世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

背筋を伸ばして

2009年01月31日 22時30分03秒 | Weblog
昼間~夕方まで、ひたすらグータラ生活をしていた。
天気もあまり良くなかった。こういう日だからこそ、気兼ねなくのんびりできる。掃除、洗濯、全てのことから解放され、一日中羽毛布団の中でぬくぬくと過ごしていた。

夕方、出掛ける準備をする。一日一回は必ず化粧&ブローをしないと、私の中で何かが腐敗していきそうなので、これは欠かせないルーティンだ。

近所の薬局で、少し早目の自分への誕生日を購入した。
「中山式キョウセイベルト」

仕事中、気づくと猫背になっている私。
このベルトを装着すると、無理なく背筋を伸ばすことができ、健康な姿勢の維持が可能となるらしい。
去年購入した中山式の骨盤ゴムベルトが良くて、以来、中山式健康器具売り場はよくチェックしていた。
キョウセイベルトは、前から気になっていたんだが、買うのに躊躇するぐらい装着後の姿が物々しいので保留にしていた。
しかし、最近、肩凝りや背中の張りが凄まじく購入に至った。しかも自分の誕生日プレゼントとして。

帰宅後、さっそく装着してみた。
思ったより、良い塩梅である。
誰かに肩を後ろに引っ張ってもらっている感じが気持ち良い。また前屈みの背中が後ろに反って何とも言えない快感がある。

背筋を伸ばして31歳を迎えることができそうだ。
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麻酔、おかわり。

2009年01月30日 23時43分53秒 | Weblog
歯医者デー。

右下の奥から2番目の歯を治療した。
歯と歯の隙間にある虫歯を治療する予定だったんだが、詰めた所をひっくり返してみたところ、けっこうな虫歯っぷりだとのことでそこも治療してもらうことになった。

まずはファースト麻酔。ちょっとチクっとするが、いつものことなのでスルー。
「じゃあ、削っていきます。頑張ってくださいね」
と、真田先生。
先生、髪を切ったみたいで、前髪が短くなっている。可愛い。

「はぁい」
返答する私の声も若干可愛い目(当社比5倍)。

歯の掘削は思いの外痛かった。
我慢をしてると真田先生は、「あ、ここ削っても大丈夫なんだ」と思うらしく、掘削機を大胆にズンズンと進めてくる。
容赦ないんである。…痛い。

痛みに耐えきれず、
「いらいれすぅ…(痛いです)」
と言ってみた。

どうやら、歯の神経が炎症を起こしていて麻酔が効きづらいらしい。
麻酔、追加。
さ、気を取り直して再び掘削。

キーン…
キーン…

だーかーらー、痛いんだってば。そこ。
痛い旨を再び報告した。

作業を止められて、明らかに不機嫌になっているっぽい真田先生。

…だって痛いんだもん。

結局、麻酔を4本追加された。こんなに打って大丈夫なんだろうか。
すぐに右半分の顔面が何をされても無感覚になった。

母は妹を妊娠中に、麻酔なしで親知らずを抜歯したらしい…。かなりホラーな体験である。私には無理…。
私は彼女の娘であるはずなのに、このヘタレっぷりはどうだろう。

掘削は順調に進捗し、腐った神経は我が身から離れていった。31年近く苦楽を共にした神経、ご苦労様。アディオス。

穴を特殊な何かで埋めてもらい、終了。
疲れてしまい、脱水機にかけられたウニのようになっている私に、真田先生は
「よく頑張りましたね☆」
と、褒め称えてくれた。笑顔が眩しいぜ。

受付にて痛み止(ロキソニン)を出された。

治療から数時間が経ち、麻酔が切れかかっているらしい。…やはり痛い気がする…。さっそくロキソ投入。

来週から、根幹の治療に入るんだが、これがまた痛いんである。嫌だなあ。耐えられるのか、自分。
そういえば、麻酔を打ったあとは、明らかに体調が悪くなる。体質に合わないのかもしれない。

今宵はもう寝よう。

☆画像☆
待合室の一角にある子供部屋。
待っている間は、この巨大クマ2匹に相手にしてもらっている。
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男梅

