「この人、ホントに母性本能がないんですよ~」
前回の合コンで私を指してそう言い放った妹・芋子。
自分でも本当にそう思う。私には母性がない。私の体内に宿る細胞の一つ一つに尋ねてみてもきっと「無いお!」と即答されるだろう(なぜ2ちゃん語?)。性教育の授業で「皆さんは将来大きくなって子供を産むわけですが…」などと教師に語られると「自分には無縁のことだな」なんて思っていた。
小さい頃から今に至るまで、子供を見ても可愛いとは思えない。当然、産み育てたいという願望を抱いたことは皆無で、なるべく彼らとは関わりたくないと思っている。見るのも触るのもあまりしたくない。産みたい、育てたいという本能が備わっていなかったっぽい。「なんで?自分の子供は可愛いく思えるんじゃない?」などと言われるが、その類の勧誘には一切応じない。産んでみて可愛くないと思う確率の方が高いから。リスクは回避せねばならない。細胞がそう叫ぶ。
そんな私が…なぜだろ。この作品には強く惹かれる。「母性本能とは?」という問い掛けがテーマの一つでもあるのに。不倫相手と妻の子を衝動的に拐って育てるだなんて馬鹿だなあ、罪を犯してまで苦労するなんて愚かすぎると蔑笑したいのに。できない。惹かれる。
「八日目の蝉」をレイトショーで観た。
あらすじ: 子どもを身ごもるも、相手が結婚していたために出産をあきらめるしかない希和子(永作博美)は、ちょうど同じころに生まれた男の妻の赤ん坊を誘拐して逃亡する。しかし、二人の母娘としての幸せな暮らしは4年で終わる。さらに数年後、本当の両親にわだかまりを感じながら成長した恵理菜(井上真央)は大学生になり、家庭を持つ男の子どもを妊娠してしまう。
(シネマトゥデイ)
思ったことをつらつらと。ネタばれあり。
・逃亡中(名古屋のラブホテル)の薫(生後4ヶ月)の鳴き声には耐えられなかった。甲高い鳴き声がちょっと無理。うるさい。それにしてもラブホテルのベッドに赤ん坊という構図が非常にシュールだった。乳をあげてみようと希和子は試みるのだが、当然出るわけもなく。途方に暮れて泣くシーンが印象的だった。
・80年代の誘拐。当時の時代背景も細かく描写されていた。ファッションとか。あと希和子が持っているおむつの袋が「ドレミ」だった。
・3歳の薫を連れて、潜伏中の宗教団体エンジェルホームから脱走する際、久美ちゃんが「これを!」と言って窓から自分の実家の住所が書かれた紙を渡すシーンで泣いた。久美ちゃんには薫と同じぐらいの息子がいたのだが、離婚の際、姑に取られてしまった。自分がなしえなかった子供との生活を薫と希和子に託したんだと思う。そう思ったら号泣。
・最後の逃亡先の小豆島。やはり瀬戸内海は良い。また島めぐりをしたくなった。キラキラ光る瀬戸内海の水面は、希和子と薫の幸せの象徴として描かれていた。
・久美ちゃんの実家で住み込み、素麺作りに励む希和子。素麺ってああいうふうに作るんだ。それにしても美味しそう…帰りのコンビニで素麺を購入してしまった。
・「もう逃げられない」と悟った希和子は薫と一緒に島の写真館で記念写真を撮る。ここの店の店主が、田中泯!!何、あの存在感。台詞もほとんどないのに。ドラマ「ハゲタカ」で、カメラ・レンズ事業部の加藤さんを演じたときの彼の演技も凄かったが、今回もそれを見せつけられた。
・フェリー乗り場で逮捕されるシーン。引き離される希和子と薫。警察に「その子は、まだご飯を食べてない」と告げる。原作を読んだときも感じたのだが、この期に及んで何でご飯のことを心配するんだろう。ちょっと違和感。やはり私には母性本能が…(以下省略)。
