今日は社会人マンドリンクラブの次回定期演奏会に向けての練習が再開された。
メンバーと会うのは4か月ぶり。
ギターパートは8月初めに懇親会兼小演奏会があったのだが、参加できなかった。
このマンドリンクラブに入ってから1年以上になるが、ギター以外のパートの方々の多くは、まだ名前を覚えられないでいる。
まあ丁度1年前は同じパート内でもあまり話が出来なかったが、それに比べると大きな進歩だ。
これからもっと話せる相手を増やしていきたい。
今度2月末から来年5月の大規模演奏会の練習もスタートするが、これもマンドリン音楽好きの人たちと演奏が出来ると思うと楽しみだ。
今回はコミュニケーションの幅を拡げていきたい。
これからしばらくマンドリン合奏練習漬けになるな。
さて今日の朝刊の第一面を見ていたら、どこか見覚えのある本のタイトルと著者名が目に止まった。
「英文をいかに読むか」 朱牟田夏雄著 研究社 <新装復刊> とある。
しかも佐藤優氏の推薦で「英語を学ぶと共に西洋文明について知ることが出来る優れた参考書」とまで書いてある。
この朱牟田夏雄という名前で古い記憶が蘇った。
この本は私が高校3年生の時に受験対策として買った本だった。
共通一次試験が終り、2次試験対策として札幌の紀伊国屋で買ったものだった。
昭和34年初版。昭和56年50刷。 文健書房
この参考書を買った時期が高校3年生の丁度1月末から3月初めまでの自宅待機期間だった。
嫌な学校から開放されて、高校時代で最も充実感を感じた時期だった。
何故この本を選んだか思い出せないが、解答の解説が詳しかったからだと思う。
しかし私はこの本をやり始めたら意外にも難解で、途中で中断してしまった。
いい本だと思ったが私にはかなりレベルが高く感じた。
私が高校時代に買ったときの出版社は文健書房という出版社であったが、もう倒産して存在していないようだ。
復刻版は研究社が出した。
この本と同じ時期に、2次試験対策として文健書房刊の「和文英訳の修業」(佐々木高政著)も買った。
昭和27年初版、昭和56年四訂新版10刷。
この本は復刻されていないようだ。
この本もいい参考書だと思ったが、2次試験までの日数が少なく、やり切ることが出来なかった。
あと高校3年生になってしばらくしてから買って勉強したのが、研究社の「新自修英作文」(毛利可信著)
昭和42年初版、昭和53年19刷。
この本も完読しなかったが、結構やっていて面白かった。
説明がとても丁寧。
確か1、2年前にこの本の復刻版が販売されていたのを、八重洲ブックセンターで見かけたことがある。
今でも売っているのか。
この本を勉強していた時、姉が「この本は間違いが多くて、後で著者が謝罪文を掲載していたよ」なんてことを話していたことが思い出される。
それとこの本にまつわることとして思い出されたのは、高校3年生のある日、授業と授業の間の5分休みの間、トイレに行って席に戻ってきたら、その間机の上に出して拡げてあった「新自修英作文」72ページの冒頭になんと落書きがしてあったことだった。
72ページの冒頭のタイトルに「Ⅴ.転換A」と印字されていたのだが、「転」の左隣りに鉛筆で「性」と書かれていたのである。
誰かが私が席を外したすきにいたずらをしたのだ。
もうこの学校ってどうしようもない奴の集まりだったんですね。
今思い出せば吹き出してしまうような思い出なのだが。
ある時は体育の授業で教室から離れていた時に、私が当時愛用していたサンスターの皮の筆箱(立派なものではないが、昔ながらのオーソドックスなデザインのもの。古い世代は知っているかも)の皮と皮の間に、東鳩のロングセラーのココナッツビスケットが差し込まれていたのだ。
犯人はその体育の授業を休んだ奴である。
こいつは学校のトイレでタバコを吸っているのを見つかって、停学をくらい、修学旅行に行けなかった奴だ。
遊ぶ金欲しさにチェーンを振り回して、クラスの一人一人に恐喝して金をせびったり、暴力事件を起こして退学となって、下校時にバイクで爆音を響かせながら学校の玄関まで来て、遊び仲間を連れだしたりと、もうどうしようもない奴らがいる学校だった。
こんな学校から一刻も早くおさらばしたい一心で、死にもの狂いで勉強した。