2009年01月29日 22時05分03秒 | Weblog
大好きなキャンディ。

男梅

1粒に1つ分の梅果汁入り。

キャッチコピーが物々しい。

「手塩にかけた心にしみる梅ぇ味」

梅ぇ味…というところにオヤジギャグも凝縮されている気がする。

クセになるすっぱさがたまらん。
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よだかの星

2009年01月29日 22時04分51秒 | Weblog
あっという間に月末になってしまった。
先日まで「あけましておめでとうございます」とか言っていたのに。早い早い。
毎日毎日、同じような日常の繰り返しを生きている。

最近は、
「あ、昨日の今頃も今と同じことしていたんだよな」
と思うことが多い。
毎日がデジャヴ。
良い意味でも悪い意味でも。

ちなみに今日が何曜日か、さっき知った。
木曜日なのな?
もう週末。…早い。

「よだかの星」のクライマックスは、よだかが空を飛びながら星になるんだけれども、最期、よだかは下に落ちてるんだか上に昇っているんだか、自分自身でわからなくなる。
気づいたら星になってた、みたいなクライマックスだったような気がする。

今の私は、まさにそんな状況を生きている。

予算を作成していると、自分がEXCELのどのシートで何をしてるのか見失うときがある。

人生も、また然り。
上昇してるんだか下降してるんだか、よく分からない…。
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自分にご褒美(笑)

2009年01月28日 22時09分04秒 | Weblog
予算作成モード。

今日は白目に血の斑点ができた。

肩こりもピーク。
痛いを通り越して、神経が若干麻痺している。
こなきじじいが常に肩に張り付いているような感じ。

昔、中国人が経営するマッサージに行ったときに、「肩が冷えていて固いです。温めますので服を脱いでうつ伏せになってください」と言われ、言われる通りに待機していたら、いきなり無数の蒸しタオルを背中にあてがわれたことがある。
肩こりは温めると良いのかもしれない。
ということで、「ゆたぽん」を購入。
…何?この人をバカにしたようなネーミングは。

しかし、効果は抜群。
中のジェルをレンチンしてカバーをして肩に乗せるだけで、あったか~。
患部に熱がじわ~っと届く感じがクセになる。

これは素晴らしい。
あとは中山式のキョウセイベルトが欲しい。
これは自分への誕生日(2月4日)プレゼントになる予感。

年に一度の自分へのご褒美が健康グッズって、どうよ…。
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まりも茶

2009年01月28日 22時05分51秒 | Weblog
後輩女子が他部署に拉致されてから、吉熊上司の来客に私がお茶を出すようになった。

吉熊上司は、濃~いお茶が好みのよう。

しかし、会社は経費削減の嵐が吹き荒れており、贅沢は敵!みたいな雰囲気がビンビンと流れている。
そのうち男性社員に赤紙が送付されてくるかも?みたいな戦時中のようなこの雰囲気。
モンペでも穿こうかしら?千人針もやるべき?

なので、どれだけ少ないお茶葉でどれだけ濃い…まりもが浮いていそうな…お茶を淹れられるかが腕の見せどころ。

日々精進なり。
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おもちゃと私

2009年01月27日 22時50分45秒 | Weblog
自宅のパソコンについて色々と助けてくれたのは、昨日のブログに記載した通り、吉熊上司。

今日は、吉熊上司経由で、他部署の係長からパソコンの機械を無償でいただいた。
奥さまから許可が下りたので…ということらしい。

何かお礼をと、心療内科のあと、ショッピングセンターに寄った。

何がいいかなー?
母は食べられるものがいいと言っていたけど。

そういえば、彼は半年ぐらい前に父親になったはず。

そうだ。

その子におもちゃなんてどうだろう。

さっそくおもちゃ売り場へ。

女の子って言っていたな。彼の赤ちゃんは。


てか。


生後半年の赤ちゃんって、どんなものに歓喜の反応を示すのだろうか。

わからん。


妹や弟がいたにもかかわらず、乳幼児の発達過程がいまいちよくわからない。
小さい頃、彼らにはあまり関わらなかったので。というか、存在を無視していた。

子供がいる友達・あやみちゃんのお子さんについての記憶を頼りに、その発達などを思い出そうと必死になった。

でも、おもちゃ売り場を散策していたら、自分が子供の頃に何をもらったら嬉しかったか?というようなことを思い出すから不思議。

住宅事情を考慮して音が出るのはヤバいんでは?とか携帯電話を模したおもちゃでは教育に支障が出るのではないか?ブロックは固いからまだ早いかな?…など、迷いに迷ってしまった。