・全体を通して、原作を読んだときに自分が思い浮かべた風景や光の加減が見事にスクリーン化されていたと思う。一つだけ。こうしてほしかったなあという個所を挙げるとするならば、原作にはあった宗教団体の入口に置かれたエンゼルさん(陶器で作られた人形)を再現してほしかった。エンジェルホームの不気味さや世間とかけ離れた要素を出すには欠かせないアイテムだと思うのだが…。
・大学生になり、不倫の果てに身ごもった恵理菜(薫)は、事件以来、封印していた幸せの原風景を小豆島来訪で解き放つ。美しいものを見せたい、…希和子がそんな思いで薫を育てて愛していたことを知り、自身の腹に宿っている新たな命に希望を託す。
私の母・ヨーコたんもそうやって私を育ててくれたのかな、そう思ったら再び涙が出た。
・恵理菜役の井上真央。NHK「おひさま」での清純な役とは違っていた。不倫相手の岸田(劇団ひとり)との睦言シーンなんてムフフすぎて超衝撃的だった。
・全く落ち度のない被害者である本当の母親が、キレたり包丁を振り乱すといった醜悪な様子で描写されていたのがショックだった。希和子に感情移入させるための計算かもしれないが、本当に不憫でならない。
・「大好きよ、薫」と言える希和子。実際、自分の子供にそういうことを発言する母親っているのだろうか。私の母はそういう甘っちょろいことを発言する人ではなかった。「好きだったら態度で示せ、ゴルァ」的な体育会系みたいな感じだったと記憶している。
・七日しか生きられない蝉。八日目の蝉は仲間がいなくなってさぞかし寂しいんだろう。でも他の蝉よりも1日分多く生きた分(本来あるべき人生から逸脱した分)、他の蝉より多くの美しいものが見られるんじゃね?っていうのが、この作品の主題なのだと思った。
良い作品だった。
水を含んだスポンジのように押す(思い出す)と、涙がギュって出てしまう。
3月11日の大震災の前に読んだ作品。浸る間もなく震災に振り回され、正直、映画化のことは忘れていた。
改めてこの作品に触れ、伏線の張り方などを考察すると、秀逸だなと思う。
八日目の蝉
前回の合コンで私を指してそう言い放った妹・芋子。
自分でも本当にそう思う。私には母性がない。私の体内に宿る細胞の一つ一つに尋ねてみてもきっと「無いお!」と即答されるだろう(なぜ2ちゃん語?)。性教育の授業で「皆さんは将来大きくなって子供を産むわけですが…」などと教師に語られると「自分には無縁のことだな」なんて思っていた。
小さい頃から今に至るまで、子供を見ても可愛いとは思えない。当然、産み育てたいという願望を抱いたことは皆無で、なるべく彼らとは関わりたくないと思っている。見るのも触るのもあまりしたくない。産みたい、育てたいという本能が備わっていなかったっぽい。「なんで?自分の子供は可愛いく思えるんじゃない?」などと言われるが、その類の勧誘には一切応じない。産んでみて可愛くないと思う確率の方が高いから。リスクは回避せねばならない。細胞がそう叫ぶ。
そんな私が…なぜだろ。この作品には強く惹かれる。「母性本能とは?」という問い掛けがテーマの一つでもあるのに。不倫相手と妻の子を衝動的に拐って育てるだなんて馬鹿だなあ、罪を犯してまで苦労するなんて愚かすぎると蔑笑したいのに。できない。惹かれる。
「八日目の蝉」をレイトショーで観た。
あらすじ: 子どもを身ごもるも、相手が結婚していたために出産をあきらめるしかない希和子(永作博美)は、ちょうど同じころに生まれた男の妻の赤ん坊を誘拐して逃亡する。しかし、二人の母娘としての幸せな暮らしは4年で終わる。さらに数年後、本当の両親にわだかまりを感じながら成長した恵理菜(井上真央)は大学生になり、家庭を持つ男の子どもを妊娠してしまう。
(シネマトゥデイ)
思ったことをつらつらと。ネタばれあり。
