世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

中間決算日に想う

2005年09月30日 23時57分20秒 | Weblog
ぐへぇ~たまらんのぅ~。

今日も、シンセサイザーを操る小室さん状態だった。
忙しくなると語尾が荒くなるのが私の悪い癖。反省。

三月に決算を迎える会社は、今日が中間決算日。決算日恒例、ラーメン屋にて独り飲み。胃も良くなってきたし。明日は休みだから、ニンニクたっぷりラーメン。ニンニクとアルコールの絶妙なハーモニーが、たまらん。
毎日お粥だったので、油っぽい食品に羨望を覚えていた。一口目のスープは胃に…いや、心に染みた。

昼休み、会社の喫煙所から見た空が綺麗で、暫し見とれてしまった。
まるで昔の東武デパートの包装紙のようだ。


来年の今頃も
きっと秋空に感動し、ラーメン屋でチューハイ飲んでいるんだろうなぁ。自分。

当たり前のように未来を描けることは、きっと本当は当たり前のことではないのだろう。

来年、私がここでラーメン食べられる確率ってどれくらいなんだろ。

酔った頭で考えど、アルコールは思ったより早く効き始め、私は今あるこの幸せを感じるのに精一杯だった。


秋空の下で

2005年09月29日 22時40分16秒 | Weblog
秋空が眩しい。
乾いた空気が心地よい。

もう少ししたら、朝夜だけでなく、昼までも涼しくなるのだろう。

もう何年も生きているのに、毎年いつ頃から本格的に寒くなるのかを予想できない。
気付くと寒くなっていて、「今年も残すところ…」という年末お決まりのフレーズを聞いている。

年末まであと三ヶ月。


年末まで、きっと…

小さな風邪を引くのだろう、
ドラマ「大奥」を観てこのブログに感想を述べるのだろう、
ブーツを新調するか迷うのだろう、
紅葉を見に出かけるのだろう、
毎年楽しみにしているエスティローダーのクリスマスコフレをワクワクしながら購入するのだろう、
年末商戦の為、リポビタンをグビグビ飲むのだろう、



一見、のっぺりとした毎日だが、こう考えると私にも小さな行事があるもんだ。

来年、良い年を迎えるべく、あと三ヶ月、楽しみを胸にラストスパートをかけようと思った。
秋空の下で。


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好きな本、好きな音楽

2005年09月28日 21時39分54秒 | Weblog
昨夜、マイスリーを絶ってみた。
眠気を誘うように簿記の本を布団にお供させて読んでみたが、明け方まで全く眠れなかった。結局、諸掛のところ(自己負担で仕入した時の仕分け等)を覚えてしまった。
受験の時、あんなにいつも眠かったのに。
今となっては、どうやって眠りに就いていたか、全くわからん。
やっと眠りに落ちても、変な夢を三本立てで見る始末。
その度に起きてしまい、日中かなり眠かった。
頭が回らない。困ったものだ。

しかし、夕方になるにつれて元気になる。今現在も元気。
退社後、元気いっぱいになった私は、CD屋さんで一青窈のシングル「かざぐるま」を購入♪シングルはあまり購入しないんだが、映画「蝉しぐれ」のCMで流れる主題歌を聴いた私は、「これは!!」と思った。
曲の一部分聴いただけで、「この曲、好きになるかも」と感じたのは昨年の大塚愛の「金魚花火」以来。どっちも「日本的情緒溢れる音階」という共通点がある(私の中で)。
演歌ではなく、演歌ふう。そういう曲が好き。
一青窈の歌詞も、毎度のことながら胸に凍みる。


只今、クライマックスに向け読み進めている「ツ、イ、ラ、ク」。
前半はけっこう単調な流れなのだが、後半は激流を思わせる展開なんである。
しかも切ない。あまりにも切なすぎて、読むのが辛い。痛い。悲しい。苦しい。

先を読みたいのに読めない。
どうなるか知りたいのに、怖くて読めない…。
主人公に幸せになってもらいたいと祈ってしまう小説なんて初めてだ。
隼子があまりにも「14歳」そのものを生きていて、
その様子が、
その感情が、
…リアルで苦しい。
登場人物を取り巻く小物や場所も巧く使われていて、心象的である。
しっくりくる。
このしっくり感こそが、小説を書いた著者と読者の「秘密の暗号」であり、小説を読む最大の醍醐味だと思う。

