世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

映画「八日目の蝉」

2011年04月30日 23時52分21秒 | Weblog
「この人、ホントに母性本能がないんですよ~」
前回の合コンで私を指してそう言い放った妹・芋子。
自分でも本当にそう思う。私には母性がない。私の体内に宿る細胞の一つ一つに尋ねてみてもきっと「無いお!」と即答されるだろう(なぜ2ちゃん語?)。性教育の授業で「皆さんは将来大きくなって子供を産むわけですが…」などと教師に語られると「自分には無縁のことだな」なんて思っていた。
小さい頃から今に至るまで、子供を見ても可愛いとは思えない。当然、産み育てたいという願望を抱いたことは皆無で、なるべく彼らとは関わりたくないと思っている。見るのも触るのもあまりしたくない。産みたい、育てたいという本能が備わっていなかったっぽい。「なんで?自分の子供は可愛いく思えるんじゃない?」などと言われるが、その類の勧誘には一切応じない。産んでみて可愛くないと思う確率の方が高いから。リスクは回避せねばならない。細胞がそう叫ぶ。

そんな私が…なぜだろ。この作品には強く惹かれる。「母性本能とは?」という問い掛けがテーマの一つでもあるのに。不倫相手と妻の子を衝動的に拐って育てるだなんて馬鹿だなあ、罪を犯してまで苦労するなんて愚かすぎると蔑笑したいのに。できない。惹かれる。

八日目の蝉」をレイトショーで観た。

あらすじ: 子どもを身ごもるも、相手が結婚していたために出産をあきらめるしかない希和子(永作博美)は、ちょうど同じころに生まれた男の妻の赤ん坊を誘拐して逃亡する。しかし、二人の母娘としての幸せな暮らしは4年で終わる。さらに数年後、本当の両親にわだかまりを感じながら成長した恵理菜(井上真央)は大学生になり、家庭を持つ男の子どもを妊娠してしまう。
(シネマトゥデイ)




思ったことをつらつらと。ネタばれあり。

・逃亡中(名古屋のラブホテル)の薫(生後4ヶ月)の鳴き声には耐えられなかった。甲高い鳴き声がちょっと無理。うるさい。それにしてもラブホテルのベッドに赤ん坊という構図が非常にシュールだった。乳をあげてみようと希和子は試みるのだが、当然出るわけもなく。途方に暮れて泣くシーンが印象的だった。
・80年代の誘拐。当時の時代背景も細かく描写されていた。ファッションとか。あと希和子が持っているおむつの袋が「ドレミ」だった。
・3歳の薫を連れて、潜伏中の宗教団体エンジェルホームから脱走する際、久美ちゃんが「これを!」と言って窓から自分の実家の住所が書かれた紙を渡すシーンで泣いた。久美ちゃんには薫と同じぐらいの息子がいたのだが、離婚の際、姑に取られてしまった。自分がなしえなかった子供との生活を薫と希和子に託したんだと思う。そう思ったら号泣。
・最後の逃亡先の小豆島。やはり瀬戸内海は良い。また島めぐりをしたくなった。キラキラ光る瀬戸内海の水面は、希和子と薫の幸せの象徴として描かれていた。
・久美ちゃんの実家で住み込み、素麺作りに励む希和子。素麺ってああいうふうに作るんだ。それにしても美味しそう…帰りのコンビニで素麺を購入してしまった。
・「もう逃げられない」と悟った希和子は薫と一緒に島の写真館で記念写真を撮る。ここの店の店主が、田中泯!!何、あの存在感。台詞もほとんどないのに。ドラマ「ハゲタカ」で、カメラ・レンズ事業部の加藤さんを演じたときの彼の演技も凄かったが、今回もそれを見せつけられた。
・フェリー乗り場で逮捕されるシーン。引き離される希和子と薫。警察に「その子は、まだご飯を食べてない」と告げる。原作を読んだときも感じたのだが、この期に及んで何でご飯のことを心配するんだろう。ちょっと違和感。やはり私には母性本能が…(以下省略)。
・全体を通して、原作を読んだときに自分が思い浮かべた風景や光の加減が見事にスクリーン化されていたと思う。一つだけ。こうしてほしかったなあという個所を挙げるとするならば、原作にはあった宗教団体の入口に置かれたエンゼルさん(陶器で作られた人形)を再現してほしかった。エンジェルホームの不気味さや世間とかけ離れた要素を出すには欠かせないアイテムだと思うのだが…。
・大学生になり、不倫の果てに身ごもった恵理菜(薫)は、事件以来、封印していた幸せの原風景を小豆島来訪で解き放つ。美しいものを見せたい、…希和子がそんな思いで薫を育てて愛していたことを知り、自身の腹に宿っている新たな命に希望を託す。
私の母・ヨーコたんもそうやって私を育ててくれたのかな、そう思ったら再び涙が出た。
・恵理菜役の井上真央。NHK「おひさま」での清純な役とは違っていた。不倫相手の岸田(劇団ひとり)との睦言シーンなんてムフフすぎて超衝撃的だった。
・全く落ち度のない被害者である本当の母親が、キレたり包丁を振り乱すといった醜悪な様子で描写されていたのがショックだった。希和子に感情移入させるための計算かもしれないが、本当に不憫でならない。
・「大好きよ、薫」と言える希和子。実際、自分の子供にそういうことを発言する母親っているのだろうか。私の母はそういう甘っちょろいことを発言する人ではなかった。「好きだったら態度で示せ、ゴルァ」的な体育会系みたいな感じだったと記憶している。
・七日しか生きられない蝉。八日目の蝉は仲間がいなくなってさぞかし寂しいんだろう。でも他の蝉よりも1日分多く生きた分(本来あるべき人生から逸脱した分)、他の蝉より多くの美しいものが見られるんじゃね?っていうのが、この作品の主題なのだと思った。

