世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

不健康診断

2006年10月31日 23時54分46秒 | Weblog
毎年恒例の健康診断を受けた。
事前に業務連絡を読んでいたのに、今日が診断日だということを私はすっかり忘れていた…。
昔は前日に絶食をしたりして、少しでも体重を軽くするのに必死だったのだが、今では体重なんて本当にどうでもよくなった。
「増えたけりゃ、勝手にどうぞ」って感じ。
昨年胃を壊して以来、元々無頓着だった食という部分が、より一層どうでもよくなった気がする。
通常、喫煙しながら食事をするので、味もよくわからない。
空腹を満たせれば何でもいいんである。

家にはレンジがあるがそれすらも面倒臭くて使用したためしがない。
以前にSEIYUで春雨サラダを購入し、冷蔵庫に入れていたら何故か凍ってしまったことがあった。
その時ですら、私はレンジを使用しなかった。
カチコチの春雨サラダシャーベットを平気でシャリシャリ食べる人間なのだ。私は。
海原雄山もビックリの食生活だ。
そんな生活をしていたら、入社して4キロぐらい体重が減った。

レントゲンや血圧を計り、お医者さんに心音や呼吸音を聴いてもらう。
今朝になるまで健康診断があることを忘れていたので当然普通の服(スーツ)を着てきた私。
お医者さん(おっさん)は
「あの、その、…前を開けてくれるかな」
と小声で言った。

「ああ、いいっすよ」
明るく快諾し、前の釦を外して胸部をオープンする。
「ほれ、見ろ」といわんばかりに…。
これでは軽く露出狂ではないか、自分。

思い返してみれば、昔の私はけっこうナイーブな乙女だった。
水泳の時の着替えや修学旅行のお風呂の時は、過剰に身体を隠す女子だったのだ。
体重の変化にも一喜一憂していた。
料理は昔から全くしなかったにしろ、口に入れるものにはそれなりに気を付けていたつもりだった。実家にいた頃は、それなりに栄養面でも味の面でも良いものを当たり前のように与えられていた。

「面倒臭い」という感情は、
ミルフィーユの如く日々積もり重なり、
そして独り暮らしという気楽さも相なり、
いつしかこんな私にした。

無頓着になると楽ちんだ。
楽ちんだから無頓着になるのだろうか。
よく分からないが、もうこうなったら辞められないのは確かである。
このまま突き進んで、おばさんになっていくんだわ…そんな思いは28歳という中途半端な私を少し焦らせて、そして新たに諦めという感情を与えるんである。

もし、心の健康診断があったならば、私はおそらく「心のメタボリック症候群」と診断されるであろう。あるいは逆に、大切な何かが欠如している「心の栄養失調」だろうか。
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ひとりぼっちのパラダイス いつまでもかかえて

2006年10月30日 23時57分24秒 | Weblog
仕事中、女の先輩に「亮子ちゃんはご結婚のご予定はないの?」と訊かれた。
彼女から私に発せられる会話の約78%は、この話題だ。
自分が採用したコの行く末が心配なのはわかるが、少々干渉しすぎではないだろうか。

亮子「ないですねぇ」
先輩「どうして?」
亮子「…クマがいるんで」
先輩「…」

ああ、ヘラヘラ笑っている自分がイヤ。
かなり女優を魂炸裂させて、午前中から疲れた。

会社にいる間はアクトレスになる。
社会生活を円滑に生きようとしていたら、自然と身についたのだ。
…まだ完璧とは言えないが。

そういえば、昔、「P.A.」(プライベート・アクトレス)っていうドラマがあった。榎本加奈子主演の暗いドラマだった。
主題歌はglobeの「Perfume of love」

「ひとりぼっちのパラダイス
 いつまでもかかえて
 どこかで誰かに少しはわかってほしくて
 ゆううつさを誰にも見せずに歩いてる
 こんな私は鏡にどう映ってる?」


孤独なんて、日常のそこらかしこに隠れている。
「下妻物語」の桃子の言葉を借りれば「人間は一人なの。一人で生まれて一人で死んでいくの」である。
普段は、属しているコロニーの中でその存在を忘れているだけだ。
家族、会社、友達、それらのコロニーから離れて自分自身を傍観するとき、孤独はふとやってくる。