中学時代ろくに勉強していなかったので、要領が悪く、塾や予備校も行かず独学だったので試行錯誤が多かったが、今までの人生でこの時代ほど一心不乱に勉強したことは無い。
この体験がそれ以降の自分の人生に𠮷と凶の両面の人生を与えた。
今振り返ると、この体験で失ったもの、この体験で悪影響を受けたと思うことがある反面、この体験が今の自分に物凄くプラスとなったと感じることがある。
これは自分にとって不思議な3年間でもあった。
話が脇道に反れたが、昔の参考書って格調高いし、努力を強いるものだったと思う。
私はこれらの参考書以外に英語は、美誠社の高梨健吉著「総解英文法」や「英語構文の研究」という名著を勉強したが、中学時代成績が5段階で2だったのを飛躍的に向上させた参考書だった。
この本は私の生き方を変えた本だ。
この高梨健吉の2冊と、先の朱牟田夏雄と佐々木高政と毛利可信の本は、何故か就職で東京に出た時の荷物の中にあった。
何で実家に置いておかずに東京に持っていったか当時の心境は分からないが、きっと何かの時に自分の助けになるお守りみたいな存在だと思ったのかもしれない。
今でもこれらの本は大切にとってある。
それだけでなく、これらの本をもう一度完読しようと思っているのだ。
高校生当時の記憶を思い出しながら、これらの本を読み返したいのである。
高梨健吉著「総解英文法」は残念ながら数年前に絶版となったようだ。
しかしこれらの参考書がなぜ今、40年の月日を経て復刻されるのか興味深い。
昔この参考書を手に取った人が懐かしく思って、復刻を望んだだけであろうか。
多分それだけではないと思う。
恐らく、現代の参考書と比較して、比べ物にならない程内容が充実しているからではないか。
英語のように時代の進展とともに内容が陳腐化するものでなければ、出版年は古くても、内容が充実しているものはおのずとニーズが高まるのだと思う。
現代の英語教育は会話中心で、英文読解は二の次でおざなりになっているのではないか。
だから英文解釈や英文法などの良書が無いのかもしれない。
昔の、受験戦争と言われた時代の参考書って、著者が渾身の力で書き上げたものが多いと思う。
メンバーと会うのは4か月ぶり。
ギターパートは8月初めに懇親会兼小演奏会があったのだが、参加できなかった。
このマンドリンクラブに入ってから1年以上になるが、ギター以外のパートの方々の多くは、まだ名前を覚えられないでいる。
まあ丁度1年前は同じパート内でもあまり話が出来なかったが、それに比べると大きな進歩だ。
これからもっと話せる相手を増やしていきたい。
今度2月末から来年5月の大規模演奏会の練習もスタートするが、これもマンドリン音楽好きの人たちと演奏が出来ると思うと楽しみだ。
今回はコミュニケーションの幅を拡げていきたい。
これからしばらくマンドリン合奏練習漬けになるな。
さて今日の朝刊の第一面を見ていたら、どこか見覚えのある本のタイトルと著者名が目に止まった。
「英文をいかに読むか」 朱牟田夏雄著 研究社 <新装復刊> とある。
しかも佐藤優氏の推薦で「英語を学ぶと共に西洋文明について知ることが出来る優れた参考書」とまで書いてある。
この朱牟田夏雄という名前で古い記憶が蘇った。
この本は私が高校3年生の時に受験対策として買った本だった。
共通一次試験が終り、2次試験対策として札幌の紀伊国屋で買ったものだった。
昭和34年初版。昭和56年50刷。 文健書房
この参考書を買った時期が高校3年生の丁度1月末から3月初めまでの自宅待機期間だった。
嫌な学校から開放されて、高校時代で最も充実感を感じた時期だった。
何故この本を選んだか思い出せないが、解答の解説が詳しかったからだと思う。
しかし私はこの本をやり始めたら意外にも難解で、途中で中断してしまった。
いい本だと思ったが私にはかなりレベルが高く感じた。
私が高校時代に買ったときの出版社は文健書房という出版社であったが、もう倒産して存在していないようだ。
復刻版は研究社が出した。
この本と同じ時期に、2次試験対策として文健書房刊の「和文英訳の修業」(佐々木高政著)も買った。
昭和27年初版、昭和56年四訂新版10刷。
この本は復刻されていないようだ。
