今夜は別のネタを用意していたのですが、ちょっと触発されるところがあったので急遽予定を変更です。こっちの事情など知ったことではないかとも思いますが。
あるカテゴリーに属する個人を罵倒することと、あるカテゴリー全体を差別することは、イコールではない(かめ?)
詳細はリンク先をお読みいただければ幸いですが、まず発端としてブログ主のgegengaさんが「貧すれば鈍する」という言葉を使ったところ、某氏が「貧乏人への差別発言だ!」と噛みついてきたわけです。ふ~む、私も貧乏人ですが、その発想はなかったですね。
障害がある。
エイズである。
そういった理由で「批判されない」というのは、おかしい。
どんなカテゴリーに属した人間でも
批判すべきは批判する。あなたは、そういった姿勢の方だと思っていました。
それが、あなた「個人」が罵倒されると
「貧乏人」「派遣社員」
という「カテゴリー」に逃げ込むのですか?
で、触発されたのはこの辺り、一部だけの引用ではニュアンスが伝わりにくいかも知れませんが、まぁ某氏が貧乏人である自分への批判は貧乏人への差別だと、そう読み替えたことへの批判です。なるほど、こういう傾向は批判の対象となった某氏ならずとも、しばしばありますね……
例えばほら、「若者無謬論」とでも言うべきものがあるとは思いませんか? まず一方で、隆盛を極める俗流若者論があります。その大半は謂われなき誹謗中傷であり、若者はこの謂われなき誹謗中傷に絶えず晒されています。ところが若者の側に批判されるべきものが皆無かと言えば、当然そういうことはないわけです。中には正当な批判もある。しかるに俗流若者論による不当な非難を退けるその余勢を駆って、真っ当な批判をも一緒くたに退けてしまう、そんなケースも珍しくないような気がします。
若者が不当な非難に晒されている、これは事実としても「不当な非難に晒されている」=「自分達への批判は全て不当である」ということには、勿論ならないわけです。ところが若者叩きの大半を占める俗流若者論の荒唐無稽ぶりを良いことに、いかに真摯な批判が向けられようと、俗流若者論と同様の「無理解と差別心に基づいた我々への攻撃だ」と、被害妄想に浸るばかりで批判に向き合おうとしない、そうした若者の姿もまた認めざるを得ないところがあるのではないでしょうか。
そしてgegengaさんと某氏の「貧乏人」を巡る問題もそうですね。低賃金層、非正規雇用層、貧乏人への差別的言論は至る所に蔓延しています。自己責任論などに代表される責任転嫁も全く途絶える気配がありません。貧乏人は常に不当な非難にされされているわけです、ですが……上で述べたように「貧乏人が不当な非難にされされている」=「自分達への批判は全て不当である」というわけではないはずです。
そこでgegengaさんから某氏個人への批判がありまして、それを某氏が「貧乏人への差別発言」と言い出したわけです。そりゃ、貧乏人への差別発言は世の中に渦巻いていますが、貧乏人である自分への批判は全て「貧乏人への差別発言」として相手に押し黙ることを要求するとしたらどうなのでしょう? 自分達への批判はタブー、ある意味ではエセ行為みたいなものなのでしょうかね。少なからず残念な発言でもあります。
まぁ俗流若者論にせよ自己責任論にせよ、中身は酷いものです。それが自分に関わりなくとも、その内容のアホアホしさに気付けるようであればいいのですが、往々にして自分が非難の対象にならないと理解できない人もいます。俗流若者論の戯言ぶりに辟易しているはずの若年層にしたところで、給食費の未納や救急車のタクシー利用だの、同レベルに荒唐無稽な「日本人のモラルが低下」論を鵜呑みにしていたり、あるいは貧乏人として自己責任論に抗弁しながら凶悪犯罪、外国人犯罪の増加など「治安の悪化」という神話を大真面目に信じていたり、どうも自分が咎められない限りは根拠に乏しい愚劣なデマでも気にしない人が多いようです。
いわゆるロスジェネ層は、まだ若者と目されているからこそ若者叩きに反論もするでしょうけれど、彼らが齢を重ねて若者ではなくなったとき、彼らは自分の次の世代となる若者をどう語るでしょうか? 「自分達の世代は大変だった」「今の若者は恵まれている」、そう語るようになるのではないでしょうか? 現に一部では、既にそのような傾向が見え隠れしています。ロスジェネなんて大層な名前を頂戴したところで、俗流若者論は脈々と受け継がれる、そんな辺りに嫌気がしてなりません。
