世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

混沌としている私は…

2009年04月30日 22時57分25秒 | Weblog
月末の締めの傍ら、決算書類のチェックをしたら…頭が痛くなった。
数字が頭で回る~。
そんな私に●●●ィ~(部長)が、また難しいことを頼んできた。

再び数字。
あ、頭が~。

イマイチ気に入らない醜い表が完成した。
目を背けたくなるぐらい汚い表である。

吉熊上司も同じお題で表を作成してくださっていたんだが、その表がとても綺麗で素晴らしかった。
理路整然とした人には理路整然とした表ができるんである。
逆に混沌とした思考しか持ち合わせていない人には混沌とした表しか作成できない。
OL道10年弱、上記のことを私は悟った。

帰宅する途中で、週末のライヴ用品を購入。

ペンライト。

ピカーッ。


混沌としている私は何を思ったのか。
2本のペンライトを両耳の上に差し、暗い部屋の鏡に己の姿を映して見てみた。
怖い!
津山事件…「こらえて、つかあさい!」状態である。
(最近「津山三十人殺し」をやっと読了した)


黒レースも一緒に購入した。


これで吉熊のムフフを作るんである。
でも裁縫なんて全くしたことないからなぁ…。
ちょっと不安。


明日は月初。
忙しくなりそうだが、楽しみを糧に頑張ろう。
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XJAPAN WORLD TOUR in TOKYO ~攻撃続行中~ 無敵な夜 チケット ゲトー!

2009年04月29日 22時54分29秒 | Weblog
先日、このブログに記載した通り、今週末、X JAPAN のライブに参戦する。
(XJAPAN WORLD TOUR in TOKYO ~攻撃続行中~ 無敵な夜)
仕事帰りに東京ドームにてX。
なかなか乙ではないか。

表参道を徘徊したあと、マイミクみな殿からチケットを受け取った。

みな殿は、昨年7月にマイミクNOBLE殿経由で知り合うことができた素敵女子である。
10ヶ月ぶりに会うので緊張したが、気さくに話してくださったので、リラックスできた。

豚っ鼻鳴らす程に爆笑するぐらい。
リラックス、リラックス。

先日、みな殿は占いに行ったそうなのだが、その話がヤバいぐらい面白かった。
みな殿が占い師の口調を再現してくれたんだが、腹が捩れるぐらい笑った。

一通り、みな殿と話をし、みな夫殿の運転する車で帰宅。

↑車内にて撮影。

夫さんは、唐沢寿明似のイケメンで、しかも優しそうだった。
みな殿との夫婦の会話も自然体で「良い夫婦だな」って思った。

車の中で「Blue Blood」を流してくれたお気遣いも嬉しかった。

あー!
いよいよ、あと3日でライブである。
緊張と楽しみで興奮気味。
ドキドキする。
株主総会前夜よりも…。
今夜はチケットを抱いて眠りたい気分だ。


気合入れていけ~!!!!!


みな殿&夫さん、ありがとうございました★
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表参道へ、クマに会いに

2009年04月29日 22時46分11秒 | Weblog
新緑に包まれた表参道を歩く。
気持ちが良い。

イラストレーター渡辺宏さんの絵が好きである。
ほんわかとしたパステル調の色彩に惹かれる。

以前、歯医者さんの待合室に彼の作品(クマ)が飾ってあるのを見て、一気にときめいてしまった。
今日は渡辺さんのイベントが表参道ヒルズであるというので向かった。

表参道はスゴい人混みであった。
歩くのもままならない。
緩やかな坂道の上からは、人々の頭がぎっしりと見えた。

表参道ヒルズ到着。


渡辺さんのイベントに参入。


原画はちょっとお高め価格。
版画はそれよりだいぶ安くなるらしい。
死ぬまでに、彼の作品(クマ)を一作品は欲しい。

絵は買えないので、せめて家に飾るポストカードとタオルを購入。

ヒルズ内を散策。




1階だと思って歩いると、気づかぬうちに2階に来ているというアンビリーバボーな現象が、この空間では発生する。
なだらかなスロープのせいである。
横だけでなく、縦を意識した空間設計が面白いといつも関心する。

