世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

気分爽快!株主総会!

2006年06月29日 23時59分09秒 | Weblog
あの一瞬がたまらない。

株主様退出後。

「ふ~」

議長(経営者)の後ろで、誰にも気付かれずに安堵のため息を漏らす…あの一瞬。
一学期の期末テスト終了時とでも言おうか。
緊張からの開放感と、「この世のナツがきた~」と叫びたい気分がミックスして押し寄せるのである。

今年も無事、総会が終了した。

議長の真後ろに腰かけ、発言内容をチェックするのが私の仕事内容だ。
大きな彼の背中の陰で、彼の発言内容を聞きながら資料を食い入るように見る。
数字など重要な箇所を間違えようなら、その背中を叩いて指摘する。

「すいませんねぇ。こんな小娘が。」
最初はそんな躊躇心があった。しかし最近では、仕事と割り切って思い切り叩いている。
叩き方も最初は力加減が分からず、彼がよろけるぐらい勢いよく叩いていたが、最近ではその力加減や箇所を見極められるようになった。

総会中はいつも、彼との不思議な一体感の中にいる。
同時にそれは大変孤独な作業である。
如何せん、他の事務局員たちの姿は振り向かないと見えない。

前に立ちはだかる背中と手元の資料、議長の声。
それだけが、あの時間、私の全世界だ。

しかし、何はともあれ。
無事に終わった…!
勝負リングのお陰だろうか。

打ち上げは、浦和のホテルにて。
ビュッフェスタイル、そして飲み放題♪

「オツカレサマ~~~!!!」

乾いた喉にスパークリングワインが染みわたる。最高。気分爽快~♪
願い通り、うまい酒が飲めた。
あの一瞬も良いが、この一瞬も良い。
料理は、サッカーのワールドカップ出場国、全ての国の名物料理が並んでいた。
どれも美味しかった。
全世界制覇した若君の食欲に完敗。

明日からも、また頑張ろう。
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前夜…!

2006年06月28日 22時45分02秒 | Weblog
いよいよ明日は、株主総会。
一年で一番緊張する日。

今日は、午後から会場設営と最終リハーサルをした。
会場設営では重い荷物が持ち上げられず、思わず筋力の衰退を感じてしまった。

今宵は、勝負リングやネックレス、イヤリングをクリーニングした。
あとは寝るのみ。

明日は5時起き。
マイスリー飲んで、もう寝よう。

…嗚呼、なんか緊張してきた。
何回経験しても、緊張する。
こうなったら、事務局員として自分の仕事を全うすることだけ考えよう。
居直りも大切さ!
一番緊張しているのは、私ではなく、議長(経営者)なのだし。



どうか、無事に終りますように…!
明日、美味しいお酒が飲めますように…!




ちなみに、総会前は、よくglobeのライブビデオを鑑賞する。
ライブ前のKEIKOの緊張しつつも気合の入った表情。
それを自分に重ね合わせながら鑑賞するのである。

ライブビデオではないのだが、globeの初の4大ドームツアーをドキュメントした番組を録画したビデオが一番お気に入り。
東京ドーム最終日、直前で声が出なくなったKEIKO。
リハーサルもボロボロだった。
「ハートがあれば必ず伝わる…」
彼女は、そう言った。
数時間後、楽屋から舞台に向かう表情には、まさに気合が漲っていた。
結局本番で「FACES PLACES」の高音を出し切ったKEIKO。

総会とライブは全然違う。
しかし、何かの本番前などには、いつも私はあのKEIKOに励まされるんである。

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インソムニアの果てに

2006年06月27日 22時10分02秒 | Weblog
マイスリーが欠かせない。

眠れない。
暗闇の中。
時計の秒針音とともに大きくなる私の過去。

去年の夏。
私は上司に切れるという失態を犯した。
始末書こそ書かなかったが、サラリーマンとして許されない行為だ。
散々説教もいただいたし、ぐちゃぐちゃになった。

その後、彼への罪悪感やら己の中で沸き起こる葛藤やらで落ち込み、挙げ句、体のあちこちの歯車が微妙に狂いはじめた。
人生を総合的に回想して、一番辛かった時期だったと思う。

