世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

濃いの?マイスリー

2005年08月31日 21時15分45秒 | Weblog
勤務中、激しい目眩と頭痛に襲われ早退。
最近、眠れない&イライラしているので一緒に診てもらおうと心療内科へ。

先生はB'zの稲葉さんに似ていた。
会った瞬間、頭の中で「太陽の Komachi Angel」とか流れた。

採血検査と脳のCT検査をし、心電図も計った。
採血検査は恐ろしかった。腕をゴシゴシ摩られ、いきなり太い針をスボッと入れられた。冷静を装うのが大変だった。顔が引きつっていたかも。
看護婦さん曰く、悲鳴を上げる大人もいるそうだ。当たり前だよなー…。直視できなかったもん…。

結果は来週出るらしい。

今日は取り合えずマイスリーを処方された。
こいつを飲むとよく眠れるらしい。
ドリエルより濃いのかな?


ところで、「マイスリー」と聞いたら、昨日の猫ちゃんたちが頭の中で「マイアヒー マイアハー マイアホー マイアハッハー」と歌い出した。

なんか、少し笑えた。
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恋のマイアヒ

2005年08月30日 22時45分15秒 | Weblog
偶々会社帰りに入ったTSUTAYA。
エスカレーター前の「恋のマイアヒ」コーナーの前を通りがかった。
テレビにはあの曲と共にフラッシュがエンドレスで流れていた。

♪マイアヒー マイアフー マイアホー マイアハッハー
米さ米酒か…のまのまイェイ!!
キープだ牛 あずかりDAY

知らない方はわけわからんかと思うが、「オゾン」というモルドバ共和国出身のグループの歌(DRAGOSTEA DIN TEI~恋のマイアヒ~ )に、日本人が空耳を頼りに詞を着けた曲。

異国語が日本語に聞こえ、その意味の唐突さに笑ってしまう人の心理を上手くマーティングに結びつけたよなぁと感心してしまう。

…先日、めざましテレビで放送されていた時、「この曲、好きになるんだろうなぁ~。レンタルまで待つか」と思っていた。
その程度だと思っていたのだが、アニメフラッシュの猫(某巨大掲示板のモナー?ギコ猫?っぽい)が可愛いすぎるんである。
TSUTAYAの販促物であるテレビに齧りついて観てしまった。


そして、買った。
勿論、DVDとセットになっている方を。

もう駄目。ハマった。
帰宅後、中毒を患ったかのようにエンドレスで聴いている。今も。

吉熊も一緒に…

♪マイアヒー マイアフー マイアホー マイアハッハー
のまのまイェイ!!
のまのまイェイ!!

オゾンのプロモーションも入っていたが、一度しか見ていない。
ごめんね、オゾン。

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『広島・昭和20年8月6日~その一瞬まで夢に生きた三姉妹の物語』

2005年08月30日 01時59分21秒 | Weblog
TBS 21時から放送されていた
『広島・昭和20年8月6日~その一瞬まで夢に生きた三姉妹の物語』を観た。

冒頭で、2週間前に行った広島の風景が出てきた。
そして平和記念公園。
「あっ、あそこ歩いた」と呟きながら観ていた。

「やっぱ、松たか子の着物姿って粋だわね」
「加藤あいの鼻筋ってきれいだよなぁ」
「これってやっぱ遊川氏の脚本って感じがする」
なんて思いながら観ていたものの、
番組終了間近では涙涙だった。

物語は、原爆数日前の広島市に住む3姉妹の
ささやかな幸せや苦悩や秘密を綴ったもの。
すぐに「きっさま~っ!!」と怒り出す軍人の姿や、
町で普通に行われていたらしい外国人差別の様子も描かれていた。

結局、3姉妹は被爆して亡くなる。
その様子は描かれていない代わりに…
エンドロールでは、「涙そうそう」の流れる中、
被爆された方々の写真や映像が…映し出されていた。

爛れた肌、焦げた肌、火傷で眼球が無くなった目、溶けてなくなってしまった耳。

「涙そうそう」が終わるまで、それらの映像を目を背けずに見た。
2週間前、私が行った場所は、紛れも無くあの惨事が起こった広島なのである。
今は整備され、緑が風に揺らいでいるあの都市で、
あんな悲劇があったことが、どうしても…どうしても結びつかない。

カップラーメンを食べるときにヤカンでお湯を沸かし、カップに注ぐ際にドジな私はよく小さい火傷をする。
そして、「あっついんだよ!!」と大騒ぎする。
それが、いやそれ以上の痛さや苦しさが全身を包むなんて…想像できない。
傷やケロイドが残る精神的苦痛も、想像できない。

