緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ギター録音(1)ヴィラ・ロボス作曲「練習曲第1番」

2020-02-29 22:46:25 | ギター
パソコンのフォルダにあるファイルを探していたら、随分前に録音したギター演奏のファイルが見つかった。
2011年8月18の録音。
曲はヴィラ・ロボス作曲の「練習曲第1番」。

この「練習曲第1番」を初めて聴いたのが中学2年生の時。ギターを始めて半年ほど経ったときで、初めて買ったギターのレコードに収録されていたのだが、ナルシソ・イエペスの6弦時代の録音だった。
このイエペスのアルペジオが驚異的な速度で、初めて聴いたときはクラシックギターって、どんな他のギター、エレキだってはるかに打ち負かすほどの難しい楽器なんだ、と心底思ったものだった。
そしてこのイエペスの演奏をカセットテープに録音し学校に持っていき、当時、同じ学年でエレキが一番上手いヤツに聴かせてやったことがあった。
そいつが驚く顔を見るのがどんなに心地よかったことか。

この曲に初めてトライしたのは大学1年生の時。
札幌のかさはら3条ギター店でマックス・エシッグ版の12の練習曲集を、結構な値段だったが、買ってバカのひとつ覚えみたいに何度も弾いていた。







この練習曲は、各右指の独立性とバランスを養うのに最適だ。
力を抜かないと速いアルペジオを出来ない。自分の録音のスピードではまだまだ。
しかしこんな曲を作れるなんてすごい。

先日の記事で、自分の演奏録音を記事に取り上げていくことを話した。
ギター弾きなのに、他人の演奏の感想や批評だけだと、どうなのかなと、それでいいのかな、という気がしてきたからだ。
自分の演奏を公開することは、自己表現したい、自己を知ってもらいたい、という欲求から来ていることは否定できない。
でも、それもいいかな、と思う。
Youtubeにだって多くの人が動画を投稿しているし。

ヴィラ・ロボス作曲「練習曲第1番」 2011年8月18日録音

聴いてみると、前半部のポジション移動に間が空いている。
ここは克服すべきところだ。
9年前の演奏なので、今克服できるか。

これからも時間を見つけて録音していこうかと思う。
自分の演奏の記録を残すことも必要だと思う。


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静かな夜に「夜想曲」2曲

2020-02-28 23:02:56 | ピアノ
静かな夜に聴くにふさわしい、ピアノの夜想曲2曲を聴いた。
1曲目は、フィリピンの作曲家ニカノール・アベラルド(Nicanor Abelardo、1893-1934)の「夜想曲第1番嬰ハ短調」。
アンドレス・セゴビアと同年の生まれだが、40代の短い生涯を閉じている。
シンプルだがよくまとまった曲だと思う。派手にしなかったのがいい。

Nicanor Abelardo - Nocturne in C-sharp minor (FAN REQUEST FINALE)


次はロシアの作曲家、ミハイル・グリンカ(Mikhail Ivanovich Glinka、1804-1857)の「夜想曲ヘ短調 別れ」。
いくぶん情熱的なところはあるが、この曲もシンプルで美しい。
アレクサンダー・ソコロフ演奏。

Mikhail Glinka - Nocturne in F minor "La separation" (audio + sheet music)


2曲ともギターではまず聴くことの無い調性。
まずは曲そのもの、ピアノの単音や和声の美しさを感じたい。
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懐かしい 南部せんべいを食べた

2020-02-24 22:57:09 | グルメ
ときどき、スーパーなどでせんべいを買って食べることがある。
先日、とても懐かしいせんべいを見つけた。





「南部せんべい」。
食べるのは子供の時以来だ。

南部せんべいってずっと見かけたことがなかった。
今はあまり人気がないのかな。
私の子供の頃はこの南部せんべいばっかりだった。
あと草加せんべいといったものもあった。ゴマ入りのしょうゆ味だった。

子供の頃母が買ってきた南部せんべいを見て、「え、また南部せんべいかよー」と言っていたのを思い出す。
今日買ったのは落花生入りのみのものであったが、子供の頃の食べたのはゴマ入りとのセットだった。

今日本当に久しぶりに食べたが、なんかほっとするような、素朴な味だった。

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社会人マンドリンクラブ飲み会参加

2020-02-23 23:54:56 | マンドリン合奏
今日、所属している社会人マンドリンクラブの練習後の飲み会に参加した。
このところ3週連続での飲み会参加である。
今日も普段話すことの出来なかったメンバーと話すことができた。
今回は私とほぼ同年代の指揮者の方と話をする機会があった。
機会を作ってくれたギターパートのメンバーの方に感謝したい。
好きな音楽の話をすることがこんなに楽しいとは今まで考えてもいなかったことだ。

思えば2年前に参加した大規模演奏会をきっかけに徐々に交流が広がってきた。
マンドリン・オーケストラをやる人って、派手さはないけど、いい人が多いという印象だ。
わずかばかりのお手伝いしかしていないと自分は思っているのに、ねぎらいの言葉をかけてくれることもある。本当に感謝したい。
何故もっと早くこういう人たちと交流を作ってこなかったのであろう。