今、ようやく回復の兆しがあらわれているのに、どうしたことか、不眠症だけは一進一退を繰り返している。

夜、眠れないだけなら、別に構わない。
しかし、夕方にかけて朦朧としてくるのは勘弁だ。

もうすぐあの日が近付いてくる。

夏が始まりつつあるのに、私にはクローゼットに収納したままの服がある。
あの時着ていたお気に入りの水色のカットソーだ。
あの服を見ると、あの日の、そしてあの日以降の不安定な気持ちを思い出してしまう。
ドキドキして冷や汗が出る。
「どうしてあんなことをしてしまったんだろう」
その場で突っ伏して、動けなくなる。

あの服を着て出社した私を見た彼が再びあの日の出来事を走馬灯のように思い出してしまったら…。彼に限ってそんなことないだろう。しかし…。

いっそあのカットソーを捨ててしまおうか。

それはもったいない。お気に入りだし。

いや、そんなケチ臭い理由だけではない。
捨ててしまったら、あの出来事に私は負けてしまうと思う自分がいるからなんだ。きっと。

服を捨てても、してしまったことまでは消えない。
私の罪までゴミステーションは預かってくれないのだから。

未熟だった私を忘れないためにとっておこう。
いつかマイスリーの世話にならずに眠れるようになったとき。
そのときが、あの出来事に対しての勝ちなのだ。

インソムニアの果てに見る夢。
その中で、きっと私はあのカットソーを着て通勤しているのだろう。


あの出来事があったせいで、彼べったりの仕事スタンスから若干脱却もできた。
今考えれば、あの出来事は乳離れのきっかけだったのかもしれない。
悪いことばかりじゃない。
大丈夫、大丈夫。

会社帰りの喫茶店で夕暮れの空を見ながら、一人呟いた。

宇多田ヒカル 「ULTRA BLUE」

2006年06月27日 00時47分48秒 | Weblog
宇多田ヒカルって…すごいんだ…。
今更ながら、溜め息を吐いてしまう。

今日の帰り道。
街角で流れていた曲を聴いてそう思った。
最近CMでも流れていたから宇多田ヒカルの曲だとピンときた。
しかし、イントロからサビにかかるのをきちんと聴くと、その流れが綺麗で急に気に入ってしまった。
乗りやすいリズムと音程の相互作用もなんだか素敵。
帰ってから必死になって調べた。
新しいアルバム「ULTRA BLUE」の1曲目「This Is Love」だと判明した。
今まで彼女の曲に対してはあまり興味がなく、買ったのはファーストアルバムぐらいだ。それもここ3年ぐらい聴いていない。

宇多田ヒカルといったら、私にとっては歌よりも彼女が患った病気が印象的だ。

2002年ワールドカップ。
その少し前に彼女は「チョコレートのう腫」という病気にかかった。
子宮内膜症の一種で命に別状はなかったが、けっこう衝撃的だった。

その日は夜からワールドカップの試合が埼玉某所で行われる予定だった。
私の通う会社は、試合会場からわりと近いところに立地している。
「フーリガン、怖いですよね」そんなことを話ながら隣の部署の上司と話ながら最寄り駅まで歩いた。
あんまり親しくない彼とどうして帰路を共にしたのかは思い出せない。
話が途切れ途切れになる度にフーリガンへの恐怖が共通の話題としてあがった。

当時、私はひどい腰痛に悩まされていた。
今よりも高い9センチのピンヒールを履いていたからだ。
歩きながら腰を摩るのが癖になっていた。

「腰、痛いんですか」
彼は言った。

続けて
「宇多田ヒカルもあの病気になる前に腰が痛いって言ってたみたいですよ。気を付けてくださいね。」


あれから4年が経った。
彼とはあれ以来、帰り道を一緒に歩いていない。

ワールドカップ、宇多田ヒカル
…その二つは、あの夕日がかった商店街での会話を思い出させる。

なぜだろうか。

・彼が「宇多田ヒカル」という予期せぬ単語を発したこと。
・彼が宇多田ヒカルの病気を知っていた意外性。
・ワールドカップという祭りがすぐ近くで開催されることの高揚。
・殿方に、体調を気遣ってもらって、ただ単に嬉しかった。

以上のことが考察される。

4年後、32歳を迎えた私は28歳の私をどんなふうに回想するのだろうか。
「This Is Love」を着うたにダウンロードし、再生して吉熊に踊らせている私を…。


今週、ちゃんと乗り切ったら、このアルバム買おう♪
自分にご褒美♪
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異端児