良い作品だった。
水を含んだスポンジのように押す(思い出す)と、涙がギュって出てしまう。

3月11日の大震災の前に読んだ作品。浸る間もなく震災に振り回され、正直、映画化のことは忘れていた。
改めてこの作品に触れ、伏線の張り方などを考察すると、秀逸だなと思う。


八日目の蝉



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豆腐売りがやってきた

2011年04月29日 22時37分04秒 | Weblog
世間ではゴールデンウィーク突入とのことだが、当社(本社)は出勤日。社畜寸前である。クリスマスに次いで2番目の繁忙期なので仕方がない。明日から休みで月曜日に出勤し、その後は三連休。

社外からかかってくる電話がないので、今日の会社は静かだった。
月末の締め業務と決算資料作り、部長から依頼された書類作りや他部署の什器備品を数える仕事などをした。

昼、開け放たれた窓から笛の音が聞こえてきた。長年の経験からして、それが豆腐屋の笛の音色だと理解するのに時間はかからなかった。どうやら、会社の前の道を歩きながら販売しているらしい。
「ぷぉ~…ぱぁ~…」

「ALWAYS 三丁目の夕日」ばりにノスタルジィを感じてしまう響きである。
仕事をする気が失せる。

そして笛のあとの掛け声がスゴい。
「とーふっ!とーふっ!豆腐はいりませんかぁ~ッ!」
と、エキセントリックなのである。
「もうね、これは誰が何と言おうと豆腐なんだよッ!俺は豆腐売りに来たんだよ、買えよ、ゴルァ!」といった発信者の心理が伝わってきた。

目の前の吉熊上司が、
「ほら、君のお友達が来たよ」
と私に言う。
…お友達じゃないですってば。面識ないですもん。
彼は様子がおかしい人を目撃すると、勝手に私のお友達にしてしまう。


夕方。
また「ぷぉ~…ぱぁ~…とーふッ!豆腐はいらんかいッ?」
…奴が来た。
また来やがった。
再び社内騒然。

「またお友達が来ましたね」
と、後輩男子タイスケくんが言い、後輩女子Cちゃん、吉熊上司、爆笑。

ドラマなどに出てくるオフィスって、大概、ビルに囲まれていてガラス張りであったりする。
当社も一応隣にビルはあるし、ガラスも張っている。
しかし、それらのオシャレなオフィスとは何かが違う。
決定的に違うのである。
なんつったって、豆腐売りの笛のBGM付きなのだから。
まあそれはそれでいいのだろう。