色々な意見があるが、やはり原爆投下って間違った行為だと私は思う。
「自分が嫌だと思うことは他の人にしてはいけない」って小学生の時に習った。
原爆投下した人は、どうしてそんな基本的なことが分からなかったのだろうか。

原爆投下した人に限らず、領土や何やらを目的として未だに戦争する人、戦争しようって考えている人。超迷惑。
「これをやったらこの人は迷惑なんだろうな」という想像力が欠如した人間が戦争なんて引き起こすのだろう。

世界から戦争がなくなる日って来るのだろうか。
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僕の生きる道

2005年08月28日 23時30分15秒 | Weblog
意気込んでいた割には寝坊し、だらだらした休日だった。
ビデオ屋さんで借りた「僕の生きる道(1話~3話)」を観る。

スマップの草薙君扮する28歳の高校教師・中村先生は癌宣告をされ、余命を1年と言われる。
「今まで真面目に生きてきた自分がなんで…?」
やけっぱちになった中村先生は、貯金(28歳で500万円の貯蓄額!!)を下ろし、
高級クラブで豪遊したり、片想いしていたみどり先生に豪快にキスしたり、
挙げ句自殺未遂までする。

担当医師に「ただ一つ言えることは、今、あなたが生きているということです」と言われ、「今を大切に生きよう」と決意する。

今までの28年を冷静に見つめ、残された1年を後悔しないように生きようと頑張る中村先生を見て、「あと1年しかないから、そんなに頑張れるんでしょうなぁ。偉いね」と他人事のように考える私。

それは余命を意識しない人間の幸せであり、傲りでもあるんだと気付く。

余命1年。
1年あったら何しょうか?

もう一度、ヨーロッパや尾道に行きたい。
ゴスロリファッションを着て街を歩きたい。
文鳥を飼いたい。
買ったままで読んでいない本を片っ端から読み終えたい。
ピアノで色々な曲を弾きたい。
湯葉を食べまくりたい。
小室哲哉に逢いたい。

やっぱり「後悔しないように生きる」を基本とするんだろうな。
とりあえず今現在、余命宣告をされていない私。
明日、急死しない限り、「面倒くせ~」を言い訳にしなければ色々なことができそうだ。
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ゼロになる体 満たされてゆけ

2005年08月27日 21時31分59秒 | Weblog
休みの前日。止め処もなく幸せを感じる。

目覚ましをセットしないで寝床に入れる幸せ。
煙草をくわえながら読みたい本を読み、夜更かしできる幸せ。
明日、何しようか…考えられる幸せ。

ああん、幸せ。

こんな夜はデニーズでリッチにご飯(夜デニセット)をし、
一週間分の自分へのご褒美を贈呈する。

そして自分の中で反省会…。


お金をもらうって大変なんだと今更ながら思う。
古代から多くの人間が生きる上で労働は欠かせない要素だったらしい。
「働かざる者、食うべからず」っていう言葉が多くの人間に流布、定着、浸透しているように、働くことはごく普通のことということが覗える。
ということは、みんな普通のことを普通にこなしているんだ。
普通のことなのに、どうして私は上手くできないんだろう…。

時々「私が今死んでも会社の人は誰も困らないんだよなぁ。」と思う。
悲しいけど、悔しいけどこれが現実。
すぐに後任が私の仕事を引き継いで、筒がなく業務は遂行していくのだろう。

大した仕事もしていないのに、休みの前に浮かれている自分なんて、本当に馬鹿みたい。いっそ、ミジンコかツボワムシになって水中を泳いでいるところを魚に食われた方が食物連鎖の為ではないか。

なんで私なんて生まれてきたんだろう。

生物誕生から始まる命のリレーにいつの間にか参加することになった私。
次世代に遺伝子は残す生き方は選択しないだろうから、
私が生まれて感じたことやしてきたことなんて、きっと風に吹かれて消えていくんだろう。

生まれてきたことに意味がない。
過ぎ行く時間の中に発生した無意味な私。

それなら何故生きているのだろう。
何故?何故?何故?

そんなことを考えていたら、夜デニセットのラザニアはすっかり冷めてしまった。

お腹一杯になったら、そんなメビウスの環のような自己問答はすっかり忘れていた。
なんだかパワーが出てきた!

