美女の美しさに惹かれていく様を表現した部分の音楽が印象的だ。
昔の音楽はこのような場面でも、はかなく悲しく表現されるのが意外にも新鮮に感じた。決して明るい夢心地の音楽にしない。さずがだと思う。
ここがこの音楽の核心だと感じた。

今回の演奏会では交響詩「比羅夫ユーカラ」と、長谷雄卿絵巻による音楽物語「朱雀門」が良かった。
演奏者たちから伝わる熱気を感じて、鈴木静一の音楽は聴き手の気持ちに潜在的に眠っている情熱を呼び覚ます力を秘めていると感じた。
1曲ごとに、まるで演奏が全て終了した時に出るような拍手が長い間鳴り響いた。
アマチュアでありながら、最高レベルの演奏を感動的に演奏してくれたことに対する感謝の気持ちで溢れていた。

この「鈴木静一展」は毎年演奏するようだ。
私もこのような大舞台で一度でも演奏できればと夢見ている。
もし夢がかなうのであれば、私の最も好きな曲である、交響譚詩「火の山」が演奏曲目の時に参加してみたい。



【追記20160516】
プログラムの中に、演奏者たちの「鈴木静一作品で弾きたい曲は?」というアンケート結果が載っていたが、1位が予想通り「失われた都」、2位が意外にも「火の山」であり、1位にも近い得票であった。
私は、「火の山」の方が、曲の構成力、旋律の美しさ、曲の主題と音楽の適合性、曲の変化の巧みさ等において、数段優れていると確信している。
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追悼 冨田勲氏

2016-05-09 23:54:01 | 邦人作曲家
今日(9日)の朝刊に、作曲家の冨田勲氏の死去を知らせる記事が載っていた。
享年84歳だった。

冨田勲といえば、まず思い浮かぶのはNHK「新日本紀行」のテーマ曲である。
この番組は昭和38年から昭和57年まで続いた長寿番組であったが、私が小学生から中学生くらいの頃までよく聴いた音楽であった。
とにかく、素朴でありながらインパクトのある曲で、音楽に殆ど興味が無かった子供の頃の私でもはっきりとこの曲は記憶に残っている。
日本の農村の景色が浮かんでくるような曲想であるが、日本古来の旋法を使用していないのに、とても日本的なものが伝わってくるところがこの曲の最大の魅力だ。
この音楽はまさしく1960年代の日本を象徴している音楽だと思う。
高度経済成長が始まる前に作られたのであろう。
まだ日本の自然が破壊されずに、日本ののどかな自然の良さが残っていた時代の雰囲気が蘇ってくる。
ギター曲でいうと、宍戸睦郎作曲の「ギターのためのプレリュードとトッカータ」(1969年作曲)の「プレリュード」がこのような雰囲気を持っている。

意外だったのは「ほっかいどう7:30」という北海道地区のローカル番組のテーマ曲が、冨田勲氏の作曲だったことだ。
この曲は私が小学校高学年の頃に、この番組を見て聴いたのであるが、これも強く印象にのこる曲で、今でもはっきりとその旋律が思い出せる。
口笛で演奏されるその旋律は素朴であり、番組よりもその音楽に聴き入ったものだ。

あと「リボンの騎士」という少女アニメの主題歌も印象に残っている。
これは私が幼いころに、姉が見ていたテレビで聴いて覚えていたが、この曲も強烈な印象を残し、今でもそのメロディは忘れていない。

他にも印象に残る彼の曲はいくつかあるだろうが、とにかくこれらの曲が知らず知らずのうちに私の心に残り続け、私が後年、音楽好きになる下地を作ったことは間違いないと思う。
その意味で冨田勲氏の存在は大きかった。
ご冥福をお祈りいたします。

(新日本紀行はオリジナルで聴くに限ります。下記はYoutubeでのオリジナル演奏です)



【追記20160510】
NHK北海道放送で昭和48年から昭和62年まで放映されたテレビ番組「ほっかいどう7:30」のテーマ曲を、Youtubeで見つけました。
音がかなり歪んでいましたが、40年ぶりにこの曲を聴いて、当時の暮らしが懐かしく思い出されました。
(昔はこんないい曲があったんだ!)


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