端午の節句が近いので、スーパーで柏餅を購入。
吉熊には、折り紙のかぶとを装着。
「ねえ、何?この変な帽子」
だって。


連休はゆっくりしようっと♪

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失われた10年と森のくまさん

2011年04月28日 22時21分48秒 | Weblog
最近、社長が稟議決裁を迅速にしてくれる。各部から集まる稟議書(~を買いたいのですが良いですか?とお伺いを立てる書類)を取りまとめる進達者としては嬉しい。
社長の机に、副社長の捺印済みの稟議書を置いておくと翌日にはサインをしてくれる。

昔、社長はなかなかサインをしてくれなかった。
「稟議書にサインをすることはね、お金を使うことに繋がるからね、嫌なんですよね…うぐぐー」と言っていた(「うぐぐ」は彼の口癖)。ここまでしないと堅実経営とは成しえないことらしい。
1ヶ月ぐらいの放置なんてザラだった。
その都度、私が書類を持って彼を追いかけ回し(当社の社長は社長室にはいない)、挙げ句、彼は私を見ると本気で逃げるようになってしまった。
社内鬼ごっこ状態である。
森のくまさん、逆バージョンとでも言おうか。
スタコラサッサと逃げるんである。
あれ?さっきまでいたのに、と辺りを見渡すと、両手をゆさゆさと揺らしながら小走りに去って行く彼の背中を目撃したときは切なくなった。

終いには、彼の家に稟議書を持っていき、サインをもらうようになった。
それがあまりにも嫌だったのだろう。
「私、なるべく早くサインしますので、家には持ってこないでください。うぐぐ」
と懇願された。
またどうせ溜めるんでしょ?と疑心暗鬼だったのだが、きちんとサインをするではないか。

社長は気持ちを入れ替えた。
稟議書の起案者にとっても業務を円滑に行うことができるので良いことだ。
私にも会社の流れの一部である責任感が芽生えて、気持ちにハリが出てきた。

稟議書を管理して10年目の私。
失われた10年を取り戻すべく、この業務をきちんとこなしたい。

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( ゜д゜ )ポカーン

2011年04月27日 23時24分15秒 | Weblog
心療内科デー。
今日の待ち時間は3時間。待っている間、小説を読んでいたのだが、いつの間にかうたた寝をしてしまったらしい。背後にあるブラインドに何度も頭を打ち付けて、その度に「ガシャ!」という大きな音を出してしまった。「いけない、いけない…」と思い身を立て直すのだが、睡魔には勝てず。再び頭をフラフラさせ、再び頭を打って音を発していた。周囲の人、ごめんなさい。

さて、診察。
先週から生理前特有の不眠に苦しめられたが、マイスリーを倍にして乗りきった旨を報告。
そして、生理なう。今月は重い…。疲れやすいし、腰がだるい。

そして首が腫れているのでその旨も報告した。小豆ぐらいの大きさの何かが首に潜んでいるんである。
甲状腺かリンパ腺の腫れではないかという不安をクマ医師に述べると、彼、トコトコトコってこっちにやってきた。で、私の首筋をおもむろにグリグリやるもんだから、超ドキドキしてしまった。鼻血出っちゃうよ。ブー。

たしかに何かが腫れているんだが、何だか分からぬもよう。
漢方薬の仕業かと目星を付けた彼は、今、私が飲んでいる防風通聖散について問うてきた。
あれには罪がない。あれは良い薬だ。
むくみや逆上せを取ってくれる優しいコだ。不味いけど。

彼は「うーん」と悩み、医学書を捲り始めた。今までクマだと思っていたのだが、やはり彼は医者なんだなあと再確認。
その間、私、放置プレイ。
壁に掛かってあるカレンダーの絵柄(クマ)とクマ医師を見比べてニヤニヤしていた。軽く変態である。そんな視姦をされていることなんかつゆ知らずなクマ医師は、医学書から目を離し、嬉々として
「桃核承気湯なんてどうですかね?月経前の不快な症状の軽減も期待できますよ」