特に「若者が不当な非難に晒されている~そうした若者の姿もまた認めざるを得ないところがあるのではないでしょうか。」、この辺は陥りやすい罠です。注意せねばなりません。
ただ、私の目から見てよろしくないと思うことは、若い者がもっと若い者を「ゆとり」と非難することですね。自分の受けた苦しみを他の人にするのはよくないことです。
そう思っているうちは「貧すれば鈍する」という言葉に過剰反応はしないでしょう。
私もいつまで持つかはわかりませんが。(笑
そう、俗流若者論による謂われなき非難に晒されてきた世代が、自分達よりも若い世代を「ゆとり」などと非難する、俗流若者論の再生産も既に珍しくなくなっているところもあります。自分は被害者といいながら、実は加害者サイドに回ろうとする、うまくないなぁ、と。
>kurosukeさん
日頃の行動は何かと鈍くさい私ですが、まぁこの先どうなることでしょうか。「貧すれば鈍する」と言われても私自身はピンと来ないところではありますが……
たとえば、最近、どうも犯罪被害者家族にたいする批判がタブー視されているところがあります。北朝鮮拉致被害者家族然り、光市の事件での男性然り。
彼(女)らが非常に気の毒な立場であることを認めるのは当然ですが、しかし彼(女)らが常に正しいことを言っているわけではありません。横田さんの奥さんや増元照明氏が叫んでいることなんて、申し訳ありませんが私にはあまり支持はできません。
私はこの人たちの発言も適宜批判していくつもりですが、なんか世間の人たちは異常に批判をタブー視しているのですよね。でも、それって最終的には損をするのは私たちですよね。
被害者家族たちも、マスコミからちやほやされて少し勘違いしているところもあるんじゃないかなと思います。国政選挙の自民党候補の応援に、光市の事件の家族が出たとか何とかということがありました。それなんか、その一例でしょう。
ワーキングプア問題というのは、これは実際に存在し、この問題を若者の資質の問題として片付けようとする論へ反論しようという意識は理解できるのですが、じゃあ若者一般の資質が非の打ち所がなく完璧かというとそんなわけはないですよね、だのに彼らは往々にして若者に対する批判の全てを「それは社会の構造的問題で、若者に非はないのだ」と片付けてしまい勝ちです、これは美味しくありません。雇用格差の問題に対して若者の資質の問題を持ち出す老人は確かに相当頭が悪いですが、非の打ち所のない人間など当然いないのですから、そういった老人による若者批判にだって一理はあるでしょう。
例えばよくあるパターンとして、「ワーキングプアの若者は自助努力が足りない、勉強して資格を取るべきだ」という批判に対し「彼らは雇用機会を奪われることで社会における教育の機会を失っているから勉強できない、それに勉強に費やすような余分な資金は一銭だってないのだ」などと反論したって返ってくる答えは「そんなものは自分たちの時だってなかった、今の若者は甘えている」ぐらいが関の山でしょう。若者に対する批判の全てをワーキングプアのという一言でかわそうとするのは無理というものです。管理人さんも仰るように若者を無謬に持ち込むことが目的ではないのですから、批判は批判として受け止め、しかし雇用が細ったという事実は事実として提示し、その原因を若者の資質の問題として片付けようとしているというその一点のみで反論すれば良いのです。そういうことを考えないで「ワープア無罪」みたいなことを言ってると昔の左翼みたいになっちゃうよ、って思うんですけどね。
だんだんと貧乏を固定的に考える時代に進化してきたのかと、かつては貧乏に生まれても某大学卒業で一発逆転の道もあったようです、みんなが裕福になる幻想で大学進学率アップで結果は大部分が貧乏に、労働者階級の利益のために雇用の安定などを謳った結果、一部の公務員などが死ぬまで雇用安泰の反面、不安定な低賃金労働者から抜けられない層が拡大して逆転の夢もない。
