緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

懐かしい英語参考書が復刻

2019-10-27 20:39:21 | 学問
今日は社会人マンドリンクラブの次回定期演奏会に向けての練習が再開された。
メンバーと会うのは4か月ぶり。
ギターパートは8月初めに懇親会兼小演奏会があったのだが、参加できなかった。
このマンドリンクラブに入ってから1年以上になるが、ギター以外のパートの方々の多くは、まだ名前を覚えられないでいる。
まあ丁度1年前は同じパート内でもあまり話が出来なかったが、それに比べると大きな進歩だ。
これからもっと話せる相手を増やしていきたい。
今度2月末から来年5月の大規模演奏会の練習もスタートするが、これもマンドリン音楽好きの人たちと演奏が出来ると思うと楽しみだ。
今回はコミュニケーションの幅を拡げていきたい。
これからしばらくマンドリン合奏練習漬けになるな。

さて今日の朝刊の第一面を見ていたら、どこか見覚えのある本のタイトルと著者名が目に止まった。

「英文をいかに読むか」 朱牟田夏雄著 研究社 <新装復刊> とある。
しかも佐藤優氏の推薦で「英語を学ぶと共に西洋文明について知ることが出来る優れた参考書」とまで書いてある。



この朱牟田夏雄という名前で古い記憶が蘇った。
この本は私が高校3年生の時に受験対策として買った本だった。
共通一次試験が終り、2次試験対策として札幌の紀伊国屋で買ったものだった。
昭和34年初版。昭和56年50刷。 文健書房







この参考書を買った時期が高校3年生の丁度1月末から3月初めまでの自宅待機期間だった。
嫌な学校から開放されて、高校時代で最も充実感を感じた時期だった。
何故この本を選んだか思い出せないが、解答の解説が詳しかったからだと思う。
しかし私はこの本をやり始めたら意外にも難解で、途中で中断してしまった。
いい本だと思ったが私にはかなりレベルが高く感じた。

私が高校時代に買ったときの出版社は文健書房という出版社であったが、もう倒産して存在していないようだ。
復刻版は研究社が出した。

この本と同じ時期に、2次試験対策として文健書房刊の「和文英訳の修業」(佐々木高政著)も買った。
昭和27年初版、昭和56年四訂新版10刷。







この本は復刻されていないようだ。
この本もいい参考書だと思ったが、2次試験までの日数が少なく、やり切ることが出来なかった。

あと高校3年生になってしばらくしてから買って勉強したのが、研究社の「新自修英作文」(毛利可信著)
昭和42年初版、昭和53年19刷。





この本も完読しなかったが、結構やっていて面白かった。
説明がとても丁寧。
確か1、2年前にこの本の復刻版が販売されていたのを、八重洲ブックセンターで見かけたことがある。
今でも売っているのか。

この本を勉強していた時、姉が「この本は間違いが多くて、後で著者が謝罪文を掲載していたよ」なんてことを話していたことが思い出される。
それとこの本にまつわることとして思い出されたのは、高校3年生のある日、授業と授業の間の5分休みの間、トイレに行って席に戻ってきたら、その間机の上に出して拡げてあった「新自修英作文」72ページの冒頭になんと落書きがしてあったことだった。
72ページの冒頭のタイトルに「Ⅴ.転換A」と印字されていたのだが、「転」の左隣りに鉛筆で「性」と書かれていたのである。



誰かが私が席を外したすきにいたずらをしたのだ。
もうこの学校ってどうしようもない奴の集まりだったんですね。
今思い出せば吹き出してしまうような思い出なのだが。
ある時は体育の授業で教室から離れていた時に、私が当時愛用していたサンスターの皮の筆箱(立派なものではないが、昔ながらのオーソドックスなデザインのもの。古い世代は知っているかも)の皮と皮の間に、東鳩のロングセラーのココナッツビスケットが差し込まれていたのだ。
犯人はその体育の授業を休んだ奴である。
こいつは学校のトイレでタバコを吸っているのを見つかって、停学をくらい、修学旅行に行けなかった奴だ。
遊ぶ金欲しさにチェーンを振り回して、クラスの一人一人に恐喝して金をせびったり、暴力事件を起こして退学となって、下校時にバイクで爆音を響かせながら学校の玄関まで来て、遊び仲間を連れだしたりと、もうどうしようもない奴らがいる学校だった。

こんな学校から一刻も早くおさらばしたい一心で、死にもの狂いで勉強した。
中学時代ろくに勉強していなかったので、要領が悪く、塾や予備校も行かず独学だったので試行錯誤が多かったが、今までの人生でこの時代ほど一心不乱に勉強したことは無い。