好きな本、好きな音楽が側にあるって、いいもんだなぁ。

高速モーター

2005年09月27日 22時38分07秒 | Weblog
メロスは激怒した。
速度制限しようと決めたのに、朝から忙しかった。

遠目で今日の私を見たら、たくさんのシンセサイザーに囲まれた小室さんが、倍速でシンセサイザーを操る動きに似ていたかもしれない。

「やべぇ。終んないかも…。いや、日はまだ沈まぬ。待っていてくれ。セリヌンティウス!」

…走れメロスの気持ちがよ~く分かった。
残業して何とかゴールに到達し、コンビニに寄って帰宅。


以前、会社の上司と飲んだときに、「そうだよなー。会社と家の往復じゃ、彼氏できないよなー。」と言われた。焼き鳥を食べながら。

「できないんじゃないです。いらないんです。」と言っても分かってくれないだろうし、そういうことを公言すると余計「この子ってホントは彼氏欲しいんだな」という誤解を招く恐れがあるので、自粛した。


会社と家の往復。

好きなんだが。

好きなMDを聴きながら「今日も頑張ろう」と思ったり、疲労という土産を片手にしながら「今日のブログは何書こうかな」と考える帰り道が。
毎日毎日同じリズムを刻むことが。

好きなんだが…。

好きでなければ、いや耐えられなければ、OLなんてやってらんないと思う。
単調なリズムの中で、楽しいことや大切なことをいかに見落とさないようするか、みんな工夫している。それがOLの定めではないだろうか。

工夫の末に培われた私の典雅な日常が、ストライクにあったピンのように「バッコーン!」と崩壊されるのが怖い。

私は私の人生を生きたい。
無器用だから、他人のことを考えつつ、自分の人生を生きるのは無理だと思う。
彼氏ができる、できないは、運やその人間の「彼氏ほすぃ」というモチベーションが作用して、結果としてできるものである。
初めから「いりません」と新聞の売り込みを拒否するようなスタンスをとっている人間は、洗剤や映画のチケットを添付されても、拒否するもんである。
新聞の売り込みを拒否しても哀れの目で見られないのに、「殿方のいる生活」を拒否すると好奇の目に晒されるのは何故だろう。哀れむばかりか、憶測や想像でその人間を着色し、陰で笑うのは何故だろう…。

昔はそんな一つ一つがストレスにも繋がったが、最近はそうでもない。
そういう勘違いをした哀れみの言葉にも、適当に相槌打ちながらニコニコ出来るようになった。
ブログを始めて半年以上。
その成果だと考察する。
言いたいことのほとんどを言えず、体内に循環させていた昔に比べると、公の電波に自分の考えを言及できる今は、比にならないほど気持ちが楽である。

白鳥が優雅に見えるのは、水面下でバタバタ足を動かしていると聞く。
私の中で、このブログは水面下での白鳥の足のような役割を果たしているのだろう。
…高速モーター付きの。

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速度制限

2005年09月26日 23時02分04秒 | Weblog
胃の薬が切れたので、また病院へ。
満腹時と空腹時、まだ胃がシクシクすることを医師に告げると、
今日から強い薬に変えるとのこと。

タケプロン
ホエイ、ゲシュウル、ジアスターゼ、酸化マグネシウム、ノイエル細粒…の混合。
羅列すると化学の授業っぽい。
常用している漢方薬とマイスリーも飲む。

…いつの間に、こんなに弱い人間になってしまったんだろう。

落ち込む帰り道、道端に彼岸花が咲いていた。
燃えるような朱色が、じんわり心に沁みた。

速度を緩めると視界が広がる。
色々なモノが見えてくる。

生きるスピードを許される限り、ゆっくりにしようと思う。
無理をしないで。
確実に歩きながら、ゆっくりと。
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深窓の令嬢

2005年09月25日 23時17分56秒 | Weblog
吉熊が家に来てから、以前より散歩をする機会が増した。
少々風は強いが雨は降っていない今日の様な日曜日は、大概外に出ている。

今日は湯島にある旧岩崎邸庭園を散歩。
三菱創設者・岩崎家本邸である。
明治29年に創設された洋館。
外観は「ちびまる子ちゃん」の花輪君の家のようである。
薄暗い洋館の中。
カーテンを通した外からの光が、大きな柱や壁を優しく撫でる。
木造建築特有の重厚さが心地よかった。

「なにもこんな所まで拘らなくてもいいじゃん」といった所まで拘り抜いてある。
階段に手すりには、やっぱり彫刻。
桑や樫でできた床は寄せ板(模様がキレイ)。
カラフルなタイル(ロンドンからの取り寄せ品)を敷き詰めたテラスの床。
客室がいっぱい。

贅沢のスケールが、私の世界と違いすぎて、ただただ溜息だった。

男爵や貴婦人たちがここで夜な夜な舞踏会をしていたんだろうなぁ…良いなぁ。
うっとりモードの私は、すっかり深窓の令嬢気取になっていた。
モダンな洋装(若しくは振袖)に身を包み、男爵に愛想を振り撒く私。
「いやだわ、ほほほ」とか言っている。
やがて、許婚の殿方以外の男爵と舞踏会中に駆け落ち…嗚呼、素敵だわ。
妄想は止まらない…。