もうすぐ母の日なので、ヲサレな和物雑貨店でプレゼントを購入。
その後、みな殿に会うので、お土産も。

帰りは裏原宿~竹下通りを通過し、原宿駅へ向かった。
ポップな彩りの店先、若い熱気にタジタジしながら。

週の半ばの休み。
とても充実したものになった。
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2003年

2009年04月29日 03時59分40秒 | Weblog
世界中で豚インフルエンザが広まっているらしい。

この騒ぎで思い出すのは2003年。
SARSが流行したとき。
私は25歳だった。

あのとき、吉熊は我が家にやってきたんである。
もう6年になるのね、吉熊。

2003年は私にとって思い出深き年だった。

・年始、深夜に隣のアパートが火事になった。
ボーボー燃えていた。
「やべっ」と思い、宝石とパソコンを担いで逃げた。消防士さんが我が家に入り込み、火事の写真を撮影していたっけ。

・振られた。


・主任になった。振られた憤りを昇華させ、試験前2週間は毎日小論文の練習をしていた。もぎ取った栄光への架け橋。


・冒頭に記したように、吉熊、家にやってきた。
はじめは全裸でテレビの横に放置していたんだが、いつしか可愛がり始めた。
母親が洋服を編んでくれ、着せたところ「僕、吉熊」とぬかしやがったぜ、あいつ。
今や「吉熊」で検索すると上位に入るこのブログ。
こんなになるとは吉熊本人も思ってないに違いない。


・実家近くにFKDインターパークができた。何でも揃う郊外型ショッピングモールに感動。


・夏休みは毎日雨だった。旅行に行かない代わりに、クロスのダイヤモンドネックレスを購入。前から欲しかったのでコーフンした。


・母方の祖母他界。非常に厳しい人だった。でも真っ直ぐで真面目な人だった。
亡くなる前は痴呆がだいぶ進み、見舞いに来た私に「足尾から来たんかい?」と言っていた(祖母は足尾出身)。
でも娘である母のことは覚えていて「ヨーコちゃん」と呼んでいた。


・初めて後輩ができた。半年で辞めていったけれども。


まだブログを書いていなかった2003年だが、思い出すままにこんなに書き連ねることができる。

きっと誰にでもそんな一年があるんだと思う。
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ありがとう

2009年04月29日 03時59分27秒 | Weblog
朝晩冷える。
春であるはずなのに、冴え冴えとした空気が秋を感じさせる一日だった。

午前中は、全店に配布する書類を手配し、午後は支払いの締めや決裁済み稟議書の処理をした。

午後から、●●●ィ~(部長)が出張。
彼が出掛けたあと、某書類がリリースされた。
重要度数的には、
「重要ったら重要なんだけど…だけど微妙」
レベルだったのだが、念には念を入れることにした。
内容を要約し、彼の携帯電話のメールに送信した。