この体験がそれ以降の自分の人生に𠮷と凶の両面の人生を与えた。
今振り返ると、この体験で失ったもの、この体験で悪影響を受けたと思うことがある反面、この体験が今の自分に物凄くプラスとなったと感じることがある。
これは自分にとって不思議な3年間でもあった。

話が脇道に反れたが、昔の参考書って格調高いし、努力を強いるものだったと思う。
私はこれらの参考書以外に英語は、美誠社の高梨健吉著「総解英文法」や「英語構文の研究」という名著を勉強したが、中学時代成績が5段階で2だったのを飛躍的に向上させた参考書だった。
この本は私の生き方を変えた本だ。

この高梨健吉の2冊と、先の朱牟田夏雄と佐々木高政と毛利可信の本は、何故か就職で東京に出た時の荷物の中にあった。
何で実家に置いておかずに東京に持っていったか当時の心境は分からないが、きっと何かの時に自分の助けになるお守りみたいな存在だと思ったのかもしれない。

今でもこれらの本は大切にとってある。
それだけでなく、これらの本をもう一度完読しようと思っているのだ。
高校生当時の記憶を思い出しながら、これらの本を読み返したいのである。

高梨健吉著「総解英文法」は残念ながら数年前に絶版となったようだ。
しかしこれらの参考書がなぜ今、40年の月日を経て復刻されるのか興味深い。
昔この参考書を手に取った人が懐かしく思って、復刻を望んだだけであろうか。
多分それだけではないと思う。
恐らく、現代の参考書と比較して、比べ物にならない程内容が充実しているからではないか。
英語のように時代の進展とともに内容が陳腐化するものでなければ、出版年は古くても、内容が充実しているものはおのずとニーズが高まるのだと思う。
現代の英語教育は会話中心で、英文読解は二の次でおざなりになっているのではないか。
だから英文解釈や英文法などの良書が無いのかもしれない。

昔の、受験戦争と言われた時代の参考書って、著者が渾身の力で書き上げたものが多いと思う。
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ウィンドウオッシャータンク交換

2019-10-26 20:30:47 | 
フロントウィンド用のウィンドウオッシャー液が殆ど無くなっていたので、補充しようとタンク上部の蓋を開けようとしたら、タンク本体の一部が破損してしまった。



とりあえずガムテープで塞いだが、タンク自体が経年劣化で寿命を迎えているために新品に交換することにした。
新品のタンクはディーラーに注文。



680円(税抜き)と意外に安かった。



今日の午後、交換作業に取り掛かる。
タンクはねじ2本で固定されている。



ねじを外す前に、電動ポンプ上部のカプラーを外す。





次に、ウオッシャ液をフロントウィンドに送り込むための小さなホースを外したが、外した瞬間にタンク内の洗浄液がホースから溢れ出た。





洗浄液は再使用するのと、エンジンルームを汚すのを避けるため、再びホースを取り付ける。
ここでちょっと考えた結果、ホースを外さないでタンク固定用のねじを外し、タンクが外れたらタンクを逆さにして液が漏れない状態にしてから、ホースを外すことにした。

外したねじ。



タンクが完全に外れた後に、中のウオッシャ液をバケツに移すのであるが、ウオッシャ液の中にタンク破損時に侵入した破片やゴミが入っている可能性を感じたため、濾過してからバケツに流し込むことにした。

家に黄ばんだ古いシャツがあったので、それを切ってバケツの上部に被せ、こすことにした。



案の定、破片やゴミが結構たくさん混入していた。
これをポンプで吸ってしまうと、ホースやノズル内を詰まらせてしまう。



外したタンク。まだ電動ポンプは付いたままだ。



次に電動ポンプをタンクから外すのだが、タンクに埋まっているポンプをスライドさせようと手で押してもびくともしない。
よく見たら、ポンプの先端に水取り込み用の口があり、それがタンクに差し込まれていた。
これだといくらスライドさせようとしてもポンプが動くわけがない。



ポンプを上方向に引っ張り上げなければならないことに気付く。
しかし手でいくら引っ張り上げようとしてもポンプはびくともしない。
タンクの出っ張りがしっかりとポンプをくわえ込んで離そうとしない。
この憎き出っ張りをマイナスドライバーでこじ開けようとしたがこれもダメだった。
そこで考えたのはマイナスドライバーを下の写真のように差し込み、テコの要領でポンプを押し上げてみたら、楽に取り出せた。
あっけない。
押し上げる時は、ポンプを破損しないよう気を付けながらゆっくりやった方がいい。