この邸宅には和室もある。
洋館の廊下を歩いていたら、いつの間にか和室に入場していた。
今、思い返しても、その継ぎ目がどこだったか思い出せない。

洋館とは異なり、和室はなんだか落ち着く。
書院造の広間にある襖や畳とか。

こんなに和洋折衷炸裂なお家って初めて見た。
「となりのトトロ」の草壁さん家も和洋折衷だったが、あんなの比ではない。

せっかくここまで来たのだからと、湯島天神にお参りに行く。
受験シーズンではないので閑散としていた。

その後、「東京うどん天神」で「しっぽくうどん」を食べる。(胃を気遣って、最近うどんばかり。)
筍や玉子、麩や蒲鉾など7種類のおかずが薄味の汁の中にうどんと共に浮いている。うどんもしこしこしていて美味しかった。

御徒町まで歩き、宝石店巡りをした。
宝石は無色透明のダイヤモンドが一番好き。
色石では、9月の誕生石・サファイア。
その中でもパパラチアサファイアに惹かれる。
パパラチアサファイアの優しいオレンジピンクは、
夕日やサウダージを思わせる。
なかなかロマンチックな石である。

今日はキレイなものにたくさん触れられた。
妄想の世界に住む深窓の令嬢は、満足したようだ。
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ナラタージュの蟻

2005年09月24日 23時07分31秒 | Weblog
過去に恋をする、
過去に恋をする自分に恋をする自分を解析してみた。

過去とは死んだ時間だと誰かが言ってた。
確にそうだ。
過去から学んだことを教訓として活かす手段はあるが、
過去を今に蘇生することはできない。

最近の私は死んだ時間に恋をしている。
いや、恋とは堕ちるものだ。するものではない。
…これも誰かが言っていた。

過去=死んだ時間。

死体に寄り添い、精気を吸い取られる童話の主人公のような私。

過去に恋するメリットとは傷付かないでいられることである。
反芻・懐古で蘇った思い出は、私の中で勝手に美化された心地良い玩具である。
玩具は私を傷付けない。邪魔もしない。
都合の良い時だけ取り出せる。


玩具欲を恋と錯覚している自分を充分認識している。
でも、もう少し、あと少し、この気持ちを私の中で舐っていたい。

高校時代、友達が「味が薄くなったガムを吐き出して、下敷に付けて扇いでまた食べると味が蘇る」って言っていた。
私は彼女の発言を信じたい。甘い過去が蘇るのならば…。

しかし、過去に恋することは、甘いばかりではなく、切なくて、辛くて「早くこんな気持ちに飽きれば良いのに」とさえ思う。
そんな祈りは焦りに変わりつつある。
「逃げなくては」と思うほど蟻地獄に引き込まれる蟻になった気分である。

堕ちていく蟻は、蟻自身、ある種の快楽を得ているに違いない。
このままではいけない、と思いつつも、このまま堕ちていったら「このままではいけない」という焦りから解放されることに気付いている筈だから。
今の生活と過去を天秤にかけ、今の生活の方に少し重みを感じる私は、完全に堕ちることはないだろう。
そのことも熟知している。
だから私は堕ちてゆく過程を客観視して、この文を打てるのだと思う。


過去に恋する。
過去に堕ちていく。
どうすることもできない。
…確信犯的であっても。

今はただ堕ちていく中で、過去という舞台に輝く一筋の幻の光だけを見ていたい。
あと少し
もう少し…




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Love Angel

2005年09月23日 23時53分46秒 | Weblog
♪る~るるるるる~で始まる長寿番組「徹子の部屋」を観ていた。
今日のゲストはヨン様。
平日、この時間は会社に居るので、この時間の番組を違和感を覚えながら観てしまう。
販売員時代は平日休みが基本で、昼ドラやワイドショーをよく観ていたが。

最近、過去の世界にどっぷり生きる私を案じてか、
吉熊が「亮ちゃん、お外に出ようよう、出ようよう。」とパジャマの裾を引っ張る。

そうだなー…。そんなに暑くないし、外に出るか。

ということで、新宿御苑に行った。思い付きで。
広大な芝生や大きな木、そこで昼寝やバドミントンをする人々。
平和な今の日本の象徴のような風景である。
遠くに東京タワーやヒルズ、DoCoMoのビルが見える。

サンダルを脱ぎ、裸足で芝生の上を歩く。
ちくちくして気持ちが良い。
纏足のようにいつもピンヒールに閉じ込められている足がのびのび喜んでいるようだ。
座ってメールを打ったり読書をした。
飽きると芝生の上で吉熊とコロコロ寝転んだ。
背中に大地をくっつける。
目を閉じていても太陽の光は容赦なく眼球の奥にある視神経まで届く。