結局、泣いた子供をあやすぬいぐるみにした。ボタンを押したら音が出る、しかも音響工学に基づいたハイテクなぬいぐるみだ。

会計をする前、おもちゃ売り場にて、シルバニアファミリーが販売されているのを発見。つい欲しくなった。
クマ人形がないので購買には至らなかったが、シルバニアハウスが目映い光を放っていて惹かれた。

母が今の私の歳には、私は既に5歳になっていた。
当時の私は、それこそシルバニアファミリーもどきの人形でひたすら遊んでいた。

母親にならず、こうしておもちゃ売り場にて自分の為にシルバニアファミリーに惹かれているオレって一体…。
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優先順位

2009年01月27日 22時47分43秒 | Weblog
心療内科デー。

今日の待ち時間は約1時間だった。いつも繁忙期におけるディズニーランドの人気アトラクション並みに待つので快挙な方。
瀬戸内寂聴の「花芯」を読み進めた。これを書いたことにより、瀬戸内さんは世間から「子宮作家」と糾弾されたらしいが、濡れ場もマイルドに書かれていて、これのどこが?と思うのは私だけだろうか。

本を置き、目頭を押さえる。

最近目の奥がやたら痛い。あともう一つ気がかりなのは、味覚がおかしいということ。
化粧品が口に入ったかのような鈍い渋さが、ずっと口内に佇んでいる。
実際、化粧品が口に入ったのかもしれないが、それにしても一日中口の中が変だというのはどうだろう。

体の状態をクマ医師に報告。頭痛には目薬を、口内の違和感は様子を見ましょうとのこと。

今日もクマ医師は疲れているっぽかった。

●●●ィ~(部長)発のテロのような人事異動については、「ひどいですねー。無責任ですねー」と言っていた。

おークマ医師、話が分かる!

忙しくなったら、優先順位をつけることを忘れないように…と、念押しをされた。
たしかに。

もっと話したいことがいっぱいあったんだが、今日の診察時間は短かった。
如何せん、私も疲れていたのでその方がありがたかった。

優先順位。

あるがままに。
クマのままに。
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ときどき、ふっと。

2009年01月26日 23時39分21秒 | Weblog
ときどき、ふっと。
私が私でいたくなくなるときがある。

どこか遠くに行って、別の誰かになりたいと思うことがある。
「私」という鎧を下ろして、身軽になった体で、そのままふわふわと。

どこまでも。
飛んでいきたいと。
思うときがある。
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あるがままに。

2009年01月26日 23時28分41秒 | Weblog
後輩女子が今日から他部署に短期異動…。
朝から猛烈に寂しかった。
一日中、ずっと松村和子が「帰ってこい~よ~♪」と頭の中で熱唱してた。
でも、あっち側にいる彼女は、私と目が合うと「パォーン」(二人の秘密の合図)をしてくれるので嬉しかった。パォーン!

同時に彼女に引き継いだ仕事がそのまんま私の元に帰ってきた。
ちょっとしたダンピング。
逆輸入。
…YMO!?

…仕事は、帰ってこなくていいYO!

予算…一番厄介な消耗品費に突入。
どこのどんな経費を削るべきか?