タンク新旧比較。



外した電動ポンプ。



このポンプを新しいタンクに取り付ける。
結構硬いが、外すときよりも楽に出来た。

ポンプが付いた状態でタンクを車体に取り付ける。
柄の短いドライバーでないと、干渉してねじが回せなかった。



取り付け後。



配線用のカプラーとホースを元通りに取り付ける。





バケツに入れたウオッシャ液をタンク上部の蓋を開けて流し込む。



完成。

エンジンを始動し、ウオッシャ液が正常に出るか確認する。
前よりも勢いよく出てきた。タンク内の圧力が高まったためか?
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1984年母校マンドリンクラブ定期演奏会の録音テープ発見

2019-10-25 21:26:07 | マンドリン合奏
今日たまたま古いカセットテープを押し入れから探していたら、全く思いもよらないものが見つかった。
それは、私が大学3年生のとき、1984年に開催された母校マンドリンクラブ定期演奏会の録音テープだった。
こんなテープがあったなんて夢にも思わなかった。



古い記憶が蘇ってきた。
そうだ、この定期演奏会の直前に、大学の知り合いの先輩に演奏会を聴きに来てもらうよう頼んだら、聴いてくれただけでなく何と録音もしてくれたのだ。
また思い出したが、この先輩が「大倉山」という日本酒を差し入れしてくれた。
そしてこの「大倉山」を打ち上げコンパでがぶ飲みして酔いつぶれた。

この古いテープのインデックスには何も書かれていなかった。
ただケースの背に「マンドリンコンサート」とだけ書かれてあった。



この「マンドリンコンサート」という記載が無ければ、恐らく一生この録音に気付かなかったに違いない。
なんせこの録音自体が存在することすら35年間ずっと、記憶から外れていたのだから。
今思い出せば、この先輩から確かにテープを受け取ったが、そのテープを聴いてみたら同じ大学の室内管弦楽団の録音だった。
その後の記憶が思い出せない。
テープが間違っていると言って、交換してもらったという記憶はない。
しかし、今日、確かに、まぎれもなく、観客席から生録音された1984年の定期演奏会が録音されたテープが自宅に存在していた。経緯は今となっては分かない。
しかしこんな嬉しいことってない。
35年ぶりに旧友に再会したときのような感動だ。
去年の夏には実際に50周年記念演奏会でその夢を果たしたが、自分たちの過去の演奏に再会するとは夢にも思っていなかった。

早速、このテープをカセットレコーダーに入れて再生してみた。
いきなり、ラヴィトラーノの序曲「レナータ」の演奏が飛び込んできた。
しばらく耳を澄ます。
上手いではないか!
しかも物凄いエネルギーに満ちた演奏。びっくりした。
あの時代の母校がこんな演奏しているとは思わなかった。
はっきり言ってぶったまげた。

「レナータ」が終ったところでいった中断し、その当時のプログラムを引っ張り出して、どんな曲を弾いたのかを確かめた。





【プログラム】

第Ⅰ部
「レナータ」序曲 H.Lavitorano作曲
「聖母の宝石」間奏曲 Wolf Ferrari作曲 鈴木静一編曲
「ジェノヴァ」序曲 Raffaele Calace作曲 中野二郎編曲

第Ⅱ部
剣の舞~舞踏組曲「ガイーヌ」より Aram Khachaturian
ソルヴェーグの歌 Edward Grieg作曲 中野二郎編曲
歌劇「カルメン」組曲 Georges Bizet作曲 
 1.前奏曲
 2.アラゴネイズ
 3.ハバネラ
 4.アルカラの竜騎兵
 5.終曲
歌劇「仮面」序曲 Pietro Mascagni作曲

第Ⅲ部
序曲 ニ短調 Salvatore Falbo作曲
大幻想曲 「幻の国」~邪馬台~ 鈴木静一作曲

そして「聖母の宝石」を聴く。



この曲も思い出の曲。
秋が深まりととにこの曲のしみじみとしたものを感じていた。懐かしい。あの時の景色が蘇ってくる。

「仮面」もよく練習した曲だ。
学生時代に弾いたときの楽譜を見たら、運指が一切書かれていない。
運指など楽譜に書き込まなくていいほど練習していた。
(今は、細かく運指を楽譜に書き込まないと弾けない)
運指は頭の中に全部、100%入っていた。
だから誰の隣に座って、誰の楽譜を使っても大丈夫だった。
またあの中間部の短調の美しいアルペジオだ。このフレーズは私のお気に入りだった。