ここが都心だということ、
私が会社員だということ、
明日も仕事だということ、
胃潰瘍だということ、
…全部忘れていた。
自分が地球上に存在する一生物であることだけを実感として得られた。

16時。閉園のアナウンスが流れる。
「まだいたいよ~!帰りたくないよ~!」と泣く吉熊を宥めて、御苑を出る。
高島屋で買い物をしていたら芋子から電話。
彼女も新宿に居るらしい。偶然。
早速会って飲んだ(←毎週会っていないか?)。
「かくれがバー ぞんぶん」にて。

今宵もたくさん話した。話題が尽きない。
江國香織の小説「間宮兄弟」のようである。

私の胃を心配して消化の良い食品を積極的に選んでくれた芋子(石焼鍋のお粥、美味しかったね)。
そんな芋子の気持ちを知ってか知らずか、大好きなジンライムを躊躇なしに飲む姉・亮子。昔からこのパターンである。

明日は仕事の私に気を遣ってくれ、さっくり解散。

帰りにTSUTAYAにてhitomiの「Love Angel」を借りて帰宅。

「また 私 輝きます  何回だってつまづいても
失ってきたモノが ホラ いつの間にか 強さに変わっている」


…明日は仕事。明後日は再び休みだから頑張るか~。


おもひでぽろぽろ

2005年09月22日 23時50分19秒 | Weblog
「今日はコレとアレやって、さっさと帰る!」と、明確に目標を定めていた。
いつもより仕事が捗った。
急に好奇心が沸き起こり、自分の仕事の処理能力を知りたくなった。
滞りなく業務を終え、タイムカードを押した私はマラソン大会で完走した気分に似た充実感と爽快感を久々に得た。

…な~んて書いているけど、詭弁である。

「おもひでぽろぽろ」という映画がある。
27歳の独身OL(タエ子)が、10日間の有給休暇を使い(←信じらんね~!)、
山形の遠い親戚の家で農作業を手伝い悦に入る話。
そこにいた若い殿方(トシオ)を親戚に薦められて、初めは動揺するんだが、結局「そんな私もアリかな?」なんて勘違いをし、東京に帰る電車を降りてトシオの元に引き返すんである。
話自体には惹かれない。そんなOLいるか?って思ってしまう。ちょっと農作業を手伝っただけで、その後の人生を勘違いで確定させる生き方が、保守派の私には響いてこない。私だって尾道をこよなく愛しているが、あそこで生活する自信はない。

小学5年生の自分と今の自分の対比が「おもひでぽろぽろ」の主軸である。
山形にいる間、何をしていても小学5年生で体験した出来事に結びついてしまう困った27歳OLタエ子。
算数で2を取った、給食を残さないで食べる規則が苦痛だった、性教育に衝撃を受けた、挙げ句、…「分数の割り算が出来た子はその後の人生もうまく行く」という格言まで述べ出す始末。

特定の期間の出来事を思い出すことはあっても、今の生活に深く絡めることのない自分はこの作品を厳しく評価していた。

しかし、先日、あの「ツ、イ、ラ、ク日記」を紐解いてからというもの、なんだか中学3年生の自分が今の自分の中に居付いてしまっているようだ。

きっちり三編みをし、ニキビの耐えないオデコを出し、暗いんだか明るいんだか今でも判断つきかねる様子の当時の自分。
日記の中心が、思いを寄せていた先生のことだったせいもあり、思い出の中心も先生だ。

「彼は今、何しているんだろう」と一日何回も思う。
気になる。
昇華できないモヤモヤした気持ちが、あの日記で再燃してしまったようだ。

いつも良い香りがした先生。
卒業後、CHANELのCHRISTALが先生の香りに一番似た香水だと判断した私は、それを買った。切ない香りが、彼の気だるい様子を彷彿とさせる。

痛む胃を押さえながら、香水片手に卒業文集を本棚から持ち出し、頁を捲る。
神経質そうな文字。そして彼らしいサディスティックな文体。
彼の声まで耳元に蘇ってきそうだ。

「自分の人生を精一杯生きてください。」という有り触れた言葉で締め括られている。

そこだけ凝視する。ただひたすら凝視する。

自分の人生を精一杯生きる…。卒業文集でよく述べられそうな言葉である。
しかし、よく、よ~く考えると奥が深い。

会社にいる時間は会社のためだけにある時間だと思っていたが、よく考えてみると私の人生の一部でもある。会社に貢献しつつも、自分の人生を無駄にしない…そんな生き方は可能なのだろうか?