あれか。10年前、生理痛が酷いときに地元の宇都宮の病院(東洋堂)で処方された。たしかに生理痛は軽減したが、あまりの不味さに止めちゃったんだよな。
クマ医師曰く、クラシエの桃核承気湯は、錠剤なので自分で量を調節しやすいらしい。

その方法を聞いたのだが、寝起きの私はぼんやりとしていて全く理解できなかった。
ポカーン…( ゜д゜ )ポカーンという顔文字のまんまの表情を浮かべていたら、クマ医師はいきなり吹き出した!
彼の、こんなに愉快な様子を目撃したのは初めてである。

そんなに私のポカーン顔が面白かったのだろうか。
( ゜д゜ )ポカーン
仕事中、指示を受けているときにこの表情を浮かべると、吉熊上司なんかは「分かった?ねえ、分かったの?」とイラつくのだが。

まあ様子を見てと言われて処方変更なし。
パキシル、マイスリー、防風通聖散、ラベプラゾール

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山のあなたの 空遠く

2011年04月26日 23時07分34秒 | Weblog
今週、会社の階段に生けられたのはガーベラ。私の好きな花なので嬉しい。窓の外に広がる青空を反射して、見る角度によっては青白く見える。つい足を止めたくなる美しさである。

美しいものに触れて、優雅に生きたい。
生きたい。
生きたいのに…。
実際はなんだか様子がおかしい。

後輩女子Cちゃん。
彼女は花、喩えるならばカスミソウのように可憐なコである。そんな彼女が、最近、後輩男子タイスケくんと化して笑顔で毒舌を吐くようになった。
「私はそんなふうに育てた覚えはありませんよ!」
とたしなめた。どっかのお母さんみたいな口調である。
すると彼女は、
「●●さん(タイスケくんの苗字)から引き継いだので」
と笑顔で答えるではないか。
「こら、タイちゃん!変なことを教えちゃ駄目でしょうが~!」
と、矛先をタイスケくんに変えると、彼は
「吉熊上司さんからの引き継ぎです」
と。

…私を飛ばしやがったぜ!
ワープだぜ、ワープ。
スーパーマリオだったら土管を使って1ー2から4ー1のジュゲムんところにワープするような勢いだぜ。

一連の会話を聞いて吉熊上司はニヤニヤ。

…優雅な生活が訪れる日は遠い。




「山のあなた」(カール・ブッセ)

山のあなたの 空遠く
「幸い」住むと 人のいう
噫われひとと 尋めゆきて
涙さしぐみ かえりきぬ
山のあなたに なお遠く
「幸い」住むと 人のいう

この詩は小学校5年生の時に覚えた(暗記しないと下校できなかった。すごい教育方針だった、福田先生)。


山の向こう、ずっと遠い空の彼方まで行けば、幸福があるのだと誰かが言った。
じゃあ、と私も他の人を誘って探しに行ったけれど、幸福は見つからず、涙を浮かべて帰ってくるしかなかった。
すると、さらに誰かが言う。
その幸福なら、あなたが探しに行った場所よりも、確かもっとずっと遠い山の向こうにあるのに、と。



でもね。
今、じゅうぶん幸せ。
山のあなたにもあるかもしれないけれども、ここにもちゃんと幸せがあるということを私は知っている。


どうなの?吉熊。

2011年04月26日 23時03分16秒 | Weblog
吉熊が我が家にやってきて8年。

ブログを始めた当初はデジカメの使用方法が分からず、携帯電話で吉熊を撮影して画像をアップしていた。
画像を整理していて気づいたのは、デジカメで撮るよりも携帯電話で撮った方が、吉熊に躍動が見られるということである。

画質が粗いので遠近等が省略されてそのように見えるのか。
もしくは、吉熊も歳を取って老けたということだろうか…。
どうなの?吉熊。

3年前、南禅寺で撮影したもの。


5年前、尾道で撮影したもの。



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犇めく思い出

2011年04月25日 22時46分21秒 | Weblog
業界紙を読んでいたら、見たこともない漢字に遭遇した。
「犇感」
牛が三頭で「犇めく(ひしめく)」
なるほど。
ギュウギュウとした雰囲気が出ている。
「犇感」で「犇めいている感じ」を意味するのだろうか。