そしてファルボの序曲ニ短調。



数か月前にこの曲を35年ぶりに聴きたくなってYoutubeで探して聴いたけど全然ピンとこなかった。
こんな曲だったかなあ、という印象だった。
しかし今日、この母校の演奏聴いて、「そうだ、まさにこの曲!、この曲なんだ」と気づいた。
後半部からの物凄い炸裂するパワー。
信じられないほどの凄まじいエネルギー。
最後には勢い余って走ってしまった輩がいるが(その中に私も含まれる)、それにしても凄い。
私の母校は当時、「低音系のパワー」が充実した団体、カラーを持つと言われていた。
まさにそれを体現した演奏。

極めつけは鈴木静一の「幻の国」。



この曲も「交響譚詩 火の山」と共に燃え尽きるまで弾き切った思い出の曲。
管楽器とパーカッション合わせて総勢70名ほどの演奏だった思う(母校は50数名)。
最初のかき鳴らしからして雄大で力強い。凄いパワーだ。



次の部分などは弦が切れるかと思うほど強く弾いたものだ。









決してパワーだけでない。繊細な表現も見事だ。終始、緊張感を失わない。
聴き手の体の芯から熱くする。
終結部はこれ以上ないというほどの力強さ。
曲の余韻が終らぬうちからすぐに大きな拍手が聴こえる。
聴き手は決してマンドリン音楽に詳しくないというのに。


今日偶然発見したこの演奏を聴いて、決して大袈裟ではなく本当に感動した。
母校だからひいきするというのではなく、本当に、正直な気持ちとして、体の芯から熱いものが湧き起ってくるほどの感情的、エネルギー的な大きな反応があった。
思えば、母校の自分達の演奏って振り返って聴いたことがなかった。
録音が無かったことにもよるが、客観的に自分達の演奏の技巧的、音楽的レベルを評価することが出来なかった。

ここ数年、関東を中心に数多くの学生、社会人のマンドリン団体の演奏を聴いてきたが、全てでは無いにしても、多くは何か物足りなさを感じていた。
完成されたテクニックで、洗練されたスマートな演奏スタイルが多かったと思うが、自分自身としては何かが欠けていると感じていた。
今日母校の演奏を聴いて、それが明確に分かった。
この時代の母校の演奏は、曲の持つ感情の波に乗っていた。
粗削りで土臭いところはあるが、細かいところにとらわれず、音楽の持つ感情の力にそのままに同化し、それを余すところなく、出し切っていた。
ちょっとくらいの技巧の乱れなんかには動じない骨格の太ささがあった。
当時のメンバー達は、学生特有の有り余るほどの感情的パワーやエネルギーをマンドリン音楽を手段にして放出し、満たしていた。
そして定期演奏会で全てのエネルギーを出し切り、完全燃焼し、演奏会が終ったら生きる屍のようになっていた。
しかしこれは学生団体にしかできないことだ。

当時の母校の演奏の録音を聴いていなかった私は、現在の一流の学生マンドリン団体の演奏と比べて劣っていると感じていた。
しかし今、この感じ方は完全に払拭された。
この母校の演奏は、マンドリン音楽にとって何が最も大切なのか、改めて気づかせてくれた。

このカセットテープは私にとって宝物となるであろう。
在学中の他の年度の定期演奏会の録音は、確か1983年のがあったはずだが、自宅では見つからなかった。
どこにあるのか。実家か。

夏の演奏会も含めて在学中の録音を聴きたい。
まずは、1984年の定期演奏会で第Ⅰ部と第Ⅲ部を振った、同期のMに連絡を取って、録音を残してあるか聞いてみようかと思う。




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エミリオ・プジョール作曲「グアヒーラ」を聴く

2019-10-22 16:14:27 | ギター
思いっきり暗く、荒涼としていて、恐ろしく不気味な現代音楽を聴きたくて探しているのだが、なかなか見つからないので、その反動で陽気で明るいギター曲を聴いてみることにした。

曲はエミリオ・プジョール(Emilio Pujol 1886-1980)作曲「グアヒーラ」(Guajira)という曲。
この「グアヒーラ」を初めて聴いたのは高校3年生の時で、ちょうどそのころ放送されたFMラジオで、アレクサンドル・ラゴヤの演奏だった。



Alexandre Lagoya - Guajira (E.Pujol)


エミリオ・プジョールのギター曲は既に6弦時代のイエペスの演奏で「熊蜂」を聴いていたが、エミリオ・プジョールがこんな明るくて陽気な曲を作っていたことが意外だった。
とにかく今までに無いギター曲で、当時暗かった私でもこの曲は何か惹き込まれるものがあった。
そしてこの曲を好きになったもう一つの理由が、アレクサンドル・ラゴヤの演奏だった。
このFM放送で彼の演奏を初めて聴いたのだが、胸のすくようなテクニックと美音で、当時の著名なギタリストに無い魅力があった。
他にアルベニスのタンゴやコルドバの演奏が聴けたが、コルドバの演奏は素晴らしいものだった。
カセットテープの録音が途中で切れてしまって、その後このコルドバの演奏録音を聴きたくて探しているのだが、見つけることが出来ないでいる。
グアヒーラの入ったレコードは社会人になってだいぶ経ってから、中古レコードで見つけた。



