世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

リラックマ

2005年04月30日 23時45分19秒 | Weblog
飛び石連休の真ん中。
通勤電車はスカスカ。

会社帰り、ヨーカドーでリラックマコーナーに立ち寄る。
リラックマとは、OLのカオルさん(25歳)のアパートに突然住み着いたクマ。
主に食べているか寝ているかの生活をしている、だらだらしたクマ。
「リラックマロウ」精神で生きている。

ストラップやハンカチなどの細々としたものから、
体長1メートルの特大リラックマも販売されている。
我が家には吉熊の他にリラックマも住んでいる。
吉熊のライバルだ。
寝るときは3人で川の字になって寝ている。

初めて見た日から愛くるしいその姿とその精神の虜になった私。
お給料日には何か一つリラックマグッズを買う。
「自分にご褒美」が小学生レベル…。

今日はリラックマハンカチをご購入。ご満悦。
…あまり大々的にリラックマを収集してしまうと、
吉熊がヤキモチ焼くから…。

銀座日和

2005年04月29日 23時59分29秒 | Weblog
情報誌「東京働女100」の取材に付いて行く。

ライターのわたと、今年の春からわたにお世話になっている修行中の芋子(妹)。
今日は二人の仕事現場にパラサイトし、銀ブラ取材に同行した。

普段は一人で買い物をするべくプランタン銀座にしか寄らない私なのだが、
今回は散歩の達人であるわたが裏名所を色々案内してくれた。

天気は少し暑いぐらい。午前中集合。
集合前、電車内でピーターフランクに遭遇。
ヒラヒラの服を着て数式解いていた。かなり目立っていた…。

午前中の銀座は空いていた。

お箸専門店や資生堂、和紙専門店等、オツなスポットを取材。
私は観光客なのでフラフラしていたのだが、わたと芋子は終始カメラ片手に取材。
わたがアドバイスし、メモや撮影をする芋子。
小学生時代、私とわたは公園や互いの家でそれこそ毎日遊んでいた。
テレビゲームや縄跳び、中線踏み、鬼ごっこ、どんぐり山の探検…。
芋子も一緒もその一員であった。
私を介して知り合ったこの二人が、今、編集の仕事で師弟関係にあるのを、私は不思議な思いで見ずにはいられない。

鬼ごっこで無邪気に遊んでいた私達…。
あの頃と違った空気が流れており、新鮮だった。
和光のビルを越えると、ふと嗅覚に潮風を感じることがある。きっと海が近いからだろう。
少女時代に感じられなかった三人の空気を潮風と共に浴びた、そんな一日だった。

日が暮れ、夜風に当たりながら有楽町駅のガード下で飲む。
道端に席が設けられ、通行客を尻目に飲める。
店に居付いている猫(さくらちゃん)と戯れつつ、肉豆腐や生の岩蛎等の美味を堪能。
「子供より猫の方が可愛い」というわたの言葉から、アンチ子供の私とわたVS子供大好き芋子の論議が勃発し、愉快だった。

シメは向かい側のビッグエコー♪
相変わらず寒カラである。
寒くて凍えそうだった(笑)。
特にわたの「♪いいわけ」熱唱はウケた。

最近情緒不安定な私は何故か、「♪ナンダカンダ」で涙…。
酔っぱらっていたからかな。でもあの歌詞って良いよね。
大シメはドラゴンボールZの♪チャラヘッチャラ…。
やっぱ寒いぜ。「スパーキング!」の掛け声と共に、銀座の夜は更けていくのであった。



幸せ

2005年04月28日 23時59分51秒 | Weblog
会社帰り、河童天国へ。
平日なのでガラガラ。経営不振で閉館されないことを思わず祈ってしまう。
ひと風呂浴びた後、食堂の座敷席でアグラをかきながら梅サワーとコロッケの夕御飯。
…すっかりオヤジである。オヤジギャルなんて言葉があったなぁ。
うまい造語だと思いながら、オヤジ亮子は煙とアルコールを交互に摂取。
体が冷えてきたので、もう一度、風呂へ。