物理的に離れなくても冒頭で述べたような、人との意識の差でも如実に感じる。
寂しいとは感じない。
そこにあるのは「嗚呼、私はこの人や彼女のバックにいる世間一般の人とは違う生き方をするのだなあ」という漠然とした思いだけだ。
あまりにも漠然としていて感情も湧いてこない。

十人十色、人には色々な人生を選ぶ権利や選ぼうとする意識がある。
だから孤独を感じるポイントも人それぞれだ。
私はたまたま、生涯はクマ達と生きるという、より孤独度数の高い生き方を選択した。
それゆえに、私オリジナルの孤独を抱えている。
今のところ苦痛を感じない。
「ひとりぼっちのパラダイス」の居心地に酔える。
たまには、「そーだよね」と誰かに言ってほしいときもある。
そんな甘えも許されなく、
自分を隠して仕事して、
家に帰って、
アクトレスでいる必要がなくなるとき、

…孤独に寄り添いつつ、私は「Perfume of love」を聴く。
そして、孤独という名のコロニーに帰るのだ。


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月イチ恒例、甘いもの~♪

2006年10月29日 23時30分10秒 | Weblog
月イチで甘いものを渇望する私の体。
女体の神秘に従順に屈し、上野の「みはし」にて白玉あんみつを購入。
「お家に帰ったら、クマたちと食べよう」って思っていたが、急に食欲がなくなったので、明日の朝ごはんにしよう。

明日の目覚めは絶対イイだろう。
楽しみだ。
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結婚式の伊呂波

2006年10月29日 23時24分32秒 | Weblog
来月、結婚式2件に招待されている。
最近、その準備に取り掛かり始めている。

「主催者側の苦労って、どのぐらいなんだろう」
ふと考えてみる。
ゼクシィとか、立ち読みしてみる。
…私には想像できないほど、大変だということをなんとなく察した。

大学の卒業式で配布されたマナー本を初めて開いてみた。
2000年に卒業して以来、よく捨てたりブックオフに売らなかったよなあ、こんな本…自分で関心してしまう。
元々マナーには興味がない。
疑問に思うことがあれば実家の母に訊く程度だ。

しかもこの本、表紙がやたら古めかしい。
昭和のかほりが、そこはかとなく漂っている。
ペラペラ捲ってみたら、かなり面白いことが判明。

この本は、冠婚葬祭の伊呂波が凝縮されている。
婚の頁を読み、爆笑せずにはいられなかった。
例として、お見合いから結婚に至る男女の行事が挙げられてる。
「女性が相手を選ぶポイント」では、「家付き、カー付き、婆抜きがイイ!」という安易な気持ちではいけない、と記載してあった。
別にいいじゃん、
そんなの個人の趣味じゃん…と突っ込まずにはいられなかった。
また、花嫁の準備(一ヶ月前)では「パーマネントをあてる」とレトロな表現がされていた!
「パーマネント」を「あてる」って。
…「ぜいたくは敵だ」という戦時中のポスターを彷彿としてしまう響きではないか。

「こんな古い本をくれたあの大学って…。」と思ってしまった。いまだにあの本を所持している友達っているのだろうか。

本に飽きたので、銀座に買い物に出ることにした。
悩んでいて、まだドレス購入していなかったのだ。
色々見て回ったのだが、結局、黒のドレスに決定した。
私はドレッシーな黒で全身を固めると、なんだか、おどろおどろしくなる。
もしくはXのライブで「YOSHIKIぃぃ~」と叫びそうな人(←ちなみに私は昔、Xファンだった。憧れたなあ、黒い服)…。

だから、今まで避けてきたのである。
しかし、着てみたらなかなかイイではないの!

今日買ったのは肩紐タイプ、胸元にはラインストーン。
スカートはフリフリフリル、シフォンのストールを羽織ると…ほれ、なんとなく結婚式っぽいではないか!
貧乳のくせに歳によるたるみのせいか、脇あたりの肉がプヨっているが…無視しよう。
うん、これにしよう。そうしよう。

めでたく目的の物を購入できた。よかった。

来月は結婚式や同窓会、そして中間決算発表などで多忙になりそうだ。
12月は販売応援などで毎年バタバタし、…のんびりできるのは正月を過ぎたころだろうか。

気合いで乗り越えよう。
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戦国時代の女性

2006年10月28日 23時59分27秒 | Weblog
「戦国時代の女性の中で、自分は誰が好きなんだろう」
そんなことを考える土曜の昼下がり。
「功名が辻(再)」を毎週楽しみにしている。
いよいよ関ヶ原の戦いに入った。
そんな乱世を生きる女性の中で、今日の放送の主人公、細川ガラシャ(たま)の生きざまは濃い。濃すぎ。