・逃亡中(名古屋のラブホテル)の薫(生後4ヶ月)の鳴き声には耐えられなかった。甲高い鳴き声がちょっと無理。うるさい。それにしてもラブホテルのベッドに赤ん坊という構図が非常にシュールだった。乳をあげてみようと希和子は試みるのだが、当然出るわけもなく。途方に暮れて泣くシーンが印象的だった。
・80年代の誘拐。当時の時代背景も細かく描写されていた。ファッションとか。あと希和子が持っているおむつの袋が「ドレミ」だった。
・3歳の薫を連れて、潜伏中の宗教団体エンジェルホームから脱走する際、久美ちゃんが「これを!」と言って窓から自分の実家の住所が書かれた紙を渡すシーンで泣いた。久美ちゃんには薫と同じぐらいの息子がいたのだが、離婚の際、姑に取られてしまった。自分がなしえなかった子供との生活を薫と希和子に託したんだと思う。そう思ったら号泣。
・最後の逃亡先の小豆島。やはり瀬戸内海は良い。また島めぐりをしたくなった。キラキラ光る瀬戸内海の水面は、希和子と薫の幸せの象徴として描かれていた。
・久美ちゃんの実家で住み込み、素麺作りに励む希和子。素麺ってああいうふうに作るんだ。それにしても美味しそう…帰りのコンビニで素麺を購入してしまった。
・「もう逃げられない」と悟った希和子は薫と一緒に島の写真館で記念写真を撮る。ここの店の店主が、田中泯!!何、あの存在感。台詞もほとんどないのに。ドラマ「ハゲタカ」で、カメラ・レンズ事業部の加藤さんを演じたときの彼の演技も凄かったが、今回もそれを見せつけられた。
・フェリー乗り場で逮捕されるシーン。引き離される希和子と薫。警察に「その子は、まだご飯を食べてない」と告げる。原作を読んだときも感じたのだが、この期に及んで何でご飯のことを心配するんだろう。ちょっと違和感。やはり私には母性本能が…(以下省略)。
・全体を通して、原作を読んだときに自分が思い浮かべた風景や光の加減が見事にスクリーン化されていたと思う。一つだけ。こうしてほしかったなあという個所を挙げるとするならば、原作にはあった宗教団体の入口に置かれたエンゼルさん(陶器で作られた人形)を再現してほしかった。エンジェルホームの不気味さや世間とかけ離れた要素を出すには欠かせないアイテムだと思うのだが…。
・大学生になり、不倫の果てに身ごもった恵理菜(薫)は、事件以来、封印していた幸せの原風景を小豆島来訪で解き放つ。美しいものを見せたい、…希和子がそんな思いで薫を育てて愛していたことを知り、自身の腹に宿っている新たな命に希望を託す。
私の母・ヨーコたんもそうやって私を育ててくれたのかな、そう思ったら再び涙が出た。
・恵理菜役の井上真央。NHK「おひさま」での清純な役とは違っていた。不倫相手の岸田(劇団ひとり)との睦言シーンなんてムフフすぎて超衝撃的だった。
・全く落ち度のない被害者である本当の母親が、キレたり包丁を振り乱すといった醜悪な様子で描写されていたのがショックだった。希和子に感情移入させるための計算かもしれないが、本当に不憫でならない。
・「大好きよ、薫」と言える希和子。実際、自分の子供にそういうことを発言する母親っているのだろうか。私の母はそういう甘っちょろいことを発言する人ではなかった。「好きだったら態度で示せ、ゴルァ」的な体育会系みたいな感じだったと記憶している。
・七日しか生きられない蝉。八日目の蝉は仲間がいなくなってさぞかし寂しいんだろう。でも他の蝉よりも1日分多く生きた分(本来あるべき人生から逸脱した分)、他の蝉より多くの美しいものが見られるんじゃね?っていうのが、この作品の主題なのだと思った。
良い作品だった。
水を含んだスポンジのように押す(思い出す)と、涙がギュって出てしまう。
3月11日の大震災の前に読んだ作品。浸る間もなく震災に振り回され、正直、映画化のことは忘れていた。
改めてこの作品に触れ、伏線の張り方などを考察すると、秀逸だなと思う。
八日目の蝉