2006年06月25日 23時30分17秒 | Weblog
気にしていないし、そんなの過去のことだ。

両親の喧嘩なんて日常的なものだった。
稀に離婚話まで発展することがあった。

小学生だった私は寝た振りをして、耳をすます。

揺れる蛍光灯の紐。
近くの街道を行き交う数少ない車の音。

そして、父が妹を、母が弟を引き取りたい趣旨の話声が聞こえる。

「亮子はどうするの?」

どちらともなく出た言葉。
どちらともなく黙り込む。

蛍光灯の紐は、揺れている。
それは、妹とお揃いのパジャマの胸の部分が私の鼓動でドキドキしているのと同調するかのようだった。

「亮子だって、やればできる子なんだからね」
沈黙を破ったのは父だったが、結局「引き取りたい」という言葉は彼等の口からでることはなかった。

明日からどうしよう。
一人でいきていくしかない。
平出のおばちゃん(母方の祖母)は厳しくて怖いし。

幼き私は両親の離婚よりも自分の生活の今後について不安を募らせた。
それでも楽天的な性格が作用して「でも何だかんだ言っても、両親から一番愛されているのは亮子だも~ん」と、ハウス食品提供「世界名作劇場」の主人公よろしく、ポジティブシンキングを発揮させて、その後もイキイキ育っていった。

「私は愛されていないのかもしれない。」
そんな過酷さを受け入れられるほど大人ではなかった。
結局彼等は離婚しなかった。

今日母に、当時話題になっていた親権放棄の核心について訊いてみた。

母が言うには、当時の私は異端児で育てにくかったそうだ。
「1+1」がなぜか「5」になる子だった。
四捨五入もできなかったし、ローマ字テストではいつも0点。
分数の掛け算も割り算も出来なかった。
それだけではない。
生活全般の基本が出来ていなかった、と母は話す。

「ママ、損したね。あのときが亮子株の底値だったのに。あの時亮子株を買っていたら今もっと亮子からの「親孝行」という特別配当を享受していたかもしれないのにね。」
笑いながら私は言った。

両親には感謝している。
大学まで行かせてくれたし、育てにくいと思っていながらも結果的に私をここまで育ててくれた。
とても大切に育てられたとも思うし、二人とも大好きだ。
今更昔話を蒸し返したり、悲観的になることもしたくない。

しかし、世間では絶対的だと言われている親子の愛や母性が、私には信じられないものになった。どこか遠いものとしてしか捉えられない。
鮭が川の濁流の中で身をボロボロにしながら産卵するシーンすら似非を感じる始末である。

決して、あの夜の出来事が切欠になったというわけではない。
しかし、幼き私が悟ってしまったことは事実だ。
所詮、親は親であっても同時に人間であるということを。

親権放棄を匂わせられつつも、子供は親を憎めない。
信じるのである。
愛されるためにはどうしたら良いか、ずっと無意識のうちに思い続けていた。
そんな自分に気付いた日曜日の午後。

明日から新しい一週間が始まる。
怒涛の一週間が手招きしている。
過去なんて懐かしむべきものだ。悲しむべきものではない。
愛されていたかいないかなんてどうでもいい。今は多分、愛されているし。
あの頃のポジティブシンキングを開花させて、明日からの一週間を乗りきる。
そして一年に一度のメインイベントを成功させるのだ。

異端児・亮子は明日も走るのだ!
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功名が…ド━━ m9(゜∀゜) ━━━ン!!

2006年06月25日 00時53分43秒 | Weblog
久々に晴れた休日。
布団を干せた。
ずっと干せなかった布団は、ずっしり重い。
汗を吸い込むせいだと母が言っていたが、本当だろうか。

「功名が辻(再)」を観る。
相変わらず千代のかいがいしい様子を「こんな奥さん、欲しいなあ」と思いながら観る。布団だって毎日干してくれて、ふかふかな布団で毎晩眠れるんだろうなあ。

戦国時代の女性、好き。
お市の方のプライドの高さも、寧々の姐さん的要素も。
先週の回(再放送)で死んだ信長の妻お濃も好きだ。
信長と明智光秀の間で揺れる女心…プラトニックな昼ドラ的要素がぷんぷんしていて、非常に萌えた。