残業してたら、
「どーしたんデスカ?」
と●●●ィ~(部長)に言われた。

どーしたも、こーしたも。
見たら分かるでしょ?
終わりませんよ?仕事。

目の酷使で目の奥が痛くなるし、もうね、こっちは大変なのよ。


…あなたのいたずらな人事異動で。


と、まあ愚痴をこぼしたくなる日もあるわな。

でも、今日は嬉しいこともあった。
自宅のパソコンのことを吉熊上司に相談したら、色々とアドバイスをくださった。
機械音痴の私には大変ありがたかった。
昨日の映画で、人の心には各々に仏様がいると道元が言っていた。
それは、優しさや思いやりなんだ、きっと。

自分の中にも仏様がいるのかな。

もしもいるとしたら、仏様を育んで周囲の人に何ができるかとかもっと考えるべきなんだろう。

吉熊上司の優しさに触れて、そう思った。

●●●ィ~のいじわるも、
吉熊上司の優しさも、
あと後輩男子タイスケくんのいたずらも、

すべて。

あるがままに。
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「禅 ZEN」  喜びも苦しみも涙も…。あるがままに。

2009年01月25日 22時23分09秒 | Weblog
喜びも苦しみも涙も…。あるがままに。



前から気になっていた「禅 ZEN」を観てきた。
角川シネマ新宿にて。
観客の年齢層は若干高めだった。

静かな気持ちになれるのかな?と煩悩塗れ&能天気な期待とは裏腹に、涙を流すほど深く感動したシーンがあった。

以下、ネタバレあり。

あらすじ
「只管打坐(しかんたざ)」の考えに目覚め、大宋国での修行より帰国した道元禅師(中村勘太郎)。勢力入り乱れる鎌倉時代、道元は禅の教えを広めようとしていた。困窮する人々にも権力者にもわけ隔てなく、出会った人々に真の教えを説いていく。(シネマトゥデイ)


道元役の中村勘太郎
→声が思ったよりソフトで、最初違和感があったが、物語が進むに連れて馴染んできた。知的で説得力のある言葉を紡ぎだす、真ん中ぽってりの唇に萌えた。
所作の美しさも溜息物だった。これは梨園で積んだキャリアの為せる技だろうか。
彼の周囲にだけ清澄な空気が流れていて、もうね、終盤なんか彼の姿を見るだけで泣けてきた。
厳しくクールなお坊さんなのかな?と思っていたが、遊女おりんの赤ん坊が亡くなったときや若い僧侶が寺を去るときなど、惜しみなくポロポロと涙を流す。けっこう涙もろいところが意外だった。

おりん役の内田有紀
→全く期待していなかったんだが、けっこう良かった。彼女の演技を観たのは久しぶりだ。アイドルだった彼女は当時、ボーイッシュで売っていた。その彼女が…夫と赤ん坊を養う遊女ねぇ…。でも、荒廃した世を逞しく生きる遊女の姿、そして子供を亡くして自暴自棄になる悲しみを上手に表現できていたと思う。

おりんの夫役の哀川翔
→ハマりすぎ!奥さんが身体を張って稼いでくるお金を巻き上げ、言い訳は「歩けない身体なんだから仕方ないじゃねぇか!」…でも毎晩奥さんの上に乗る…ダメ夫。ダメ。本当にダメ夫。最後の最後までダメだった。

音楽
→壮大な和風の音楽。誰の作曲?と思ったら、なんと宇崎竜童!
映画が始まる前、ずっと本作品の音楽が流れていたんだが、そのときから「この音楽、イイ!」と思っていた。


映画を観終えて、トイレで化粧を直し、帰りに池袋に寄ってバーゲンを楽しんだ。
うっほ~♪

…煩悩を捨て去ることは難しい。
そう、おりんに欲情し、道元の元を去る若い僧侶のように。
(でも、あのシーン…蛇に足を噛まれた若い僧侶の傷口を「チュウ…チュウ」と音を立てて吸う内田有紀のエロさに欲情しない方がおかしいと思う。貪っていたと思われても仕方がない吸いっぷりだったぜ?たった5秒ぐらいのシーンだったし、吸っているのは「元ボーイッシュなアイドル・内田有紀」と頭では分かっているのに、エロさを感じてしまった。)


春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえてすずしかりけり


「ああ、誰かに似ているんだよな、道元」

帰りに、映画を歩きながら回想した。
そうだ、私の心療内科の主治医・クマ医師だ!
発している言葉は違うけれども、いつも「あるがままに」みたいなことを言っている。
口調も似てる!
そうか、クマ医師は和尚さんだったんだ!
じゃあ、認知行動療法は座禅なのだろうか?