今日は風が強い。
露天風呂で半身浴していると風が心地良く上半身に当たる。
ガード下の露天風呂だが、便利なマイ脳内妄想をフル活用し、
箱根や草津の露天風呂だと信じ込みながら湯船につかる。

その後、わたオススメの無印オリーブオイルを肌に塗り、マッサージ。
オリーブオイルマッサージは速攻性があり、驚異的な効果が出る。
憧れの餅肌になれるのだ~。
特に腕の内側が。
忘れかけていた、「肌が水を弾く感覚」カムバックである。

そして剃刀で脛毛を丁寧に剃る。
普段は剃らないふくらはぎの後ろなど、ジョリジョリ黙々と剃る。
このような作業は自宅の狭い風呂場だとやる気が出ない。
広々とした浴場でのんびり自分の手入れって楽しい。ひとりエステ。
かなり自己満足&自己陶酔である。
ひとりエステの極めつけはヘアケアである。
最近、ストレートパーマが落ちてきたので、髪が広がりやすい。
アジエンスのトリートメントをしっかり毛先まで擦り込み、サウナへ。
こうすると熱で髪の内部までトリートメントが浸透する…気がする。

サウナでは相変わらずテレビ放送を観ながら、すっぴんになり年齢不詳になった数人の女性達が熱に耐えていた。丁度、脱線事故のニュースが放送されており、前に座っていたオバチャンが「かわいそう」と呟いていた。初めての海外旅行に行く朝、脱線事故によって命を落とした若い女性とその遺族。
連日のニュースを見る度に本当に気の毒に思う。

休日前の夜。合コンもデートもなく、独りでサウナにて熱に耐える自分。
でも、やっぱり生きているから、それだけで幸せだと思う。

誰に見せるわけでもない裸でも、ふとした時に触れた腕の内側がモチモチツルツルだったら幸せ。
目を瞑れば、妄想でいつでも草津温泉に行ける幸せ。

幸せを自分だけで感じられる…そんな自分はやっぱり幸せ。

甘えと焦燥感

2005年04月27日 23時59分19秒 | Weblog
残業を終え、いつもは煙草が買えるファミマに行くのに、
今日は珍しくセブンイレブンに寄ってみた。
AERAを買おうと雑誌コーナーへ行くと、会社の先輩に偶然会った。
行動ポイントが私と似ているらしく、彼が赤羽に越してから本屋や喫茶店で数回会ったことがある。
喫茶店で小一時間、映画等のお喋りをした。

「anego」を観るべく帰宅。
ナイター延長で30分繰り下げ放送。

今宵もリアルなOLライフが、ドラマ内で繰り広げられていた。
後輩から相談を持ちかけられると断れず、奔走してしまう奈央子。

他人にあまり興味関心がない私からすると、その行動は不可解でもあり、…妬ましくも思う。


他人に信頼され慕われる人間。
そうなりたいと切望しているわけじゃないけど、そういう人間が存在することを見聞きすると…どうしても羨ましいと思う。
自分は自分のことで精一杯だし…って、そう言ってしまえば済むことなんだが。

しかし、世の中には奈央子のように聡明な人間もいるのに…と思うと「本当にこのままでいいのだろうか?」と心の中が微かにざわめく。

このままの自分でいたいという甘えの気持ちと、このままではいけないという焦燥感は、いつもこの胸の中で共存し鬩ぎあっている。
まるでシーソーしているかの如く、どっちかが高くなったり低くなったり…。
最近は、そんな毎日だ。

生きているから

2005年04月26日 23時47分38秒 | Weblog
昨日はしっかり華原朋美嬢を拝んだせいか、今日はまずまず平和に暮らせた。
こんな日がずっと続けば良いのになぁ。
ビデオテープを取り出すと、テレビの画像になる。
写し出されるのは、ニュース放送での脱線事故現場、そして亡くなった方のお名前。

悲惨な事故現場を見ていると、今普通に生活していることが奇跡に思える。

もし自分が…
もし家族が…
もし友達が…

あの電車に乗っていたら…と思うとぞっとする。

また、亡くなった方の名前と年齢、一つ一つを見ているとその人個人がどのように生きていたのか、どのような最期を送ったのか、その時どう思ったのか…想像してしまう。
もし、死後の世界というものがあったら、彼等は自分が亡くなったことを信じられないだろう…あまりにも唐突すぎて。