牛と言えば、高校時代、「モーモーパジャマ」という寝巻きが流行った。
牛柄のつなぎにフードがついたパジャマである。
変なもの好きの私はあれが欲しかった。

私が在籍していた高校は、夏休みに「学習合宿」というイベントが開催されていた。生徒を缶詰にして学習させるというのが趣旨なのだが、なぜか温泉とか海といった観光地及び保養地に連れていかれた。
1年生のときは海だった。
同じクラスのノリちゃんが、モーモーパジャマを持参してきて、羨ましくて悶絶した私は
「着させて」
と懇願した。
ノリちゃんは、
「じゃあ亮子のネグリジェと交換しよう」
と言い、私はモーモーパジャマを着用することに成功したのである。
あの時の感動は忘れない。
自分が牛になったような錯覚さえ感じた。
一方、私のネグリジェを着用したノリちゃんは微妙な面持ちで佇んでいた。

寝る前に、ネグリジェでトイレに行くところを殿方の数学教師M葉先生に目撃された私は「それはないだろ」と切々と諭された。
で、翌年秋に開催された修学旅行のしおりには「ネグリジェ禁止」と記載されていた。
「あれって絶対に亮子の影響だよね!ぎゃはは」とノリちゃんに指摘され、その時はじめてネグリジェが世間ではあまり認められていないものだと知った。

そんな思い出がある高校。

地元のマイミクさん情報によると、2つある内の古い方の体育館が地震の影響で傾いているらしい。
心配だ。
私の父親もあの高校の出身者で、たしか現役時代はあの体育館を使用していたと言っていた。
犇めく思い出を抱えているであろうあの体育館。
世界遺産も夢ではないぐらいに古い。
揺れには耐えられなかったか。

やっぱり時って流れてるんだなと、感じた。

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そう信じて…

2011年04月24日 23時10分17秒 | Weblog
二日酔い。
夕方まで煙草をくわえながら動画を見続けるという廃人生活をする。
これはこれで好きな時間。欠かせないリラックスタイム。

夕方、日曜日も診察している眼科に行く。ここ数年、スライムみたいな目やにが出ている私の目。毎晩、コンタクトレンズを外したあと、瞼を押してネバーっとした目やにを出すのが日課になっていたりする。さすがに駄目だろうと考え、重い腰を上げて眼科に向かった。

近所の道沿いに咲いていたツツジ。綺麗。


目の状態(眼圧、視力)を診てもらったあと、医師による診断。
「結膜炎じゃなくて、ドライアイかもしれない」
とのこと。
コンタクトレンズがだいぶ年季が入っているので変えた方がいいかも、と言われた。
そして、抗生物質の目薬を処方された。
紹介されたヤマダ電機の地下2階にある薬局に向かった。

ヤマダ電機をぷらぷら歩いた。
日本総本店ということで、さすがに大きい。
化粧品や本も売っているので機械音痴の私でも楽しめる。

デパートを徘徊。
春物に目がいく。

西口のTRAVEL CAFEでソロ飲み。
明日は仕事なので、飲むつもりはなかった。
しかし、コーヒーよりもジントニックが安かったので飲むことにした。

ジントニック

吉熊もほろ酔い。
さっぱりしていて美味しかった。


明日からまた仕事。
頑張っていれば、昨日のオフ会のように神様が楽しい時間を用意してくれる。
そう信じて頑張ろう。

怒涛の月末を乗り切るのだ~!