この本もいい参考書だと思ったが、2次試験までの日数が少なく、やり切ることが出来なかった。
あと高校3年生になってしばらくしてから買って勉強したのが、研究社の「新自修英作文」(毛利可信著)
昭和42年初版、昭和53年19刷。
この本も完読しなかったが、結構やっていて面白かった。
説明がとても丁寧。
確か1、2年前にこの本の復刻版が販売されていたのを、八重洲ブックセンターで見かけたことがある。
今でも売っているのか。
この本を勉強していた時、姉が「この本は間違いが多くて、後で著者が謝罪文を掲載していたよ」なんてことを話していたことが思い出される。
それとこの本にまつわることとして思い出されたのは、高校3年生のある日、授業と授業の間の5分休みの間、トイレに行って席に戻ってきたら、その間机の上に出して拡げてあった「新自修英作文」72ページの冒頭になんと落書きがしてあったことだった。
72ページの冒頭のタイトルに「Ⅴ.転換A」と印字されていたのだが、「転」の左隣りに鉛筆で「性」と書かれていたのである。
誰かが私が席を外したすきにいたずらをしたのだ。
もうこの学校ってどうしようもない奴の集まりだったんですね。
今思い出せば吹き出してしまうような思い出なのだが。
ある時は体育の授業で教室から離れていた時に、私が当時愛用していたサンスターの皮の筆箱(立派なものではないが、昔ながらのオーソドックスなデザインのもの。古い世代は知っているかも)の皮と皮の間に、東鳩のロングセラーのココナッツビスケットが差し込まれていたのだ。
犯人はその体育の授業を休んだ奴である。
こいつは学校のトイレでタバコを吸っているのを見つかって、停学をくらい、修学旅行に行けなかった奴だ。
遊ぶ金欲しさにチェーンを振り回して、クラスの一人一人に恐喝して金をせびったり、暴力事件を起こして退学となって、下校時にバイクで爆音を響かせながら学校の玄関まで来て、遊び仲間を連れだしたりと、もうどうしようもない奴らがいる学校だった。
こんな学校から一刻も早くおさらばしたい一心で、死にもの狂いで勉強した。
中学時代ろくに勉強していなかったので、要領が悪く、塾や予備校も行かず独学だったので試行錯誤が多かったが、今までの人生でこの時代ほど一心不乱に勉強したことは無い。
この体験がそれ以降の自分の人生に𠮷と凶の両面の人生を与えた。
今振り返ると、この体験で失ったもの、この体験で悪影響を受けたと思うことがある反面、この体験が今の自分に物凄くプラスとなったと感じることがある。
これは自分にとって不思議な3年間でもあった。
話が脇道に反れたが、昔の参考書って格調高いし、努力を強いるものだったと思う。
私はこれらの参考書以外に英語は、美誠社の高梨健吉著「総解英文法」や「英語構文の研究」という名著を勉強したが、中学時代成績が5段階で2だったのを飛躍的に向上させた参考書だった。
この本は私の生き方を変えた本だ。
この高梨健吉の2冊と、先の朱牟田夏雄と佐々木高政と毛利可信の本は、何故か就職で東京に出た時の荷物の中にあった。
何で実家に置いておかずに東京に持っていったか当時の心境は分からないが、きっと何かの時に自分の助けになるお守りみたいな存在だと思ったのかもしれない。
今でもこれらの本は大切にとってある。
それだけでなく、これらの本をもう一度完読しようと思っているのだ。
高校生当時の記憶を思い出しながら、これらの本を読み返したいのである。
高梨健吉著「総解英文法」は残念ながら数年前に絶版となったようだ。
しかしこれらの参考書がなぜ今、40年の月日を経て復刻されるのか興味深い。
昔この参考書を手に取った人が懐かしく思って、復刻を望んだだけであろうか。
多分それだけではないと思う。
恐らく、現代の参考書と比較して、比べ物にならない程内容が充実しているからではないか。
英語のように時代の進展とともに内容が陳腐化するものでなければ、出版年は古くても、内容が充実しているものはおのずとニーズが高まるのだと思う。
現代の英語教育は会話中心で、英文読解は二の次でおざなりになっているのではないか。
だから英文解釈や英文法などの良書が無いのかもしれない。
昔の、受験戦争と言われた時代の参考書って、著者が渾身の力で書き上げたものが多いと思う。