すぐに
「ありがとうございました」
という返事が来た。

そういうのって、嬉しい。

中には「やってもらってあたりまえ」みたいな態度を取る偉い人が多い中、●●●ィ~のように感謝の言葉を伝えることができるのってミナクルだと思う。

次回からもちゃんと頑張るよって思う。
そもそも、ありがとうって響きが良いではないか。

上司に感謝の心を述べるとき、つい「すいません」と口にしてしまう私だが、次回からは「ありがとうございます」が言えるようになろう。

勿論後輩たちにも。
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14才の母

2009年04月29日 03時00分00秒 | Weblog
ネットの動画で「14才の母」を観た。
今更という感があるが。

あらすじはタイトルのとおり、14歳の女子中学生が妊娠をし、出産に至るまでの経過を描いたものである。

娘の母親役の田中美佐子の抑えた演技が良かった。

というか、これ。
妊娠した当事者の話というより、田中美佐子が主人公というきらいがあるんだが。
気のせいだろうか。
「14才の母の母」が正しいのではないだろうか。

また主人公が薬局で妊娠検査薬を万引きするシーンに引いた。
窃盗ではないか。

14歳の妊娠については特に何も思わなかった。
しつこいようだが、妊娠検査薬の窃盗の件が頭をちらついて、その後の話に集中できなかったんである。

また根本的に話自体にリアリティがなさすぎだった。
私の拙い思考では付いていけなかった。
恐らく「24才の母」でも「34才の母」でも「44才の母」でも付いていけない。

私は「母」というとうちの母親しかイメージができないから。
(いわんや、自分が母親になるだなんて)

よく分からなかったけれど、主題歌がミスチルだったのと田中美佐子の演技が気になって全部観てしまった。

このドラマについての感想を読んでみたら、
「14歳で妊娠なんて無責任だ!」
という意見が目につく。
「性行為をするということは妊娠する可能性を持っている。すなわち妊娠する覚悟がない者は性行為をするべからず!」
という意見も。

…だったらしなくて良くね?
と思ってしまう私である。
めんどくせ。


話を変えて、世界の低年齢出産の記録は…なんと5歳だそうだ。

以下、ウイキペディアより。

リナ・メディナ(Lina Medina、1933年9月27日 - )はペルーのポーランジェ出身で、5歳7か月21日という医学史上最年少で子供を出産した女性。
リナは、5歳の時に腹が大きくなったために両親に病院に連れてこられた。当初は腫瘍を疑われたが、診断の結果妊娠7か月であることが判明した。医師のヘラルド・ロザーダが彼女をペルーの首都リマに連れて行き、他の専門家によってリナが妊娠していることが確かめられた。1か月半後、1939年5月14日、彼女は帝王切開で男児を出産した。骨盤が小さすぎて通常の分娩が不可能だったためである。手術は麻酔下でロザーダ、ブサイユ、コルレッタ医師によって行われた。その様子はフランスの医学会の会員であったエドムンド・エスコメル医師による報告(手紙)の形でフランスのLa Presse Medicaleという学会誌に掲載された。その手紙には、リナが8か月で初経を迎えたこと、4歳で乳房が成長し始めたこと、妊娠後骨盤が広がるなど骨格的な成長が見られたことなどが併せて記載されている。

彼女の息子は2.7kgで、主治医にちなんでヘラルドと名付けられた。ヘラルドはずっとリナが自分の姉であると思っていたが、10歳の時に実は母親であることを知らされた。彼は健康に成長したが、1979年に40歳で骨髄の病気で亡くなった。この早逝が、彼が生まれたときの母親の年齢に起因する物であるかどうかについては不明。

リナ・メディナの妊娠が通常でない方法で行われたという証拠はない。ただし、世界初の体外受精による妊娠・出産は1978年であり、この時代にその技術があったとも考えにくい。しかし、リナ自身は、(最も重要な)子供の父親は何者なのか、そしてどのようにして妊娠したかも明かすことはなかった。2002年にロイターが彼女にインタビューを申し込んだものの、拒否されている。

リナの妊娠が明らかになった直後にリナの父親が疑われて逮捕されたが、証拠不十分で釈放されている。この逮捕に関して、リナの父親が近親姦を犯したのではないかと当局に通報したのはロザーダ医師であったとも言われている。リナは後にラウル・フラードと結婚し、1972年に33年ぶりに2人目の男の子を出産している。彼らはリマ市内のリトル・シカゴと呼ばれる貧しい地域に住んでいる。


この件はデマであると言われることもあるが、これまで何年もの間に多くの医師が胎児のX線写真などを根拠に事実であることを確認している。5歳以下での極端な性的早熟というのも、非常にまれではあるが全く例がないわけではない。だが、このような幼い少女による妊娠・出産は現在でも非常にまれである。