番組を見終えて、掃除をしようと試みた。

窓を開け放つ。
夏の風が入り込む。

りりん…風鈴が歌った。

この風鈴はコンビニでお茶「伊右衛門」を買った時に付いてきたもの。
会社帰りのコンビニ、朦朧とする頭でなんとなく買い物籠に入れたペットボトルのお茶。そんな無機質な日常の中にも、こんなオマケが隠れていることが嬉しくて、窓越しに掛けた。

りりん。

伊右衛門風鈴は夏の中で歌う。

伊右衛門のCMは、宮沢りえとモックンが演じている。
無口なお茶作りの職人と彼を支える健気な妻を題材にしたこのCMはシリーズ化されている。春夏秋冬の中で、地味でありながらも清らかな夫婦生活を営んでいるこの二人。

「…伊右衛門はん」
隣であんな妻が鈴の音のような声で囁いてくれ、自分に尽してくれる…なんて素敵なエブリディなんだろ。羨ましいぜ、伊右衛門はん。

先日、このCMを実家で観た。
私は、涎を垂らす寸前みたいな恍惚とした表情をしていたらしい。

「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造みたいに、いつのまにか現れた母が「言っておくけどさー、あんな夫婦、いないからね。」と囁いた。

まさしく

ド━━━ m9(゜∀゜) ━━━━ン!!

である。

こんな母に育てられた私はいつしか、優しい奥さんはなるものではなく、欲する対象になった。

CMを観ながら涎を垂らしていたのも「こんな奥さんがいてくれたら…」という気持からだ。

優しい奥さんがいない私は仕方なく掃除を進める。

鈴の音は相変わらず鳴りなまない。

その音が「亮子はん。休みはったらいかがでしょうか」という宮沢りえの声に聞こえてきた。

私は、モックンばりの無口さを気取り、
冷蔵庫から伊右衛門を取り出してゴクリと飲んだ。



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ブログについて思うこと。

2006年06月23日 23時02分36秒 | Weblog
ブログを始めて一年以上が経過した。

元々ネットには全く興味がなく、調べものがあるときのみ使用する程度であった。
掲示板やチャットに文字を書き込むこともなかった。

始める気など更々なかった。
友達のブログを読んでいて、「みんな偉いな。私にはできないだろうなあ。機械音痴だし。」と思い込んでいた。

そんな私が興味本位からとはいえブログを始め、毎日更新している。
信じられないことだ。


昨年2月、私は風邪を引いて会社を休んだ。
熱が下がって、何気無くパソコンに向かった。
いつも通り友達のブログを閲覧していた。

その友達はgooのブログを使用していた。
「そもそもgooってなんだろ?」
そんな好奇心が沸き起こり、ブログの画面隅の「goo」という文字を押し、ネットサーフィンをしていったのである。

気付いたらブログというものを開設していた。

自分の内面を世界中の誰もが見られる環境に置くこと。
そんな大それたこと、私がしても良いのだろうか。
見知らぬ人に自分を知ってもらって、何の意味があるのだろうか。
傷付くことをコメント欄に書かれたら、どう対応すればいいのか。
日記だったらノートに書けば良いのではないだろうか。
いっそ、「やっぱ、やんぴ」と閉じてしまおうか。
でも、せっかく始めたんだし、キーボードのタイピングの練習になるかもしれないから、やっぱり続けよう。
今思えば、そんな曖昧な気持から始めたのである。

気付いたら一年以上が経過していた。
私の拙い考えや日々の生活で思ったこと、行った場所、観た映画、食べたもの…このブログには一人のOLの生態が書かれている。

私は一人で生活している。
そうすると、「今日ね、夕日が綺麗だったの」というような、本来なら同居人レベルにする会話ができないのである。
孤独を愛する私とて、電話越しの母以外の人と会話をしてみたい。
友達にメールをするほどでもない、他愛の無い内容を。
その捌け口を私はブログに託したのである。

最近では慣れてきたせいか、初心を忘れている自分を感じる。
心の奥底にある気持を豊かに表現する努力を怠っているのである。
また以前なら「こんなこと書いたら私という人物が特定されてしまうかもしれない。くわばらくわばら。」と内容について過敏になっていたのだが、最近では「これぐらいなら書いても良いよね」と、警戒心が薄れてきているのも事実だ。