あと、今、なんで禅なのか?ということも考えた。
格差社会、相次ぐ倒産、社会不安、多発する変な事件の数々…あの映画に出てきた混乱する鎌倉時代に似ている。
戦後、半世紀にわたって「へ!そんなものっ」と無視し続けてきた倫理観に、そろそろ向き合わなくてはいけないのかな?と考えてしまった。

色々と考えさせられる映画だった。
とりあえず、うちのクマたちに座禅をさせてみた。



あるがままに。
クマのままに。
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非日常がやってきた。

2009年01月24日 22時17分10秒 | Weblog
エアコンの調子が悪くなり始めたのは、昨年末。
12月の下旬からだっただろうか。
2000年2月から病めるときも健やかなるときも、私とこのエアコンは一緒だった。
私の独り暮らしをいつも頭上から見守っていてくれたのである。
猛暑の夏は冷気を、極寒の冬には暖気を吐き出してくれていた。
淡々と。
しかし、些か酷使してしまったようである。

それは突然の出来事だった。
12月の某日。
私は「恋空」のテレビ放送を観ていた。
「なんじゃこりゃ!?」
という私のがっかりした感想と呼応するかのように、エアコンは
「・・・しゅるるるるるぅぅぅ~」
という悲しげな声を上げて停止したんである。

これは恋空の仕業なのだろうか。

正月を挟み、業者の都合もあり、今日が修理日が今日になった。
休日の午前中は、ぐ~たらしている私も、今日は早々と起きて準備をした。
部屋に他人を呼んだのは、恐らく昨年春にお世話になったクラシアンの殿方以来である。
誰も来ない部屋というものは、恐ろしいほど早いスピードで汚くなる。
先々週の大掛かりな掃除で、「他人に見られても少し恥ずかしいぐらい」のレベルまで落ち着いた。
それを2週間キープしていた私。
本当に快挙だと思う。

正午ぴったりに、業者さんはやってきた。
ちょっと、牛に似た朴訥な中年殿方であった。
さっそくエアコンの様子を見るオッサン。
私はお湯を沸かし、お茶とお菓子を出した。

オッサンは、淡々とエアコンを分解していく。
そこに現れたものは…
『ヤニ色の埃の塊』
であった。
「…ンゴフッ…!」
と出てきた。
舞いながら、それはカーペットに落ちていく。

そうか。
となりのトトロの『すすわたり』は、ここにいたんだ!
草壁家を追い出され、フワフワ浮遊して、ここに住みついていたんだ!
などと、どうでもいいことをぼんやり考え木偶の坊みたくなっていた私に、オッサンは
「この蓋の部分と中の翼の部分、水洗いしてください」
と指示した。

え・・・?

一応、この洋服、他所行き用のニットなんですがね。

いや、ここは彼に従った方がいい。
この密室で何があるか分からない。
相手は中年といえども、殿方。
圧倒的に彼の方が優位だ。

「はい!」
私はまるで、さっきまで読んでいた漫画「エンジェル・ウォーズ」(上田美和)の伊吹マリアのような微笑でそう答え、そのエアコンの物体を持って浴室に向かった。

それにしても、スゴイ汚れっぷりである。
8年間のヤニと埃がミックスされたものが、シャワーの水圧でどんどん出てくる。
「これ、使うといいですよ」
振り返ると、オッサンはマジックリン(強力タイプ)とブラシを持って佇んでいた。