たとえ貧乏人であっても女性ならシンデレラへの夢、貧乏人だろうとブス・ブサイクな金持ちよりマシだ、
の逆差別が良い。
外国の調査で「あらゆる世代で、多くの人が自分の一つ下の世代からダメになっていったと考えている」という結果が出たとラジオで昔言っていました(なので調査の妥当性は不明ですが…)。なんとなくこの話を思い出しました。かといって、私たちはこの傾向を甘受するわけにはいかないと思います。
>俗流若者論の戯言ぶりに辟易しているはずの若年層にしたところで、給食費の未納や救急車のタクシー利用だの、同レベルに荒唐無稽な「日本人のモラルが低下」論を鵜呑みにしていたり、あるいは貧乏人として自己責任論に抗弁しながら凶悪犯罪、外国人犯罪の増加など「治安の悪化」という神話を大真面目に信じていたり、どうも自分が咎められない限りは根拠に乏しい愚劣なデマでも気にしない人が多い
多いのかどうかは知りませんが(むしろそんなに多くはないだろうと考えています。あ、blogとかで意見述べている人になら多いかもしれないですね。)間違いなくいますね。他の「カテゴリー」を叩くことで自分の「カテゴリー」が優遇されることを狙っているのかもしれませんが、そんなモグラたたき合戦で何かがよくなるとは思えません。
でも同時に、俗流若者論や自己責任論を真に受けて苦しんでいる若者もいるわけで、一応それは付記しておきたいです。
些細なことにつける難癖から、世間話に咲くあだ花まで、若者に対する批判は何千年もの間続けられてきたのでしょう。
これはいわば世界の伝統、人類の歴史、いや先祖から受け継いだ記憶の遺伝子ではないかと思います。
「伝統守る」と口にする保守的な方がいますが、えてしてその手の方々は若者への評価も辛い気がします
きっと何千年も続いている「若者非難の伝統」を後世へ受け継ごうと努力されているのだと思われます
もう若くない大人から大人げない非難を受ける若者もいるでしょうが、大人の対応で受け流してもらいたいものです。
まぁ善悪二元論的な考え方が好まれるのか、「善」の側に位置づけられれば、その人のいうことは全て正しい、その人への批判は許されない、そういう扱いになりがちですね。そうした扱いが祭り上げられる立場の人の目をも濁らせている気がしてなりませんが、批判の許されないところに自浄能力が期待できるはずもなく……
>ペトログラードさん
そう、今のロスジェネ層は従来の左翼に否定的な人が多いわけですが、その割に昔年の左翼の轍を踏みそうな印象を受けるのです。「ワープア無罪」とばかりに批判は受け付けない、自分達への批判は全て俗流若者論のごとき不当な攻撃であるとして退ける、こうやって自浄能力を失った排他的で内向きの集団が出来上がると、その行き着く先は過去に例のあるとおり……
>tatu99さん
ちょっと物事の順序を混同されている気がします。皆が裕福になったから大学進学率がアップしたのであって、そこから脱落する人が増えたから翳りが見え始めているのですよ。
>いるか缶さん
若者がダメになったと、文明の誕生から言い続けてきたのでしょうね、きっと。俗流若者論に反発している世代も、いざ自分より下の世代に目を向けると?
一方で俗流若者論などを真に受けている若年層も、確かに少なからずいますね。自分のことなのだから、その誤りに気付いて欲しいところでもありますが、信じやすい性質なのでしょうか。純真な若者に虚偽を吹き込む輩に、いいように振り回されているのかも知れません。
>イシイさん
若者叩きは人類普遍の伝統でもありますね。色々と伝統が過去に遡って捏造されているわけですが、本当に変わることなく受け継がれてきた伝統がこの若者叩きなのかも知れません。なるほど、保守的な人が次の世代に厳しいのは、この伝統を受け継ぐためと考えるとしっくり来ますね。
さて、福田首相が辞めてしまいました。それについての個人的感想は避けますが、各紙家族会にまるで「お伺い」を立てているような記事を載せているのはちょっと解せないです。
拉致問題が重要であることは分かっていますし彼らも気の毒だとは思いますが、彼らのみを中心として政治が回っているわけではなく、彼らの威名を持ち出せば何でも許されるわけではないぞ、と。