初心忘るべからず。
もう一度、開設当時の初々しさと緊張感を取り戻そう。

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Mr.HOSAKAの笑い声

2006年06月22日 23時32分37秒 | Weblog
昼休み、目の前に座っている若君が面白いものを見せてくれた。

プランクトンである。

しかも海の深層部分に生息するやつ。
表層部分に生息するものより大きいらしい。
海洋学部を卒業した彼は意気揚々と、そんなことをレクチャーしながら見せてくれた。

海老っぽいやつ。青味がかかったやつ。
10種類ぐらい見せてくれた。
一つ一つ小瓶に入れられ、ホルマリン漬けにされているプランクトンたちは、どこか神秘的だった。
暑い社内に海の風が一筋、流れていくのを感じた。

私は尋ねた。
「〇〇さん(若君)はこの中でどれが一番好き?」

「みんな好きっスけど…う~ん、やっぱこれっスね。顔が可愛いんですよ。」
彼が選んだのは、Mr.HOSAKAというプランクトン。
この業界では新たなプランクトンを発見するともれなく命名権もゲットできるらしい。

Mr.HOSAKAという札を入れられた小瓶を覗く。
他のものとは比べ物にならないぐらい小さい。
体は透明。
二つの大きく黒い瞳だけが目立つ。

Mr.HOSAKAと目が合う。

はきゅ~ん!
かわいい。
「まあ、この子ったら可愛いでちゅね~。こっち見ているんでちゅか~。お~よちよち。私がママよ~。」
思わず狂った母性が開花してしまった。
もしくは、狂ったムツゴロウさん…?
Mr.HOSAKAは私を見つめる。
勿論、ホルマリンに浸っているので死んでいるのだが、やけにイキイキした瞳をしている。
私もMr.HOSAKAを見つめる。
この視線の絡み合いは、きっと奇跡だ。

私が毎日せわしなく生活している間も、
世界のどこかでは、こんな生き物が呼吸している。

改めて考えると、やはり世界は広い。
世界を狭めることは簡単。
自ずと小さくしている世界で、毎日セコセコ生きる自分が、プランクトンよりも小さく思えた。


会社帰りの一服中。
出されたアイスティー。

私は、海の底を静かに想った。
その底辺をストローでなぞる。
グラスを海に見立ててみる。

この辺ね。
この辺にMr.HOSAKAはいるのね。


ストローを回す度に、氷とグラスがカラカラと透明な音を奏でた。
私には、それがMr.HOSAKAの笑い声に聞こえた。
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一人旅プロデューサー

2006年06月21日 23時43分54秒 | Weblog
暫く太陽を見ていない気がする。
太陽が恋しい。
紫陽花だけがやたら元気で、
そのパワーをもらう通勤時。

梅雨が明けたら、夏が来る。
今よりもっと暑いと分かっていても待ちどおしい。
夏休みには毎年一人旅をする。
広島県尾道市に。

お盆で混む東京駅を毎年同じ時刻ののぞみに乗って出発する。
喫煙席の窓側にて、ぼんやり車窓を眺める。
吉熊を取り出して写真撮影をし、隣に座る人にギョッとされるのにも慣れた。

一日目は広島市内を見学し、お好み焼きを食べて19時19分広島発の電車で尾道に向かう。
二日目は朝から尾道を歩き回り、三日目は島に行く。
大久野島、向島。
瀬戸内海の島々から毎年一つ選び、行くのである。
めざせ、全島制覇。
中学校の社会の時間、瀬戸内海のところだけは一生懸命だっただけある…。

今年はどの島に行こうか。
今のところ、候補がある。
だが、当日変更するかもしれない。
それが一人旅の良いところだ。

四日目、ホテルをチェックアウトしたあと、尾道を歩き回る。
押し寄せる切なさを噛み締めつつ歩く坂道は、私をセンチメンタルにさせる。
夕方、泣く泣く尾道を発つ。
電車に乗り込む前、ホームで何度も改札向こうの海を振り返る。
福山でのぞみに乗り換えて、東京に向かう。
薄暗くなる遠くの山々。
麓で花火が上がるのが見えたりする。

あの4日間の旅のために、毎日働いているといっても過言ではない。

旅の支度も楽しみだ。
ホテルと新幹線の手配は少し面倒だが、地図を見ながら、行く名所を考えるのは楽しい。駅弁、お土産、吉熊と私の着替えに至る細かいことまで抜かり無く計画するのである。
しかも旅行のシオリなどをこさえたりしているのである。
シオリ作成時、去年の反省をちゃんと踏まえる。
「去年は旅の途中で爪を折ってしまい、尾道のSEIYUで爪切りを購入したんだなあ。」とか思う。早速、シオリに「爪切り」と書く。