「石田三成に人質にされそうになったら自害せよ」
嫉妬深い旦那にそう言われるのだが、ガラシャはクリスチャンなのでそれができない。
いよいよ城を石田軍勢に囲まれたとき、ガラシャは家臣に自らの胸を槍で突かせて死んでしまう。
信じるもの(キリスト教)への愛、
旦那への愛、
その両方を貫き通した彼女の最後に切なさを感じつつも、感動した。

ドラマ「女王の教室」で、阿久津先生が「どちらも選択したくないなら、第三の道を探しなさい」と言っていたが、ガラシャの生き方はまさにそれだ。
ガラシャの生き方も凛としていて好きだが、私はやはり秀吉の側室淀が好き。

いつかの正月番組のドラマでは鶴田真由が、何年か前の大河ドラマでは松たか子が演じていた。「功名が辻」では永作博美が演じていている。これがはまたハマリ役!本当、毎週楽しみにしている。
千代と一豊のラブラブっぷりはどうでもいいが、永作さん演じる淀が出るとブラウン管の前で興奮してしまう。

淀は、きっと秀吉のことなんか好きではなかったと思う。
抱かれつつも、心の中で「うわっ。猿、キモっ」と思っていたに違いない。
側室になり世継ぎ秀頼を産んで大阪城を乗っとるということで、彼女の満たされぬ思いは和らいだんだと思う。

秀吉への恨みを別の形で表す…
そこに切なさや強さみたいなものを感じ、私は彼女に惹かれる。

歴史に悲劇はつきもので、語り継がれる内に美談になる。
本やテレビを通して、私は淀を含む浅井ファミリーをいつも贔屓目でみてしまう。
教科書には載っていないそういうストーリーは、現代の私を妄想に走らせ、そしてジーンとさせる。





人生の障害物

2006年10月28日 23時47分54秒 | Weblog
10/27(金)

日常業務に加え、月末業務、中間決算業務、この2つを抱えて最近の私は多忙だ。

全身全霊でそれらに挑みたいところだが、今日は残業ができなかった。
最近の生理は、痛みのみならず、貧血と発熱とのトリプルコラボで襲来してくる。
今日来た生理の痛みは割と軽めだったのだが、貧血特有の2チャンネルの砂嵐のようなチカチカが目の前で激しく舞い、また、のぼせと寒気が交互にやって来る様子に「…むりぽ」とのジャッジを下した。

吉熊上司は恐らくあの業務を今日中に終えて欲しかったんだと思う。
一応「今日中じゃなくてもいいよ」とは言われたんだが。

できることなら家に仕事を持って帰りたかった。
しかし、それは社内規定で禁止されているので不可能なこと。

…嗚呼、こういう時の生理って本当にムカつく。
何か私に恨みでもあるのだろうか。
はっきり言って人生の障害物だ。
子供の時から生理的に子供が大っ嫌いだった。
なので、この先、私は子供を産まないと断言できる。
きっと神様は私に子孫繁栄という概念をプログラミングしなかったのだろう。
だから生理は無駄な生命活動なんである。


友人談によれば、レズビアンには生理が来ないらしい。
いっそ、そっちの世界に行ってしまいたい…。

とにかく、せっかく任された仕事を途中で停止しなければならない理不尽さに私は発狂寸前だ。
こういう積み重ねが後々の私の評価に影響するんだから。

「すいません。お先に失礼します。月曜日の午前中までには必ず終えますので」と帰り際、吉熊上司に言った手前、実現せねばならない。
それが私に唯一できること、しなければならないことだ。

月曜日は、早めに出社せにゃならんなあ…。



クリスマス限定コフレ

2006年10月26日 23時54分07秒 | Weblog
毎年この季節になると、決算業務以外に気合いを入れる行事がある。
クリスマス限定コフレの購入選考である。

コフレとは、各化粧品メーカーがネイルやリップやパウダーをセットで販売する、この季節の風物詩である。
限定商品だったり、定番ものだったり。
各メーカーが渾身の力を注いだアイテムは、どれも魅力的である。
それに、普通に買うより断然お買い得なんである。