生きている意味を認識するよりも、自分に課せられた課題を確実にこなしていこう。意味って、きっとそこから派生する結果論なのかもしれない。

満腹の私は少しポジティブになれたようだ。

明日は休みだし~♪
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変わらないでほしいもの ~残暑見舞~

2005年08月26日 21時26分26秒 | Weblog
いいなぁ、ホリエモン。
最近、テレビで選挙関連のニュースを見ては悶え死ぬほど羨ましがっている私。
だって、東京と私の愛する広島を簡単に往復しているのですよ…?
しかも広島住民になるらしいし。

私なんて、年に一度の夏休みに清水から投身自殺する勢いであの地に上陸するのに。
旅行最後の日の前夜は「また来年ここに来るまでに嫌なことや苦しいことが山ほどあるに違いない。嫌だよぅ…ううっ」と、ホテルの部屋で30分泣いていた私。
そのぐらい、私にとっては一年で最も大きなイベントなんである。尾道旅行は。

ホリエモンが広島六区で当選したら、尾道はどんな変化をするのだろうか。

できれば、あのままでいてほしいなぁ。
『観光の「光」は、そこに住む人が幸せになるために考え出された叡智であり、
観光とは、その「光」を観ること』だと大林宣彦監督が仰っていた。
尾道は、そんな長年培った「光」が今もちゃんと生きている町だと思う。
それを壊さないで欲しい。

シューミズ姿のお婆ちゃんが小道に面する軒先で洗濯物を干し、私の「尾道はいいところですねぇ」という言葉に「ええ。本当にいいところじゃけん。またおいで」という緩やかな会話が自然に生きる町。

そんなことを考えながら帰宅した。
ポストにDMに混ざって懐かしい文字が載っている葉書を見つけた。

高校時代の担任、倉田先生から残暑見舞。
年賀状は交さない、しかし残暑見舞は十年間交している不思議な関係。
のんびりとした倉田先生らしい飄々とした文字が毎年溢れていた。

今年、私は尾道から先生に残暑見舞を出した。
千光寺と尾道水道の眺めが描かれた現地調達の絵葉書だ。
そして、私の代わり映えのしない近況を記載した。

「ホリエモンの出馬で一気に注目を浴びている尾道を旅したなんて、先見の明があるね」と始まる倉田先生からの残暑見舞。

自身も尾道へ一人旅をしたことがあるらしい。
千光寺まで歩いて登ったこと、向島までの渡船が5円だったことに加え、今年は家族で愛知万博に行ってきた、家族旅行も良いものですね…とあった。

葉書だけの付き合いであっても、お互いの近況を報告できる存在ってありがたい。
心の故郷だって思える。錦は飾れないけど、そんな存在を裏切ったり悲しませることはしてはいけないって本当に思う。

尾道も倉田先生もずっと変わらないでいて欲しい…と祈る夏の終りである。

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秋色小町

2005年08月24日 22時26分19秒 | Weblog
台風が来るらしい。
この後、何個かの台風が来て、台風一過の度に秋の空気が深まるのだろう。

世の中は早くも秋の気配が漂っているようだ。
ショーウインドウに秋物の服が並び、夏物は3割引から5割引の値札に貼り替えられ始めた。
昨日買った美的には秋カラーのメイクを施されたモデルが表紙を飾っていた。

感受性が今より強かった頃は、そんな秋の気配がたまらなく嫌だった。
暑さに弱く、積極的に夏を楽しんでいたわけでもなかったのに。

思えば、日が詰まっていることを感じれば溜め息、
日差しの柔らかさを感じれば溜め息をしている少女であった。

しかし、今は秋がそんなに嫌いではない。

秋色が好き。
例えば、ボルドーや焦茶。
夏のパステルカラーも好きだが、近年夏色の服を身に付けていると落ち着かなさを感じ始めている。
化粧も秋色メイクが一番得意だし、秋は湿気がないので巻き髪が崩れる心配もない。

そんな秋が待ち遠しい。

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自己犠牲とウニの受精

2005年08月23日 22時37分02秒 | Weblog
身近な人の懐妊を何度か見てきた。

その度に私は不思議に思う。
不思議がる私のお腹にもその様な設備が備わっているらしい。
そのことも不思議。

人間が人間を産む。
人間の中に人間がいる。

そんな事実よりも、私は理科の資料集で見た「ウニの受精のようす(ウニと人の受精は似ているらしい)」の方にリアリティを覚える。

人間を腹に宿し、産んで育てる。
私がその当事者になることは、杉田かおる的に言うと「(フィリピンで)日本兵士が見付かるぐらい有り得ない」んである。

有り得ない…というよりも想像できない。

母性というものが女子に備わった当然の本能だとしたら、
紛れもなく私は規格外だろう。

自分のことしか考えたくない、
自分の思う通りにしたい、
自分を考えている時が一番幸せを感じる

…そんな自分が一番好き。


自分以外の子供という存在に無償の愛を捧げるなんて当然別の世界の絵空事。
私には関係のないことなんである。

この間まで笑いあった知人が、急にその「別の世界」に行ってしまった。
これは私にとっては衝撃的なことである。

知人の腹の中に人がいる!という驚きや、
知人は人を作った人なんだ!という幼稚な驚きも加わり、
私は混乱する。

最大の混乱の源は「知人はどうして自己犠牲を進んでするのか?」ということである。
私だけの物差しで他人の幸せは計れやしない。
知人は知人の価値観で良いと思って子供を腹に宿したのだろう。