来月は「image」のコンサート、再来月は株主総会、夏休みは尾道独り旅…こんな私にも予定がある。
それらを死によってもぎ取られるのは、辛いし悲しいし悔しい。
普段、嫌なことがあると「死んでしまいたい」と思うが、
よく考えてみると今、突然生命を絶たれたらこの世に未練ありまくりということに気付く。

嫌な事、嬉しい事
心で感じられるのは、生きているから。

I'm proud~大人になるって?~

2005年04月25日 21時46分33秒 | Weblog
なんだかイライラする。
ムショウに。
原因は色々あるが、追求すると己の能力の低さを再確認することになり、更に凹む。
前向きな時は「明日があるさ」と、心が良いベクトルに作用するのだが、今は駄目。
お決まりの「ママの胎内に帰りたい」的心境。
切断された出臍をいじりながら、そう思う。
(臍のゴマって取ると腹痛を伴いませんか?)
また、自己追求の果てに己の幼稚な部分と真っ向から対面せざるを得ないのが辛い。

仕事でも、学校でも、家庭でも「もう大人なんだから」って言われてきた。

大人って何なんだろう。
いくつになれば大人になれるのかな?
何が出来れば大人なの?

黙って耐えること?
自分で考えて行動できること?
連立方程式が解けること?
英語の仮定法を理解すること?
禁煙すること?
夢を叶えること?
子供を生むこと?
優しくなること?

わからない。
すっげーわかんない。

27歳になっても周囲から餓鬼と言われる私には、どうやったら大人になれるのかが…わからない。わからないから子供扱いされるのか…。

大人という単語と向き合う時、華原朋美の「I'm proud」を思い出す。
歌詞の一部分に「大人」という単語が含まれているから。


I'm proud いつからか自分を誇れるように
なってきたのはきっと あなたに会えた夜から

こうして大人になる
夜も怖がらなくなる
街中で居る場所なんてひとつでいい
体中から愛があふれてゆく


「こうして」って、どうやって?…朋ちゃん。教えてくれい!
歌詞全体及び、タイトルから憶すると「誇り」がテーマなんだろうな。
夜はただの「夜」ではなくて、「これから起こる様々な出来事」の隠語なのであろう。
以上のことから推測すると「これから起こりうる様々な事象を乗り越えるには、誇れる自分自身を形成することが第一だよ」ということなんだろう、朋ちゃん的に(作詞が小室さんだから小室さん的に、か?)。

大好きなこの曲を全面的に信じている小室教(狂?)の私としては、まず誇りを持って生きようと思う。いや、まず誇りを持てるような自分を形成できるよう、頑張ろう。
仕事での愚痴は自粛する。
責任転嫁しない。
集中して物事に取り組む…etc。

気付けば、この曲はずっと私の応援歌だった。
まったく独白的な歌詞なのに、応援歌と思わせる要素がある。
今宵は久々にプロモーションビデオでも観ようかな♪
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ルーブル美術館展

2005年04月24日 20時33分42秒 | Weblog
「うっせ~よ」
「迷惑よね」
人々の囁き声と冷たい視線が一点に集中する。
私もその一点をつい睨んでしまう。

横浜美術館で開催されているルーブル美術館展に出かけた。
そこでの出来事。
館内はかなりの混雑。入館まで30分待ち。
やっと入場でき、作品を見始めたら「んぎゃ~ッ!」と静かな館内の空気を乱す奇声が。

その声の主は茶髪の乳幼児。茶髪というか金髪。
ニヤニヤしながら、なだめる茶髪親父(推定30歳)。
気にしない様子で作品を眺める茶髪母(年齢不詳)。
周囲の冷たい視線も物ともせず、この家族は暫くその場にいた。
私が親の立場だったら、撤収するかその場で舌を噛みきって死んでいただろう。
当事者でなくても恥ずかしさを感じる。
茶髪親は、茶髪子どもに素晴らしい作品を見せたかったから連れてきたのかもしれない。
それはそれで結構。
しかし、それを実行するには最低限のルールが存在しているはず。
美術鑑賞より、まず他人に迷惑をかける愚行を正す方がこの家族には必要だと思う。