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mixi「ハゲタカ」コミュニティ「場末の居酒屋を買い叩け!」

2011年04月23日 23時59分34秒 | Weblog
mixi「ハゲタカ」コミュニティーのオフ会「場末の居酒屋を買い叩け!」に参加。
オフ会未体験でかなり迷ったのだが、勢いで参加した。
「ハゲタカ」とは、NHKで放送されたドラマである。映画化もされた。
なんつったって、大森南朋演じる主人公・鷲津政彦が超私好み。
何ですか?あの眼鏡スーツっぷりは。
なんだったら、私を買い叩いてくれ!と懇願したい。


さてオフ会。有楽町駅徒歩3分。
ハゲタカのロケ地(聖地)「とん太」。「ハゲタカ」第三話、終わりなき入札のワンシーンである場末の居酒屋。
このお店、近々閉店してしまうらしい。残念。
先月の震災で、行く宛もなくさ迷ったとき、たしかこの店の前を歩いたのだが、全く気づかなかった。




入り口で会費を払ったあと、テーブルへ案内された。私は三葉銀行席。
渡されたプレゼン資料とか、本当に手が込んでいる。






先に着席している方々に挨拶。皆様気さくな方で安心。

あ、なんか見覚えがあるなと思ったら,私が今座っている席って、通称…「柴野シート」と言われている、実際に柴田恭兵が座った席ではないか!大興奮!




柴野「仕事? これが俺の仕事なのか!? 」
沼田「自己嫌悪でひりひりするようなその胸の疼きを、場末の居酒屋のビールで流し込んで忘れたふりするのが仕事ってことじゃないか」
あの名シーンの聖地でお酒が飲めるなんて、最高♪

18時半。
乾杯の音頭は勿論、
「これが俺の仕事なのか!」(テーブル連打)

北は北海道、西は広島からの参加者もいた。
同じテーブルには大阪組が2名ほど。
すげー。

鷲津コスの方も何名かいた。
かっこいい~。

映画「ハゲタカ」にエキストラで出ていた人の話とか、大興奮で聞き入ってしまった。


いやね、私もけっこうなハゲタカファンだと自負していたんだが、…今日集まった方々(総勢約80人)には完全に敗北した。負けたよ、負け。








サンデートイズのサンサンくん。



鷲津クマたん。
カワユス。


こんなに愛されちゃって。幸せなドラマである。


会話の端々で、
「戦争だよ、戦争!」
「買い叩く!」
「辞めないのも勇気だよ」
「やり直したいのなら、何もやらないことだよ」
「カッコええな。おまえは、いつもカッコええ。・・・だから、ダメなんだ」
という名台詞が囁かれ、その度に爆笑!

最後、店長のご厚意で店のメニュー表をじゃんけんで争奪することになった。
誰かが
「終わりなき入札だ!」
と言い、盛り上がった。

楽しく飲んでいたら封筒が我々のテーブルに送られてきた。
中には「今すぐ大空電機から手を引け」の手紙と銃弾が!
すかさず、みんなで
「ふざけるな!」



プロジェクターを使用しての鑑賞会。



老若男女、様々な方々のお話を聞くことができて本当に楽しかった。
私がお世話になっている薬を作っている製薬会社の薬剤師さん、金融関係、IT系、医療関係に従事している人とどっぷりと話すことができて新鮮だった。ちょっとした異業種交流会のようだった。「見ず知らずの人とお酒を飲んで楽しめるのか」という不安がビール1口目で消えた。6時間があっという間に感じられた。
こんなに名残惜しく感じる飲み会も珍しい。

そして主催者様のきめ細やかなフォローは神業だと思う。
いかにも仕事ができる女性って感じでかっこよかった。

ありがとうございました。

映画「ハゲタカ」


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mixiオフ会なう

2011年04月23日 20時46分20秒 | Weblog
「ハゲタカ」オフ会なう。
楽しい~!

私とクマについての考察

2011年04月22日 23時11分20秒 | Weblog
先週の金曜日からイギリスを旅行していた母ヨーコたんと妹・芋子が、今朝、帰国した。
仕事を終えた後、ヨーコたんと久々に電話で話せて満足(←普段は毎日電話している)。
最近、私が苛々していたのは彼女と話していなかったからなのかもしれない。