仕事をするということは、辛いことが殆んどだということをこの5年半で知った。
でも、どんなに落ち込んでも、「もう嫌だ。死にたい。」と思っても、それらの出来事から私はたくさんのことを学んだつもりだ。

仕事を通してでも自分の人生は生きられる。
気持ち次第なのかもしれない。
「今の私を先生が見たらどう思うんだろう。」ということを意識して、今日は頑張った。

先生もいつも授業中、先生自身を生きていたように思う。

私が15歳の時、30歳だった先生。

もうすぐ、私はあの時の先生の年齢に追い付く。

その時、私はどんな人生を生きているんだろう。

プリン+醤油=海栗

2005年09月22日 00時39分57秒 | Weblog
朝→絶食
昼→カロリーメイト、カップスープ
夜→トースト、ホットミルク

これが今日の私の食事。

食欲は多少あるものの、「食べたら胃が痛くなる」という脅迫観念が頭をちらつき、怖くて食べられない。
(結局、お昼御飯も無駄になってしまった。)

私は、決して美食家ではない。
何でも美味しく食べられる、お得な味覚の持ち主である。
唯一できる料理「カップワンタンにコンビニで購入したオニギリを入れる即席雑炊」が好物である。(日曜日の昼は「新婚さんいらっしゃい」を観ながら、大抵これを食べている。)
また、隠れ技として、プリンに醤油をかけて「海栗」を再現し、
一人で贅沢な気分を味わえる。貧相な「美味しんぼ」を常々楽しんでいる。

そんな生活しているから、胃がおかしくなってしまったのではないだろうか。

珍しく反省なんかしてしまう。
気分そのものが病人モードになってしまった。
今まで大きな病気をしたことがない私。
不安も相俟って、すっかりめげてしまっている。

「健康の時は、健康の有難さが分からない。」
…多くの人に論じられている言葉である。
やっとその意味が分かった。

「痛い目に合わないと分からない」
よく母に怒られる際に使用された私の枕詞。
母の言っていたことの意味も分かった。

色々なことが、分かった。
…分かったから、早く健康な胃に戻っておくれ…。
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胃潰瘍の日活ロマンOL

2005年09月20日 22時55分13秒 | Weblog
胃が痛い。
お昼にオニギリを二個食べたが、夕方トイレで戻してしまった。
仕方がないので、退社後、会社近くのお医者さんへ行く。
(会社の上司が診察時間を確認してくれた。)

診察室に入ると、中年のオッサン先生がいた。そして尋問された。
「どうしましたか?」

とにかく胃が痛い。
ムカムカする。
妊娠していないことは明らか。想像妊娠でもない。
とにかく涎が集まってきて、気を抜くと口許から垂れそうになる。
3連休、実家に帰ったら「アレ食え、コレ食え」と食品を出され、
土曜日に餃子を50個食べ、
日曜日は普通の2倍はあるかと思われるミートスパゲティを
美味しいのでつい完食してしまった。
マイスリーを常用している。
一昨日は生理痛がひどかったので、ロキソニンとマイスリーを一緒に飲んだ。

…という胃に関するような近況を摘んで述べた。

「アレ食え、コレ食え」の表現をしたところから看護婦さんたちがクスクス笑っていた。真実なんだけどなあ。


「んじゃ、横になって」
私はワンピースの上に黒のジャケットを着ていたのだが、
そのままで良いというので、そのまま横になった。

腹をグイグイ揉まれた。
腹を触られるのが弱い私は、
…多分笑いながら目を瞑り、そして悶え…変な顔をしていたと思う。
日活ロマンポルノに出てくるベタなOLのようだったと推測される。

「潰瘍だね」
日活OLに背を向け、カルテに何かを書き込みながら先生は言う。

「今日は絶食ね。どうしても何か食べたいならオモユね。あと柔らかいベトベトのうどん。シコシコのうどんは駄目だよ。」

料理をしない私の部屋には鍋がない。
オモユもベトベトのうどんも幻の食品である。
実家に帰らないと口にできない。

ここは、会社近くの病院。
診察前に出した保険証に社名が記載されている。

「私、料理しないんでそんなもん作れません」
とは言えなかった。

「一人は一校を代表する」というのは母が出た高校のモットーであったらしいが、
「一人は一社を代表する」という言葉も充分存在する可能性があるこの地域社会で、
自分を純粋にさらけだすのは危険だ。

「はあ…」
と答える。

「オモユって分かるかな?お粥の上澄みみたいな汁ね。」
丁寧にオモユの説明までしてくれた。
米倉斉加年の「おとなになれなかった弟たちに」で、乳が出ない母親が子供に飲ませたやつでしょ?知ってるよ、そんなの。
しかし、どうにやったら製作できるのであろう。
米にお湯をかけるとその汁が発生するのだろうか。