さて、展覧会。
ルーブル美術館所蔵のドラクロアやアングル、ミレーなどの作品が展示されてあった。
パリのルーブル美術館には5年前に行った。
モナリザを見た時の感動は未だに忘れられない。
今回の展覧会にはそのような目玉品は無かったが、
絵を通して心が世界旅行できた気がした。
森、雲、丘、湖…絵の中にあるそれらの場所に行ったことがないのに、見たことあるような錯覚に陥るぐらい心に響いた。

みなとみらいを散策し、ランドマークタワー69階展望台でお茶。
絶景を眺めながら一服。視界は良好。
肉眼で鎌倉や木更津の方まで見ることが出来た。

その後、中華街で肉まんを買い、山下公園で氷川丸を見ながら食べた。
私の顔ほどの大きさの肉まん。
二つ買ったが、一つでお腹一杯になった。残りは明日の朝御飯に。

横浜の町並みは港町特有のお洒落な空気が漂っている。
食べ物や文化、一つとってもたそがれ人にとっては絶好のロケーション。

よし!!しっかり充電できたぞ~。明日から仕事頑張ろうっと!

路地裏で握手

2005年04月23日 22時40分31秒 | Weblog
根津神社で開催されているつつじ祭へ。
久々に吉熊とデート。

いつもは閑散としている根津神社なのに、
この時期は屋台が出ていてすごい賑わいだ。
たしかこの神社は、羽田美智子が出ていた映画「RANPO」のロケで使われていた。余談だがこの作品はR指定。けっこうエロシーンがあった気がする。

濃いピンク、白、朱色のつつじ。
一つ一つの木が丸く剪定されているので離れた所から見ると、なんかこう「モコモコッ」としているんである。けっこう滑稽。
一通り見たあと、屋台でたこ焼きを買い、たるる~と君の如く食べる。
この祭の屋台で買ったものを食べる際、毎回必ず腰かける石が境内にある。
今回もここで食べる。

唇に付いた青海苔を気にしながら、近くの東大のキャンパスに潜入。
東大生の気分を味わった。
学生という存在を眩しく感じる。
偏差値は違えど、学生が放つ共通の臭いってある。
戻れなくなって初めていとおしなる臭い…。

本郷は樋口一葉ゆかりの土地。
頭の中に叩き込んできた地図を取り出し、あるところへ向かう。
それは一葉が使っていた井戸。
兄や父を亡くし、針仕事をしながら貧しさと戦っていた18歳の一葉が使っていた共同井戸。
それは当時の面影がそのまま生きている路地裏にあった。
まだ使用されているらしい。「この水は沸騰してから飲んでください」と書いてあった。
暫くそこで立ち止まる。
日が落ちかけた薄暗い路地裏で、私は一葉と会話をする。
井戸水を汲もうと取っ手を握ると、一葉と握手したような気がした。

貧しさや逆境にも果敢に立ち向かう女性が明治時代にいた。
その事実や彼女の作品に触れると、私は自分の不甲斐なさに落胆する。

苦しさに立ち向かう気概は明治も平成も同じ。
いかに頑張れるか。
逆境があってからこそ、あのような名文を生むことができた一葉。
ピンチをチャンスにできる力をもらえた気がした一日だった。


空想の彼方へ…「月の光」

2005年04月23日 01時33分19秒 | Weblog
帰り道。
頭上の月が眩い。
春になり、朧月が多かったせいか
今宵の様な冴え冴えとした月を見ると、秋に戻ったような錯覚に陥る。
そのぐらい綺麗。
「帰ったらドビッシーの“月の光”が聴きたい」
スーパーの買い物袋の重みを両指に抱えながら思う。

「月の光(ベルガマスク組曲より)」は、印象派を代表する曲。
色彩豊かな音の運びと緩やかな旋律が、月光の優しさを奏でている。
初めてこの曲を聴いたのは中学2年生のとき。
林間学校の前後だったと思う。
たしか南校舎4階の第一音楽室で初めて聴いた。
教科書には、髭をたくわえたドビッシーの人物画と
月光に照らされた古城の写真が載っていた。
当時からぼんやりしていた私は、授業中も然り。
「古城に住む自分」や「月光に揺らめく湖を古城から眺める自分(しかも自分の登場設定が姫)」等をこの曲を聴きながらぼんやり空想していた。