クマを買ってくれたもよう!
嬉しい!
どんなクマだろうか。早く会いたいなあ。

我が家の国際色豊かなクマたち。

ナイアガラの滝で母に買われたロッキー。
我が家で一番の器量良し。
優しい性格。



ニューヨークの空港で母に買われたマック。
日本語が若干怪しい。



同じく、ニューヨークのおもちゃ屋で私によって買われたワルツくん。
シュタイフ社のクマ。



チェジュ島からやって来たチェジュちゃん。
この子も母が買ってきてくれた。
モテ系。



どの子も遥々遠くの国からやってきた。我が家に来てくれたのも何かの縁。この子たちが幸せであることが私の幸せ。勿論、国産のクマたちも大好き。どの子も私の宝だ。
…吉熊は、中国産なんだっけな。2003年、SARSが流行っていたときに我が家にやって来た。半年ぐらい裸で放置していたのだが、母が吉熊に服を作ってくれ、それを着させたら、吉熊は「僕、吉熊」と自己紹介を始めたんである。あれから私のクマ好きは始まった。クマ好きのみならず、社長も上司も他部署の次長もみんなクマに見えてしまう。まさにクマ病末期。

クマの魅力とは何だろう。
今一度よく考えてみた。

擬人化させると、クマは大抵「気は小さいが力持ち」みたいな、喩えていうならば「きこり」ちっくな大男になる。
守ってくれそうな感じの持ち主とでも言おうか。
私は無意識の内に、「誰かに守ってもらいたい」という願望を持っていたのだろうか。

自分の気持ちに気付いていなくて、もし気付いていても性格上、甘えるようなことは言えない。
その鬱憤を昇華させるためにクマに依存している…という一つのテーゼを導き出した。

だからといって、今までの「人生ソロ活動」的生活を覆す気は微塵もなく、これからもとっぷりとクマとの世界に浸り続けるわけんだが。

兎に角。
イギリス生まれのクマに早く会いたい。


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…許してつかぁさい。

2011年04月21日 23時57分19秒 | Weblog
然程忙しくは無かったのだが、若干お疲れモード。寒暖の差が激しいのも一因かもしれない。


帰りに寄った図書館ロビーの窓からの眺め。絶景なり。喫煙所もあり、なかなか快適な図書館である。しかし、今日はあまり捗らなかった。



来月開催予定の合コンの日程が決まった。

5月21日

…何か胸に引っ掛かるなと思ったら、津山三十人殺しがあった日、犯人の都井睦雄の命日ではないか。
毎年この晩は、mixiの「津山三十人殺し」のコミュニティに寄せられる書き込みを眺めるのが恒例(年に一度のこの日しか盛り上がらない)。
事件発生当時の時間に合わせてコミュニティメンバーが書き込む「睦雄、山を走る…」といったような臨場感溢れる書き込みを眺め、睦夫の心理を煙草を吸いながら回想する。
「こらえてつかあさい!」と泣き叫ぶ村の衆を次々と斬り殺し撃ち殺して行った睦雄。
夜明け前に山に登り、遺書をしたためて夜明けに自殺する。
睦雄の死亡推定時刻(5時)に「もはや夜明けも近づいた。死にましょう」と睦雄の遺書の言葉を多数の誰かが書き込み、それを読んで私の夜は終わるのである。

結核により村八分になった孤独な青年が一つの村を破滅させたあの事件を思わずに、私の夏は始まらない。

もしも睦雄が、今の、そして都会で生きていたならば、果たして事件を起こしていただろうか。
村以外に生きる地を知らず、息苦しいほどの閉塞感溢れる村(夜這いという風習もあった)で自尊心を滅茶苦茶にされた青年が、きっと今のような時代に都会で生きていたならば、恐らく平凡に生きていたと思う。
抑制する力があるから反発するわけで。
成績も優秀だったらしいし、わりと良い線をいっていたんではないだろうか。
(勿論、秋葉原の無差別殺人犯のような例はあるけれども。)


まあ、そんな夜に合コンに行く私を、睦雄、…許してつかぁさい。
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きみはペット

2011年04月20日 23時17分51秒 | Weblog
女優の小雪が結婚したらしい。けっこう衝撃的であった。
彼女が出ていたドラマで「きみはペット」というものがある。クールでハードなキャリアウーマンの澄麗が美少年を「飼う」というシチュエーションだった。
コミカルな展開と小雪演じる澄麗のかっこよさが好きで毎回観ていた。