しかし、「自己犠牲」と引き替えに手に入れる「幸せ」というものが、
私には全く理解できないのである。

身体に起きる女子特有の事象に無意味さを感じ、お金と時間があればその臓器を撤去したいと考える女子。
受精というシステムを学ぶ前、「電子を浴びると赤ん坊ができにくくなる」という噂を聞き、ワンピースの裾を捲りレンジに腹を当て「赤ちゃんができませんように」と唱えながらチンしていた女子。
それが私なんである。

「愛する人ができたらきっと産みたくなるよ。」と、人は言う。
しかし、27年生きてきて「子供が欲しい」と思った時間は1秒もない。
そんな規格外の自分をこの先愛してくれる規格外の殿方なんているのだろうか。
私は自分以外の他人を愛せるのだろうか。
そして苦手な「自己犠牲」という行為を選択できるのか。
…きっと、無理だろう。私が私である限り。


全世界のウニにはこの先、こんな考えを持ってもらっては困る。
ウニにはたくさん子孫繁栄してもらわないと私の口に入りづらくなるから。
…って、やっぱり自分大好きな私…。


脳内ホリデー

2005年08月22日 22時52分22秒 | Weblog
色々書きたいことはある。
しかし、脳が疲れているせいか、これぞ!!という文章や内容が出てこない。
1時間もパソコンに向かっていたのに、…駄目だ。まとまらない。

物事を深く考えることに、脳が抵抗しているようだ。

今週は6日連続出勤。
早く寝るとするか。


悪戯心で、吉熊に唐辛子(ハナ殿の沖縄土産)を味見させてみた。
…失神してしまった。
ごめんよ、吉熊。

喪失感

2005年08月21日 23時47分25秒 | Weblog
長年使用していたテレビが最近になり、不調になった。

このテレビとの出会いは上京した五年前。
従兄弟の友達が私の家のすぐ近くに住んでいて、彼が一万円で売ってくれると言った。
テレビは映れば良いというこだわりの無い私。取引はすぐに成立した。
一応テレビデオなんだが、ビデオ部分はすぐに壊れ、ただのテレビになった。
しかし、テレビとしての役割を健気に果たし、よく頑張ったと思う。

尾道旅行の前あたりから、ついに映らなくなった。
叩けば映るものの、いつまた映らなくなるか不安に脅えるよりも新しいテレビを買おう、とヨーカドーで破格のテレビを購入。
旅行や帰省が重なり、届いたのは今日。

新しいテレビの到着前、古いテレビを雑巾で拭いた。
ヤニと埃まみれだった。
今までゾンザイに扱っていたことに申し訳なさを感じた。
そして「よく頑張ったねぇ。ありがとうね。」と呟いた。


「モノに心があるわけないじゃん。」
そう思われるかもしれないが、私はたとえ相手がモノであっても出会えたのは運命だと信じている。
同時に別れに際しては、悲しみを覚える人間だ。

しかし、時々そんな情の強い、センチメンタル過ぎる自分が嫌にもなる。
クールな周囲の人々と比較し、あまりにもグズグズしている自分は人より劣っているのではないだろうか?と不安になってしまうのである。

「馬鹿にされるのが怖い」と、いつも脅えている。
そのため、モノへの愛情について等を他人に話さなくなった。
話す時は、分かってくれそうな人を選択するようになった。

あのテレビはそんな私を毎日見守っていたんだ。

私は理解者を一人失ったようだ。

喪失感が残る日曜日の昼下がり。
新しいテレビに「よろしくね」と挨拶した。

オネム

2005年08月21日 01時55分25秒 | Weblog
出勤日。

休みが明け、二日しか出勤していないのに、眠い…。

今宵はもうオネムしちゃいましゅ。

写真は尾道(西国寺付近)にいた猫にゃん。
睡眠を邪魔したから表情が険しい。

石橋物語

2005年08月19日 22時45分23秒 | Weblog
夏休みも終ってしまった。
お盆が過ぎた途端、まだ強い日差しの中に秋らしさを感じてしまう私は
少々せっかちだろうか。