そんな空想少女は27歳になっても、変わらず。
そのまま空想OLになった…。
さっき「月の光」を聴きながら洗濯物を干した時なんて、
そのあまりにも綺麗な月を見ながら「月に帰りたい」と思っていた。
「月に帰ったら、パパとママ、泣くかな?泣くよね、絶対。 仕事の引継ぎとかするのかな?退職届には“月に帰るため”とか書くのかな?でもやっぱ“一身上の都合”なんだろうな。変なコだと思われちゃうし。」等、悶々と考えてしまった。

そんな私を、今宵も優しく包み込む月の光。
そういえば月って、いつまでたっても、どこで見ても「月」。
ドビッシ-の見た月も、
少女時代に私が見た月も、
今宵、私が見ている月も
…遠く離れたあなたが見る月も…

「たった一つの月」

普遍性や偉大な存在感を秘めた月。
そんな月が放つ光だからこそ、
ドビッシーの「月の光」のように、
美しく描かれる価値があるのかもしれない。

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anego

2005年04月21日 00時52分11秒 | Weblog
「anego」観た。
原作よりも軽い感じがした。
しかし、篠原涼子演じる奈央子の姐御っぷりは原作同様、変わらなかった。
合コンのシーンはリアルだったし、
後輩への注意の仕方など参考になった。

職場の同じフロアの女性陣の中で、私もいよいよ中堅地帯に突入してしまった。

いつのまにか先輩より後輩の数が多くなっているし。
しかし、自分の中味は昔のまんま。
外見は日に日に年老いていくのに…。

奈央子と同じ33歳になるまで、あと6年。
6年後、どんな自分になっているのかな。

今と変わらないに、3,000点かな…!?
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未婚殿方の生態 ~それは象の墓場~

2005年04月20日 01時28分13秒 | Weblog
4月病かも!?
な~んにもやる気がしない。
とにかく眠い。
春眠暁を覚えず。
このフレーズが頭をグルグル回る。
「がんばらなくっちゃ」と自分に鞭を打てど、効果なし。
困ったものである。

帰宅後、ピアノを弾いていたら急に睡魔が…。
起きたら23時。
22時10分からのドラマ「曲がり角の彼女」を見逃してしまった。
…ショック。もうだめぽ。
しかし明日は「anego」の第一話放送日。
なんと林真理子先生原作!!!
「Domani」連載当初からこの作品のファンですた!!
(「anego」が読みたくて、わざわざ「Domani」を定期購読していたぐらい)

林先生の作品のドラマ化って、「不機嫌な果実」以来かな。
早く明日にならないかな♪
「曲がり角の彼女」「anego」もそうなのだけれども、
最近何かと「30代独身女性」がクローズアップされている。
酒井順子の「負け犬の遠吠え」あたりから。

バブル期(89年あたり)に20歳ぐらいだった彼女たちが結婚しないからといって
そんなに騒ぐことかしら。
別にいいじゃん~。
出生率なんて、外国から人を呼んでくればいいんじゃん。
「ニーハオ」「ヘロウ」「アロハ」「アンニョンハシムニカ」
…他民族国家みたくて、なんだか楽しそう♪
駅前に行かなくてもNOVA並の外国人講師が周囲にいる…これってよくね?


…嗚呼、話を戻しませう。

結婚しない女性が多いってことは、それだけ結婚しない殿方も多いのだから
そちらにもスポットを当ててみて欲しいのは私だけか?
未婚殿方の生態を露呈することで、
彼女たちの「傾向と対策」になるんじゃないのかしら。
…一筋縄じゃいかない彼女たちのハートが揺れるかどうかは別として。

しかし、30歳以上の未婚殿方って神秘のベールに包まれているよなぁ。
彼らが休日をどう過ごしてるか、
何を考えているのか、
靴下はどういう基準でどこで購入しているか
咲き乱れる櫻をどのように見ているのか

わかんないもん。

殿方は女性より自分を曝け出さないので、
リサーチするのは象の墓場を探すのより困難そうだ。
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誰も知らない