「あと、禁酒禁煙ね」
…何を言っているんだろう、この人は。

「それは無理です」
…「一人は一社を代表する」良い子ちゃんモードの私もここまで。
無理だよ、禁煙なんて。
先生は、ニコチンは胃を収縮させる、という説明を延々としてくれたが、
最早「馬の耳に念仏」である。
とりあえず「努力してみます」と答えたが。

7日分の薬を処方された(ガスターD錠、ストロカイン錠)。

SEIYUに寄り、レトルトのお粥を購入した。お湯を注ぎ、食べた。
薬飲んで、一服して、シャワーを浴びた。

…今宵は早く寝ます。
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私の「ツ、イ、ラ、ク」記

2005年09月19日 23時55分18秒 | Weblog
9/19(月)
栃木といえども、大変暑い一日だった。
体調も優れないので、実家から一歩も外出せず、自室で一日中読書(姫野カオルコ「ツ、イ、ラ、ク」)をしていた。
昨日、パスタを食べ過ぎたせいか胃もたれが酷く、太田胃散を飲んで横になっての読書。

シニカルで、そしてクールな表現によって紡ぎ出される姫野文学。
今回は田舎の女の子の目から見た世界が中心らしい。
まだ途中までしか読んでいないが、「そんな女子がいたなぁ」「田舎のスーパーってそうだよね」など共感しつつサクサク読んでしまう。
新撰組における力関係を女子のそれに当てはめて客観的に見つめるところに「これぞ、姫野文学の中心だぜ」と感じ嬉しかった。

帯には「心とからだを揺さぶる、一生に一度の、真実の恋」
「森本隼子14歳。地方の小さな町で、彼に出逢った。ただ、出逢っただけだった。雨の日の、小さな事件が起きるまでは。」
と記載されている。

私の読み進めた段階ではまだそんなストーリーを感じることはできない。
多分隼子が好きになるであろう中学教師の存在は確認できるのであるが。

中学教師ねぇー…。
そうそう、隼子ではないが、私も先生に恋したことがあったっけ…。
本を閉じ、天井の木の模様を眺めながらぼんやり彼を思う。

しばらくそうしていたが、やがて、五年ぶりに押し入れの衣装ケースを急に開けたくなりそうすることにした。

今年最後になるであろうセミの声がする。
夕暮れが近いのであろう、暑さが引いていた。
…センチメンタルなこの気持ちを迎合するかのように。

母が「夕御飯の用意が出来たよ」と呼んでいるが無視した。

埃っぽい衣装ケースを開け、引っ越し以来の思い出との再会。
授業中に回した小さな手紙、足尾銅山の石、大好きだったメイプルタウン物語の着代え人形、たくさんの思いが詰まった品の中にそれはあった。

日記である。

スヌーピーがプリントされた小さな日記帳。
たしか、「たかぎ」という地元のファンシーショップで購入したものだ。

中学二年の二月から一年にかけての毎日が綴られていた。

読んでみる。
書いたのは私であるが、私ではない他人の日記のような気がした。
…そうでも思わないと、恥ずかしさで死んでしまいそうな内容なんである。

9割方、好きな殿方についてのことが主観的に書かれていた。
相手は前述の中学時代の先生。
15歳年上で、ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ似で冷淡な人であった。
…眼鏡を取り上げたら「あぁ~目がぁ!目がぁぁぁ!」と言いそうな人であった。


平成4年2月14日、バレンタインの儀式に則り、彼にチョコを贈呈したらしい、私。
しかも金額まで書いてあり、当時の私の経済状況まで偲ばれる。
2月15日、他の女子と仲良くお話している彼に私は日記の中で狂おしいほど激しく嫉妬し、絶望しているんである。まるで安田講堂で学生運動をしている学生のような文体で。
…これを恥ずかしいという表現しないでいられようか…。
12年後、唯一の読者である私の方が読んでいて絶望してしまいそうである。

3月のある日の日記には、彼が授業中に「知っているつもり」を観ていることを述べたことが記載されていた。
あれから私も熱心なあの番組の視聴者になったらしい。

その他、彼が小学二年のときにゴジラを映画で観て歓喜した、という他愛のない内容から、彼の出身地、血液型、出身校、彼の兄の娘の名前…という今の私にはあまり必要でない彼の個人情報まで細やかに記載されている。

雪かきの日に私が使用した道具を彼が使用した事実を喜んだ。
彼が授業の進捗状況を教科書にメモする時に、私の筆記用具を使用しては「このシャーペンは誰にも触らせない」と日記に宣言していた。