どういう経緯で妊娠したんだろうか。

14歳の妊娠には興味がないが、5歳の妊娠は気になる。
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儚き糸

2009年04月27日 23時08分13秒 | Weblog
一昨日、パキシルを飲み忘れてから、どうも気持ちが安定しない。
常に不安が付きまとう。
落ち着かない。
イライラする。
他人の僅かな言葉に傷つく。

あの心療内科に通院し、もうすぐ丸3年。
主治医のクマ医師マジック認知行動療法が奏功し、だいぶ気持ちが安定してきた。


でも、気持ちのどこかにまだ自信がない自分が存在している。
「どうせ自分なんか」
という思いは、時々頭をもたげては私を苦しくさせる。

わずかながらの回復も実は薬が為したもので、薬が抜けた私はきっと廃人に違いないとも思う。

連休があるので、来月7日まで、クマ医師には会えない。
どうしよう。
次の通院日まで、発狂寸前のこの不安な気持ちを一人で抱えていかなければならないらしい。辛い。


帰りにパン屋で一服。
仕事帰りの煙草ほど美味しいものはない。
母の手製のハンバーグと良い勝負だろう。

ぷっはー。


煙を吐きながら、カウンター席でぼんやりしていると、隣の席にいかにもヤンキー染みた女性が座ってきた。
直視しなくても、視界の角に入ってきた彼女に漂う空気で分かる。

ヤンキーな人は、その風貌ににつかわず、スイーツをお召し上がりのもよう。

膝に鞄を乗せながら食べている彼女。
いかにも食べずらそうである。

私は一席ずれて、
「この椅子に鞄を乗せますか?」
と彼女に言った。

彼女は細い眉を半円状にして驚いた。
石榴色の口紅を纏った唇が、
「いいですよ。悪いですよ。…でも置かせてもらいますね。ありがとうございます」
と、動いた。

時間的に私の尻の温もりが残っているその椅子に、彼女は黒いナイロン製の、ゴールドの金具がじゃらじゃら付いた鞄を置いた。

暫くして、先に帰り支度をした彼女は、
「ありがとうございました」
と声を掛けてくれた。

それなのに。
たったそれぐらいのことなのに。

なんだか、泣きそうになった。

嬉しいのとは少し違う。
この東京という場所で、見ず知らずの誰かと繋がることができた。しかも儚い糸で…ということに感動したんだろう。


ずーんと沈んだ心が僅かに浮上したのを感じた。
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テッセン

2009年04月27日 23時07分39秒 | Weblog
通勤途中に見たテッセン。

これを見ると、もうすぐ初夏なんだなあと思う。
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妹・芋子の引越し

2009年04月26日 23時02分15秒 | Weblog
妹・芋子が引っ越しをした。
遠隔地への引っ越しではなく、近場へ。
転職、引っ越し、と昨今の彼女の人生は目まぐるしい。
しかも連日、仕事で徹夜続きの彼女。
一体どうやって引っ越しの準備などをしたのであろう。謎。

宇都宮から両親が引っ越しの手伝いに来た。
私も前日までは手伝う気満々でいたんだが、如何せん、起き上がれたのが夕方であった。(この無気力は何?と思って考えたら、パキシルを飲み忘れていたことが判明…恐るべし、パキシル飲み忘れ)

引っ越し祝いの芋焼酎を持参し、夕方の小田急線に揺られる。
新宿で買い物をしたとおぼしき人々が買い物袋をぶら下げている。
嗚呼、私が布団から出られないでいる間も世間では時間が経過してるんだなあと思った。