尾道から帰ってきて、昨日まで実家にいた。
実家というものは不思議なもので、離れてしまうと他人の家という感覚が
離れた時間に比例するかのように累積する。
パソコンもないアナログな家庭なので、することがない。
引っ越しの際、部屋に私物を残さなかったので手持ち無沙汰になる。
唯一、居間のビデオ棚に「東京ラブストーリー」の再放送を録画したビデオがあるが、台詞も殆んど覚えてしまうぐらい何回も観たので、観る気になるのは希だ。

仕方がないので、思い付きで母校に行ってみた。

私が卒業したのは「栃木県立石橋高校」。
たしか私が高校二年の時に、高校生クイズで先輩が優勝した為、
「クイズの」という怪しい枕詞がついた。


石橋駅を降りて、商店街を歩く。
まず驚いたのは商店街に電線が見あたらないことだ。
言ってはなんだが、下妻級の田舎である。
商店街と言っても、干瓢屋さんか薬局か床屋さんしかない。
…電線を無くすぐらいしか都会さを出せないんであろうか。
(しかもこの町の裏ネームは「グリムの里」。)

国道4号線付近で、前方から課外授業を終えたらしき女子高校生2人を発見。
何かを食べながら歩行している。もしやと思ったらやはり石高生。
制服のブラウスに変な襞がついている…それで分かった。

無邪気な笑顔が眩しい。
夏の光にも負けていない。

20分程歩き母校に到着。


馬鹿でかい2本の杉に挟まれた正門。
文化財指定されるんじゃないかというようなオンボロ体育館。
埃臭い昇降口。
戦時中は武器倉庫だったというブラバンの部室。

それらが、蝉の鳴き声と夏の光の中で静かに佇んでいた。



私が会社でコピー取ったり、お弁当を食べている間も、
この場所はあの頃と変わらずチャイムが流れ、卒業生を送り出しているのだ。


当たり前。
当たり前なんだが、私の中で勝手にこの場所をセピア色に染めてしまっていた。

自分が見えている世界だけが鮮明。
通過してしまった場所を無意識のうちに次々とセピア色にしてしまうか、
忘却の彼方に追いやってしまう…いつの間にかそういう術を得た自分。

それが自然のことなんだろうけど、私は諦められない。
「思い出」にしてしまうことに抵抗を覚える。

セピア色になりつつある場所でも、
できるだけフルカラーのままで自分の中に持っていたい。
だから母校訪問なんて思い付いたのだろう。

来る前にすれ違った女子高校生の笑顔が胸に響く。
昔は私もあんなに無邪気に笑っていたのだろうか。

セピア色の「私」は、なかなかフルカラーでは蘇らない…。
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地震が来る度に

2005年08月18日 22時43分56秒 | Weblog
あんな卑怯な逃げ方しておいて、
今頃になって、
突然、
「地震大丈夫?」ってどういうことよ。
舐めてんの?

…馬鹿にしないでよ。

私は地震がきても
津波がきても
隕石が落ちてきても
ハレー彗星がきても
ブースカが地球に乗り込んできても
モスラが東京タワーに繭を作っても

一人で生きていくんだから。


これから地震がある度にメールくれるの?
無理でしょ?
嫌でしょ?
面倒でしょ?
あなたも私も地震大国で生活しているんだよ。

地震が来る度に、あなたからのメールを待っちゃうじゃん…。


中途半端に優しくしないでよ。





辛いから。

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また来よう。

2005年08月18日 22時34分05秒 | Weblog
いやだ。帰りたくない。
でも…帰らなきゃ、ね。

帰りの新幹線では「JR西日本」のCMみたいな風景が車窓に広がっていた。
進行方向向かって左側。
中国山脈に日が落ちかけて、「♪花咲く旅路」なんかが脳内に流れる。
遠くで花火が上がっている。


また来よう。

自分自身、大きくなって。
また来よう。
そうだよ。
また来ればいいんだよ。
ね?吉熊!
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8月15日③

2005年08月18日 22時25分15秒 | Weblog
雨も止み、もう一度「ふたり」のロケ地をオサライ。
事故現場と電信柱を訪れたら、…いました!!同志の皆さんが!!
尾道には3回来たが、こうして同志に逢えたのは初めてだった。
興奮!!
写真を撮って貰ったり、「ふたり」について熱く会話した。

電車の時間も近づき、最後にどうしても行っておきたかった場所。
三軒家町にある3階建ての木造家屋だ。
電信柱のある小道同様、狭いところに建っているのが、非常に趣がある。
「ふたり」では、父親役の岸部一徳と愛人役の増田恵子がこの坂の下でキスしていた。