こんなことに頭や時間を使うなら、どうして化学式の一つを覚えなかったんだろう。
関数の放物線を上手く書く努力をした方が有意義だったんじゃないか…。


一度だけ彼から電話をもらったことがある。
高校受験前の寒い夜である。
彼は私の担任でないので、電話をもらうことは想定外であった。
クラスの中で私は教科リーダーという役割分担を担っていた。
授業が始まる前にその教科の先生に指示を受け、クラスにその内容を伝達する…今の仕事に通づるような秘書的要素のある業務である。

彼が好きで、私は彼の受け持つ教科の教科リーダーになった。
電話の内容はその件について。
「明日、私は出勤できませんので、授業は自習だとクラスのみんなに伝えてください」。
生憎私は塾に行っていて、電話は母が取った。
「なんか、さっき電話があって、明日は自習でお願いしますだって」。
髪を乾かしながら呑気に告げる母。
続けて「受験頑張ってくださいだってさ」…。

その時の、靴下を介して伝わる廊下の冷たさや、母のネズミ色の寝巻きの色も、
私ははっきり今でも覚えている。

「なんで電話してきたんだろうね。」
私はいぶかしげな顔をしながら母に答えたが、胸は張り裂けそうなぐらい嬉しかった…らしい。日記によると。

成人式の日に再会した彼は、もう眼鏡を外し、結婚して所帯を持っていた。
遠い、遠いところに行ってしまった。

恋をした思春期の女子は、もう女そのものと何ら変わりがない。
あの時を振り返り「子供だったよね」と思っていたが、
あの時に比べれば多少経験は増えたけど、あの時の方が他人を思う気持ちの質量は高かった気がする。

実りある恋をせずに、私はこのまま死んでいくのかと思うと損した気にもなるのだが、あの日記を読む限り、あの恋が一生に一度の恋だとしても「まぁいいか…なんか恥ずかしいけど」と思えるので、許すことにしよう。

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べリテンライブ 2005

2005年09月19日 23時23分33秒 | Weblog
9/18(日)
宇都宮のラジオ局主催のライブ「ベリテンライブ2005」に行く。
ろまんちっく村という宇都宮市の第三セクター施設で毎年行われる野外ライブである。昨年はDo As Infinityやnobodyknows+ が出ていて、芋子と楽しんだ。
今年はハイロウズやPUFFYが来るというので、前々から父にチケット取ってもらい、楽しみにしていた。
広い開場に、若人多数、…中年僅か。
若者は前方に陣取り、ノリノリである。
最早、気力体力的に若者に属していないのであろう私は両親と後方で座りながら、ステージを鑑賞していた。

で、PUFFYである。
パパパパパフィ、である。
「白のパンダをどれでも全部並べて~」である…。
若者を押し退け、前方で彼女達を観たが、可愛いんである。動きが。顔が。声が。


ふと空を仰げば、空の色が赤から青に染まり、闇が近付いていた。
山々が影となり、鈴虫が鳴き渡る。
やがて赤い月が出てきて、ライブは終わった。

今回のライブは、芋子の親友りんごやさんと殿方二人も一緒(いつもブログを読んでくれてありがとう)。
紛れも無く若者である。

帰りに、FKDインターパーク近くの「Glass Day」というパスタ屋さんでみんなで夕御飯を食べた。
窯で焼かれたピザや、粗びきのミートが乗ったボリュームいっぱいのパスタなどを出すお店。
ピアノの生演奏が素敵で、うっとりしてしまった。

帰宅後、朝から体調が悪かった私は、マイスリーとロキソニンを飲んでさっさと就寝。


月の光がベランダに反射して眩しかった。
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「女王の教室」 ~阿久津先生、ありがとうございました~

2005年09月19日 23時11分08秒 | Weblog
9/17(土)
実家に帰る。

阿久津先生、ありがとう…「女王の教室 最終話」を観終え呟いた。
この夏、一番ハマったドラマ。
いや、今まで色々なドラマを観てきたけれど、一番好きなドラマと断言できるものかもしれない。
数年前、「女の価値は男の数で決まるのよ」という台詞が強烈だった「シュムニ」を観たとき「こんなにドラマにハマることはもう二度とないだろう」と思った。(まだ私は学生で、会社組織に関する知識が未熟だったゆえ、庶務二課が総務部に属していることすら知らなかった。)