2005年04月19日 02時07分46秒 | Weblog
珍しく、外食しないで帰宅(夕御飯は、コンビニの冷やし中華)。
ビデオ屋さんに寄ったら、ずっとレンタル中だった「誰も知らない」が運良くあった。
昨年の夏、映画で観た。

本編は実際に起きた事件(西巣鴨子供置き去り事件)をモチーフに描かれている。
父親が其々違う、戸籍がない4人の子供たち。
母親は「女」そのものになり、少々のお金を置いて出て行ってしまう。
世間にいながら、世間と隔絶された「誰も知らない」生活の始まり。

私が一番印象に残ったのは「YOU」演じる母親ケイコ。
「母さんは勝手すぎる」と詰る長男に
「あんたの父さんの方が勝手じゃない。私を置いて出て行っちゃって。
…母さんが幸せになっちゃいけないの!?」
と、逆ギレする。

…母さんが幸せになっちゃいけないの!?

痛烈な一言である。
出産しても、「女>母親」の不等式が成立している母親。
自分もその類の女なのではないか…本編を観た時は、ぞっとした。
不等式が成立してしまう自分自身にぞっとしたのではなく、
その不等式の延長上に自分にもケイコのような残酷さが存在するということに。

出産して、育てる。
親にしてもらったことなのに、自分にはできない。
面倒臭そうで。
子供を愛せなさそうで。

それよりも、自分がケイコみたくなるのが怖い。




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歌舞伎座デビュー

2005年04月18日 00時02分44秒 | Weblog
昼下がり、急に思い立ち銀座へ歌舞伎を観に行く。
最近、歌舞伎というか「THE・日本」みたいな文化に傾倒しつつある私。
教育テレビの番組を毎週録画し、繰り返し観ている。テキストまで購入するしまつ。
しかし、知的探求やお目当ての役者さんの追っかけではなく、
ただ「どんなものなのかしら?」というのが本音。

歌舞伎座を初めて目にしたのは、わたと月島にもんじゃを食べに行ったとき。
三年前の春。
三越で待ち合わせして月島に行く途中、唐突に「ジャパニーズカルチャー炸裂!」というような建造物が目に飛び込んできた。日本の伝統と歴史を一身に背負い込んだ風貌。それが歌舞伎座だった。


ものは試し…まずは一幕見席の券を購入すべく1時間並ぶ。
並んでいる人々の大半はオバチャンか外人観光客。
先日購入した携帯電話のゲームをしながら待つ。

券を買い、4階まで階段を駆け上る。
ホールに入ると、そこは「江戸」。
両袖の客席の上には赤い提灯が灯してあり、自分が江戸時代の見物客になった錯覚を覚えた。
今日は最上階の立見席。
桟敷席から舞台を見る、ではなく「覗き込む」といった感じでスリリングであった。
演目は18代目中村勘三郎襲名披露の口上と、籠釣瓶花街酔醒。

口上は、七之助や海老蔵ら勘三郎ゆかりの人々が「勘九郎から勘三郎になってもヨロシクしてやってちょ!!」というような挨拶を歌舞伎ちっくな言い回しで一人一人言う。
その合間に拍手と「中村屋ッッ!!」等の合の手が入る。
「すっげ~~!!これが歌舞伎なのね!!きゃぁぁ!!」
私の血中アドレナリン&ドーパミンは大噴射。

籠釣瓶花街酔醒…次郎左衛門(勘三郎)は、商売一筋の真面目な絹商人。下男の治六と吉原を訪れ、美しい花魁八ツ橋(玉三郎)に一目惚れをする。八ツ橋に次郎左衛門は通いつめ、身請けをするところまで話が進むが、間夫の浪人繁山栄之丞から次郎左衛門と別れるよう迫られた八ツ橋は、満座の中で心ならずも次郎左衛門に愛想づかしをする。八ツ橋のことを深く恨んだ次郎左衛門は、四か月後に妖刀籠釣瓶で八ツ橋を切り殺してしまう。