浴室は…見ないで欲しかった。
ノーマークだった。
カビ、いっぱい生息していた。

オッサンはそんな私の心をよそに、淡々とモーターを取り替えている。
マジックリンの強力タイプの落ちようったら、ホントに強力だ。
茶色く変色したプラスチックの部分にスプレーすると、その部分だけ8年前の白さを取り戻していくんである。
私はその感動を誰かにすぐに報告したくなった。
で、部屋にいるオッサンに
「これ、スゴく綺麗に落ちますね!!」
と言った。
オッサンは
「ですが、手が荒れるんですよ。ちゃんとケアした方がいいですよ」
とアドバイスまでくれた。
こんなヤニだらけの部屋に住む私の手にまで心を遣ってくれるだなんて!
オッサンは、最初に出した見積もり金額よりも若干安い値段を提示してきた。

なんてことない。
機械の修理の出張だなんて、よくあることだ。

でも、私にとっては特別なことに値する。
部屋を見られる、ということは、やはり非日常的なことだ。

私の好きな本もクマも飾っている写真も、使用している化粧品もコップのシミも埃も、何もかもが覗かれるのである。

これが非日常でなくて何だろう。

オッサンの言っていた通り荒れてしまった手にクリームを塗りこみながら、私はしみじみとそう思った。
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光と小雨のコラボレーション

2009年01月23日 22時16分56秒 | Weblog
午前10時ごろから日差しが出てきた。

片脇に稟議書箱を携えて、他の建物に書類を届けるため外へ出た。
ドアを開けると、日差しと小雨のコラボレーションが広がっている。
強烈な寒さはなく、その分、目の前に広がる風景を眺めることに没頭できた。
滴が光に反射して、なんとも幻想的な様子である。
屋根もアスファルトも、電柱も公園の木々も、全て今まで見たものとは違って見えた。


午後、今まであまり話したことがない他部署の部長と話をした。
彼についての様々な噂は入社したときから聞いてきた。
噂には事欠かない彼。
彼の事を話すとき、人々の唇にはうっすらとした何かが浮かぶ。
「ああ、あの人ね…」
みたいな。

一部では怖いと囁かれているので、私はあまり彼には近づかないようにしていた。
今まで30秒以上、彼と話をしたことがない。
予算作成のために、どうしても彼に訊かないといけないことがあったのである。
仕方がない。
私は奇襲攻撃を決意した山本五十六のように一人で頷き、彼の元へと旅立った。
多くの商品に埋もれている彼を発見し、彼の机に近づく。
私の「あ、あのう…」というか細い声に、彼は些か不機嫌になった。

「…は?」

怖い。
嫌われちゃったかな?
事情を説明したら、彼は忙しい中、多くの資料を出して説明してくれた。
平成16年度の経費まで遡ってくれた。
結局は「昔はこんなに経費をかけても大丈夫だったの。でも今はね…。来期の予算、盛っておいてね。うふふ」ということだったんだろうが、それにしても彼がEXCELであんなに素敵な表を作成して管理していただなんて!けっこう衝撃的だった。

光と小雨のコラボレーションが、同じ景色をいつもとは違ったように見せるのと同じで、人々も違った角度から見ると様々な色感が出る。

そんな小さなことの発見が、シフォンの層のように重なって、私の人生を形作っていく。

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朝日の照らすところ

2009年01月22日 22時35分30秒 | Weblog
昨夜、グアム島のことを思い出したついでに、またある想いが私の中で目を覚ました。

高校2年生の冬休み、私は2回目のグアム島へ行った。
2回目のグアム島の思い出は、青い島よりも遥かに思い出深い光景が私の胸に刻印されている。

午前中のフライトだったので、早朝に宇都宮駅発のマロニエ号(成田空港直通バス)に乗った。

冬でまだ朝日は昇っていない。
暗闇の中、バスは首都高を走り抜けていく。
マロニエ号の乗り心地は快適で、私は椅子に凭れながらウォークマンから流れる音楽に聴き入っていた。

都内に入った頃、薄暗い街並みが色づきはじめた。
建物の犇めく東京が、まるで舞台効果を高めるように明るく染まっていく。

私は決心した。
光に染まるあの光景を見て、決心したんである。

この街に住もう、と。
宇都宮も十分に素晴らしい街だと思う。
でも、将来の自分がいるのは宇都宮ではない、と思い始めたのが、あの時からだったのかもしれない。

14年後。
私はあのときになりたかった都民になった。

高速道路から見たあの建物一つに住まいを構え、毎日を過ごしている。

でも、まだ実感できないでいる。
上京して9年が経過しようとしているにもかかわらず、いまだにあの首都高から見た風景に私がいると思うと、恐怖と興奮と嬉しさと少しの不安が押し寄せて私は身震いをしてしまう。