久々に涙したドラマ「女王の教室」。
卒業式を抜け出し、教室で「先生、ありがとうございました」と、生徒一人一人が阿久津先生に泣きながらお礼をするシーン。
学園モノドラマの定番シーンである。
「教師びんびん物語」や「金八先生」のように、先生がそんな生徒達を抱き締め「みんな~」と泣くのがお決まり。
しかし、さすが女王阿久津先生。
自主的に生徒が歌う「仰げば尊し」を背中で聴きながら涙ぐむのだが、
くるりと振り返ってクールな表情で「いつまで感傷に浸っているつもり?」…。
惚れた、惚れますた!素敵~。
あくまで自分を崩さない阿久津先生だが、涙が溢れないように上を向く彼女の姿を見て、「嗚呼、この人にも感情があるのね」と、テレビの前で涙涙の私。
笑ったり泣いたりしない、まるで能面のような阿久津先生だったが、
生徒が一つ一つの壁を乗り越える姿を見守る阿久津先生の表情に、だんだん豊かさが芽生えてきた。
「照れ」や「嬉しさ」が、阿久津先生の眼差しや瞬きの早さのタイミングで察知できるようになった私は紛れもなく阿久津先生の虜なんだろう。
また、女優天海祐希の賜なのだと思う。

「教育は奇跡を起こすことが出来る。だから私は何があっても教師を辞めない。」って阿久津先生が言っていたが、6年3組の生徒達はたくさんのミナクルを起こしてくれた。
困難を与えられ、苦悩しながら成長する子供達。
小さな脳味噌で必死に考えて自分達で答えを出す。
学級会や道徳の時間が与えられるわけでもなく、子供一人一人が頭の中で考えて答えらしきものを導き出す。
そんな姿に私は毎回応援を送っていた。
そして、私も生徒と一緒になって考えた1クールであった。

「子供なんて大嫌い。できれば一生関わりたくない。半径30メートルの領域には入ってもらいたくない。」その思いは今も変わらない。
しかし、教育によっては、私好みの子供に成長する可能性が子供にあることを知った。
子供に奇跡を起こさせるため、大人は沢山の努力や忍耐が科せられるわけで、それをいとわず体を壊しながら、まるでセコムのセンサーのように24時間体制で生徒を見守っていた阿久津先生に拍手してしまう。
国民に厳しいと思われていても、国民のことを誰より案じている女王。
それがこのドラマのタイトルの所以なのだろう。

私はあのクラスの生徒ではないが、社会人としての仕事に対する構え方を教えてもらった気がする。阿久津先生、ありがとうございました。

追記
初めの方の回で、祐介君がお母さんに捨てられたことを阿久津先生が教室で声高に暴露していたシーンがある。
阿久津先生ファンの私であるが、どうしてもあのシーンには疑問符として心に引っ掛かっていた。プライベートな事を態々持ち出して…傷付けすぎではないか?と。
しかし、最終回、行方知らずの祐介君のお母さんは何故か祐介君の卒業式に来て、祐介君と再会できる。
阿久津先生はずっと祐介君のお母さんを探し続けていたらしく、そして、「卒業式に出てあげなさい」と言ったらしい。

その辺のフォローがちゃんとされていたことに、このドラマ制作者や脚本家の遊川さんの細やかさを感じた。

酔っ払いの琵琶法師

2005年09月16日 23時32分38秒 | Weblog
「ぐぅい~…たまりましぇんなぁ~。ぬへへ」
ということで、月曜日から待ちに待ったアルコール解禁。
三連休前の花金。
きゃ~ん。ビールが胃に凍みるぅ~。
涙が出ちゃう。だって女の子だもん♪
昨日の晩から「明日は酒が飲める!」とハッスルし、なぜか巻髪で出社。
夢のまきまに~♪(←新・尾道三部作「あの、夏の日」でのおじいちゃんの歌。あの映画、尾道の景色が細かく映されていて興奮モノなのだが、ストーリーはよくわからん)。

ホットカーラーはママのを実家からパクってきた。
30年物。ロット数がやたら多いので、髪が多い私は重宝している。
スタイリング剤はサラの巻き髪ウォーターを愛用。巻きの持ちが良い。
とにかく今日の私の頭は、お蝶婦人真っ青の様相を呈していた。
(自分的に矢沢あいの漫画「ご近所物語」の中須茉莉子が目標なんだが…)

「今日はどうしたの?」
「ゴージャスだね。」
と、会社の人々に数回言われた。

普段から地味なあまり、外観について述べられる事のない私は、緊張してどもってしまう。
上擦った声で
「これじゃお水みたいですよね…てへっ。亮子でぇす、ご指名ありがとうございま~す。な~んちゃって!てへっ。」という台詞を何回使用しただろうか。

「合コン?」という問い合わせには、曖昧に笑ってごまかした。

理由が「アルコール解禁が嬉しくて、前日巻いて寝ました」なんて言えない。
まして、一人でジョナサンで飲むのが好きだなんて言えない…。

シャンプーすれば、落ちてしまうカール。
存在が儚い夢のようではないか。
素敵。
琵琶法師が
「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。~ベンベン!」と謡いだしそう~。

ベンベン呟きながら、千鳥足で帰宅♪
今宵のお月様はキレイ~だにゃ~。



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