高校生の頃、これと同じレコードが札幌の玉光堂で売られていたが当時の私には買えなかった。
(コルドバはこのレコードとは別のレコードだと思われる)
ちなみにラゴヤの妻で早世したイダ・プレスティもこの曲を録音に残した。



ラゴヤとは二重奏で多くの名演を残したが、このグアヒーラの演奏はラゴヤのものとはだいぶ異なるものだ。

社会人になってしばらくしてから、ジュリアン・ブリームが「ロマンティック ギター」というアルバムをCDで買ったが、このアルバムの中に「グアヒーラ」が収録されており、ブリームがこの曲を弾くことがとても意外に感じたのである。



ブリームの演奏はラゴヤとかなり違っていた。
ラゴヤの演奏が頭に刷り込まれていた私は、ブリームのこの演奏にいささか落胆した。
そして1、2回聴いただけでこの演奏を聴くことはなくなった。

しかし今回このブリームの弾く「グアヒーラ」を久しぶりに聴いてみて、以前(30年近く前だと思うが)聴いた時の印象と全く違っていた。

Julian Bream - Emilio Pujol - Guajira


4、5回繰り返し聴いてみると、このブリームの演奏が物凄くスピリットに溢れていて、誰も到達できない程のレベルにまでこの曲をものにしているのではないかと思えるほどに感じるものがあった。ギターをただ弾いているという感じとは全く違う!
(ラッセルの演奏と是非聴き比べて欲しい。)

とくに次の部分は凄い。









ブリームの録音を聴いてからしばらくして、この曲を自分で弾いてみようと思い楽譜を買ったが、はっきり言って難しすぎ。
楽譜は新品状態で現在に至っている。


(グアヒーラの楽譜は「3つのスペインの曲」という曲集の中にある)

とにかくこの曲はいろいろと深く考えず、スペイン人が生み出した独特の音楽、乾いた風土から生み出されたからであろう、明るく陽気でリズムに富んだ気分を味わってみるのが一番だ。

グアヒーラはフラメンコの曲で、いかにもスペインの伝統音楽の雰囲気が伝わってくる。
オリジナルを聴きたければ、ラモン・モントーヤ(Ramón Montoya)の演奏がYoutubeにある。

(注)
Youtubeの音が、オリジナルの録音よりもとても悪くアップロードされている(とくにラゴヤ)。
このYoutubeの音や演奏が本来のものとは思わないように。
可能であればオリジナルの音源を聴くのが最もいい。

そしてエミリオ・プジョールの曲でいい曲(練習曲)を見つけた。
後日記事にしたい。
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覚和歌子 作詩/信長貴富 作曲 覚和歌子の詩による混声合唱曲集「等圧線」より リフレイン を聴く

2019-10-21 20:55:41 | 合唱
合唱曲でいい曲を見つけた。
覚和歌子 作詩/信長貴富 作曲 覚和歌子の詩による混声合唱曲集「等圧線」より リフレイン

リフレイン (信長貴富「等圧線」より) - 合唱団ひぐらし



とても強い浄化作用を感じる。
人は日常でさまざまな嫌なことや、悪いものにさらされる。
このようなものを邪気というらしいが、こういうものを一切合切洗い流すほどの力を、この曲は持っていると感じた。

心が疲れた時に是非聴いて欲しい。
理屈抜きに、この音楽から放出されるものを浴びて欲しい。

歌詞はコピペで恐縮だが、下記に載せておく。


くりかえし咲くつぼみ
くりかえし実る枝
来る年も来る年も
そのたびになつかしい

くりかえし積もる雪
くりかえし溶ける雪
来る年も来る年も
そのたびにはじめまして

くりかえし寄せる波
くりかえす雨の音
夕映え空

くりかえし歌う鳥
くりかえし回る星
何度でもくりかえすこの時は
たった今

明くる日も明くる日も
どれだってひとつきり
なんどでもくりかえすこの今は
一度だけ

くりかえし歌う鳥
くりかえし回る星
くりかえし見つめ合い
くりかえし好きと言う

明くる日も明くる日も
どれだってひとつきり

なんどでもくりかえす
この今は 一度だけ
この今は 一度だけ

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