それにしても今日は天気が良い。
見慣れぬ私鉄沿線の風景と青く澄んだ空に見入っているとあっという間に芋子の町に到着した。

芋子宅到着。
玄関に入るとまずは階段!
登りきった所に部屋!
しかも広い部屋である。

床に座っているのは、疲れた両親。
「あら、亮ちゃん。こんちわ。あ、吉熊も来たのね」
と。


それにしても…いつの間に出世しちゃって。芋子…。
出世魚ならぬ、出世芋め。

この部屋、広いよ。
広すぎるよ。
何なの?この階段。
え?
メゾネット式っていうんだ。
ハイカラだね。
てか、その物置に住まわせてくれない?
え?いや?
煙草吸うから?
…あ、そう…。



芋子はデザイナーという仕事柄、ずっとマックのパソコンを愛用している。


部屋の角には、芋子が作ったオブジェが。


母親が作った「ゆず坊」と、私があげたブタのぬいぐるみ「ブーたん」。
初の吉熊とのセッション。



夕方、近くの飲み屋さん「太乃志」へ。
途中、見上げた空がとても綺麗だった。


「太乃志」…あたたかみのある素敵なお店だった。


父はこれが今日一番の楽しみだったようで、さっきから檻の中のクマみたいにソワソワしていた。


久々に家族で飲んだ。

美味しいお料理とお酒で、超ご機嫌~♪


球磨焼酎…クマ焼酎~♪くまくま。



両親の赤裸々な幼稚園時代の話や父の仕事の話、
今日は来られなかった末っ子のマーくん(弟)の話、
そんな話で大変盛り上がった。
あっという間に21時を過ぎてしまった。

駅で見送る芋子。
明日からも頑張ってね。



酔っ払い両親を電車に乗せたり、新宿駅構内をエスコートしたり、…長女にはまだミッションが取り残されていた。

私の家の最寄り駅で両親と別れた。
宇都宮行きの電車に乗り込む彼らを見送ると、途端に切なくなった。


次回は芋子宅で家族お泊まり会をする予定。
楽しみだ。
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パワーチャージ完了!

2009年04月25日 23時38分24秒 | Weblog
今週の土曜日ものんびりと過ごせた。
最近眠りが浅いので、ソラナックスを多めに飲んで寝たせいか、ぐっすりと寝ることができた。
久々に深い多幸感を得られた。

外は雨。
しとしとと降る雨の音を聞きながら、羽毛布団に包まる幸せったら、そりゃあ、もう。
筆舌に尽くしがたい。

クマたちに遊んでもらい、本読んで、煙草吸って、また転寝。
で、ネット三昧。
新しいパソコンが我が家にやってきてから、引き篭もりがちになった。
ディスプレイのあっち側にはあまりにも多大な情報があり、それらを眺めているとあっという間に時間が経過してしまう。

結局、今週も先週と同じような土曜日を過ごした。
先週の土曜日と同じ時間にコンビニへ行って、食料と煙草を購入。

パワーチャージ完了!

って、もう夜なんだわな。
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歯医者ノスタルジー

2009年04月24日 23時32分28秒 | Weblog
さて。

本日の歯医者の進捗状況は、右下奥から2番目の土台を入れた。
入れる前に金属片の土台を見せてもらったんだが、ちゃんと4本の根っこも形作られていて、とても可愛かった。
これからよろしくね、土台ちゃん。

その歯の後ろ、親知らずも微妙に虫歯であるとのこと。

久々に麻酔をされた。
麻酔されると確実に体調が悪くなるんだが。痛いよりはマシか。

昔の歯医者さんはこんなに麻酔を打っただろうか。
上京前に通院していた歯医者さんは抜歯をする際にのみ麻酔を打っていた気がする。
大橋巨泉似の無愛想な歯医者だったが、麻酔なしでも痛みを感じた記憶がないぐらい上手だった。

小学生のとき。
私は自転車にて隣の学区にあるその歯医者まで通っていた。
学区外へ一人で行くということは、今でいうと東京から熱海に行くぐらいのドキドキ感を宿すものであった。
ペダルを漕ぎながら抜け道を発見したり、帰りに従兄弟宅に寄ってみたりと、あの通院の記憶は色褪せることなく私の胸に残っている。