人になかなか心を開くことができなかったこともあるだろう。
こういうハンディを宿命として背負いつつも、前向きに行動していきたい。
時すでに遅しという感は免れないが、人生=プラス・マイナス ゼロの法則を信じて、これからも交流を拡げていきたい。

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危険なバイクの運転

2020-02-22 22:40:06 | 
今日の新聞に、私の住んでいる所に比較的近い場所にある交差点での死亡事故の記事が載っていた。
亡くなったのはまだ16歳の女子高校生だと言う。
大型トラックの左折時に巻き込まれたとのことだ。
まだ若く、これからという年代なのに実に痛ましいことだ。

今日たまたま歯医者の行き帰りに、事故のあったその交差点を車で通りかかったが、大型トラックが左折するには厳しいほどの小さな交差点だった。
大型トラックの運転手は左折時に左後方の確認を怠っていた。
私が大学時代、卒業間近に教習所に通ったときに、左折時の巻き込み確認はかなり厳しく注意された。
ウィンカーを出し、ミラーで後方確認、ミラーの死角を左後方方向へ目視確認をしなければならなく、結構これが大変だった。
バイクや自転車が後ろについている場合に左折する時は、バイクや自転車が自分の車の側面に来ないように、車を目いっぱい道路の左側に寄せるように言われた。
そういうことを習慣づけないと、いつかは事故を起こすことになると言われた。
しかし今回大型トラックが左折時に巻き込んでしまったということは、ウェインカーを出すのが遅れて、自転車はトラックが直進するものだと思ってそのままのスピードで走ってしまったか、自転車がトラックの側面に平行して走っていて、大型トラックが左折することが分からなかった(すなわちウィンカーが見えなかったか、左折を知らせる音声が流れなかった)可能性がある。

今日歯医者に行った帰りに車を運転していたら、その事故があった交差点の手前の交差点で、何と右側から信号無視の小型トラックが走ってきたのには驚いた。
私の前に車1台いたので、最悪の事態には合わずに済んだが、もしタイミングがドンピシャ(こういう言い方は不謹慎だが)だったら、衝突されていたかもしれない。
信号無視ということは、スマホを見ていたか、居眠りか、飲酒か、考え事をしていたか、初めての道で目的地を探すことに目が行っていて信号が視野に無かったか、いずれかであろう。
私も過去に、信号無視してしまったことがある。
東京上野駅近くのコインパークに車を止めようと思って、コインパークを探していたら、信号があるのに気が付かず、赤信号なのにそのまま通り過ぎてしまったことがあった。
また信号無視ではないが、踏切の一時停止をせずにそのまま40kmくらいの速度で通り過ぎてしまったこともあった。
この時は秩父に行った帰りだったが、夜で視界が悪く、初めての道で急いでいたことが原因だった。

また今日、日が暮れたあとに車を運転していて、狭い見通しの悪い路地を左折したとき、このときは慎重に左右確認していたのが、左折した瞬間、無灯火の自転車が横切ってきてヒヤッとしたことがあった。
自転車の無灯火もとても危険だ。
無灯火が条例で罰せられるようになる前は、8割くらいの自転車が夜間にライトをつけていなかった。
恐らく街灯で明るい道にライトは必要ないと思ってのことだろう。
しかしこの無灯火がとても危険なのだ。
ドライバーからすると、黒っぽい服装に無灯火だと、自転車の存在がよほど手前になってからでないと気が付けない。
自転車に乗る人はライトを付けなくても、車のドライバーは自分の存在に気付くと思い込んでいるが、これは大きな間違いである。
ドライバーにとって、自転車はものすごく危険な存在だ。

あと最も危険なものがある。
それはバイク、それも中型、大型のバイクである。
中型、大型のバイクはスピードが出るためか、極めて恐ろしい運転をすることがある。
どんな運転かというと、片道2車線の道路で、右側と左側の車線の間を縫うように走り抜けていくのだ。
これほど車のドライバーにとって危険な存在はない。
このような運転は死と隣り合わせの運転だと言っていい。
事故に会う確率が高いことを承知でスリルを味わうために運転しているわけがない。
このような運転をする目的は、1秒でも早く目的地に到達するためである。
先へ先へとロスすることなく、1mでも先に早く進みたいからである。

車線と車線の間にバイクが走っているという現実に直面すると、ぞっとするする。
もし左隣の車が右車線に車線変更してきたら、もう命の補償は無いであろう。
左車線変更した車はサイドミラーでの確認だけだったとしたら、ミラーの死角にいるバイクの存在に気付かない。

誰か一人でもこのような運転をし出すと、次から次へと他のライダーも真似するようになる。
車と同じスピードで走っていることが、何か、格好悪い、時間を無駄にしている、臆病に見られる、負けてしまう、などに感じてしまうのであろう。
しかしこのような運転が、かなりの高い確率で死亡事故に直結すると思って間違いない。
このようなバイクの運転に遭遇したとき、それは後ろから自分の車を抜いていったときに初めて気が付く時でもあるが、たまたま運が良かったということでしかない。

このような危険で死亡事故につながるバイクとの接触事故に遭遇しないためには、車線変更する際に、必ず、ミラーだけでなく目視で左あるいは右の後方を確認することが必須だ。
この目視確認でかなりのリスクを軽減できるはずだ。


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