何の曲を道連れにするか、考えるのも面白い。
尾道というノスタルジックで日本的情緒が溢れる場所に似合う曲。
小室氏が考え込むときに、顎に片手を添えるあのポーズで考える。
まさに旅プロデューサーである。

このぐらい、仕事も計画的に進められれば良いのだが。
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「それが大事」

2006年06月20日 22時13分59秒 | Weblog
「それが大事」(歌 大事MANブラザーズバンド)

「負けない事
 投げ出さない事
 逃げ出さない事
 信じ抜く事
 駄目になりそうな時
 それが一番大事」

このCDをC子ちゃんから借りたのは高校受験間近の冬。
この曲は私が中学2年のときに流行った曲だ。
なんで3年生のその時期にこの曲を、
そしてなんでグループも違う彼女から借りようとしたのか…どうしても思い出せない。

放課後、「あんまりみんなにに見せないでね。恥ずかしいから。」
流行歌ではない曲は、すぐに恥ずかしいものだと決めがちなあの頃特有な気持からだろうか。彼女は恥ずかしそうに笑いながら、学生鞄からCDを取り出し、素早く手渡してくれた。
「ありがとう。明日返すね。」
私もマッハで受取り、学生鞄に仕舞った。
早速家に帰り、カセットテープにダビングをした。

彼女と私は小学校から中学校を通して、ほぼ同じクラスだった。
家も近所だったのでよく遊んだ。
中学生になるとグループの所属が別になり、疎遠になっていた。
しかし、帰る方向が同じだったので一緒に帰ることも屡々あった。

「私、チョコ好きなんだ。袋にたくさん入ったチョコなんて、一人で全部食べちゃうもん」
「うそ~!C子ちゃん、そんなに痩せてるのにぃ!」
そんな他愛の無い会話をして歩く帰路だった。
そういえば、彼女は、小学生のときの私のあだ名「りょうこっこ」で、ずっと私を呼んでいた。

あれから何年か経過し、彼女に再会したのは20歳の時に通い始めた自動車教習所でだった。キャンセル待ちのとき。

「りょうこっこじゃん!」

聞き覚えのある透明な声。
振り向くとC子ちゃんがいた。
背が高く、スレンダーな姿は変わらずで、黒のパーカーが似合っていた。
教習所の待合室で、互いの近況や教習所の進捗具合等を述べ合った。

彼女の手には雑誌が握られていた。
arという雑誌だった。
髪型を変えたいので、参考にこの雑誌を買ったとのことらしい。
「私ね、死ぬまでに色々な髪型にしてみたいんだ。だって人生なんて一度しかないんだよ?色々試してみたいじゃん。」
彼女はそんなことを言った。

当時も今と変わらずコンサバを好んでいた私には不可解な発言であった。
しかし、彼女の「死ぬまでに…」という言葉が強烈で、忘れられない会話になった。

お互い卒検を迎え、彼女と会うことはなくなった。

2001年の秋に開催された同窓会で再会し、それが彼女との最後の対面になった。

2002年の冬。
彼女は癌と戦った末、天国へ行ってしまった。
通夜告別式は、都合が悪く、どうしても行けなかった。

後日、母と線香をあげに行った。
祭壇に飾られたC子ちゃんの写真が「りょうこっこ」と呼び掛けてくれそうで、
そしてCDを貸してくれたあの時みたく今にも笑いだしそうで、
彼女の死を受け入れられなかった。
私を「りょうこっこ」と呼んでくれる数少ない友達。
そんな昔からの友達の減少が、「疎遠になること」ではなく、「死」によってだなんて…。
涙が止まらなかった。

写真の下にはキットカットが籠に盛られていた。
「あの子、チョコが好きでね。入院中も隠れてチョコを食べていたみたいなんですよ」
C子ちゃんのお母さんが続けてこう言った。
「辛いだろうに、一度も弱音を吐かなかったんです。そして、お見舞いに来てくれたお友達に乳癌検診の大切さを話していたのよ。」と。