そんなことを治療中に回想していた。

真田先生(真田広之似)は、
「もう少し大きく口を開けられるかな?」
と言った。

回想していたら口が半開きになっていたらしい。

「あい(はい)」
と返事をし、MAXに口を開ける私。


帰り道。

母に今日一日を報連相し、喫茶店で一服。

「今週は濃密だったなぁ」
とぼんやりしている私の口からは、紅茶や煙がとめどなく垂れる垂れる…。

麻酔が切れるまで、もう少しぼんやりとしませうか。
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桜色

2009年04月24日 23時28分55秒 | Weblog
歯医者デー。

と、その前に。

今日は地味な仕事にひたすら没頭していた。

夕方、書類を社長に渡しに行く前に、一応社長に電話を差し上げたんだが、その書類の内容に深く尋ねられて霹靂した。
矢継ぎ早に質問されても、わからんちん。

あわあわあわあわ…!

保留ボタンを押し、目の前にいる吉熊上司に電話を代わってアッピールをした。
時限爆弾を持たされた気分。

電話の向こうでは社長が待たされてムスっといているに違いない。
吉熊上司はそんな甘えた私を許すわけがなく、拒否。

ゴーン…。

何とか自分で受け答えをし、事なきを得たが…疲弊。

喫煙所で煙草を吸いながら、久々にウジウジと考えてしまった。
嗚呼、なんて私は駄目な人なんであろうか。
もう、イヤ。


そんな気持ちで歯医者に。
会社近くにあるこの歯医者は、多くの同僚たちが通院している。

待合室には他部署の女子がいた。
先日の内定式で陣頭指揮を執った娘である。
サラサラの髪、黒目がちな目、そしてしっかりとした受け答えが印象的な彼女は私と同郷だ。
いきいき栃木っ子なのである。

今回の新卒研修は私も少しだけお手伝いをした。

彼女が教師のように新卒たちを纏めていたのをたくさん目撃した。

「スゴいね。あんなに大人数を纏めるなんて。大変だったでしょ?」
との私の言葉に、彼女は
「いやいやいやいや…」
と謙遜した。

準備のため2月から先日までは本当に大変だったらしく、それは否定しなかったけれども。

もうすぐ社交ダンスの発表会を控えている彼女。

携帯の写メで手製のドレスを見せてくれた。

豊かなドレープとまるで桜色のような素敵なドレスだった。
「桜みたいな色だね」
と私が言うと、
「はい。今年は桜を見る余裕がなかったですからね」
と呟いていた。

桜を愛でる余裕がなくても、桜になって華麗に舞うことができる彼女を、私は心の底から羨ましく思った。
「忙しい」を言い訳にしないで趣味にも注力できる彼女の器用さ、日々の努力も。

羨ましいという気持ちを超越し、尊敬の念すら持った。
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君が好きだった やっぱり好きだった

2009年04月23日 22時52分29秒 | Weblog
小室さんに検察側から5年の求刑。

黒のスーツを着て出廷する小室さんはやっぱり素敵で、ああ、私は彼が好きなんだって思う。

昨年の夏。
私は実物の彼を見た。
尚美学園大学の公開授業で。

時々思う。

あれは夏の幻だったんではなかろうか、と。

陽炎のような夢であったんではなかろうか、と。


もはや恋とか愛とかに対し、地球~冥王星ほどの距離に匹敵するぐらい、私の意識は離れてしまっているけれども、彼に対しての愛は別だ。

私の心の片隅には「小室枠」なるものがあり、ここだけは10代の青臭い恋愛を育成することが可能なんである。

どんなに心や自身が荒廃しようとも、ここだけはオアシス。

おばあちゃんになっても、一人カラオケで小室さんの歌を熱唱すっから。私。



「あのおばあちゃん、今日も来てるね」
とカラオケのフロント係が囁く。

個室の中からはしゃがれた私の声によって、小室さんが紡いだ名曲が流れてくることだろう。
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もしもの話がキライなあなたに 一つだけさせてほしいお話

