世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

あれから4年

2015年03月11日 22時08分08秒 | Weblog
やはり今日は社内でも震災の話がそこらかしこでなされていた。
4年前の3月11日。
あの日、私は有楽町の東京国際フォーラムで開催されていた東証IRフェスタに外出していた。
2011年03月12日 「昨日から今日まで」

そして帰宅困難のまさに難民になり、銀座を無駄に銀ブラした。
夜、国際フォーラムの地下に誂られた避難所で夜を越す覚悟で座っていたのだが、場内アナウンスで地下鉄は動いていることを知り、何とか自宅から近い地下鉄の駅まで帰ることができた。
実家も本棚が倒れたぐらいで済んだ。

震災後も暫くは非日常が続き、不安な日を送っていた。社内が停電になり、暗いオフィスで悴む手を擦り合わせながら仕事をしたこと、スーパーで食料品が品薄状態だったことなど、昨日のことのように思い出す。

その年の10月には被災地に行き、現場の惨状を目の当たりにした。
2011年10月09日 「この目で見た津波の爪痕」


14:46、仕事中だったが、心の中で黙祷を捧げた。


午後、来週から経営管理室に来る後輩男子が挨拶に来た。
素直そうな男子である。なんでも彼は宇宙好きらしい。

来週から、どんな経営管理室になるのだろうか。ワクワクである。

吉熊上司(10歳差)私(6歳差)後輩女子Cちゃん(6歳差)後輩男子
という年齢構成。

吉熊上司は私を自分の領域(ジジババグループ)に入れたがる。
私と後輩女子Cちゃんの間に線引きをしたがっているのである。
「○○さんはこっちのグループだろ!」
と必死なんである。その様子に大爆笑。


後輩女子Cちゃんと退社。
「あの日も寒かったよねえ」
と、やはり震災が起こったときの話になってしまう。


帰宅後は、先日、妹と婚約者の顔合わせで先方からいただいたお菓子をモリモリと食した。
滋賀県大津市の「叶匠壽庵」のお菓子(葉守)。
品のある甘さがたまらない。栗が入っていた。


6年半前、京都旅行でここの茶室棟に入ったことがある。(2008年08月14日 「ねぇ君。愛は痛いのです。」


震災が起きた日以降、必ず思うことがある。
日常こそ、かけがえのないものだということ。
同僚と笑ったり、美味しいものを食べて「ウマウマ」と思えるこんな日常は、実は物凄くありがたいことなんである。きっと。
あの日の震災で、多くの人の多くの日常が奪われた。その悲しみは計り知れない。


明日は退社後、ビジネスマナー講座の2部を受講予定。
今日は早く寝よう。