定期購読をしている「美的」を読み、ウンウン唸る。
その時の顔は、恐らく、決算短信を作成しているときよりも真剣な表情をしているであろう。

☆エスティローダー(メークアップコフレ2006)

やはり今年もコフレの王道を驀進したか。万人ウケするような色のアイシャドーとロングラッシュを得意とするマスカラが脇を固めている。しかし、ネイルはパンチに欠ける、はかないホワイトピンク…。パールを入れるとか、もう少し弾けてもいいんではなかろうか。チーク、リップ4本、グロス、リップペンシル、パウダーブラシ、筆、アイブロウ、バッグ、ポーチ…このコフレを買えば一年間はメイク商品を買う必要がないぐらいだ。例年通り、他の追随を許さない魅力的なコフレである。


☆ゲラン(プレシャスコフレ)
ゲランのコフレには毎年パウダーが入っている。今年も当然入っているのだが、そのパウダーが今年は特別仕様。1925年にルイ14世のために作られたパウダー「プードルセモア」がコフレ限定で復活…この一文が気になる。「朕は国家なり」と豪語した人のために作られたパウダー…一体どんなんだろう。パウダーの他にアイシャドーとポーチとリップが入っている。

☆ジルスチュアート(クリスマスコレクション)
姫気分まっしぐら!パウダー、ネイル、グロス、アイシャドー…柔らかな色調でまとめてある。特記すべきは、フレグランスペンダントが入っている。好きな香水を染み込ませたコットンをチャームに忍ばせて使用するとのこと。また、マリーアントワネットが使用しそうなギャザーポーチも姫っぽい。


気になるコフレはこの3つだ。
うーん。
どれも可愛い。
しかも実用性を兼ねている(ジルスチュアートのフレグランスペンダントだけは疑問だが)。

毎年、色々吟味するのではあるが、結局エスティローダーに決める…。
決めているくせに、悩みたがる自分。
悩みたいの。悩みたい年頃なの…なのなの。

林真理子先生の「コスメティック」によれば、化粧品の原価は売価の1割足らずらしい。「ちょっと無理して購入した憧れのあの化粧品を使う自分」という浮き立った気分により、女性が綺麗になるのは昔から言われている。

そう考えると、化粧品メーカーは、化粧品の品質そのものよりも、「気分」を売っているのかもしれない。

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チョウ悪おやじ

2006年10月25日 23時40分20秒 | Weblog
朝イチ、母から電話があった。
寝惚けていた私は、最初アラームかと思い、目を閉じたまま手探りで音を止めた。
しかし、以後何回もアラームがけたたましく鳴るので、
「んだよッ!」と不機嫌MAXで携帯を見つめた。
母からの着信がある。
…なんだろう。

朝イチの電話というものには、そこはかとなく不吉な雰囲気が漂う。
恐る恐る電話をかけなおしてみた。

母の話は以下の通りである。
今朝未明、酔っ払って帰宅した父は、腹痛を訴えたらしい。
尋常でない痛がりっぷりに救急車を呼び、病院に着くなり、父はレントゲン撮影を受けた。
診断の結果は「憩室炎」。
大腸のヒダに炎症が発生し、そこが痛むらしい。
入院決定。

「そんなわけで、今帰ってきたんさ」

「入院」「レントゲン」、そんな単語で寝惚け頭が吹き飛び、やや狼狽する私とは逆に、母の声は淡々としていた。

「今までの不摂生が祟ったんだよ。ま、仕方ないんじゃん?」
30年連れ添った妻は、非常にクールであった。

今日から父は、長崎へ出張に行く予定だった。
この日のために、移動時間内に活用しようとMDプレーヤーを購入し、準備万端だった。

出張に行こうと病床から這上がる父を医者と共に押し止めるのに苦労した…母は呆れながらそう述べていた。

私の中にある、「自分の家族だけは病気になるはずがない」という思い。
そんな若い神話の崩壊を今日初めて感じた。
親というものはいつまでも元気であるという前提があってこそ、我儘を言ったり甘えたりできる存在なのである。