2006年。夏。朝。
MDラックから適当に取り出したMDを鞄に放り込み、出勤。
電車内でMDをオンにする。

「それが大事」が流れた。

よく聴くと「生きていることって大変だけど素晴らしいよね」という主旨の曲だと気付く。
C子ちゃんとの思い出を辿りながら聴くと、なんて皮肉なんだろうと思う。

今、与えられていることに、躊躇い無く立ち向かえること。
それはきっと掛け替えの無いことなのである。
同時に、生き残っている者への無言の責務でもある。
全ての人々が「死」という病のキャリアだが、
それを忘れている、忘れていられる間は、真剣に責務に向き合わなければならないのだろう。

この曲を聴きながら、そんな当たり前のことに気付いた。

今、この曲は確実に私への応援ソングになっているよ、C子ちゃん。
天国で「いやだ~。古いよ、りょうこっこ~!」と笑ってるんだろうなぁ。






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ハナ殿からのバトン

2006年06月19日 23時39分29秒 | Weblog
マイミク ハナ殿からバトンをいただきました。


☆Q1名前とその由来は?
亮子
りこうな子になるように、と両親が命名。
…両親には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

☆Q2バトンを回してくれた人の印象は?
ハナ殿…大学時代の大親友。
印象は「地上に降りた女神」
なんでもできるし、知っているし、気配りもできるし、美人だし…私にとっては女神そのもの。

☆Q3性別、種族は?
性別:女
種族:OL。尼。

☆Q4使ってる携帯の機種は?
W31K

☆Q5普段着はどんな感じ?
会社→主にスーツかワンピース。
プライベート→花柄、レース、とにかくフェミニンな感じが多い。

☆Q6年齢は?
28歳。偶数の歳って嫌い。ダサいんだもの。

☆Q7自分を変態or変人だと思いますか?
うん。
変人より、変態のニュアンスの方が強いかな。

☆Q8 SとM、どっち?
Sに憧れる、ややMな人。

☆Q9飛行機に乗った事はありますか?
旅行に行ったとき。
大学時代の最後。
卒業旅行でヨーロッパに行ったとき、
機内イヤホンからTHE YELLOW MONKEYの「バラ色の日々」が流れていた。

「追いかけても追いかけても逃げて行く月のように
指と指の間をすり抜けるバラ色の日々よ」

このフレーズ、就職して、辛いときに何回も聴いては泣いていた。
大学時代やヨーロッパを恋しく思いながら。

☆Q10好きな食べ物トップ3
・餃子(宇都宮の「正嗣の餃子」か母の手作り餃子)
・もんじゃ焼き
・とろろご飯

☆Q11食べたら死にますな三種の神器?
何でも美味しくいただける。
強いて言えば
・血の滴る肉。
・イカ…体質的に食べられない。
・しいたけ

☆Q12住みかにしている場所は何処?
東京都

☆Q13法を犯した事は?(御用にならずとも)
道路交通法ぐらいかな。

☆Q14これを打ってる今現在眠い?
昨夜は不眠症が酷く2時間しか寝ていない。
眠いのを通り越して、ナチュラルハイ。
今、飲酒しながら、このバトンに返答しているし。

☆Q15夜型?昼型?
夜型。夜行性。

☆Q16ドラマとアニメどっち派?
どっちも好き。
でも最近、どっちにも接していないなー…。

☆Q17ゲイ、バイ、レズ、ノーマルのどれ?
ノーマル。
でも可愛い女子やクールで綺麗な姐御肌の女性に惹かれることはある。

☆Q18水泳はできる?
クロールと犬かきぐらいはできるかな。
幼稚園時代に水泳を習っていた。
スイミングスクールの先生の目を盗み、逃亡した。
あのスリリングさをもう一度味わいたい。

☆Q19北海道と沖縄行くならどっち?
沖縄かな。
ゴーヤが好きなので。
あと、海に入りたい。
浮き輪にお尻だけスッポリ入れて、沖でプカプカ浮かぶの。

☆Q20野性的or上品?
上品…になりたい。

☆Q21化粧するorしない?
この10年間で素っぴんで過ごした一日たりとも無い。

☆Q22ボーリングは得意?
爪が割れるからあまり好きではない。
暫くやっていないので得意かどうかも忘れた。

☆Q23歌は音痴?
中途半端に覚えている曲や難しい曲を歌うと、すげぇ音痴。

☆Q24機械は得意な方?
苦手。
いまだにビデオの予約録画が出来ない。

☆Q25メール派?電話派?
内容や置かれた状況にも因る。
どっちかというと、メール派かな。
でも、相手の声が聞きたい時は電話をしてしまう。

☆Q26好きな動物は?
熊。文鳥。

☆Q27性格は?
興味がないことにはコメントするのも面倒なぐらいの面倒臭がり屋。
自分のこと以外の事象にはあまり興味を持てない。
争いごとが苦手。
マイペース。
妄想癖あり。