我が家にはペットはいない。

しかし、「同居クマ」ならいる。


最近、エプロンをプレゼントされた。
クマの絵柄がついたものである。
私がクマ好きだと知った上でのチョイス。


もしも私が料理をする人だったら、これを身につけ、嬉々として茶碗蒸しとか作るのであろう。
もしくは、痴女だったら、裸エプロン、とか。

しかし、いずれにも該当しないので、
…クマの布団にしている。

プレゼントしてくれた人には言えないけれども。
クマたちには好評っぽい。





ぶら下がる思い出

2011年04月20日 23時08分57秒 | Weblog
キリが良かったので今日はノー残業。タイムカードを押す前の、後輩男女、吉熊上司との会話が楽しい。

私の後ろの席にいるオッサンたちの声が大きくて、皆、霹靂している。
3月末から人数が4人から2人になったのに、煩さは2倍になった!密かに反比例しちゃっているではないか。2人して互いの意見を受け入れようとはせず、いつも自分の意見を相手よりも声高に叫ぶものだから、声の大きさはクレッシェンド。終いには、フォルテ・フォルティッシモ(fff)。愛が全てさ、今こそ誓うよってハウンド・ドッグも震撼させる状態になるのである。
定時後、オッサンたちが帰ったあと、彼らについてを後輩男女と吉熊上司とで語り合った。オッサンの物真似とかしちゃって大爆笑。焦って喋るもんだから、ちょっとラップみたいになるところとかを細かく再現しあった。

笑いすぎて喉が痛い。

今日は図書館へ寄ることができた。窓に向かって座るタイプの席に座り、2時間。疲れると窓の外に広がる夜景を見つめた。
オフィスが見える。というか、丸見えである。一日中、図書館ユーザーに仕事っぷりを見られるだなんて大変だと思う。我々の席に背中を向けて残業しているっぽい人(部長?)のパソコンのモニターまでくっきり見える。

私のペンの持ち方はおかしい。グーで握るようにして持つ。中指のペンだこが痛むのでシャープペンシルを長時間使うときは気に入ったものでないと駄目だ。今使っているものは、高校受験の前に、親友わかめちゃんと一緒に地元のファンシーショップで購入したものである。500円ぐらいだった。受験の日は互いのシャープペンシルを交換して試験に挑んだ。試験中も「一人じゃないんだ」と励まされたこととか、18年ぶりに思い出した。

中学時代の自分も今の自分も同一人物なんだよな。
信じがたいけれども。
自分が一本の長い線だとしたら、思い出はそれにぶら下がっているものかもしれない。

帰りに蕎麦屋に寄り、そんなことを考えた。


今日は山菜そば。
山菜は、冬の間、体内に溜まった毒素を出してくれるらしい。美味しかった。



「ありがとう」

2011年04月19日 22時42分00秒 | Weblog

【ワシントン=山田哲朗】東日本大震災で水没した仙台空港の復旧を支援した米空軍第353特殊部隊のロバート・トス司令が15日、沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、被災者が海岸にマツの木で「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表してくれたと明らかにした。

 トス司令が3日に上空から見た文字は、長さ6~9メートルほどの木を並べたものだったという。同部隊は自衛隊と共に滑走路のがれき撤去や臨時の航空管制などにあたり、輸送機で水や食料も運搬した。

 司令は支援を振り返って、「驚いたのは、自分たちも被災しながら日夜復旧に努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に言いたい」と話した。

(2011年4月16日17時45分 読売新聞)




苦しい中にいても、してくれたことにきちんと感謝できる人柄に脱帽。
しかも粋じゃないか。
映画の1シーンのようだ。
(どうせだったら、「ありがとUSAぎ」と書いてくれたら…なんて)

普段何気なく使っている「ありがとう」という言葉が、こんなにも輝いて見えるだなんて。
涙がちょちょびれた。

他の人から受けた厚意を当たり前だと思わずに、きちんと感謝できる人間でありたい。



KOKIA ありがとう


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