解説イヤホンのオプションも付けたので、ストーリーは辛うじて分かった。
玉三郎演じる八ツ橋がエロっぽくて、「本物の女じゃないか?」と思うほどだった。

色々刺激的な芝居見物であった。
テレビで観るより、迫力がある。
緊迫した空気も魅力的だ。

また来ようと思った。


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ヒュルリ~ラ♪

2005年04月17日 01時01分53秒 | Weblog
下北沢へ。
妹のお友達が所属している劇団の芝居を観に行った
(バラリロガンガンベガス公演「下北沢大演芸会」)。
迫力がある喜劇だった。
幕引き、出演者(全員殿方)のパンツ一枚姿に目が釘付け…。

観終えた後、カフェに入り、妹から独り旅のお土産をもらった。
よーじやの脂取り紙と柳井の金魚提灯。
脂取り紙は、やはりよーじやのが一番。金魚提灯はその愛らしい風貌から、いつか絶対欲しいと思っていたシロモノ。嬉しい。
土産話もたくさん聞かせてくれた。

その後、沖縄料理専門の飲み屋さんで語った。
姉妹というより、友達と言った方がしっくりくる我々姉妹。
風貌や趣味は対極にあるが、行動を共にすることが多い。

10年前に妹と喧嘩した時「もう友達辞めるからねッ」と私が本気で口走ってしまったぐらい、姉妹としての自覚がない。転職や独り旅等、この数ヶ月で何か彼女が遠くに行ってしまったような感覚があり危惧していたが、相変わらずだった。

ホロ酔いでカラオケに行き、思い思いの曲を熱唱♪
妹は、ファンタスティポのダンスを完全マスターしていた…。
ケツメイシの「さくら」を歌いながら「今日のブログのタイトルは“ヒュルリ~ラ“にするね」と約束した。(約束守ったでしょ?)


♪花びら舞い散る
記憶舞い戻る


櫻は「去年の今頃って何していたんだっけ?」と過去を振り返らせる不思議な花。来年の春は、今日のことを思い出しながら「下北沢に行ったんだよね」と妹と語り合っているんだろうな。

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幸福の黄色いハンカチ

2005年04月15日 23時25分10秒 | Weblog
…ううっ。
思い出すだけで、涙が…。
金曜ロードショーで「幸福の黄色いハンカチ」が放送されていたので観た。

健さん、カッコよすぎ!!
萌え死にますた!!
先日観た「海へ~SEE YOU~」もそうだったのだが
とにかく健さん、素晴らしい。

ラーメン食べる、犬を撫でる、日本酒を飲む、
ただそれだけなのに、絵になるんである。
不器用に倍賞千恵子を抱き寄せて
キスするシーンなんて…あまりの美しさに鼻血が出そうだった。

刑期を終え、「あいつはもう俺を待っている筈はない」
恐る恐る家に帰る健さん。
鯉幟の木に黄色いハンカチを掲げて待っている倍賞千恵子。
きっと帰ってくると信じて。

愛し合う者同士が、互いを信じ合う
その眩しさ
その絆の強さ


「殿方を見ても、もう岩や石にしか見えね~よ。がっはは~!!」
…普段、女リタイア宣言をしている私でさえも
本編には、参りました。
降参です。
許してください(笑)。
「嗚呼!!私も運命の恋とかしてみたい!!してみたいのよぉぉ~ッ!!」
と、感涙に咽びながら思った。

でも、それはきっと
恋をしたり、愛し合っている「自分自身」が好きなだけだと気付く。
その相手役が健さんで、本編の様な美しいストーリーで構成されていないとイヤッ!という自分にも気付いている…。

でも、まぁいいや。
私は脳内で恋愛を楽しめる、お得な想像力の持ち主。
刑期中の夫を待つ妻をシュミレートし、暫くは楽しめそう。

最後のシーン。
車内で武田鉄矢の激しいキスシーンを観て、涙が半分乾いた。
強烈すぎだよ、あれ。
「武田鉄矢=金八」世代の私には、
どうしても金八先生のキスシーンに見えてしまう…。
また、桃井かおりに圧し掛かる武田鉄矢も然り。
どうしても金八先生が桃井かおりに圧し掛かっているように見えてしまう…。
ご長寿番組を支える俳優の宿命なのかな。

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