幸い大事には至らなかったものの、改めて健康は大切だと思った。

いつも煙草と酒を不気味なほど摂取する父も、これで懲りただろう。

それにしても、飲兵衛の妻を30年やってきた母の強さにはびっくりした。
姐御肌というのが栃木県の女性の県民性らしいが、母の場合そういうものを超越してしまっている気がする。
昔は情に厚く、そして太陽の如く熱い女だったのだが、更年期が過ぎようとする今、殆んどの事象に対し、淡々と考えるようになった。
しかし、そんな彼女も本当は少し心配なんだろう。
逐一入ってくる、父についての実況中継メールでよく分かる。

あ~あ、なんだか今日は疲れた…。
早く寝よう。
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「問5 小論文」と「メインディッシュ」

2006年10月24日 23時23分41秒 | Weblog
「あれ、やらなくっちゃなあ…あれ」
心の中でそう思っていても、次から次へと電話や書類が飛んできて、なかなかメインディッシュ的業務にありつけない。
結局、残業時間中に集中して片付けるんだが、メインディッシュがディナーだと、心なしか重く感じる…。

栃木県の県立高校入試問題(国語)の問5は、小論文だった。
通っていた塾の先生は「まずは問5の問題(テーマ)を読んで、何を書こうか考えつつ、問1から取り掛かりなさい」と指導した。

メインディッシュ的業務にありつけるまで、「どうにやって取り掛かろうか」と、他の業務をしながら無意識内で意識していると、いざメインディッシュを消化しはじめるとき、楽だ。
同時に「国語は問5から」と指導した塾の先生を思い出す。
あのとき教わったことを、今も活用している今を塾の先生に告げたい。

帰りにモスに寄り、そんなことをぼんやり思う。
コーヒーをすすりながら、幸せを感じる。
安堵のニコチンは体内を駆け巡り、軽く目眩を起こした。

相変わらず外は雨。

試験を受けているような緊張感だらけの毎日だが、残業後のご褒美タイムがあるから、これからもやっていけそうな気がする。

そう思う。


ぼんやり病と雨

2006年10月23日 23時12分33秒 | Weblog
雨の月曜日。

「♪ダバダ~」とコーヒーを片手にし、窓辺でぼんやりしたくなる。
…勿論、肩からカーディガンを羽織り、椅子はロッキングチェア。

そう、私は暇があればいつもぼんやりしている。
ぼんやり病なのかもしれない。そういう病名があれば。

おそらく、これは祖父の影響である。

母方の祖父は、寡黙で優しい人だった。
そして、いつもぼんやりしていた。
硫黄島での戦争体験を時々ボソっと話してくれたり、遊びに行くと必ず本を買ってくれた。

7年前に他界するまでの数年間は、老人ホームに入所させられていたんだが、これは彼にとって苦痛を伴う日常だったらしい。
一人でぼんやりすることを好む祖父にとって、大人数で食事をしたり、決められた就寝時刻に従うことは、本当に耐えられなかったんだと思う。
屋外に出てては、以前は吸わなかった煙草をすぱすぱ吸う祖父の姿は、どこかなげやりで痛々しかった。

ただそれを見つめることしかできなかった、自分。
非力な孫に一体何ができただろう。
今、「祖父の幸せ」を考えてみても、あのときの私にはどうすることもできなかったと思う。
しかし、心の中で祖父の悲しそうな目を反芻するとき、指先に刺さった棘のような痛みを感じるのも事実である。

祖父は、ぼんやりしながら、いつも何を考えていたのだろう。
何を見ていたのだろう。
今、天国からぼんやりする孫娘を観て、どう思っているんだろう。

今日みたいな雨の煙る日は、祖父のぼんやりとした面影が一滴一滴、空から降ってくるような気がする。

…脈略もなく、帰宅途中の私は、そう思った。
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僕がホストになった理由2

2006年10月22日 23時54分54秒 | Weblog
ホストという職業について、それまでの私は興味を持てなかった。
胃が悪くてお酒をあまり飲めない私は、たぶん大金をもらってもホストクラブという場所には行かないと思っていた。
行ったとしても、酔った挙げ句にテーブル上に嘔吐をし、ホストさんに「大丈夫ですか?」と優しく背中を摩られながら、でも本当は「てめー汚ねぇんだよ!このバカ女!」と思われているんじゃなかろうか…そんな勘繰りをしつつ嘔吐する自分を容易に想像できてしまう。恐ろしい。