特に、風呂上がりに化粧水を顔に叩き込んで、ふと窓の外を見ると、「『あの場所』で、こんな生活染みたことをしている自分」に気づき、動揺してしまう。

そして、何もできないまま親元を離れて生活している自分に僅かな不可解さを感じるんである。


こんな私にも、あの日、私を揺り動かした朝日がちゃんと降り注いでいるのだろうか。
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海よ 宇宙よ 神よ 命よ このまま永遠に夕凪を

2009年01月21日 22時44分08秒 | Weblog
紅白で久々に「島唄」(THE BOOM)を聴いた。
この曲との出会いは、高校一年生の夏。
初めてグアム島に行った、あの夏。
ラジオから流れてきたこの曲を聴きながら
「この曲を聴くとグアム島を思い出すんだよな」
と呟いた私に、洗濯物を干していた母は
「何言ってるの。これ、沖縄の曲じゃん」
と言った。
今から思えば、完全に沖縄特有の旋律だ。
でも当時の私の中で「島唄=南の島=グアム島」という方程式は普遍だった。

先日、ブログを徘徊していた時、この曲の意味を初めて知った。
沖縄戦を唄ったものだった。
そして、南国を愛する郷土愛を唄ったものだと思っていた無知な自分を知った。

私の母方の祖父は沖縄戦開始1週間前に沖縄を脱出した。
祖父が沖縄戦で亡くなっていたら、母も私も生まれてこなかった。
だから沖縄戦で亡くなった多くの犠牲者のことを思うと、私は他人事だと思えないんである。

でいごの花が咲き (1945年4月1日 春が訪れ)
風を呼び 嵐が来た (沖縄本島に米軍が上陸した)
でいごが咲き乱れ (4月から6月)
風を呼び 嵐が来た (米軍の侵攻が続いた)
繰り返す 哀しみは (米軍の残酷な殺戮は)
島わたる 波のよう (寄せては引く波の様に繰り返された)
 
ウージの森で (サトウキビ畑で)
あなたと出会い (出会った、あなた)
ウージの下で (ガマ=鍾乳穴=防空壕の中で)
千代にさよなら (永遠のお別れをした)
 
島唄よ 風にのり (島唄よ 海の向こうの本土まで届けておくれ)
鳥と共に 海を渡れ (亡くなった人々の魂を、沖縄の悲しみを)
島唄よ 風にのり届けておくれ (島唄よ 海の向こうのニライカナイまで届けておくれ)
わたしぬ涙 (亡くなった人々の魂を、私の思いを)
 
でいごの花も散り (1945年夏 たくさんの尊い命が散った)
さざ波がゆれるだけ (今はあの悪夢が嘘のように静かだ)
ささやかな幸せは (幸せな日々の生活は)
うたかたぬ波の花 (はかなく消え去った)
 
ウージの森で (サトウキビ畑で)
歌った友よ (一緒に歌い遊んだ、あなた)
ウージの下で (防空壕で自決する前に)
八千代に別れ (泣きながら故郷を歌った)
 
島唄よ 風に乗り (島唄よ 風に乗って)
鳥とともに 海を渡れ (魂と共に 海を越えて)
島唄よ 風に乗り (あの人の居るニライカナイへ)
届けておくれ (私の愛を届けておくれ)
私の愛を
 
海よ
宇宙よ
神よ
命よ
このまま永遠に夕凪を(今、あなたを思い、永遠の平和を祈る)



民族衣装に身を包み、音楽を奏でて暮らしていた沖縄の人々。
そんな暮らしが戦争によって粉々にされてしまった。
そればかりか、多くの人々の命をも奪われた。
戦禍に消えた多くの人々の「声」が、悲しく私の心に寄せては返す。

波のように。

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