☆Q28今叫びたい事は?
マイスリーの在庫がなくなりそうで不安だ。
今夜も眠れないのかな。

☆Q29これを7人の人に回して下さい。
YOU!
答えちゃいなYO!(←のぶのぶ殿、また真似しちゃいました!)
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5%ルール

2006年06月19日 23時02分09秒 | Weblog
あなたの心の5%を
私のものにして、
財務局に大量保有報告書を提出したい。

保有率が1%増える度に、変更報告書提出も忘れない。

まず、私はあなたの主要株主になりたい。
あなたが発行済株式数を増やして逃げようが、私は投資し続ける。

純投資?
ううん、不純投資。

密かに、私はあなたとのM&Aを企んでいるの。


って、恋愛も株式投資みたいにいけばいいんだが。

四季報も配当金も優待もないし。

第一、心は目に見えない。
難しいんだよなぁ…。

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自分に帰る

2006年06月19日 00時46分30秒 | Weblog
昼まで寝ていた。
外は小雨。
蒸し暑いのか肌寒いのかうまく判断できない、そんな天気だ。

お茶とケーキを食べながら、母とずっとお喋りしていた。

私は長子。
私が2歳4ヶ月の時に妹が、
妹が2歳4ヶ月の時に弟が産まれた。

私は母に甘えたい時に甘えられなかった。
なので、28歳になった今、マザコン魂に火がついたみたいに母に甘えまくっている。

遅くきた幼児期。
そして永遠のモラトリアムを感じる。

快速ラビット号で赤羽に帰る。
今のところ、実家に行くときもその逆も、「帰る」という動詞を使っている。

川口駅~赤羽駅を遮るように流れる荒川。
荒川を渡り終えると、明日のことを考えている自分がいる。

実家で寛ぐ娘モードの自分。
東京にいる齷齪モードの自分。

どっちの自分になる際にも「帰る」という動詞が該当する。

帰る帰るって…。
一体、私の本当の居場所は何処なのだろう。
しかし、そんなことを考える時間などなく、
すぐにやってくる明日、そして一週間を乗り越えることが私の両手に課せられる。

そんな日常こそ、私の帰るべき自分なのだろう。

おかあさんと いっしょ

2006年06月19日 00時41分48秒 | Weblog
友達夫婦に実家の近くまで送ってもらった。

その後、家族で食事。
私の好きな餃子、サバの味噌煮、たこ焼き、ホタテバター、梅酒がテーブルに並ぶ。
母親は言う。
「帰ってくると知ると、子供の好きなものを、つい作ったり買ったりしてしまうのよ」と。

ふーん。
そういうものなのか。
いつも恩恵に与かるばかりで、与える立場なんて想像できないや。

深夜、母とカラオケに行く♪
出資者が母なので、母の知っている曲を中心に選曲する。
結果、「宇宙刑事ギャバン」や「ひょっこりひょうたん島」「魔法使いサリー」になる。

華原朋美は母も好き。
なので「I'm Proud」を選曲した。

画面はプロモーションビデオ。
朋ちゃんと小室氏がビルの屋上にいるセピア色のやつ。
私はこの歌詞を暗記しているので画面を見ないのだが、
母は画面の二人に見入っていた。

あのプロモーションビデオが発売されたのって、たしか96年。
もうあれから10年が経つんだ。

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永遠の…

2006年06月19日 00時26分04秒 | Weblog
6/17(土)

帰省。
写真は雀宮駅1番線ホーム。

実家に荷物を置きに帰り、すぐに中学時代の友達宅に遊びに行く。

友達とご主人様との会話、すっげー楽しかった!
ボケとツッコミが絶妙。笑いが耐えない、素敵な時間を過ごせた。
切ってくれたメロンも甘くて美味しかった。

友達が食器を破損させ、ご主人様が「大丈夫だよ。世の中に永遠にあるものなんてないからさ。」と声をかけた。
その光景は、永遠の愛っていうものを私に教えてくれた気がする。
つい、ホロリときそうだった。

来月にはママンになる友達。
感慨深い。
お腹を触らせてもらったら、あたたかくて柔らかくて、「私もこの中に入りたい」と思った。