今日の「ザ・ノンフィクション」は「僕がホストになった理由」シリーズ。
今年初めに放送されたこのシリーズの第1弾を録画しており、今でもよく観ている。
この放送を観てから、ホストクラブへの考えが私の中で変わった。

大阪のホストクラブ「紫苑」のオーナー、井上敬一氏。
彼は本当に素晴らしい。

不祥事を起こした部下を責めない、
自分に歯向かう部下を怒らない。
「どうした?」と、とことん話し合う姿勢で部下と接する。

ホストという職業に難色を示す部下の両親のところには幾度も足を伸ばし、わかってもらおうと切々と話をする。
井上さん自身、お母さんの借金で、大学を中退してホストになった。
結局一家は離散し、井上さんには帰れる場所がないんである。
部下にはそんな思いをさせまいと、親子の絆を必死で繋ぎ、彼等が帰れる場所を失わないように努める姿は、涙無くしては観られない。
30歳、私とさほど変わらない歳で、本当に色々なことをお考えになっている。

私はオーナーという肩書きを持ってないが、「人間関係」を考えるとき、井上さんのことを必ず思い出す。
井上さんのような社会人になりたいと、ずっと思ってきた。
しかし、まず磨かれた人間性があって初めて人に慕われることができるんだと、今日の放送を観て改めて感じた。

とにかく話を聞くこと。
感情的にならないこと。
そして部下や上司を信じること。

「紫苑」には行けないから、井上さんが書いた本を読んでみようかな…。
(http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31787007)
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新たな友達

2006年10月22日 23時42分30秒 | Weblog
「いやだよう。やめてよう…」
他人にはしつこくするくせに、他人からしつこくされることを嫌う吉熊。

そんな彼に新たな友達(チビ熊)ができた。
しかし、その新たな友達は類稀なほどのしつこいキャラクター。
さっそく吉熊に「遊んでよう」と嘆願してくる。
逃げる吉熊。
追うチビ熊。

我が家は新たなクマを迎え、賑やかになった。

栃木県立博物館(常設展)

2006年10月22日 23時40分43秒 | Weblog
常設展は昔と変わらない。
栃木県にある草花や生息する動物の剥製は、昔のままで懐かしかった。

クマの剥製に、吉熊はびっくり。
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栃木県立博物館

2006年10月22日 23時37分55秒 | Weblog
栃木県立博物館で開催されている「名城宇都宮城展」を両親と妹とで観に行く。

ここの庭は西洋風で綺麗だ。
色付く並木を歩きながら、深まりゆく秋を感じた。

企画展では宇都宮城にちなんだ品が並んでいた。…っていうか、宇都宮に城があったことを私は忘れていた。
そういえば「釣り天井」で有名だと言われればそんな気もしないでもないが…。
けっこう存在感がない宇都宮城。
しかも近々、宇都宮の城址公園に宇都宮城が再現されるらしい。

蛍光灯の下で

2006年10月22日 23時30分45秒 | Weblog
この土日は、実家に帰省していた。With吉熊。
実家がある宇都宮までは、快速で一時間半。小旅行気分で気軽に帰れる。

数年前、私に引き続き、妹も弟もほぼ同時期に独り暮らしを始めた。
今、初老の夫婦のみが住まう実家は、どこかもの悲しさを醸し出している。
母の老眼鏡、
新しいマッサージチェア、
茶の間の枕(最近、父はお腹いっぱいになるとすぐに寝転ぶ)、
そんなものたちが、実家全体を暗いものにしている。

灰色の水彩絵の具を含んだ筆で塗ったような日常
…そんな印象を帰省の度に私に与えるのである。

妹と私の帰省を知り、仕事を終えた弟も実家にやってきた。
ネタはやはり母親の様子だ。
母はあまり細かいことに執着しない人であり、それは彼女が使う言語にも如実に顕れている。最近その傾向が激しいので、我々の笑いのタネになるのだ。

「あなたとはラベルが違うのよ(ラベル→レベル)」と言ってみたり、
「いいわね~。毎日がエブリデーで(エブリデー→ホリデー)」と言ってみたり…。

母の恐るべき適当さを笑ったあと、弟がふと漏らした。
「蛍光灯の下、子供3人がこうやって話せる今って、凄く幸せなことなんだよな」

弟よ。
君にはまた一歩先を行かれたよ…。

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