2009年04月23日 22時52分18秒 | Weblog
秋晴れのような一日。
目標の仕事も無事に終えることができ、満足。

我が部署の女子「吐血惡賭女(とちおとめ)メンバー」で退社。
我々はみんな栃木県出身。トチオトメ。
暗号は
「県鳥」→「オオルリ」。
「いきいき」→「栃木っこ」。
「オリオン」→「ユニオン」。

残業後、久々に三人で帰ったんだが、笑いすぎて腹筋が痛くなった。

話題はやはりSMAPの草薙さん公然猥褻事件。

もし私が会社隣の公園で全裸でいたら?
という話に発展。

社内のいろんな人の物真似を交え、架空の反応をして楽しんだ。

☆社長…「あーあーあーあー。そんなところでね、そんなことしちゃね、ダメだぞ」→後程クビ。

☆吉熊上司…「ど、どうしたんだよ!俺、知らねーからな!」→やはりクビ。

☆某女性人事部長…「あらぁー、まぁ、あなたぁー。どおしたのぉ~?ちょっとお話しましょうね。さあ、こっちにいらっしゃいな」→役員応接室で事情聴取。その後クビ。

☆●●●ィ~(部長)…事情聴取をしながら「なるほどですね」(口癖)→やっぱりクビ。

人前で裸になるまい、と固く誓う私であった。
また、当社の人々はなんて特徴のある人ばかりなんだろうか、と思った。

妄想話をしていたらあっという間に駅に到着。

やはり秋のような澄んだ空気に私たちの爆笑は響き渡っていた。
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電車内でのこと。

2009年04月22日 22時28分25秒 | Weblog
わりと穏やかな一日だった。

朝、遅れた電車に乗り、MDに聴き入っていたところ、
「うるさいんですよ、音」
と、隣の人に指摘されたことぐらいだろうか。
「ごめんなさい」
と、謝罪し、深く反省した。
私、気付かずに人に迷惑をかけているんだなって思った。
隣の人に不愉快な思いをさせてしまった。
申し訳ないという気持ちでいっぱいになり、これからは気をつけようと思った。


電車内といえば、昨日、心療内科に行く前の電車内の話。

診察カードと保険証の存在を確かめたくて、鞄で財布の中をモゾモゾといじっていたら、酔っ払いのオジサンが接近してきた。
「お嬢ちゃん。人前で財布とか出さない方がいいぞ」
と言うではないか。

大げさには出していなかったはずなんだが。

キョトンとしていると、
「オジサンね、手癖が悪いから、公共の場でお財布見ると心がざわつくんだ」
と続けた。

ざわつく!?

「あ。すいません。これから病院に行くので…保険証を探してるんです」
と私。

「どこか悪いのか?大丈夫か?」
心配するオジサンは私の目を見て、
「あ、目か。血が出てるものな」
と言った。

いや、これから行くのは心療内科なんですがね。
この目の血は結膜下出血で大したことがないので、放置してるんですがね。

でも話がややこしくなるので
「そうです」
とだけ返答した。

…あったあった、保険証と診察カード。
安心。
お財布をしまったら、オジサンと会話をする余裕が生まれてきた。

オジサンは保険証がなくて(?)、歯医者で高額な金額を請求されて大変だったらしい。
「歯は大事ですよね」
みたいな話をし、
「お互い、健康が一番」
という話に漂着。

「さようなら。お大事にな」
オジサンは別れ際にそう言った。
「さようなら」
私も挨拶をし、心療内科へダッシュした。


電車内には色々な人がいる。

全ての人の「常識」と分かり合えるのは不可能かもしれないけれども、他の人となるべく心地よい空間と時間を共有するために、私自身もマナーの遵守には敏感でいなくてはならぬ、と思った一日であった。

そのためには「心の余裕」が不可欠なのかもしれない。

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